絵画をもっと楽しむために!プロから教えてもらった美術館の楽しみ方をルノワール展で実践!
↑ こちらは私は書いた文章ではありませんが、以前「美術館を楽しむポイント」ということで取材を受けたのを、このライターさんが実践してみたという記事です。
いや、なかなか勘どころをつかんでいて良く書けてますな(上から目線)♪
で、実際に8月11日(木)と25日(木)に、和装セミナーの「和con(わこん)」の講座で、美術館めぐりのアテンドをいたします。
わたくしめのアート解説と、センス抜群のダジャレを楽しみたい方はぜひご参加くださいませ。ランチ食事会なども予定していますので、合わせてご検討のほどを♪
秋葉原系アイドルでもわかるニュース解説第5段(MC:宇田川敬介)「バングラディッシュ、ダッカテロと夏休み海外旅行でテロに合わないようにする方法」
毎月、新宿の八洲学園大学スタジオから配信されている、宇田川さんをMCに迎えた動画も第五弾になりました。実は私は自分の出た動画は、一度もまともに見たことないのですが、巷ではけっこう「見た」という方が多いようです。
今回は冒頭5分くらいに、役者姉妹の藤井紅葉(べには)・彩葉(あやは)さんの似顔絵を描きました。別々に会うと姉妹には見えない2人ですが、 実はパーツがよく似ていて遺伝子の相似を感じさせます。
9月8日のアートイベントでは、これに色を加えたものを筆描きで披露しようと思います。合わせてお楽しみに!
写真は動画の収録が終わると毎回食べに行く、美味しいタイ料理の店。
新宿二丁目のクルンテープ・ミッドナイトです♪
良かったら、こちらのリンクを覗いてください。
この中のマンガと動画は私の手によるもの。
【漫画】花火大会でおなじみの掛け声「たーまやーっ」には、実はちょっと怖いこんな逸話があった!?
基本、修正せずに一気に描いているので、線はややザツですが、そこは動画とセットなのでご了承を。次回のものはもう少し丁寧に描きました。
今、描いてるテンペラ画の動画を撮りに、毎週Wakuiroの担当さんが来ているのですが、合間にマンガを描くという形をとっています。
吉本の新人よりちょっとはマシというギャラのため、ペン入れはせずに鉛筆で一発勝負。5分で描く4コマということで、ネタもその日に来て決めるのですが、この日は夏らしく「花火」をテーマにということで、落語の話を”まんま”マンガにしてみました。
記事は別の人が書いたものですが、落語「たがや」が“怖い”という感想だったというのが、私にはちょっと意外だったかな。
昨日の大相撲初日。
注目の稀勢の里でしたが、相撲もさることながら・・・あの不気味と言っていいのか、微笑みとも何とも言えない表情が話題になりました。
もちろん、勝負ごとで稀勢の里が笑うはずもありません。
あれは何かの集中法、精神のコントロール方法であることは間違いありません。
誰かメンタル・トレーナーがついて、ああいう表情をさせているのか?
私の考えでは、一番近いのが仏像、それも如来が良く見せる表情ではないかと思うのですが、それにしてはやや笑い過ぎだろうという感じかな。
理想なのは如来にある「無」に近い状態なのでしょうが、それに近い表情は調子の良い場所に見られていました。
ややダークな笑みにも見える表情はモナリザの微笑み?
いやいや、モナリザの微笑みとは違うものの、心が別に笑ってないのは同じかな。
御嶽海を押し出し、完勝したあとは元通りの稀勢の里の顔に。
今場所、勝負前の稀勢の里の表情がどう変わっていくのか。
それも楽しみに見ていきたいと思います。
昨日の記事、Facebookのコメント欄に松野先生から米が入ってました。
ご本人の許可を得たので転載します。
探偵ナイトスクープで育った大阪人としては百田尚樹さんは誇りなのですが、なにせあの人は決めつけが過ぎます。物事をバッサリと分類しすぎます。
人は様々な面を持ってますし、物事もそのいろんな面を持ってるいろんな人たちが絡み合って起こっているのですから簡単分類したりバッサリとぶった切ったりもできません。
イデオロギーを横に置いて問題解決を重要視するおおさか維新の会を支持してるとその辺りがよくわかります。
支持者同士で話をしても右も左もイデオロギーで分類すると色々います。9条の件もです。
9条は誰が読んでも現状との乖離がひどい。
この処方はまずは9条以外の憲法改正をやってみることです。
公明党のいう加憲が必要ならやってみましょう。
おおさか維新の会が主張してる改正も合意できるところはあるはずだかはまずはそれだけでもやってみましょう。
憲法改正=改悪・怖いと煽って絶対不可侵と言ってる社民や共産は本当に罪深いと思います。
バカなライトポール際の人たちもまずは無視しなきゃダメです。安倍さんがあのクラスタを切れば大宰相になるとおもってるのですがね。
そうそう。
「カエルの楽園」で気になったのが、”決めつけ”ですね。
でも、これは護憲派の人たちにも同じことが言えます。
物事というのは重層的に出来ていて、それが政治となるとなおさら。
ただ 「カエルの楽園」は結末以外のストーリーは、あ@花さんの言うように、現実にあったこと「まんま」なので、そこは仕方ないかというとこでしょうか。
9条に関して言えば、安倍独裁が先か、中国の日本侵攻が先かで考えてみてはいかがかと思います。これってニワトリと卵みたいな話ですわ。
日本の歴史の中で軍部独裁は実際にあったことなので、これから先、それが絶対起らないとも言えません。
それが安倍政権で起るとは考えにくいのですが、かりにそんな独裁政権が起るとすれば有事の時でしょう。
では、どんな時に安倍独裁が起るか?
単純に一番可能性の高いのは「アメリカの傘がなくなった時の中国による日本侵攻」でしょうか。
どちらもならないとは思うけど、仮に中国が攻めてきたとして以下3つの“決めつけ”をご用意しました。みなさま、どちらをお選びになりますか?
1、9条を残して中国の侵攻を受け入れ、日本は彼の国の何番目かの省になる。
2、9条を撤廃し、安倍政権による一党独裁のもと、中国侵攻軍と交戦する。
3、どちらもイヤなので、話し合いで解決する。
なに、お前はいったいどれなんだって?
私はもちろん3番です(ウソです)♪
昨日は猛暑の中、あ@花さんをお連れして山種美術館で「江戸絵画への視線」を見てきました(展覧会については後日UPします)。絵画鑑賞のあとはカフェで水羊羹と冷えたお抹茶をいただき一服。
夕方戻って、仕事をする前に届いていた「カエルの楽園」。今さらですが、読みはじめたら一気に読んでしまいました。
結論から言うと、読んだら不愉快になる本です(けなしてません)。
読む前から、おおよその予想はついていたのですが、思った以上に血圧の上がる本でありました。
周知のように、登場するカエルには、それぞれ護憲派、改憲派、右翼、左翼、アメリカが思い切ってステレオタイプにわかりやすく描かれてます。平和なカエルの国ナバージュには、三戒という(1、カエルを信じろ 2、カエルと争うな 3、争うための力をもつな)、いわば憲法9条をモデルにした戒律があるという設定ですが、それをめぐっての議論が・・・あるある、この本と同じ内容の議論をした記憶が! って感じかな。
個人的には戦後70年以上、戦争がなかったのは9条のおかげとは思いませんが、それを肯定する証明はできません。戦争がなかったことは事実ですから、それが9条のおかげか否かはまさに「悪魔の証明」で、違うとも違わないとも言えないのです。
私の大学時代の友だちは美大ということもあって、護憲派がけっこういて、たまに議論になると必ず平行線を描きます。
この本はそれを再現したかのように書かれていて、きっと百田直樹氏は百万回、こんな議論をして来たんだろうなあって思っちゃいました。
憲法9条でこれだけ平行線になるのだから、実際に戦争レベルになった時に「話し合いで解決しよう」なんて、どう考えてもムリですけど、この本にはそんな平行線の議論が延々と描かれていて、おああああ、け、血圧が・・・。
ただ私自身はこの本で言ってることにそんなに反対はしませんけど、この本の存在は憲法改正もろもろをめぐって分裂をより深める気がしました。
TwitterでUPされてる”「カエルの楽園」読みました”に関する称賛も、なにか一神教の同じ宗派どうしの称賛に似た感じはするしねえ。
だって、「すべてを話し合いで解決しよう」と譲らない人が(自分が譲らないで話し合いっていうのも、すげー話ですけど)、この本を読んだからと言って意見を変えるはずがないものね。朝日新聞が「カエルの楽園」を絶対取り上げないように。
人と人は基本、絶対にわかり合えない部分を持っています。
問答無用に人質を殺す、先のダッカのテロなどはその典型的な例ですね。
それを確認する本でした。
でも百田直樹さん。読ませる筆力は比類なきものですが、いかんせん話の作りがザツだよなあ。「海賊と呼ばれた男」でも、大物がみんな主人公に惹かれていっちゃうように、話を作り過ぎなのは、今回もやや鼻につきました。
誰かに似てると思ったら、「俺の空」の漫画家・本宮ひろ志先生でした(ほめてません)。
ニコ動で拾ったアンドラーシュ・シフの「イタリア協奏曲」が、あまりに素晴らしいのでポチリ。勢いでゴールドベルク変奏曲も購入したのですが、これがまた大当たり。
ゴールドベルク変奏曲といえば、グレン・グールド1986年録音のものが定番で、当時センセーショナルだったこの演奏が、今では長くスタンダードになっていました。
グールドの呪縛からなかなか逃れられないと言われた続けたものの、実際は園田高弘の繰り返し全曲演奏など、けっこうユニークな盤はありました。
ただ、グールドの演奏を凌駕するまでのものは、なかなか・・・。
映画「羊たちの沈黙」に使われていたのは、グールドそっくりだけど違う人の演奏らしいし、なかなかあの呪縛からは解放されてなかったのですが、このシフの演奏はすごい!
バッハでこれほど艶やかな音色は、ほとんど聴いたことがないのですが、それが鼻につかない(わたしは)。
艶やかな音色といえば、アシュケナージの演奏を思い出しますが、あの人はバッハをあまり弾きません。コンサート前に腕ならしに平均律を弾いていた、儲けものは聴きましたけど、あの艶やかな音色がバッハに合わないんだそうです。
吉田秀和先生の表現を借りると「レンブラントの造型にルノアールの色彩が加わったような音色」。
うーん。わかったような、よくわからないような。
でも、この表現はシフのゴールドベルクに合うかもしれません。
彼もグールドの演奏は意識してるようですが、どのバリエーションもまるで真逆のテンポで演奏していて、まるで違う曲を聴いてるよう。
これから平均律が届きます。平均律といえばリヒテルと思ってましたが、あまりに内向きすぎて、滅多に聴きません。
あの華麗な音色の平均律も楽しみです。
シフのバッハを聴きながら制作ちう♪
先週の金曜日に国立新美術館で開催中のルノアール展、行ってきました。
ルノアールはおおむね招待券で行くため、 このブログでも3〜4回はご紹介しましたが、今回は見たことのない作品が多く、なかなか興味深い展覧会でした。
意外だったのは、この展覧会の目玉である「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」がサロンに出品されたということでした。
サロンは当時フランス最大の画壇で、日展や二科展など日本画壇もここをお手本に創設されたという、アートの巨大な権威でした。
サロンを落選したマネたちが、開催中の展覧会の隣で「落選展」を開催したのが印象派のはじまりですから、本来なら印象派の巨匠筆頭であるルノアールが出品するのもおかしな話です。しかもこの時、ルノアールは印象派展に出品していなかったというのも興味深いところ。
ルノアールは人の信頼を裏切るようなタイプではなく、ましてカラヴァッジョのようにケンカを好む人ではないので、これはどういったことでしょう。
その後もモネら印象派の画家と親交を結んでいたのですから、トラブルがあったわけでもなさそうです。
たぶん、ルノアール自身は印象派の画家という意識も、サロンの属しているといった意識もなかったのでないかな。モネのように、藁束を一日中眺めているようなことは、一切しておらず、淡々と道を極めていく優等生タイプの画家でしたから。
後世の人が、印象派にルノアールを位置づけしただけかもしれません。
順風満帆な画家人生を送っていったルノアールですが、50歳を過ぎた頃から持病のリウマチに悩まされます。
指も腕も動かなくなり、手に筆を縛り付けて描いた晩年の映像が館内に流れていたのが印象的かつ感動的なでした。
「よく手が動かないのに描けますね」
「絵は手で描くものじゃない、目で描くものだ」
と言った話は有名で、わたしも若い頃はこのセリフをよく使わせてもらいました。
ただ、実際にそうやって描いたルノアールの作品。
二重三重になったおなかの女性は、やはり全盛期のルノアール作品に及びません。
あれはルノアールブランドがあるから価値がある。
腕に筆を縛り付けて描いたエピソードとセットになっているところが、なきにしもあらずです。
昨日はクライアントの友だちに誘われて、奥多摩は御嶽神社にハイキングでした。
御岳山(おんたけさん)は、昨年だかにジムのトレッキング大会に参加して上ったことがありましたが、その時は神社は素通りでした。
家康公ゆかりのお社を参拝とは、先日の茅の輪くぐりに引き続き、2016年後半に向けて幸先の良いことです。神社というのは、何とも言えない良い気が漂いますが、山中のお社はなおさらのこと。
マイナスイオン漂う薄曇りの中、 良い気をたっぷりいただいて来ました。
この日のもう一つの目的が、澤乃井で知られる小澤酒蔵の日本酒を堪能すること♪
ビアガーデンならぬ酒ガーデンは店じまいが4時半なので、通常のトレッキングコースは歩かず、ケーブルカーで往復してから、多摩川源流沿いの遊歩道で小澤酒蔵をめざしました。
日本の原風景とも言うべき多摩川の源流の水は青く、途中河原に降りて、足を水につけてみましたが、その冷たさにびっくり!
5分と足をつけてられません。
よく渓流で溺れ死ぬ人のニュースを聞きますが、これはちょっと深みにハマっただけで助かりません。水は冷たいし流れは早いし、 いや自然はすごいわ。
小澤酒蔵の見学は2時から。
4時起きで5時に朝食をとり、10時半くらいにランチでしたから、丁度良い塩梅です。
酒蔵の方に蔵を案内してもらいましたが、かなり大きな酒蔵会社です。
学生時代から澤乃井は愛飲してましたが、それというのも東京ではどこの酒屋でも大抵はこのお酒を置いています。
美味しいし、そんなに高くないのも澤乃井の魅了ですが、蔵を見学するのは初めてのこと。一升瓶4000本入るというタンクは、毎日2合飲んで60年かかるそうで、そんなタンクが無数に置いてありました(数聞いたけど忘れた)。
家では昼間の酒は飲まない主義のわたくしですが、こういう時は別。渓流を横目に旨い日本酒をグビグビ飲むのは、まさに掛け値なしのゴクツブシ、人間のクズになり下がるという至福の時です。
半年に一度、1年の前半最終日にあたる6月30日に行われる、夏越の大祓会(なごしのおおはらいえしき)に初めて参加いたしました。
斎行は5時からでしたが、4時半に行った時にはもう氷川神社は初詣の時のような人手でした。穢れの溜まった人がいっぱいいるんだなあ。
斎殿の中は芋を洗うような人。
入れなかった人が賽銭箱の外にも大勢並んでいました。
個人的には5月の後半から6月はケガやら何やらロクなことがなく、まあ、それで初めて大祓会に出てみようと思ったわけですが、それだけに斎行の間にも煩悩のようなモヤモヤが脳裏を次々によぎってきます。せっかく神聖な儀式に出てるのですが、まあ人間が出来てないというか情けないというか、何というか(笑)。
まあ、この吐き出しが良いのでしょうね。
人間おかしなもので、何か作業などに熱中してる時に煩悩は頭の中から消え去ります。神事や座禅などのように、本来は無にならなければいけない時こそ、余計な考えが次々に頭をよぎるのですね。
一通りの神事が済むと、茅(かや)で出来た輪を8の字にくぐる茅の輪(ちのわ)くぐり。境内の中を参拝者の行列が、8の字のように茅の輪を3回くぐりぬけるお清めが行われました。
はたして茅の輪を3回くぐりぬけると、あーら不思議。それまで心の中に澱のようによどんでいたモヤモヤが消え去ったではありませんか!
こういう神事というのは心がけや気持ちのものでありますが、実際に心の中を浄化させる力があるのかもしれません。
いや、単なる気のせいか?
気のせいでも良い。スッキリしたことには変わりません。
2016年の後半をこういう気持ちで迎えられるのは誠に結構なことに感じ入りました。
神事というのは、こういうためにあるのですね♪