スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部諸感情の定義三七&医師と患者の出会い

2018-06-21 19:01:45 | 哲学
 第四部定理四五系一で悪malumであるといわれている感情affectusのうち,最後に示されている復讐は,第三部諸感情の定義三六の怒りと同様に欲望cupiditasの一種であり,こちらは第三部諸感情の定義三七に示されています。なお,岩波文庫版では系Corollariumの方は単に復讐と訳され,定義Definitioの方では復讐心といわれていますが,これらはラテン語では同じvindictaです。一般に日本語では復讐というのは実行される行為のことを指すと思われますので,それが感情であるということを強調するために,僕は復讐心ということにします。
                                
 「復讐心とは我々に対して,憎しみの感情から害悪を加えた人に対して,同じ憎み返しの心から,害悪を与えるように我々を駆る欲望である」。
 概ね行為としての復讐はこの定義で示されている,害悪を与えた人間に対して害悪を与え返すということを意味していますので,復讐することを欲望する感情が復讐心であると考えて差し支えありません。
 僕はある人間のことを憎めばその人間に対して怒るということが人間の現実的本性actualis essentiaから発生することをすでに示しました。したがってその怒りという欲望が実行されるなら,実行された相手が憎みまた怒った相手に対して怒りを有するということは,同様のメカニズムによって生じることが明らかでしょう。そしてこの怒りは特別に復讐心といわれているのです。したがって,復讐心というのは我々に対して与えられた害悪に報復しようとする怒りであると定義してもよいでしょう。
 これは憎しみodiumの連鎖の一種ですが,具体的に相手に害悪いい換えれば悲しみtristitiaを与えようとする欲望を伴った憎しみの連鎖であるということができます。憎しみが憎しみを産出するように,怒りは実行を伴えば新たな怒りを産出します。その新たな怒りが復讐心ですが,この復讐心は実行されればまた新たな復讐心を産出します。つまり憎しみの連鎖は怒りの連鎖あるいは復讐心の連鎖をも産出する可能性が高いのです。

 まだ受けていない段階で抗癌剤を用いる延命治療が母にとって辛いとは決定できないので,もしそれだけの理由で延命治療を受けたくないと判断しているのであれば,実際に辛いかどうかを確認する意味でも受けてみる価値があるということを僕は母に伝えました。しかし同時に,医師が抗癌剤による延命治療を方針として打ち出してきたら,無条件にそれを受諾するべきではないということも同時に伝えました。
 すでに示したように,完治の見込みがない病気については,寿命は縮まっても辛さを感じる治療は避けるという選択にも一理ありますし,辛くても可能な限りは寿命を延ばすという選択にも一理あるのです。こうした選択に正解はないというのは,実は患者にとってそうであるというだけでなく,患者を実際に診察する医師にとっても同様であると僕は考えます。ですから延命治療を強く勧めるのも一理ありますし,患者が望まない限りは説明だけにとどめ,延命治療は推薦しないというのも一理あると僕は考えます。
 医師といってもひとりの人間ですから,ある医師と別の医師とでは現実的本性actualis essentiaが異なります。母のような場合についていえば,延命治療をあまり推薦しない現実的本性を有する医師が診察にあたる方がよいことになりますが,少しでも長く生きたいという患者にとっては,延命治療を積極的に行う医師が診察にあたるのがよいということになるでしょう。ですが患者がどういう考えを有しているかは事前には医師には分かりませんし,医師がどういう考えを有しているかが事前に患者に分かるわけではありません。これでみれば分かるように,医師と患者の出会いというのは,必ずしも双方にとってよい出会いであるとは限らないのであって,悪い出会いになる場合もあり得るのです。いい換えればその出会いは善bonumであるとは限らず,悪malumである可能性があるのです。
 抗癌剤の治療は辛さを感じる可能性の方が高いと僕には推測できました。ですがそれを受諾してしまえば,医師はそれをずっと継続する可能性があります。それは母の望むところではありません。ですから,母が中止したくなったら中止するという確約が必要だと僕は考えました。
コメント
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