三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸跡4。

2020-05-19 09:57:31 | 城郭縄張図

2020年5月19日(火)関東周辺の北条関連の城郭の1。

興国寺城 静岡県沼津市、愛宕山南峰の傾斜地の浸食谷と湿地帯に囲まれた要害地、沼津は戦国期今川・武田・北条らによる争奪の地になりました(天文5年(1536)-天正10年(1582))、長亨元年(1487)伊勢盛時(後の北条早雲)が今川家の家督相続で活躍しこの興国寺城を得た(?)、その後伊豆堀越公方を滅ぼし伊豆韮山へ出る足掛かりとなった拠点の城。

興国寺城本丸

興国寺城本丸から見た本丸の土塁。

韮山城 静岡県伊豆、伊勢盛時(北条早雲)の関東進出の拠点、解りずらいですが城は右側の意外と狭い所ですね、重要拠点で北条氏康の四男氏規がその後城主、元亀元年(1570)武田信玄の駿河侵攻に対しても守り切った、

韮山城本丸 天正18年(1590)小田原征伐時、豊臣軍織田信勝約5万に対し3600の兵での籠城、約100日持ちこたえ、徳川家康の説得で開城・・・氏規はなかなかの名将ですね、戦後城は廃城。

深大寺城 東京都調布市、南の野川を水堀に西方を覗く三方が湿地帯、西方は空堀を三段に供えた、大永4年(1524)江戸城を北条氏綱に攻略された扇谷上杉朝興が巻き返しに使用した城、天文6年(1537)朝興の子朝定は難波田広宗(武州松山城での守将)に命じ城を改修(現在の遺構)。

深大寺城本丸 北条氏綱は迂回し直接河越城を攻撃、扇谷上杉朝定は武州松山城へ落ち延びる、深大寺城は軍事的価値失った。

河村城 神奈川県山北町、河村氏の居城、戦国期は後北条の支城。

河村城本丸 元亀・天正(1570-1573)甲斐武田信玄の侵攻があり改修。

小机城 神奈川県横浜、文明10年(1478)長尾景春の乱(山内上杉の家宰長尾景春・・当時鉢形城主が相続問題で主君に反乱)が発生、景春に味方した豊嶋氏がこの小机城に立てこもる、敵方の太田道灌(この時詠んだ句・・戦のイロハ・・)が攻撃し2ケ月で落城。

小机城本丸 その後北条氏綱の時に改修、本丸・二の丸がいずれかはっきりしていないとか。

三輪城 東京都町田氏、北条氏の支城。

三輪城本丸 私有地内で良好な遺構。

下田城 静岡県伊豆下田、天正16年(1588)北条氏直築城、北条氏の水軍の拠点。

豊臣秀吉軍長曾我部元親・九鬼嘉隆・脇坂安治・加藤嘉明ら一万の水軍対清水康英600、約50日の籠城御開城。

山中城 静岡県三島市、永禄年間(1558-1570)北条氏康が西の防衛拠点として築城、対豊臣との防衛強化を行うが未完で対戦、天正18年(1590)小田原征伐で豊臣秀次率いる7万と守将北条氏勝・松田康長3000が激突、猛烈な力攻めの結果、わずか半日で落城・・・戦力差いかに。

山中城本丸。

山中城本丸より二の丸方面。

山中城障子堀 北条関連の城郭はまだまだ続きますよ、次回へ。






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