岸和田競輪場で開催された第69回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは吉沢‐武田の茨城に同じ関東の木暮が競り,脇本‐三谷‐村上の近畿,原田‐山田の西国で菅田は単騎。
村上が勢いよくスタートを取って脇本の前受け。4番手に原田,6番手に菅田,7番手に吉沢で,周回中は競らず,吉沢の後ろは武田‐木暮の周回に。残り3周のホームの出口で木暮が武田の外に並ぶと武田は引き,吉沢‐木暮‐武田の隊列に。この隊列のままバックから吉沢が発進。コーナーでは脇本を叩きました。ホームの入口から武田が木暮の内に入って番手戦に。競りの後ろに原田,山田の後ろに菅田,引いた脇本が菅田の後ろで残り2周のホームを通過。バックに入って脇本が発進。打鐘で吉沢を叩いて先行。武田が競り勝ち4番手の吉沢の後ろは武田‐木暮。7番手に原田,最後尾に菅田の一列棒状でホームを通過。バックに入る手前から三谷と村上の車間が開き始めました。後ろを牽制しているのかと思いましたがそうではなく,脇本‐三谷のスピードについていかれなかったようです。2番手と3番手,さらに3番手と4番手も離れたのでバックからレースは脇本と三谷のマッチレース。直線で差し切った三谷が優勝。脇本が半車輪差で2着。後方からの捲り追い込みとなった原田が5車身差の3着。
優勝した奈良の三谷竜生選手は日本選手権競輪以来の優勝でビッグ3勝目。高松宮記念杯は初優勝。確かに木暮は武田の前で走ることも多いのですが,関東勢が折り合えなかったため,吉沢は先行はしにくそうなので,このレースは脇本の先行が予想され,その展開なら脇本が逃げ切るか三谷が差し切るかというレースになるだろうと思っていました。3番手を追走した村上が離れてしまったくらいですから,脇本の先行はかなり強力だったわけで,三谷は差しはしましたが脇本の強さが際立ったレースという印象の方が強いです。
姉と弟という関係性の違いがあるかもしれませんが,母はロサンゼルスの伯母のことは頼りにしていますが,福江島の叔父に対してはそうでもありません。そのために2016年の11月に叔父が福江島から来訪し帰島した後は,ほとんど連絡を取っていませんでした。母は自分の病気のことも伯母には伝えていたのですが,叔父には知らせていなかったのです。ですがこのとき,悪いニュースではありましたがたまたま叔父からこちらに連絡がありましたので,母はこちらの状況も伝えることができました。確かに叔父も大変な状況ではありましたが,こちらもこちらで大変ですから,入院したことに対して何か支援をすることは物理的に不可能だったのです。
9月7日,木曜日。この日は母が妹を通所施設に送りました。これは僕に送れない状況が生じたためではなく,母の方から僕に申し出があったからです。通所施設の職員に対しては母の状況については僕から説明していましたし,母も日々の連絡帳を記していました。また,救急搬送された翌日には通院の中途にKさんと一緒に妹を送って行きましたから,そのときにも母は自身の身体の事情についての説明はした筈ですし,あるいはリアルなものとして感じていたであろう自身の死後の妹のことについて,何か相談していたかもしれません。そういうわけでできれば母も,自分の体力面から可能であるなら通所施設の職員たちと何度か会っておきたいという気持ちもあったのだろうと思います。この日はそれだけの体調にあったということだと解してください。
9月9日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。カラオケでした。またこの日は午後2時前にKさんが来訪しました。Kさんは出羽三山方面に旅行に行ってきたとのことで,お土産を持参してきてくれました。
9月10日,日曜日。母と妹は美容院に行きました。美容師は母と親しい方ですので,自身の身体のことについて,話してきたものと思います。
9月11日,月曜日。呼吸器科の通院でした。これは前回のPET検査の結果の報告です。肺にも癌はありましたが,ごく小さいものでした。ただし,通院は続けることになっています。
村上が勢いよくスタートを取って脇本の前受け。4番手に原田,6番手に菅田,7番手に吉沢で,周回中は競らず,吉沢の後ろは武田‐木暮の周回に。残り3周のホームの出口で木暮が武田の外に並ぶと武田は引き,吉沢‐木暮‐武田の隊列に。この隊列のままバックから吉沢が発進。コーナーでは脇本を叩きました。ホームの入口から武田が木暮の内に入って番手戦に。競りの後ろに原田,山田の後ろに菅田,引いた脇本が菅田の後ろで残り2周のホームを通過。バックに入って脇本が発進。打鐘で吉沢を叩いて先行。武田が競り勝ち4番手の吉沢の後ろは武田‐木暮。7番手に原田,最後尾に菅田の一列棒状でホームを通過。バックに入る手前から三谷と村上の車間が開き始めました。後ろを牽制しているのかと思いましたがそうではなく,脇本‐三谷のスピードについていかれなかったようです。2番手と3番手,さらに3番手と4番手も離れたのでバックからレースは脇本と三谷のマッチレース。直線で差し切った三谷が優勝。脇本が半車輪差で2着。後方からの捲り追い込みとなった原田が5車身差の3着。
優勝した奈良の三谷竜生選手は日本選手権競輪以来の優勝でビッグ3勝目。高松宮記念杯は初優勝。確かに木暮は武田の前で走ることも多いのですが,関東勢が折り合えなかったため,吉沢は先行はしにくそうなので,このレースは脇本の先行が予想され,その展開なら脇本が逃げ切るか三谷が差し切るかというレースになるだろうと思っていました。3番手を追走した村上が離れてしまったくらいですから,脇本の先行はかなり強力だったわけで,三谷は差しはしましたが脇本の強さが際立ったレースという印象の方が強いです。
姉と弟という関係性の違いがあるかもしれませんが,母はロサンゼルスの伯母のことは頼りにしていますが,福江島の叔父に対してはそうでもありません。そのために2016年の11月に叔父が福江島から来訪し帰島した後は,ほとんど連絡を取っていませんでした。母は自分の病気のことも伯母には伝えていたのですが,叔父には知らせていなかったのです。ですがこのとき,悪いニュースではありましたがたまたま叔父からこちらに連絡がありましたので,母はこちらの状況も伝えることができました。確かに叔父も大変な状況ではありましたが,こちらもこちらで大変ですから,入院したことに対して何か支援をすることは物理的に不可能だったのです。
9月7日,木曜日。この日は母が妹を通所施設に送りました。これは僕に送れない状況が生じたためではなく,母の方から僕に申し出があったからです。通所施設の職員に対しては母の状況については僕から説明していましたし,母も日々の連絡帳を記していました。また,救急搬送された翌日には通院の中途にKさんと一緒に妹を送って行きましたから,そのときにも母は自身の身体の事情についての説明はした筈ですし,あるいはリアルなものとして感じていたであろう自身の死後の妹のことについて,何か相談していたかもしれません。そういうわけでできれば母も,自分の体力面から可能であるなら通所施設の職員たちと何度か会っておきたいという気持ちもあったのだろうと思います。この日はそれだけの体調にあったということだと解してください。
9月9日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。カラオケでした。またこの日は午後2時前にKさんが来訪しました。Kさんは出羽三山方面に旅行に行ってきたとのことで,お土産を持参してきてくれました。
9月10日,日曜日。母と妹は美容院に行きました。美容師は母と親しい方ですので,自身の身体のことについて,話してきたものと思います。
9月11日,月曜日。呼吸器科の通院でした。これは前回のPET検査の結果の報告です。肺にも癌はありましたが,ごく小さいものでした。ただし,通院は続けることになっています。