スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&譲渡と拡大

2018-06-04 20:31:24 | 将棋
 第59期王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は羽生善治竜王が12勝,豊島将之八段が9勝。
 振駒で羽生竜王の先手になり角換り相腰掛銀の将棋。先手が後手の仕掛けを誘発してから攻めていくという展開。本人ではありませんから何ともいえませんが,研究合戦の一局だったのではないかと思います。終盤まで接戦が続きました。
                                       
 後手が7八にいた金に二枚の歩で働きかけ,その金を7六で取ったのに対して先手が受けたところ。どうやらこの局面は後手が優位に立っていて,先手はその直前の指し方が拙かったようです。
 ここでは☖6三歩と打つ手もありますが強く☖7九角と寄せにいったのがいい判断でした。取る手もあったかもしれませんが☗7八王と逃げたので☖6六桂☗6七王☖7四飛☗同飛☖5八桂成☗同王☖6八金☗4八王まではどちらも変化の余地がない手順で進みました。
 後手はここで☖3六歩と伸ばし☗3八歩の受けに☖4六桂。さらに☗4七銀と引いたときに☖3五銀と進みました。
 先手は☗5一飛の王手。後手は持駒を使うわけにはいかないので☖2二玉と逃げ,先手は☗5四飛寄と指しました
 ここは☖3八桂成が最善手だったようですが☖5八金と寄りました。そして☗3九王☖4八金打と追い☗2九王に☖4七金。
                                       
 これが☗3四桂☖1三玉☗3一角のとき☖2二銀と打つ合駒を用意しつつ使っても先手玉への詰めろが継続している一手。☗5四飛寄が詰めろではなかったため,最終盤で最善を逃す展開にはなったようですが,後手はこの手順で勝ちと読み切っていたということでしょう。
 豊島八段が挑戦者に。王位戦七番勝負は初登場。第一局は来月4日と5日です。

 Aという人間とBという人間がいて,大きな荷物を運ぶときに,AひとりまたBひとりでは運ぶことができないけれど,AとBが協力すれば運ぶことができるようになると仮定して,その荷物を運ぶことが,理性ratioに従う限りで喜びlaetitiaになるあるいは悲しみtristitiaの忌避になるのであれば,AとBは互いに自然権jus naturaleの一部を譲渡し合うことになります。この原理が大きく拡大していった組織がここでいっている国家Imperiumです。このとき,AとBは各々が個人の自然権では行使することができなかった権利を,協力し合うことによって行使することができるようになったといえます。つまりAとBの自然権は,その一部を譲渡し合ったとしても,むしろ大きくなっているのです。つまりそこにあるのは自然権の縮小ではなく自然権の拡張です。そしてこのような原理に基づいて国家が形成されるなら,国民の自然権は最大限に拡大しているといえるでしょう。このゆえに第四部定理七三にあるように,自由の人homo liberは自身の自然権を最大限に行使する状態にあるより,自然権の一部を譲渡したとしても,共同の決定に従って自然権を行使する方が,自由libertasであることになります。ですから自由の人は必然的にnecessarioそのような国家を希求する,欲望することになるでしょう。
 自然の権利と自然的権利を分別することの意味は,僕の考えではこの点にあります。すなわち譲渡する自然権というのは自然の権利jus naturaleに属し,拡大する自然権は自然的権利naturale jusに属するという意味です。いい換えれば,自由の人は自然の権利を互いに譲渡し合うことによって,最大の自然的権利を獲得することができるようになるのです。
 ただし,このことについては僕が前に述べておいたことに注意しておかなければなりません。それは自然状態status naturalisというのも社会契約というのも実在的有であるというわけではなく,理性の有entia rationisであるにすぎないということです。ですから,人間がひとりだけいるということを想定するなら別ですが,現実的に複数の人間が存在する以上,自然の権利だけを最大限に行使する状態が実際にあるわけではありませんし,人間が受動passioを免れ得ない以上,最大に拡大された自然的権利というものがあるわけでもありません。
コメント
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