ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

2015新譜情報

2014年08月31日 | ルネのCD
 今から40年前の1974年9月1日は、ルネの『ミドリ色の屋根』に続く待望のニュー・シングル『小さな生命』の発売日でした。


 そして、ルネのデビュー45周年を迎える2015年3月には、ルネが10年間構想を温め続けたニュー・アルバムが発売されます。

 このCDの発売情報は、過去ログで何度も報告してきました。それについて、8月21日付けで報じられたニュースを、カナダのGiseleさんたちがfacebookでシェアしてくださいました。前回予告いたしましたとおり、今回はその記事を紹介したいと思います。


Au printemps René Simard fera paraître un album en 2015
2015年春 ルネ・シマールはアルバムをリリースする予定
http://tvanouvelles.ca/lcn/artsetspectacles/general/archives/2014/08/20140821-221555.html

 今後の数ヶ月がルネ・シマールにとって、司会者と歌手としてフル活動することになったとしても、10年間持ち続けてきた新しいアルバムをリリースするという夢を、来春実現させるだろう。

「1年以上前から制作を進めてきましたが、それについては話していません。」とルネ・シマールは語った。

 それは演奏家から提供される100%オリジナルの曲によって構成されたアルバムである。

 新しいアルバムとなるそれらの曲を誰が書いたのか、ルネ・シマールは少しの間秘密にしておきたいと笑顔で語る。

「私はあなたに、そのアルバムは、私が20歳の時に歌っていたのとは違うものになるだろう、ということだけお伝えしておきましょう。53歳で、私はデビュー当時と同じことを行う自分自身を想像することができませんでした。」と主たる当事者(ルネ)は、彼の新しいスタイルをpop folkポップ・フォークと称して語った。

 ルネ・シマールは、彼に音楽的インスピレーションを与えてきた歌手の中から、Jason Mrazジェイソン・ムラーツとCat Stevensキャット・スティーヴンス、さらにBjorkビョークを挙げた。
「私が手がける音楽の分野は、かなり多様ですよ!」と彼は語った。

 観衆は2015年3月に、『鳥』の有能な演奏家を再発見することだろう。



 ルネが前回のアルバム”Hier... encore”をリリースしてから早10年、どんなアルバムになるのか、全てオリジナルという曲は誰によって書かれたものなのかはサプライズ!! ルネの歌手としての成長と待ちに待ったニュー・アルバムは、ファンだけでなく、ケベックの人たちの期待と注目を集めていることでしょう。

 また、ルネはGala des Gémeauxジェモーの司会者として、初回放送が9月18日の午後8時からの”Un air de famille”シリーズ第3節のアート・ディレクターとして、大変忙しい日々を送っています。それから、ルネの祖先を探す特別番組Le Québec, une histoire de familleの取材も終了し、放映を待つばかり。

 そして、ジェモーについては準備万端であると、8月21日(木)の晩に行われたRadio Canadaのテレビ番組の立ち上げパーティーで記者Herby Moreau氏に語った記事がありました。

René Simard est déjà prêt pour les Gémeaux‏
ルネ・シマールは既にジェモーのための準備が済んでいる 
http://envedette.ca/blogues/herby/blogue-herby/rene-simard-deja-pret-les-gemeaux%e2%80%8f/

私は既に、自分の全ての台詞とオープニング曲を心に刻み込んでいる。」と語ったルネ。周りの声に惑わされず、自分らしい司会を心がけたことが高く評価されて、2年続きの大抜擢。9月14日(日)19:30からの3時間半の番組の準備をずっと進めて来たルネは、記者にジョークを交えて話せるほどに、自分の司会に自信を持って取り組めている様子です。

▲8月28日(木)Radio Canadaのテレビ番組Pénélope McQuadeにゲスト出演するルネ

 デビュー45周年を控えてなお精力的に仕事に打ち込んでいるルネ。静かな生活を望みながらも、周りが彼の才能を放っておかないのですね。「まだ学ぶことがたくさんある。」と謙虚に語っていたルネの、さらなる活躍とニュー・アルバムの発売を心待ちに、これからも日本から応援していきましょう!
 
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2回目の来日初日

2014年08月22日 | 2回目の来日
 今から40年前の1974年8月22日は、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したカナダのスーパー・アイドル、ルネ・シマールの、待望の来日初日でした。

  ▲ファンクラブ会誌より 羽田空港ロビーで

 2回目の来日の様子は、日本の芸能雑誌等で最も多く取り上げられていました。当ブログでも、それについての雑誌掲載記事を何度も紹介していますので、過去ログでご覧下さい。

※過去ログ「待望の2回目の来日」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/255.html
※過去ログ「ルネの忙しい1日①」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/256.html
※過去ログ「ルネの忙しい1日②」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/257.html
※過去ログ「ルネの忙しい1日③」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/258.html
※過去ログ「モテモテで大忙し!」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/261.html
※過去ログ「1974年8月22日」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/363.html
※過去ログ「2回目の来日記事」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/544.html


 そしてこの2回目の来日では、アメリカのミュージカル映画『ブルーバード』への出演が決定し、ルネがエリザベス・テイラーと共演することが話題になりました。

 今回は、その話題について、映画情報誌に掲載された記事を紹介いたします。



 この記事は切り抜き状態で入手したため、映画情報誌『スクリーン』と『ロードショー』の内、どちらの何月号に掲載されたものかは確認できておりませんが、ルネが着用している皮革のコスチュームから見て、2回目の来日時に取材されたものであることは間違いありません。

 芝生に寝転んだルネは、お茶目で可愛い13歳の男の子そのままです。でも、この皮革の長袖長ズボン! 日本の蒸し暑さについて事前に情報を得ていなかったのか、それとも、取材やポスター撮りの関係でこのコスチュームを選んでいたからなのか、それでなくても残暑厳しい8月下旬に、これは相当暑かったことでしょう。それなのに、この笑顔!! 「さすがプロ!」といったところですね。


かわい~い!
カナダの星の王子さまルネ君ニッポンの休日

 東京音楽祭でグランプリを獲得、偉大なるフランク・シナトラからトロフィーをもらって、たちまちティーンのアイドルとなったルネ君。新曲「小さな生命」のキャンペーンを兼ねて、8月22日、2度目の来日をしました。今回のおみやげは、洋画ファンにとって嬉しいニュースがふたつ。まず、年内に”シャーリー・マクレーン・ショー”にゲスト出演、ついで、来年2月クランク・イン予定の『ブルーバード』というミュージカルに、エリザベス・テイラーと共演することが決定。しかも、あなた方のお父さん、お母さん、゜おじいちゃん、おばあちゃんのアイドルだった昔の名子役、シャーリー・テンプルちゃんが演じた役で映画界デビューと、何から何まで、トントン拍子のルネ君。とってもかわいい13歳の男の子、でした。




 話は変わりますが、ルネの最新情報です。
 ルネがデビュー45周年を迎える来年3月に新譜をリリースすることは、何度もお知らせしております。それについてのルネのインタビュー記事を、カナダのGiseleさんがfacebookで紹介してくださいました。

 義父と実家の母を連れて温泉に行って帰ってきたばかりのため、詳しい内容については次回紹介したいと思います。
 
※"Au printemps René Simard fera paraître un album en 2015”
http://tvanouvelles.ca/lcn/artsetspectacles/general/archives/2014/08/20140821-221555.html

 ルネ友の皆さま、ルネの笑顔で、厳しい残暑を乗り切ってくださいね!
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ルネは泳ぐの大好き♡

2014年08月16日 | ルネの休日
 8月も後半、暦の上では秋ですが、まだまだ暑い日が続いています。ルネ友の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。シマ姉家は初盆の慌ただしさが、やっと一段落したといったところです。

 学生のように長い夏休みは取れないまでも、夏季休暇等でリフレッシュしたいですね。シマ姉家は実家も含めて初盆で、愛猫アスカもいるので旅行は自粛していますが、肩こりの義父が実家の母を誘い、来週家族で近くの温泉に行く予定です。


 そして今回は、泳ぐのが大好きなルネの、13歳当時と十代後半の写真を紹介いたします。

 1974年9月発売の『月刊明星10月号』の特集記事に、ルネがプールで泳いでいる様子を紹介した写真が掲載されており(下左)、「水泳は得意で25メートルは泳げる。」とありました。ルネの家の近所だというプールのあるこの家を、Googleマップでオルレアン島散歩をした時、セント・ペトロニーユ村近辺で必死に探しましたが、それらしい家は見つかりませんでした。その記事でルネの家と紹介された家や部屋は、カナダのファンの方たちから言わせると違うそうです。日本からの取材のために用意された家ではないかとも推測されていました。

 また、1回目の来日時、ホテル・オークラの会員制プールに行って泳いだと『スーパー・アイドル ルネ』の『完全スケジュール同行記』に書かれていましたが、多分その時撮ったであろう写真(下右)があります。この写真、ルネが右端に写っていて不自然さを感じませんか? それもそのはず、実は日本人の女の子2人が写っていました。画像処理をしてカットしましたが、高校生くらいでしょうか。偶然にもルネと一緒に泳げたなんて、羨ましいですね。

 そして最後の写真は、バシャン姉妹が書いた本に掲載された写真で、ヴァンクーヴァーで撮影されたものです。ルネは1977年から2年間、CBCテレビで火曜の夜のゴールデンタイムに放送されたバラエティー番組『ルネ・シマール・ショー』に出演していました。カナダの英語圏のテレビ局ですから、会話は全部英語。ケベック出身のフランス語訛りや柔らかな物腰は、ルネの魅力の1つになっていたそうです。この写真、ふざけて自分から椅子ごと水に落ちたのか、うっかり転倒して落ちたハプニングなのか…。バッチリ写真に映っているところを見ると、前者の方でしょう。来日当時いたずらっ子だったお茶目なルネ健在ってところですね。
  

▲左:ご近所のプールで(カナダ オルレアン島 1974年7月か8月上旬)
 右:ホテル・オークラの会員制プールで(日本 東京 1974年7月 1回目の来日中)


▲和訳:ヴァンクーヴァーで 水辺で転倒して

  
 前回の記事でお知らせしたとおり、既にルネは9月14日(日)に開催されるジェモー賞の準備に取り掛かっています。昨年は家族で撮ったコメディードラマやダンスを披露して、会場の出演者や観客、TV視聴者を楽しませてくれたルネ。今年はどんなサプライズを準備しているのでしょう。放映後YouTubeにその映像がアップされるので、日本のファンも楽しみに待ちましょう!!


    ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


ケサランパサランを捕まえたよ~!

 『ケサランパサラン』ってご存知ですか?

 ケサランパサラン、ケセランパセランは江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物とされる物体で、1970年代後半に全国的なブームとなりました。ルネ・ファン世代の皆さまなら1度は聞いたことがあるはず。

 先週、職場の外の手洗い場でフワフワ漂っているのをつまみ上げ、これってもしやと思いながら持っていたら、1人の女の子が目ざとく見つけて
 「きゃーーっ、それって『ケサランパサラン』でしょう? それ、妖精なんですよ~~♡」
と叫んだ途端、わらわらと近くにいた子たちまで集まってきて大騒ぎ★ 手渡すと、ほんの少しの動きでもフワフワと舞い上がり、それを見た女の子たちみんなで、可愛い可愛いと大盛り上がり。
 『桐の箱に入れておしろいを入れておくと育つ』という言い伝えも知っていて、私に持っていてというので、桂の小箱に入れてあります(笑)

 彼女たちの夢を壊すので内緒にしていますが、どう見ても植物の冠毛。調べてみたところ、アザミの冠毛でした。

  ▲ケサランパサランの1種 実はアザミの冠毛

<ケサランパサラン>
 1970年代のブームの時ケサランパサランとされた物の多くは、花の冠毛からできたもの。
 外観は、タンポポの綿毛や兎の尻尾のようなフワフワした白い毛玉とされ、西洋でゴッサマー (gossamer) やエンゼルヘアと呼ばれているものと同類のものと考えられている。1つ1つが小さな妖力を持つ妖怪とも言われ、未確認生物として扱われることもある。

<名前の由来>
 スペイン語の「ケセラセラ」が語源だという説、「袈裟羅・婆裟羅」(けさら・ばさら)という梵語が語源だという説、羽毛のようにパサパサしているからという説、「何がなんだかさっぱりわからん」を意味する東北地方の言葉との説などがある。

<生態>
 穴の開いた桐の箱の中でおしろいを与えることで飼育でき、増殖したり、持ち主に幸せを呼んだりすると言われているが、穴がないと窒息して死んでしまうとか、おしろいは香料や着色料の含まれていないものが望ましいとか、1年に2回以上見るとその効果は消えてしまうなどと言われることもある。ケサランパサランを持っているということはあまり人に知らせないほうがいいと言われている。

<正体>
 正体は明らかではなく、“動物の毛玉”“植物の花の冠毛”などいくつかの説がある。
 ①「ワシなどの猛禽類がウサギなどの小動物を食べた際に排泄される毛玉(ペリット)」説。
 ②アザミやオキナグサ、ブタナなどといった植物の花の冠毛が寄り集まって固まったもの、ガガイモの種の綿毛、綿状のカビだという説。白粉を与えると増えるというのはカビのためだとも言われる。また、ビワの木でよく目撃されることから「ビワの木の精」とも呼ばれている。
 ③鉱物のオーケン石 (okenite) 説。
 ④雪虫、アオバハゴロモの幼虫などが、その正体だとされることもある。

※wikiped「ケサランパサラン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%B3
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ルネのインタビュー2014

2014年08月08日 | ルネ・シマール
Un joyeux anniversaire de mariage     à René et Marie-Joséesymbol1
 ルネとマリー=ジョゼ、結婚記念日おめでとうございます!
 ▲芸能新聞の特集記事の見開き

 今日、8月8日はルネ・シマールと妻マリー=ジョゼの27回目の結婚記念日です。
 ケベックの人気スター同士の結婚は、各メディアで大々的に取り上げられ、その結婚式の様子は新聞や雑誌の特集記事になっただけでなく、記念ビデオや記念誌が発売されたほどです。

 ケベックでは恋人時代から可愛いカップルとしてずっと見守られてきたルネとマリー=ジョゼ。
 ルネは自分のルーツを探すスペシャル番組の取材旅行から帰って来たばかり。昨年に続き司会を務めるジェモー賞の番組製作や、デビュー45周年を迎える来年3月に発売を予定しているニュー・アルバムの準備で、ますます忙しくなります。ルネが、この記念すべき日を妻マリーと二人で幸せに過ごしていることを、遠く離れた日本から願っています。

Montage René Simard-Marie-Josée Taillefer




 さて今回は、デビュー45周年を迎えるにあたり「今まで起こった出来事の真相」として、自分の想いを語っているルネの最新のインタビュー記事を紹介いたします。
 ここで『賢者』と評されたルネは、9歳でデビューしてからの波乱万丈の人生を振り返りながら、今後このようなインタビューはもう行わないと、笑いながら話しています。この記事では、ルネのどんな真実が語られているのでしょうか。


René Simard : l'homme des gémaux
ルネ・シマール:ジェモーの人

http://plus.lapresse.ca/screens/7a1d6723-a7dc-4be4-a137-859976688fbe%7CiM5ifK-l6hYm.html

     ルネ・シマール:賢者

 肉体的にはさほど変わっていないが、ルネ・シマールは円熟し、知識を得ることで彼の心は老成している。「Petit Simardプティ・シマール」から遠く離れ、私の前にいる男性は、もうすぐデビュー45周年を祝うことになる。彼は2人の成長した子供たちの父親であり、彼にとって人生は、いつも長く穏やかな河ではなかった。故に彼は、苦難を人の助けによって克服し、時間をもまた克服した。

 我々は、まるでこのインタビューが前日から行われていたかのように座り、長い間会っていなかった旧友と話すように会話を再開し、私は幾度もインタビューを行った。
 「私に起こった全ての真相について、このような会見をもつことはもうないでしょう。」と、ルネ・シマールは笑って言った。

 そして彼は、私が質問しなくとも話を進めた。

 「私は今、良い事や肯定的なことを糧としています。私は言葉の回復力を知っています。そうは言っても、必然的に現実というものがあります。過去を変えることはできない、だから私は、今この瞬間を生きているのです。そして、私は楽しい未来が、私のためだけのものか、私の家族、母やマリー、子供たちのためだけのものかを見極めなければならないのです。」

 「『失敗は人を強くする』という、私が嫌いな平凡な格言があります。それは本当のことかもしれません。しかし私はそのいまいましい格言を実践しなければなりませんでした。そのことは、言うは易し、されど行うは難しなのです。」--ルネ・シマール

 人間としてのルネ・シマールのために、敏感に 距離を置いた期間は大変だった。彼は確実に恐怖感を取り除くために、拠点を作る必要があった。

 「マリー=ジョゼは全てにおいて導いてくれる人でした。最も困難だったことは、他人の視線でした。私たちにはその仕事をする時間がありました。時に時間はゆっくりと進みましたが、今は自分のリズムを取り戻し、早いペースで進めています。」

 ルネは彼の祖先を探すヨーロッパの旅から1週間で戻った。彼は"Air de famille"のショーの撮影を引き継ぎ、その準備段階にある。
 「私はオーディションをすることが好きです。出場者は純真で、本当に一生懸命です。」と彼は言う。そしてその仕事だけでは十分ではなかったかのように、彼は既にジェモーに取り組んでいる。

 ルネ・シマールは既にADISQで4回、Artisで4回司会をしている。現在テレビにおいてジェモー賞の2回目の司会者に抜擢され、そのオープニング曲は既に録音されている。責任重大である。バカンスは7月に最も多く取られ、8月は業界全体が資金に困窮しており、9月に行われる3時間半のショーのための準備を早急に開始する必要があるからだ。

 「番組構成については明らかになっていません。現在、例えばソーシャルネットワーク上でそれについて語られていますが、それを知りたくはないし、気にしないことにしています。私はとても若い頃、全ての人を喜ばせることができないことを学んだので。」

 彼はオープニングの歌と、経験上番組の中で最も難しいことを知っていた。それは番組のオープニングのスタートである。

 「スタートが不完全であれば、番組全体が不完全になってしまいます。ショーにはリズムがあります。それを素早くつかむことが重要なのです。」と、ルネ・シマール。

 そして彼は、アルティスとも、オリヴィエとも、ADISQのそれとも違う司会を心がけた。それはテレビ製作者、そしてテレビ視聴者によって褒め称えられた。黄金、それは彼の世界の内にある。彼は水を得た魚。ルネはライヴで歌うこと、ダンスをすることが好きだ。
 「司会者には、番組を祝祭にする手法が求められているのです。」 

 私は、9歳でビジネスの道に進む前後の、オルレアン島に移る前にシクーティミで幼少期を過ごした、人の子としてのルネについて繰り返すことはしない。現在、彼は自分の子供たちの話をすることが好きである。ボンバルディアの科学技術者として、世界を飛び回っている25歳のオリヴィエ。視覚芸術の学位を持ち、ダンスで奨学金を得(これは難聴を持つ若い女の子にはなかなかないこと)、オメル・ドゥスールのカウンセラーでもある23歳のロザリー。 

 ルネは瞳を輝かせながらそれらを語った。彼らは聴覚障がいにも関わらず、というより、私が言うべきは、子供たちがこの障がいを克服したことが、ルネの誇りであるということだ。
 「子供たちが小さかった頃、専門家から、彼らが自立できないだろうと告げられた時のことを思い出します。帰宅途中、ベビーシートの中のオリヴィエを見ると、彼は笑っていました。そして私はマリーに言ったのです。『この子たちが私たちを救ってくれるだろう』と。」

  
 それ以来、人工内耳を通して、オリヴィエとロザリーは自律的になり、おそらく無意識の内に自分たちの方法で、彼らの両親を救ったのだ。

 今私は、ルネ・シマールが2015年にデビュー45周年を迎えるにあたり、「鳥」について語ることなくこのインタビューを終了する訳にはいかない。この曲によってルネ・シマールの冒険が始まったのだから。
 「そう、もうすぐ45年…。それは1970年のこと。このことを話さずにこの週を過ごすことはできません。おかしなことに、人に『鳥』は青く見えたんです。鳥に色はなかったのに。」

 彼は6歳の時、テレビ・シリーズ「ベルとセバスチャン」でこの歌を覚えた。世代を超えて心に刻まれたこの歌は、彼の皮膚にも染み込んだ。そして彼が子役スターになれたのも、この曲のお陰だった。
 「それは美しい思い出です。しかし、私は子供にこの仕事(芸能活動)をさせたいと考えている全ての親に言うでしょう。子供のそばにいること、そして諦めないこと。これはとても素晴らしい仕事だけれど、子供に大損害を与えるかも知れないということを。」



 ケベックでは『鳥』、日本では『ミドリ色の屋根』で鮮烈なデビューを果たしたことや、華やかで目まぐるしいアイドル時代のことを若き日の美しい思い出とし、現在は新人発掘や聴覚障がい者のための活動をしながら、穏やかに生活することを望んでいるルネは、今の一瞬一瞬を精一杯生きようとしています。
 40年前に来日したあの頃のルネを追って、今も応援し続けている日本のファンの存在を、ルネはとても嬉しく思ってくれています。もちろん私たちは、54歳になったルネのことも愛していますが、日本のファンが、ルネの中では既に『美しい想い出』となっている天使の声のルネをずっと愛し続けていることをどう思っているのでしょう。また、幼くして『とても若い頃に、全ての人を喜ばせることができないことを学んだ。』と語るルネが、どんな経験をし、それを乗り越えてきたかを考えると、とても複雑な気持ちになるシマ姉です。

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ルネとセント・ペトロニーユ村

2014年08月03日 | ルネの家
 今年はルネがデビュー当時住んでいた『船長の家』のあるオルレアン島セント・ペトロニーユ村Le village de Sainte-Pétronilleの村立140周年に当たるそうです。

 7月12日(土)にはその記念式典が行われ、村の合唱団「le Chœur de l’Isleル・ クール・ドゥ・リスル」により、村立100周年を祝福して製作されたフェリックス・ルクレールの歌が歌われました。 紹介文には、参列者は各自椅子持参、雨天時はセント・ペトロニーユ教会で行われることになり、協会かラウル・ダンデュラン・コミュニティー・センターに駐車との注意書きもあったりして、とっても親切。記事の下には過去の記事のタイトルがあり、クリックすると閲覧いただけます。合唱団メンバーの過去記事に掲載された集合写真もご覧いただけます。

 また、ここで紹介いたします記念本は、ロベール・マルテルとダニエル・ギヨによって編集されたものです。紹介ページ右の”AUTOUR de l'île d'Oriéans”では、セント・ペトロニーユ村だけでなく、島全部の各村について詳しく紹介されており、全ページ閲覧できます。フランス語は読めなくとも、ルネが少年時代の、歌手としてデビューしてケベックで活躍を始めた一番重要な時代を過ごした場所に思いを馳せながらご覧いただけたらと思います。

▲2012年夏の『船長の家』(Googleマップより)
▲ルネが通ったセント・ペテロニーユ公立学校


140e Sainte-Pétronille – Lancement du livre: À la proue de l’île
http://www.autourdelile.com/2014/07/140e-sainte-petronille-lancement-du-livre-a-la-proue-de-lile/

 今年はルネの来日40周年という記念すべき年ですが、セント・ペトロニーユ村が村立140周年だったり、ルネがカナダ勲章を受章したり…と、おめでたいことが重なった年になりましたね。考えてみれば、村立100周年とルネのグランプリ受賞も重なっていたことになります。セント・ペトロニーユ村から有名になったスーパー・アイドルの、世界的な音楽祭での受賞を、村でも祝ったのかしら…と、いろいろ想像の翼を広げているシマ姉です(笑)。

 ちなみに、オルレアン島やペトロニーユ村の『船長の家』、ルネが通った学校や教会については過去ログで紹介していますのでご覧ください。

※過去ログ「ルネとオルレアン島」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/499.html

※過去ログ「スプリング・コンサート・プログラム②」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/538.html

 それから、YouTube映像のルネの妹ナタリー・シマールを紹介した特集番組の中で、ナタリーが『船長の家』を訪ねるシーンと、ルネが日本から凱旋帰国した時の映像がありましたのでご覧ください。


 4分後から、ナタリーが『船長の家』を訪れ、思い出を語る場面があります。その後通った学校にも行きますが、ルネが通ったセント・ペトロニーユ公立学校ではありませんでした。


 ルネが日本から凱旋帰国し、ガードマンに肩車されて集まった群衆の中を通る場面や、インタビューに答える場面が収録されています。ルネとナタリーのコンサートの様子もご覧いただけますよ。


 今週末はやっと2日とも休めましたが、初盆に向けての家の片付けや、お盆を前に挨拶に来た親戚の接待、猫アスカの通院などで慌ただしく過ごし、記事アップもギリギリ★ 来週末はさらに初盆準備の追い込みです。オルレアン島での避暑を夢見ながら、ルネの2回目の来日についての記事作りを頑張っています。

 ルネ友の皆さまも、酷暑に負けぬよう、お体ご自愛なさってくださいませ。



        ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


      cloverシマ姉のグリーン・ライフclover

 今年のシマ姉家のグリーン・カーテンです。
 ここずっとキュウリは欠かさず植えていたのですが、西の出窓のせいか、どうしてもうどん粉病やカメムシ、コナジラミが発生しやすく、高い所に生ったものはなかなか収穫するのが大変なため、今年は昨年こぼれた種から育った朝顔と、生協で見つけたつる性のアサリナにしました。7月から11月半ばまでという長い開花時期にひかれて購入しましたが、種蒔きから発芽まで説明書よりも時間がかかり、思ったより華奢で、本当に育つのか心配した時期もありました。ここに来てやっとグリーン・カーテンの支柱の1/2まで弦が伸び、花も咲き始めて一安心。茎が細く、葉も小さいので、朝顔に発生したカメムシ軍団からノーマーク。水を枯らさないように気をつけて、11月まで楽しめるように手入れしてい行きたいと思います。


          cat猫アスカ通信cat3

 昨日、慢性鼻炎なのか風邪なのか、鼻のくしゅくしゅが続いているアスカを病院に連れていきました。右足に大怪我を負って転がり込んで来たアスカ。切断した方が治癒が早いが足を切断するのは極力避けたいと言ってくれた先生に任せて手術。2回の入院の後、白血球数が激減し、死の危険にさらされながら3回目の入院をして生還したことが強く印象に残っている先生は、すっかり普通の猫になっているアスカの様子を喜んでいました。足の傷は全く分からなくなっているのを確認しながら「走れるの?」と聞くので、「草っ原を駆けずり回って、毎日狩りに明け暮れています。」と答えると、「あの状態から考えたら奇跡のようだ。」とびっくりなさっていました。また、体重が予防接種の時より減少したのも、去勢手術でポッチャリしていたのが、狩りによる運動で締まったせいと分かって安心されたようでした。「全く心配はないけどね。鼻の方は取りあえず2週間持続する注射を打っておくから、目薬をさして様子を見といて。」とのことで、元気に帰ってきました。


 上の写真は、息子と一緒に寝ているアスカ。シマ姉家の息子と次男坊猫です(笑)。最近は涼しい所を渡り歩いて寝ています。

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