ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

カナダからやってきた13歳の天使 ルネ

2022年10月16日 | ルネ・シマール物語

 10月も既に半ば。残暑から一変12月のような寒い日も有り、秋の虫が鳴いて木の葉も色づき始め、やっと秋らしくなってきました。

 まだまだ先のことかもしれませんが、来年の今日はルネが監督するミュージカルLa famille Addams アダムス・ファミリー」の公開前夜です。ルネはこれからオーディションをして配役の発表などを控え、ますます忙しくなることでしょう。

 そしてルネは去る10月12日にでジャルダン・ドラモンドヴィユ芸術センターにおいて、Bernard Fortinベルナール・フォルタンが司会を務め、プリビレッジ会員限定で一般公開されたバラエティー番組「PLAN RAPPROCHE」に出演しました 「Tourne la page」を歌い、ユーモアたっぷりなルネをご覧くださいね(ルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」のメンバーNathalie Valliéresさん提供) Facebook

 

 

 そして今回は、ヤフオクでゲットした高一時代」1974年(昭和49年)9月号(8月上旬発売)掲載の記事紹介いたします。

 ルネ記事が掲載された「中一時代」、「中二時代」、「中三時代」はヤフオクで揃えましたが、「高一時代」でも取り上げられていたのですね。

 

カナダからやってきた13歳の天使 ルネ

▲右上:「ミドリ色の屋根」を熱唱するルネ 下:フランク・シナトラよりカップを受けるルネ

 第3回東京音楽祭で、世界各国から集まったなみいる強豪たちをおしのけて、グランプリに輝いた、カナダからやって来た”13歳の天使”ルネ・シマールくん。美しいボーイソプラノで、素直に歌う歌唱法、まさに天使の歌声といってもほめすぎではないだろう。音楽祭の受賞曲でもあり、日本でのデビュー曲でもある『ミドリ色の屋根』は、ヒットチャートの上位を独走中だ。東京での滞在20日ばかりで、すでに日本の新御三家と肩を並べるほどの人気を獲得してしまったねも少年。

 ルネ・シマール、1961年2月28日、カナダのケベック市に生まれたフランス系カナダ人である。

 お父さんが、木材労働場のコックをしているかたわら、教会のリーダーをつとめているという、音楽一家に生まれたルネは、7歳のとき、その聖歌隊員になった。

 そして、彼が8歳になったとき、お父さんが病気で倒れ働けなくなり、ルネの一家は貧しさゆえに、せまい安アパートに引っ越さねばならなくなった。そんな家庭の事情を幼いながらルネは理解することができた。ルネはその時からお母さんのために故郷の街に自分の家を建ててやろうと誓った。そこで、ルネ少年は、さっそく行動に移った。兄のルジと二人で、学校が終えたあと、近所のレストランや、バーにもぐり込んで、歌をうたっては、テーブルをまわって、帽子にお金を入れてもらった。そのときルネの歌は、お酒に酔いしれているおとなたちの耳にもすばらしい感動を与えた。しかし、もちろん、それぐらいでは、鳥かごぐらいの家賃さえもかせげなかったが、自分の芸をみがくことができた。

 そのルネが、プロとしてデビューできたのは、ケベックでの素人コンテストに優勝し、その上、テレビのタレント・スカウト番組に14回出場し再び優勝したのがきっかけだった。

 10歳のとき『鳥』をうたってデビューし、そのデビュー曲が大ヒットとなり、以後、カナダ、フランスで大活躍。3年間で、たくさんのシングル・ヒットと7枚のLPを発売させた。そして、レコードのほかに、映画やテレビでもその才能を発揮し、日本での”郷ひろみ”的存在として幅広い多くのファンをつかんだ。いつも『笑いつづけなさい、歌いつづけなさい』という言葉を胸にくり返しくり返し思い出しながら歌い続けた。

 そして、ついに念願だった、お母さんたちのために新しい家を故郷に買うことができた。

 13歳、とってもいたずらっ子で、甘えっ子で、ワンパク坊主でもある。人の食べている食べ物の中に、チョットよそみをしているうちに食塩をドバッといれちゃったり、おもちゃの昆虫で女の子を驚かせたりと、彼のまわりはいつも笑いとざわめきでいっぱい。

 現在、彼はカナダに帰っている。そして8月の20日すぎに、再び、日本のファンの前にやって来てくれる。すでに、その頃のテレビ・スケジュールはギッシリ。また、東京と大阪でのコンサートも予定されている。カナダ、フランスでもアイドルだけに、また一か月程しか日本にいないというけど、きっと美しいボーイ・ソプラノで、十分、わたしたちをたんのうさせてくれるだろう。

 ルネ・シマールのファン・クラブは、

 〒108 東京都港区芝浦3の20の4 株式会社TCJ内 メープル・メイツ

 

 Facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simardはお陰様でメンバーが600人を超えました(^^♪ 「毎日1記事投稿」の目標も達成継続中! 日本のファンが知らなかったカナダのルネ情報、ルネの画像や映像も寄せられ嬉しい限りです 次回はその中からいくつか紹介したいと思いますのでお楽しみに 

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『ルネ漫画履歴書』完全版

2018年11月18日 | ルネ・シマール物語
 ルネの来日があった1974年、『月刊明星昭和49年10月号』に掲載された『ルネまんが履歴書』は過去ログで1度紹介いたしました。しかし、その頃はまだ画像処理の方法をよく知らなかったため、1ページずつスキャンした画像を見開きにすることが出来ませんでした。今回は見開きにしましたので、改めてご覧ください。画像が小さくて見づらい場合は、画像をクリックして大きな画像でご覧いただくか、1ページずつアップされている過去ログでご確認いただくかしてください。

※過去ログ「ルネまんが履歴書」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/167.html

▲掲載誌『月刊明星昭和49年10月号』









 まんがと構成を手がけた水野英子先生は、代表作『ファイヤー』など、今は大御所になっている当時の若い少女漫画家に影響を与えた大作家でした。その水野英子先生にこの作品を依頼した『月刊明星』編集部の力の入れ様は、掲載号の表紙だけに留まらず、1回目の来日から帰国する際、同じ飛行機で編集者がカナダに渡り、独占取材したグラビア記事『ルネは童話の街で笑っていた』等、特集を組んだことでもわかります。掲載号の表紙にも『ルネ少年のすべて』とありますねsymbol1

 そして下は、ルネがデビュー当時住んでいた、ケベック・シティのサピニエール・ドリオン通りRue de la Sapinière Dorion Estです(2016年の画像)。パパが喘息で働けなくなり、オルレアン島の『白い家』から、アパートの地下室4部屋に移ったとされていますが、この通りのどのアパートだったのでしょう。


 『漫画履歴書』や『ルネ・シマール物語』にはこのことが書かれているのに、『Un Enfant Comme Les Autres~普通の子供~』では、パパは元気だし、アパートの部屋も地下室ではないようです。ケベック市の生活保護を受けるくらい困窮していたことも描かれていません。セミ・ドキュメンタリー映画ですから、事実とは少し異なる演出がされたのでしょう。もちろん、ルネの髪型はデビュー後のヘア・スタイルです。ファンとしては、映画を観ながらそんな違いを見つけるのも楽しいですね♪


https://youtu.be/THGwCbSX9c0(1時間26分16秒)
 
 また、『スーパー・アイドル ルネ』やルネ・ファンクラブ『メープル・メイツの会報等、他誌に掲載されたルネの生い立ちについても、カテゴリ『ルネ・シマール物語でお読みいただければ幸いです。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


        cat4三毛猫姐御だよりcat


 『三毛猫お嬢だより』が『三毛猫姐御だより』になってからしばらく経ちます。

 可憐な美少女猫も、2年経つと体格も性格もすっかりハクが出て、『姐御』というのがピッタリに…(笑)。 冬毛にかわってモフモフ感も増して、お気に入りの箱に顎を載せているとほっぺたが『ちょリス』のようです★

▲姐御(左 現在)とお嬢(右 2年前)
▲お気に入りの箱で爆睡中 ほっぺがちょリスなミイ(右上)


 亡きアスカにも教えた『頂戴のハイタッチ』。最初スムーズにできたと思ったら、さすが姐御です★ このところ「私は媚びないのよ」とでもいうように拒否することも…(笑)。でもそれはお腹が空いてない時らしく、甘えて「ごはん~~♡」と鳴いたり(飼い主の空耳?)、ちゅーるをねだって積極的にハイタッチしてきたりします(笑)。

 秋になって涼しくなっても夜遊びが止められないミイ姐御★ 先日はジネズミ(地上生活するモグラの仲間)とハツカネズミを持ち帰り、家の中で放してくれたため、捕まえるのに一苦労★ 冬に向けてコロコロに太った獲物を探して夜間徘徊するハンター・ミイに振り回される毎日★ 「食べないんだから捕まえてくるな~!!!」と言いたいシマ姉です(溜息)。でも、義父が縁側の掃き出し窓を開けてあげないようにしたら、夜間のパトロールは諦めて、私や息子の布団で寝るようになりました。

 最近はお気に入りに仏壇前のふわふわ座布団が加わり、2階の衣装棚の中の座布団袋の上が秘密基地。息子の膝は『にい(兄)のお膝はミイのおざぶ(座布団)』が復活で、息子の膝で爆睡。5㎏超えの甘えん坊ミイに乗られ、「お尻が痛い」、「足がしびれる」と言いながら、ミイ可愛さにひたすら耐える息子です(笑)。

 いつも話題の絶えないミイ姐御は、やっぱりシマ姉家のアイドルであり、セラピーキャットでありました。

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スーパーアイドル ルネ・シマール物語

2014年12月14日 | ルネ・シマール物語
 今回紹介いたしますのは、少女漫画雑誌「プリンセス」1975年2月号(新春特大号)に掲載された「アイドルスターシリーズ第1弾」「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」です。

 この頃、芸能雑誌や少女漫画雑誌に、人気のあるスターの経歴が漫画化され、定期的に掲載されていました。描いている作家の絵柄や実力、知名度も様々でした。

 ルネについては、ルネとアグネス・チャンが表紙を飾った芸能誌『月刊明星』1974年10月号に掲載された、水野英子先生の『ルネまんが履歴書がよく知られていると思います。ルネを初めとする実在の人物たちの特徴や、仏系カナダであるケベックの雰囲気がよく捉えられていました。
 この掲載号は、編集者が直接カナダまで取材に行ったグラビア記事や大型ポスター、ルネがカラーページで紹介された歌本も付いて、ルネ・ファンにとってのお宝満載号でした。現在でもインターネット・オークションで定期的に出品されています。「ルネまんが履歴書」は過去ログで紹介していますので、そちらでご覧ください。
※過去ログ「ルネまんが履歴書」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/167.html

 前置きが長くなりました。

 「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」が掲載された少女漫画雑誌『月刊プリンセス』は、秋田書店から1974年12月に創刊されたばかりでした。そのため、発刊当時、私はこの雑誌のことも、「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」のことも知りませんでした。インターネットを始めてからヤフオクでその存在を知ったのですが、少女漫画雑誌のためか、発行部数が少なかったためか、今まで4度程しか出品されていません。
 創刊当時、秋田書店は、他の出版社に対抗する少女漫画雑誌を作ろうと力を入れていたのでしょう。著名な漫画家や実力のある新人を起用していました。「アイドルスターシリーズ」も戦略の1つで、スターの知名度を利用して売り上げを伸ばすための一大企画だったのだと思います。ルネを第1弾として企画したのも、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞し、ルネ・ブームの真っ直中だったから。表紙と1ページ目がカラー、表紙を含めて29ページというのは、少女漫画雑誌としては、かなりの期待を込めてのことです。また、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-」が「ルネ・オン・メロディ」として公開されることも視野に入れていたのでしょう。

 「スーパーアイドル ルネ・シマール物語」は、やましたかずみ原作、森村あすか先生による漫画です。前出の水野英子先生版と比べると、金髪碧眼にあこがれていた当時の日本の少女たちが好んで読んだ、外国を舞台にした「少女漫画」そのものです。カラー・ページのルネが金髪に描かれていたりします。さらに、登場人物やルネの家、生活の様子も、かなり少女漫画風にアレンジされています。29ページもあるため、縮小版にしてあります。読みにくいと思いますが、画像をクリックしてご覧ください。

※wikipedia「月刊プリンセス」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B9 

アイドルスター・シリーズ第1弾
symbol1世界中に幸福をおくる!!
         天使の歌声をもつルネの物語

 スーパーアイドル
     ルネ・シマール物語









 少女漫画風のルネはいかがでしたか?

 Amazon.co.とiPotでルネの全曲集GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが1曲でも購入できるようになりましたので、ルネの曲を楽しみながらご覧いただけたら幸いです。
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カナダからきた歌う星の王子さま<後編>

2013年05月25日 | ルネ・シマール物語
 今日は私の誕生日。
そう、「永遠の14歳」は、ルネが来日した年の年齢!

さあ、シマ姉は何歳か、計算してみよう!(爆★)

 そして、誕生日メッセージをたくさんありがとうございましたsymbol1 これからも頑張ってルネ記事をアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

▲カナダの記事より これこそ歌う「王子様」ですねsymbol1


 今回紹介する記事のタイトルは、「カナダからきた歌う『星の王子さま』ルネ・シマール」!! ルネの日本デビュー前の売り出しには、ルネの天使の歌声や歌唱力よりも、容姿の可愛さや生い立ち、カナダのアイドルであることに注目したものが多かったようです。

 過去ログで何回か書いていますが、ルネについて書かれた記事に「マーク・レスターのような美少年でもなければ、西城秀樹のように男らしくもない」というフレーズがありました。でも、後に見たこれ以外の記事では「可愛い」や「美少年」という評価がほとんどでした。しかし、当時このフレーズが脳裏に焼き付いてしまった私は、前出の記事が一般的なルネの容姿に対する評価と勘違いし、私の美の基準は普通とは違うと思い込んでしまいました。特にマーク・レスターのことを、私は美少年と思ったことがなかったので、この記事のせいで、反発して彼のことを嫌いになってしまったくらいです。

 サン=テグジュペリの『星の王子さまの挿絵の王子は「美少年」というより「可愛い少年」ではありますが、少なくとも、この記事でのルネも、「愛らしくて純粋で、歌うことが大好きで、家族のためにバーで歌う健気な少年」ととらえられています。当時、外国人タレント・ブームの上、日本人が大好きな「逆境に負けない健気さ」は、ルネの圧倒的な歌唱力を見せつけられる前でも、魅力的に映ったかもしれません。後で紹介する女性向けの姉妹誌「女性セブン」では、この記事が「週刊セブンティーン」に掲載された後すぐに、ファン・クラブへの問い合わせがたくさん届いたとありますので、ルネは、容姿の可愛さだけでも、日本人の心をしっかりとらえてしまっていたのでしょう。


カナダからきた歌う
       『星の王子さま』

        ルネ・シマール


運命の出会い---教会

 そんなある日、教会で結婚式が挙げられ、ルネは聖歌隊のひとりとして、式に参列した。
 例によって、ルネがソロのパートを受け持ち、、礼拝堂は清純で敬虔な空気で満たされた。
 その式のあと、、ルネは、花婿に声をかけられた。
 「わたしはギー・クルティエという。いつかきっと君にあうと思う。」
 ギー・クルティエは、若いながら、タレントのスカウト・マネージャーとして独立したばかりだった。
 ギーは、早くルネの才能をみぬき、いつか彼をプロの歌手として育ててみたいと考えたのだった。
 「いつか君とあうとおもう」
 ギーの予感は意外とはやく実現した。結婚式から数ヵ月後、仕事で地方へでていたギーのもとへ、母から電話がかかった。母は興奮した口調で、こう語った。
 「いまね、テレビで天使が歌うのを聞いたのよ。そう、ほんとうに、あれこそ天使の声だわ。あなた、いますぐ、その天使と契約なさい。」
 「もしかして、その子は、ルネ・シマールっていわなかった!?」
 「そう……そうよ。でもおまえ、どうしてそれを知ってるの?」
 母のいぶかることばをそのままに受話器をおくと、ギーは、ケベック市に車を走らせた。
 ルネは、バーで歌ってお金をかせぐかたわら、テレビのスター登竜門番組に出演し、歌手としてデビューの機会をねらっていた。
 ギーの母が見たのは、その番組のひとつ。息子の手助けをしようと、いそいで知らせたのだった。
 母の知らせを受けて、ギーがかけつけたとき、ルネは10数人のエージェントにかこまれていた。
 が、ルネはギーの顔をみると、ニッコリ微笑んでいった。
 「ぼく、どうしたらいいの?」
 ルネはまだほんの少年だった。勝手がわからずとほうにくれていた。顔見知りのギーに、助けを求めたのだ。



ぼくは歌うのが大好き!

 いちばん初めに、才能をみとめてくれた、ということで、ルネはギーをマネージャーにえらんだ。
 ギーもまた、ルネの才能をだいじに育てようと考えた。ルネの持つ愛らしさ、清純さをだいじに、汚れない心を失わないように心がけた。なにしろ、ルネはそのころまだ10歳だった。
 こうして、ルネはデビューした。デビュー曲の『鳥』は、たちまちにヒットし、ケベックだけで10万枚売れた。
 つづいて発売した同じ題名のLPも、14万枚をこす売れゆきだった。
 ルネは、もうバーで歌う必要がなかった。テレビに出演し、ステージからステージへと、スケジュールがつまっている。
 1961年2月28日生まれ、13歳のルネは、いまではカナダ1のスターだ。
 ルネのいくところには、必ずティーンがあらわれ、
 「ルネ」
 と、黄色い声をはりあげる。ルネ・シマール--ティーンのそれはカナダのアイドルだ。
 ルネが、髪を波うたせて歌う、黒い目を細めて微笑むとき、女の子は熱狂する。
 あのせま苦しいアパート住まいは、もう過去のものとなった。だが、ルネは今もこういう。
 「ぼくは歌うことが大好きなんだ! パパ」
 カナダのケベック州チクーティミで、歌うために生まれてきたルネ・シマールは、まもなくカナダを代表する歌手として、日本にやってくる。
 第3回東京音楽祭で、ルネが歌うのは、さいとう大三作詞、村井邦彦作曲の『ミドリ色の屋根』だ。そのために日本語も勉強した。
 東京音楽祭に、これほど年のの若い歌手が出場するのは初めてだ。
 東京音楽祭は6月29日に準決勝、30日に決勝が行われる。そのあとルネは、『火曜歌謡ビッグマッチ』『歌え!ヤンヤン!!』『ギンザNOW』『ひるのプレゼント』などに出演する。
 カナダと同じように、ルネなチャーミングな声が、帝劇にひびき、テレビスタジオに流れ、おおくのティーンをひきつけるにちがいない。


▲ルネはステージで、兄ルジが作曲した『母さんは天使』をかならず歌う

特報
ルネのファン・クラブ誕生!
 ルネの来日(6月26日)にさきがけて、ファン・クラブが誕生しました。
 会員には、
①ルネのサイン入りブロマイド、およびバッジをプレゼント
②フィルム・コンサートにご招待。
③コンサートの優待割引きなど、たくさんのステキな特典があります。
 くわしいことは、
〒108東京都港区芝浦3-5-39 スタジオ・シティ内 ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」係あて、ハガキでおたずねください。
  


 今回紹介した後半部にも、実際とは異なるところがあります。まず、レジスは『ぼくのママは天使』の作詞者です。
 そして、今回の記事でも、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画『Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-』でも、ギーの結婚式で歌ったのは、テレビで歌ったのよりも前になっていますが、過去ログで書いたとおり、ギーの母が結婚式に参列していたら、テレビ出演以前にルネを知っているはずです。よく考えれば分かるはずですが、映画の演出でそうなったのでしょうか? 当時の新聞(または芸能雑誌)記事で報じられているので、ギーはルネを、母と自分の事務所のタレントからの連絡で知ってスカウトし、その後で自分の結婚式で歌わせたというのが事実のようです。

※過去ログ「ルネのデビュー裏話」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/574.html

 そして、ルネのファン・クラブの特典で、「フィルム・コンサートへの招待」や「コンサートの優待券割引」が明記されています。日本の「ルネ・プロジェクト」では、ファースト・コンサートやファースト・アルバム、市川崑監督による「RENE A TOKYO」等の計画が、この時すでに進んでいたということですね。本当に、ルネの来日40周年を前にして、39年前とカレンダーの並びが同じこの年に、いろいろなことが分かるのも何かの縁なのかもしれません。この流れで、ルネが日本と関わるイベントが持てたら最高に幸せですねsymbol1symbol1


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


ルネの「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」のアンコールプレスの出荷日が5月30日に決定しましたね! 早く手元に届くのを楽しみに待ちましょう♡

<報告>
 過去ログで募集していました、西城秀樹氏のアルバム・セットのもらい手が見つかりました。仏語版「傷だらけのローラ」の歌詞のためだけに入手し、ずっともらっていただけるファンの方を探していましたが、facebookの方で、ルネ・ファンであり、西城秀樹氏のファンでもある、希望していた以上の方に引き継ぐことができました♡

<猫のアスカ その後>
 とにかく元気です★ 昨夜は、息子に遊んで欲しくて、何度注意してもパソコンのキーボードに乗って息子の逆鱗に触れ、部屋を締め出された後は反省したらしく、義父母の部屋に身を寄せていました(笑)。大好きなおもちゃで大興奮し、エンドレスに遊ぶので、おもちゃを隠せば探し出して大暴れのやんちゃ猫になっています。

<グリーンカーテン その後>
 黒小玉スイカ「ブラック・ボンバー」が育っていないのでよく見たら、根切虫にやられた? ただ今、別の小玉メロンに植え替えて様子を見ています。昨年こぼれたアサガオの種がたくさん芽吹いて、間引きが必要そう★ 他は順調に生育していますが、まだまだ気が抜けません。

<職場のアマガエルと鉢植え その後>
 一昨日、窓辺がジャングル化しているため、犬走りにパッションフルーツ、オリヅルラン3鉢、シャコバサボテン2鉢、冬越ししたベゴニア6鉢、カランコエ2鉢を出しました。窓辺にはまだ、オリヅルラン1鉢、カランコエ1鉢、ベゴニア2鉢とミニトマトの鉢と、寄せ植えが2鉢残っています。寄せ植えのアマガエルはというと、私が出張している間、流しに現れ、2日後には机とゴミ箱の間にはまって寝ているのを強制送還★ またいなくなったと思ったら、鉢植えの穴に入っていたり、午前中いなかったのに、また同じ寄せ植えに舞い戻っていたり…と、私との「かくれんぼ」を楽しんでいるように思えてなりません。お隣の部署の鉢植えの植え替えで出てきた「ニシドッコ(根切虫のさなぎ)」をあげたら、硬くて食べられず、また放浪の旅に…。そのため寄せ植えをいつ外に出すか思案中です(溜息)。


 今日は主人が陸上大会やら育成会の会議やらでいないので、美容室に行っちゃおう♪ 誕生日のお祝いは、明日に延期のシマ姉家なのでした。 
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カナダからきた歌う星の王子さま<前編>

2013年05月19日 | ルネ・シマール物語
 カナダのケベックにおいて、スーパー・アイドルとしての地位を不動のものとしていたルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会出場のために来日したのは、1974年6月26日(水)でした。

 実はつい最近まで、私は、「ルネは、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にして大ブームを巻き起こしたから、日本で活動することになった」と思い込んでいました。何故なら、私がコレクションしているルネ記事のほとんどが、グランプリ受賞以降のものだったからです。しかし、ルネはこの大会に出場するためだけに来日したのではなく、ALFAレコードCBSソニーの綿密な計画によって仕掛けられた「ルネ・プロジェクト」の下に、日本でデビューするために来日していたのでした。ですから、東京音楽祭はあくまでも日本デビューのための足掛かりであって、日本のTV番組への出演も、来日前からすでにスケジュールに組み込まれていました。それについては、今回紹介する記事にも記載されています。

 ルネの日本デビューを前にして、音楽関係者対象の専門誌には「ミドリ色の屋根」の広告が1ページを使って大きく掲載されていました。そして、今年に入って入手した雑誌の切り抜きから、大会出場以前に、ルネを紹介している雑誌がたくさんあったことを知りました。それは紛れもなく、日本で売り出すための伏線であり、ルネのデビューに如何に力を入れていたかを証明するものでした。

 それでは、日本デビュー前にルネを紹介した記事の1つ、「週刊セブンティーン」に掲載された「カナダからきた 歌う『星の王子さま』 ルネ・シマール」を、2回に分けて紹介いたします。


ボクはパパと”ミドリ色の屋根”のうちに、住みたい!!
カナダからきた  
    歌う『星の王子さま

          ルネ・シマール
 東京・帝国劇場で開かれる東京音楽祭(6/29~30)に13歳の少年が参加する。カナダのティーンのアイドル、ルネ・シマール!! 美しいボーイ・ソプラノ、あどけない笑顔。そんな彼にかくされた、意外な物語を紹介しよう。

街から街へさまよう歌声

「ルネ、この店にもはいってみようか」
 ここはカナダの雪にとざされた街チクーティミ。
 ギターをかかえた兄ルジがこういい、ふたりは1軒のバーのドアを押した。
「おじさん、歌わしてよ」
 ルネはバーの支配人にいい、ルジのギターを伴奏に歌いはじめた。
 およそ場ちがいなルネのボーイ・ソプラノがたばこの煙のあいだをぬって流れた。一瞬、バーの客たちはとまどったが、やがてききほれ、ルネが歌い終わると、割れるような拍手がひびいた。
 だから、ルネが帽子を持って、テーブルのあいだを歩くと、それにいくつかの硬貨が投げこまれた。
「きょうはこれくらいでいいだろう。宿題だって残ってるしな」
 ルネがいい、ふたりは暗い夜道を急いだ。きょうだいが帰りついたのは、、壁がくずれ落ち、天井もしみだらけのボロアパートだ。
 しかも彼らの部屋は暗くじめじめした地下だった。だが、ルジとルネのきょうだいは、明るい微笑みを浮かべていった。
「パパ、ほらみてごらん、きょうはこんなにかせいじゃったよ」
 ベッドのなかのパパはかすかにうなずいていった。
「すまんな、おまえたちにまで苦労をかけて」
「いいんだよ。ぼくは歌うことが大好きなんだから」
 ルネはやさしく、パパにキスをするのだった。
 ルジとルネは7人きょうだいの5番めと6番め。下にはまだ、小さい妹がいる。だからパパが病気になっていらい生活は苦しい。
 ケベック市の生活保護を受けているのだけど、それだけでは足りないから、ルジとルネが、歌を歌ってかせいでいる。
 以前は、もっとましな家に住んでいた。
 せまいながらも庭がありママは花壇を作って、花を育てていた。
 パパも、材木工場のコックさんとして腕をふるい、日曜日には、聖歌隊のリーダーとして、教会にかよっていた。
 もちろん、ルジもルネも聖歌隊員だった。とくにルネは才能がみとめられて、よくソロのパートを受けもたされていた。
                    (以下、次回記事に続く)



 他の記事にも見られるのですが、間違った情報で書かれているところがいくつかあります。まず、「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-」でも描かれている、ケベックのバーで歌っていた頃は、シクーティミではなく、ケベック・シティのサビニエール・ドリオン通りに住んでいました。パパが喘息で働けなくなり、オルレアン島の白い家から、アパートの地下室4部屋に移っていました。また、ルネは7人兄弟の5番目で、兄レジスは4番目。ルネの下には弟ジャン=ロジェと妹ナタリーがいます。さらにこの記事では、パパはルネとレジスがバーで歌っていることを知っていますが、実際には両親に内緒で歌っており、ルネの天使の歌声がケベックで評判になって両親の耳にも入ったことになっています。
 他にも読み方の違いで、仏語では「チクーティミ」ではなく「シクーティミ」、「ルジ」は「レジス(レジ)」だったりしますが…。

 次回はこの記事の後半を紹介いたします。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 やっと週末を迎えることができてホッとしています。
 実は、先週12日の日曜日は、前夜から熱を出して寝込んでいました。月曜から一泊の出張が入っていたため、薬を飲んでひたすら休養に徹した「母の日」。出張は、半病人には少々きついプログラムもあったのですが、どうにか乗り切ることができました。しかし、のどの痛みと関節痛が改善されず、金曜日の出張が無事済んで一安心しています。

 
▲初「猫アスカ」画像(3度目の入院から退院 毛刈りされた手術痕にも毛が生えてきましたよ)

 そして昨日は、外せない仕事関係の「運動会」を午前中見に行き、その帰りに入院中の猫のアスカを迎えに行きました♡ ところが午後、息子をスイミングに送って行こうとしたら、今度は息子が微熱。現在息子の小学校ではインフルエンザが流行中で、6年生だけが創立記念遠足を13日に延期し、14日からは4年生の1クラスが学級閉鎖の上に、息子のクラスでも数人…それも、息子の座席の周りの子たちが発症していたため、大事を取って欠席させました。ところが、息子はスイミングを休んでおきながら、猫のアスカと遊んで大喜び。今はすっかり元気です。

 さて、今年のシマ姉家のグリーンカーテンですが、「うどんこつよし」という、病害虫に強い品種を2苗とミニトマト「あいこ」。黒小玉スイカはもと朝顔のプランターに植えました。朝顔は地面からもプランターからも、昨年こぼれた種から芽が出ています。それから、昨年のサヤインゲンの種も蒔いてみました。しっかり芽が出ていますが、今年は昨年まだ小さかった垣根が育っているので、日当たりの面がちょっと心配です。今年の夏の暑さはどうなのでしょう? どちらにしても、グリーンカーテンで涼と収穫を楽しみたいです♪

▲職場のアマガエル(正面顔はエサをもらったすぐ後 もう少し顔を上げている時は、もっと笑っているように見えました まだまだ太めちゃんです 笑)

 そして、職場のアマガエルはとうとう私の手から直接エサを食べるまでになりました。水曜日に、教室で捕まえたハエ(? アブやイエバエではない)を食べた後の正面顔が満面の笑みに見えましたが、翌日からまた旅に出ています(笑)。パッションフルーツの花が次々に咲き、プチトマトも程良く熟れ、パッションフルーツとオリヅルランが元気に伸びて窓辺がジャングル化してきているため、そろそろ外の犬走りに移動しようと考え中です。

▲左:職場のパッションフルーツの花(トケイソウの一種)
 右:シマ姉家のご近所のポピー畑 今年は咲き始めに撮れたので綺麗♡


 昨年いただいた庭の「ブルーベリー」や、さらに尾ヒレが立派になった熱帯魚のベタ「チッチ」、職場の水槽で増え続けるミナミヌマエビ軍団など、これからまだまだ楽しみがいっぱいです。ルネ友の皆さまにも、ルネ記事と一緒に楽しんでいただければ幸いです。

コメント (2)
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