ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

第12回東京音楽祭世界大会前夜祭

2013年03月30日 | ルネの活動記録
 1974年の第3回東京音楽祭世界大会から9年後の1983年3月21日、第12回東京音楽祭世界大会に、ルネと妹ナタリー・シマールがプレゼンターとして招待されました。前夜祭では、「ミドリ色の屋根」を2人で歌い、ナタリーは、日本でのデビュー曲となる「5月の手紙」も歌いました。

▲1983年に発足したルネとナタリーのファン・クラブの会誌第1号の表紙

 私は、この来日は、ルネが日本のファンの強い要望と署名活動によって招待され、それにナタリーがセットで付いてきたのだとばかり思っていました。何故なら、私が友人と署名活動をしてから、半年も経たずに実現した来日だったからです。しかし、その来日は、ルネの妹ナタリーの日本デビューに合わせ、SONYとALFAレコードによって、すでに計画が進んでいた来日だったのかもしれません。

 そして今思い出してみると、その友人は「ちびっ子ものまね」の関西地区チャンピオンでした。当時はスター発掘番組の全盛期で、「ちびっ子ものまね」も、スターとして見込みのある優勝者や上位入賞者は、芸能事務所からスカウトされていました。彼女はルネの"L'oiseau"を歌って優勝していたので、彼女の入った芸能事務所は、「ルネの再来」を売りに彼女をデビューさせる予定でレッスンを始めていました。そのためルネの来日は、彼女のデビューにとっても重要なことだったのでしょう。ルネの来日を求める署名活動は、芸能事務所のアドバイスで始めたと聞いていました。しかし、たとえ彼女が「ルネの再来」としてデビューできていたとしても、ルネの実の妹で、ルネに歌声も容姿もそっくりのナタリーが、大手のSONYによって日本デビューを進めていた中で活動するのは、かなり難しかったと思います。ドラマ等の見過ぎかもしれませんが、圧力をかけられたかもしれません。でも、この来日の頃には、彼女はヴォイス・トレーニングで声帯を痛め、歌手デビューを断念していました。彼女が所属していた芸能事務所が、どこかまでは聞いていませんでしたが、彼女は、「スチュワーデス物語」で一世を風靡した堀ちえみさんと同期で、デビュー前の堀ちえみさんをよく知っていたので、「ホリ・プロ」系列の関西の事務所だったのかもしれません。彼女がデビューを断念した頃、彼女は当時高校生だったにもかかわらず、すでにピアノの指導助手を務め、大卒の初任給以上の収入がありました。ピアノの先生と一緒にカナダに行くとも言っており、その後しばらくして連絡が取れなくなってしまったので、カナダに行ったのかもしれません。今はどうしているのでしょう。まだカナダにいて、ルネのファンを続けていてくれたら嬉しいです。
 ちなみに、芸能事務所から得た情報だったのか、彼女はALFAレコードにナタリーたちがいる時間帯を知っており、前夜祭にも行き、ルネが帰国する時には成田空港まで見送りに行きました。余談ですが、彼女はルネに"Dont Forget me!"と言おうとして、間違って"Forget me."と言ってしまい、ルネから何度も"Why?"と聞かれたそうです。ルネと別れてから気付いたと、手紙で報告しくれました。また、その時私のためにもらってくれたルネのサインも、一緒に送ってくれました。


 ルネの来日については、第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターは名目でしかなく、実際には、ALFAレコードとSONYの「夢よもう一度」企画による、ルネにそっくりのナタリーを売り出すための戦略だったのです。
 ルネ・ブームの頃のルネと年も同じで、ルネに外見も歌声もそっくりで、その上、女の子で変声期のないナタリーは、ルネの変声で諦めざるを得なかったビジネス・チャンスを狙うには、もってこいの逸材でした。ナタリーの日本デビューは、すでにスーパー・アイドルとして活躍していたカナダでも大きく取り上げられ、多くのメディアやファンが注目していたことは、同年に発足したカナダのルネとナタリーのファン・クラブの会誌第1号でも分かります。
 そして、私が知らなかっただけで、その時の来日では、ルネよりもナタリーの方がTV番組に出演しており、日本でのデビュー曲となる「5月の手紙」も歌っていました。ルネはナタリーの売り出しのために影に徹していて、ALFAレコードでの打ち合わせでは、ナタリーのマネージャーと勘違いされたりしていたようでした。その合間に、ルネは当時自分がファンだった、バリー・マニローのコンサートに行ったりもしていましたが…。

※過去ログ「日本のナタリー・プロジェクト」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/517.html

       ▲“Toujour plus ioin”のレコード・ジャケット

 私はその当時、ルネが来日したことだけを両手放しで喜んでいました。ルネが素敵な青年に成長していることは、仏語の教授からいただいたルネのレコードとポスターで知っていたし、ルネのために“Toujour plus ioin”のレコード・ジャケットのルネをイラストボードにパステルで描いて持っていったりしました。しかし、友人とALFAレコードに会いに行った時、ルネはバリー・マニローのコンサートに行っていたために会えず(ルネの絵はナタリーに渡しました)、東京音楽祭の前夜祭にも誘われたのに、職場の職員旅行をキャンセルすることもできず、挙げ句の果てに、ナイター中継の時間延長で前夜祭のビデオが撮れていなかったことに涙していました。1人暮らしでテレビも無かったため、TV出演の様子も分からなかったので、まさか、ルネよりもナタリーの売り出しがメインの来日だなどとは夢にも思っていませんでした。ですから、このブログがきっかけで、そのことを知った時、大変ショックを受けました。しかしそれ以上に、来日しなかった9年の間に、ルネ・ブームがすでに過去のものとなり、日本の芸能界は自分を必要としていないと痛感した時のルネの寂しさを考えると、心が痛み、涙が出ました。前夜祭のインタビューでも、ナタリーを売り込むためとはいえ、2人のアナウンサーが「もう、お兄さんを越えている」と口を揃えるように言っていることに、ルネ・ファンの私は「不快感」を通り越して「怒り」さえ覚えました。ルネは笑顔で応対しているけれど、だからこそ余計に「失礼な★」と思ってしまいました。そのため、今では、あの時前夜祭に行けなくて、そして、ビデオが撮れて無くて良かったとさえ思うようになっています。また、この来日以降、「あのスターは今」的な番組以外では来日もTV出演もしていないのは、ルネのせいではなく(「エルヴィス・ストーリー」は演出家として同行したので別)、日本のTVや音楽業界の扱いのせいだったのですよね。日本がルネを呼ばなかったのです。

▲ルネとナタリーのファン・クラブ会誌№1より

 ですから、ルネの日本の全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」が発売になったことを知った時、ルネは”very happy”だったんです。
 そして、話は変わりますが、以前、ソースかつどんさんから、「このCD発売が実現した次の目標は、DVDボックスですね。」とメッセージをいただきました。もし、TV放映されたファースト・コンサート映像や、出演したTV番組映像がまだ保管されているのなら、DVDボックスは無理としても、どこかで放映していただきたいです。私はあまり見たことがないので、是非見たいと切望しています。 

▲ルネとナタリーのファン・クラブ会誌№1より

 「Passion ルネ・シマール au Japon」のしゃむねこさんが、プログで第12回東京音楽祭世界大会とその前夜祭についての記事を書いていらっしゃいます。ビデオ録画してあった同番組を、テレビ画像と一緒に詳しくリポートしてありますので、是非ご覧ください。
 また、YouTube映像にも、前夜祭でルネとナタリーが「ミドリ色の屋根」を歌っている映像が有りますので、そちらもお楽しみください。

第12回東京音楽祭(1983年)/前夜祭の番組のビデオから
♪Youtube映像”Rene & Nathalie in Japan”

http://www.youtube.com/watch?v=KMvxqdG31xc&feature=share&list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA

※「Passion ルネ・シマール au Japon」の記事より
「第12回東京音楽祭のルネとナタリー 1983年」

http://renesimard.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
「Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から」
http://renesimard.blogspot.co.nz/2013/02/un-air-de-famille.html

 また、以前にも書きましたが、現在facebookでは、グループ「Rene to Japan! ルネを日本へ!」において、ルネが初来日し、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した記念すべき1974年から40年目に当たる2014年に向け、「ルネを日本に呼べたら」と、メンバーでいろいろな話をしています。実現させることができるかどうかは別として、私は、ルネが日本に来た時に、4回目の来日や第12回東京音楽祭世界大会のための来日の時のような、失礼なことが無いようにしたいと強く思っています。絶対に、ルネに悲しい思いをさせてはなりません。日本のファンの威信にかけても、2度と、日本で、ルネを寂しい気持ちにさせてはいけないのです。そのために、ファン同士が協力し、このことに賛同する仲間たちとともに、活動を楽しみながら、万全の準備をして迎えたいと思っています。その時は、ルネ友さんたちも、ご協力をどうぞよろしくお願いいたします!


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 先週の記事「『ルネ・オン・メロティ』の劇場あいさつ」の「テアトル銀座」について、ルネ友のダイアナ・ろーたすさん(旧ダイアナ・シールズさん)より情報をいただきました。ダイアナさんからのコメントをそのまま紹介いたしますが、この映画館は、今年の5月で営業を終了してしまうそうです。今年から来年は、ルネ来日とカレンダーの並びが同じの上に、来年はルネの来日40周年を迎える年なので、ちょっと残念です。

▲年友さん提供 現在のテアトル銀座と1981年頃の同映画館(写真右下) 

ダイアナ・ろーたす

 ご無沙汰しています。
 ルネ・オン・メロディは東京ではテアトル銀座で上映されたんですね。
 当時のテアトル銀座ということで、写真が掲載されていますが、同じビルの中に「テアトル東京」「テアトル銀座」という2つの映画館が入っていて、写真は「テアトル東京」の正面入り口になります。「テアトル銀座」はビル横から入り、たしか地下にあったと思います。

 「テアトル東京」はシネラマという半円形の巨大スクリーンが有名な大型劇場でしたが、「テアトル銀座」は通常の当時としては中規模劇場でした。私は70年代にいくつかの名画をこの劇場で見ましたが、落ち着いた感じのとても素敵な劇場だったと思います。

 現在のテアトル銀座は経営母体が同じだけで、何の関係もありませんが、くしくもこの5月で営業を終了するそうです。建物等が売却等で継続されるのか、壊されるのかはよくわかりません



 ダイアナ・ろーたす様、いつも貴重な情報をありがとうございます! 「テアトル銀座」には何度か行かれたことがあるのですね。羨ましいです~。私も、もっときちんとした情報を得ていたら、「ルネ・オン・メロディ」だけでも観に行きたかったです。また何か情報がございましたら教えてください、よろしくお願いいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつ

2013年03月24日 | 4回目の来日
 1975年(昭和50年)3年22日(金)、「第2回メープル・メイツの集い」とともに、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-が「ルネ・オン・メロディ」として公開され、その初日であるその日に、テアトル銀座で劇場あいさつが行われました。

 この映画については、過去ログで何度も書いていますが、地元の映画館にも全国の公開から遅れて上映されるものと固く信じていた私は、リアルタイムで観ることができませんでした。当時、実家の近くにあった映画館では、人気のあった山口百恵さんの映画や東映マンガまつり等、全国の公開からは遅れても、必ず上映されていたので、「ルネ・オン・メロディ」が来るのを首を長くして待っていました。しかし、同映画がいなか町の小さな映画館で上映されることはありませんでした。福岡のペンパルから、館内で撮影した、兄レジスと一緒にリサイタルで仏語版「庭の千草」を歌うシーンの白黒写真をいただきました。台詞の字幕は縦書きで画面の右に入っていました。今もこの写真は持っていますが、画像がぶれて見づらいので、ここでは紹介いたしません。
 当時の映画紹介記事は、雑誌の発売からずっと遅れて同級生にいただいたものを持っていましたので、映画の有名なシーンは知っていました。インターネットができるようになってから、ヤフオクで同映画のちらしや劇場用ポスターを入手し、YouTubeでアップされたいくつかのシーンを観ることができた時は大感激して、インターネットの普及に感謝したものでした。
 今回は、年友さんからいただいたテアトル銀座の舞台あいさつの写真と一緒に、Yahoo!オークションで入手した同映画のロビーカード、ルネの記念アルバムのジャケットに折り込まれていた写真、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報№3の記事等を紹介いたします。

▲年友さん提供 テアトル銀座での「ルネ・オン・メロディ」劇場あいさつの写真 ルネが着ているのは、「メープル・メイツの集い」で着ていたのと同じモス・グリーンの上下 でも、この写真を撮影された年友さんのご友人の座席の前には空席? 写真左から  劇場側の司会者女性 通訳の道上氏 ルネ マネージャーのクルティエ氏 

▲「ルネ・オン・メロディ」のロビー・カード その1 
 上2枚は「ローラ・シコード」 ルネがTVコマーシャルに出演した缶プリンの、チョコレート専門店「ローラ・シコード」の名前の由来となった女性の物語の映画写真 
 下2枚も同映画か、別の映画のカナダの開拓時代の様子を伝える一場面?


※過去ログ「ルネとLaura Secord」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/320.html

▲「ルネ・オン・メロディ」のロビー・カード その2 
 左上:ケベック・シティの酒場で歌を歌った帰り、おもちゃ屋で機関車模型に見入るルネを兄レジスが諭す有名なシーン
 右上:芸術劇場での初リサイタルのワン・シーン
 右下:「ローラ・シコード」のコマーシャル・ソングの録音シーン


▲「ルネ・オン・メロディ」のロビー・カード その3 
 向かって左からルネ クルティエ氏とその妻 兄レジス


▲ルネが25歳の時に出した記念アルバムより「普通の子供」のルネとレジスが酒場で歌うシーン 

▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報№3より 映画館の大看板の前で姉リンと一緒に

▲年友さん提供 現在のテアトル銀座(ル テアトル銀座)と1981年頃の同映画館(写真右下 テアトル東京の地下) 

 Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-は、現在YouTubeでは、Caseyさんの英語吹き替え版”A Child Like Any Other”がご覧いただけます。ただし白黒の上、後半部のみで、さらにルネの声は歌のみです。Giseleさんたちがカラーのダイジェスト版をアップしていましたが、今は無くなっているようです。他には、主題歌のレコーディング・シーンがアップされていますのでお楽しみください。



♪YouTube映像”Rene Simard - A Child Like Any Other”http://youtu.be/ktLSuMOZg3c

 昨年、幸運にもこの映画のコピーをいただきました。もちろんカラーでノー・カット版です。ただし、字幕はありません。大変画像もクリアーなので、第3回オフ会で、希望があれば鑑賞会を行いたいと思います。オフ会開催の際には、みんなで楽しみましょう♡ 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メープル・メイツの集い

2013年03月16日 | 4回目の来日
 1975年(昭和50年)3月22日(土)、「第2回メープル・メイツの集い」が、「ハンガリア レストラン チャルダ六本木」で行われました。
 午後3時からの2回目に参加された年友さんから、この時の整理券(はがき)のコピーと写真を、当ブログの記事のために提供していただきました♡ 福岡のルネ・ファン・クラブ「ボンジュール ルネ」で購入したものは、過去ログで紹介していますが、年友さんからいただいた写真は、よりルネに近い位置から撮影されており、年友さんのドキドキが共有できるようです!

 年友さん、貴重な資料であり、宝物である写真と入場整理券、そして、現在のチャルダを取材した写真をどうもありがとうございました!!


     第2回メープル・メイツの集い 

    日時 3月22日(土) 1回目 12:30~14:00
                2回目 15:00~16:30
    場所 ハンガリア レストラン チャルダ六本木
                ℡(585)5388


▲選ばれた人たちがルネとステージで歌っているところ

▲各テーブルを回るルネ ファンからのプレゼントをいっぱい抱えたルネが近付いてきます~っ!!

▲年友さんにサインをするために手を差し出すルネ 感動の瞬間ですねsymbol1

▲サインを書くルネ 年友さんが左に!

▲第2回メープル・メイツの集い 入場整理券 年友さんは2回目の40番

 なお、この時は、ジュースと小さなケーキとサンドウィッチが出たそうです。そして、以前紹介した写真にも2回目の同じプレゼント持ったルネが映っていました(写真右上↓)。また、この衣裳で、テアトル銀座で行われた「ルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつもしています。


 メイプルメイツの第2回の集いは、3月22日(土)場所は東京の六本木のレストラン「チャルダ」という店で、午後2回にわかれて計150名のメイツの前で開催されました。当日はルネのこの集いを待ちわびたように、素晴らしい天気に恵まれ、開催数時間前から、店の前に列が出来て並んでまっているメイツの人達で、店の係員やメイプルのスタッフを驚かせました。
ルネもこのメイツの集いは大変期待していたスケジュールのひとつであったようで、来日した時から、この集いの内容を質問したり、色々と注文を出して、この集いを成功させたいようでした。
みんなとお茶をのんだり、ケーキを食べたりしそして、みんなの前で4曲ほど歌い、みんなからの質問、またみんなと一緒に歌ったり、メイツののど自慢大会、さらにはスタッフも出演させられたりするハプニングもあり、大変楽しい集いでした。
リンやギーさんも大変楽しそうで、みんなに歌わさせられたりしてにぎやかな数時間でした。
遠くは大阪から、わざわざこの集いに参加するために上京したメイツや、2回連続して参加したメイツで会場はムンムンした熱気に終始つつまれ、大変充実した1日でした。
ルネもみんなも次回のメイツの集いを約束して、みんなで歌いながらサヨナラをして、この集いを終わりました。メイツの人達も満足そうに帰っていきました。ルネも思い出になったと言ってこの集いの成功を喜んでいました。(ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№3より


▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№3より テーブルには、この時に出されたジュースと小さなケーキとサンドウィッチが見て取れます

▲現在のチャルダはマンションになっています(年友さんからの写真と情報より)

※過去ログ「メープル・メイツの集い」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/326.html

 今更ですが、親の了解無しででも、反対を押し切って行きたかったな~…。「後悔先に立たず」★ でも、38年も経っているのに、こうやって当時のファンの方たちと交流できる幸せをかみ締めながら、これからも「継続は力なり」を信じて、ブログを頑張っていきますので、末永くお付き合いくださいね!!


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


         cloverちょっと近況報告clover

 3月5日は啓蟄、来週は『春分の日』を迎え、日差しの暖かさに春の深まりを感じる今日この頃、ルネ友の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 今年は、杉花粉の飛散量が例年の何倍も多い上に、黄砂が中国の大気汚染物質を巻き込んで飛んでくるという、花粉症の人にはトリプル・パンチの春。花粉症で、6月の梅雨時期まで鼻炎に悩まされる主人も、いつもは使わない目薬のお世話になっている状態です。それどころか、花粉症ではない私でさえ、デビューするかもしれない危険な年。今年はゆっくりお花見どころじゃないかもしれませんね。



 春一番の強風にもさらされず、寄せ植えの鉢でひなたぼっこしている職場のアマガエルは、3月に入ってすぐ目を覚ましていました。私に写真を撮られるたびに、冬眠中でさえ一度も入ったことのない水あげ器の穴に潜り込んだり、数日間、別の場所を探しに旅に出たりしていましたが、結局、寄せ植えの鉢に戻っていて、アマガエルだけに「無事カエル」(笑)。カエルがいてもいなくても、毎朝カエルがいるのを確認してはあいさつする、変な人間に嫌気は差しているのでしょうが、寄せ植えの鉢が一番安全で、居心地が良いのでしょう。のんびりと居眠りしているカエルの後ろ姿が、あまりにまん丸なのに大うけし、カエルの迷惑も考えず、フラッシュをたいて写真に撮ってしまうシマ姉です。もう少ししたら、昨年秋から確保(飼育?)しているクリムシをあげようと思っています。



 また、去年の夏、実割れして落ちた実の種から生えた芽を寄せ植えし、室内で世話していたプチトマトが実り、赤く色付き始めました。丸い実の『アイコ』は、小さいまま赤くなって3つ程食べ頃。別の品種の長細い実は、青いままかなり大きく育っています。芽止めしても成長し続けていているので、支柱を長いもの替えました。花芽がつき始めたパッションフルーツも、伸びすぎたツルが限界なので、こちらも支柱を伸ばす予定。今年の夏には、グリーン・カーテンかアーチに仕立てる計画も持ち上がる程の生育ぶりです。実が成ったら、日系ブラジル人の同僚が、果汁を絞ってムースにする予定です♪ パッションフルーツはトケイソウの1種なので、花が咲くのも楽しみです。しかし、暖かい室内で大量発生したアブラムシとコナジラミの駆除のため、寄せ植えして大きく育ち、花盛りだったノースポールを泣く泣く処分。まだまだシマ姉と病害虫との戦いは続きます。

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LP「君のすべてがほしい」

2013年03月10日 | ルネの日本語の歌
 ルネ友のみなさん、今年2013年は、1974年とカレンダーの並びが同じなんですよ♡…ということは、今年からルネと出会ったあの頃のカレンダーどおりに日々が送れるということです!! ただそれだけのことでも、ワクワクするシマ姉です(笑)。
 それから、今年はfacebookで、ルネへの誕生日メッセージの募集がありませんでしたが、改めて募集しなかっただけで、投稿されたメッセージは全てルネに届けていただけるそうです。グループ「Rene to Japan!ルネを日本へ!」では、しゃむねこさんがメンバーからのメッセージとお気に入りのルネ画像を1枚にまとめて投稿しました。日本のルネ・ファンの気持ちがルネに届くことを心から祈ります。
 そして昨日はルネの兄レジス・シマールの誕生日でした。facebookの彼のホームにメッセージを贈ってみましたが、どうでしょう?

 

 ルネの4回目の来日に合わせてリリースされた「君のすべてがほしい」。シングルは1975年3月21日、全曲日本語のLPは4月1日発売でした。
 この来日の目玉は、「君のすべてがほしい」のプロモーションに加え、全国縦断スプリング・コンサートに、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「ルネ・オン・メロディ」の上映、「メープル・メイツの集い」…と、盛りだくさん! アメリカにフランスにと飛び回っていたルネの待望の来日をどんなに心待ちにしていたことか!!
 全曲日本語オリジナル曲のこのLPは、ALFAレコードも力を入れていたと思います。 ラウランさんからの情報では、「月刊明星」で募集された詩は、このアルバムの歌詞には反映されていないようですが、ルネの音域とイメージに合った曲が作られ、ルネも日本語で歌い切るのですからすごいです。全曲を2回目と3回目の来日時にレコーディングしたのか、それ以降の曲同様、日本で伴奏曲を作り、カナダで歌入れをしたのか…。どちらにしても、カナダ、日本、アメリカ、フランスを飛び回りながら、日本語の歌をレコーディングするのは大変だったはず。ルネのパワーには本当に驚かされます。

 カナダのLoraさんがYouTubeに「君のすべてがほしい」にのせたスライドショーをアップしてくださいました。また、Chantalさんの音楽サイトでもお聴きいただけます。歌詞ものせておきますのでルネと一緒に歌ってくださいねsymbol1



A面 君のすべてがほしい
   愛の翼をひろげて
   虹をあげよう
   純白の花嫁
   涙のプレリュード
   サヨナラ少年時代

B面 この旗の下で
   内気なマリー
   ピアノの聴こえる道
   クリスマス・トゥリー
   君にあげる子守歌
   朝露のきらめき


http://discographiesimard.musicblog.fr/17/

Rene Simard: Kimi no Subete ga Hoshi


    君のすべてがほしい

       岩谷時子/作詞 馬飼野康二/作曲.編曲

ほほえむ瞳を ぼくに
かがやく歯を ぼくに
君のすべてが欲しい
ときどきぼく見つめ
思わせぶりだけど
僕は何も云えないよ
君は君は彼に恋を恋をしてる
ぼくにはなんでもわかる
君を愛しているからさ

ぬれてる声 ぼくに
ふるえる手を ぼくに
君のすべてが欲しい
ときどきぼく呼んで
素足でキスしても
ぼくは君を信じない
※嘘は嘘はやめて 彼と彼とお行き
 かなしいけれどもわかる
 君を愛しているからさ
 ※くりかえし


※過去ログ「君のすべてがほしい」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/104.html


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 しばらくぶりにGoogleマップで オルレアン島に行ってみましたら、ルネの家のまわりが結構変わっていました。

 ルネがデビュー当時住んでいた、ケベック・シティのサビニエール・ドリオン通りです。パパが喘息で働けなくなり、オルレアン島の白い家から、アパートの地下室4部屋に移ったとされていますが、この通りのどのアパートだったのでしょう。 
<iframe width="400" height="250" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=218321118344399919197.0004d6e9d0fdceb73c552&msa=0&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&t=h&layer=c&cbll=46.843031,-71.243001&panoid=yyEgXD46FxTukAWMv8MtWw&cbp=13,232.68,,0,3.82&source=embed&z=17&output=svembed"></iframe>
より大きな地図で 保存した場所 を表示


 この画像は「船長の家」ですが、周りの木が大きくなって、正面からは見えにくくなっています。「白い家」も同様で、この家が存在するのか、建て直されたりしてしまったのか確認ができません。教会と学校はあまり変わっていませんが…。以前紹介した時にはできなかったマップの貼り付けができましたので、大画面でお散歩してみてください。
<iframe width="400" height="200" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=embed&hl=ja&geocode=&q=Rue+de+la+Sapini%C3%A8re,+Qu%C3%A9bec,+Canada&aq=2&oq=Quebec+rue-Sapiniere&sll=34.728949,138.455511&sspn=42.358735,105.556641&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ie=UTF8&hq=&hnear=Rue+de+la+Sapini%C3%A8re,+Qu%C3%A9bec,+%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80&layer=c&cbll=46.847309,-71.137018&panoid=wO9KAWEW3c0cCsIxt2QRzQ&cbp=13,75.87,,0,1.27&z=14&output=svembed"></iframe>
大きな地図で見る

※過去ログ「ブログ開設7周年目とCD発売日!」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/528.html


※過去ログ「スプリング・コンサート・プログラム②」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/538.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルネの笑顔は春の陽だまり

2013年03月02日 | ルネの画像

明日は桃の節句。春はすぐそこ。
  ルネの素敵な笑顔で癒されて
symbol1

 昨日、関東地方では春一番が吹き荒れました。春の暖かさから一変して、今日はまた寒さが舞い戻ったようですが、ルネ友のみなさんはいかがお過ごしでしょうか。
  
 今年のルネの誕生日は、PASSION SIMARDで大々的なメッセージ募集はありませんでした。でも、facebookの日本のルネ・ファンは、ルネへの誕生日メッセージを書き込み、盛り上がっていましたよ♡ もちろん私も前日の内に投稿しましたよ!
 ルネの誕生日が木曜日だったので、今週末は記事を投稿しようかどうか悩んでいたのですが、ルネの笑顔満載の画像をアップすることにします。写真が掲載された記事の紹介はまた後で♪

▲私たちが来日を待ちこがれていた頃のルネ

▲18歳の頃 カナダは18歳で成人です

    ▲ちょっとワイルドな20代のルネ

▲すっごく優しい笑顔に癒される~♡

▲すっかり頼もしくなったルネ

 年度末の忙しい時期。私もちょっとゆったり、まったり、ルネの笑顔でほっこりして、次の仕事をやっつけます!

 話は変わりますが、職場のアマガエルは、外が寒波でいくら寒くても、2月に入ると出勤時間には起きていましたので、外が明るくなる時間や日差しの暖かさに、いち早く春を感じ取っていたのでしょう。また、基本的に、ある程度気温が上がらないと赤くならないプチトマトが、早々と色付き始めています。花が終わったシャコバサボテンからは新芽が出て、パッションフルーツにも花芽が付きました。職場の窓辺は花盛り、春を先取りです♡

 ルネ友のみなさまも、ルネの素敵な笑顔で癒されて、お体ご自愛なさってくださいねclover
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする