ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネ記念日2023 ~ルネの応援歌「Condor c’est toi」~

2023年06月30日 | ルネの日本語の歌

今日は、ルネがグランプリを

   受賞した日だから『ルネ記念日

 

 そして何と! 今回でブログ記事1111記事達成しました!

 今回はサブタイトルのとおり、ルネの応援歌としてfacebookで私が管理しているルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simardにちなんで、私が作詞した「Condor c’est toi」を紹介いたします。

 過去ログでも紹介したとおり、この曲はルネが出演し、2007年に放送された「La Petite Séduction」というTV番組の中で、ルネが訪れたCasselmanカッセルマンという小さな町の人々が、ルネを歓迎するために作って全員で歌った「L’oiseau c’est toi(鳥、それはあなた)」が元になっています。「L’oiseau c’est toi」の歌詞は、グループのメンバーで副管理者のジョゼフ君に教えていただきました

 その曲に私が日本語の歌詞をつけ、フランス語に訳したところ、仏語詞もそのまま歌える歌詞にすることが出来ました(^^♪ こちらは日本のファンがルネに贈る歌になっています

 替え歌』としてとらえていただけたら幸いです。でも、原曲の作曲者と作詞者に連絡が取れたら、日本のファン・バージョンとして認めていただきたいと考えています。

 なお、「La Petite Séduction」は、「René à Casselman」としてFacebookPassion René Nathalie et Régis Simard で映像を公開しております。

 

 

コンドル それはあなた

小鳥が舞い降りて

今 コンドルになり

世界で 歌を歌う

素晴らしい愛の歌を

※コンドルは あなた

 空は 私

 カナダのあなたを

 いつも夢見てる

 コンドルは あなた※

※~※くりかえし(✕2)

あなた

 

<仏語歌詞>

コンドル セ トワ

Condor c'est toi

アン プティ トワゾー エ デサーンデュ

Un petit oiseau est descendu

マントナン ロワゾー エ ドィヴニュ アン コンドル

Maintenant l'oiseau est devenu un condor

イル シャントゥ デ シャンソン ダン ル モン ダンティエ 

Il chante des chansons dans le monde entier

レ メルヴェイユーズ シャンソン ダムール

Les merveilleuses chansons d'amour

 コンドル セ トワ

※Condor c'est toi

 ル シエル セ モワ

 Le ciel c'est moi

 ジュ パンス ア トワ オ カナダ

 Je pense à toi au canada

 ジュ レーヴ トゥジュール ドゥ トワ

 Je rêve toujours de toi

 コンドル セ トワ

 Condor c'est toi※

※~※Refrain (✕2)

 セ トワ

 C'est toi

 

コンドル それはあなた

小鳥が舞い降りて

今 鳥はコンドルになりました

世界中で歌を歌っています

素晴らしい愛の歌を

※コンドル  それはあなた

 空は 私

 カナダにいるあなたを想って

 いつもあなたを夢見ています

 コンドルは  あなたです※

※~※繰り返し(✕2)

それは あなたです

 

 

ロワゾウ セ トワ

L'oiseau c’est toi 

 

タ ヴォワ ヴォワイヤージュ スュル レ ゼイユ デュ タン

Ta voix voyage sur les ailes du temps

テュ トゥーシュ モン クール スィ デリカトゥマン

Tu touches mon coeur si délicatement

ジュ テ エメ ジュ テーム エ テムレ

Je t’ai aimé, je t’aime et t’aimerai

ト ヌール ドゥ グロワール フュ マントゥナン ルネ

Ton heure de gloire fut maintenant René

ロワゾー セ トワ

 L’oiseau c’est toi

 ル シエル セ モワ

 Le ciel c’est moi

 テュ ア ヴォレ ダン モ ニュニヴェール

 Tu as volé dans mon univers

 テュ マ フェ グテ ア ラ リュミエール

 Tu m’as fait goûter à la lumière

 ロワゾー セ トワ

 L’oiseau c’est toi ※

※~※refrain✕2

セ トワ

C’est toi

 

鳥 それはあなた

あなたの声は 時の翼に乗って旅をします

あなたは 私の心にとても優しく触れます

私はあなたを愛していました 私はあなたを愛しています そしてあなたを愛するでしょう

あなたの最高の時間は 今やルネでした

※鳥 それはあなた

 空は 私

 あなたは 私の宇宙を飛びました

 あなたは 私に光を楽しませました

 鳥は あなたです※

※~※繰り返し(2回)

それは あなたです

 

 日本語詞に合わせると、仏語詞は原曲のように上手く韻を踏むことは出来ませんでしたが、私のルネに対する想いは込めることが出来たと思っています。

 6月22日(木)からエクトル=シャルラン劇場 Théâtre Hector-Charlandで上演が再開された、ルネが出演する舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』は、明日7月1日(土)からアルベール・ルソー公会堂 Salle Albert-Rousseauで上演されます また、来年1月からシーズン10が開始予定の人気TV番組「La Voix 」で、Marjoマージョの後任の最有力候補者としてルネが挙げられ、ルネ・ファンの間で期待が高まっています!! そのことをルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simardで報告したところ、メンバー840人に対し、1260人を超える閲覧とともに、メンバーからルネの就任を望むコメントや『いいね』をたくさんいただきました(^^♪ 

 そして、もしもルネにお会いする機会が有ったら、「Condor c’est toi」を日本のルネ友さんたちと一緒に歌いたいと、妄想を膨らませているシマ姉です(爆)。

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60 ans et déjà 50 ans de carrière⑩

2023年06月24日 | ルネの活動記録

 もうすぐ当ブログの『ルネ記念日』です 

 さらに今回の記事で1110記事! 記念すべき次回の『ルネ記念日2023』で1111記事!!

 ルネはというと、6月22日(木)からエクトル=シャルラン劇場 Théâtre Hector-Charland舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』が上演再開され、より一層ルネ活に力が入るシマ姉です

 

 

 そして今回は、「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の10回目、「De ses débuts aux comédies musicales, 50 ans d’une carrière exceptionnelleミュージカルデビューから50年の輝かしいキャリア」の4回目「ASIE アジア」になります。図らずも、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランクシナトラ賞を受賞したことが書かれており、『ルネ記念日』直前の記事としては大変タイムリーです

 

 

UNE NOUVELLE ÉTOILE BRILLE AU JAPON

日本に新たなスターが輝く

AU QUÉBEC, LA POPULARITE DE RENÉ EST À SON SUMMUM LORSQUE LE GARÇON DE 13 ANS CONQUIERT LE JAPON.

ケベック州では、13歳の少年が日本を征服したとき、ルネの人気は最高潮に達しました。

 

左:ステージ上、コンテストの一環としてパフォーマンスを行っている最中。

右上:東京でフランク・シナトラが自分の名前を冠したトロフィーを贈ったとき、若いルネは自分が誰を相手にしているのかまだ知りませんでした。

上段左:ルネは父親に付き添われ、東京音楽祭世界大会の一環として行われた記者会見で発言しました。

上段右:彼が飛行機から降りると、大勢のジャーナリストやカメラマンが彼を待っていました。

下段左:ルネの母ギャビーは、3週間の滞在から戻ってきた息子と夫を見つけて喜んでいました。

下段中央:ドルヴァル国際空港ターミナルでは、このスターが群衆によって勝利を祝って運ばれました。

下段右:ドミニク・ミシェル、ジャン・ルフェーブル、兄レジスと『J'ai mon voyage』の一場面。

 

ASIE アジア

 1974年6月、東京音楽祭世界大会が開催されました。 ルネは、23カ国の歌手が参加するこの大規模イベントにカナダ代表として招集されました。

 5月から、アーティストはキャリアのこの新しい段階に向けて厳密に準備しました。 CBSジャパンの代表者は4日間ケベックに滞在し、日本語で発音どおりに歌うことを指導しました。

 今もオルレアン島に住む少年にとって、日出ずる国に到着したときのカルチャーショックは計り知れないものでした。 しかし、彼は適応能力に優れているため、地球の裏側にいてもすぐに安心できました。

 コンテストが始まる前に、ルネと彼のチームはテレビ局とラジオ局を視察しました。 2014年6月26日、ジュールナル・ド・モントリオール紙とのインタビューで彼は次のように述べました。「プロモーション・キャンペーンを実施しました。15人の日本人グループがプラカードを持って私について来ましたが、とても恥ずかしがり屋だったので、私はそれに当惑しました。」

 

LES GRANDS HONNEURS 素晴らしい栄誉

 世界のどこにいても、ルネはステージ上、マイクの後ろで安心していました。そして、この旅路でもそれを再び示しました。 7月2日、コンテストの放送は1億700万人の視聴者に届き、彼が、日本人3人によって作られた曲「ミドリ色の屋根(Non, ne pleure pas 泣かないで)」を歌うのを見ました。 この若い歌手は、歌手部門で最優秀賞を獲得し、伝説的なアメリカの歌手から個人的に授与されたフランク・シナトラ・トロフィーを獲得しました。 彼には 11,000 ドルの賞金も与えられました。13歳の少年が、大人だけで構成された一団の中で評価されるとは!

 彼の勝利後、受賞者はケベック州首相Robert Bourassa ロベール・ブラッサから電報を受け取りました。 そこにはこう書かれていました:「 あなたの早熟な才能が日本で受け取ったばかりの証言を心から祝福します。 今日、ケベック州のすべての人々が、自分たちの一人がこの素晴らしいトロフィーを獲得するのを見てとても喜んでいることと思います。[…] 皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」

 2014年6月26日、Le Journal de Montréal ジュールナル・ド・モントリオール紙とのインタビューで、ルネは笑いながら次のように認めました。「面白いのは、Frank Sinatraフランク・シナトラ フランク・シナトラという人で、私は彼のことさえ知りませんでした。 私は、 Chantal Pary シャンタル・パリーとFernand Gignac フェルナン・ジニャックを知っていました。 私はその写真を自宅の地下室に保管しており、それをとても誇りに思っています。」 この賞は今でも非常に重要であるため、歌手はアメリカのアーティストから贈られたトロフィーを大切に保管しています。

 この公認の翌日、ルネと側近はCBSジャパンの社長のオフィスに出迎えられ、その後記者会見で大勢のメディア代表の前に姿を現しました。

 7月15日、アジアで3週間過ごした後、ルネが帰国するために乗った飛行機はドルヴァル国際空港に着陸しました。彼は英雄として歓迎され、RCMPの役員たちは群衆の熱狂によってすぐに解任されました。

 これらすべての出来事(およびその他の多くの出来事)は、1974年8月15日から大スクリーンで上映されたドキュメンタリー『Rene Simard au Japon  日本のルネ・シマール』で報告されています。その過程で、LP『 Ma petite Japonaise』も制作され、彼はフランス語と日本語の両方で歌っています。

 

DES ADMIRATEURS LOYAUX 忠実な崇拝者たち

 この派手な一撃が長続きしなかったわけではありません。 ルネはそのキャリアの中で、日本語で3枚のアルバムをレコーディングし、約20回日出ずる国に戻りました。ジュールナル・ド・モントリオール紙の中で、彼は次のように回想しています。「私は北から南までツアーしてきました。私が子供の頃に感銘を受けたのは、日本人がとても寛大だということでした。彼らは私にカメラやあらゆる種類の電子機器をくれました。」

 寛大で…そして忠実でした! 20年後の1994年、ロレーヌの町でルネの家のドアがノックされました。マリー=ジョゼはこれに応じましたが、夫のことを取材に来た日本のテレビクルーに驚きました。何が起きているのか全く理解できなかった次の瞬間、ルネは両手を広げてジャーナリストを歓迎しました…日本語で! さらに、彼は当時録音した曲を自発的に歌い、明らかにその曲のすべての単語を覚えていました。

 

ET LA FRANCE? そしてフランスは?

 ルネは日本と強固な絆を築いているだけでなく、フランスとも連絡を取り続けています。 1973年にはすでにDominique Michel  ドミニク・ミシェル、Jean Lefebvre ジャン・ルフェーブル、弟のレジスとともにコメディ『J'ai mon voyage! 』に主演していました。 Denis Heroux ドゥニ・エルー監督によるこのフランスとカナダの共同制作作品には、Mylene Demongeot ミレーヌ・ドモンジョ Francis Blanche フランシス・ブランシュなどの著名人もクレジットされていました。 有名な作曲家Claude Bolling クロード・ボリング が映画の音楽を作曲しました。

 ケベックで、『J'ai mon voyage!  僕には僕の旅がある!』 はすぐに大きな成功を収めましたが、フランス国民の間で行き詰まってしまいました。 それは重要なことではありません、1974年6月に日本に行く直前、ルネはプロモーションのためフランスへ渡りました。そして、日本での冒険の成功をバネに、同年12月5日にはパリのオリンピアでDaniel Guichard ダニエル・ギシャールのショーの前座を務めました。 Michel Drucker ミッシェル・ドラッカーとPhilippe Bouvard フィリップ・ブヴァールが主催する権威ある放送にも参加していました。 翌月、彼はカンヌで開催された MIDEM の閉会式に登壇しました。

 残念なことに、フランスの海外市場に参入するこれらの試みは無駄であることが判明しました。 Echos Vedettes の 2012年10月27日版で、彼は次のように説明しています。「タイミングや状況の問題かもしれません...私はルネ・アンジェリルと一緒によく旅行し、私たちはフランスと日本にも数回行きました。 もしかしたら今はその時ではなかったのかもしれません。 しかし、私は苦ではありません。」 彼は笑いながらこう付け加えました。「誰にも知られることなくロサンジェルスを歩き回れるのは幸運です。」

 

※ルネが受けた日本の取材は『明石家多国籍軍』(YouTube映像『あの人は今?(10年以上前だけど・・・)』参照)

”ミドリ色の屋根”を仏語で歌おう

※ブログ800記事の『ミドリ色の屋根』

世界のルネー日本編

※世界のルネーパリ編①

※世界のルネーパリ編②

 

 

<サポート詐欺にご用心!>(体験レポート? 爆★)

 先週の記事の中で、私のパソコントラブルについて報告いたしましたが、私が遭遇した『サポート詐欺』は、去る20日(火)にNHKが取り上げるほど横行しているようです。もちろん詐欺グループが装っているマイクロソフト社では、それについて注意を促す記事を配信しています。別のサイトでは被害に遭われた方々の書き込みがたくさん有りました。金曜日に遭った知人も過去に遭遇したことがあったそうですが、電話とパソコンを途中で切り、古いノートパソコンだったのでそのまま廃棄したそうです。

※マイクロソフトのサポートを装った詐欺にご注意ください - News Center Japan (microsoft.com)参照

 PC でインターネットを閲覧している際に、左上のようなマイクロソフトを名乗った警告(上のサイトより転載)が、ガイド音声や警告音とともにブラウザーに表示され、表示された電話番号に連絡すると、右上のような社員証(私に送り付けられたものを一部加工)も提示してきます。しかしこれらは、マイクロソフトから配信されたものではありません。

 私はうっかり電話してしまい、遠隔操作のソフトでいろいろ説明され、サポートの代金等を請求されるところまで応対しましたが、『設定』からアプリやソフトウェアをアンインストールし、削除で『ごみ箱』に移動させたものも完全に削除し、その時行われた通知の許可を『ダウンロード』から取り消し、PCを『フルスキャン』したところ、脅威は全く検出されませんでした。

 

「サポート詐欺」の対処方法については次の通りです。

①警告が出たら電源を切る。

 サポート詐欺の偽警告画面は、上の画像のように、ブラウザーの画面を全画面で表示したり、複数の画面を重ねて表示したりすることで、画面を操作することができないように見せかけます。Microsoft社の説明では別の方法を提示していますが、「Esc」キーを押しても反応しない場合は「強制終了」でOK!

②表示されている電話番号に連絡しない。

 Microsoft社のサポート画面に電話番号は表示されません。ちなみに私が遭遇した詐欺の電話番号は「05058069559」。わざと固定電話で連絡したので、あちらから携帯電話に掛けなおしてきた番号は「+447254669674」で「+44」はイギリス。ちなみに、その時以来、私の携帯電話(4Gガラホ)にこの番号から電話がかかってくることはありませんでした。また、応対中、電話対応しているたくさんの詐欺オペレーターの声が聞こえていました★ 今この瞬間にも、同じ手口で詐欺に遭っている方がたくさんいるということです!

③遠隔操作させない。

 電話連絡してしまっても、向こうの指示に従ってPCを操作しなければで大丈夫! ただし、スマートフォンから情報が盗まれるかもしれませんので(私は固定電話子機と4Gガラホで対応)、スマホ払いやネットバンキングを利用されていたり、クレジットカード番号を教えてしまった場合は、念のため銀行やクレジットカード会社に連絡することをお勧めします。また、私の場合、私のfacebookとInstagramのページを提示されましたが、これは誰でも閲覧できるものでした。この通知の許可も『ダウンロード』から取り消しました。

④自分の写真を撮らせない。

 NHKでレポートされていた方は、遠隔操作されたパソコン画面に自分が映らないようにしていました。写真を撮られてしまうと、「お前の写真と一緒に『こいつは特殊詐欺師だ』と拡散するぞ。」とういうような脅迫をして、金銭を要求それるそうです。もちろん私は撮られていません。(あちらは私を映したかったらしいのですが、そもそもリモート設定してないので、映っているのはカメラが付いているディスプレイの裏側だけ。詐欺グループも設定までは遠隔操作できないらしく、途中で映すのをあきらめたようでした。ちなみにキャプチャのカメラロールにその時の映像が残っていましたが、私の指が黒く横切っただけでした。笑)

⑤お金は絶対に支払わない。

 「サポート詐欺」もお金を騙し取るのが目的です。支払ってしまったらお金は戻ってきません! ちなみに私は『カード払い』か『コンビニ払い』を選択させられました。また、料金はトラブル回避の料金5万円に加え、サポートのコース料金(三択)を選択するように勧めてきました。コンビニ払いはGoogle playカード等を購入し、その番号を遠隔操作されている画面に打ち込むよう指示されます。そして、通話中のまま携帯電話を持って近くのコンビニまで行き、何に使うか聞かれたら、「PCを起動させるため」と言って購入するように言われました。支払いを急ぐよう焦らせて判断力を鈍らせる手法は『特殊詐欺』の手口ですね★ しかし、私は家の固定電話から掛けていたため、相手から私のガラホに掛けなおしており、「この通話は無料だから」と繰り返し言っていましたが、あちらは「+44(イギリス?)」からなので、何度も切っては掛け直していました(笑)。

 

 私は常々、特殊詐欺電話がかかってきたら、警察に通報して逮捕につなげたいと待ち構えて(爆)いましたので、通話中のガラホをそのままにして、離れたところにある固定電話親機で警察に通報しました。その間、何度も携帯に電話がかかってきていましたが無視し、PCのネット回線を切断。その後、市の警察からネット犯罪専門の若い巡査が2名いらして、事情聴取と写真撮影をして帰られました。お金を騙し取られた訳ではないため、報告は『事件』ではなく、『相談』として処理されるそうです。以前にも通報したメールによる『身代金要求詐欺も同様で、こちらも『連絡をしない』、『お金を払わない』ことが重要です。

 警察の勧めで、翌日行きつけのOA再生館に問い合わせたところ、『フルスキャン』して脅威が検出されなければ、その手の詐欺は金銭目的なので、情報を盗まれたりPCのトラブルになることはほとんど無いとのことでした。また、カードもwebサービスで監視していますが、カード番号を知られていないので、不正に使用されることはありませんでした。

 危険ですので、ルネ友のみなさまは私のようなお馬鹿なことはなさらず、サポート詐欺」の画面が出てしまったときは、すぐ電源をを切って対処してくださいね!!

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60 ans et déjà 50 ans de carrière⑨

2023年06月18日 | ルネの活動記録

     Joyeuse fête des pères

            à toutes les papas!

 

 今日は父の日

 シマ姉家では金曜日の夕食に外食でお祝い(^^♪ プレゼント(お酒です 笑)は隠しておいたものを先々週、義父に見つかってしまっていましたが、今朝、義父には私から、主人には息子から手渡しました

 

▲もうすぐ出産予定の、ルネの娘ロザリー(第1子)と息子オリヴィエの妻アレクシス(第2子)

 

 ルネはもうすぐ孫娘が2人生まれることや、6月22日(木)からエクトル=シャルラン劇場 Théâtre Hector-Charland舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』が上演再開すること、ルネが監督を務め10月19日に初日を迎えるミュージカル「La famille Addams アダムス・ファミリーのこともあって、TV番組 Salut Bonjourに出演しました

 

 

 また、La famille Addams アダムス・ファミリーのデモンストレーションのイベントが開催されたり、昨年から2年連続で、第36回 La Fabuleuse Histoire d’un Royaumeラ・ファビューズ・イストワール・ダン・ロヨームの公式スポークスマンとなることが Facebookで発表され、大変嬉しく思っています! アダムス・ファミリーのイベント映像は、facebookの公式ページでご覧いただけますので、是非ご覧くださいね(^^♪

 

 

 そして今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の9回目、「De ses débuts aux comédies musicales, 50 ans d’une carrière exceptionnelleミュージカルデビューから50年の輝かしいキャリア」の3回目「CARRIÈRE キャリア」になります。

 

 

LA CONSÉCRATION 公認

1972 年以来、ルネはレコードやショーでその実力を証明し、あらゆる面で活躍してきました。

CARRIÈRE キャリア

左:いつも〈スター〉という言葉で笑われてきた少年にとって、スターのような表情。

右:テレ・メトロポールTele-Metropole で放送された Jeunesse d'Aujourd'hui(今の若者) のセットで レジスRégis とデュオで共演。

 

 1972年2月12日にルネがケベック・コロシアムColisée de Québecでパフォーマンスを行ったときも、芸術広場 Place des Arts で得た驚異的な成功はまだ健在でした。ジル・ラモンターニュ市長のほか、国会議員数名も出席していました。

 その後数か月間、時のスター、ルネ・シマールはどこに行っても群衆を集めました。6月2日、数万人が彼の歌を聞くためにハル市の展覧会会場に押し寄せました。 アリーナはゲートに現れた全員を収容することができず、残念ながら満員につながりました。 窓ガラスが割られ、売店が荒らされ、警察が介入しなければならなくなるほどでした。事態の沈静化と需要の一部に応えるため、翌日に2回目の公演が追加されました。ここでも恥ずべき行為があり、若者は警察に護送されなければなりませんでした。 現場にいたラジオ・カナダ・テレビが事件の様子を詳しく語りました。

 夏季には、Place des Nations 国際広場で開催されるle Super-Balconville de CJMSで、ルネを主役に据えました。ケベック州のどこで演奏しても、その歌手は群衆を魅了しました。1972年6月、Gala des Artiste(芸術の祭典)は、私たちが彼に対して抱いている愛を立証しました。夜のパーティーで、彼は『Découverte de l’année 今年の発見』と『Phénomene se l’année 今年の非凡なタレント(奇才)』の小像を受け取りました。

 

UN ENFANT COMME LES AUTRES? 他と同じような子供?

 同年、ルネのキャリアは新たな次元を迎えました。 彼はまだ11歳で、すでに伝記映画の題材となっていました。 『 Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供』では、映画監督のDenis Héroux ドゥニ・エルーがこの少年の私生活と職業生活に興味を持ちました。この映画はドキュメンタリーとして提示されていましたが、どちらかというとロマンチックなドキュメンタリーです。 いくつかの出来事はロマンチック化されたり、再現されたものでした。 この映画は大スクリーンで公開され、違和感はあったものの、大成功を収めました。

 2020年9月26日、1972年を振り返る番組Cette annee-laで放送されました。ルネはこう振り返りました。「撮影のことはよく覚えています。私にとってはゲームのようなもので、とても楽しかったです。 私の母は女優ではなかったので、大変だったのは両親でした。」 笑いながら彼は付け加えました。「彼女はこう言わなければなりませんでした:『Veux-tu un verre de lait? 牛乳一杯欲しい?』、しかしそれはあまり自然ではありませんでした…」

 長編映画の公開に合わせて、ルネの3枚目のLPも発売されました。 他の子たちと同じような子供…Jean-Loup Chaubyジャン=ルー・ショービによるオリジナル作曲がアルバムのタイトルとなっており、成功を収めた「Toute la pluie 雨にぬれても」のほか、レジスとの2曲のデュエット「La derniere rose (de l'été) の名残のばら」、「Hey! Monsieur Le Magicien  ヘイ!ムッシュ・ル・マジシャン」が収録されていました。売り上げはアーティストの人気の最高潮にあり、アルバムは2週間チャートの1位を占めました。

 

左下:CJMS のミシェル・ジャスマンのショーに招待されることは成功と同義でした。 ミシェルとルネの会談は決定的なものとなりました。

上中央:映画『Un enfant comme les autres 普通の子供』の撮影現場にて、Denis Hérouxドゥニ・エルー監督と。

右上:ある意味『C’est demin…』のレコードジャケットは、看板のようにも見えます。

右下:1970年代初頭、このアーティストはあらゆるテレビ番組で両手を広げて受け入れられました。

 

QU'EST-CE QUI LE FAIT CHANTER?

何が彼を歌わせるのでしょうか?

 レコード、ステージ、映画館...それだけではありません。 小さな画面でもルネは見られました。 彼は、Télé-Metropole で放送されていた非常に人気のメロドラマ Les Berger に時折出演していました。

 もう 1 枚のディスクは 1972 年のものです。『C'est Demain』の表紙では、2 つの要素が注目を集めました。思春期前の子供はさらに長い髪で表示され、そして---そして何よりも---ハイライトで次のような記載が印刷されました:<特別---内部にはルネとレジスの大きなカラー写真 – ローラ・シーコード・プディング提供>

 はい! 広告は現在、ルネのプロフェッショナルな世界の一部となっています。 彼はLaura Secord ローラ・セコール菓子を宣伝するテレビ広告キャンペーンの中心人物であり、レジス、ジャン=ロジェ、幼い金髪のナタリーも出演していました。

※訂正:原文ではジャン=ロジェとなっていますが、マルタンの間違いです。

 この一連の広告は、ケベック州でデザインされたものの中で最も象徴的なものの 1 つであり、1970 年代に彼の専門分野の巨匠Jacques Bouchard ジャック ブシャールによって構想されました。特にこの分野で知られるもう一人の人物、Marcel Lefebvreマルセル・ルフェーブルが作曲した魅力的なリトルネッロのおかげで、この曲は急速に広まりました。今でも、私たちはLuc Cousineau リュック・クズノーが作詞した歌詞を心に留めています。「Qu’est-ce qui fait donc chanter les p’tit Simard/C’est les p’tits poudings Laura Secord シマール家の子供たちを歌わせるのは何ですか / それは小さなローラ・セコールのプリンです」…とても効果的でした。 そして、それだけでは十分ではなかったかのように、この曲はLaura Secord というレーベルからリリースされたシングル・レコード「À mon ami,mon père  の友だち、僕のパパに 」の B 面に収録されています。

 これらすべてが合わさって、アルバム『C'est Demain』が再び成功することに貢献しました。 タイトル曲は、『L'hiver est là (冬が来た)』や、『Ne coupez pas les roses (バラを切らないで)』のような45回転(シングルレコード)になりました。 最終的に33回転(LPレコード)で3週間連続首位を獲得しました。

 11歳から13歳まで、ルネはたくさんのツアーを行いました。その内のいくつかは、彼が最大 60都市を訪問することになりました。そして彼はまだ学生だったので、どこへ行くにも先生がついて来ました。

 若いルネは地獄のようなペースを維持していました。1973年に、彼は2枚の新しいLPを録音しました。 『PASCALE パスカル』、最初に、あるいはジャケットには、彼と同年代の愛らしい少女が描かれていました。彼と一緒に、彼女は自分の名前を貸した曲を歌い、すぐにラジオで大ヒットしました。

 年末には、新しいクリスマスアルバム『Rene Simard et Les Disciples de Massenet a l'eglise Notre-Dame ルネ・シマールとノートルダム教会のマスネの弟子たち』をリリースしました。聖歌隊に囲まれて、彼は世俗的な曲だけでなく、神聖な曲として、『Il est né le divin enfant 神の子は生まれ給えり』, 『Adeste Fideles 神の御子は今宵しも』, 『Les anges dans nos campagnes 荒野の果てに夕日は落ちて』, 『Mon beau sapin モミの木』と--- pourquoi pas! (Pourquoi?何故?)--- 『Minuit, Chretien さやかに星はきらめき(O Holy Night)』の新しいバージョンを歌いました。

AVEC LE RECUL 今思えば

 Cette annee-laのショーに参加した際、当時のシーンを振り返りながら、ルネは次のようにコメントしました。 「それはまるで2人の人生のようでした。 それを見て、美しかったのは率直さと無邪気さだと自分に言い聞かせました。年を重ねると、自分にはやるべきことがたくさんあることに気づきます...ラジオ、そして私はそれが信じられませんでした。 『地球全体が私の声を聞いている!』という感じでした。 私は子供のような無邪気さと不注意で話しましたが、始めたときはそれが大好きでした。 私にとって、それは魔法のようでした。

 

▲『Découverte de l’année 今年の発見』と『Phénomene se l’année 今年の非凡なタレント(奇才)』の小像を持つルネ

※過去ログ「『ルネ・オン・メロディ』のカナダの記事」 「『ルネ・オン・メロディ』の画像」参照

※過去ログ「Les Berger 追記」参照

 

<シマ姉のデスクトップパソコンとiPadのトラブルの話>

 余談ですが、先週6月7日(火)朝、デスクトップパソコンがフリーズ! 

 ブルースクリーンのトラブルということが分かり、急遽ドック入り★ ところがOA再生館のパソコン担当者さんがお休みで、金曜日にならないと出勤しないとのこと。ブログ記事の投稿は、予約投稿して有ったため10日(土)投稿分はセーフ。facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」への投稿はiPadで回避して、「開設1周年まで毎日1記事以上投稿」を達成 iPad操作も、今まで使っていなかったキーボードで演奏したり、やり方が分からなかった画像の編集が出来るようになりました。 

 しかし! デスクトップパソコンのデータは全部読み取れたものの、再起動させるために必要なディスクが、発注しても土日を挟んでしまうため、引き渡しまで1週間以上かかると言われてしまいました★ 今日投稿の記事は半分完成していたので、いざという時はそのまま投稿も視野に入れていましたが、ラッキーにもディスクが月曜日に届き、13日(火)に無事帰還(^^♪ 

 ところがところが、iPadのiOsのアップ・グレードを、デスクトップパソコンに接続してiTunesで行っていた矢先、今度はiPadが作業途中で止まってしまい、何度試みても完了できずショック★ しかし、16日(金)に再度OA再生館に行って診ていただき、無事アップ・グレードしてお利口になって帰ってきました。今まではインストールできなかったアプリも入手出来、外出先でも色々楽しめそうです(^^♪ デスクトップパソコンもwindows10から11にアップ・グレードしたので使い勝手は良いです。操作の微妙な違いは追い追い慣れていきます。

 ちなみに、映画「スマホを落としただけなのに」を観てからは、わざと面倒にしているシマ姉(笑)。普段の通話とメールは4Gガラホ。外出時はiPad mini、自宅ではデスクトップパソコンでインターネット・・・という旧人類(死語? 昭和世代だもん)です。

 外付けハード・ディスクは、ブログで画像投稿を始めた後、メモリースティックから画像をコピーして保存していますが、使い始めてすでに10年以上経っており、膨大なデータを移すのを面倒がって、パソコン本体への保存が途中になっています。今回のことで、データはこまめにバックアップすることや、iCloudのストレージやライブラリにも保存しておくことにします。ちなみに、今回のトラブルの前に、画像データをマウスで操作中、ミイ姐御にどっかり乗られた拍子にフォルダがそっくりどこかに飛んでしまいました★ ゴミ箱にも無いし、他のフォルダの中を何時間も繰り返し探しまくっても見つからず・・・。データをバックアップするソフトを購入してもほとんど役に立たず、諦めて就寝した翌朝、全く見当もつかないフォルダの中のフォルダの、そのまたフォルダの中に有りました★ 一瞬のことなのに、そんなことが起きるのですね・・・。

 さらに昨夕には、検索中にいきなりMicrosoft社を装った画面が現れて警告を発し、ハッカーの侵入によるトラブル回避のための連絡を求められました。それを信じて連絡をしたところ、お金を要求する詐欺でした★ すぐに警察に通報したところ、迅速に、最寄りの警察署のネット犯罪専門の方が2人いらして、事情聴取とパソコン画面等の撮影をして、さらにウィルスは送り込まれていないだろうことを確認してお帰りになりました。金銭を送金していなかったため、記録はしても『相談』という形の報告になるそうです。今日は警察官の勧めで、念のために、OA再生館にデスクトップパソコンとiPadの状態を見てもらいに行こうと思っていましたが、電話で問い合わせたところ、その手のトラブルは問題無いとのことでした。さらに下の記事で紹介された方法をすべて試し、フルスキャンでも脅威は0個でした(^^♪

 私が遭遇した詐欺の対処法等はこちらを参考にしてください。マイクロソフトのサポートを装った詐欺にご注意ください - News Center Japan (microsoft.com) 

 これをお読みになったルネ友さん、大切なデータはトラブルで消失しないように、日頃からバックアップを取って、コンピューターウィルス等の対策をしっかり行って、慎重に管理してくださいね!

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ブログ開設18年目 & Facebookのルネ・ファン・グループ開設1周年♫

2023年06月10日 | ルネ依存症の日々

 2006年6月10日にteacup.comで開設した当ブログは、本日ついに開設18年目に突入いたしました!!

 ついに「ブログ成人式」?! ここまで来たら20周年、いえ、25周年を目指します!! でもまずは週末1記事以上のペースを保ちながら、1年1年確実に書き続けていきたいと気持ちを新たにしています。

 

 

 当ブログは「無いのなら 作ってしまえ ルネ・ブログ」で始まり、「ルネ・ファンの ルネ・ファンによる ルネ・ファンのためのルネ・ブログ」としてカナダのルネ・シマール情報を発信してきました。

 また、シマ姉ことshimazaki runeの「ルネ活ルネの推し活」の拠点であり、私が調べたことの覚書を兼ねたルネ・データ・バンクでもあります。

 『継続は力なり17年間頑張ってきたブログ記事も、今回で1108記事!! 当ブログの「ルネ記念日」には1111記事を達成する予定です   ルネの53枚目のCDにセットされた記念誌「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の紹介も始まったばかりです(^^♪ 

   さらに ルネの全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて2012年6月10日に発売されてからも11年目を迎えます

 そしてルネはと言うと、舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』6月22日(木)エクトル=シャルラン劇場 Théâtre Hector-Charlandから再開します。10月19日(土)から公開される、ミュージカル「La famille Addams アダムス・ファミリー」監督としての仕事が重なり、さらに息子オリヴィエの第2子と娘ロザリーの第1子が生まれますので、3人の孫娘のおじいちゃんとして、舞台俳優として、監督として、ますます忙しくなりますね! 

 

 

 そして、facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」も開設1周年を迎えました!

 現在メンバーは820名を超え、新規で日本人が管理者のグループとしてはなかなかのものかな?・・・と、自己満足(笑)しています。facebookに招待される以前から交流していたカナダのビッグ・ファンの面々や、クローディーヌ・バシャンさんもメンバーなんですよ メンバーの内訳は9割以上がカナダのルネ・ファン!! 開設当時に立てた目標である「開設1周年を迎えるまでは1日1投稿」は達成いたしました(^^♪  

 

100歳まで生きたい」というルネを日本から応援し続けながら、いつかルネ友さんたちとカナダ・ツアーに行くのがルネ活の目標です!  

 これからも「継続は力なり」で頑張りますので、ルネ友のみなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします!!

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60 ans et déjà 50 ans de carrière⑧

2023年06月04日 | ルネの活動記録

 当ブログの開設18周年がいよいよ来週に迫りました! facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard 」も1周年♪

 シマ姉家では毎年2階のベランダにツバメが巣を作ります。昨年はミイ姐御に警戒してか、巣作りだけで終わってしまい心配していましたが、今年はひなが元気に育っています♪ ルネの息子オリヴィエと娘ロザリーの赤ちゃんも誕生しますし、これから益々良い年になりそうですね

 

 

 今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の8回目、「De ses débuts aux comédies musicales, 50 ans d’une carrière exceptionnelleミュージカルデビューから50年の輝かしいキャリア」の2回目「DEBUTS デビュー」になります。

 

 

RENÉ DEVIENT<P'TIT SIMARD>

          ルネ『プティ・シマール』になる

LA DÉCOUVERTE DU TALENT DE RENÉ RELÈVE DU CONTE DE FÉES ルネの才能の発見はおとぎ話のよう

 私たちが知っているように、シマール家では歌が重要な位置を占めていました。 リビングルーム、バルコニー、教会など、ルネはあらゆる機会を捉えて自分の才能を表現しました。 プライベートでは兄のレジスと一緒にギターをかき鳴らしていました。

 1969 年、歌手で司会者のジャン・ロジェJen Roger は、ケベック州の CFCM Tele 4 で放送された番組『 Les Découvertes(発見)』 で大きな成功を収めました。 ルネの母親がルネをそこに登録し、ルネの出願が認められました。 その年、ルネは準決勝で勝利し、決勝に進みました。

 しかし、ここでは、家族の資金が限られているため、ルネに背負えるものは何もありませんでした。 公衆の前に登場するために彼に服を貸してくれたのは、彼の親友の1人であるピエール・ルクレールでした。 この行いは、ルネにとって一生忘れられないでしょう。

 少年がテレビ番組に出演するのは今回が初めて。 ルネは、2年前に制作され当時大成功を収めていたペトゥラ・クラーク Petula Clarkの「C'est ma chanson (邦題は「愛のセレナーデ」)を歌いました。この若い歌手は非常に強い印象を残したので、コンテストの優勝者に選ばれました。 この出来事は将来を決定づけるものとなるのでした。

 この勝利によってルネに与えられた賞品の中で、まだ10歳にならない少年に、モントリオールからテレ・メトロポールで放送される番組 「Madame est servie」への参加が保証されました。 レアル・ジゲールRéal Giguère は、州全体で絶大な人気を誇るこの毎日のイベントの指揮をとっていました。 1971年に彼は若いアーティストを迎えました。

 2015年5月29日に雑誌『7 Jours 』で行ったインタビューの中で、ルネは次のように回想していました。「バスがジャック・カルティエ橋の上を走り、ラ・ロンドとジャイロトロンが見えたとき、私は失敗しました! そこから、私は、「Madame est servie」を終えて、ラ・ロンドに行きたいと思っていたのです! 母、兄レジス、そして私は、モントリオールに来るのは初めてでした。私たちにとって、それはロサンゼルスに行くようなものだったのです。」

 

左:彼の最初の公式写真の 1 つ。芸術劇場での一連のショーを宣伝するために使用されました。

中央:彼の年齢を考慮しても、私たちはアーティストが自分自身を完璧にコントロールしていると認識しました。

右上:1967 年のJen Rogerジャン・ロジェ。ルネの名が2年後に知られるようになったのは彼のショーのおかげでした。

右下:ルネ、<p'tit Simard> のとき: どうしてそんな顔に抵抗できるの?

 

LA RÉVÉLATION 啓示

 ジャン・ロジェの発見におけるルネの勝利を目撃した視聴者の中には、ケベック州在住のジェルトリュード・クルティエもいました。 プロダクション・クルティエのギイのお母さんでした。 この若き天才の声と人柄に魅了され、聴衆の反応に熱狂した女性は、息子の注意をこの幼い才能に引き寄せました。 その件はここに残っています。 一方、パトリック・ザベPatrick Zabé はTélé 4で放送していたので、ルネが歌っていることを知っていました。 彼は誰にも言わずにシマール家に行き、ルネの父親に会い、友人に結婚祝いをあげたいと伝えました。 1971年7月17日、サン・レオナール小教区教会で、ルネは10歳のときシューベルトの『Ave Maria アヴェ・マリア』を歌いました。

 新婚旅行から戻った興行主は、若い歌手にLPを録音してもらうつもりでシマール家を訪ねました。そして 取引契約が成立しました。

 

L’OISEAU PREND SON ENVOL 鳥が飛び立つ

 1971年、最初のアルバム『L'oiseau 』がリリースされ、タイトル曲に加えて兄レジスが歌詞を書いた『Le gamin de l'île 島の少年』と『Ma mère est un ange 僕のママは天使』が収録されました。 2人には切っても切り離せない『Santa Luciaサンタ・ルチア 』を歌い、姉のリンも「Au chant de l'alouette (ひばりの歌に合わせて)」に加わりました。

 モントリオールのラジオ局 CJMS の司会者ミシェル・ジャスマンMichel Jasmin は、アルバムを宣伝するためのインタビューでルネを初めて迎えました。すぐに、私たちはルネを、2週間で売り上げ1位の座を維持した彼のアルバムと同じくらい奪い合いました。 175,000 枚以上の『L'oiseau鳥』が買い手を見つけ、同時に 45回転レコード(シングルレコード)がレコード店の棚から消えました。

 この熱意がセカンド・アルバム『Ave Maria アヴェ・マリア』のリリースを促し、ホリデー・シーズンに合わせてリリースされました。 ルネはそこで、「J’ai vu maman embasser le pere Noelママがサンタにキッスした」、「Petit Papa Noël プティ・パパ・ノエル」、「L’enfant au tambour仏語版「リトル・ドラマー・ボーイ」」、「Minuit Chrétien(O Holy Night)さやかに星はきらめき(聖なる夜には讃美歌を① 参照)」といった不朽の名曲を歌っています。

 音調は次のように設定されています。:ケベックの歌が隆盛を極めるこの時代に、ルネは 1960 年代に他のアーティストの成功を引き継いでチャートに雨や晴天をもたらしたアーティストの伝統を永続させています。 彼のキャリアを通して、基本的に、ルネはフランスのヒット曲のフランス語版またはヒット曲のカバーを歌っています。

 

左:クリスマス・アルバムのリリースを記念して、シマール家全員がラジオ・ミューチュエル・ネットワークで放送されたホリデー・ショーのスターとなり、そのディレクターは、ほかならぬルネ・アンジェリルRené Angélil でした。

右:1971年末から、ルネは自分の地位を証明するために、週刊テレビ・ヘブド紙の表紙に登場し、その写真はアルバム『アヴェ・マリア』のジャケットと同じ写真を使用しました。

 

PAR LA GRANDE PORTE 大きな扉を通って

 記録に関する限り、1971 年はルネにとって勝利の年でした。ルネはすぐに、『le p’tit Simardプティ・シマール』 というあだ名で呼ばれるようになりました。 彼は無名からスターダムに上り詰めました。並外れた才能を持つこの美しくフレンドリーな若いアーティストに、メディアが夢中になっていました。 彼は大衆の最愛の人となりましたが、1つ疑問が残っていました。レコーディング・スタジオとテレビとラジオしか知らない彼が、ステージ上でどう振る舞うのだろうか?

 大衆と批評家がその答えを知るのは、同じ年の終わりでした。10歳で舞台デビューを果たしたのは、芸術広場Place des Arts の大きな扉からでした。

 2015 年5月29日、ルネ・シマール氏が 7 Jours で言及しました。「私は10歳で舞台恐怖症を知りませんでした。歌手は私にとってゲームでした。とても楽にステージに上がっていきました。私はウィルフリッド・ペルティエ公会堂Salle Wilfrid-Pelletier | Place des Artsのステージに上がりましたが、その成功には全く気づきませんでした。あんなに完璧だったので、嫌われ者になってしまったかも知れません。」

 12月、ルネは3晩にわたり、サント=カトリーヌ通りの8月ホールで満員の観衆を前に歌いました。 この偉業は、少年にとって初めてのショー・シリーズであったため、さらに特別なものでした。 彼の歌のツアー中、兄のレジスが参加し、一緒に母親に捧げられた歌「Ma mère est un ange 私のママは天使」を歌いました。 彼のキャリアの最初の数年間、 ルネはレジスとチームを組むことがよくありました。

ENFANT-VEDETTE 子供スター

 一夜にして、ルネはスターの地位に押し上げられました。 いつも楽しみのために歌を歌っていた彼にとって、この地位は夢にも思いませんでした。 やむを得ず、彼は業界の仕組みや制約にすぐに慣れました。 その結果、彼は犠牲を払わなければなりませんでした。家族と過ごす時間が減り、同年代の若者たちと同じように楽しむ前に、仕事のことを考えなければなりませんでした。

 『7 jours』2016年8月15日号で、彼は次のように指摘していました。「私にとって、働くのは普通のことでした。『vedetteスター』という言葉を聞くだけでいつも笑わせてもらえるのに、スターの側面は見られませんでした。 私は世界が好きで、この仕事に自分自身を投資したいと思っています。」

 それにもかかわらず、L’oiseauの時代を思い出して、彼は2014年8月3日のLa Presseに掲載されたインタビューで次のように語りました。「美しい思い出ですが、子供たちにこの仕事をしてもらいたいと思っているすべての親に言いたいのは、子供たちと一緒にいて、子供たちから離れないで欲しいということです。 それは素晴らしい仕事ですが、代償を伴うこともあります。」

 

 ルネが「ジャン・ロジェの発見」で、ペテュラ・クラークPetula Clarkの「C’est ma chanson(これは私の歌)」を歌ったこと、ルネがこのコンテストDécouvertes de Jen Rogerジャン・ロジェの発見に出場したのは、亡き母ガブリエルが応募したからだったことは、この記念誌を訳して初めて知りました!「C’est ma chanson(これは私の歌)」もお母さんの好きな歌だったのかもしれませんね YouTubeでPetula Clarkの映像を見つけましたのでご覧ください(^^♪

Petula Clark - C'est ma chanson (1967)

※オリジナルは"This Is My Song" - チャールズ・チャップリン監督『伯爵夫人』の主題歌。邦題は「愛のセレナーデ」(1967)全米第3位

 

 今回は過去ログをリンクするにあたり、teacupからgoo blogに置き換える作業に苦労いたしました。また、すでに無くなっているYouTube映像等も有って、新しくリンクを張り直しました。teacupの時は文中の単語をリンクするやり方が分からないままでいましたが、goo blogではそれが出来るようになりましたので、投稿画面がすっきりしたと思います。

 お時間がございましたら、過去ログで歌詞や音源を楽しんでくださいね♪

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