ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネとリーナ③

2009年11月29日 | ミドリ色の屋根の頃
 11月22日(日)、以前にも紹介した栃木県の那須のペンション『山日記』に宿泊してまいりました。

 その日は地元のミニ運動会に親子3人で(主人は役員という名目の裏方さんとして 笑)参加したので、ペンションに到着したのは夕方、日が暮れてからでした。たまたま、10年来のリピーターさんというご夫婦ともご一緒しました。私もそうですが、オーナーご夫妻のお人柄が一番の魅力の『山日記』。夕食の那須山牛のステーキも、ここで紹介していただいてから私のお気に入りになった『あ・かうはーど』(安愚楽牧場直営のステーキ・ハウス)のことを覚えていて選んでくださったメニューなんです! 息子にとっても、既に『鳩時計のおばちゃんち』となっているアットホームなペンションです。オーナーご夫妻の心配りが行き届いたお部屋やお庭、美味しいお料理や家族風呂で仕事の疲れを癒し、しっかりリラックスしてきましたよ♪ さらに、ホーム・ページの22日のプログにも初コメしちゃいました~(笑)。 

※ペンション「山日記」ホーム・ページhttp://www2.ocn.ne.jp/~yamaniki/ 


▲ペンション『山日記』とオーナーご夫妻

 ペンション『山日記』について詳しく知りたいという方は、ホーム・ページをお読みくださいね。また、ホーム・ページのお土産コーナーでは紹介されていませんが、今回つい購入してしまったのが、こちらのお品。昔ながらの数珠玉を使ったお手玉セット(偶然にも、その日のTVアニメ『ちびまる子ちゃん』は数珠玉の話でした)、フェルトの猫のコースター3枚組、古布を使ったブローチと携帯ケースにラベンダーのサシェ2個組。全部オーナーご夫妻のお知り合いの手作りです。子どもにはお菓子のセット、女性には和風ハンカチ(数種類の中からお好きな柄を選べます)のお土産付きというのも嬉しいサービスですね。那須にお越しの際は、是非一度お泊まりになってみてはいかがでしょうか。


▲『山日記』のお土産です

 そして何と、前回紹介した時の記事を読まれた方が宿泊されたという嬉しい報告をいただきました。その方は当ブログを楽しみに読んでくださっているそうです♪ お心当たりのある方は、是非コメントを入れてくださいね~。是非是非ルネ友になりましょう!

 
       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 さて、今回は「ルネとリーナ」の3回目。 前回の予告どおり、『月刊明星 1974年9月号』に掲載されていた記事を紹介いたします。

 カナダの少年歌手ルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、日本にルネ旋風を巻き起こした1974年、リーナもその歌唱力で世界から注目を集め、『ママ 恋かしら』を日本でヒットさせていました。

 しかし、リーナ・ザヴァローニは拒食症を患い、36歳の若さでこの世を去ってしまいました。あまりにも幼い時代に脚光を浴びてしまったローティーンのアイドルが、おとなのスターになるために大変苦労したり、挫折して芸能界を去ることは多いけれど、それでも、『あの人は今』的な特集番組で、元気に第2の人生を歩んでいる様子を見ることが出来れば、当時のファンは懐かしく思いながら、幸せな気分になれるものです。しかし、亡くなっていたという事実を知ったときはとても辛いですよね。現在も現役で芸能活動を続けているルネやセリーヌ・ディオンのような存在は本当に稀で、ファンにとっても幸せなことなのだと実感してしまいました。


▲マカオから帰ってきたルネの記事
  (カナダのコミュニティー”PASSION SIMARD”より)



 今回紹介する記事は、まだ拒食症を患っていない、明るく元気一杯な頃のリーナです。以前この記事を紹介したときはルネの部分だけでした。ルネとリーナ、両方の記事がそろった完全版を紹介したいと思います。

カナダとイギリスからやって来た…
 ふたりのちびっ子シンガー



《ママ 恋かしら》リーナ
デビュー曲が 世界で200万枚以上も売れている10才の天才少女リーナ 6月末に来日したときのテレビ・フィルムがいまも放映されていて「ママ 恋かしら」はいま日本でもヒット中 リーナがヒットしたきっかけは テレビの視聴者参加勝ち抜き番組への出場 連続6回もトップをとったのだ

いま 世界中をキャンペーン旅行しているリーナには、いつも家庭教師のギルマン先生がついている 毎日3時間は勉強するが、リーナの得意なのは国語(英語)と算数 ヒマなときは魔女と妖精をテーマにした詩を書いている 夜になるとパパやママが恋しくなり 毎晩ロンドンに電話しているリーナ スパゲッティにイチゴクリーム さくらんぼの大好きな甘えっ子だ




《ミドリ色の屋根》ルネ・シマール
すき通るようなきれいな声 茶色のサラサラした長い髪… 『ミドリ色の屋根』を歌って みごとに東京音楽祭のグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した13才のルネ 受賞決定の瞬間 そのくっきりした二重まぶたの瞳を 涙でいっぱいにしたかわいいルネーー
彼はカナダのスーパー・アイドルで TVのレギュラー番組を持っているほか 自伝映画にも出演して大ヒットさせたほどの人気者だ 歌をはじめたのは 教会で聖歌隊のリーダーをしていたパパの影響 また7人きょうだいの下から2番めという にぎやかな環境の中で育っただけに茶目っ気たっぷり いつも楽しい雰囲気をまわりにただよわせている 8月中旬の再来日が 今から楽しみだね




 『ルネとリーナ』の記事は今回で終わりですが、リーナの歌う”Mama”の仏語版、ルネが歌う”Maman laisse-moi sortir ce soir(ママ 今夜遊びに出かけてもいい)につながっていくことは、当ブログの常連さんには想像がつきますよね(爆★)。

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ルネとリーナ②

2009年11月22日 | ミドリ色の屋根の頃
 前回予告したとおり、今回の記事は『ルネとリーナ②』。

 カナダの少年歌手ルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、日本にルネ旋風を巻き起こした頃、リーナもその歌唱力で世界から注目を集め、『ママ 恋かしら』を日本でヒットさせていました。

 ローティーン時代のルネとリーナには、けっこう共通点がありますので、その中のいくつかを紹介したいと思います。


▲PASSION SIMARDより

 
1 デビューはテレビのコンテスト番組への出場が
 きっかけ

  ル ネ:ケベック市のアマチュア歌手のコンテストに
      優勝した後、「テレ4」という人気テレビ
      番組に出場し、15週勝ち抜いて優勝した。
  リーナ:テレビの視聴者参加勝ち抜き番組へ出場し、
      連続6回トップをとった。

2 2人を歌手としてスカウトし、プロデュースしたのは
 有名なコンビ。

  ル ネ:プロモーターのギー・クルティエと、自らも
      アーティストだったルネ・アンジェリル。
  リーナ:イギリスの有名なプロデューサー、トミー・
      スコットと、ニール・リードの『ママに捧げる歌』
      をヒットさせたフィリップ・ソロモン。

3 TVのレギュラー番組を持ち、歌だけでなく司会等も
 務めていた。


4 長期のコンサート・ツアー等には家庭教師がついて
 きて、学校に通えない分の勉強をしていた。

  ル ネ:オフの日や長期休暇中も家庭教師の先生に
      勉強を教わっていて、数学と語学が得意。
      成績はいつもクラスで3位以内。
      さすが語学が得意と言うだけあって、
      ルネは5回の日本語のセミナーで、
      『ミドリ色の屋根』を歌い上げ、簡単な日本語の
      会話をこなしていました。前回で紹介した記事の
      「外国語をよく吸収する天性の才能がなければ、
      ハートにうったえるうたい方はできないもの。」
      が証明されていますね。
  リーナ:家庭教師はギルマン先生。英語と算数が得意。
 ※ 『数学』と『算数』の違いは、年齢の違いから通訳
  (または翻訳者)が区別したのでしょうね。


5 フランク・シナトラ氏との関わり
  ル ネ;第3回東京音楽祭世界大会で、特別ゲストだった
      シナトラ氏から賞を贈られ、氏の推薦でアメリカ
      のショー・ビジネスの世界に招待された。
  リーナ:ハリウッドでフランク・シナトラ、ルシル・
      ポールとチャリティー・ショーを行った。
 ※シナトラ氏は新人発掘に力を注いでいたのでしょうか? 
  過去ログにも書いたとおり、セリーヌ・ディオンも氏と
  デュエットしています。



 『女学生の友 1974年9月号』の記事では、「日本を舞台にしたふたりのティーン歌手の勝負は、まだまだこれから。どちらがヤングのアイドルになれるか、それともふたりとも、日本のティーン歌手にやぶれるか、興味深い勝負なのです。」と締めくくられていました。ふたりとも歌唱力で日本のティーン歌手に負けることはありませんでしたし、本国や世界での活動に焦点を絞って、来日が無くなっていったので、『JOTOMO』の記事にあるような興味深い勝負は、実際には実現しなかったとも言えます。

 しかし、『ルネ・シマール』と『リーナ・ザヴァローニ』。このふたりは、その後の人生において、はっきりと明暗が分かれてしまったのです。
  

       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネ・シマールとリーナ・ザヴァローニの記事は、『月刊明星 1974年9月号』にも掲載されていました。過去ログでこの記事を紹介した当時、左ページのルネの部分しか持っていなかったため、右ページが誰なのかわかりませんでした。しかし、前出の2誌を入手したことによって、ニーナのことを初めて知りました。ルネと比較される程の歌唱力をもった少女リーナについて、インターネットで調べてみて驚きました。それは、リーナがすでに亡くなっていることがわかったからです。

      

<リーナについてのデータ>
リーナ(レナ・ヒルダ)ザヴァローニLena Hilda Zavaroni
1963年11月4日 スコットランド・エジンバラ生まれの女性ポップシンガー。Zavaroniはイタリア移民だつた祖父のミドルネーム。音楽家の両親、父ヴィクターのギターと母ヒルダの歌で、彼女自身も2歳からギターを弾き、歌を歌っていた。1974年に『ママ 恋かしら "Ma He's Making Eyes At Me"』がヒットチャート米国で91位、英国で10位にランク・イン。10歳でイギリスのアルバムチャートのトップ10に入った史上最年少のアーティストとなった。同年、ハリウッドでフランク・シナトラ、ルシル・ポールとチャリティー・ショーも行っている。
しかし、13歳から症状が現れ始めた拒食症との長い闘病生活の末、1999年10月1日、肺炎により36歳で死去。



 YouTubeにはリーナの映像がたくさんアップされていました。過去ログで紹介したものも含め、再度リンクしておきましたのでご覧ください。そして、天才少女と言われた歌唱力とともに、明るく弾けんばかりに元気でおしゃまな少女歌手リーナの歌を楽しんでいただきたいと思います。

 でも、19歳のリーナは…。私はこの映像の紹介文を読まなかったら、20代後半の映像としか思えませんでした。ふんわりとしたドレスでカバーしているような、少女時代からでは想像もつかないほど華奢な身体は、若々しさが感じられません。そして、彼女は後に結婚もするのですが、亡くなる前の映像はあまりにも衝撃的過ぎて、私はブログで紹介することが出来ません。それは、異常なまでに痩せこけて、ミイラのように骨と皮だけになったリーナが、拒食症を紹介する番組で取材を受けているものでした。好んで食べているという和食。レストランで、辛うじて身が浮いているような味噌汁をスプーンで飲んでいるところや、拒食症撲滅のキャンペーンのためにヌードを公開しているところなど、初めは人違いだと思ったくらいです。同じイギリス出身の歌手、カーペンターズのカレンも拒食症で亡くなっていますが、少女リーナに何が起こってしまったのでしょう。

♪日本でもヒットしたリーナの出世曲"Ma He's Making Eyes At Me(ママ 恋かしら)"Lena Zavaroni Sings A Silly "Ma He's Making Eyes At Me"http://www.youtube.com/watch?v=SSnNbZnCIY4&feature=related

♪ルネが歌う”Maman laisse-moi sortir ce soir(ママ 今夜遊びに出かけてもいい)” の英語版(原曲)Lena Zavaroni Sings "Mama" on Tonight Showhttp://www.youtube.com/watch?v=J09IeN-ONbk&feature=related

♪Lena Zavaroni Sings "What a Wonderful World"
http://www.youtube.com/watch?v=cFcWA0lz0SU&feature=related


♪ミュージカル”Cats”より”Memory”を歌う19歳のリーナ
Lena Zavaroni sings Memory, 1982
http://www.youtube.com/watch?v=FcVP3b66Dxw&feature=related


 そして、調べるうちにどんどん長くなってしまった記事は、友人やんばるQさんの予想どおり、「ルネとリーナ③」へと続くのでした…。前出の『月刊明星 1974年9月号』に掲載されていた記事もパート3で紹介いたします。



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ルネとリーナ①

2009年11月15日 | ミドリ色の屋根の頃
 10月31日のハロウィーンが終われば、今度はクリスマス。すでにクリスマスのオーナメントが街を飾り始めています。日が暮れるのが早いので、職場からの帰りに、車を運転しながらでも、商店街や個人のお宅の凝ったクリスマス・イルミネーションが目につきます。欧米では、わざわざ道からよく見える部屋の窓際にツリーを飾ったり、イルミネーションを工夫したりするのが定番ですが、日本でも、クリスマス・シーズンに半分名所化し、わざわざ遠くから見に来る人が押し寄せるお宅もあるようですね。実家の方には、収穫の終わった畑いっぱいに、まるでどこかのテーマ・パークのように飾り付けているお宅もあります。

 息子と一緒にクリスマス・リースを作る準備をしながら、そろそろ当ブログでもクリスマスに向けて特集を組まねば…なんて考えています。ふと思い立ってアクセス解析を見てみれば、先週あたりから、検索ワードが『ルネ・シマール』より『ホワイト・クリスマス』と『歌詞』の方が多いのにビックリ★ 他にもクリスマスに関するワードがたくさん出ていました。何故ルネ・ブログで『クリスマス』?!…なのですが、確かに、2007年に『ホワイト・クリスマス』の記事をアップしたとき、驚きのアクセス数を記録したことがありましたので、季節柄、クリスマスについて調べていらっしゃる方が多いのでしょう。さて、今年はどんな記事を書こうかなぁ…。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 前回の記事で予告したとおり、今回のタイトルは「ルネとリーナ」。

 カナダの少年歌手ルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、日本にルネ旋風を巻き起こした頃、リーナもその歌唱力で世界から注目を集め、『ママ 恋かしら』を日本でヒットさせていました。

 その頃、日本では外人タレント・ブームで、アグネス・チャンやリンリンランラン、テレサ・テン、マギー・ミネンコ等がデビューし、オズモンズの末っ子ジミーが『カルピス』のTVコマーシャルに出演したり、日本語の曲をリリースしたりしていました。学習雑誌の購読予約プレゼントも、中一時代』がルネ・シマールで『中一コース』はアグネス・チャンでした。
 しかし、ルネ・シマールの比較対象として取り上げられたローティーン歌手は、日本人では『フィンガー5』のあきらで、外国人では今回のリーナだったようです。

 1974年9月号にふたりの記事を載せたのは『月刊明星』と『女学生の友』でした。今回は、『女学生の友 1974年9月号』に掲載された記事を紹介いたします。

   
日本で激突
 青い目のローティーン歌手


青い目のローティーン歌手ルネとリーナ。かわいいだけでなく実力も十分なこのふたりの、日本での勝負は?

♪13歳のルネ、10歳のリーナ

 とつぜんスイ星のように日本へ現れ。あっというまに人気者になったルネとリーナ。
 ルネが先日の東京音楽祭でグランプリをとったことは覚えている人も多いはずだけど、リーナはあまり知られていなかったよう。
 ふたりを紹介すると、ルネ・シマールは1961年2月28日、カナダのケベック生まれの13歳。リーナ・ザバロエは1973年11月4日、イギリスのスコットランド生まれで、今年10歳。
 ところが、ふたりとも音楽のキャリアは充分というからおそろしいチビッ子たち。たとえば、ルネはカナダのテレビ局でレギュラー番組をもっているし、リーナも本格的なおとなの歌手にもみられないほどの歌唱力をもっていると評論家たちが絶賛し、イギリス、フランスでのレコード売り上げ枚数は驚くほど。ふたりともタダモノではないのです。


  

♪日本語でデビューのルネ

 ルネの日本でのデビュー曲『ミドリ色の屋根』は日本語の歌。「そんなの当たりまえよ」という人もいるかもしれないけれど、これはとても大事なこと。ある歌手が自分の国のことばを捨てて他の国のことばで、それも上手にうたうということはたいへんなことなのです。
 よほどその国の音楽層をよく知っているか、あるいは外国語をよく吸収する天性の才能がなければ、ハートにうったえるうたい方はできないもの。ルネは日本語の特色をとてもよくつかんでいて、そのうえに、演歌やカンツォーネの特徴である”曲のもりあがり”をスゴクよく知っているので、日本人の私たちの胸にも気持ちよくひびいてくるわけ。


♪歌唱力バツグンのリーナ

 もう一方のソバカス顔のリーナ。日本のデビュー曲は、あちらでヒットした『ママ 恋かしら』。
 彼女を育てたのは、イギリスの有名なプロデューサー、トミー・スコットと、ニール・リードの『ママに捧げる歌』をヒットさせた、フィリップ・ソロモンというコンビ。
 このふたりのコンビが「これは絶対にいける」とさけんだとおり、リーナはふつうのローティーン歌手のように、うたいやすく作られたヒット曲をうたっているだけじゃないのです。ジャズやロックン・ロールの世界でスタンダードになっている有名な曲も、おとな顔まけにうたいこなす。いちど彼女の歌を聴くと、誰もが、「10歳の女の子なんて、信じられない」という。それが彼女の実力。
 日本を舞台にしたふたりのティーン歌手の勝負は、まだまだこれから。どちらがヤングのアイドルになれるか、それともふたりとも、日本のティーン歌手にやぶれるか、興味深い勝負なのです。



 なお、記事中のリーナのミドル・ネームは『ザバロエ』となっていますが、画像のスペルのとおり、『ザヴァローニ』が正解。
 また、ルネのヒット曲”Maman laisse-moi sortir ce soir(ママ 今夜遊びに出かけてもいい)” は、リーナの "Mama"が原曲のようです。こちらはYouTube映像でご覧ください。


♪YouTube映像 ルネが歌う”Maman laisse-moi sortir ce soir(ママ 今夜遊びに出かけてもいい)” の英語版(原曲) "Mama"
Lena Zavaroni Sings "Mama" on Tonight Show
http://www.youtube.com/watch?v=J09IeN-ONbk&feature=related


 そして、「ルネとリーナ」はパート2へと続くのでした…(笑)。

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小鳩ちゃんとルネ

2009年11月08日 | ルネの画像
 ルネ・シマールの2回目の来日は、1974年8月22日から9月20日までの30日間。第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを獲得し、一夜にしてルネ・ブームを巻き起こしたルネ・シマールの待望の再来日だっただけに、TVやラジオ番組への出演や、雑誌の取材が多く組まれました。過去ログで紹介した斉藤こず恵ちゃんとの記事もこの時のものでした。ちなみに掲載誌は『女学生の友11月号』。表紙に載ったタイトルは『ルネVS斉藤こず恵・ほほえみ対談』でした。『読者投稿 人気スターベスト10』の外国スターで、ルネはオズモンズ、カーペンターズに続いて第3位。過去ログ『ルネと西城秀樹』で紹介したルネが秀樹に内緒話をしている画像の記事も掲載されていました。


 過去ログ「ルネの対談記事(斉藤こず恵編)」で紹介した記事は、当ブログの画像アップ第2弾。まだまだ画像処理がうまくできず、スキャナーで取り込んだ時のページの境目がクッキリ★ スキャナーで入りきらずに切れてしまった2つの小さなロング・ショットのルネとこず恵ちゃんはアップできないままでした。あれから2年。画像処理の技術も向上し、アップできなかった画像が紹介できます。ページの境目や中途半端な余白はうまく処理できてるでしょうか?

※過去ログ「ルネの対談記事(斉藤こず恵編)」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/155.html
 『女学生の友(JOTOMO)』といえば、以前紹介した「天使のような歌声」という記事が同誌の1974年9月号に掲載されていたことが判明。多分他にも『女友』の記事やピンナップ等があるのでしょうが、友人からは切り抜いた状態で記事をいただいているので、掲載誌や掲載号については不明のものも多いです。特に『女友』に関しては、ルネ友で、ブログ「今日聴いた音楽」のダイアナさんに教えていただくまで、その存在すら知らずにいた私ですから、前出の2冊について判っただけでも快挙なのでした。
 そして、同誌の9月号において、「ルネとリーナ」という記事で紹介されていたリーナ(本名リーナ・ザヴァローニまたは、レナ=ヒルダ・ザッヴァローニ)について、その記事をブログで紹介するために調べていましたら、思いも寄らない、それもルネに関係する情報にたどり着きました。現在ブログで紹介するために記事を執筆中です。ちなみに、リーナは来日もしていて、『女友』にその記事が掲載された当時、日本でも『ママ 恋かしら』という曲がヒットしていたそうなので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?(私は知りませんでしたけど…★)
 YouTubeでもリーナの映像がアップされていました。『ママ 恋かしら"Ma He's Making Eyes At Me"』に登場している男の子の髪型が、1975年以降のルネの髪型とちょっと似ていると思うのは私だけ?!

YouTube映像リーナの『ママ 恋かしら』Lena Zavaroni Sings A Silly "Ma He's Making Eyes At Me"
http://www.youtube.com/watch?v=SSnNbZnCIY4&feature=related



▲アメリカで活動していた頃のルネ

※過去ログ「天使のような歌声」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/253.html


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 mixiのコミュニティー「ミドリ色の屋根のルネ・シマールに新メンバーさんが2名入り、32名になりました♪

 そして、去る11月3日は文化の日。昨年の「CATS」に続き、職場の研修旅行で、劇団四季のミュージカル「ライオンキング」を観にいってまいりました。
 ディズニーのアニメーション映画は観ていたので、アニメのキャラクターを忠実に再現しているティモンとプンバァのコンビが気に入ってしまいました。その日の出演者は、ティモンが江上健二氏、ブンバァが福島武臣氏。ムファサ・内田圭氏、シンバ・飯村和也氏、ヤングシンバ・間 聖次朗くん、ナラ・小松加奈さん、ヤングナラ・井上花菜ちゃん。子ども時代のシンバとナラ役の子たちは可愛くて演技もうまいし、シンバ役の飯村氏はとても素敵で、ゾウやサイ、キリンなどの大きな動物たちも造形が興味深く、大変楽しめました。アニメの方は、手塚治虫氏原作の「ジャングル大帝」と内容が酷似しているため、日本の虫プロダクションといろいろとトラブルがあったけど、四季のミュージカルは舞台劇として十分楽しませていただきました。今度は息子を連れて行きたいな♪

 …で、何故、劇団四季のミュージカルの話題かというと、現在上演されている「ドリーミング」の原作が、メーテルリンクの『青い鳥』だから。

 ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、シナトラからアメリカのショー・ビジネスに招待された時、ルネの声に魅せられたエリザベス・テイラーの希望により、ルネがチルチル役に大抜擢されたのが、アメリカのミュージカル映画『青い鳥でした。この映画の準備や撮影のためもあり、アメリカのスケジュールを優先したことで来日の予定が中止になったのに、結局はルネの年齢が役柄に合わないことやルネの変声によって、別の少年に変更されてしまったことを、今でも残念に思っているので、ちょっとスイッチが入ってしまいました(笑)。

▲アメリカのミュージカル映画『青い鳥』のポスター

 なお、過去ログにも書きましたが、ルネは『青い鳥』に出演しなかったことで、逆に、歌手としての活動が十分にできて良かったと語っています。でも、ルネが当初の予定通りチルチル役を演じていたら、どんな『青い鳥』になっていたのでしょうね。

※劇団四季ミュージカル「ライオンキング」
http://www.shiki.gr.jp/applause/lionking/
※劇団四季ミュージカル「ドリーミング」
http://www.shiki.gr.jp/applause/dreaming/index.html

※過去ログ『ミュージカル映画”青い鳥”』参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/185.html

※過去ログ「ルネの家と青い鳥とモントリオール讃歌」参照http://green.ap.teacup.com/rene_simard/187.html



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