スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大楠賞争奪戦&私論のまとめ

2018-04-16 18:58:31 | 競輪
 昨日の武雄記念の決勝。並びは阿部‐小松崎の北日本,和田‐山賀の南関東,村上‐坂口の近畿中部,松川‐山田‐園田の九州。
 和田がスタートを取って前受け。3番手に村上,5番手に松川,8番手に阿部で周回。残り3周のバックを過ぎると阿部が上昇。松川の外で蓋をしながらホームへ。ここで村上が動いて和田を叩くとバックに入って阿部が村上を叩いて先行態勢。阿部ラインを追った松川がそのまま阿部を叩きにいって打鐘からは先行争いに。この先行争いはホームで松川が強引に前に出ました。ただ途中で村上が園田をどかして山田の後ろに入ろうとしたので口が開き,山田の後ろに小松崎がスイッチ。小松崎の後ろに村上‐坂口という隊列になりました。バックで村上が発進するとコーナーから山田も番手捲りで応戦。山田マークになった小松崎が村上を牽制して村上はやや失速。そのまま粘り切って優勝は山田。うまく立ち回ることになった小松崎が半車身差で2着。直線で最内を伸びてきた園田が1車輪差で3着。
 優勝した佐賀の山田英明選手は前回出走の国際自転車トラック競技支援競輪から連続優勝。GⅢ2勝目で記念競輪は初優勝。ここは山田の地元ということもあり,前を任された松川には先行意欲が高いだろうと思われました。阿部の抵抗は予想されましたが,強引にでも松川が先行することができたので,その時点で優勝のお膳立ては整ったというレースに。園田が離れずについてこられれば,もっと楽なレースになっていたものと思われます。

 排他的感情および排他的思想に関連する私論はこれで終了とします。特定の個人,国家Imperium,宗派,民族といった人間あるいは人間集団をターゲットとした排他的思想がスピノザの哲学の下に許容され得ないことはいうまでもありません。とりわけ僕が詳細に検討したように,不安metusおよび憤慨indignatioという感情affectusは,容易に排他的思想に転化してしまう面があるので,スピノザ主義者たらんとする人はそれをよく弁えておかなければならないと思います。
                                
 第三部定理一三により,僕たちは僕たちに悲しみtristitiaを与えるものを忌避しようとします。加えて僕たちは時間tempusを表象しますから,不安という感情に苛まれることは避けようがありません。そしてその不安の対象が人間であったり人間集団であったりすることもあるでしょう。一方,僕たちは第三部定理二二の様式の感情の模倣imitatio affectuumをしますから,憤慨という感情に捉われるということも避けようがありません。スピノザ主義は人間や人間集団に対する不安や,憤慨といった感情に刺激されるafficiことを禁止するものではありません。それらは人間の受動的自由に属することであり,それを禁ずることは不可能なことを要求しているのに等しいからです。ですがスピノザ主義者は,そうした感情に刺激されたときにも,それに支配はされないように,常日頃から気を付けておかなければなりません。そうでなければ僕たちは第三部諸感情の定義二八の意味であれ第四部定理五七備考の意味であれ,容易に高慢superbiaに支配される排他主義者になってしまうでしょう。いい換えれば第三部定理二六備考にいう狂気の人となってしまうでしょう。
 さらに第四部付録第二四項にいわれるように,人間に対する憎しみodiumは,憎んでいる相手と友情amicitiaを育むことを妨害する,あるいは拒絶するという意味において非礼turpeであるだけでなく,社会正義に反する感情であるのです。僕たちは僕たちの自然権jus naturaeを拡張するために社会ないしは国家Civitasを形成するのです。したがって人に対する憎しみに支配されることは,僕たちの自然権の拡張にとってむしろ不利益になるということを理解しておく必要があります。それが僕たちは無法律の下で暮らすことになるという意味であるからです。
コメント
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