スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝日新聞社杯競輪祭&首都

2015-11-23 19:26:47 | 競輪
 ここで今年のグランプリに出走できるベストナインが決定する小倉競輪場での第57回競輪祭の決勝。並びは平原‐武田の関東に池田,竹内‐浅井の中部,村上義弘‐村上博幸‐稲川の近畿で渡辺は単騎。
 少しばかり牽制状態になりましたが,単騎の渡辺がスタートを取って前受け。2番手に竹内,4番手に平原,7番手に村上義弘で周回。残り3周のバックから村上義弘が上昇。前までは進めず竹内の横に並ぶと残り2周のホームの入口で竹内が引き,渡辺を先頭に2番手に村上義弘,5番手に平原,8番手に竹内の一列棒状でホームを通過。バックに入るところから竹内が発進。しかし村上義弘が併せて打鐘から先行争いに。ホームで村上博幸の牽制があり,竹内は浮いて村上義弘の先行に。浅井は打鐘付近で竹内につけきれず,そこでインに潜ろうとしたため隊列が乱れ,村上博幸の後ろは平原‐稲川‐武田に。コーナーから稲川が内から位置を取り返しに行き,平原はバックで浮かされた感じになりましたが,そのまま前に踏むとつけ直した武田と共に捲りきって後ろを離しての優勝争いに。ゴール前で武田が差して優勝。4分の1車輪差で平原が2着。つけきれなかったものの外を追った池田が3車身差の3着に食い込みラインで上位独占。
                             
 優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の函館記念から連続優勝。ビッグは6月の高松宮記念杯以来の15勝目。競輪祭は2012年以来3年ぶりの2勝目。村上義弘が竹内と先行争いをしましたので,関東ラインにとっては絶好の展開に。一旦はもつれて平原の後ろに稲川に入られる形だったのですが,稲川もラインを重視する競走に徹したので事なきを得ました。平原は明らかに掬われたと思うのですが,そのタイミングで発進して楽に捲りきるのですから,このラインはグランプリでも非常に強力だといわざるを得ないでしょう。

 この当時のオランダで,現在でいう首都機能を有していたのは,アムステルダムではなくハーグでした。オランダ全体の国策を決定するための議会派の合議はハーグで行われていたからです。したがってフッデJohann Huddeとかヨハン・デ・ウィットJan de Wittなどの政治家は年に何回かはハーグを訪れていたことになります。そのときにフォールブルフVoorburgにいたスピノザと会ったというケースも何度かはあっただろうと推測されます。
 ヨハネス・ファン・デル・メールが確率論の問題を解決したいと思ったのは,興味本位ではなく切実な事柄であったと僕は考えます。だからメールがフェルメールであったとして,デルフトもまたハーグとは近距離ですから,そうした機会に有識者の見解を尋ねに行くということはあったとしておかしくありません。そしてそうした有識者とスピノザが懇意にしているということもあり得ないわけではなく,メールが質問をした場にスピノザが居合せるということは,絶対にあり得ないとまではいいきれないでしょう。書簡三十八のメールがフェルメールであるというマルタンの仮説を成立させるための必要条件は,これだけのことを含まなければならないと僕は考えます。
 『フェルメールとスピノザ』で説明されている,フェルメールがスピノザと会わなければならなかった契機というのは,確率論とは関係ありません。要するにマルタン自身も,賭けの倍率に関する問題のうちには,スピノザとフェルメールが出会う必然性があるとは考えていないのです。だからマルタンは,スピノザの書簡のテクストが具体的にどういったことを意味しているのか,いい換えるならこのテクストをどのように読解するべきであるのかということには,さほど真剣に取り組んでいなかったのかもしれません。というのも,マルタンが推定している両者が出会う必然性というのが,僕が読解したようなテクストの内容とは矛盾するからです。これは後で詳しく説明しますが,もしもマルタンが説明するような理由からフェルメールとスピノザが会ったのなら,それはデルフトのフェルメールの家でなければならないのです。つまりハーグで会ったことは否定されなければならないのです。
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