今日は久々にポリティカルな話、というか普通に選挙の話です。
この度の選挙は台風と重なったためか、土曜に行った期日前投票は行列ができるほどの人。ここ何年かは期日前投票に行くことが多いのですが、こんなことは初めてでした。
若い人は少なかったものの、こうやって選挙にきちんと行く人が目に見えるというのは良いことです。
結果、与党の大勝だったのは、人によって胸をなでおろした人もいるでしょうし、「日本終わってる」と大いに失望した人もいるでしょう。
それが選挙というものでもあるし、民主主義というものでもあります。
最近、私は以前ほどポリティカルな記事を書いてませんでしたが、それにはいくつか理由があります。
大きな理由としては、私自身が今ひとつ政治をわかっていないのに気づいたことでしょうか。
わたくし、なんと民主党政権交代の時に票を投じた1人でもありますし、 前々回の都知事選では田母神氏を支持する記事を書いて、ある意味で、なにもわかってなかったことを露呈しました。
それから拙ブログの読者でしたら、ご存知でしょうけど、私自身の意見が度々変わることもあります。最近では、ポリティカルな話題ではありませんが、「同性婚について」や ハロウィンについては、多少見方や気持ちが変わったということがあります。
まあ、私自身は「君子豹変す」と君子でも何でもないクセに、うそぶいてますが(笑)。
もちろん、だからモノを言ってはいけないとは思っていませんが、まあ最近はポリティカルな話題はちょっと控えていようという感じでいました。
ただ、今回記事を書いたのは、民主主義の原則とも言える、「あなたの意見は賛同できないが、あなたが意見を言う権利は死んでも守る」というボルテールが言った(とか言わなかったとか)言葉を思い出したからです。
残念なことに今度の選挙では「自民党にだけは入れてくれるな」というメールを送っていた知り合いが複数いて、それをやってはいけないだろう考えた次第です。
たとえば安倍政権が死ぬほど嫌い、ということがあっても、それは好き嫌いの感情の話なので、そのこと自体は仕方ないことです。だからと言って他人に「入れるな」というのは民主主義の原則に反することだと思います。
「誰々に入れてくれ」というのなら理解できるけど、「入れるな」という排除の考え方はいけませんね。ちゅうか、それって普通に選挙妨害です(苦笑)。
生物でも多様性があった方が良いように、人の考え方も多様性がある方が良いように思えます。
選挙前によく言われていた「今こそ安倍政権の暴走を止める時です!」という言葉も(実際に安倍政権が暴走をしてたかどうかは別にして)、今後暴走するかもという時の抑止になるでしょう。
人間のやることで完璧な思想、完璧な政治というのはあり得ませんから、逆の考え方や思想というのは、あっても良いのです。
本来は、その許容する考え方をリベラル(自由主義)と呼ぶのですが、昨今では左翼系の人をリベラルと呼ぶ傾向があるようで、私などはすごくそれに違和感を感じています。
ゴルゴ13の中に「ナチの残党で暴虐を奮っていたくせに、今ではヤツはリベラルな判事を気取ってる。わたしはそれが許せないのだ。お願いだ、ゴルゴ13!」なんてセリフがありました。今のリベラル使われた方だと、なんだか意味が通じませんね。
本来で言うリベラルな考え方、これは保守の人も革新の人も持っていた方が良い考え方に思えますが、みなさまは如何お考えでしょうか?