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表参道は明治神宮前にある「bills」という、シドニー発の人気のお店のリコッタパンケーキ。
ふんわりした食感が何とも言えません。
新年はDVDで、今さらながらヘルツォークの「アギーレ/神の怒り」と「フィツカラルド」を見ました。どちらも凄い映画でした。
双方とも南米アマゾンの開拓が舞台になっているのですが、共通してキリスト教の宣教師がインディオの回心に苦心するという場面が出てきます。
作品を見る限りでは、ヘルツォーク監督が熱心なクリスチャンには思えないのですが、あらゆる原始信仰をキリスト教より下に見る、宣教師、あるいはクリスチャンの考え方というのは何とかならないものでしょうかね。
人の国や地に勝手にズカズカ入っていって、「お前らの信仰は野蛮だから、キリスト教に回心しろ」という、まさに日本語でいう「土足で人の家に入る」行為(もっとも、あちらは部屋に入る時も土足だから、その言葉は通用しないか・・・)。
干首にされたり、胴体だけ発見された宣教師のエピソードが、妙に小気味良く感じる私のへそが曲がってるのかわかりませんが、大航海時代に宣教師が布教に訪れた多くの地が植民地化されている事実があります。
さて、昨年26日の安倍総理の靖国参拝から10日ほど経過しましたが、この時期に米国副報道官が「中韓との対話を」という声明を発表。
内容の全貌を原語で聞いたわけじゃないので、その辺りは何とも言えませんか、どんなメッセージを出したにせよ、いい加減アメリカさんも静観なさってくださいよという感じです(なんせ、ベトナムもイラクもアフガニスタンも、ぐちゃぐちゃにした張本人ですからね)。
あ、ヘルツォークの映画の宣教師は米国じゃなく、スペインですけどね。
同じキリスト教文化圏という、大雑把な意味です。すみません。
アメリカさんだって、アーリントン墓地へ墓参り行くんだから、靖国参拝もそっと見ていてくださいよって感じなのですが、米国はA級戦犯、B級戦犯を決めた本人ですから、立場上仕方ないのかもしれません。
ただ米国は東京大空襲や広島長崎の原爆で、何10万人もの民間人を虐殺してるのですから、あれこれ言える立場ではないはずです。
最初の声明は、中韓にある程度配慮して顔を立てたものだったでしょうから、百歩譲って納得するとして、10日近くたった今、さらに声明を出すとは内政干渉も甚だしい話です。
アメリカも一枚岩ではなく、様々な思惑が交錯した結果の声明だったのでしょうが、米国が声明を出せば、日本のマスコミは喜んで取り上げるのですから、同盟国としては一考していただきたいものだと思いました。
さてそんな意味で、「永遠の0」のような映画に、戦争を実体験として知らない人々が見に来るのは良いことだと思いました。
「九死に一生なら行くが、十死零生では行かない」というセリフ。
映画では、特攻は最低の作戦として描かれているのですが、それを見てか見ないでか、この作品を戦争賛美という人がいるのも不思議な話です。
宮崎駿監督は、零戦を描くことがなかったわけですが、司馬遼太郎が生前「坂の上の雲」の映像化をためらっていたように、自分が零戦を描くことによって、戦争賛美してるように思われるのをためらっていたのかもしれません。
この話題はまた後日、あらためていたします。
表参道は明治神宮前にある「bills」という、シドニー発の人気のお店のリコッタパンケーキ。
ふんわりした食感が何とも言えません。
新年はDVDで、今さらながらヘルツォークの「アギーレ/神の怒り」と「フィツカラルド」を見ました。どちらも凄い映画でした。
双方とも南米アマゾンの開拓が舞台になっているのですが、共通してキリスト教の宣教師がインディオの回心に苦心するという場面が出てきます。
作品を見る限りでは、ヘルツォーク監督が熱心なクリスチャンには思えないのですが、あらゆる原始信仰をキリスト教より下に見る、宣教師、あるいはクリスチャンの考え方というのは何とかならないものでしょうかね。
人の国や地に勝手にズカズカ入っていって、「お前らの信仰は野蛮だから、キリスト教に回心しろ」という、まさに日本語でいう「土足で人の家に入る」行為(もっとも、あちらは部屋に入る時も土足だから、その言葉は通用しないか・・・)。
干首にされたり、胴体だけ発見された宣教師のエピソードが、妙に小気味良く感じる私のへそが曲がってるのかわかりませんが、大航海時代に宣教師が布教に訪れた多くの地が植民地化されている事実があります。
さて、昨年26日の安倍総理の靖国参拝から10日ほど経過しましたが、この時期に米国副報道官が「中韓との対話を」という声明を発表。
内容の全貌を原語で聞いたわけじゃないので、その辺りは何とも言えませんか、どんなメッセージを出したにせよ、いい加減アメリカさんも静観なさってくださいよという感じです(なんせ、ベトナムもイラクもアフガニスタンも、ぐちゃぐちゃにした張本人ですからね)。
あ、ヘルツォークの映画の宣教師は米国じゃなく、スペインですけどね。
同じキリスト教文化圏という、大雑把な意味です。すみません。
アメリカさんだって、アーリントン墓地へ墓参り行くんだから、靖国参拝もそっと見ていてくださいよって感じなのですが、米国はA級戦犯、B級戦犯を決めた本人ですから、立場上仕方ないのかもしれません。
ただ米国は東京大空襲や広島長崎の原爆で、何10万人もの民間人を虐殺してるのですから、あれこれ言える立場ではないはずです。
最初の声明は、中韓にある程度配慮して顔を立てたものだったでしょうから、百歩譲って納得するとして、10日近くたった今、さらに声明を出すとは内政干渉も甚だしい話です。
アメリカも一枚岩ではなく、様々な思惑が交錯した結果の声明だったのでしょうが、米国が声明を出せば、日本のマスコミは喜んで取り上げるのですから、同盟国としては一考していただきたいものだと思いました。
さてそんな意味で、「永遠の0」のような映画に、戦争を実体験として知らない人々が見に来るのは良いことだと思いました。
「九死に一生なら行くが、十死零生では行かない」というセリフ。
映画では、特攻は最低の作戦として描かれているのですが、それを見てか見ないでか、この作品を戦争賛美という人がいるのも不思議な話です。
宮崎駿監督は、零戦を描くことがなかったわけですが、司馬遼太郎が生前「坂の上の雲」の映像化をためらっていたように、自分が零戦を描くことによって、戦争賛美してるように思われるのをためらっていたのかもしれません。
この話題はまた後日、あらためていたします。