ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

アグネスとルネ

2008年07月26日 | 2回目の来日
 昨日は今年一番の暑さとなりましたが、夕立ちのお陰で、夜は過ごしやすかったように感じました。
 夏休みに入って、息子のラジオ体操とお弁当作り、児童クラブへの送迎が日課に追加され、このところの暑さと仕事疲れ、それに追い打ちをかけるような寝苦しい夜に、疲れが蓄積し、少々寝不足気味だった私は、息子を寝かしつけながら爆睡★ 早起きして、涼しいさわやかな早朝に記事をアップしています。

 今日は地元のお祭りを筆頭に、県内各地で夏祭りが催されます。我が家は私の実家の町の祇園祭に出かけます。夕方4時から、花火大会が終わる10時までメイン・ストリートが歩行者天国になるため、帰宅もそれ以降。息子は姪っ子たちと遅くまで遊べるので楽しみにしています。そして、花火や山車を見ながら、夜店でお買い物をするのもお祭りの醍醐味。昨年まで通っていた保育園の友だちとも会えるかもしれないので、ゆっくりお祭りを楽しんで来ようと思います。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 


 ルネの2回目の来日は、待望の第2弾『小さな生命』のプロモーションと『ファースト・コンサート』のためのものでした。
 
 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にしてブームを巻き起こしたルネの再来日に、TV出演や雑誌の取材も目白押し。 過去ログでも紹介したアグネス・チャンとの対談もその一つでした。

※「ルネの対談記事 アグネス・チャン編①②」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/168.html
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/169.html


 外タレ(外人タレント)ブームだった当時でも、スターの人気投票でベスト10入りしている人気者のアグネスとの共演は、どちらのファンにとっても興味深いものでした。たとえファンでなくても、可愛い二人のツー・ショットには、思わず笑みがこぼれてしまします。

 ちなみに、弟はアグネスの大ファンでしたが、私も弟も、ルネがアグネスにキスしている写真に、『本当に仲良しなんだ~symbol1』とは思っても、嫌な気分になったことはありません。これって、すごいことだと思いませんか?

 アグネスの兄がカナダのトロントにいるので、その話で一層仲良しになるふたり。過去ログで紹介した記事と合わせてご覧ください。



「ハッピーアグネス」の共演で兄弟みたいに仲良しの
アグネス・チャンとルネ
ワタシが日本語おしえてあげるぅ


▲「ハッピーアグネス」にゲスト出演のルネを
         大歓迎のアグネス   撮影・安田芳郎


 ルネ「コンニチワ! オゲンキデスカ?」
アグネス「あら、ルネも日本語勉強したの。えらい!」
 ルネ「アリガトーコザイマス。オトーサン、オカーサン、
    オトコノヒト、オンナノヒト、コレハペンデス。ドーゾ」
   (そばで通訳の男性イワク「これがルネが覚えた
    日本語のすべてなんですよ」これからはすべて
    通訳あり)
アグネス「ルネはワタシの弟と同じ13歳ネ。東京音楽祭
    みてたけど、ワタシもスゴーク感激したワ」
 ルネ「おかげさまでカナダへはいいおみやげ話し
    ができたし、1か月のバカンスはとっても楽
    しかったヨ。家族でお祝いのパーティをひら
    いてくれたんだ。アグネスのバカンスは?」
アグネス「ワタシは2泊3日で伊豆の海へ泳ぎに
    行ったの。それからね日本で一番高い山、
    富士山へのぼったの。涼しいっていうより
    寒くてブルブルふるえちゃった。そう言えば
    カナダの夏って、さわやかでステキでしょうネ。
    ワタシの国の香港は湿度が高くて暑いんだ」
 ルネ「最近、夏のカナダを訪れる人が多いんだヨ
    観光客でいっぱい。日本人も多いヨ」
アグネス「ワタシは今年の2月にカナダに住んでいる
    おにいさんに会いに行ったの」
 ルネ「え、おにいさんってカナダのどこに住んで
    るの?」
アグネス「オタワから少しはいったトロントという
    ところ。とってもいいところだったわ」
 ルネ「ぼくはちょうどオタワの反対がわのケベック
    というところに住んでるの。カナダはどこへ
    行っても森と湖が美しいステキな町だヨ」
アグネス「1週間しかバカンスがなかったので残念だ
    ったけど、今度は是非、夏にバンクーバーや
    バンフへ行ってみたいな」
 ルネ「アグネスは日本へきてどれくらいになるの
    日本語がとってもうまくなったんだってネ」
アグネス「はずかし~いナ。日本にきて1年半に
    なるけど、日本語ってむずかしいワ」
 ルネ「ボクにも日本語教えてよ。ボクは数学が
    得意だけど、国語(フランス語)はニガ手なの
    だから日本語をおぼえるのも大変かな。
    日本語教えてくれたら、ボクが今度カナダを
    ガイドしてあげる」
アグネス「ほんと? 何だか楽しくなりそうね!」
コメント (2)
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別フレとルネと私②

2008年07月21日 | ミドリ色の屋根の頃
 日本のルネ・ファンに朗報です!

 カナダのルネ・ファン、ケーシーさんが、カナダの英語圏で公開された『普通の子供-Un Enfant Comme Les Autres-(日本公開時『』ルネ・オン・メロディ)』11回に分けてアップしてくださいました!! 20日にアップしたばかりです。先程見つけて、ドキドキワクワクしながら急いで記事に追加しています。だからまだ全部観ていません(笑)!
 実際には、ルネのリサイタルの場面から始まっており、英語吹き替え版なので話の内容が分かりやすい反面、歌以外はルネの声と違うのですが、是非是非ごらんになってください。ルネが英語で『普通の子供』と『僕のママは天使』を歌っていますよ! (仏語で歌うシーンでは、英語の字幕が入ります。)

 私のYouTubeチャンネルにも、パート1から順に、お気に入り登録いたしましたのでまとめてどうぞ♪
http://jp.youtube.com/user/minokeiken1355

※Rene Simard - A Child Like Any Other(こちらはパート1です)
http://jp.youtube.com/watch?v=ktLSuMOZg3c&feature=related


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネ・ブームの頃、『別フレ』はまだ『別冊少女フレンド(現在は『別冊フレンド』)』の時代。少女漫画の黄金期をリードする人気の月刊少女漫画雑誌で、私の愛読書でもありました。
 自分で買っていたからなのか、『別フレ』に掲載されたルネについての記事もコレクションしてありましたので、紹介したいと思います。



 1975年に『別フレ』が行った、スターの人気投票結果です。ルネは日本のスターを抑えて堂々の10位

 この当時、現在ベテランになっている歌手もアイドルでした。懐かしい名前がたくさんありますね。国会議員の森田健作に今年還暦の沢田研二。さすが『新御三家』の西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎はベスト3を独占。
 ルネが大ファンと書いている記事が多かった山口百恵は高2トリオの中でただ1人ベスト10入りの4位。
 ヴォーカルの晃がルネと同い年のため、何かと共演の多かったフィンガー5は5位。
 外タレブームの中でも人気№1だったアグネス・チャンは6位。8位の中村雅俊はこの年、ドラマ『俺たちの勲章』と『俺たちの旅』で大人気。
 ちなみに、9位の荒川努は『ミドリ色の屋根』をアルバムに収録しています(以前当ブログのトップ・ページで紹介していたのですが、現在は視聴サイトが無くなっています)。

 このことについては、mixiのコミュニティー「ミドリ色の屋根のルネ・シマール」の副管理人ピングーパパさんの『ミドリ色の屋根の頃を紹介した過去ログでご覧ください。

  
「ミドリ色の屋根の頃~1975年(2)TV・CM・映画」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/236.html
「ミドリ色の屋根の頃~1975年(4)ヒット曲」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/238.html





別フレ ヤングスタープラザ
 ハーイ! みなさん、元気ですか? 今月も、ヤンプラ読んでくれてますねえ。今月は、フィンガー5など人気スターのほかに、カナダからやってきたルネ=シマールくんをご紹介しちゃいましょう。

グランプリは小さな手に!/ルネ=シマール
 第三回東京音楽祭でグランプリ(大賞)とシナトラ賞を獲得したのが、なんと十三さいのルネ=シマールくん。受賞曲の「ミドリ色の屋根」は、発売以来グングン売り上げをのばしています。
 ルネは1961年2月28日、カナダのケベック州に生まれました。小さい頃から歌の大好きだったルネが、ある日、ひとりでオルガンの伴奏をつけて讃美歌をうたっていたところ、結婚式をあげていた花むこさんが、ルネの歌にビックリ。さっそく、かれが歌手になるようにすすめました。いま、ルネのマネージャーをしているギ=クルティエさんこそ、そのときの花むこそのひとだったのです。
 それからのルネは、デビュー曲「鳥」の大ヒット、そして数々の受賞、と、スターの道をまっしぐら。でも、ルネも公立学校にかよっている、ふつうの男の子。ミニ機関車をいじっていればそれで満足なんですって。8月22日から9月16日にかけて、また来日するルネ。ちょっぴりおとなになっているかな?



天ぷら大好き日本茶きらい!symbol1ルネ・シマール
 2度目の来日で、すっかりおなじみになったカナダのアイドル、ルネ・シマールくん。新曲『小さな生命』もヒット中だし、かわいらしいルネくん、女の子にモテモテでゴキゲンです。
 歌手としてのお仕事に追われるルネくんだけど、なかなかのがんばりやさん。最近のテストでは、30人中の3番。
 勉強に負けず、熱心なのがいたずら。レストランで支配人のコップの中に塩をいれたり、ヘビのおもちゃでおどかしたり…。
 日本にいるあいだ、すっかり好物になった天ぷらをよくたべていたけれど、どうしても飲めなかったのが日本茶。ニガーイとひと口飲んで吐きだしちゃった。



ガール・フレンドはひとつ年上/ルネ・シマール
 もう日本でもすっかりおなじみになったルネ・シマールくん。テンプラと陶板焼きのステーキが大好きで、来年の春にまたくるって。
 いまはカナダでセント・ペトロネル・パブリック・スクールに通っているのだけど、ルネくんにはガール・フレンドがいる。
 向かいのおうちのひとつ年上の女の子のカトリーヌ。
「でもね、近ごろあまりデーとしないんだよ」
 と、ルネくんがいうのは、彼女の背がぐんとのびちゃったからなの。


 ルネの1つ年上のガール・フレンドと紹介された女の子のフル・ネームはカトリーヌ・モランさん。別の記事では、彼女より前を歩いたり、ルネが1段高いところを歩いたりしているということでした。
 現在ルネの身長は約5フィート4インチ(175.26cm位)だそうですが、13歳の初来日当時は140㎝弱で、欧米人にしては小さかったですよね。ルネもお年頃でしたから、やっぱり気にしていたのでしょう。前出の中村雅俊も中学校時代はチビで、高校生になってバスケットをやりだしてから身長が伸びたということでしたから、ルネも成長が遅かったのでしょうか? ちなみに、ルネもバスケット・クラブに所属していたという記事を過去ログで紹介しています。

※過去ログ「ルネはバスケ部」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/159.html

 なお、4つの記事の内、あとの2つは、多分『別フレ』の記事だったろうと思うものです。似顔絵を描いている漫画家さんは「あべまりあ」さんだと思いますが、詳しいことをご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。
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別フレとルネと私①

2008年07月20日 | ミドリ色の屋根の頃
 『別フレ』、正式には『別冊フレンド(1974、1975年当時は『別冊少女フレンド』)』。この少女漫画雑誌こそ、私のルネ・コレクションの充実に貢献してくれた雑誌でした。

 『別フレ』は、当時の月刊少女漫画雑誌の中でも、同じ発売日の『別マ(別冊マーガレット)』、『別コミ(別冊少女コミック)』と並んで人気の高い雑誌でした。月初めに発売される『りぼん』と『なかよし』は付録付きだったためもあり、前出の3誌よりは読者の年齢層が弱冠低かったようですが、これらの少女漫画雑誌では戦後世代の若い作家が続々とデビューし、新しいジャンルの作品で競い合い、少女漫画の全盛期をリードしたのでした。 

            
           ▲ルネが表紙になった
       『週刊少女フレンド』1974年28号


 『別フレ』は、『少女クラブ』から変身した『少女フレンド』の、連載の総集編を中心にした月刊の別冊として、1965年3月に講談社から創刊されました。
 少女漫画雑誌としては一番早い1962年12月に創刊された『少女フレンド』に続き、1963年3月には、『少女ブック』を基盤に『マーガレット』が集英社から創刊。月刊誌の『別冊マーガレット』は『別フレ』より一足早い1964年の12月に創刊されました。その頃は、『あしたのジョー』のちばてつやが『ユキの太陽』という作品を描いていたり、若い世代の人は知らないと思いますが、わたなべまさこや水野英子、牧美也子といった、貸本時代の人気作家が主流で、『王家の紋章』の細川知栄子も新人でした。『巨人の星』の川崎のぼるが『りぼん』で少女漫画を描いていたなんて、知らない人の方が多いですよね。そして、それよりずっと遅れて『別冊少女コミック』の前身である『少女コミック』が1968年5月に小学館から、『りぼん』の前身『りぼんコミックス』が集英社、『なかよし』が講談社から創刊し、若い作家たちがラヴ・コメディーのパターンを定着させていきました。


       ▲一番多く持っているポスター
    部屋に飾っていた、学生時代の私の恋人です


 ルネが日本で活動していた1974、1975年当時は、少女漫画の全盛期を迎えていました。『別フレ』では、『アリエスの乙女たち』の里中真智子、『はいからさんが通る』の大和和紀、神奈幸子、阿部律子、森谷幸子、文月今日子、『少女フレンド』では『生徒諸君!』の庄司陽子、青池保子などが活躍していました。対する『別マ』では、西谷祥子、『ガラスの仮面』の美内すずえ、忠津陽子、山田ミネコ、『スケバン刑事』の和田慎二、『おいしい関係』の槇村さとるやくらもちふさこ等が活躍。『マーガレット』では『エースをねらえ!』の山本鈴美香や木原敏江がラブコメを描き、池田理代子の『ベルサイユのばら』が宝塚で舞台化。『少女コミック』関係では『トーマの心臓』、『11人いる!』、『イグアナの娘』の萩尾望都、『地球へ』の竹宮恵子、『綿の国星』の大島弓子や高橋亮子など、『りぼん』では『有閑倶楽部』の一条ゆかりや『なんたって18歳!』、『ハイティーン・ブギ』の牧野和子、、大矢ちき、『サラリーマン金太郎』の本宮ひろ志夫人のもりたじゅんなど、『なかよし』では『キャンディキャンディ』のいがらしゆみこや曽根まさこ、高階良子などが次々に力作を発表していました。また、たくさんの少女雑誌が創刊し、『月刊花とゆめ』では山岸涼子や三原順、こやのかずこ、『プリンセス』ではあしべゆうほ、イケスミチエコ、ささやななえ等が読者を惹き付けていました。(紹介した作品は、TVアニメやドラマ、舞台化や映画化されたものです。)勿論この他にもたくさん紹介したい作家や作品があるのですが、ルネの話題からそれてしまうので、この辺に留めておきます。
 余談ですが、上原きみ子が『ルネの青春』というタイトルのスポーツ漫画を書いていますが、『ルネ』は女の子です。

※カテゴリ『ミドリ色の屋根の頃』でも、当時のことをお読みいただけます。
「ミドリ色の屋根の頃~1975年(3)コミック&アニメ」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/237.html  


       ▲同級生からいただいたポスター
       前出のものの次に多く持っています


 『別フレ』は、当時1月千円のお小遣いの中で買っていた唯一の漫画雑誌でした。千円の中から洋服や靴、学習雑誌などは別として、学用品や画材は一切その中から買っていた私には、この1冊を買うのが精一杯。ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」に入会してからは、会費とルネのレコードのためにお年玉を使わずに取っておき、お小遣いは極力節約して貯めていましたから、芸能雑誌は到底買う余裕などありませんでした。
 でも、漫画大好き少女だった私は、別の雑誌(『別マ』)を買っている友人と交換して読むことを思いつき、学校で漫画の交換をしたのでした。すると、「私にも回して、その代わり私の○○を貸すから」という級友が申し出てきて又貸し状態。しまいには誰に回っているのかも分からないまま、最終的に私の手元に戻ってくるのは翌月号が出る直前ということが続きました。
 そして、この少女漫画雑誌が、私が知らないところで同級生の間を回り、私にルネの切り抜きをもたらしたのでした。今にして思えば、多分そうだろうという推測でしかありませんが、親しくもない別のクラスの子からも『ルネ・シマール好きでしょ?』と、ルネの切り抜きやポスターが届くようになっていたのです。そのため、同じポスターを何枚も持っていたりします。懐かしき古き良き時代のお話ですね。



 さて、1975年に『別フレ』が行った、スターの人気投票結果がスクラップしてあありました。その中間報告と一緒に、『わたしならこのスターを!』と題して、『別フレ』の人気漫画家が選んだスターを紹介した記事が掲載されました。
 過去ログでも紹介した、私が好きな漫画家の文月今日子先生が選んだスターはルネでした。この記事を読む前からずっとファンで、先生の描くおかっぱ頭のキャラクターがルネに見えてしかたがなかったところにこの記事のだめ押し。私が文月先生の大ファンになったのは言うまでもありません。

※文月今日子先生のホーム・ページ「文月ふぁみりぃ」
http://kyoroko7777.hp.infoseek.co.jp/



▲文月先生のコメントとルネの似顔絵
あいらしく、いとおしく、うるわしく、ええ顔で、おとこらしく、かわゆく、きゃしゃで、くるおしく、けんこうで、コケティッシュで、さわやかで、しとやかで、すずしげで、せんさいで、そっけなく、たのもしく、ちっちゃくて、つれなくて、てんさいで、トレビアンなんだわぁ!ルネちゃん!!


 ねっ、キョロコ先生のルネ、可愛いでしょう?! このコメントも暗記してました(笑)。
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ルネのプリンのCM

2008年07月13日 | ルネの活動記録
 ルネが兄弟と一緒に出演したプリンのCMについては、以前紹介いたしました。

       
▲『ローラ・スコール』のCMソングのレコード・ジャケット

 ルネが次兄レジスのギターで、妹ナタリー、長兄マルタンと一緒に歌っているバージョンと、ルネが兄レジスと弟ジャン=ロジェ(アレクシス)と牧場で乳牛の乳を搾り、妹ナタリーや友だちとプリンを食べているバージョンの2種類があります。商品名は『ローラ・スコール -Laura Secord-』。この当時は缶詰のプリンとして売り出された商品でしたが、ナタリーがルネに替わってCMに出演する頃には、現在日本で売られているプリンと同じような、プラスチック等の容器(材質は分かりません)に、はがすタイプのフタがついているものに替わっています。

 トップ・ページに私のYouTubeチャンネルを紹介するに当たり、ルネのYouTube映像をチェックして、今まで紹介してきた映像をお気に入りに登録しました。
 その時見つけたのが、ギターで歌っているCMの1分間フル・バージョン。ルネが大好きな鉄道模型で兄妹たちと遊んでいる場面から始まります。ルネが「プリンの歌を歌おうよ。」と、ギターを持ったレジスを誘って歌を歌い始めます。このコマーシャルでプロモーションされているのは、ショコラ(チョコレート)の4個パック。牧場バージョンではショコラ以外の味も出て、全4種類になりました。早口でよく聴き取れなかったり、画像がぼやけていて読めないのではっきりわかりませんでしたが、画像を拡大して調べたところ、Fondant chocorat(フォンダン・ショコラ)、Vanille(バニラ)、Chocorat(ショコラ(チョコ))、 Caramel beurre(キャラメル・ブール(バター・キャラメル))であることが判明しました。そして注目すべきは、このプリンの缶詰がイージーオープン缶で作られており、商品のアップで、プルトップを引っぱって開ける方法を紹介していることです。当時の日本では、まだ、缶切りで開けるタイプの缶詰が一般的だったと思います。子どもが簡単に開けられるイージーオープン缶にしたのは大変画期的で、商品戦略の1つでもあったのでしょう。

♪ルネの缶プリン「ローラ・スコール」のTVコマーシャル1分バージョン
 前述の説明のとおりです。CMソングが字幕として入っています。歌の方はスタジオで収録したもので、レコード化もされました。ルネはもちろん、当時4歳のナタリーがとっても可愛いでしょう! YouTubeの紹介では1970年と書かれていますが、レコードは1972年発売です。シャンタルさんの”videosimard”では1972年と紹介されていますので、1972年が正しいのだと思います。
※1970- Poudings Laura Secord
http://jp.youtube.com/watch?v=oEuURBfOWgA&feature=related

※Les p'tits poudings Laura Secord
 シャンタルさんの”videosimard”で紹介されているものです。CMソングのレコード・ジャケットも見られます。
http://jp.youtube.com/watch?v=2RAl3Rjn5qs&NR=1

※Les p'tits poudings Laura Secord
 前出の牧場バージョン。牧場のおばさんも出てきますが、ルネたちが遊びに行った友だちの家の牧場という設定なのでしょうか? CMの最後に出てくる、台所の窓の外から乳牛がのぞいているのに気付いた、ルネ、レジス、ジャン=ロジェの「驚き」の演技にも注目です。
http://jp.youtube.com/watch?v=NTBhk4FfAEo&feature=related

       ▲兄レジスも歌手デビューしています


 記事の冒頭で紹介しているとおり、ここで歌われているコマーシャル・ソングはシングル・レコードになっていて、歌詞も紹介されていました。B面は"A mon ami mon pere"。日本でも、CMソングやアニメのテーマ曲はヒットしやすいのですが、こちらはCMで人気が出たのでレコード化したといった方が正しいでしょう。当時のルネの人気の高さが伺えますね。
 そして、『ローラ・スコール -Laura Secord-』のプリンのコマーシャル・ソングはLa chanson des p'tits poudings(小さなプリンの歌)』です。少々訳しにくい表現もあったのですが、仏語詞と一緒に和訳を載せておきますので参考にしてください。YouTube映像と合わせてお楽しみいただければ幸いです。

※”bebo-musicographiesimard”
http://www.bebo.com/MusicAlbums.jsp?MemberId=2591195085


La chanson des p'tits poudings

(Marcel Lefebvre)

  ケ  ス キ  フェ ドーンク シャンテ レ  プティ シマール
※Qu'est-ce qui fait bonc chanter les p'tits Simard?
  セ  レ プティ プディン  ローラ  スコール
 C'est les p'tits poudings Laura Secord.

  ケ  ス キ  レ フェ クリエール ジャン ヴー ザンコール
 Qu'est-ce qui les fait crier"J'en veux encore"?
  セ  レ プティ プディン  ローラ  スコール
 C'est les p'tits poudings Laura Secord.※

オン ティール ラ ボビネットゥ
On tire la bobinette
パ ブズワン ダシエットゥ
Pas besoin d'assiette

エ  セ  ラフェール  ドゥ ケルク  スコンドゥ
Et c'est l'affaire de quelques secondes
オン ス カス  パ ラ テートゥ
On se casse pas la tête

ラ ルセットゥ  エ プレートゥ
La recette est prête
サ ス マンジュ パルトゥー エ パル トゥー ル モンドゥ
Ça se mange partout et par tout le monde

※~※繰り返し


<和訳>

※シマール家の子どもたちは 一体何を歌っているの? 
 小さなプリン ローラ・スコールの歌さ

 「やっぱりこれに決めた」と何を大声で知らせているの?
 それは小さなプリン ローラ・スコールのことさ※

プルトップを引っぱれば
お皿は要らないよ
そして2番目には
悩まないことさ
買いに行こう
どこでも そして世界中で食べられてるから

※~※繰り返し


※ここで出てくる”les p'tits Simard”とは、ルネたちシマール家の子どもたちのこと。以前過去ログで紹介した時は、10代の頃のルネとナタリーのことを親しみを込めて「プティ・シマール(小さなシマール)」と呼んでいると書きましたが、仏語では「シマール家の子どもたち」という意味になるようです。


▲プリンのCMの頃のシマール一家

 こちらは、ナタリー・バージョンのCMです。ルネのCMでは、あんなに小さかったナタリーも、すっかり女の子らしくなっています。
♪”Les p'tits poudings Laura Secord”
http://jp.youtube.com/watch?v=omhlk_fjV-0&feature=related
♪”Laura Secord”
http://jp.youtube.com/watch?v=xe7pHGnhDl0


 そして、ルネが出演している別のコマーシャル。ルネが15歳の時の『ペプシ・コーラ』のCMと、大人になってからの、ちょっとコミカルなCM。ペプシのCMは、一般の視聴者に、ラベルを隠して2社のコーラを飲み比べてもらって、どちらが美味しいと感じたかを聞きます。そして、美味しかったと思う方のラベルの目隠しを外すと『ペプシ・コーラ』…という、日本でも同時期にオン・エアされていたのと同じパターンのものです。ルネを知っている世代の方は、ご覧になったことがあるでしょう。 





♪”Rene Simard - 1976 Pepsi Commercial”
http://jp.youtube.com/watch?v=nxoDVNDmw6w
♪”Commercial avec Rene Simard”
http://jp.youtube.com/watch?v=ORWXamZGrBU&NR=1


 それから、ちょっとだけ豆知識。『ローラ・スコール』が何故『小さなプリン』なのか?

 日本で『プリン』というと、「カスタード・プリン」が一般的ですが、最近は『黒ごまプリン』や『マンゴー・プリン』、『ミルク・プリン』など、様々な「プリン」があります。でも、もともとプディング(pudding)は、小麦粉、米、ラード、肉、牛乳、バター、果物などの材料を混ぜて、砂糖、塩などの調味料や香辛料で味付けし、煮たり蒸したり、焼いたりして固めた料理の総称で、日本人に親しまれている、ゼラチンやコーンスターチで固めるタイプの料理もそう呼ばれるようになったのです。日本人はプリンと言ったらデザート位しか思いつきませんが、実際はメイン料理からデザートにまで、その種類は多岐にわたっています。
 プディングは、大きく固めたものを切り分けて食べるのが一般的な家庭料理でしたから、1人分の型で作るのは歴史が新しいのです。そのため、1人分を缶詰にした『ローラ・スコール』は『小さなプリン-les p'tits poudings -』となったのでしょう。
 ちなみに、保存して食べるクリスマス・プディングは食べてみたいですね。また、ブレッド・プリンで思い出すのは、少女漫画家の大島弓子先生の『バナナブレッドのプディング』。調理法は、角切りにしたパンと、輪切りのバナナを焼き型に入れ、卵液(卵、牛乳、砂糖、バニラ・エッセンスを混ぜたもの)を流し込んでオーブンで焼きます。味はバナナ入りフレンチ・トーストです。(内容はお料理とは全く関係ないので、興味のある方はコミックスをお探しください。)

※「プディング」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

※「カスタード・プディング」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%97%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0


            item2最新情報item2

 ”Passion Rene Simard au Japon”のしゃむねこさんが、「スター家族対抗歌合戦」でルネと次女リンさん、ダニエル・バチョーさん、ルネ・アンジェリル氏たちが歌った『アルエット』の音声をスライドショーにしてYouTubeで公開してくださいました。是非お楽しみください。
 ちなみに『アルエット』はフランスの歌で、日本では、『八百屋のお店に並んだ品物見てごらん よく見てごらん 考えてごらん♪』という歌詞で歌われています。八百屋の野菜の名前を言っていく遊び歌ですが、仏語詞では、ヒバリの頭や足など、身体の部分を言っていきます。ルネたちは、身体の部分を日本語で言っていますよ。
♪"Rene Simard: Alouette ルネシマール:アルエット"
http://jp.youtube.com/watch?v=jMWmlvXsvz0
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七夕とナタリーとコミュニティー

2008年07月07日 | ルネの妹ナタリー
 本日7月7日は七夕。織姫(織女星)と彦星(牽牛星)が年に一度会える日です。…といっても、梅雨まだ明けぬ太陽暦の今日よりも、旧暦である太陰暦の7月7日(今年は8月7日)の方が晴れる確率が高いのでしょう。今日の天気予報でも雨が予想されていますが、たとえ雨でもカササギが天の川に橋を架け、2人は会うことができるのです。でも、ルネのことをどんなに想っていても、会えるはずだった機会さえことごとく逃して、1度も会えずにいる私にとっては、2人が羨ましくてなりません(泣)。
※『七夕伝説』参照http://www.yumis.net/tanabata/

       ▲ナタリーのオフィシャル・サイトより

 そして今日は、ルネの妹ナタリー・シマールの39歳の誕生日です。

 ルネの来日があった1974年と1975年当時、ナタリーはルネの可愛いお気に入りの妹として紹介されていました。そして、その後ルネと一緒にユニセフのキャンペーン・ソング”Tous Les Enfants Du Mondeを歌い、カナダで歌手としてデビュー。ケベックでは、次々とヒット曲を出すトップ・アイドルに成長したのでした。
♪カテゴリ「ルネの妹ナタリー」参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate16/archive

     ▲”Tous Les Enfants Du Monde”のジャケット

   ▲フロリダのディズニーランドで
   ”Tous Les Enfants Du Monde”を歌うルネとナタリー



 1983年にルネが第3回東京音楽祭世界大会に特別ゲストとして招待された時は、ナタリーも一緒に来日し、前夜祭で『ミドリ色の屋根』をデュエットしました。デビュー曲『5月の手紙』も歌って、日本で活動を始めるはずでしたが、ルネの再来を狙ったマネージャー氏や日本の音楽関係者の目論見は外れ、その年の暮れに発売される予定だったファースト・アルバムも発売中止になり、ナタリーが日本の芸能界で活躍することはありませんでした。


 ここに、つい最近オークションに出ていた芸能雑誌のナタリーを紹介する記事があります。ルネ・ファンとしてムッとくる記事の書き方。掲示板『ルネ・シマール日記』でも紹介しましたが、曲名さえ『緑色の屋根の家』などと間違っているこの記事を、一笑に付そうと思っていました。しかし、これが当時の日本の、ルネとナタリーに対する見方だったのかもしれないと思い始めたのです。
 『優等生っぽい子』とか、『こーゆー天使の歌声っぽい子が人気者のカナダもフシギな気がしない?』という紹介文に、その頃の流行を思い起こしてみましたが、確かに、アニメや漫画、ドラマでも、優等生的なヒーローよりも、ちょい不良(ワル)キャラや、イケメンな悪役に人気が集まるようになっていました。手の届かない美女よりも、身近にいるような普通の女の子の歌手に人気が集まり、外タレ・ブームも去っていたあの頃。子どもの夢や希望より、リアリティーが求められていった時代でした。だからナタリーは、当時の日本人には受け入れられなかったのでしょう。ナタリーの活動を楽しみにしていたルネ・ファンには、とても残念なことでした。

   ▲ALFAレコードでナタリーからいただいた
      プロフィール・カードと同じジャケットのアルバム


      
      ▲ナタリーのオフィシャル・サイトより
      銀座の山野楽器前で


♪過去ログ「9年後の”ミドリ色の屋根”」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/276.html

♪YouTube映像”Rene & Nathalie in Japan”
http://jp.youtube.com/watch?v=KMvxqdG31xc&NR=1

           ▲『モナリザ』風のナタリー

 ナタリーは昨年歌手活動を再開し、ニュー・アルバム”Il y avait un jardin”を発表してコンサート・ツアーをしていたのですが、今年に入って、ツアー途中でいきなり引退を宣言し、持ち家も家具も競売にかけて、現在はドミニカ共和国に、娘イヴと新しい恋人と住んでいるそうです。そのことにつきましては、しゃむねこさんのブログ”Paasion ルネ・シマール au Japonでご覧ください。

♪”Paasion ルネ・シマール au Japon”
http://renesimard.blogspot.com/search/label/%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC


♪ナタリーの公式ホーム・ページ
http://espace.canoe.ca/NathalieSimard/

 ナタリーが、今日の誕生日を愛娘イヴと恋人と一緒に祝い、平穏で幸せに暮らせますように。日本のファンとして、心からお祈り申し上げます。 
 

     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 そして、もう一つの記念日♪ しゃむねこさんのコミュニティー・サイト”Passion Rene Simard au Japon”が、今日で2周年目を迎えます! 最近では、日本のルネ・ファンのために、ブログ・サイト”Passion ルネ・シマール au Japon”でルネのカナダの最新情報や、しゃむねこさんのルネ・コレクションを公開してくださっています。
http://renesimard.blogspot.com/

 また、YouTubeチャンネルで、ルネが歌った『雪の降る街を』やTVコマーシャル『ロッテのロンドン』の音声を使ったスライドショーを公開していますよ♪
http://jp.youtube.com/user/nekonomiminoura


 コミュニティー開設2周年おめでとうございます!! これからも日本とカナダのルネ・ファンの架け橋になって、カナダのルネを応援しいってくださいね!!!
コメント (2)
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