ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネ・オン・メロディのポスター③

2014年04月26日 | ルネの活動記録
 今日からゴールデン・ウイークでお休みに入る方もいらっしゃるようですが、ルネ友の皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

 明日は今年3月に急逝した義母の四十九日法要。カレンダー通りの休みの上に、5月の4連休も前半は出張など仕事が入ってしまったため、今年はあまりゆっくりできません。息子も中学校の部活動が入るでしょうし…。少しでも疲れを癒せるよう、有効に休日を使いたいシマ姉です。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 今から39年前の1975年、カナダのスーパー・アイドルだったルネ・シマールのセミ・ドキュメンタリー映画「普通の子供-Un Enfant Comme Les Autres-」が「ルネ・オン・メロディ」として日本で公開されました。

 今回はその大型ポスターの裏面に印刷されていたルネのインタビュー並びに、スタッフと出演者、映画の中で歌われているヒット曲について紹介いたします。

 前回紹介したインタビューそうでしたが、インタビューの内容は、ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネに掲載されたものとほぼ同じです。質問Ⅵに中一時代 臨時増刊」の記事「一本足打法,ボク知ってるよ!!を参考に付け加えたと思われる部分があります。それについては過去ログをご覧ください。

※過去ログ「インタヴュー:ルネ・シマール①」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/52.html
※過去ログ「インタヴュー:ルネ・シマール②」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/51.html



flag11ルネに7つのインタビュー

質問Ⅰ:好きなスポーツは?
ルネ
アイス・ホッケーが大好きです。そのほか水泳も好きで
   す。アイス・ホッケーでは、ディフェンスをやっていま
   すが、攻撃も得意です。最近は、忙しいよりも、ファン
   の人たちが沢山集まって、大騒ぎするので、ゲームが
   できないのが残念です。プロデューサーのギイもプロ
   のアイス・ホッケーの名手です。


質問Ⅱ:仕事のない時は?
ルネ
カナダでは、僕の仕事は、一週間のうち5日間と
   決められていますから、そんな日は、ママの
   お手伝いをしたり、家庭教師の先生に勉強を
   習っています。


質問Ⅲ:得意な科目は?
ルネ
数学。それと語学です。日本語のコースもとって勉強し
   ました。とっても楽しいレッスンです。

質問Ⅳ:お兄さんのレジスは、いま……?
ルネ
最初の頃は、この映画のように、ステージやレコーディ
   ングにもレジスは、参加していました。でも今は、僕の
   そばにいて、僕をサイドから助けてくれています。楽器
   も作曲も上手で、僕のヒット曲"僕のママは天使"は、
   レジスの作品です。

質問Ⅴ:グランプリをとった感想は?
ルネ
本当に予想していなかったことで、とても嬉しくて、マ
   マにもすぐ国際電話をしたら、ママも泣いてくれました。
   そして、もっと嬉しかったことは、フランク・シナトラ
   賞を、彼自身から受けたことです。

質問Ⅵ:日本の印象は?
ルネ
古い鎌倉のお寺や東京の豊島園など、新しいものと
   古いものがあって、とてもきれいです。よく働いて、
   とても親切な日本の人たちも大好きです。プロ野球の
   大スター長島選手や王選手とも仲良しになりました。
   カナダに次いで大好きな国です。

質問Ⅶ:一生歌い続けますか?
ルネ
歌うこと以外、僕にとって魅力のあることはありま
   せん。これからもきっとそうでしょう。東京音楽祭の
   あと、パリのオランピア劇場でもワンマンショーを
   やりました。パリでは、<ミデム>というフェスティ
   バルに出席てし、世界で地域的なレコードの売り上げが
   一番多いひとに与えられる賞も受賞しました。歌こそ
   僕の人生ですし、僕の名誉でもあるからです。



▲「中一時代 臨時増刊」より「一本足打法,ボク知ってるよ!!」

スタッフ
製作・・・・・・・・・・・・・・・・ナルド・カスティロ
監督・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドニ・エルー
原案・・・・・・・・・・・・・・・・ピエール・ダビッド
撮影・・・・・・・・・・クロード・レジュールほか

出演する人たち
ルネ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ルネ・シマール
レジス(兄)・・・・・・・・・・レジス・シマール
パパ・・・・・・・・・・ジャン・ロック・シマール
ママガブリエル・シマール
ほかルネの兄妹たち
ギイ(プロモーター)・・ギイ・クルティエ
ルネの付き人・・クローディーヌ・バシャン



flag11この映画の中でルネが歌う
             ヒット曲の数々


●鳥          ●僕のママは天使
●青い鳥       ●庭の千草
●サンタ・ルチア   ●普通の子供
●アベ・マリア    ●君のすべてがほしい
 (小さな生命)    ●私の夢の中で
●雨にぬれても   ●クロスト・ユー
●ラ・メール      ●島の腕白小僧


 日本で上映された「ルネ・オン・メロディ」には普通の子供-Un Enfant Comme Les Autres-」の中で歌われたヒット曲とは別に、4回目の来日時に発売になったルネの新曲「君のすべてがほしい」や「小さな生命」が入っていますが、新曲の宣伝も兼ねて、映画の前後に曲が流されたりしたのでしょうか? 私は当時、全国一斉公開から一足遅れて、地元の映画館で上映されると固く信じていたため、「ルネ・オン・メロディ」は観ていません。リアルタイムでご覧になった方、是非ご一報ください!


 次回は息子の誕生日、5月5日にアップ予定です。それでは、ルネ友の皆さま、充実したゴールデン・ウイークをお過ごしください。

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ルネ・オン・メロディのポスター②

2014年04月20日 | ルネの活動記録
 今から39年前の1975年、カナダのスーパー・アイドルだったルネ・シマールのセミ・ドキュメンタリー映画「普通の子供-Un Enfant Comme Les Autres-」が「ルネ・オン・メロディ」として日本で公開されました。

 今回はその大型ポスターの裏面に印刷されていたルネの紹介とプロフィールについてです。

 ルネの4回目の来日は、スプリング・コンサートとこの映画の公開のために計画されました。しかし、次回紹介するインタビューも同様に、書かれている内容はケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネに掲載されたものでした。ルネのデータは、家族の年齢がプラス1歳で書かれている以外はそのままです。身長は初来日当時の137cmからではずいぶん伸びたでしょう。紹介文も「ルネ・シマール物語」に第3回東京音楽祭世界大会のことを加えてまとめたものです。比較していただくとよくわかります。プロフィールは「スーパーアイドル ルネ」に掲載されたものをアップしましたので、少々小さいですがご覧下さい。また、紹介文については、記事カテゴリ「ルネ・シマール物語をクリックして確認してくださいね。

   ▲「ルネ・オン・メロディ」の大型ポスターとその裏面

flag11カナダで…日本で、そして世界へ
 私たちとルネとの初めての出会い---おそらく、それは、1974年6月30日に開かれた第3回東京音楽祭でのあの感動的なできごとであったことでしょう。20ヶ国から選ばれた世界のアーティストたちのなかから予選を通過した12人のなかにルネはいました。ソウル界の人気グループ"スリーディグリーズ"、フォークの元"PPM"マリー・トラバース、日本の布施明もグランプリの最有力候補です。
 6番目にステージに上がった天使のような少年ルネが、「ミドリ色の屋根」を歌い始めました。白いライトを浴びて、ルネの声は、どんな楽器よりも美しく響きます。そして、30分後、グランプリの発表とともに、割れるような拍手と歓声が湧き上がったのです。大賞は、わずか13才のルネに与えられ、特別ゲストのフランク・シナトラもシナトラ賞をルネに与えました。シナトラに肩を抱かれて、ルネの瞳は涙でいっぱいでした。カナダでは既に大スターであったルネの初めての海外での成功だったのです。「ミドリ色の屋根」は、翌日の午前中に、3万枚を売りつくしたことでも、一躍、日本でもアイドルになったルネの人気のほどがうかがえます。
 ルネのデビュー・レコードは、この映画のタイトル・バックに流れている「鳥」という曲で、'71年9月に発売され、同時に発売されたLPは、18万枚を売り切るという記録的なヒットとなったのです。カナダでは、人口密度の小さな、文化的には進んでいてもマスコミは日本ほど圧倒的な影響力はもっていません。また、ヨーロッパからの移民による建国の歴史から云って、英語を話す地域と、フランス語を話す地域とに分かれ、新聞もテレビも英語系、フランス系と分かれています。ですから、そのカナダでのデビュー・アルバムが、18万枚ということは、ビートルズやプレスリーを合わせたよりも大きなヒットだったのです。
 ルネは、この年、日本のレコード大賞新人賞とも言うべき2つの賞を得ました。そして、現在まで7枚のLPを出して、合計70万枚以上のレコードを売っています。驚かないでください。ルネが、今日まで稼いだお金は、なんと2億5千万円以上にのぼります。カナダの生んだスーパー・アイドル、ルネは、これからは、日本だけでなく、ヨーロッパでも活躍が約束されている小さなミリオネアなのです。
 '74年、'75年と数回にわたる来日で、今後ますます多くの人気と讃辞を浴びることに違いありません。




●名前------------ルネ・シマール
●誕生日----------1961年2月28日
●誕生地----------カナダ・ケベック州チクーティミ
●好きなスポーツ--アイスホッケー
●好きな歌手------エルビス・プレスリー
            ビートルズ/キャット・スティーブンス
            ミレイユ・マチュー/ジョニー・ハリディ
●愛読書--アステリ(カナダの雑誌)
        タンタン(カナダの雑誌)

●家族(1975年現在)
 ジャン・ロック(父)-----44才
 ガブリエル(母)--------40才
 オデット(姉)-----------22才
 リン(姉)----------------20才
 マルタン(兄)-----------19才
 レジス(兄)-------------15才
 ジャン・ロジェ(弟)-----11才
 ナタリー(妹)------------6才

 身  長:137cm
 胸  囲: 75cm
 ウエスト: 60cm
 腰  囲: 74cm
 股  下: 71cm 


        ▲「スーパーアイドル ルネ」より


 次回はルネのインタビューを紹介いたします。
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ルネ・オン・メロディのポスター①

2014年04月12日 | ルネの活動記録
 今から39年前の1975年、カナダのスーパー・アイドルだったルネ・シマールのセミ・ドキュメンタリー映画「普通の子供-Un Enfant Comme Les Autres-」が「ルネ・オン・メロディ」として日本で公開されました。

 4回目の来日はその公開に合わせて計画され、テアトル銀座で劇場あいさつも行われました。この映画は、名作「汚れなき悪戯」や当時の話題作「かもめのジョナサン」と2本立てで公開され、春休みの推薦映画として児童生徒に割引券が配布された地域もあったようでした。

 この映画のちらしや大型ポスターは度々インターネット・オークションに出品され、私もコレクションしたものをブログで紹介していました。それはルネが第3回東京音楽祭で歌っているブラウス・スーツの写真が使われているものです。そしてそれ以外に、白のスーツ姿のものがあったことが判明。その大型ポスターは、裏面に映画のあらすじやルネのプロフィールだけでなく、インタビューも掲載されたものでした。


 今回から3回に分けて、その大型ポスターの裏面に印刷されている内容を紹介していきたいと思います。

   ▲今回紹介するポスターとその裏面

  ▲よく知られている方のポスター(ちらしもこれに準ずる)


flag11かいせつ

ルネの夢と秘密がいっぱいのこの映画
 '74年6月に開催された第3回東京音楽祭で、世界から集まったアーティストをしのいで、グランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した13才の少年ルネ・シマール。まるで天使のような容貌と清らかな歌声で観客を魅了し、わが国でも多くのファンをつくったルネの初めての主演映画です。少年らしい夢をちりばめ、栄光に輝く日までのルネの歩んだ、ひとつひとつのシーンを数々のヒット曲でつづり、セミ・ドキュメントの名作として感動を呼び起こすに違いありません。
 カナダの美しい風土の中に育ち、やさしく見守る人たちとの心のふれあいを通して、ルネの魅力のすべてを描いたのは、ドニ・エルー監督。ルネの家族、作曲家など登場人物は、実際に活躍している人たち。カナダでは、述べ60万人を動員した大ヒット作で、ルネは、このほか「僕には僕の旅がある」という映画にも出演しています。
                (上映時間・1時間14分/5巻)


flag11ものがたり

●まっ白い雪のなかで
 氷の張った道端で、一つ年上の兄レジスとアイスホッケー遊びをするルネ。7人兄妹の三男坊で、木材工場で働くパパや優しいママに囲まれて、裕福ではないけれど楽しい日々を送っています。ルネは、'61年2月28日カナダのケベック州に生まれました。パパもママも敬虔なカトリック信者で、歌のうまいルネは、7才のときから、聖歌隊に入って歌っていました。
 その頃、パパが病気になり、一家は小さなアパートに移って姉たちも働き出し、ルネもレジスと一緒に街の小さな酒場をまわっては歌い、少ないけれどお金を集めることもできました。そして、このときルネは決心したのです。歌手になることを…。

美しい星が輝く
 大好きな歌を歌って、みんなに楽しんでもらって、それでお金が稼げるなら……そうしたらパパとママに新しくて、素敵な家を建ててあげることができるかもしれない。ルネは、さっそくケベック市のアマチュア歌手コンテストに応募して、それに優勝すると今度は、人気TV番組に挑戦したのです。
 ルネは、15週間、この番組で勝ち抜き、見事に優勝、ルネの小さな夢がかなえられるときが意外と早くやってきました。この番組を見ていたプロモーターのギイ・クルティエが、ルネの家を訪ねてきたのですから……。若くて有能なギイは、自分の理想にぴったりのルネを超一流のスターに育て上げる情熱をかたります。そして、ギイは思い出していました。いま、眼の前にいるルネが、自分の結婚式のときに教会で”アベ・マリア”を歌っていた少年だったことを……。

スーパー・アイドル誕生
 ギイは、自分のレコード会社でルネの最初のレコードを製作しました。'71年に発売されたこのレコード”鳥”は、記録的な大ヒットとなり、誰もが感動せずにはおかないルネの清らかな歌声が、カナダ中に響きわたったのです。
 しかし、”鳥”のヒットは、一人の子供の生活を一瞬にして大きく変えてしまいました。もう自由はありません。スケジュール通りに動かなくてはいけないのです。ラジオのインタビューやTV・CMなど何もかも初めてのことで、それはそれで楽しかったのですが、もうひとつルネの小さな胸を痛める事件が起こったのです。それは、いま住んでいるアパートからも出ていかなくてはならなくなったからです。新曲のレコーディングも初めてのワンマン・ショーのリハーサルも元気のないルネ。ギイは、そんなルネの悩みを知り、ルネに約束したのです。ルネが夢にまでみたオルレアン島にある家を買うことを……。

天使の贈りもの
 モントリオールの有名な劇場、ウィルフレッド・ペンティア劇場は、入りきれないほどのファンの人たちで、ごったがえしています。幕が開きました。白いライトに浮かんだルネは、天使のように歌い出します。そして、パパを、ママを、兄弟たちを紹介します。レジスと一緒にママの唄を歌います。大きな感動が場内いっぱいにひろがって、やがて、嵐のような拍手が湧き上がりました。ショーは、大成功のうちに終わり、涙を浮かべてルネを抱くパパやママ、そしてギイ。
 ギイに送られて、オルレアン島の新しい家に着いた家族が、はしゃぎながらはいります。ルネの小さな夢が、かなえられたのです。売家と書かれた札をはずして、ひとり喜びにふるえながら、ルネは雪のなかをかける。きっと、その美しい瞳は、涙でいっぱいだったに違いないでしょう。



 
※過去ログ「「ルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつ」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/587.html
※過去ログ「”Un Enfant Comme Les Autres”のあらすじ」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/318.html


 あらすじについては、映画雑誌やちらしによって少しずつ内容が違っているのが面白いですね。そして次回は、ルネについての紹介とプロフィールの部分を紹介いたします。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ”Passionルネ・シマール Au Japon”のしゃむねこさんが、ルネのカナダの最新記事を翻訳してくださいました。その記事については、下記のリンクからアクセスしてください。

※”Passionルネ・シマール Au Japon”より
「僕の笑顔、それは、僕を守ってくれるもの・前編」
http://renesimard.blogspot.jp/2014/03/blog-post_31.html
「僕の笑顔、それは、僕を守ってくれるもの・後編」
http://renesimard.blogspot.jp/2014/04/blog-post.html

 ルネの来日当時の髪型はルネのコンプレックスであった大きな耳を隠すためのもので、手術をして形を変えたあと髪を短くしたこと、妻マリー=ジョゼや子供たちとのことなど、日本のファンが知り得なかったことや、ルネの思いが語られています。また、現在のルネがどんな仕事を目指しているかについても書かれており、大変興味深い記事ですよ! しゃむねこさん、貴重な記事を翻訳して紹介してくださり、ありがとうございました!! 

 ルネのあのひとなつっこい笑顔の裏に隠されていたものや、どんな辛いことも笑顔で乗り切って来たルネを知ることができて嬉しいです。ひとりの人間としてのルネを知ることで、日本のファンとして、これからもより一層ルネを応援していきたいと思います。
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ルネからの読者プレゼント

2014年04月05日 | ルネと中一時代
 来週から新学期がスタート。わが息子の中学校入学式は8日です。

 今から39年前の1975年4月号から、ルネと山口百恵がメインキャラクターで年間購読予約を行った「中一時代」の発刊が始まりました。しかし、「時代」シリーズは、「中一時代」の2月号にカナダでの様子、3月号に3回目の来日の様子がモノクロ記事で紹介された後、参考書の広告以外、ルネの記事が掲載されることはありませんでした。

 ルネ・ブームも、アメリカやフランスでの仕事に押されてルネの来日が減ると、急速に冷めていってしまったようでした。しかし、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」からの情報しかなくなっても、定期的にレコードが発売されていたし、芸能誌を買っていなかった私は、そんなことを知る由もなく、その頃も、たくさんのルネ・ファンが、ルネの来日を心待ちにしていると思っていたのでした。
 「ルネの来日がないのでは、記事がなかなか出なくても仕方ない。」と、ずっと思っていました。ブログを始めてから、インターネット・オークションで購入し、ルネの来日があった頃の、代表的な芸能誌「月刊明星」と「月刊平凡」におけるルネ記事の掲載状況を調べたところ、「月刊明星」は1975年の7月以降、「月刊平凡」に至っては、3月以降からルネの記事は掲載されていませんでした。定期的に新曲が発売されていたので、付録の歌本には歌詞が紹介されていたと思いますが、歌本までは調べていません。

 そんな中、旺文社の参考書の広告でルネが白黒で載る程度だった「時代」シリーズで、もしかすると最後だったかもしれないカラーの記事は、今回の「中一時代1975年4月号」の読者プレゼントでした。
 疑問に思うのは、このたぬきのぬいぐるみがルネの宝物だということ。ぬいぐるみは、14歳の男の子の宝物ではないですよね。多分新中学一年生の、それも「ルネ・ファンの女の子」へのプレゼントとして選んだのではないかと推測しています。
 また、「この大きなぬいぐるみをどうやってカナダから持ってきたのか?」 3度目の来日の時か? それとも、写真データのみ日本に先送りし、4度目の来日時に持参か? でも、こんな大きなぬいぐるみは荷物になるので、小包で航空便か、船便で送ったのか?…なんてことをいろいろ想像しているシマ姉です★

ルネ たぬきのぬいぐるみ

⑯おしりのところがパックリあいて、小物入れにもなる、ゆかいなたぬきのぬいぐるみはルネの宝物だそうよ。だから一人にしかあげられないけど、友だちになってくれるよ。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 実は、昨年末の実家の父に続き、3月21日に同居の義母が脳溢血で緊急入院し、22日に急逝、23日に通夜、24日に葬儀と初七日の法要を行いました。
 義母は5年前の5月5日(息子の誕生日)に脳溢血で救急搬送。一命は取り留めたものの左半身に麻痺が残りました。要介護となりながらも明るく前向きに頑張り続け、デイ・サービスでも人気者でした。若い頃は病気ひとつせず、健康だけが取り柄だったと語っていた義母。60歳を過ぎて心臓の手術をし、脳失血の後遺症で不自由になった体はさぞかし歯がゆかったことでしょう。今回は脳幹付近で出血したため、入院して1日経たずに帰らぬ人となってしまいました。今は苦しみから解放され、先に旅立った私の父や義母の両親たちと、あちらの世界で楽しく暮らしてくれていることを祈るばかりです。
 義母の誕生日に私がプレゼントした、黒地に赤い百合と金糸の入ったスカーフ。気に入ってよく身につけてくれていました。亡くなった日は寒かったので、赤が好きだった義母の柩には、そのスカーフと赤いカーディガン、デイ・サービスで履いていた靴、息子が書いた手紙を入れました。

 私や主人がいない平日、ずっと1人で義母の介護をしていた義父は(介護ヘルパーさんが週2日来て、デイ・サービスに週2日行っていましたが)、私たちの特別休暇が終わって出勤し、息子も学童でいなかった3月31日、いつもなら床についているのに起きてきて、1人で寂しかったよと笑って言いました。愛猫のアスカがいてくれてよかったとも…。葬儀や様々な手続き等で慌ただしい日々が過ぎ、やっと落ち着いたと思う頃に、家族で義母のいない寂しさを実感しています。

 ここ3回の記事は、義母が元気な時に書き溜めて予約投稿しておいたものです。義母には息子の学生服姿を見せることができて良かったと思っています。まだまだ父と義母を亡くした悲しみは癒えていませんが、父も義母も、最後まで生き抜く努力をしていたことを思い出し、残された家族がより一層仲良く、そして明るく生きていくことを2人が願ってくれていると信じて、頑張っていきます。
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