昨晩の第29回ブリーダーズゴールドカップ。
逃げたのはビービーバーレル。これにマイティティーが絡んでいくような形になり,向正面では3番手以降に5馬身ほどのリードを取りました。単独の3番手にタイニーダンサー。ステファニーランが4番手。発走後の正面では内に押し込められるような形だったクイーンマンボは抜け出して5番手。6番手にジュエルクイーンでその後ろにオージャイトとスルターナ。3番手以降はここまで集団。ハイペースだったと思われます。
逃げたビービーバーレルは3コーナー手前で早くも鞭が入って後退。自然とマイティティーが先頭に。タイニーダンサーとクイーンマンボが追い,ジュエルクイーンも続き,さらにオージャイトとスルターナ。直線に入ると逃げ込みを図るマイティティーと追い縋るクイーンマンボが,追い上げて単独の3番手まで上がったオージャイトを引き離していきマッチレース。クイーンマンボはよく喰らいつきましたが最後の最後まで抜かせず,優勝はマイティティー。4分の3馬身差の2着にクイーンマンボ。6馬身差の3着がオージャイト。
優勝したマイティティーは重賞初制覇。昨年の10月に1600万を勝った後,牝馬重賞を2戦して共に大敗。前走の牡馬相手のオープンもその2戦以上の差をつけられての大敗と,オープンでは頭打ちという状況だったのですが,変わり身をみせました。ただ,牡馬相手に1600万を勝つような牝馬は牝馬重賞では好走できる筈で,それ以降は不可解なくらいの大敗であったと考えてもいいでしょう。一般的にいえばダート戦は3歳馬は古馬相手に最初のうちは苦戦するもので,食い下がった2着馬との力関係は,将来的には逆転していくのではないかと思いますが,3着以下には決定的な差をつけたのも事実であって,大敗続きであったからといってフロック視するのは危険ではないでしょうか。祖母は2000年のJRA賞最優秀4歳牝馬のチアズグレイス。4人共有の馬で,Tityはその4人の頭文字だそうです。
騎乗した池添謙一騎手と管理している本田優調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。条件は異なりますが第14回は本田優騎手が制していて,騎手と調教師でのダブル制覇です。
本性が存在を含むessentia involvit existentiamというのは第一部定義一にあるように自己原因causam suiのことです。ですからこのことはこの意味で解することしか許されません。しかし本性と存在existentiaが切り離されるとか,本性と存在が一致するというのは,スピノザがそれを規定しているわけではありませんから,あくまでも解釈上の問題にしかなり得ません。
第二部定理八系で個物の存在が二通りの仕方で示されるとき,個物res singularisが神Deusの属性attributumに包容されて存在する場合には個物の本性と個物の存在は切り離されていて,個物が現実的に存在するといわれるようになるとその個物の本性と存在は,現実的本性actualis essentiaと現実的存在として一致するようになるといっているように,『スピノザ哲学論攷』の主張は解釈できるようになっていると僕には思えます。もし河井が本当にそう主張したいのであれば,僕はここまで考察してきた事柄から,そのことに同意しません。ですが切り離されるとか一致するというのは解釈上のことでしかないなら,この点について追及する必要を感じません。

一方,河井の論考自体が無意味であるとは僕はまったく考えないです。第三部定理七の意味のうちに,人間の本性と人間の現実的本性は異なるということを僕は示しました。もちろんこのことは人間にだけ特有に妥当するわけではありません。もっと一般的に,個物の本性と個物の現実的本性は異なると考えなければならないのです。ですから,個物が神の属性に包含されているという場合には個物の本性だけ考えればよいのですが,個物が現実的に存在している場合には,個物の本性について考えるだけでは十分ではなく,個物の現実的本性について考えておかなければならないのです。
このときに重要なのは,現実的本性とか現実的存在といわれる場合に,現実的であるというのはどういうことであるのか,いい換えれば現実性とは何であるのかということを,現実的存在や現実的本性について考える前に知っておかなければならないということです。現実的に存在するということは持続duratioのうちに存在するということであり,したがって第二部定義五によってそれは無限定なindefinita継続continuatioのことであると解しておくだけでは不十分なのです。
逃げたのはビービーバーレル。これにマイティティーが絡んでいくような形になり,向正面では3番手以降に5馬身ほどのリードを取りました。単独の3番手にタイニーダンサー。ステファニーランが4番手。発走後の正面では内に押し込められるような形だったクイーンマンボは抜け出して5番手。6番手にジュエルクイーンでその後ろにオージャイトとスルターナ。3番手以降はここまで集団。ハイペースだったと思われます。
逃げたビービーバーレルは3コーナー手前で早くも鞭が入って後退。自然とマイティティーが先頭に。タイニーダンサーとクイーンマンボが追い,ジュエルクイーンも続き,さらにオージャイトとスルターナ。直線に入ると逃げ込みを図るマイティティーと追い縋るクイーンマンボが,追い上げて単独の3番手まで上がったオージャイトを引き離していきマッチレース。クイーンマンボはよく喰らいつきましたが最後の最後まで抜かせず,優勝はマイティティー。4分の3馬身差の2着にクイーンマンボ。6馬身差の3着がオージャイト。
優勝したマイティティーは重賞初制覇。昨年の10月に1600万を勝った後,牝馬重賞を2戦して共に大敗。前走の牡馬相手のオープンもその2戦以上の差をつけられての大敗と,オープンでは頭打ちという状況だったのですが,変わり身をみせました。ただ,牡馬相手に1600万を勝つような牝馬は牝馬重賞では好走できる筈で,それ以降は不可解なくらいの大敗であったと考えてもいいでしょう。一般的にいえばダート戦は3歳馬は古馬相手に最初のうちは苦戦するもので,食い下がった2着馬との力関係は,将来的には逆転していくのではないかと思いますが,3着以下には決定的な差をつけたのも事実であって,大敗続きであったからといってフロック視するのは危険ではないでしょうか。祖母は2000年のJRA賞最優秀4歳牝馬のチアズグレイス。4人共有の馬で,Tityはその4人の頭文字だそうです。
騎乗した池添謙一騎手と管理している本田優調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。条件は異なりますが第14回は本田優騎手が制していて,騎手と調教師でのダブル制覇です。
本性が存在を含むessentia involvit existentiamというのは第一部定義一にあるように自己原因causam suiのことです。ですからこのことはこの意味で解することしか許されません。しかし本性と存在existentiaが切り離されるとか,本性と存在が一致するというのは,スピノザがそれを規定しているわけではありませんから,あくまでも解釈上の問題にしかなり得ません。
第二部定理八系で個物の存在が二通りの仕方で示されるとき,個物res singularisが神Deusの属性attributumに包容されて存在する場合には個物の本性と個物の存在は切り離されていて,個物が現実的に存在するといわれるようになるとその個物の本性と存在は,現実的本性actualis essentiaと現実的存在として一致するようになるといっているように,『スピノザ哲学論攷』の主張は解釈できるようになっていると僕には思えます。もし河井が本当にそう主張したいのであれば,僕はここまで考察してきた事柄から,そのことに同意しません。ですが切り離されるとか一致するというのは解釈上のことでしかないなら,この点について追及する必要を感じません。

一方,河井の論考自体が無意味であるとは僕はまったく考えないです。第三部定理七の意味のうちに,人間の本性と人間の現実的本性は異なるということを僕は示しました。もちろんこのことは人間にだけ特有に妥当するわけではありません。もっと一般的に,個物の本性と個物の現実的本性は異なると考えなければならないのです。ですから,個物が神の属性に包含されているという場合には個物の本性だけ考えればよいのですが,個物が現実的に存在している場合には,個物の本性について考えるだけでは十分ではなく,個物の現実的本性について考えておかなければならないのです。
このときに重要なのは,現実的本性とか現実的存在といわれる場合に,現実的であるというのはどういうことであるのか,いい換えれば現実性とは何であるのかということを,現実的存在や現実的本性について考える前に知っておかなければならないということです。現実的に存在するということは持続duratioのうちに存在するということであり,したがって第二部定義五によってそれは無限定なindefinita継続continuatioのことであると解しておくだけでは不十分なのです。