ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

3回目の来日最終日

2015年01月18日 | 3回目の来日
 ルネの3回目の来日は1975年1月7日(火)から20日(月)までの14日間。日本のルネ・ファン・クラブメープル・メイツのスケジュール表では、18日(土)に福岡でキャンペーンを行った後、19日(日)はOFF、20日(月)に帰国と書かれていたのですが、18日に羽田空港からパリに発ったと書かれた記事がありました。

 それは光文社発刊『週刊女性自身2月6日号に掲載された『羽田国際線ゲート 芸能人はなぜかパリへ行くのです』という記事で、ルネのパリ行きが紹介されていました。

 ”花の都かロンドンかなんて、いわないで、やっぱりパリって魅力があるの”と旅立ったスターたち

1月18日21:50発 ショー出演へ
 1月7日来日して、名古屋・大阪・福岡とキャンペーンの旅をしたルネ君。こんどはシルビー・バルタンやジルベール・ペコーとテレビで共演のためパリへ。そのあとカンヌへ飛んで国際音楽見本市に出演。

 同じく1月18日21:50発で、ジュリーがロンドンで英語の”愛の逃亡者”、パリでフランス語の”ジュ・ビヤン・デュ.ボン・モンド”のプロモートに出発するに当たり、『日本とカナダのスーパー・スターが同じ飛行機でパリに出発した』と報じる記事もありました。また、小柳ルミ子さん(歌手)と渡辺美佐さん(芸能事務所社長-渡辺プロダクショングループ代表・株式会社渡辺プロダクション名誉会長)がルネと同じ国際音楽見本市に出席するために1月16日21時50分に出発したことも書かれていました。

 私は今まで、ルネはカナダに帰国しているとばかり思っていました。また、ルネは10月にシルヴィー・バルタンと共演し、12月にパリのオランピア劇場に出演していました。前回の記事でも書いたとおり、ルネは1月5日(日)にバンクーバーで「ルネとカナダでXマス・パーティー」ツアーのファンの方たちと交流したその足で来日していたので、その上フランスに渡り、パリからカンヌに向かったのでしたら、かなりのハード・スケジュールだったと推測されます。

 それから、私は「国際音楽見本市」のことをこの記事で初めて知り、ネットで検索してみました。


<国際音楽見本市>
・毎年1月、フランスのカンヌで開催される、”MIDEM(Marche international du Disque,de L’Edition Musical et de La Video Musique)-世界最大規模の国際音楽産業見本市-” 
・会期は5日間
・世界中から音楽関係者約1万人が集まって開かれるこの音楽の見本市には、100ケ国近い国から、4,000社が参加し、300以上のスタンドが会場に設けられる
・楽曲や原盤をはじめ音楽ビジネスに関わるあらゆる取引や情報交換が行われ、アーティストのライヴや、音楽産業に貢献したアーティスト、ビジネスマンの顕彰、あるいは音楽関係者による国際会議等も開かれる



 ルネは「出演」と報じられていましたので、ノーベル・レコード所属の歌手として、また第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞したカナダの歌手代表として、歌ったりしたのでしょうか? それとも、『週刊女性自身』の情報違いなのでしょうか? 40年前のことですから、日本からでは調べようがありません。10月と12月のパリでの活動については、カナダで大きく報じられていましたが、もしこの記事の情報が本当なら、その時の様子を報告する記事があるはず。カナダのGiseleさんたちに聞いてみようかしら…。
 
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3回目の来日初日

2015年01月07日 | 3回目の来日
 今から40年前の1975年1月7日(火)から20日(月)までの14日間、ルネの3回目の来日がありました。


 
 こちらが、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」から送られてきた3回目の来日初日の写真です。過去ログで何度か紹介していますが、オリジナルのままアップするのは、当ブログではこれが初めて。今までは周りの部分を少しカットして載せていました。

 ルネはこの時、バンクーバーで「ルネとカナダでXマス・パーティー」ツアーのファンの方たちと交流し、その足で来日していました。それというのも、ルネが12月にパリのオランピア劇場に出演したため、12月18日(水)から26日(木)の予定だったツアーが、1月2日(木)から1月11日(土)に変更になったからでした。ルネ一行は1月5日(日)にバンクーバーでパーティーに出席した後、翌1月6日(月)に日本に向かっていました。それについては、ルネに関する詩が入選してこのツアーに招待された、ルネ友のラウランさんのお話を紹介しておりますので、そちらでお読みください。

 ちなみに、この来日でルネに同行したのは、写真にも写っているルネ・アンジェリル氏(現セリーヌ・ディオンの夫)、姉のリン・シマールさんとクローディーヌ・バシャンさん。ルネはこの3人と一緒に「オールスター家族対抗歌合戦」にも出演しました。


※過去ログ「ルネとカナダでXマス・パーティー♪③」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/570.html
※3回目の来日については、カテゴリ「3回目の来日」で過去ログをお読みください


 そして今日のもう1枚。前回の寒中見舞いでアップした写真が掲載されている雑誌を持っているルネです。

▲スポーツ・ジャーナリストのピエール・トゥリュデル、ギー・クルティエとルネ(バシャン姉妹の本より)


 今年は義母の喪が明けぬ内に、1月1日に一人暮らしだった叔母が急死し、義父が施主で4日に葬儀。年末から別のお葬式やら、大掃除とおせち料理の準備やら、帰省した義弟のもてなしやらで慌ただしかった上に、叔母の遺品整理や様々な手続きの手伝いで、血圧が上がって信じられない数値が出ていました。ここ数日、今度は私の番では…と、真剣に考えたシマ姉ですが、取りあえず今回の記事を書き終えることができました。今週末の3連休は、静養に努める予定です。
 寒さの厳しい1、2月は体調を崩しやすいですので、ルネ友のみなさんもお体ご自愛なさってくださいね。
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オールスター家族対抗歌合戦

2014年01月12日 | 3回目の来日
 今から39年前の1975年1月7日から20日までの2週間、ルネの3回目の来日がありました。

 日本のルネ・ファン・クラブメープル・メイツの『メープル・ニュース』に書かれていたスケジュールには、その予定は書かれていませんでしたが、過去ログでも何度か紹介したとおり、3度目の来日の際、ルネは「オールスター家族対抗歌合戦」にも出演しました。

▲<和訳>日本のTV番組 クローディーヌとリン・シマールとルネ

『雨にぬれても』を歌う姉リンに寄り添うルネ
その後方向かって左から、アシスタントのあさかまゆみ(2代目)、クローディーヌ・バシャン、ルネ・アンジェリル、司会者の萩本欽一


 上の写真は、クローディーヌとダニエル・バシャン姉妹が書いたルネとナタリー・シマールの紹介本に掲載された、その時の一場面です。ジゼルさんたちの「PASSION SIMARD」で見つけた時から、ダニエルさんだとばかり思っていたのですが、クローディーヌさんでした。前回紹介したカナダの記事でも、ルネ・アンジェリル氏とクローディーヌさんが同行することが書かれていました。ちなみにこの来日時、ギー・クルティエ氏が同行できなかったのは、1月4日にフランスのテレビでライザ・ミネリ・ショーのディレクターをすることになっていたからとも書かれていました。
 そして『雨にぬれても』を歌うリンさんは、さすが音楽一家、シマール家の次女。今は亡き父ジャンロック・シマール氏が聖歌隊のリーダーをしていただけあって、リンさんも歌がとても上手でした。写真でも分かるとおり、マイクをかなり放した状態で歌っていたことが、当時とても印象に残りました。また、元プロの歌手であり、コメディアンだったルネ・アンジェリル氏(現セリーヌ・ディオンの夫)も「マイ・ウェイ」を歌い、決勝戦では全員で「アルエット」(フランスの遊び歌 日本では『八百屋のお店に並んだ品物見てごらん、よく見てごらん、考えたてごらん♪』の歌詞で歌われています。)を日本語も入れて歌いました。
 他の4組のスターが誰だったのか、優勝はどのチームだったのか記憶にありません。覚えていらっしゃる方、是非ご連絡ください。

 また、この番組の収録はいつどこで行われたのでしょう? 生放送の番組なら1月12日か19日。しかし、12日ならルネのスケジュールでは、大阪のサイン会の日。19日ならOFFの日の上に、帰国前日ですので、収録は別の日だったのかもしれません。
 カナダ政府からは「仕事は1日5時間まで」と決められていたルネですが、日本では「1日7時間まで」で日曜日の仕事の分は別の日に振り替えて休みを取っていたようですね(下のスケジュール参照)。

 この番組は1975年当時、フジテレビ系で日曜日の20:00~20:55に放送されていたバラエティー番組。実家では、夕食後の家族団欒の時間に放送されていた番組だったので、毎週ではなかったかもしれませんが観ていました。
 
 ルネ・チームが全員で歌った『アルエット』の音声を、ルネの画像のスライドショーと共に、”Passion ルネ・シマール au Japon”のしゃむねこさんがYouTubeで公開していますので、是非ご覧になって下さい。

※YouTube映像「ルネ・シマール:アルエット」
http://jp.youtube.com/watch?v=jMWmlvXsvz0


    オールスター家族対抗歌合戦

 1972年10月1日から1986年9月28日までフジテレビで放送された、芸能人とその家族による歌合戦番組である。全699回。
 1972年10月1日放送開始。毎週芸能人やその他著名人の家族が5組出場し、彼らが司会の萩本欽一とのツッコミありの爆笑トークを繰り広げた後に歌を披露していた。
また、オープニングに流れる「ドレミの歌」の替え歌(タイトルコール後、最初にダン池田がティンパニで「ドレミファソラシドレ」の9音に続き演奏開始)に乗って出演者が登場するのも慣例行事で、引き続いて出演者にドレミファソラシドを言わせながらスポンサークレジットとなっていた。

◆ルール
 1回戦では各チームが1人ずつ歌唱。2チームが決勝進出して(チーム全員で歌唱)優勝を争う。優勝が決定すると、天井に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪と風船が降りる。賞品はKLMオランダ航空で行く海外旅行(バンコク旅行)。
 グランドチャンピオン大会は優勝チーム6組が進出し、3チームずつ2ブロックに分けられて対戦。1回戦は全員で歌を歌い、それぞれ1チームずつが決勝進出。決勝戦でも引き続き全員で歌い、グランドチャンピオンを決定。ゴールデントロフィーと副賞はヨーロッパ旅行。
 まれに決勝に進出したチームの両方が優勝することもあった。決勝進出を逃したチームにも「ハッスル賞」「ユーモア賞」「アットホーム賞」があり、結果として出場全チームが必ず何かの賞を貰うことができた。

◆審査員
古関裕而、近江俊郎、水の江滝子、立川清登、ダン池田、塚田茂、東八郎、木原光知子などが務めた。


※wikipedia「オールスター家族対抗歌合戦」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%AF%BE%E6%8A%97%E6%AD%8C%E5%90%88%E6%88%A6

<3回目の来日スケジュール>
1月 7日(火)来 日
   8日(水)NETベスト30
   9日(木)ロッテ(TBS)
  10日(金)ゴールデン歌謡速報(CX・TB)
  11日(土)名古屋
  12日(日)大 阪
  13日(月)OFF
  14日(火)歌謡最前線(TBS)
  15日(水)サウンド・イン・S(TBS)
  16日(木)ロッテ
  17日(金)ゴールデン歌謡速報
  18日(土)福 岡
  19日(日)OFF
  20日(月)帰 国
 9・10日and16・17日の内2日に取材日になる予定。
 他に3月発売用シングルのレコーディングがある予定



 スケジュールにある「3月発売用シングルのレコーディング」は、「君のすべてがほしい」ですね。

 次回は、ルネが出演した「ロッテのロンドン」のTVCFについての記事を紹介いたします。


      <最新YouTube映像>

René Simard - JEUNESSE 1973


 ルネが”JEUNESSE”に出演した時の映像集ですsymbol1 

①「ミドリ色の屋根」ファースト・コンサートの燕尾を着用
 インタビュー
②「Ma Petie Japonaise」秀樹との対談で着た白のスーツ着用
 インタビュー
③「Bozo」2日目の来日時に着ていたサーモンピンクのジャンプスーツ着用
④「Faut pas s'en faire avec ca」③と同じコスチュームで
⑤「Papa on s'ennuie de toi」③と同じコスチュームで
 インタビュー
⑥「Yoyo」ファースト・コンサートで着たピンクの地にオレンジ、
 赤、オレンジの三本線のブラウス着用
⑦「Ma Petie Japonaise」⑤と同じコスチュームで

 ①~③は以前からYouTubeでアップされていましたが、④~⑦は初めて見る映像です。そして、ルネが来日していた当時の貴重な映像。この頃はまだダンスを習い始めた頃で、振り付けもルネが考えたもののため、動きが子供っぽくて可愛いです。それにしても、カナダのTVでは多いことなのでしょうか、何故か流れているのはレコードの音源。ステージでルネは歌っているのだから、生演奏でルネの生の歌声をそのまま放映したらいいのに…と思ったりしますが、13歳のルネの、カナダでの活躍が見られて幸せですsymbol1
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ちょっぴり太って元気です

2014年01月04日 | 3回目の来日
 今から39年前の1975年1月7日は、カナダのスーパー・アイドル、ルネ・シマール3回目の来日初日でした。

 この来日の直前に、ルネはバンクーバーで「ルネとカナダでXマス・パーティー」のツアーに参加したファンと交流していました。「中一時代」の記事には、『途中フランスに立ち寄り、パリのオランピア劇場で3日間コンサートを開いてから来日』と書いてありましたが、オランピア劇場での公演は12月、次は2月に1週間の公演でした。そして、ツアーに参加されたラウランさんが、バンクーバーでルネと交流したのが1月5日で、ルネとは翌6日に分かれているので、ルネはファンとの交流後そのまま日本に向かい、7日に来日したというのが正解のようです(時差の関係で6日にバンクーバーを出発しても、日本到着は翌7日)。ちなみにツアーは1月2日から11日の10日間でした。また、オランピア劇場での公演について書かれた1974年12月21日に発行されたカナダの芸能紙の記事にも、日本に1月6日に向かうと書かれていたので確かでしょう。この記事については、後日訳して紹介したいと思います。
 「ルネとカナダでXマス・パーティー」については、ツアーに参加されたラウランさんが貴重な思い出を語ってくださいました。過去ログで紹介していますのでご覧ください。

※過去ログ「ルネとカナダでXマス・パーティー♪③」参照
ルネとカナダでXマス・パーティー ♡ ラウランさん編http://green.ap.teacup.com/rene_simard/570.html

 3回目の来日は1月7日から20日までの2週間。12月21日に発売された「愛の翼をひろげてのキャンペーンと、3月の来日で行う「スプリング・コンサート」のデモンストレーションのための来日でした。
 今考えれば、過去ログで何度も紹介しているファースト・コンサートの特集番組は、ルネの来日とスプリング・コンサートのデモンストレーションのために、来日前を狙って放映されたのでしょう。しかし、TV放映されるということだけで、ファン・クラブでもくわしい放映日時が書かれていなかったため、この番組を観ることができなかったファンも多かったようです。なぜ年の瀬押し迫った12月30日の午後5時頃に放映したのかは分かりませんが、大掃除等で忙しい日の、それも中途半端な時間帯だったので、観る人も少なくて、デモンストレーションにならなかったのではないかと思いました。出来ればお正月、それもルネの来日直前に放映して欲しかったです。しかし、お正月の特別番組を押しのけて、ゴールデンタイムに放送させるだけの力が、ALFAレコードやSONYになかったのか。それともルネの人気に陰りが見え始めていたからなのか…。

 ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツでは、『メープル・ニュース』に、ルネの来日スケジュールや「愛の翼をひろげて」のリクエスト大作戦の呼びかけが掲載されていました。また、4回目の来日についても、会報で特集記事が組まれていたので分かりませんでしたが、ルネの3回目と4回目の来日は、芸能雑誌ではあまり取り上げられておらず、記事も少なかったことが、ブログを始めてからいろいろ調べて分かりました。

 ルネと山口百恵氏をイメージ・キャラクターにして、アグネス・チャンの「中一コース」と年間購読予約者獲得を競っていた「中一時代」以外で、3回目の来日記事を掲載したのは、日本デビュー前からルネを取り上げ、独占密着取材記事を掲載していた「週刊セブンティーン」だけだったかもしれません。

 今回は、「週刊セブンティーン№4 2月4日号」に掲載された3回目の来日記事を紹介いたします。


 ●3月のコンサートを前に三度目の来日/ルネ
  ちょっぴり太って元気です
  3か月半ぶりに来日したルネ。今回の来日は新曲『愛の翼をひろげて』のキャンペーンと3月25日からはじまる『ルネ・スプリング・コンサート』のデモンストレーション。
 ちょっぴり太って、大きくなったルネは、あいかわらず、かわいい笑顔で元気いっぱい!
『カナダのおうちのまわりは1メートルの雪がつもっていて、毎日スケートやアイス・ホッケーを楽しんでました。今年も一生けんめい歌います。』
 18日には日本をはなれ、パリで「ミデム」というフェスティバルに出席し、世界じゅうで最もレコードが売れたというカップを受賞。
 2月にはロサンジェルスでLPを吹き込むという、あいかわらずの売れっ子ぶりを発揮するルネ。3月下旬にはそんなルネの素顔の生活を撮影した『ルネ・オン・メロディ』という映画も日本で公開される。2月28日で14歳になるルネ。ますます楽しみである。


     ▲今回は2番目の19歳のおねえさん、リンと同行

 この記事の姉リンさんとのツー・ショット写真も、「中一時代」に掲載された写真と同じでした。その写真はルネが銀座を案内している様子でした。

※過去ログ「中一時代のルネの記事②」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/445.html

 それにしても、タイトルが「ちょっぴり太って元気です」って、なんだかなぁ…ase ルネ友の皆さんはどう思われますか?
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中一時代のルネの記事②

2011年01月15日 | 3回目の来日
 昨夜、レコード売り上げランキングによって決定されたアイドル・ベスト50を発表する歌謡番組が放送されていました。もちろんカナダの歌手であるルネ・シマールがランク・インするとは思っておりませんでしたが、つい懐かしくて、普段は歌番組などほとんど見ないシマ姉家でも夫婦で見てしまいました。

 ルネ・シマールを知ってからというもの、私は外国人歌手の歌唱力に魅了され、日本の歌謡界に対する興味が薄れてしまいました。しかし、ルネの来日があった頃、歌謡番組は娯楽の代表格でした。新曲が出るサイクルも今のように短くなかったためで、当時のヒット曲は誰もが知っているという時代でした。
 また、当時のアイドル、新御三家の西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎、中三トリオでスタートした山口百恵、桜田淳子、森昌子、外国人タレント・ブームで人気だったアグネス・チャンや5人兄弟のグループ、フィンガー5などは年代も近かったので、ルネと共演したり、一緒にインタビューされたりすることが多かったようです。

 今回紹介いたします中一時代」の3月号に掲載された記事は、1975年1月にルネ・シマールが3回目の来日をした時の様子を報告したものです。ルネと一緒にメイン・キャラクターを務め、年間購読予約の広告で共演していた山口百恵を差し置いて、桜田淳子とツー・ショットというのがちょっと意外でしたが…。過去ログでも書いたとおり、この時一緒に同行したリン姉さんは西城秀樹のファンで、「スター家族対抗歌合戦」で「雨にぬれても」を歌ったりもしました。また、「ルネとカナダでX'masパーティー」の記事を書いた時は分かりませんでしたが、ルネは日本のファンとバンクーバーで交流した後、途中フランスに立ち寄り、オランピア劇場で3日間コンサートを開いてから来日していたようです。何というハード・スケジュールなのでしょう。前出のツアーに参加されたマリアさんのお話では、ルネは風邪を理由にパーティーで歌を歌わず、翌日は急いでどこかに発ったとのことでした。私はそのまま来日したのだとばかり思っていたのですが、実はパリを回っていたのですね。


帰ってきた天才スター!!
  ルネ・シマール


 新曲『愛の翼をひろげて』のキャンペーンのためにやってきたルネ。忙しいスケジュールのあい間をぬって、おもいでの帝国劇場をおとずれたり、いっしょにやってきたおねえさんを案内したり、久しぶりに日本の空気を胸いっぱいすいこんでいたよ。


        ▲「会うたびにきれいになってくね」
        淳子ちゃんとの再会に大喜び。



        ▲おはしの使い方もうまくなった。

 ▲日本がはじめてのリーヌねえさんを銀座に案内した。



ー3度目の日本はどう?
ルネ 前は2度とも天気が悪くて日本の人はかわいそうと思ったんだけど、こんどは冬なのにあたたかく、晴天ばかりですばらしい。
ーカナダのお正月ってどんなふう?
ルネ おおみそかは家中で徹夜するんだけど、この日は子供でもお酒がのめるんだよ。それから、年が明ける瞬間、車のホーンをみんないっせいに鳴らすの。
ーこれからの予定は?
ルネ 12月に公演したパリのオリンピア劇場からまた申し込みがあって、2月に1週間公演するよ。それにテレビや映画祭にも出るしフランスとアメリカではレコードのふきこみがあるんだ。それから、日本にはまた3月にはやってくるよ。




▲「愛の翼をひろげて」
 3月にまた日本に行くよ。その時は、全国縦断コンサートを予定してるからヨロシク!!



 この来日時、ルネが出演した深夜のFMラジオ番組を聴こうとラジオをセットし、寒いので布団に入ってたら疲れでウトウトしてしまい、気付いた時には番組が終わっていて、自分の不甲斐なさに涙した苦い想い出がよみがえります★
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