昨日の日曜美術館はモダンアート作家の三島喜美代さんの特集でした。
三島喜美代さんは昭和8年、大阪の十三(じゅうそう)のご出身ですから、私の母と同じ米寿になりますね。ご本人は現代美術作家とは微塵も感じさせない、小ちゃくて明るい、いかにも大阪のおばあちゃんでした。
若い頃は、独立展の画家だった夫の影響で、油彩で静物画を描いていたそうですが、四十路くらいから徐々に、雑誌や新聞紙を使った現代美術をはじめます。
リンク先をご覧になればわかるように、三島さんの作品は、陶器を使った新聞紙や雑誌なのですが、本物の新聞紙を使おうと思って、新聞社に行ったところダメだと言われたのがきっかけだったとおっしゃっていました。
なるほど、それがかえって良かったんですね。
個人的な好みの話になりますが、私はペットボトルや空き缶、新聞紙などを使った廃材アートというのが好きではありません。全部じゃないけど。
廃材アート作家の方には申し訳ないようですが、もちろん廃材アートのすべてがそうだとは言いません。
でも、その多くは「環境のことを考えてます」「このくらいなら私もできる」みたいな…いかにも凡庸で素人くさい根性が感じられて、どうも好きになれないのですね。
そう言うと、おまえの方が虫が好かないと言われそうですが(笑)。
それに廃材のように、誰だかわからない人間が触れたものって、中には妙なものがついてる感じがします。少なくとも自分の部屋に置きたい気分になりません。
ところが三島喜美代作品には、陶器を使って新聞紙を一つ一つ丁寧に作り上げているためか、そんな汚れた感じが微塵もありません。1から作ってるから当たり前なのですが、それにしても、これ…本物を見たら、さぞキレイだろうな。
古新聞を形取っているのに、手元に届いた新品に触れるようなフレッシュな感じが素晴らしい。
番組で残念だったのは、三島喜美代さん自身は「環境のことを考えてます」とか「消費社会へのメッセージ」だなんて、ただの一言も言ってないのに、ナレーションでは、そう言っていたことでした。
三島喜美代さんは、目の前にある「やりたいこと」を、ひとつひとつこなしていった人ですから、このナレーションが仮に自分の意図と違っていたとしても、怒ったりはしないでしょうけど、これは作者に対して、実に失礼だと思いました。
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