ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネのデビュー50周年記念誌⑲

2022年01月29日 | ルネの活動記録

 月日が過ぎるのは早いもので、ルネの61歳の誕生日まで1か月を切りましたsymbol1

 オミクロン株の感染拡大や自然災害、きな臭い世界情勢などばかりで、そろそろ明るいニュースが欲しい今日この頃。前回紹介いたしました、eBay出品のデビュー50周年記念誌は、その日の内にルネ友さんが落札clap やったねっsymbol1


 さらに続けてルネのデビュー25周年記念誌eBayに出品されています!(上画像参照)
 現在19.99カナダドル(1,810円)、即決価格は25.99カナダドル(2,353円)です。送料は11.50カナダドル(1,041円)。その日の為替レートで日本円の購入金額は変動します。購入締め切りは木曜日までですので、購入希望の方はお早めに!!!
https://www.ebay.com/itm/185270940179?hash=item2b23023213:g:zSAAAOSwAWxh8XBN


 そして同日、私はヤフオクでルネ記事掲載本を2冊落札いたしました! それらは、出品されるのを長い間諦めずに待ち続けていた雑誌でしたので、私にとっては小さな幸せsymbol1 (ルネ記事の紹介は改めて致します)。

 オークションの入札合戦は何度も経験していましたが、ライバルは西城秀樹、山口百恵、桜田淳子等のファンの方がほとんど。しかし今回は、ガチなルネ・シマール・ファンの方のようでした(当ブログのゲストさん又はルネ友さんでしたらごめんなさい!)。 そのため「決戦は日曜日」・・・と気合を入れ、今までの経験から学んだ攻略法でオークションに臨みました。

 もしこの記事を読んでお心当たりの有る方、差し支え無ければ、この記事のコメント欄、もしくは拍手コメントでご連絡ください! ルネ・ファンはみな友だち!! 是非お友だちになってください!!! ルネ友の輪が広がることを願っています!


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の19回目です。

 今回からルネの息子オリヴィエと娘ロザリーについての内容を3回に分けて紹介いたします。

 ルネ友の皆さんもご存じのとおり、彼らは先天性の聴覚障碍を持って生まれました。それは、両親であるルネとマリー=ジョゼの両方が、5、6世代に渡り難聴の劣性(潜性)遺伝子を受け継いでいたからでした。ルネの両親と兄弟姉妹に難聴者はいませんし、マリー=ジョゼの家族も同様ですが、2人の子供たちである、息子オリヴィエと娘ロザリーには先天的な聴覚障碍が現れてしまったのでした。それは昨年4月に生まれた孫娘クロエにも受け継がれていました。幸いにも、3人とも人工内耳のインプラント手術を受けたことによって、音を聞き取ることが出来るようになっています。

 以前書いた記事で、「聴覚障碍」と「人工内耳」等について詳しく説明しておりますので、合わせてお読みいただければ幸いです。

※過去ログ「ルネの子どもたち」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/421.html
※過去ログ「ルネの子どもたち②」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/428.html


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Des enfants différents,
   mais choyés par la vie
vol.1

異っているけれど人生から大切にされている子供たち

 歌手の結婚の数日前に、ジャーナリストは彼に子供が欲しいかどうか尋ねました。 すぐに、彼はこう答えます。
 「はい、マリー・ジョゼと話をしなくても、思ったより早くかもしれません(笑)


左:メディアで過度に露出されることなく、ロザリーとオリヴィエは一般に知られています。
 右:2014年、家族はTVAで放送された番組Partir autrement の一環としてモロッコに旅行しました。


※Passion René Nathalie et Régis Simard
René et sa famille à l'émission "Partir autrement" à TV5 le 22 janvier 2016.

Part.1https://www.facebook.com/passionsimard/videos/10153837967674876
Part.2https://www.facebook.com/passionsimard/videos/10153837971979876



 ルネには確かに目標がありました…父親になることです。 そして彼はそれを素早く達成しました! 結婚式からほぼ2年後の今日まで、夫婦の最初の子供は1989年7月8日に生まれました。彼の名はオリヴィエです。

Une nouvelle-choc 新しいショック

 子どもは健康状態が良いようでしたが、何かがおかしかったのです。 マリー=ジョゼは、息子が泣いたときに彼女の声だけでは息子を安心させることができないことに気づいたと打ち明けました。

 オリヴィエは両親に会ったときだけ落ち着きました。 マリー=ジョゼが彼女の赤ちゃんが単に静かで穏やかであることを望んでいたとしても、夫婦はサント=ジャスティーヌ病院の専門医に相談することにしました。

 医師が11ヶ月の子供が重度の難聴に苦しんでいることを彼らに確認したときのショックは大きかった。<それは喪に服した>とルネは打ち明けました。 マリーは数日間悲しみに暮れましたが、歌手はすぐに回復しました。彼は振り返る男ではありません。1991年の夏の7月14日、2番目の子供がトリオに加わりました:ロザリー。

 残念ながら、彼女も耳が聞こえませんでした。夫婦にとってもう一つのショックでした。新婚夫婦は、子供たちが決して自立することはないと確信していました。しかし、ルネはそれがすべてであるにもかかわらず前向きなままでした。彼らは、医者を訪ねた後、彼がこの不公平について悲鳴を上げて泣きたいと思ったとき、それが解決策ではないことに気付くまで、車の中にいたことを覚えています。 
マリーと私は、振り返ってオリビエとロザリーが車の座席にいるのを見ました。彼らは幸せそうに見えました。彼女は私に言いました:あなたは何を知っているの? 彼らは満足しているわ。私たちがしなければならないことは、彼らが存在し続けるのを確認することだけよ。
 振り返ってみると、司会者は、ロザリーも難聴であると知ったことで、ある意味安堵したことを認めています。 それが遺伝的であることがわかったときです。
ルネと私はどちらも難聴の劣性遺伝子を持っており、5、6世代にわたって受け継いでいます。そして、これらの2つの遺伝子が出会うことで、耳が聞こえない子供を持つことになったのです。


Ils se font operer en bas age.
彼らは幼い頃に手術を受けました。


▲▼聾学校の幼稚部でのオリヴィエとロザリー(デビュー25周年記念誌より)

 

左:ナタリーの娘エーヴと 右:レジスとその子供たちと一緒に(デビュー25周年記念誌より)

Le retour du balancier 振り子の戻り

 両親は自分自身を気の毒に思うのではなく、難聴を治療するための新しい技術があるかどうかを確認するために奔走しました。 忍耐と愛情を込めて、彼らは2人の若者を複数の治療と世話で導きました。 オリヴィエとロザリーは幼い頃に人工内耳を装着するための手術を受け、それにより彼らは聞くことができます。 それ以来、彼らの聴覚は完璧ではありませんが、彼らは声でコミュニケーションをとることができます。
彼らは完全な聴覚障碍者ではありませんが、通常の聴覚のニュアンスを持っていません。 息子が初めて聞いたとき、私は息子に会っていました。 彼が最初に聞いた音は鳥のさえずりでした。
 そのことをテレビの司会者は思い出しました。 人生から大切にされていると感じたルネとマリー=ジョゼは、恩返しをすることを決心し、la Fondation Sourdineスールディーヌ財団に参加しました。


<iframe style="width: 100%; height: 100%; position: absolute; left: 0px; top: 0px; overflow: hidden;" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/xbvbqj?autoplay=1" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>



▲la Fondation Sourdineのルネとマリー=ジョゼ

▲▼ルネ一家の成長の記録


 コミュニケーションを通した言語習得と自立のために、ふたりの子供たちが人工内耳の手術を受けたのは、息子オリヴィエが5歳、娘ロザリーが4歳の時でした。この時、ルネとマリー=ジョゼは、子どもたちのリハビリのために、それぞれに交替で3か月付き添ったのでした。

 オリヴィエの娘クロエちゃんは、昨年のクリスマスに間に合うように左耳に人工内耳を埋め込む手術を行いました。現在は新しい家に移るまでの間、ルネとマリー=ジョゼの家に同居しています。オリヴィエ自身の経験と、ルネとマリー=ジョゼが取り組んできた療育の知識と経験が、これからのクロエちゃんの成長を支えていくことでしょうsymbol1 

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ルネのデビュー50周年記念誌⑱

2022年01月23日 | ルネの活動記録

 寒中お見舞い申し上げます。

 毎日寒い日が続きますが、ルネ友のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。
 


 シマ姉家のcat3ミイ姐御も、ここずっと暖かい日向やキャットタワーの最上階(写真左)でお昼寝し、夜は毛布でグルグル巻きにされて(写真右)ヌクヌク寝ています。夜はお家トイレで済ますようになって助かっています。夜中水飲み等で起き出した後は「お布団に入れて~symbol1」だし、パソコンをしていると横座りしている足の隙間にムリムリッと入ってきます。最初はお互い温かくて良いのですが、こちらは足が痺れるわ、体勢は崩せないわで辛いです★ 本猫は自由に寝返り打つくせに、移動させようとすると「シャーッnikukiu」と威嚇★ 実はこの文章を書いている時もそうでした(苦笑)。

 安眠出来ないし、ルネのデビュー50周年記念誌の翻訳分が底尽きているため、寝不足の日々が続いています。しかし、オミクロン株の感染急拡大でオフ会を延期したため、取りあえずいつものパワースポットに一人で初詣して引いたおみくじ(末吉)で、生活のリズムを整えるようにと出てしまったシマ姉です(爆)。


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 ルネのデビュー50周年記念誌紹介も今回で18回目、いよいよ後半戦です。

 今回はルネの妻マリー=ジョゼ・テユフェについての内容で、ほとんどルネは出てきませんが、ルネとマリー=ジョゼの仲睦まじい画像も紹介いたしますのでご覧くださいねsymbol1

TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Une belle fistoire d'amour vol.2
  美しいラブストーリー


Marie-Josee l’a transforme
  マリー-ジョゼは彼を変えました


 揺るぎない共犯、無限の優しさ、相互の尊敬、そして何よりも、絶え間なく成長し続ける愛。これが、ルネ・シマールとマリー=ジョゼ・テユフェを結びつけるものです。 私たちは、ルネがマリー=ジョゼに対して感じるすべての愛を感じます。 その上、彼は彼女に良い言葉しか持っていません。
 ある日、彼はSRCセットで次のように述べています。
 「彼女は素晴らしい女性であるだけでなく、素晴らしい母親でもあります。
 彼女の方では、彼の優しさを次のように表現しています。
 「私たちがカップルとして経験することはすべて、ある時点でとてもしっかりしています。 それは強さ、結合、理解、共犯です...それが私たちを成長させ、私たちはもはや子供の純粋な外見を持つことはありません...ある時点で、そこにある明晰さ、物事を受け止める明晰さがあるのです!




Marie-Josee:  une carriere
  qui commenence avec le jeu

マリー=ジョゼ:遊びから始まったキャリア


 私が95歳になっても、人々はまだ私のフレーズを言うように求めることでしょう。
 2010年にCanal Dによって彼女に捧げられた伝記プログラムにおいて、オープニングをこのジョークで開始したのは、感激しやすいマリー=ジョゼでした。
 この有名なフレーズ「popーsac-a-vie-sau-sec-fi-co-pin」は、もちろん1969年にMouvement Desjardinの広告で、青い目の少女によって拍子を付けて言われたものでした。50歳以上のすべての人がこの有名な決まり文句を覚えているのだとしたら、多くの人々は、当時4歳だった少女による偶然だったことには気づかず、自分が金融機関の標準的な担い手であったことを思い出します。



 プログラムLe Music-Hall des jeunes のプロデューサーであった彼女の父親は、日曜日に定期的にテレビスタジオへ娘と2人の息子を連れて行きました。このようにして、プロダクションのメンバーは女の子の可愛らしい顔に気づき、さまざまなテレビのバラエティ番組、特に jeunesse d’aujourd’hui(今日の若者)に彼女を出演させました。 BCPの社長であるジャック・ブシャールが、新しいCaisses Populaires広告キャンペーンのヘッドライナーとなる子供を探し始めると、彼はla petite Taillefer(テユフェ家の女の子)のカリスマ性と自発性に魅了されました。

jeunesse d’aujourd’hui出演中のマリー=ジョゼ

 したがって、これがケベックでの広告の最初の子役スターとなり、それ以降、ブロンドがかった髪の肖像が付いた多数の製品が市場に出回りました。マリー=ジョゼのたまらない笑顔が、間もなくケースの頭、ポスター、高速道路沿いの看板、さらには…学校の本をカバーする紙にまで表示され、学校のクラスメートを大いに笑わせました!

 マリー=ジョゼはさまざまな広告に出くわしますが、周りの人たちは常に、彼女が自分の「仕事」を遊びとして見られるように気を配っていました。この意味で、彼女はオーディションを受けることはなく、スタジオに入ると、彼女が撮影に参加していることを知るだけでした。時間が経つにつれて、これらはより遠くになり、その子供はこの遊戯が気付かぬうちに、彼女の人生から消えていくのを見ました。

 1971年にトークショーで彼女を迎え、みんなに認められて生きているかと尋ねたLise Payetteリズ・パイエットに、いたずら好きなしたたか者は長い間躊躇した後、「それは好きじゃない!」と答えました。

 10代の頃、マリー=ジョゼは、les Galeries d’Anjouギャラリー・ダンジューの広告に参加したときに、カメラの呼びかけを再び感じました。


L'animatrice participé à de nombreuses émissions de télé.司会者は多くのテレビ番組に参加しました。

左:きれいな金髪はコミュニケーションにも情熱を注いでいます
 右:マリー=ジョゼは、母親のクローデットと一緒に数年間料理番組を主催しました


Une artiste aux multiples facettes
  多面的なアーティスト


 彼女自身がよく言うように、彼女のキャリアにおける最大の変化は、2000年代初頭に、ルネの妻がそれを実行した陰険なショーを伴うGrand blondの枠組の中でした。トークショーの指揮をとるマリー=ジョゼが、マルク・ラブレシュの愚行まで簡単に対処できる、完全にクレイジーで、面白くて、驚くべき自虐の能力を持っていることを、大衆は発見しました。この美しい冒険は3年間続き、金髪のコミュニケーターによると、「[彼女の]人生で最もストレスが多いがやりがいのある出来事 」でした。

 この新しい任務は、10年間の「Bon appetit!」の司会に続くものでした。彼女の母親であるクローデットと一緒に、視聴者がこのとても自発的な母娘の協力態勢に深く愛着するようになった年。 2人の女性が、彼女らの関係を損なうことを恐れて、最初は一緒に働くことに消極的だったため、TVAネットワークが彼女らに合わせたこのプロジェクトを提供したとき、彼女らは受け入れました。そして、彼女らは即座に成功を経験したので、彼女らの決定は報われました。2人の女性を結びつける美しい協力態勢が画面に繰り広げられ、素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。彼女らは私生活の中でお互いに打ち明けることは避け、TVの画面上でお互いに話し合うだけで、実際に視聴者を日常生活に引き込むことができました。


 マリー・ジョゼはまた、2006年に「Cuisine fraicheur(作りたての料理)」という本を出版し、L'Epicerie誌の指揮を5年間務めた後(彼女は2006年にやめました)、彼女の職業生活から離れることを決意しました。その後、2013年にマルク・エルヴューの会社でCap sur l'étéを主催しました。


※Cap sur l'été
https://www.facebook.com/Cap-sur-l%C3%A9t%C3%A9-252615008207080/

左:芸術集団で最も美しいカップルの1組です!
 右:彼らは永続的なカップルのモデルです。 彼らの秘密? コミュニケーション


▲食べるのも料理するのも大好きなルネとマリー

▲▼ケベックの可愛いカップル、ルネとマリー=ジョゼ



 次回からは3回に分けて、ルネの子どもたち、息子オリヴィエと娘ロザリーについての内容になります。

 もしもこの本を購入希望の方がいらっしゃいましたら、今がチャンスです!! 昨日からeBayに出品されていますので、下のリンクからお買い求めください!(sold-outしていたらごめんなさい)

https://www.ebay.com/itm/144378935288?hash=item219da7b7f8:g:Dy4AAOSws4Rh6XMr

 現在14.99カナダドル(1,372円)、即決価格は19.99カナダドル(1,829円)です。送料は11.50カナダドル(1,052円)。その日の為替レートで日本円の購入金額は変動します。私の翻訳を待っていられない方、コレクションとして購入したい方はお早めに!!!

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ルネのデビュー50周年記念誌⑰

2022年01月16日 | ルネの活動記録

 今日は藪入り。来週20日は大寒です。

 真冬の寒さと雪、そしてオミクロン株の急拡大が毎日のようにニュースで報じられています。その他にも感冒性胃腸炎なども流行しており、うっかり風邪を引いて熱も出せません。ルネ友のみなさまもお体ご自愛なさってくださいね。

 昨年2021年は、ルネのデビュー50周年記念の特集番組が組まれたり、多くのTV番組にルネが招待されて、web記事もたくさん出ました。お陰様でブログ記事が大変充実しました。しかし、完成している記事に最新情報を書き加えていたため、予約投稿が先週の記事で底尽きました★ もちろん下書き(タイトルと画像のみ)は4月まで進めてあるのですが、デビュー50周年記念誌の翻訳を急ピッチで進めなければならない事態に陥っています(泣)。

 現在翻訳している記念誌がやっと折り返しに入ったところなのに、「Condor」のセットの記念誌が手元に・・・。25周年記念誌の前に、こちらの翻訳をするよう予定変更をいたしました。嬉しい悲鳴symbol1 でもこのままでは、元気な内に訳しきれるのか心配★ 「100歳まで生きたい」ルネのファンとして、健康寿命を延ばすための体力づくりを考える、気持ちだけは「永遠の14歳」のシマ姉なのでした(苦笑。)


 そして、ルネが出演した「Galas ComediHa! 2021」はブログでご覧いただくことが出来ませんでしたが、facebookでその中の一部分「Place à l'opéra」が公開されたので紹介いたしますsymbol1
 ルネが女性と男性のコスチュームを半身ずつに着て歌っていますsymbol1 オペラ『リゴレット』の第3幕でマントヴァ公爵が歌う『女心の歌』をソロで、オペラ『椿姫』第1幕より『乾杯の歌』をマルク・エルヴューとのデュオで、ビゼーの『カルメン組曲(Carmen Suite)』より『ハバネラ(恋は野の鳥)』と、『カルミナ・ブラーナ』の『おお、運命の女神よ』をナタリー・ショケット、スタッフと観客に扮していた出演者と一諸に、笑いを取りながらも男性と女性の音域でオペラのアリアを歌うルネは圧巻です!!
 しかし、最初ブログに埋め込みが出来ていたのですが、途中で拒否されてしまいましたので、下のリンクでご覧ください。削除されてしまうことも予想されますので、お早目にご覧くださいね!

※Galas ComediHa! 2021 | Place à l'opéra
https://www.facebook.com/comediha/videos/1149049725902276


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 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の17回目です。

 今回から2回、妻マリー=ジョゼとの出会いから恋人時代、そして結婚式とその後の結婚生活、マリー=ジョゼ・テユフェの紹介の内容になります。

TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Une belle histoire d'amour vol.1
  美しいラブストーリー



 1987年8月6日、2人のスターがサン・ソヴールで運命を1つにしたとき、ケベックはほぼ王室の結婚式を挙げました。 式典は壮大で、芸術界のプリンスのカップルにすべての目が向けられていました。 しかし、この美しいラブストーリーはどこから始まったのでしょうか?


Marie-Josee Taillefer, la fame de sa vie
マリー・ジョゼ・テユフェ、彼の生涯の女性


▲彼らの結婚は1987年に行われました

Ils ne se couchant jamais sans un baiser
彼らはキスなしで寝ることはありません


 TVAの放送「Sacré Saléサクレ・サレ」とのインタビューの中で、ルネは、なぜ彼の結婚がとても堅実なのかを説明しました。 「一方、私たちはお互いにキスをせずに寝ることはありません。 これは、愛を長持ちさせる方法の1つです。 恨みが働かない。

▲2人の芸術家の絆は明白です

▲マリー=ジョゼの顔は、彼女が「Caisses Desjardins」を宣伝していることでよく知られていました
 マリー・ジョゼは、ルネのように穏やかな気質を持っています


 「Caisses populaires Desjardins」の広告で4歳のときに発見されたMarie-Josée Tailleferマリー=ジョゼ・テユフェは、彼女の意に反してスターでした。 彼女の可愛らしい顔、新鮮さ、そして素朴な彼女はみんなを魅了しました。 当時6歳だったルネでさえ、彼女にとても魅了されていました。

Une ancecdote savoureuse 面白い逸話

 3年後、ルネは彼のキャリアを始めました。芸術雑誌の写真家が彼の写真を撮るために彼の教室に来て、ルネに自分の都合のいいように、何かを黒板に書くよう頼みました。
私は彼が思いだす何を書くべきかわかりませんでした、そして私は黒板の上にあったマリー=ジョゼのポスターを見ました。彼女が何年も前にCaissesの広告をしたので、私も彼女の写真で私の本をカバーしてもらいました。そしてそこで、私は彼女が好きだったので、そのように『私はマリー=ジョゼが大好きです。』と黒板に書きました。私はスープの中に彼女を見ました。 (Je le vois dans ma soupe)」
 マリー=ジョゼについてのこの魅力は何度も何度も続き、日本で彼女に会ったことがなくても、彼女がいつか彼の人生の女性になるかもしれないとジャーナリストに話しました。2人の芸術家がお互いを発見したのは思春期でした。彼が最初の車に乗るために彼女を連れて行くことを申し出たとき、彼らの関係はより真剣になりました。彼は17歳、彼女は15歳でした。彼らは2年後の1980年にイタリアン・レストランで夕食をとることを夢見ていました。


Une rupture difficile 難しい休憩

 その後、恋人たちはますますお互いに会いました。 そこで彼らは一緒に引っ越すことにしました。 彼らは7年間一緒に暮らしていましたが、結婚することはありませんでした。 さらに、物語は彼らの良い理解を壊しました。 ルネは彼のパートナーが結婚したいと思っていると感じました...そして彼はパニックになりました。 彼は、選択が速すぎることに気づきました。 彼はそれを考えるために休憩を求めました。 離れていた期間は5ヶ月続きました。

Ils se laissent pendant cinq mois.
彼らは5ヶ月間お互いを離れます。


 若い女性はこの驚くべき要求に同意しませんでした。 彼女は衝撃が来るのを見ませんでした。 マリー=ジョゼはもっとはっきりと見えるように、自分自身を説明したいと思っていましたが、ルネの決定はなされていました。 歌手は振り返るタイプではなかったと言わなければなりません。 すべてを除けば、彼は恋人から遠く離れて幸せを感じていませんでした。 彼は彼女のことを心配し、母親と密かに連絡を取り、彼女のニュースを入手していました。 彼らは両方ともお互いを恋しく思い、荒れていました。 ある日、ルネは兄のレジスとその妻のリリーと再会しました。彼女はマリー=ジョゼの親友で、その夜マリーは彼女の家に行くことになっていました。 リリーはルネに彼女と一緒に来るように申し出ました。 ルネとマリー=ジョゼが再び会うと、すぐにきらめきが蘇りました。

▲結婚式の数ヶ月前、ルネは約束することを恐れていました...

Un marriage qui efface tout 全てをぬぐい消す結婚

 数週間後、彼らは結婚を発表しました。 結婚式は壮大でした。 その日、ローレンシャンにある小さな町サン・ソヴールは明るい太陽を浴びていました。 マリーは父親と一緒に車に到着し、腕を組んで祭壇に向かって歩きました。 ルネは26歳、彼女は24歳でした。群衆は予想以上に多かったのですが(自治体はセキュリティ・サービスを組織する必要さえありました)、すべてが喜びと落ち着きの中で行われました。 ヘリコプターが教会を一周し、人々が写真を撮り、新婚夫婦が輝く笑顔を見せました。 ピエール=エリオット・トルドーでさえ式典に出席しました。 Radio-CanadaのTelejournalで、サン・ソヴールに集まる6,000人の群衆について話しました。 TVAニュースでは、この結婚はチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚と比較されました。 式典中にビデオが撮影され、数千部が販売されました。

Une video est tournee pendant la ceremonie et est vendue a des milliers d’exemplaires.
セレモニー中にビデオが撮影され、何千ものコピーで販売されています。




▲▼1987年のサン・ソヴール教会の結婚式の記念誌(左上)とその様子


 2012年8月8日、夫婦は結婚25周年を迎えました。 ルネはその日、ミュージカル「雨に唄えば」のコズモ・ブラウン役として舞台に立っていたため、彼とマリーは彼らの結婚記念日について何の計画も立てていませんでした。 しかし、機会があればすぐに結婚の場所で出会い、良い思い出を思い出す機会がありました。
昔は綺麗でしたが、若かったです。 年をとるにつれて、1つのことが確実になります。それは、私たちがもはや必要としないものを知っているということです。 それはすでにたくさんあります。」とルネは言いました。 しかし、彼は彼の結婚について1つのことを嘆いていました。
私は1つのことを理解しました。私たちの家には写真家がいなかったということです。 私には家族と一緒にいることが出来る場所が必要です。



 ルネが妻マリーと結婚する前に7年間も一緒に暮らしていたことや、結婚に踏み切ることを決断するために5か月離れたことなどが意外でした。また、ここでは過去に恋人と報道された女の子や女性のことは書かれていません。まあ、当たり前ですね。

※過去ログ「ルネの恋人たち」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/430.html

 次回は妻マリー=ジョゼについて詳しく書かれた、「Une belle fistoire d'amour美しいラブストーリー」のPart.2になります。

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ルネのデビュー50周年記念誌⑯

2022年01月08日 | ルネの活動記録

 2022年、令和4年が始まってすでに8日

 今年はお元日の早朝からパソコンに文字が打てないトラブルが発生し慌てましたが、自力で解消したこともあり、初夢(元日から2日にかけて見た夢)はルネとブログの夢でした(笑)。そして、facebookにアクセスしてみたら、Messengerでルネに送った新年のメッセージに既読マークが付いていましたsymbol1 公式ページのビジター投稿のメッセージも見てくれていると思います♪ そしてルネの娘ロザリーへのコメントにもトップファン・バッジ! そしてカナダからの私にご褒美(実はCondor)も届きましたflag11 今年は春から縁起がいいわい~symbol1

 そしてルネは、12月31日の午後10時に、家族に極秘で大晦日の年末スペシャルに登場し、彼のパフォーマンスをライブ配信しましたsymbol4 素敵なサプライズ!! その華やかな2021年版のTourne la pageをご覧ください♪ また、ルネの孫娘クロエちゃんは、左耳の人工内耳の大手術のお陰で、クリスマスには愛する家族の声を初めて聴くことが出来たそうですsymbol1


※”Un secret bien gardé pour René Simard!”参照
https://www.noovomoi.ca/en-vedette/secret-bien-garde-rene-simard.html?fbclid=IwAR2V9Vju6vf4o-47FFmifk9sDWm2sOr9DwO5vhzd0BvfyvcHc6KRYU2M3Cw

 しかし、コロナ渦とクリスマスとお正月の付けは、正月明けからなんて言っていたので、そろそろ重くなった腰(笑)を上げてダイエット・・・なシマ姉です。

 そんな私に新年早々嬉しい記事がありましたsymbol1

Dans la cuisine avec René Simard: 50 ans de carrière, un souffle, un vol d’oiseau dans l’univers


https://www.journaldemontreal.com/2021/12/30/dans-la-cuisine-avec-rene-simard-50-ans-de-carriere-un-souffle-un-vol-doiseau-dans-lunivers?fbclid=IwAR0qvXtAGT445Hn3XK4XZeymmUETH1bAIoPVEkTBH-aFdMEUNB9k2rDY-6I

 「ルネ・シマールと一緒にキッチンで」というタイトル通り、ルネの食に対するアンケート記事です。

 ルネが食事を楽しみながらも、健康に気を付けていることは、以前読んだ記事で知っていました。この記事の中でルネは次のように語っています。
実を言うと、過去2年間で、私はライフスタイルと食生活を変えてきました。体重が減り、体調が良く、元気が出たので、おやつにもっと注意を払います。 (笑)

▲前出の記事に掲載されている減量前のルネと妻マリー

 また、日本のファンにとって嬉しいことも書かれていました。
私は何度も行ったことがあり、この人々と彼らの文化を愛しているので、私の日本の料理の経験について何時間もあなたと話すことができます。

 ルネは料理本も出版している妻マリーを手伝って料理をするそうですが、BBQは全てルネが仕切っているくらい大好きで、「もし私がバーベキューをしていなかったら、私はとても不幸な男になるでしょう。」、「私はおもちゃ屋の子供のように、バーベキューを楽しんでいます。」とまで言っているくらいです。

 ルネの好きなものについても、いろいろアンケートに答えています。ルネが好きな食べ物、好きな料理、好きなレストラン・・・。特にルネがよく行くお勧めのレストランは、カナダに行ったら是非行ってみたいですね!

 ちなみに、ルネはコーヒー党で朝は必ずコーヒーを飲みます。「自動エスプレッソマシン『Juraジュラ』を自分で購入しましたが、これ無しでは生きていけない物の1つです。良いエスプレッソ、カプチーノ、ラテは、その日によって素晴らしい贈り物になります。」とも言っています。

 ルネは何でも好き嫌いなく食べるようです。個人的に嬉しかったのはキャラメルよりもチョコレートが好きで、カカオ70%以上のチョコを食べているということ。私は明治の「チョコレート効果」のチョコ習慣4年目です♪

 また、ちょっと意外だったのはタコ料理が大好きだということ。もちろんBBQでも焼いています。好きになったのは大人になってからとのことです。日本にいらしたら、お高い料理よりもB級グルメのタコ焼きを賞味していただきたいと思っています(気に入ったらタコ焼き機を買うかしら? 笑)。
 好きな料理は地中海料理、イタリア料理、フランス料理、日本料理、タイ料理、ギリシャ料理、ケベック料理。前出のとおり、日本料理がを好きと言ってくれていて嬉しいですねsymbol1

 ワインなら白が好きで、ビールは飲まない(亡き父ジャン=ロック氏はビールでアルコール依存症になったからかも?)とか、野菜豆類キノコを好んで食べ、トマト料理は何でも好きで、チーズはハードタイプも食べますが、赤身のお肉は控えめ。肉は鶏肉がメインのようです。ルネが来日していた時は、ロケ弁が食べられないので、ケンタッキーフライドチキンを楽屋に持ち込んでいたエピソードが有りましたね♪ そして、フライドポテトポテトチップス妻マリーの母の3層ケーキの誘惑には勝てずにいるようです(ケーキは隠しておかないと、夜中に3匹ゴブリンが出るそう。1匹はルネ、あとの2匹は誰? 笑)。

 ルネの得意料理はウォッカ・ソースのパスタ、ペンネ・ア・ラ・ロマノフバジルのペーストやそれを使ったトマトソースは自家製! 食事の時は特定の雰囲気を作り出すのが大好きで、音楽、薄暗い光、甘さ、そして笑い声も、パニックやストレスのない楽しい瞬間を作り出して、ゲストをお迎えするそうです。

 ちなみに失敗した料理のエピソードもユーモラスに語っています。電子レンジで作ったチョコレートケーキが岩のようになってしまったことを、今でも時々話題にして家族で笑っているそうです♪

 もっと紹介したいのですが、上のリンクから記事を楽しんでください。Google翻訳が皆さんを助けてくれますよ♪

 そして私は、ルネを見習ってダイエット!!!


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 ルネのデビュー50周年記念誌紹介は今回で16回目、このシリーズの折り返し地点となります。

 今回は『Un artiste aux multiples facettes 多面的なアーティスト』のPart4で、この章も最後になりました。前回に続き、『Albumsouvenir 想い出のアルバム』も一緒に紹介いたします。


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE


 


Un artiste aux multiples facettes Part4
  多面的なアーティスト

RENE, L’ANIMATEUR
ルネ 司会者(ホスト)


 彼にホストとしての最初のチャンスを与えたのは、イギリス系カナダのCBCネットワークでした。 1977年から1979年まで、彼は「The Rene Simard Showルネ・シマール・ショー」の指揮を執りました。 それは30分番組で、ケベックでは滅多に見られませんでした。 その後、彼は歌うアーティストを受け入れるプログラム「R.S.V.P.」(1984年から1989年に放送)を主催するように提案されました。 彼はカメラの前でとてものびのびとしています。

▲デビュー25周年記念誌より「R.S.V.P.

7Joursより 1984年から、彼はさまざまなR.S.V.Pの指揮を執っていました。 彼にうってつけの役!

7Joursより R.S.V.P.は、重要なリソースを備えた大規模な展開のバラエティー番組でした

7Joursより 1998年、エンターテインメント番組Fais-moi rire (私を笑わせて)はあまり成功しませんでした

▲「L'heure de Gloire(栄光の瞬間)」の司会者として

 1988年に、彼は「Laser 33-45(レーザー33-45)」の司会を提供されました。司会者(ホスト)は、その時間の最も人気のある曲のチャートを提示します。彼の役割は「R.S.V.P」よりもはるかに単純で影が薄かったことに注意してください。その後、1998年から1999年までTVAにおいて、コメディアンが競争相手を笑わせようとする「Fais-moi rire(私を笑わせて)」を主催しました。 1999年に、彼は98.5FMでラジオ番組「Tout le monde debout(みんな起きて)」の指揮を執りました。 2006年、司会者(ホスト)として10年間不在だった後、彼は「L'heure Gloire(栄光の瞬間)」を司会し、アーティスト(歌手以外)が歌のパフォーマンスを披露しました。さらに、長時間番組Operation Enfant Soleilの司会や、2013年の「La soiree des Gemeaux」などのGaraがいくつかあります。





※Opération Enfant Soleil
 ケベック州内のすべての子供たちのために質の高い小児科の開発を支援する資金を集めるためのテレトン(長時間番組)。集められた資金のおかげで、病院や地域組織、そして大規模な小児科センターで毎年何百ものプロジェクトが実現されています。

※Gala des Gémeaux
 Radio Canadaで放送され、2013年9月15日の第28回と2014年9月13日の第29回にルネが司会を務めた番組。第29回のジェモー賞授賞式については過去ログでご覧ください。

※過去ログ「第29回ジェモー賞授賞式」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/686.html

7Joursより Patrice L’Ecuyerは、テレビの分野で彼の最大の相棒の1人です

RENE, LES PRODUCTEUR
プロデューサー、ルネ


 ルネはまた、いくつかのテレビ番組のコンテンツ・プロデューサーとして舞台裏で働いています。彼の親友であるPatrice L’Ecuyerパトリス・レキュイエ(2人はBye Byeでも一緒に仕事をしています)が「Le moment de verité(真実の瞬間)」を司会するように、ルネはショーにもう少し色を付けるため、コンテンツの世話をするように求められました。その後、Radio-Canadaはルネとパトリスのコンビを継続することを決定し、「Un air de famille(家族的類似)」の司会を委託しました。このショーのコンテンツのプロデューサーであることは、この多才なアーティストにとって本当の喜びでした。 2013年には、パトリスの妻で歌手のMarc Hermieuxマルク・エルミューが主催するプログラム「Cap sur l'ete(夏に向けて)」のコンテンツも担当しました。



※Cap sur l'ete(妻マリーが番組のアシスタントとして出演)
https://www.facebook.com/Cap-sur-l%C3%A9t%C3%A9-252615008207080/photos/

Un belle introspection 美しい内観

 幼い頃に知られている成功にもかかわらず、ルネは自分でいっぱいではありません。 それどころか、彼は自分の家族を認めることを知っています! 2008年に、彼は芸術監督としての彼の資質と欠点についてコメントしました。
最初は、私はあまりにも散漫でした。」と彼は嘆きました。
やり過ぎました。 私は委任することを学びました。 私はよく質問する人です。『彼のギャングsa gang(仲間)』。 私は楽しみのために働くことが好きです。 人々は私が真剣ではなく、いつも笑っていると思っていますが、それはまったく逆です。 それは順調でなければならず、厳格で規律がなければなりません。 私は大声を出しませんが、毅然としています!



Albumsouvenir 想い出のアルバム

右:ルネは感受性の強い男であり、彼の聴衆にそれをあえて見せます

▲左:ケベックと...そして世界を魅了する惚れ惚れするような顔!
右:ルネとナタリーは彼らの芸術のためにたくさん旅行します。 ここに彼らはすべてのチームと一緒にいます


左:Gaston L’Heureuxガストン・ルルーの会社の歌手と彼の恋人(マリー=ジョゼ)
右:ルネは、妹のナタリーが彼の足跡をたどっていることに満足していました。 ここで彼はナタリーのミニ・スター・ガラを主催しています


左:忘れられない笑顔
右:マリー・ジョゼは、父親の腕で、彼女の生涯においての男性と結婚する準備をしています


左:Videotexサービスを宣伝するルネ。 別の時代!
右上:彼女の妹は、子供向け番組「Le village de Nathalie(ナタリーの村)」の中で秀でていました
右下:母と息子の間の愛


▲大人になったルネと少年時代のルネ

左:結婚式場に向かうマリー=ジョゼとその父
 右:ルネと亡き母カブリエル・ラベ

▲子供向け番組「Le village de Nathalie(ナタリーの村)」
 
 いつも笑顔を絶やさないルネが、何事にも最善を尽くして取り組んできた様子が伺えました。「私は楽しみのために働くことが好きです。」やルネがいつも言っている「永遠のポジティブ」は、それぞれの活動に表れているのですね!!

 次回は妻マリー=ジョゼについての内容『Une belle fistoire d'amour 美しいラブストーリー』の vol.1です。

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Bonne Année 2022

2022年01月01日 | ルネ・シマール

BONNE ANNEE!
 Je vous souhaite une bonne et
heureuse année!
 Je vous presente mes meilleurs
voeux pour l'année 2022.



新年明けましておめでとうございます!
皆さまにとって幸多き年でありますように!
新年2022年のお喜びを申し上げます。

昨年中は大変お世話になりました。
本年もブログ共々どうぞよろしくお願いいたします。
日本からカナダのルネをずっと応援していきましょう!!

    2022年1月1日

         Shimazaki Rune


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