「日曜美術館の横山大観展」先ほど見たところです。
大観先生の大らかさ、「想の画家」と呼ばれたイマジネーションの豊かさ、ちょっと愛嬌のある稚拙さに触れるなど、そのあたりは良いセンだなと思っては見ていましたが、戦時中の作品に関しての取り上げ方は、やっぱりNHKでした。
やはり、先日の「横山大観展」見て来ましたの記事で予想した通りですね。
というか、思った以上に作家・高橋源一郎氏のコメントは、大観先生が思ってもいないだろうことを放言していました。これは絵描きとして看過できません。
先日の記事でも申し上げたように、戦時中に横山大観は、「海に因む十題」を売ったお金で戦闘機4機を購入しています。
しかし、おそらくは大観先生に戦争を礼賛する気持ちはなく、むしろ「海に因む十題」や「山に因む十題」は悲しみ漂う作品であり、大観独特の面白味ある線は影をひそめ、ひたすら真面目一方に絵に対峙しています。
つまり、ほかの大観作品に多く見られる、「この辺でいいや」という絵ではないのですね。
それを言うに事欠いて「ここに大観はいない」というコメントです。
日本軍の都合で描かされてたとでも言いたいのか、それともその時の大観が魂ここにあらずとでも言いたいのか?
「海に因む十題」に漂う悲しみをまるで理解しようともせず、自分の価値観のみで人の作品を語ろうとする傲慢さに、飽いた口がふさがりません。
もともと、水戸生まれで尊王の地に生まれた横山大観ですから、戦時中の行動の善し悪しは別にして、彼としては当然の行動だったでしょう。
あの絵が好きか嫌いかは別にして(ちなみに私はこのシリーズ、たしかに大観らしくないので好きではありません)、「ここに大観はいない」という言葉は如何なものか。気に食わないものは「ないもの」にしたがる、この人らしいコメントです。
まあ俗に「死人に口なし」なんて言います。
そういえば、先日南北朝鮮の首脳怪談……じゃない、会談を見たオノ・ヨーコさんが「ジョンは喜びのあまり宇宙で小躍りしている。世界中の国が握手をするきっかけになってほしい」なんて言ったことを思い出しました。
さすがに東京国立近代美術館の学芸員さんは、途中で高橋源一郎の別の意見を「違うと思います」と否定していました。学問に関わる人は、事実かどうかが大切であり、自分の思いは別なんだなと、本日の日曜美術館で唯一まとも意見に、ちょっとだけホッとしました。
ほかにも左翼系の美術家を出演させ、戦時中の大観を否定する意見を引き出していましたしねえ(苦笑)。まあ、この人たちがテレビに出れば、そのようなことを言うのは見えている話なので、一番困ったものは人選をしたNHKですね。さすが宮崎先生に姜尚中をぶつけてきた日曜美術館(ほめてません)。
とは言うものの、この記事でわたしが言ってることが正しいかどうかは、私自身が決めることではなく、第三者が判断する話です。
横山大観展は5月27日まで。行かれる方はご自分の目と頭でお確かめになるのが良いでしょう。私も夜桜と紅葉を見に、もう一度足を運ぶ予定です。
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