ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネとマイケル・J・フォックス

2015年11月28日 | ルネ依存症の日々
 ちょっと話題が遅れていますが、去る2015年10月21日は、アメリカのSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」で“未来”として描かれた日でした。現実が映画に追いついたこの日、世界中でイベントが開催。日本でも東京・台場で、車型のタイムマシン「デロリアン」を再現した車を走らせるイベントが開かれました。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future略して『BTTF』『BTF』)とは、1985年のアメリカのSF映画で、『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』の一作目。公開当時全米で『フューチャー現象』と呼ばれるブームが生まれるほど大ヒットしました。同年のアカデミー賞では音響効果賞を受賞。続編に『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(1989年)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990年)があります。

▲『バック・トゥ・ザ・フューチャー』より タイムマシンの実験に成功したシーン
▲『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』より 2015年10月21日の未来に向かうために、ゴミを燃料としてデロリアンに補給する科学者エメット・ブラウン博士(通称ドク)と、呆気にとられたままのマーティとガールフレンドのジェニファー

※wikipedia"バック・トゥ・ザ・フューチャー"参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC
※wikipedia"バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ"参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
※「2015年」はバックトゥザフューチャー2の年!現実はどれくらい映画に近づいた?
http://matome.naver.jp/odai/2141987957604737101


 何故この映画について書こうと思ったかというと、ルネの来日が無くなって、カナダの情報も入らなかったこの頃、大ヒットしたこの映画の主人公マーティ・マクフライを演じるマイケル・J・フォックスに、ルネの面影を重ねてしまっていたことを思い出したからです。

 マイケルはルネと同じ1961年生まれで、その上カナダ出身! 身長163㎝という小柄なマイケルに、ちっちゃくて可愛かったルネが成長したらこんな感じかも…と、勝手に思い込んでしまったのでした。
 実際のルネは身長175㎝に成長し、ダンス等で体を鍛え、ハンサムな大人の歌手になっていたのですが…。でも、マイケルの画像を検索してみたら、結構似ている写真があったので、ルネの写真と並べて紹介いたします。向かって左がルネで、右がマイケルです。

▲パッツン前髪のルネとマイケル

▲前髪七三分けのルネとマイケル

▲当時流行の長めの髪を流したヘア・スタイルのルネとマイケル

 マイケル・J・フォックス Michael J. Fox

・生年月日:1961年6月9日
・出身地:カナダ/アルバータ州エドモントン
・身長:163cm

・本名はマイケル・アンドリュー・フォックスMichael Andrew Fox。俳優になる際に同名俳優が既にいたことから、尊敬するマイケル・J・ポラードにちなみ「J」の字をつけた。
・父親は陸軍軍人。5人兄弟の4番目。父の仕事上各地を転々とする。
・プロのアイスホッケー選手を夢みたが身長が足りず断念。
・15歳の時カナダ放送の“Leo and Me”に出演。
・18歳でロサンジェルスに渡り、1980年“Midnight Madness”で映画デビューするが伸び悩む。
・NBCが1982年に開始したTVシリーズ「ファミリー・タイズ」で人気者となり、1985年「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で世界的な人気を獲得。
・1988年、「ファミリー・タイズ」で共演したトレーシー・ポランと結婚、1男3女の父親。
・1996年からのTVシリーズ「スピン・シティ」でゴールデングローブTV部門の主演賞を受賞。
・1998年、パーキンソン氏病であることを公表。以降は療養しながらマイケル・J・フォックス財団を設立し、パーキンソン病の研究に多額の寄付を行っている。


※allcinema"マイケル・J・フォックス"参照
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=23479

※wikipedia"マイケル・J・フォックス"参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BBJ%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9


 いかがです? ちょっと似てませんか?
 髪型が似ているだけと言われればそれまでですが…。外見以外にも、マイケルが自らがパーキンソン病で有ることを公表し、療養しながらマイケル・J・フォックス財団を設立してパーキンソン病の研究に多額の寄付を行っているのに対し、ルネは、ルネの2人の子どもたちが聴覚障害児であることを公表し、妻マリー=ジョゼと共に聴覚障害児のための活動を行っていますね。

 ルネもマイケルも、日本のメディアに取り上げられることはあまりありませんが、2人ともそれぞれに素敵に年を重ねていますね。これからもずっと2人を応援していきたいと思います。
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ルネとマリー=ジョゼ

2015年11月22日 | ルネの家族
 今日は11月22日でいい夫婦の日です。

 ルネと妻マリー=ジョゼは、ケベックで誰もが認める『可愛いカップル』symbol1 子供時代から芸能界でアイドルとして活躍していた2人は、恋人になる以前から注目されてきました。仲睦まじい2人の画像と共に、2人の愛娘ロザリーの画才について伝える記事を紹介いたします。




▲カジュアルとフォーマル、どちらも素敵なルネとマリー=ジョゼ

▲1996年当時のルネ一家 ▼現在のロザリーと彼女の作品
※journal de montreal
"Rosalie Taillefer-Simard fait comme elle l’entend"

http://www.journaldemontreal.com/2015/10/11/rosalie-taillefer-simard-fait-comme-elle-lentend

 ルネの2人の子どもたち、ロザリーと兄オリビエが聴覚障碍を持って生まれ、人工内耳の手術を受けているということは、何度か記事にしました。ロザリーは障碍を克服し、視覚芸術、絵画、ダンス、テレビでの講義を行っていて、facebookにアーティストとしてページを立ち上げています。
※ロザリーのfacebookのページ
Rosalie Taillefer-Simard アーティスト

https://www.facebook.com/Rosalie-Taillefer-Simard-1644851112460173/?ref=profile


 また、過去ログで、ルネと妻マリー=ジョゼが聴覚障害児のために活動していることが認められ、Metro mon épicier から"La Fondation Sourdine"への寄付金$ 20,000が直接手渡されたことを紹介しました。さらに、この第2弾として、ルネと妻マリー=ジョゼを含む、社会に貢献している6人のアーテイストや有名人が選ばれ、歌をレコーディングしました。この6人がサポートしている団体に対し、合計10万ドルが寄付されたそうです。
※Metro mon épicier"Prix du dépassement - Gémeaux"
 ルネと妻マリー=ジョゼが寄付金を受け取っている映像。メトロのプレゼンターを先導しているのはクローディーヌ・バシャンさん
https://www.facebook.com/metromonepicier/videos/1134904039871410/
※Metro mon épicier"Prix du Dépassement Metro"
 ルネと妻マリー=ジョゼを含む6人のレコーディング風景の映像
https://www.facebook.com/metromonepicier/videos/1160612940633853/?fref=nf


 話は変わりますが、昨日11月21日は、ルネの亡き母ガブリエル・ラベの誕生日であり、1974年のこの日は、ルネの日本のファースト・ライブ・アルバムの発売日でした。

 歌手として復帰し、来年のコンサートに向けて、水を得た魚の如く精力的に活動するルネ。2人の子どもたちの良き父、マリー=ジョゼといつまでも『いい夫婦』でいて欲しいですね!!


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


           cat近況報告clover

▼初・夏越しのシクラメン ▲職場の窓辺が温室化 

 今年はとても充実したグリーン・ライフを送ることができました。
 夏にたくさん収穫できたパッションフルーツ(フルーツ時計草)は、秋になってまた2つ結実していたため、実の付いたつるをネットごと室内に移動。室内にグリーンカーテンができています(写真上)。地植えにせず、鉢植えのまま花壇に置いて棚を作っていたのですが、植木鉢から根が長く出ていました。そのお陰で植木鉢が水不足になっても猛暑を乗り越えられたようです。この写真は少し前のものなので、シャコバサボテンはまだほとんど蕾ですが、現在は満開です。
 また、今年初めてシクラメンの夏越しに成功! それも、9月上旬に開花しました。アップした写真は9月7日に撮影したものです。現在も次々に花を咲かせています。
 私が管理している花壇は、宿根のブルーサルビアと百合の球根の場所を避けて、初夏に回収したチューリップ(色別に保管)とスイセンの球根と、3連休中に購入するビオラを植える予定です。あっ、その前に肥料を入れて土作りせにゃ!


 そして、12月中旬から10日程留守にします。そのため、ついに昨日iPodを購入してしまいました。私は携帯電話はガラケー派で、さらに古い機種のため、インターネット接続はできても、今まで、外泊する時はブログの管理ができずにいました。現在、カナダのルネから目が離せない状況で、更に今回は少々期間が長いため、購入に踏み切りました。iPodなら、家族が誰でも持ち出して使えますからね。
 それから、facebookの猫サイトで話題の"PUNI PUNI NIKUKYU HAND CREAM nikukyu no kaori"を購入cat 『肉球の香り』という淡いピンク色のハンドクリームは、手に付けると甘い香りがします。何よりもパッケージが可愛いでしょ?

 朝晩の冷え込みが厳しくなり、インフルエンザやノロウィルスが流行する季節になりますが、ルネ友のみなさまは、インフルエンザの予防接種はもうお済みになったでしょうか? これから年末に向けて忙しくなりますので、お体ご自愛なさってくださいね!


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ルネ『メリー・ポピンズ』に出演決定

2015年11月15日 | ルネの活動記録
 本日11月15日(日)は、『七五三』であり、『家族の日』でもあります。
 
 現在facebookでは、フランスのパリで13日夜(日本時間14日早朝)に起きた、中心部のコンサートホールや北部のサッカー場などを標的とした同時多発テロによる死者を追悼し、バリの平和と安全を願って、プロフィール写真を変更してます。

          ▲変更したプロフィール写真

 一連のテロで亡くなられた128人の方々のご冥福と、けがをされた300人の方々が、早く健康を取り戻されることを心からお祈りいたします。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



flag11ルネメリー・ポピンズ』に出演決定flag11


 来年2016年6月、ルネが、Le Festival Juste pour rire お笑いの祭典においてThéâtre St-Denisサン・ドゥニ劇場で上演されるSerge Postigoセルジュ・ポスティゴ監督のミュージカルメリー・ポピンズに出演することが、11月10日に発表になりました!

 ルネの役柄は銀行家のバンクス氏。メリー・ボビンズ役には、昨年夏にミュージカル『グリース』でベティ・リッツォを演じた、女優であり歌手であるJoëlle Lanctôtジョエル・ランクトー。バート役には俳優やシンガーソングライターなど、幅の広いアーティストで、『天使にラブソングを』、『キャバレー』、『レ・ミゼラブル』など、20を超えるミュージカルに出演しているJean-François Poulinジャン=フランソワ・プーランが抜擢されました。

 ディズニー映画によるミュージカル映画『メリー・ポピンズ』では、米アカデミー賞5部門を受賞。『サウンド・オブ・ミュージック』でも主演したジュリー・アンドリュースがメリー・ポピンズ役でした。アニメーションと実写のコラボレーションにより、大道芸人バートの描く絵の中に入って遊ぶシーンでは、メリーゴーランドの馬に乗ってキツネ狩り、笑いが止まらないために宙に浮かんだままになってしまった人と会うなど、不思議な体験を楽しく映像化しています。

 ミュージカルの他の出演者と配役は追って、報告があるようです。カナダで報じられた記事については、下のリンクでご覧ください。


▲向かって左から、ルネ、ジョエル・ランクトー、ジャン=フランソワ・プーラン


※Monde de Stars"Tres grande nouvelle pour Rene Simard"
こちらから、上の写真の撮影風景等の映像がご覧いただけますsymbol1
http://www.mondedestars.com/nouvelles/tres-grande-nouvelle-pour-rene-simard/

※Showbizz.net"Les trois têtes d’affiche de la comédie musicale Mary Poppins annoncées"
http://showbizz.net/2015/11/10/les-trois-tetes-daffiche-de-la-comedie-musicale-mary-poppins-annoncees/

※en Vedette"René Simard sera la vedette de Mary Poppins!"
http://www.envedette.ca/stars/rene-simard-sera-la-vedette-de-mary-poppins-1.1601286

※Le Journal de Montreal"Juste pour rire: Mary Poppins mise sur la relève"
http://www.journaldemontreal.com/2015/11/09/juste-pour-rire-imary-poppins-i-mise-sur-la-releve


メアリー・ポピンズ(メリー・ポピンズ)

・『メアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)は、オーストラリア出身のイギリスの作家パメラ・L・トラヴァースによる、児童文学シリーズ。その主人公の名でもある。
・1934年から1988年にかけ刊行された、エブリデイ・マジック(または[ファンタジー])の古典の1つ。1964年のディズニーによるミュージカル映画『メリー・ポピンズ』でも知られる。
・『メアリー・ポピンズ』は第1作の原題(日本語では主に『風にのってきたメアリー・ポピンズ』として知られる)。
・原書イラストはメアリー・シェパード。


<ストーリー>
 舞台は1910年のロンドンさくら通り17番地(または桜町通り17番地) (Number Seventeen Cherry Tree Lane)。ジョージ&ウィニフレッドのバンクス夫妻は4人の子供ジェーン、マイケル、ジョン、バーバラ(のちに加えてアナベル)のためにナニー(乳母兼家庭教師)を募集する。採用されたのは、東風に乗ってやってきた魔法使いのようなメアリー・ポピンズだった。

<配役>
メリー・ポピンズ(Joëlle Lanctôtジョエル・ランクトー)
 魔法が使えるナニー(ベビーシッター)。普段は雲の上で暮らしている。ジェーンとマイケルの書いたナニー募集の広告を見てバンクス家にやって来る。ちなみに、彼女の鞄からは、明らかに入らないような大きさのものでも何でも出てくる。

ジョージ・バンクス(René Simard ルネ・シマール
 銀行に勤める厳格なお父さん。全てきっちりとしなければ気がすまず、メリーを快く思っていない。

バート(Jean-François Poulin ジャン=フランソワ・プーラン)
 メリーの昔からの親友。何でもこなす大道芸人で、煙突掃除屋をはじめ、ストリートミュージシャン、絵描き、凧売りなど日によっていつも違う仕事をしている。

ウィニフレッド・バンクス
 ジョージの妻で、ジェーンとマイケルのお母さん。夫と違ってメリーには肯定的だが、女性の選挙権を主張する運動に夢中で、子供たちのことはいつもナニーに任せっきり。
ジェーン・カロライン・バンクス
 バンクス家の長女で、マイケルの姉。お調子者で、部屋の片付けが苦手。
マイケル・バンクス
 バンクス家の長男で、ジェーンの弟。少し頑固。
エレン
 バンクス家の家政婦。貧乏くじを引かされることが多く、不思議な現象を起こすメリーにも驚かされっぱなし。
ブリル
 バンクス家のコック。エレンとは凸凹コンビで、いつも口げんかばかりしている。
ケイティ・ナナ
 メリーの前任のナニー。元々ライオンの調教師だったのに、なぜかウィニフレッドにナニーとして雇われていた。子供たちに手を焼き、物語の冒頭で辞めてしまう。
ジョン・バンクス
 映画には登場しない。バンクス家の次男でバーバラと双子。
バーバラ・バンクス
 同じく映画には登場しない。バンクス家の次女でジョンと双子。
アナベル・バンクス
 原作2巻で誕生したバンクス家の三女。


 全てきっちりとしなければ気がすまない、銀行に勤める厳格なお父さんバンクス氏役のルネが、本当に大切なものは仕事ではなく、家族・子供たちだったことに気づくところを、どう演じるのか楽しみです。 
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ついに、ルネの公式ページができました♪

2015年11月08日 | ルネ・シマール
 ルネ友の皆さま、朗報です!!
 去る8月19日付けで、facebookにルネの公式ページができました♪ 更に、ルネのウェブサイトからは、ルネに直接メッセージが送れるようになっています!


 ルネは、ニュー・アルバムをリリースし、歌手として復帰してから、今まで以上に積極的に活動しているようです。ちなみに、facebookの公式ページからは、イベントとして会場別にコンサートのチケットが予約や購入ができます!!コンサート会場のページにリンクできますので、各会場がどんな所なのかも分かりますよ。

 facebookの公式ページとウェブサイト、そしてルネのYouTubeチャンネルは下記の通りです。基本データの『経歴』については、ルネ友の皆さまが周知の内容だと思いますが、公式サイトのバイオグラフィということなので訳してみました。ルネのニュー・アルバムの発売に向けて書かれた記事の経歴とは、紹介するヒット曲等がちょっと違っているのが面白いですね。


facebookの公式ページ
René Simard アーティスト
https://www.facebook.com/renesimard2016/


※ウェブサイトRené Simard
http://www.renesimard.ca/index
※YouTubeのルネのチャンネル René Simard 
https://www.youtube.com/channel/UCWQwtDoRkPoN-8QjT-sTaeg

◆ページについての簡単な説明◆
 ルネ・シマールの公式ページです。彼の今後のツアーのすべての詳細を知るためには、このページに従ってください。

◆経歴◆(ウェブサイトのBiographieと同じ)

 ルネ・シマールは1961年にシクーティミに生まれ、オルレアン島で育ちました。1970年、彼は9歳で『 Les découvertes de Jen Rogerジェン・ロジェの発見』というケベックのTV放送で第1位を獲得しました。その年、ファースト・アルバム『L'oiseau鳥』をリリースし、輝かしい成功を記録しました。17万5千枚以上のレコードが飛ぶように売れ、プチ・シマールはケベック州で、ビートルズやエルビス・プレスリーよりも、多くのレコードを販売したのです! 翌年、ファースト・クリスマス・アルバム『Ave Mariaアヴェ・マリア』も異例の売れ行きを達成しました。

 1972年、ドゥニ・エルー監督は神童ルネ・シマールに、長編映画『Un enfant comme les autres普通の子供』を提供しました。1973年に、彼はDominique Michelドミニク・ミシェル、Jean Lefebvreジャン・ルフェーブル、兄Régisレジスと共に”J'ai mon voyage僕には僕の旅がある”に出演しました。同年、ケベック・コロシアムColisée de Québecにおいて3万人以上、Place des Nations de Montréalモントリオール国際広場で6万人、Hullでは4万3千人の観客の前でステージを行いました。1973年の芸術祭において、ルネは12歳で「Découverte de l'année(今年の発見)」と「Phénomène de l'année(今年の非凡なタレント)」という賞を受賞する栄誉に輝きました。

 1974年、若き天才はカナダ代表として選ばれ、東京音楽祭世界大会で大賞を受賞し、アメリカの歌手フランク・シナトラからトロフィーを授与されました。『ミドリ色の屋根』は、日本でレコードが100万枚販売されました! 日本の地で真のスーパー・スターとなったルネは、いくつかのシングルとアルバムをリリースしました。彼はパリのオリンピアといくつかのアメリカの番組に出演しました。レコードでの成功は常に我々と共にあり、”Un enfant comme les autres普通の子供(1972)”、”Pascaleパスカル(1973)”、” Les dimanches après-midi日曜の午後(1974)”、” Maman,laisse-moi sortir ce soirママ、今夜遊びに出かけてもいい (1975)”などがあります。

 1976年、ルネ・シマールが15歳で、Bing Crosbyビング・クロスビー、Andy WilliamsLiza アニディ・ウィリアムス、Liza Minnelliライザ・ミネリなどと歌ったことは最大の名誉でした! 彼はピアニストのLiberaceリベラーチェと大規模な全米ツアーを行いました。帰国後、彼はThe René Simard Showルネ・シマール・ショー(1977年-1979 年、CBC)の司会をして出演し、1979年には、アルバム"18 ans déjà(もう18歳)"をリリースしました。

 1982年12月にPlace des Arts芸術広場で、妹ナタリーと大成功を収めました。同年、彼らはアルバム”René et Nathalie en concert(ルネとナタリーコンサート)”、” Sur la plage(海岸で)”と”Nostalgie de Noël(ノエルの郷愁)”をリリースしました。1984年から2003年の間に、ルネは”Comment ça va?(ご機嫌いかが?) (1984)”、”Et tu danses avec lui(そして君は彼と踊る)(1985)”、25歳記念アルバム” 25 succès (25の成功)(1986)”、”Tourne la page(ページをめくれ)(1987)”、”E=MC2(相対性理論)(1993)”と”Hier encore帰り来ぬ青春(2003)”をリリースしました.

 ルネ・シマールはまた、俳優であり、ディレクターであり、偉大な才能を持ったホスト(司会者)です! 1990年代初めに彼は、年末最大の番組”Bye Byeバイバイ”において、3つのエディションでコメディアンの扮装をして出演。彼は1991年と1992年の”ADISQ”の祭典で司会を任されました。1996年に彼は、 PDAでコメディ・ミュージカル”Jeanne la Pucelleジャンヌ・ダルク”に俳優として出演。1999年4月、彼は”The Phantom of The Operaオペラ座の怪人”のトロント公演で主演を獲得、主役ファントムを演じ、大きな夢を達成しました。ルネは”Génération Motownジェネレーション・モータウン (2002)”、”Dalida, une vieダリダ、その生涯(2004年)”、”Night Feverナイト フィーバー (2004 年)”、ベル・センターで行われた大作”Elvis Storyエルヴィス物語(2006年夏)”はもちろんのこと、これらの作品の舞台監督を務めました。

 2006年秋、ルネ・シマールはテレビ界でカメラの後ろで多く働きました。最初はラジオ・カナダの”L'heure de gloire栄光の時間”のプレゼンター。同じチャンネルで放映されたショー”Le moment de vérité真実の瞬間”ではプロデューサーに就任しました。2012年に彼はDenise Filiatraultドゥニーズ・フィリアトゥロー監督のミュージカル”Chantons sous la pluie雨に唄えば”で音楽のステージに戻りました。秋には、2014 年までPatrice l ' Écuyerパトリス・レキュイエが主催したラジオ・カナダ放送の”Un air de famille(類似点)”のディレクターを務めました。彼はまた、2013年と2014年の”Gala des Prix Gémeauxジェモー賞授賞式”の司会をしています。

 2015年春、ルネ・シマールは歌に復帰し4月、彼は彼の名前をタイトルにした51枚目のCDの発売を開始しています!

▲10月10日に出演したTélé-Québecの"Deux hommes en or"の一場面(公式ページの写真から)


 すでにご存知で「いいね」している方もいらっしゃると思いますが、facebookにまだアカウントをお持ちでない方は、この機会にfacebookデビューしてはいかがでしょう。  
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