ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

カナダからきた歌う星の王子さま<後編>

2013年05月25日 | ルネ・シマール物語
 今日は私の誕生日。
そう、「永遠の14歳」は、ルネが来日した年の年齢!

さあ、シマ姉は何歳か、計算してみよう!(爆★)

 そして、誕生日メッセージをたくさんありがとうございましたsymbol1 これからも頑張ってルネ記事をアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

▲カナダの記事より これこそ歌う「王子様」ですねsymbol1


 今回紹介する記事のタイトルは、「カナダからきた歌う『星の王子さま』ルネ・シマール」!! ルネの日本デビュー前の売り出しには、ルネの天使の歌声や歌唱力よりも、容姿の可愛さや生い立ち、カナダのアイドルであることに注目したものが多かったようです。

 過去ログで何回か書いていますが、ルネについて書かれた記事に「マーク・レスターのような美少年でもなければ、西城秀樹のように男らしくもない」というフレーズがありました。でも、後に見たこれ以外の記事では「可愛い」や「美少年」という評価がほとんどでした。しかし、当時このフレーズが脳裏に焼き付いてしまった私は、前出の記事が一般的なルネの容姿に対する評価と勘違いし、私の美の基準は普通とは違うと思い込んでしまいました。特にマーク・レスターのことを、私は美少年と思ったことがなかったので、この記事のせいで、反発して彼のことを嫌いになってしまったくらいです。

 サン=テグジュペリの『星の王子さまの挿絵の王子は「美少年」というより「可愛い少年」ではありますが、少なくとも、この記事でのルネも、「愛らしくて純粋で、歌うことが大好きで、家族のためにバーで歌う健気な少年」ととらえられています。当時、外国人タレント・ブームの上、日本人が大好きな「逆境に負けない健気さ」は、ルネの圧倒的な歌唱力を見せつけられる前でも、魅力的に映ったかもしれません。後で紹介する女性向けの姉妹誌「女性セブン」では、この記事が「週刊セブンティーン」に掲載された後すぐに、ファン・クラブへの問い合わせがたくさん届いたとありますので、ルネは、容姿の可愛さだけでも、日本人の心をしっかりとらえてしまっていたのでしょう。


カナダからきた歌う
       『星の王子さま』

        ルネ・シマール


運命の出会い---教会

 そんなある日、教会で結婚式が挙げられ、ルネは聖歌隊のひとりとして、式に参列した。
 例によって、ルネがソロのパートを受け持ち、、礼拝堂は清純で敬虔な空気で満たされた。
 その式のあと、、ルネは、花婿に声をかけられた。
 「わたしはギー・クルティエという。いつかきっと君にあうと思う。」
 ギー・クルティエは、若いながら、タレントのスカウト・マネージャーとして独立したばかりだった。
 ギーは、早くルネの才能をみぬき、いつか彼をプロの歌手として育ててみたいと考えたのだった。
 「いつか君とあうとおもう」
 ギーの予感は意外とはやく実現した。結婚式から数ヵ月後、仕事で地方へでていたギーのもとへ、母から電話がかかった。母は興奮した口調で、こう語った。
 「いまね、テレビで天使が歌うのを聞いたのよ。そう、ほんとうに、あれこそ天使の声だわ。あなた、いますぐ、その天使と契約なさい。」
 「もしかして、その子は、ルネ・シマールっていわなかった!?」
 「そう……そうよ。でもおまえ、どうしてそれを知ってるの?」
 母のいぶかることばをそのままに受話器をおくと、ギーは、ケベック市に車を走らせた。
 ルネは、バーで歌ってお金をかせぐかたわら、テレビのスター登竜門番組に出演し、歌手としてデビューの機会をねらっていた。
 ギーの母が見たのは、その番組のひとつ。息子の手助けをしようと、いそいで知らせたのだった。
 母の知らせを受けて、ギーがかけつけたとき、ルネは10数人のエージェントにかこまれていた。
 が、ルネはギーの顔をみると、ニッコリ微笑んでいった。
 「ぼく、どうしたらいいの?」
 ルネはまだほんの少年だった。勝手がわからずとほうにくれていた。顔見知りのギーに、助けを求めたのだ。



ぼくは歌うのが大好き!

 いちばん初めに、才能をみとめてくれた、ということで、ルネはギーをマネージャーにえらんだ。
 ギーもまた、ルネの才能をだいじに育てようと考えた。ルネの持つ愛らしさ、清純さをだいじに、汚れない心を失わないように心がけた。なにしろ、ルネはそのころまだ10歳だった。
 こうして、ルネはデビューした。デビュー曲の『鳥』は、たちまちにヒットし、ケベックだけで10万枚売れた。
 つづいて発売した同じ題名のLPも、14万枚をこす売れゆきだった。
 ルネは、もうバーで歌う必要がなかった。テレビに出演し、ステージからステージへと、スケジュールがつまっている。
 1961年2月28日生まれ、13歳のルネは、いまではカナダ1のスターだ。
 ルネのいくところには、必ずティーンがあらわれ、
 「ルネ」
 と、黄色い声をはりあげる。ルネ・シマール--ティーンのそれはカナダのアイドルだ。
 ルネが、髪を波うたせて歌う、黒い目を細めて微笑むとき、女の子は熱狂する。
 あのせま苦しいアパート住まいは、もう過去のものとなった。だが、ルネは今もこういう。
 「ぼくは歌うことが大好きなんだ! パパ」
 カナダのケベック州チクーティミで、歌うために生まれてきたルネ・シマールは、まもなくカナダを代表する歌手として、日本にやってくる。
 第3回東京音楽祭で、ルネが歌うのは、さいとう大三作詞、村井邦彦作曲の『ミドリ色の屋根』だ。そのために日本語も勉強した。
 東京音楽祭に、これほど年のの若い歌手が出場するのは初めてだ。
 東京音楽祭は6月29日に準決勝、30日に決勝が行われる。そのあとルネは、『火曜歌謡ビッグマッチ』『歌え!ヤンヤン!!』『ギンザNOW』『ひるのプレゼント』などに出演する。
 カナダと同じように、ルネなチャーミングな声が、帝劇にひびき、テレビスタジオに流れ、おおくのティーンをひきつけるにちがいない。


▲ルネはステージで、兄ルジが作曲した『母さんは天使』をかならず歌う

特報
ルネのファン・クラブ誕生!
 ルネの来日(6月26日)にさきがけて、ファン・クラブが誕生しました。
 会員には、
①ルネのサイン入りブロマイド、およびバッジをプレゼント
②フィルム・コンサートにご招待。
③コンサートの優待割引きなど、たくさんのステキな特典があります。
 くわしいことは、
〒108東京都港区芝浦3-5-39 スタジオ・シティ内 ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」係あて、ハガキでおたずねください。
  


 今回紹介した後半部にも、実際とは異なるところがあります。まず、レジスは『ぼくのママは天使』の作詞者です。
 そして、今回の記事でも、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画『Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-』でも、ギーの結婚式で歌ったのは、テレビで歌ったのよりも前になっていますが、過去ログで書いたとおり、ギーの母が結婚式に参列していたら、テレビ出演以前にルネを知っているはずです。よく考えれば分かるはずですが、映画の演出でそうなったのでしょうか? 当時の新聞(または芸能雑誌)記事で報じられているので、ギーはルネを、母と自分の事務所のタレントからの連絡で知ってスカウトし、その後で自分の結婚式で歌わせたというのが事実のようです。

※過去ログ「ルネのデビュー裏話」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/574.html

 そして、ルネのファン・クラブの特典で、「フィルム・コンサートへの招待」や「コンサートの優待券割引」が明記されています。日本の「ルネ・プロジェクト」では、ファースト・コンサートやファースト・アルバム、市川崑監督による「RENE A TOKYO」等の計画が、この時すでに進んでいたということですね。本当に、ルネの来日40周年を前にして、39年前とカレンダーの並びが同じこの年に、いろいろなことが分かるのも何かの縁なのかもしれません。この流れで、ルネが日本と関わるイベントが持てたら最高に幸せですねsymbol1symbol1


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


ルネの「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」のアンコールプレスの出荷日が5月30日に決定しましたね! 早く手元に届くのを楽しみに待ちましょう♡

<報告>
 過去ログで募集していました、西城秀樹氏のアルバム・セットのもらい手が見つかりました。仏語版「傷だらけのローラ」の歌詞のためだけに入手し、ずっともらっていただけるファンの方を探していましたが、facebookの方で、ルネ・ファンであり、西城秀樹氏のファンでもある、希望していた以上の方に引き継ぐことができました♡

<猫のアスカ その後>
 とにかく元気です★ 昨夜は、息子に遊んで欲しくて、何度注意してもパソコンのキーボードに乗って息子の逆鱗に触れ、部屋を締め出された後は反省したらしく、義父母の部屋に身を寄せていました(笑)。大好きなおもちゃで大興奮し、エンドレスに遊ぶので、おもちゃを隠せば探し出して大暴れのやんちゃ猫になっています。

<グリーンカーテン その後>
 黒小玉スイカ「ブラック・ボンバー」が育っていないのでよく見たら、根切虫にやられた? ただ今、別の小玉メロンに植え替えて様子を見ています。昨年こぼれたアサガオの種がたくさん芽吹いて、間引きが必要そう★ 他は順調に生育していますが、まだまだ気が抜けません。

<職場のアマガエルと鉢植え その後>
 一昨日、窓辺がジャングル化しているため、犬走りにパッションフルーツ、オリヅルラン3鉢、シャコバサボテン2鉢、冬越ししたベゴニア6鉢、カランコエ2鉢を出しました。窓辺にはまだ、オリヅルラン1鉢、カランコエ1鉢、ベゴニア2鉢とミニトマトの鉢と、寄せ植えが2鉢残っています。寄せ植えのアマガエルはというと、私が出張している間、流しに現れ、2日後には机とゴミ箱の間にはまって寝ているのを強制送還★ またいなくなったと思ったら、鉢植えの穴に入っていたり、午前中いなかったのに、また同じ寄せ植えに舞い戻っていたり…と、私との「かくれんぼ」を楽しんでいるように思えてなりません。お隣の部署の鉢植えの植え替えで出てきた「ニシドッコ(根切虫のさなぎ)」をあげたら、硬くて食べられず、また放浪の旅に…。そのため寄せ植えをいつ外に出すか思案中です(溜息)。


 今日は主人が陸上大会やら育成会の会議やらでいないので、美容室に行っちゃおう♪ 誕生日のお祝いは、明日に延期のシマ姉家なのでした。 
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カナダからきた歌う星の王子さま<前編>

2013年05月19日 | ルネ・シマール物語
 カナダのケベックにおいて、スーパー・アイドルとしての地位を不動のものとしていたルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会出場のために来日したのは、1974年6月26日(水)でした。

 実はつい最近まで、私は、「ルネは、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にして大ブームを巻き起こしたから、日本で活動することになった」と思い込んでいました。何故なら、私がコレクションしているルネ記事のほとんどが、グランプリ受賞以降のものだったからです。しかし、ルネはこの大会に出場するためだけに来日したのではなく、ALFAレコードCBSソニーの綿密な計画によって仕掛けられた「ルネ・プロジェクト」の下に、日本でデビューするために来日していたのでした。ですから、東京音楽祭はあくまでも日本デビューのための足掛かりであって、日本のTV番組への出演も、来日前からすでにスケジュールに組み込まれていました。それについては、今回紹介する記事にも記載されています。

 ルネの日本デビューを前にして、音楽関係者対象の専門誌には「ミドリ色の屋根」の広告が1ページを使って大きく掲載されていました。そして、今年に入って入手した雑誌の切り抜きから、大会出場以前に、ルネを紹介している雑誌がたくさんあったことを知りました。それは紛れもなく、日本で売り出すための伏線であり、ルネのデビューに如何に力を入れていたかを証明するものでした。

 それでは、日本デビュー前にルネを紹介した記事の1つ、「週刊セブンティーン」に掲載された「カナダからきた 歌う『星の王子さま』 ルネ・シマール」を、2回に分けて紹介いたします。


ボクはパパと”ミドリ色の屋根”のうちに、住みたい!!
カナダからきた  
    歌う『星の王子さま

          ルネ・シマール
 東京・帝国劇場で開かれる東京音楽祭(6/29~30)に13歳の少年が参加する。カナダのティーンのアイドル、ルネ・シマール!! 美しいボーイ・ソプラノ、あどけない笑顔。そんな彼にかくされた、意外な物語を紹介しよう。

街から街へさまよう歌声

「ルネ、この店にもはいってみようか」
 ここはカナダの雪にとざされた街チクーティミ。
 ギターをかかえた兄ルジがこういい、ふたりは1軒のバーのドアを押した。
「おじさん、歌わしてよ」
 ルネはバーの支配人にいい、ルジのギターを伴奏に歌いはじめた。
 およそ場ちがいなルネのボーイ・ソプラノがたばこの煙のあいだをぬって流れた。一瞬、バーの客たちはとまどったが、やがてききほれ、ルネが歌い終わると、割れるような拍手がひびいた。
 だから、ルネが帽子を持って、テーブルのあいだを歩くと、それにいくつかの硬貨が投げこまれた。
「きょうはこれくらいでいいだろう。宿題だって残ってるしな」
 ルネがいい、ふたりは暗い夜道を急いだ。きょうだいが帰りついたのは、、壁がくずれ落ち、天井もしみだらけのボロアパートだ。
 しかも彼らの部屋は暗くじめじめした地下だった。だが、ルジとルネのきょうだいは、明るい微笑みを浮かべていった。
「パパ、ほらみてごらん、きょうはこんなにかせいじゃったよ」
 ベッドのなかのパパはかすかにうなずいていった。
「すまんな、おまえたちにまで苦労をかけて」
「いいんだよ。ぼくは歌うことが大好きなんだから」
 ルネはやさしく、パパにキスをするのだった。
 ルジとルネは7人きょうだいの5番めと6番め。下にはまだ、小さい妹がいる。だからパパが病気になっていらい生活は苦しい。
 ケベック市の生活保護を受けているのだけど、それだけでは足りないから、ルジとルネが、歌を歌ってかせいでいる。
 以前は、もっとましな家に住んでいた。
 せまいながらも庭がありママは花壇を作って、花を育てていた。
 パパも、材木工場のコックさんとして腕をふるい、日曜日には、聖歌隊のリーダーとして、教会にかよっていた。
 もちろん、ルジもルネも聖歌隊員だった。とくにルネは才能がみとめられて、よくソロのパートを受けもたされていた。
                    (以下、次回記事に続く)



 他の記事にも見られるのですが、間違った情報で書かれているところがいくつかあります。まず、「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-」でも描かれている、ケベックのバーで歌っていた頃は、シクーティミではなく、ケベック・シティのサビニエール・ドリオン通りに住んでいました。パパが喘息で働けなくなり、オルレアン島の白い家から、アパートの地下室4部屋に移っていました。また、ルネは7人兄弟の5番目で、兄レジスは4番目。ルネの下には弟ジャン=ロジェと妹ナタリーがいます。さらにこの記事では、パパはルネとレジスがバーで歌っていることを知っていますが、実際には両親に内緒で歌っており、ルネの天使の歌声がケベックで評判になって両親の耳にも入ったことになっています。
 他にも読み方の違いで、仏語では「チクーティミ」ではなく「シクーティミ」、「ルジ」は「レジス(レジ)」だったりしますが…。

 次回はこの記事の後半を紹介いたします。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 やっと週末を迎えることができてホッとしています。
 実は、先週12日の日曜日は、前夜から熱を出して寝込んでいました。月曜から一泊の出張が入っていたため、薬を飲んでひたすら休養に徹した「母の日」。出張は、半病人には少々きついプログラムもあったのですが、どうにか乗り切ることができました。しかし、のどの痛みと関節痛が改善されず、金曜日の出張が無事済んで一安心しています。

 
▲初「猫アスカ」画像(3度目の入院から退院 毛刈りされた手術痕にも毛が生えてきましたよ)

 そして昨日は、外せない仕事関係の「運動会」を午前中見に行き、その帰りに入院中の猫のアスカを迎えに行きました♡ ところが午後、息子をスイミングに送って行こうとしたら、今度は息子が微熱。現在息子の小学校ではインフルエンザが流行中で、6年生だけが創立記念遠足を13日に延期し、14日からは4年生の1クラスが学級閉鎖の上に、息子のクラスでも数人…それも、息子の座席の周りの子たちが発症していたため、大事を取って欠席させました。ところが、息子はスイミングを休んでおきながら、猫のアスカと遊んで大喜び。今はすっかり元気です。

 さて、今年のシマ姉家のグリーンカーテンですが、「うどんこつよし」という、病害虫に強い品種を2苗とミニトマト「あいこ」。黒小玉スイカはもと朝顔のプランターに植えました。朝顔は地面からもプランターからも、昨年こぼれた種から芽が出ています。それから、昨年のサヤインゲンの種も蒔いてみました。しっかり芽が出ていますが、今年は昨年まだ小さかった垣根が育っているので、日当たりの面がちょっと心配です。今年の夏の暑さはどうなのでしょう? どちらにしても、グリーンカーテンで涼と収穫を楽しみたいです♪

▲職場のアマガエル(正面顔はエサをもらったすぐ後 もう少し顔を上げている時は、もっと笑っているように見えました まだまだ太めちゃんです 笑)

 そして、職場のアマガエルはとうとう私の手から直接エサを食べるまでになりました。水曜日に、教室で捕まえたハエ(? アブやイエバエではない)を食べた後の正面顔が満面の笑みに見えましたが、翌日からまた旅に出ています(笑)。パッションフルーツの花が次々に咲き、プチトマトも程良く熟れ、パッションフルーツとオリヅルランが元気に伸びて窓辺がジャングル化してきているため、そろそろ外の犬走りに移動しようと考え中です。

▲左:職場のパッションフルーツの花(トケイソウの一種)
 右:シマ姉家のご近所のポピー畑 今年は咲き始めに撮れたので綺麗♡


 昨年いただいた庭の「ブルーベリー」や、さらに尾ヒレが立派になった熱帯魚のベタ「チッチ」、職場の水槽で増え続けるミナミヌマエビ軍団など、これからまだまだ楽しみがいっぱいです。ルネ友の皆さまにも、ルネ記事と一緒に楽しんでいただければ幸いです。

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”普通の子供”の紹介記事④

2013年05月11日 | ルネの活動記録
 今回は、”Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”について報じたカナダのルネ記事を紹介するシリーズ第4回(最終回)です。


 ルネのセミ・ドキュメンタリー映画Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”は1972年4月13日(木)から劇場公開されました。ルネ一家はこの日、ケベックの映画館キャピタル・ドゥ・ケベックでこの映画を観賞しています。それについての記事はまた改めて紹介いたします。ルネ一家が映画館に着いたところの写真は、この記事の最後にアップいたしましたのでご覧ください。

▲同名のアルバムより

 この映画は、過去ログでも書きましたが、本人が自分自身を演じました。それによって、よりリアルにルネの生活の様子が描かれたと思います。そしてファンにとっては、大好きなスターの家族や実際に住んでいる家を見ることができる、嬉しすぎる映画だったと思います。(そのためオルレアン島にはファンが押し寄せて、ルネが地元の友だちと自由に遊べなくなってしまったりしたのですが…)。

 芸術劇場のリサイタル・シーンにおいては、この映画のために再現したのではなく、映画の撮影期間中に行われた実際のリサイタルをそのまま記録したものでした。もちろんこの映画に使うために撮影スタッフが随所に配置されていました。リサイタルの楽屋での様子なども撮影されており、新聞記事でもルネとスタッフの様子が紹介されていました。また、ローラ・シコード(仏語読みでは「ローラ・スコール」)の缶プリンのTVコマーシャル撮影シーンも同様でした。

※YouTube映像"Laura Secord ....Archive personnel de Normand Daoust"


 余談ですが、日本でこの映画が「ルネ・オン・メロディ」として公開された時のロビー・カードに、「ローラ・シコード(カナダ軍にアメリカ軍の奇襲作戦の情報を伝えた勇気ある女性)」の伝記映画のものが含まれていたのは、この缶プリンのCMのためだったのですね。カナダで公開された時、このロビー・カードも掲示されていたのかどうか、興味深いところです。しかし、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報やファースト・コンサートのプログラムにも、カナダについての内容が掲載されていたので、1年後のモントリオール・オリンピック開催に向けて、当時まだ知名度の低かったカナダを知ってもらうためのPRも兼ねていたのかもしれません。


 それでは、本題の新聞記事の紹介です。

ルネのための2つの道(職業)?
 開拓されていない才能を
      残しておく権利はない
-彼の父
左:芸術劇場でルネの兄レジスは、ルネと何曲かを歌う その歌の作詞をしたのはレジス
右:ルネと彼の父は真の友 彼らは一緒に大いなる栄光への道を上る


▲左:ギー・クルティエ夫人は彼女自身で、全く不満の無いように見える神童の髪を整える
右:ダニエル・パシャンは、ルネの兄レジスに心を奪われている 彼は11歳


▲左:舞台に上がる前、クローディーヌ・バシャンは、ルネの衣装の着付けの最終チェックを行う
右:舞台に上がる前に、リシャール・マルタンはルネに最後の指示を与える 彼の芸術劇場のステージは、もちろん映画の一部になるだろう


▲左:第2の保護者であり、興行主でもあるギー・クルティエは映画監督ドゥニ・エルーと最終の脚本を作成する
右:ルネの舞台終了後、ルネの妹ナタリーはこのように幾つかの贈り物を受け取る


▲ルネ・シマールは彼のパパを伴い、その他の家族を連れて映画館キャピタル・ドゥ・ケベックに到着した


 まだたった10歳(最後の写真も11歳になったばかり)のルネ。すでに大人顔負けのプロ根性で仕事をやり抜いていたといえ、この天使のような愛くるしさが、ケベックのお母さんたちのハートを撃ち抜いたというのは納得がいきます。特に最後の映画館到着の写真は、一瞬ナタリーかと思うほど女の子みたいに可愛らしいですねsymbol1


 そして次回紹介する記事は、「カナダからきた歌う星の王子さま」です。お楽しみに!!
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”普通の子供”の紹介記事③

2013年05月05日 | ルネの活動記録
 今日は端午の節句「こどもの日」。そして息子の誕生日。

 ゴールデン・ウィークも後半戦。シマ姉家はいつもの「ペンション山日記」にお泊まりしてきました。1日目の3日は「りんどう湖ファミリー牧場」に行く予定でしたが、新学期疲れか、朝から微熱があった息子の熱が上がっており、その上あまりに混雑していたので断念(原発事故による風評被害は解消されたようです)。「与一」の「那須の内弁当(なすべん)」を食べて、子供用感冒薬と冷却シート等を購入し、早々とチェックイン。息子の小学校の6年生の間ではインフルエンザが流行中で、創立記念遠足も6年生だけ延期になっていたため、インフルエンザを心配してキャンセルも考えました。でも、夕食後に熱も下がって一安心。朝食は食欲全開で完食し、昼食も夕食もいつもどおりに食べてすっかり元気になりました。今日は息子御用達のバースデー・ケーキとお寿司をたっぷり食べてもらえそうです。
 そして、猫のアスカですが、手術後に茶色の縞模様の毛が生えてきました。息子が操るネズミのおもちゃに、別の猫かと思うほどパワー全開で遊び、1人と1匹とも疲れて爆睡するほど元気になっていました。ところが、抜糸した跡が腫れて膿がたまり、1日の木曜日から3度目の入院をしています。連休明けの退院は無理とのことですが、退院をシマ姉家全員で待っています。

 それから、トップ・ページでお知らせいたしましたとおり、ルネの全曲集GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールの購入予約が5月15日の締め切りを待たずにSOLD OUTになってしまいました。前回購入できなかった方たちは予約されたでしょうか? たくさんのルネ・ファン方々が予約できたことを祈るばかりです。


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 さて今回は、”Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”について報じたカナダのルネ記事を紹介するシリーズ第3回。この映画の監督を務めたドゥニ・エルーとの記事を中心に紹介したいと思います。

<ドゥニ・エルー>
・1940年7月15日、モントリオール、ケベック州生まれ
・カナダの映画監督でプロデューサー
・ルネの俳優としての才能を買って、”J'ai mon voyage! (1973)”にも主役夫婦の息子アンドレ役に起用する
・アトランティックシティのアカデミー賞のノミネートを受けた
・1981年に第31回ベルリン国際映画祭審査委員会のメンバー



 ルネはとても勘が良く機転がきいたので、VTRが無かった当時、生放送のドラマでもアドリブを入れて演技をこなしていたといいます。それはベテランの俳優でさえも舌を巻いたとのこと。そして、すでに歌手としても、子役俳優としてもその実力を認められていたルネは、映画監督ドゥニ・エルーにとっても、スーパー・アイドルとして、確実にヒット作を生み出せる魅力的な逸材だったことでしょう。
 また、幼いルネのために、映画製作のスタッフは十分配慮して撮影に臨んでいたようです。1日5時間の活動時間の中で効率的に撮影を進めるには、ルネの集中力を切らしてはいけません。楽しい雰囲気の撮影現場になるように努めていたのでしょう。そして監督エルーは、この映画の撮影中、ルネが長期間の撮影で意欲を失わないように、映画の内容について説明を欠かさなかったようです。それでもルネにとって、2か月の撮影期間は体力的にも精神的にもきつかったはずなのに、わずか10歳でやり抜くルネは本当にすごいと思います。そのプロ根性があったからこそ、現在のルネがあるのですが…。

舞台の神童たち
 ルネ・シマールはケベックの芸術家集団以前に、大人同様の納税者である:それは神童の中の王


▲上の記事と同じ場面のYouTube映像 主題歌”Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”のスタジオ録音の場面

▲ドゥニ・エルーは承認された:それはルネ・シマールと一緒に仕事をする真の魅力

▲ドゥニ・エルーは映画の撮影の間、若い歌い手に、これがどんな映画になるかを説明した

▲左:ドゥニ・エルー(サングラス)は映画「普通の子供」の撮影班に指示を出す
 右:ドゥニが録音テープを聴く ルネの歌に陶酔しているようだ 


 

 次回はこのシリーズの最終回。その後は、ルネが初来日した1974年のカレンダーに合わせて当時の記事を紹介していく予定ですのでお楽しみに♪
 ルネ友の皆さまも、充実した連休をお過ごしください♡
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