goo blog サービス終了のお知らせ 

ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネとナタリーのファン・クラブ会誌:東京音楽祭特集号④

2025年04月26日 | ルネ・シマール物語

 今日は定例のゴールデンウイーク・オフ会です(^^♪

 今年のゴールデンウイークは、カレンダー通りですと5月の4連休がまとまって休めるかな・・・という感じで、そんなにお得感(?)はありませんが、最長で11日間の長期休暇を取られる方もいらっしゃるようですね。現在専業主婦のシマ姉は、毎日がお仕事でもお休みでもあり、祝日はお祝い料理を、息子が出勤の日はお弁当を作るくらいの違いしかありません(笑)。ですので今日は、家族の食事を準備して出かける「主婦の休日」です

 

 

 そして今回は、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の10ページから12ページに掲載された、ルネがデビューした1970年から1983年までのキャリアについて書かれた記事の中編、ルネのアメリカとフランス、英語圏のカナダでの活動の様子です。

 

 

 今それを要求しているのはフランスです。ルネはパリのオランピアでデビューしました。批評家たちは一致して、それは現象であると述べています。彼は「MAMAN, LAISSE-MOI SORTIR CE SOIR ママ、今夜遊びに出かけてもいい」という曲でまたしてもゴールドディスクを達成しました。

 1976年 - 彼はアメリカで運試しをすることを決意しました。彼は、マイク・ダグラス  Mike Douglas、 マーヴ・グリフィン Merv Griffin、 ハワード・コッセル Howard Cosell など、最も人気があり評価の高い番組に出演しています。彼はボブ・ホープ Bob Hope、フレディ・プリンツェ Freddie Prinzeビング・クロスビー Bing Crosbyと共演した特別番組にも出演しました。

 ルネは自分の能力をすべて完璧にし、最大限に活用するために、ますます努力しなければなりませんでした。そこで彼は英語力を向上させる必要があり、非常に評判の良い学校で授業を受けるほか、他でもないセス・リッグス Seth Riggsによる発声練習のクラスも受講していました。

 ルネは完璧主義者で、ショービジネスの中心地で8か月間懸命に働きました。

 彼の努力のおかげで、リクエストはすぐに届きました。ジャック・ヘイリー・ジュニア Jack Haley Jr. が会長を務める20世紀フォックス(20世紀スタジオ )は、サンディ・ダンカン Sandy Duncunとダイアン・キャロル Diahann Carroll をゲストに迎えた「Rene Simard Super Kid ルネ・シマール・スーパーキッド」と題した特別番組を制作する機会を彼に提供しました。この番組はカナダの英語圏で大ヒットしました。ルネ・シマールはスーパーキッド(スーパー・チャイルド)。今回もまた、彼についての我々の予想は間違っていませんでした。

 幸運が彼を追いかけます。 1976年末、世界的に有名なピアニスト、リベラーチェ LIBERACEが、ルネにラスベガスの有名なヒルトンで 2 か月間歌うよう依頼しました。ルネは、エルヴィス・プレスリー  Elvis Presleyオズモンド・ブラザーズ  The Osmond Brothersフランク・シナトラ Frank Sinatra、そして芸術界の大物たちと同じ舞台で歌うことを知り、感激しながら依頼を受け入れました。リベラーチェ LIBERACEは、ルネがこのツアーに注いだ活力と献身をすべて認め、フロリダ、アリゾナ、レイク・タホの4か月間のツアーにルネを連れて行くことを決めました。ルネは、リベラーチェ LIBERACEのような経験豊富で才能のある人物と一緒に仕事ができることにいつも感銘を受けています。

 

 

 ケベックに戻って、私たちは州内を巡るツアーを企画していました。彼は、今の彼を形作ったのと同じケベックの聴衆に会えてとても幸せでした。

 イギリスの放送局CBCは、アラン・シック Alan Thickeがプロデュースしてバンクーバーで収録された「The Rene Simard Show ルネ・シマール・ショー」と題された全26回のシリーズをルネに提供しました。この番組はカナダ全土で放送されてから3か月が経過した現在、視聴率1位を維持しています。テスト契約は2年目に更新され、相変わらず人気を保っています。彼はピーター・ユスティノフ Peter Ustinovアンディ・ウィリアムス  Andy Williamsシカゴ Chicagoベイ・シティ・ローラーズ Bay City Rollersメリサ・マンチェスター  Melissa Manchesterフィリス・ディラー Phillis Diller、チャロ Charoレイフ・ギャレット Leif Garettホセ・フェリシアーノ Jose Feliciano、ヴァレリー・ハーパー Valerie Harper など、カナダとアメリカの大物アーティストの司会を務めてきました。

 バンクーバーに滞在した後、彼はケベックに戻り、芸術劇場 la Plas des Artsで私たちにクリスマスをプレゼントしてくれました。この素晴らしい時間を記念して、彼は何千もの色の噴水「Les Dancing Waters ダンシングウォーター」をラスベガスから直接持ち帰りました。レビューはとても良いです。このショーは満席の観客の前で上演されました。

 1979年に、彼は18 歳で、特別なLP 18 ans déjà を録音し、非常に印象的な芸術的経歴を積み上げました。同年、ユニセフのキャンペーンが始まり、彼はこの活動への参加を記念して、妹のナタリーと共に「Tous les enfants du monde  世界のすべての子供たち」と題した45回転レコードを録音しました。すべての利益はユニセフに寄付されました。彼は心の優しい人であり、私たちが彼を必要とするときにはそこにいてくれることを証明しています。

 

 

 次回は後編、1979年から1983年までのルネのキャリアについてです。

 

 話は変わりますが、ブログのお引越しについては、引っ越すブログサイト等、まだ何も決めておりません。それよりも6月10日の「ブログ開設記念日6月30日の「ルネ記念日を迎える方が最優先です! 10月1日にブログ記事の投稿及び編集機能が停止されるため、7月以降、引越しデータ作成に入ろうと思っています。teacupからの引っ越し経験があるので、慌てず計画的に進めたいと思います。

 ルネ・ファンになって51年、ブログを開設して20年を迎える私にとって、当ブログでルネについて書くことは既にライフ・ワーク(^^♪ ルネ・ブログ運営は「ルネ活」であり、毎日記事の内容を考えてパソコンと格闘することはボケ防止(笑)になっていますので、ブログの引っ越しなどで挫けません!! たとえそれが単なる自己満足だったとしても、私自身が楽しめていればそれで良いのです。収益を求めない、私にとっての永遠のアイドル、ルネ・シマールの情報発信のためのブログですので、ルネ友のみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルネとナタリーのファン・クラブ会誌:東京音楽祭特集号③

2025年04月20日 | ルネ・シマール物語

今日はイースター

 日本ではあまり馴染みはありませんが、キリストの復活を祝う行事(復活祭)です。「Joyeuses Pâques」は仏語で言う「Happy Easter」。

 ちなみに先週の4月13日(土)は、パームサンデーという復活祭一週間前の祭日で、この日はイエスがエルサレムに入城した日のため、キリスト教会では特別なミサが行われるのだそうです(キリスト教豆知識)。

 

 

 前回の投稿があまりにもギリギリだったことを反省して、予約投稿の画像の取り込みと翻訳を進めていたところ、つい遊び(逃避行動ともいう  笑)に没頭し過ぎて出来上がった産物が、facebookルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi:pour René Simard に向けて作ったイースターのメッセージです ケベックシティのシャトー・フロントナックを背景に、大きなイースターエッグと1974年当時のルネが11人いる夢の世界 稚拙な画像処理については、可愛いルネに免じて大目に見てやってくださいね~!

 

 

 そして今回から、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の10ページから12ページに掲載された、ルネがデビューした1970年から1983年までのキャリアについて書かれた記事を、前中後編に分けて紹介いたします。前編はルネのデビューから日本での活動までの内容です。

 

 

RENÉ  SIMARD

 この最初の出版を機に、私たちはルネの完全な経歴をお届けしたいと考えました。そこで、多くのファンの願いに応えて、彼の魅惑的な人生の展開を皆さんにご紹介したいと思います。

 

 

 ルネ・シマールは1961年2月28日にシクーティミで生まれました。彼の家族は3人の兄弟と3人の姉妹で構成されています。

 プティ・シマールの将来が形作られたのは、9歳のとき、ケベックのテレビでアマチュア・コンクールに出場していたときでした。ルネは「Ave Maria アヴェ・マリア」を歌ってこのコンクールで一等賞を受賞しました。ギィ・クルティエの母親は、この9歳の少年の歌を聴きに来るよう息子を説得しました。母親はルネを「現象」と評しました。

 ルネ・シマールにとって、素晴らしい夢が実現しました。彼は「L'Oiseau 鳥 」と題した45回転レコードを録音しました。 175,000枚を売り上げ、あらゆる意味で成功を収めました。その後、最初のLP「L'oiseau 鳥」がリリースされ、予想外の成功を収めました。このアルバムはケベック州でビートルズ、エルヴィス・プレスリー、そしてすべてのカナダ人歌手の売り上げを上回りました。

 ギィ・クルティエはこのケベック出身の若き天才に全幅の信頼を寄せ、2枚目のLP「Ave Maria アヴェ・マリア」を録音しました。彼にとってもう一つの名誉となる記録でした。

 Place des Arts 芸術劇場も同様でした。 9歳のとき、彼はこの若さで、この大きな舞台と、彼に勝利の歓迎しか与えない大観衆に直面した最初の一人となりました。ルネ・シマールはケベックの寵児となったのです。

 1972年と1973年、ルネは新しい仕事と学業を両立し続けました。ケベック州のあらゆる場所からリクエストが来ていました。ケベック州の人々はプティ・シマールを選びました。人々は州内を巡るツアーに行きました。テレビ、ラジオ、新聞など、あらゆるところでルネ・シマールのことを目にしたり耳にしたりしました。

 しかし、ルネ・シマールは多芸多才でした。同年、彼は俳優になりました。映画業界が彼に興味を持ち、有名なプロデューサーのDenis Héroux ドゥニ・エルーも彼を探しに来て、「Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供」と、Dominique Michel ドミニク・ミシェルやJean Lefebvre ジャン・ルフェーブルらと共演した「J'ai mon voyage !   僕には僕の旅がある」の2本の映画を撮影することを決めました。これら2本の映画は大成功を収め、ルネ・シマールの才能が再び認められました。

 1974年、日本の東京で大規模な歌謡祭が開催されました。ルネ・シマールは「ミドリ色の屋根」という曲でカナダ代表に選ばれました。このコンテストには、Three Degrees スリー・ディグリーズ を含む数人のスターが参加しました。彼は最優秀歌手に贈られるFRANK SINATRA フランク・シナトラ 賞に加え、演奏部門でも最優秀賞を受賞し、カナダに名誉をもたらしました。FRANK SINATRA フランク・シナトラ は自ら彼にトロフィーを贈呈し、豪華な時計も添えてこう言いました。「ルネ、大人にならないで(そのままでいて)」。ルネは12歳なのに感情が強すぎて涙が出ました。彼にとってそれは人生で最も美しい日でした。

※第3回東京音楽祭世界大会の時、ルネは13歳でした。「12歳」は会誌の間違い。

 音楽祭の翌日、ルネは日本でスーパースターになっていました。彼の写真はどの雑誌にも掲載されており、ジャーナリストたちは彼をめぐって争っていました。ルネ・シマールの写真とともに、ありとあらゆる「商品」を披露しました。彼は日本全国でコンサートを行っており、どこでも聴衆は熱狂的になっていました。ルネはフランス語と日本語で歌いました。彼の最初の日本のアルバムはゴールドディスクを獲得し、その後も驚異的な売上によりさらにいくつかのゴールドディスクを獲得しました。 1975年に彼は再び日本を訪れ、コンサート・ツアーを開催しました。

 Laurent Larouche ローラン・ラルーシュは、この素晴らしいイベントの映像「René Simard au Japon」を制作しました。ケベックに到着すると、彼は意気揚々と歓迎されました。プティ・シマールを祝福するために各地からバスが空港に到着しました。

 

 次回は中編、フランス、アメリカ、そして英語圏のカナダでの活動についてのページです。

 

 話は個人的なことになりますが、先月の初めに「中華人民共和国 内蒙古省赤峰市(中国内モンゴル自治区東南部の都市)」から電話があった話をしました。

 そして今度は、電話番号が県庁所在地の市外局番で始まる1110から固定電話に電話が入りました。番号を見て、ついに我が家にも、最近テレビで注意喚起されている、警察を装った電話から始まる劇場型詐欺グループから電話が来た~~っっ!(^^♪・・・と、警戒して出ませんでした。メッセージも残されなかったし、再度電話も有りませんでした。

 騙されたふりをして応対しながら、主人にスマホで地元の警察に連絡してもらったらよかったかな・・・と思いながら、一応電話番号をネット検索したら、県警の犯罪抑止対策本部からの注意喚起電話でした(笑)。電話帳に記載されていたり(多分うちはこれ)、詐欺犯人から押収した名簿に有った電話が架電対象だそう。民間企業に業務委託されていたりするので、おばさんに一方的に話されたり、「知らない番号に出たら、詐欺電話の可能性もあるでしょう★」と言われて不快な思いをした人もいるようでした。電話に出なくてよかった~! ましてや地元の警察に通報しなくてよかった~!!(本気で報告する気でいて、主人に止められていました 笑) 

 ルネ友のみなさまも、知らない電話番号には十分お気を付けくださいね!

 

<緊急報告>

 goo blogサービスが11月18日(火)で終了することになりました!

 2022年8月1日にteacupから引越して、ブログ開設20周年を迎える今年、またまたブログお引越しです★ 「引越しデータ作成」機能提供が4月18日から開始されています。引越し先は「はてなブログ」と「Amebaブログ」が準備されていますが、どちらにするか調べているところです。サービス終了までまだ7か月弱時間が有るので、取りあえず、6月10日の「ブログ開設記念日6月30日の「ルネ記念日を迎えてから、どちらにするか決めたいと思っています。

 まだまだブログ仕舞いはしませんよ! ルネ活」は永遠に!!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダからやってきた13歳の天使 ルネ

2022年10月16日 | ルネ・シマール物語

 10月も既に半ば。残暑から一変12月のような寒い日も有り、秋の虫が鳴いて木の葉も色づき始め、やっと秋らしくなってきました。

 まだまだ先のことかもしれませんが、来年の今日はルネが監督するミュージカルLa famille Addams アダムス・ファミリー」の公開前夜です。ルネはこれからオーディションをして配役の発表などを控え、ますます忙しくなることでしょう。

 そしてルネは去る10月12日にでジャルダン・ドラモンドヴィユ芸術センターにおいて、Bernard Fortinベルナール・フォルタンが司会を務め、プリビレッジ会員限定で一般公開されたバラエティー番組「PLAN RAPPROCHE」に出演しました 「Tourne la page」を歌い、ユーモアたっぷりなルネをご覧くださいね(ルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」のメンバーNathalie Valliéresさん提供) Facebook

 

 

 そして今回は、ヤフオクでゲットした高一時代」1974年(昭和49年)9月号(8月上旬発売)掲載の記事紹介いたします。

 ルネ記事が掲載された「中一時代」、「中二時代」、「中三時代」はヤフオクで揃えましたが、「高一時代」でも取り上げられていたのですね。

 

カナダからやってきた13歳の天使 ルネ

▲右上:「ミドリ色の屋根」を熱唱するルネ 下:フランク・シナトラよりカップを受けるルネ

 第3回東京音楽祭で、世界各国から集まったなみいる強豪たちをおしのけて、グランプリに輝いた、カナダからやって来た”13歳の天使”ルネ・シマールくん。美しいボーイソプラノで、素直に歌う歌唱法、まさに天使の歌声といってもほめすぎではないだろう。音楽祭の受賞曲でもあり、日本でのデビュー曲でもある『ミドリ色の屋根』は、ヒットチャートの上位を独走中だ。東京での滞在20日ばかりで、すでに日本の新御三家と肩を並べるほどの人気を獲得してしまったねも少年。

 ルネ・シマール、1961年2月28日、カナダのケベック市に生まれたフランス系カナダ人である。

 お父さんが、木材労働場のコックをしているかたわら、教会のリーダーをつとめているという、音楽一家に生まれたルネは、7歳のとき、その聖歌隊員になった。

 そして、彼が8歳になったとき、お父さんが病気で倒れ働けなくなり、ルネの一家は貧しさゆえに、せまい安アパートに引っ越さねばならなくなった。そんな家庭の事情を幼いながらルネは理解することができた。ルネはその時からお母さんのために故郷の街に自分の家を建ててやろうと誓った。そこで、ルネ少年は、さっそく行動に移った。兄のルジと二人で、学校が終えたあと、近所のレストランや、バーにもぐり込んで、歌をうたっては、テーブルをまわって、帽子にお金を入れてもらった。そのときルネの歌は、お酒に酔いしれているおとなたちの耳にもすばらしい感動を与えた。しかし、もちろん、それぐらいでは、鳥かごぐらいの家賃さえもかせげなかったが、自分の芸をみがくことができた。

 そのルネが、プロとしてデビューできたのは、ケベックでの素人コンテストに優勝し、その上、テレビのタレント・スカウト番組に14回出場し再び優勝したのがきっかけだった。

 10歳のとき『鳥』をうたってデビューし、そのデビュー曲が大ヒットとなり、以後、カナダ、フランスで大活躍。3年間で、たくさんのシングル・ヒットと7枚のLPを発売させた。そして、レコードのほかに、映画やテレビでもその才能を発揮し、日本での”郷ひろみ”的存在として幅広い多くのファンをつかんだ。いつも『笑いつづけなさい、歌いつづけなさい』という言葉を胸にくり返しくり返し思い出しながら歌い続けた。

 そして、ついに念願だった、お母さんたちのために新しい家を故郷に買うことができた。

 13歳、とってもいたずらっ子で、甘えっ子で、ワンパク坊主でもある。人の食べている食べ物の中に、チョットよそみをしているうちに食塩をドバッといれちゃったり、おもちゃの昆虫で女の子を驚かせたりと、彼のまわりはいつも笑いとざわめきでいっぱい。

 現在、彼はカナダに帰っている。そして8月の20日すぎに、再び、日本のファンの前にやって来てくれる。すでに、その頃のテレビ・スケジュールはギッシリ。また、東京と大阪でのコンサートも予定されている。カナダ、フランスでもアイドルだけに、また一か月程しか日本にいないというけど、きっと美しいボーイ・ソプラノで、十分、わたしたちをたんのうさせてくれるだろう。

 ルネ・シマールのファン・クラブは、

 〒108 東京都港区芝浦3の20の4 株式会社TCJ内 メープル・メイツ

 

 Facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simardはお陰様でメンバーが600人を超えました(^^♪ 「毎日1記事投稿」の目標も達成継続中! 日本のファンが知らなかったカナダのルネ情報、ルネの画像や映像も寄せられ嬉しい限りです 次回はその中からいくつか紹介したいと思いますのでお楽しみに 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ルネ漫画履歴書』完全版

2018年11月18日 | ルネ・シマール物語
 ルネの来日があった1974年、『月刊明星昭和49年10月号』に掲載された『ルネまんが履歴書』は過去ログで1度紹介いたしました。しかし、その頃はまだ画像処理の方法をよく知らなかったため、1ページずつスキャンした画像を見開きにすることが出来ませんでした。今回は見開きにしましたので、改めてご覧ください。画像が小さくて見づらい場合は、画像をクリックして大きな画像でご覧いただくか、1ページずつアップされている過去ログでご確認いただくかしてください。

※過去ログ「ルネまんが履歴書」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/167.html

▲掲載誌『月刊明星昭和49年10月号』









 まんがと構成を手がけた水野英子先生は、代表作『ファイヤー』など、今は大御所になっている当時の若い少女漫画家に影響を与えた大作家でした。その水野英子先生にこの作品を依頼した『月刊明星』編集部の力の入れ様は、掲載号の表紙だけに留まらず、1回目の来日から帰国する際、同じ飛行機で編集者がカナダに渡り、独占取材したグラビア記事『ルネは童話の街で笑っていた』等、特集を組んだことでもわかります。掲載号の表紙にも『ルネ少年のすべて』とありますねsymbol1

 そして下は、ルネがデビュー当時住んでいた、ケベック・シティのサピニエール・ドリオン通りRue de la Sapinière Dorion Estです(2016年の画像)。パパが喘息で働けなくなり、オルレアン島の『白い家』から、アパートの地下室4部屋に移ったとされていますが、この通りのどのアパートだったのでしょう。


 『漫画履歴書』や『ルネ・シマール物語』にはこのことが書かれているのに、『Un Enfant Comme Les Autres~普通の子供~』では、パパは元気だし、アパートの部屋も地下室ではないようです。ケベック市の生活保護を受けるくらい困窮していたことも描かれていません。セミ・ドキュメンタリー映画ですから、事実とは少し異なる演出がされたのでしょう。もちろん、ルネの髪型はデビュー後のヘア・スタイルです。ファンとしては、映画を観ながらそんな違いを見つけるのも楽しいですね♪


https://youtu.be/THGwCbSX9c0(1時間26分16秒)
 
 また、『スーパー・アイドル ルネ』やルネ・ファンクラブ『メープル・メイツの会報等、他誌に掲載されたルネの生い立ちについても、カテゴリ『ルネ・シマール物語でお読みいただければ幸いです。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


        cat4三毛猫姐御だよりcat


 『三毛猫お嬢だより』が『三毛猫姐御だより』になってからしばらく経ちます。

 可憐な美少女猫も、2年経つと体格も性格もすっかりハクが出て、『姐御』というのがピッタリに…(笑)。 冬毛にかわってモフモフ感も増して、お気に入りの箱に顎を載せているとほっぺたが『ちょリス』のようです★

▲姐御(左 現在)とお嬢(右 2年前)
▲お気に入りの箱で爆睡中 ほっぺがちょリスなミイ(右上)


 亡きアスカにも教えた『頂戴のハイタッチ』。最初スムーズにできたと思ったら、さすが姐御です★ このところ「私は媚びないのよ」とでもいうように拒否することも…(笑)。でもそれはお腹が空いてない時らしく、甘えて「ごはん~~♡」と鳴いたり(飼い主の空耳?)、ちゅーるをねだって積極的にハイタッチしてきたりします(笑)。

 秋になって涼しくなっても夜遊びが止められないミイ姐御★ 先日はジネズミ(地上生活するモグラの仲間)とハツカネズミを持ち帰り、家の中で放してくれたため、捕まえるのに一苦労★ 冬に向けてコロコロに太った獲物を探して夜間徘徊するハンター・ミイに振り回される毎日★ 「食べないんだから捕まえてくるな~!!!」と言いたいシマ姉です(溜息)。でも、義父が縁側の掃き出し窓を開けてあげないようにしたら、夜間のパトロールは諦めて、私や息子の布団で寝るようになりました。

 最近はお気に入りに仏壇前のふわふわ座布団が加わり、2階の衣装棚の中の座布団袋の上が秘密基地。息子の膝は『にい(兄)のお膝はミイのおざぶ(座布団)』が復活で、息子の膝で爆睡。5㎏超えの甘えん坊ミイに乗られ、「お尻が痛い」、「足がしびれる」と言いながら、ミイ可愛さにひたすら耐える息子です(笑)。

 いつも話題の絶えないミイ姐御は、やっぱりシマ姉家のアイドルであり、セラピーキャットでありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーアイドル ルネ・シマール物語

2014年12月14日 | ルネ・シマール物語
 今回紹介いたしますのは、少女漫画雑誌「プリンセス」1975年2月号(新春特大号)に掲載された「アイドルスターシリーズ第1弾」「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」です。

 この頃、芸能雑誌や少女漫画雑誌に、人気のあるスターの経歴が漫画化され、定期的に掲載されていました。描いている作家の絵柄や実力、知名度も様々でした。

 ルネについては、ルネとアグネス・チャンが表紙を飾った芸能誌『月刊明星』1974年10月号に掲載された、水野英子先生の『ルネまんが履歴書がよく知られていると思います。ルネを初めとする実在の人物たちの特徴や、仏系カナダであるケベックの雰囲気がよく捉えられていました。
 この掲載号は、編集者が直接カナダまで取材に行ったグラビア記事や大型ポスター、ルネがカラーページで紹介された歌本も付いて、ルネ・ファンにとってのお宝満載号でした。現在でもインターネット・オークションで定期的に出品されています。「ルネまんが履歴書」は過去ログで紹介していますので、そちらでご覧ください。
※過去ログ「ルネまんが履歴書」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/167.html

 前置きが長くなりました。

 「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」が掲載された少女漫画雑誌『月刊プリンセス』は、秋田書店から1974年12月に創刊されたばかりでした。そのため、発刊当時、私はこの雑誌のことも、「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」のことも知りませんでした。インターネットを始めてからヤフオクでその存在を知ったのですが、少女漫画雑誌のためか、発行部数が少なかったためか、今まで4度程しか出品されていません。
 創刊当時、秋田書店は、他の出版社に対抗する少女漫画雑誌を作ろうと力を入れていたのでしょう。著名な漫画家や実力のある新人を起用していました。「アイドルスターシリーズ」も戦略の1つで、スターの知名度を利用して売り上げを伸ばすための一大企画だったのだと思います。ルネを第1弾として企画したのも、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞し、ルネ・ブームの真っ直中だったから。表紙と1ページ目がカラー、表紙を含めて29ページというのは、少女漫画雑誌としては、かなりの期待を込めてのことです。また、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-」が「ルネ・オン・メロディ」として公開されることも視野に入れていたのでしょう。

 「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」は、やましたかずみ原作、森村あすか先生による漫画です。前出の水野英子先生版と比べると、金髪碧眼にあこがれていた当時の日本の少女たちが好んで読んだ、外国を舞台にした「少女漫画」そのものです。カラー・ページのルネが金髪に描かれていたりします。さらに、登場人物やルネの家、生活の様子も、かなり少女漫画風にアレンジされています。29ページもあるため、縮小版にしてあります。読みにくいと思いますが、画像をクリックしてご覧ください。

※wikipedia「月刊プリンセス」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B9 

アイドルスター・シリーズ第1弾
symbol1世界中に幸福をおくる!!
         天使の歌声をもつルネの物語

 スーパーアイドル
     ルネ・シマール物語









 少女漫画風のルネはいかがでしたか?

 Amazon.co.とiPotでルネの全曲集GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが1曲でも購入できるようになりましたので、ルネの曲を楽しみながらご覧いただけたら幸いです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする