3月11日に卒業祝い給食は非常識? 吉川の中学校で賛否、市教委は困惑
たまたま3月11日が卒業祝いの日になり、給食に赤飯を出すのが「不謹慎だ」と埼玉の教職員が非難したという話。
さすがに非難した方に批判が集まるというのは、日本もそこまでバカじゃないということでしょうが、これもまた以前に拙ブログで書いた「雪の日の強行出勤は戦時中の竹槍に同じ」に共通した話に思えます。
日本人の横並び意識すべてがいけないとは言いません。それが他国にないチームワークを作っていることは確かだし、震災の時に世界を驚かせた”列を作って支援を並ぶ”という美徳を作らせていることも確かです。
でも、意味ないガマンを人に強いることはないよね。
私がこの手の記事に思わず反応してしまうのは、本来あるべき善悪、あるいは効率よりも、意味のない仲間意識や横並び意識を優先させるからですね。
3月11日は各々が考える日ではあるけど、押し付けることじゃない。
赤飯をガマンしてもらっても、東北の人や被災者は何も嬉しくありません。
それくらいなら、赤飯のもち米を東北産にするという方に話を持っていくべきです。
教師という人種はその手の商売がまるでわかっていませんね(ふろむ元教員)。
岩手のお酒「南部美人」の社長が、震災直後に「自主規制より、東北産のお酒を飲んでください」と言った話は世間に浸透してきたと思ってましたが、意味ない自主規制を強いる人間が教員の中にいるのは如何なものでしょう。
この先生方に教わる子どもが気の毒に思えます。
先日、母の入院でガン疑いがシロと出て安心したという記事を書きましたが、八十を過ぎてくると入院は検査など含めて、そう珍しいことではありません。
母は入院でイヤがることが2つああります。
ひとつは不自由な生活で、入院した以上は医師や看護師の言うことは、ある意味絶対でして、かなり自由のない生活を強いられます。
人間にとって「自由」が何より大切なものだと実感できる機会が入院だと、母は申しておりました。
もうひとつが意外かもしれませんが「同情の言葉」です。
同情の言葉をかける方は心配して言ってるのでしょうけど、これがけっこうウザいのですよ。どういう風にウザいのかというと・・・
「大変ですよね~、大変ですよね~!」
「辛いですよね~、辛いですよね~!」
ううむ。
こんな言葉を、顔をしかめて言われてご覧なさい。
治るもんも治らない…ちゅうか、自分がそこまで悪いのかと考えてしまうというわけで・・・。http://masuo-san.com/?p=23935
最近は母のお弟子さん周辺などは、そのあたりがよくわかってきたようで、母が入院しても静観してる感じではあるようです。話がパーッと広まって電話や連絡が一斉にやってくるというのは、ある意味ありがた迷惑なところがあるもの。
わたしの友人に、以前脳梗塞で入院した者がいたのですが、見舞いにやってきて「同情の言葉を、あからさまに言われるのが一番腹立つ」と言ってました。
人が心配してるのにハラが立つとはけしからん、かもしれないけど、「大変よね~、大変よね~!」「辛いよね~、辛いよね~!」 なんて言われたら、良い気持ちはしないもの。
同情はひとつ間違えると、人を見下しているのと同じこと。ただ、うちの母の母、つまりわたしの母方の祖母は、同情の言葉をかけられるのが大好きでしたから、どうもその辺のさじ加減は難しいようです。
まあ、お釈迦さまの言葉ではありませんが、人を見て法を説けということでしょうか。
一昨日は外国人の日本語学校、日語学院の卒業式と謝恩会にさいたま新都心に行ってきました。
日語学院は外国人のための日本語学校なので、直接関わっているわけではありませんが、ここの理事長が経営している出版社・振学出版で挿絵を描いている関係で、今年は2度目の招になりました。
母の入院が手術となれば、出席は難しいところでしたが、この日は大手をふるって出席。酒飲みがそろってる会なので、二次会三次会という運びになったわけです。
面白いもので、生徒たちの感じは当然ながら学年ごとに違うもの。
今年は昔の香港映画「ミスターBOO」に出てくるような、顔の面白い香港映画キャラが多かったかな。
私は正月でも昼からお酒は飲まんのですが、こういう会合は別。
昼から飲み出して、夜の9時半赤羽で解散でした。
その後も飲み続けていた人たちがいましたが、さすがに限界。
わたくし、実はそんなに強いわけでなく、長い時間の飲み会はだいたい1度か2度は寝てしまいますが、この日も2回ダウン。
まあお酒はほどほどに(おまいう)♪
一昨日のひな祭りは父方の祖母の命日。
ひな祭りの日に風呂でポックリ逝って、近所の年寄りから「ああいう風に逝きたいものだ」と羨望の眼差しで見られていた”おふじ”バアさんの三十三回忌です。
うちはバアさんが、母方と父方がいて「赤坂の八つ墓村」と呼ばれていた、そのうちのお一人でした。
母方は二階に住んでいたので「上のおばあちゃん」。
父方は一階に住んでいたので「下のおばあちゃん」と呼んでいました。
この前の記事では夢のお告げのことを書きましたが、実は下のおばあちゃんがポックリ逝った日、私は友だちと新宿で一杯やっていて、家に電話したらおばあちゃんが倒れたと、上のおばあちゃんが動転してる声を聞き、大急ぎで帰ったというわけです。
(わたしは大事なときに飲んでいるゴクツブシです)。
きっと思い残すことがなかったのでしょうね。
そんな時って、たとえ身内でも不思議な現象は起りません。
ともかくもガンの再発疑いがなくなった母は、姑だった下のおばあちゃんにはお礼参りをした方が良いと早稲田の菩提寺に出かけることにしました。
ところがところが、このお寺。
若住職の母にやや問題がございまして(苦笑) 。
この日はいくらか包んで持っていったため、極めて上機嫌でしたが、年とともに性格に磨きがかかってきまして。
この日は皇族の子の誰々が、実は本当の子ではなく云々と、ここでは書くのを憚られるような話をそれはそれは嬉しそうに。
聞くに耐えなかった母とわたくしは早々に引き上げ、銀座三越の上で焼きそばをいただきました。
それにしても人間って人によるけど、だんだん劣化が激しくなると己を戒める次第でした(苦笑)。
↑ こちら虎ノ門病院の食堂で出されるカツカレー。
今週のはじめ、母が退院しました。
実は5年ほど前に陽子線治療で治したガンの再発疑いで入院したのです。
検査かつ同時に悪性であれば即手術という、悪ければけっこう瀬戸際の入院でした。
入院する2週間ほど前。
母が虎ノ門で入院を告げられた日、たまたま実家に戻った私は、母がこんな夢を見たと言われ驚きました。
「イヤな夢を見たのよ、ピストルで撃たれる夢なの。今までピストルなんて夢に出てきたことないのに」
いや、何が私が驚いたかって・・・その同じ日に私は夢の中で母からピストルを取り上げて、押し入れにしまう・・・そんな夢を見たのです。
イヤな夢だったので胸騒ぎがしてたのですが、母の口からそんなことを聞いてびっくり!
だから、たぶん大丈夫だろうと思っていましたが、こういう夢のお告げは外れることもあるもの。
検査かつ手術は3週間後。
どうだろうと半分は不安に思っていましたが、果たして検査かつ手術の日、内視鏡によってシロと判断されて翌日退院という運びになりました。
クロと出れば即手術という状況に、スタンバイしていた医師たちは、ちょっと拍子抜けしたようで、その様子に母は苦笑していました。医師たちは手術する気満々、腕を揮いたかったかもしれませんね(笑)。でも当然、手術はしないに越したことありません。
基本、私は霊感を感じることはないのですが、身内に何かある時はよくそんな夢を見ます。いつもイヤな夢ですが、夢を見るときは大抵家族は助かります。
だからイヤな夢でも、それは吉夢なのだと思います。
明日は父方の祖母の三十三回忌、墓参りに行く予定です♪