今や一大観光地になっている九份が金山と遊郭だったように、北埔も炭坑と遊郭から発展した町でした。
町はお寺を中心にした参道から発展しており、300mも歩くと山が見えてきますから、坂のない九份のような感じです。
ここは日本統治時代に、客家出身の蔡清琳という元警官が原住民のサイシャット族を煽動して、日本人57人を殺害した北埔事件があったところだそうです。
事件収束後、蔡清琳はウソの煽動に怒ったサイシャット族に殺されたそうですが、そうした遺恨は残っていないようです。日本人同様、台湾人には水に流す民族気質があるのかもしれません。
↓ こちら宇田川さんの本で描いた北埔事件の供養塔。残念ながら見に行く時間はありませんでした。
今では北埔も観光地として栄えているそうで、土日はツアーバスで観光客が押しかけてくるという人気のスポット。