ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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みどり色の天使

2013年07月28日 | ルネ・シマール

       みどり色の天使
              RENE ルネ

カナダの少年ルネ もっか『ミドリ色の屋根』を歌って人気ふっとう中 日本へは一か月おきにやってきてテレビやラジオに出演しますが 今度は8月22日に来日して 大阪厚生年金ホール(9月4日)と東京渋谷公会堂(9月14日~15日)でコンサートを開きます 13歳の可愛いさかりのルネが歌いまくるステージがとっても楽しみ!!


 これは「近代映画10月号(1974年)」の表紙裏面に掲載された記事です。

 「近代映画」は、当時「月刊 明星」や「月刊 平凡」と並んで人気のあった芸能雑誌でした。第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にして日本人の心をとらえたルネをトップで取り上げていました。
 この記事では、「一か月おきに来日」とあります。日本の「ルネ・プロジェクト」では、当初そのような計画で進められていたのでしょう。しかし、ルネの歌唱力と可愛らしさ、そして予想を大きく上回った大会結果によって、ルネが世界から注目されることとなり、逆にルネの来日が減らされてしまうことになろうとは、この時誰も予想していなかったと思います。

 今年は、ルネが初来日した1974年とカレンダーの並びが同じで、さらに来年はルネの来日40周年に当たる記念すべき年です! 次回からは、ルネ・ファン待望の2回目の来日時に書かれた記事を紹介していきます。

 

       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


<最新情報>
 去る7月8日に当ブログのアクセス数が急増した原因を、記事をアップした後すぐにつきとめました。しかし、報告すべきかどうか悩んでいる間に、今になっしまいました。…というのも、良いニュースではなかったからです。
 アクセス解析の検索ワードで『川添象郎』氏が1位だったと書きましたが、川添氏が麻薬取締法違反で逮捕されたからでした。ルネは、川添氏がルネの歌う「美しい星」を聴いて日本でのデビューを進めていたので、氏が逮捕されたことを知り、私はとてもショックでした。ルネにはいつまでも心身ともに健康でいてほしいと切望しています。

<近況報告>
 現在第3回オフ会の計画を進めています。ただし今回は、第1回と第2回の参加メンバーだけの会なので、参加者は募集していません。参加メンバーの「自分にご褒美♡お疲れさま会」兼「シマ姉一家の家族旅行」です。そのため、第2回オフ会で宿泊した「那須高原 ペンションファミール」にお泊まりし、過去ログで紹介したイタメシ屋さん「トラットリア・パズー」で昼食をとり、「那須高原 ザ・チーズガーデン五峰館」で『手作りケーキセットサービスチケット』を使ってお茶するという、シマ姉家の定番コース♪ 夜はオフ会で「カナダのルネ記事観賞会」と「ルネを語る会」♡ 2日目は、シマ姉家がゴールデン・ウィークに断念した「りんどう湖ファミリー牧場」を予定しています。
 もっと気軽に集まれる会なら参加してみたいという方がいらっしゃいましたらメッセージをください。お茶会形式で、ルネの記事や映画を見ながらルネの想い出を語り合うというのもいいですよね♡


         cat3猫アスカ通信(笑)cat


 もうすっかりわんぱく猫と化したアスカ★ 最近のお気に入りの場所は、息子のランドセルの中! 教科書類が入っていてもムリムリッと入ろうとします。それでも駄目な時は、中のものをかき出して自分の入るスペースを作る始末★ この記事を書いている今は、私の膝で爆睡中の甘ったれ猫です。シマ姉家に来た時とは別猫のように元気になったアスカの今後の成長が楽しみです。
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モントリオール・オリンピックと2人の天才

2013年07月21日 | モントリオール讃歌
 今から37年前の1976年7月17日(日本時間18日)モントリオール・オリンピックの開会式が開催されました。そして7月21日には、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲「モントリオール讃歌(英語版Welcome to Montreal)」(CBS SONY 06SH20, 45rpm Single) が日本で発売されました。


 日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツ」のメープル・ニュースで、ルネの「モントリオール讃歌」は、8月1日の閉会式に歓迎の歌として歌われると書かれていました。しかし、モントリオールを強調しすぎたその歌詞からか、各メディアからボイコットされてしまいました。そしてそれによって、著名な作曲家からなるCOJOが、最優秀作品に2万ドルの賞金をつけて「送別の歌」を一般公募しました。エステル・サントゥ=クロワの歌う”Je t'aime(Yes I love you)”がその「送別の歌」だそうです。それは「歓迎の歌」として作られたルネの”Bienvenue à Montréal(Welcome to Montreal)”とは、全くイメージの違う曲でした。YouTubeにその映像が紹介されていますのでご覧ください。また、以前紹介いたしましたセルジュ・ラプラードゥ氏の”Vive les Jeux olympiques”は彼が個人的に作った歌で、公式な曲ではないのだそうです。

♪YouTube”Estelle Sainte-Croix - Je t'aime(Yes I love you)Olympiques 76”http://youtu.be/Ty7aaSM62S0



 ルネの1975年9月にモントリオール・オリンピック公式ソングとして発売された「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montreal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)はボイコットされたためもあり、オリンピックが終わった翌1976年9月に再度発売されていました。

 この「モントリオール讃歌Bienvenue à Montréal(Welcome to Montreal)」とオリンピックのテーマ曲は、 カナダのピアニストであり作曲家でもあったアンドレ・マチューの「ピアノ協奏曲第4番」を編曲したものでした。
 このアンドレ・マチュー、ファースト・ネームが「ルネ」で、誕生日が2月18日! そして、4歳にして作曲を始め、6歳で初リサイタル…という「カナダのモーツァルト」と称される天才作曲家でした。

 そのケベック出身の天才作曲家の曲を、これまた10歳で歌手デビューし、次々とケベックのレコード売り上げの記録を塗り替え、若干14歳で並みいる大人の歌手を抑えて第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したルネが、自ら作詞した歌を歌ったのですから、それはもう、世界に名だたるケベックの天才2人のコラボレーションとして話題性は十二分だったことでしょう。ノーベル・レコードとしても、フランスやアメリカでルネを活動させていた頃でしたから、力を入れていたプロジェクトだったと思います。そして、ケベックのカナダ独立運動が盛んだったこの当時、モントリオールを、そして仏系カナダ、ケベック州を世界にPRするために、当時のモントリオール市長ジャン・ドラポー氏が仕組んだ策略だったに違いありません。それもあって、歌詞に「モントリオール」が繰り返されるルネ作詞の「モントリオール讃歌」が、カナダの各メディアからボイコットされたのではないかと、私は勝手に推測しています。


 また、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報の裏表紙には、山上路夫氏による日本語詞が付けられた楽譜が掲載されており、宮住氏のエッセイから、日本語で吹き込んだ「モントリオール讃歌」を発売するプロジェクトが組まれ、ルネの変声によって変更を余儀なくされたのではないかと推測されました。ルネの来日が減って、ルネ・ブームが冷めかけていた時に、モントリオール・オリンピックの公式ソングをルネが歌うというのは、これまた話題性十分でCBSソニーもレコード発売に大乗り気だったそうです。日本のスタッフはボイコットされた事実を知っていたのかどうかは分かりませんが、日本でも、ルネの「モントリオール讃歌」はビジネス・チャンスだったのですね。

 「モントリオール讃歌」の作曲家であるアンドレ・マチューについて調べてみました。

アンドレ・マチュー(1929 - 1968)

・本名:ルネ=アンドレ=ロドルフ・マチューRené André Rodolphe Mathieu
・1929年2月18日生まれ 
・カナダ ケベック州 モントリオール出身
・父:ロドルフ・マチュー(音楽教師 作曲家)
・母:ウィレミーヌ=ガニョン・マチュー(チェリスト 教師)
・生後4カ月で最初の言葉を発し、7カ月で歩く
・彼の父は最初、音楽を教えることに消極的で、ピアノに触れることを禁じたが、彼の才能を認め音楽教育を行った
・4歳で作曲を始める
・1935年2月25日 6歳の時、モントリオールのリッツ・カールトン・ホテルで初リサイタル
・1936年 CBCネットワークでソリストとしてのピアノと管弦楽の協奏曲第1番を発表
・1939 年3月26日 パリのリサイタルの成功により、「カナダのモーツァルト」と称される
・1941年 12歳の時、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの100周年を記念した作曲コンクールで優勝
・カーネギー ホールでピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ第2を演奏
・1943年モントリオールに帰り、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、リスト、ドビュッシー、ラヴェルと彼自身の作品を演奏するコンサートを多数行った
・1946年パリへ留学するがうまくいかず、孤独とホームシックのため1947年にモントリオールに戻る
・1960年 マリー=アンジュ・マシコットと結婚したが、アンドレのアルコール依存症や感情的な問題のために結婚生活は短かった
・1968年6月2日に39歳の若さでで急逝



 「カナダのモーツァルト」とまで言われ、ラフマニノフに「私よりも天才」とまで言わしめたマチューの曲は、フィギュア・スケートでカナダの選手が好んで使用するそうです。以前には、ケビン・レイノルズが前出の「ピアノ協奏曲第4番」を使用。その大会のフリーで踊った「ケベックの協奏曲」もマチューの作曲で、ラフマニノフに似た甘いピアノ協奏曲だそうです。レイチェル・フラットも以前にこの曲使っており、「カナダ選手がマチューの曲を使うのはお約束になりつつあるのか」と書いている方もいらっしゃいます。

 12歳頃に書いたというマチューの「ピアノ協奏曲第4番」は、中間の美しいメロディが、ルネの歌ったモントリオール・オリンピックのテーマ音楽になっているので、是非お聴きになってください。

♪1976 モントリール オリンピック・カンタータ
http://www.youtube.com/watch?v=b5KYQ5KF5TQ&feature=related

♪ルネの「モントリオール讃歌」(公式テーマ曲)
http://www.youtube.com/watch?v=43kJRphn1Gw

<参考>”Symphonie Romantique (Concerto de Québec)”
第1楽章

http://www.youtube.com/watch?v=u8PG1Pu9Oxg&feature=related

第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=QA75V7Xk4jM&feature=relmfu

 モントリオール・オリンピックは、ルネの「モントリオール讃歌」のボイコットやストライキによる工事の遅れなど、波乱含みの問題が多い大会だったことは過去ログで何度も取り上げていますので、カテゴリ「モントリオール讃歌」でお読みください。

※カテゴリ「モントリオール讃歌」参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive


 ルネとアンドレ・マチュー。マチューは若くして亡くなりましたが、ルネにはいつまでも元気で活躍してほしいですね!!
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1回目の来日最終日

2013年07月13日 | 1回目の来日
 今日から待ちに待った3連休♪ ルネ友のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。

 シマ姉は息子とべったりな3日間? 初日の今日は、午前中に歯医者でシーラント。午後はスイミング。その合間を縫って、先週と同様にビワをむいてビワのコンポートとビワの種酒作り!! こちらが一番の大仕事ですが、自然の恵みはありがたく頂かないと…と気合十分です!
 明日はポケモン映画を見に行って食事♡ こちらはすでに指定席購入と予約済み♪ 海の日は特に予定は入れていませんが、主人が仕事で3日間自宅軟禁状態(? 笑)なので、ゆっくり過ごす予定です。

 さて、余談ですが、今週の月曜日に当ブログのアクセス数が、久々の100越え! アクセス数1114でアクセス解析では206。翌火曜日もいつもより多いアクセス数を記録していたため、ルネ関係で何か動きがあったのかと、ネット検索しましたが分からずじまいでした。ルネの曲がラジオ等で流れたとか? また、アクセス解析の検索ワードで川添象郎氏が一番になっていたので、彼が出演する番組等でルネが取り上げられたりしたのか?…と、勝手に推測していますが、何か情報をお持ちの方はご連絡ください。

 そして、39年前の明日、1974年7月14日(日)は、ルネの1回目の来日の最終日でした。
 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したルネを、一目見ようと押し寄せたファンで羽田空港は大混雑。また、ルネを迎えるカナダ、モントリオールのシャルル・ドコール空港も同様でした。
 日本においてもスーパー・アイドルとなった、ルネについて報じた記事は今までにもたくさん紹介してきましたが、今回は、当ブログでまだ未発表の記事を紹介したいと思います。

▲東京音楽祭でみごと大賞とフランク・シナトラ賞を獲得、一躍日本の少女達のアイドルとなったルネが14日、カナダに帰国した。空港に殺到した大勢のファンに笑顔でこたえながらルネ、”日本はトレビアン、8月22日にまた帰ってきます”


とびだせ!! Fresh Idol  RENEルネ

  本名/ルネ・シマール
  生年月日/1961年2月28日(魚座)
  国籍/カナダ
  身長・体重/150㎝・33㎏
 CBSソニーから『ミドリ色の屋根』で日本にデビューしたルネは、まだ13歳のあどけない少年。だけど、カナダはもちろん、アメリカやフランスでは、すでにスーパー・スター。
 教会で歌っているところをスカウトされ、それ以後レコード、テレビ、映画でおとな顔まけの大活躍を続けている。ちょっぴりソバカスのあるかわいい顔、ハリのあるボーイ・ソプラノと歌唱力で、第3回東京音楽祭でグランプリを獲得。(「月刊セブンティーン」掲載)



 ルネが初来日した1974年とカレンダーの並びが同じ今年は、まだまだ当ブログ未発表の当時のルネ記事をアップしていきますので楽しみにしていてくださいね♡
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ボク今 恋人に夢中なんだ

2013年07月07日 | ルネ・シマール
 今日は7月7日。日本では七夕。そしてルネの妹ナタリー・シマールの誕生日です。
 今朝facebookのナタリーのタイムラインに誕生日メッセージを書き込みましたよ。今夜も雨の確率が高いようですが、彦星と織姫は会えるでしょうか? 

    Bonne fete,Nathalie!
      ▲ルネとナタリーのファン・クラブの缶バッジ


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 今回は1974年7月8日(月)、ルネが、「フクちゃん」で有名な漫画家、鎌倉の横山隆一氏宅を訪れ、氏の機関車コレクションに熱中した様子について書かれた記事を紹介いたします。
 

漫画家・横山隆一さんの機関車コレクションを訪問-ルネ
ボクは今 恋人?に夢中なんだ
▲右:横山隆一さんは親切にルネを指導 「おとなになってもルネも、私のようにいつまでも夢をもちつづけるようにネ」

 東京音楽祭のグランプリをとって、「ごほうびは何がいい?」ときかれたルネは「もちろん機関車!」と答えるほどの機関車好き。
 そこで日本でも有名な機関車のコレクターである、漫画家の横山隆一さん宅を訪問。静かな鎌倉の横山さんのはなれには、見事なミニ機関車がびっしり。
 広い部屋のなかがせまく見えるほどのコレクションに、ルネはびっくり。
 さっそく横山さんからリモコンを習い、煙を出して走る機関車にもう夢中!
 「ぼくもフルセット(時価16万)で買ってもらったから、カナダで操縦するのが楽しみなんで」
 13歳のルネには機関車がすべてなんですって。


▲「ぼくも機関車ルームがほしいなあ」ルネの夢は機関車にのって走る…

▲素晴らしい模型やミニカーがところせましと並ぶ

 ルネは模型の機関車が大好きです。東京音楽祭グランプリのごほうびにも、ルネは模型のセットをおねだりしました。
鎌倉での休日に漫画家横山隆一先生のスタジオを訪ねて、すばらしい模型のパノラマにビックリしました。前進させたり、バックさせたり、車庫に入れてみたり、とってもたのしい時間をすごしました。ルネはそんな13才の少年です。(ルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会誌№2の『RENE A TOKYO』より)

※過去ログ「ルネは機関車模型が好き」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/186.html

※過去ログ「1974年7月8日(月)」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/226.html


13:00 大海老にて昼食。
14:00 八幡宮と、横山隆一氏宅にて取材。
16:29 鎌倉駅発、横須賀線にて東京へ

 ルネの大好きなものの一つは、おもちゃの列車類。この日、鎌倉で、観光や、撮影のすんだ後で、マンガ家の横山隆一氏のお宅を訪問、横山氏の列車コレクションを見て、かなり興奮していました。ただ、回りに、いっぱい人がいて、自分で自由に列車の操作が、できなかったことが残念だったようです。


▲鎌倉の横山隆一氏宅を訪れたルネの前に、氏のおもちゃの電車のコレクションが並んでいました。


 それから、過去ログでも紹介しましたが、ルネが鎌倉で訪れた漫画家の横山隆一氏の邸宅跡地がスターバックスになっていました。facebookのお友だちでもあるsuuさんが情報提供してくださいました♡ ルネが夢中になった鉄道模型は置いてないようですが、ルネの想い出に浸りながら、コーヒーでほっこりしたいですね~♪

 今年、修学旅行で鎌倉をグループ散策した息子が、事前学習で行かないように指導された場所に入っていたようでした。小学生が入るような場所ではないでしょうしね。まあ、うちの息子にはコーヒーは飲ませたことがありませんから、飲もうとも思わないんですけど(笑 本場フランスだって子どもにコーヒーは飲ませませんから、うちの息子がお子ちゃまな訳ではないと思いますが、日本では子どもにもコーヒーを飲ませてしまう傾向にありますよね)。もし行けたら、ルネ友さんたちと一緒に当時のルネの想い出を語り合いながら美味しいコーヒーを楽しみたいです。

スターバックスコーヒージャパン 鎌倉御成町店
「漫画家、横山隆一氏の邸宅跡地で寛ぐ」
http://www.starbucks.co.jp/store/concept/kamakura/

〒 248-0012  神奈川県 鎌倉市 御成町 15-11
℡.0467-61-2161


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



      cloverシマ姉のグリーン・ライフclover

 今回はルネの画像が多いので、こちらの画像はなしなのですが、職場のパッションフルーツが鈴なりです♪ 明日、同僚とブラジル風パッションフルーツ・ムースを作る予定です♡ 
 職場のアマガエルは、鉢植えと一緒に犬走りに移動させました。現在は庭で元気にしているらしく、時々「ケッケッケッケッ」と高い声で鳴いています。今年の冬も鉢植えに紛れ込んでくれないかしらと密かに期待しているシマ姉です。

 自宅のグリーンカーテンは、キュウリを何度も収穫。採り立てはやっぱり甘くて美味♡ アサガオも6月半ばには最初の花が咲き、黄小玉スイカは4度目の正直でやっと生育中。今年の夏も出窓は涼しく保てそうです。
 そして、今年は枇杷(ビワ)が大豊作!! でも、ビワ農家さんがつくるような甘さはなく、とにかく酸っぱい★ …で、先週日曜日に、義父がスーパーの大袋一杯に摘んできたものをコンポートにしました。酸味が強いので、酸化防止のためのレモン果汁も不要。でも大好評だったので、「またビワが赤くなったけどどうする?」と言う義父に、「またシロップ煮にします。」と言ったら、先週の倍とってきてくれて…。昨日…むきましたとも、全部! 幾つあったのかは分かりません。ほぼ半日むきっぱなしで、手指はビワの渋で真っ黒★ 左肩がピリピリ★ ビワの種を煮出したものが火傷や怪我に効くらしいと聞いて、片手鍋一杯の種をコトコト煮出してから更に煮詰めたところクリーム状になりました。100円ショップのクリームケースに詰め、鍋に残ったものを手に塗ったら…あら?何か違う! 初めしっとり後さらさら。蚊に食われたところに塗ったら、一瞬にしてかゆみがなくなりビックリ!! ネットで調べてみたら、ビワの種のビタミンB17は癌にも効能があるとのこと! まだ熟していない小粒の実がたくさん残っているというので、今度はそれでビワの種酒を作る予定です。気のせいでもなく、ビワの実のおかげで、昨日の暑さの疲れもなく、今朝は4時から 家事をバリバリこなせてしまった私。実家と体調を崩している友人に届けてもたーっぷり残っているビワのシロップ煮とビワの種クリームで(ビワの種酒は1年以上の熟成が必要)この夏は元気に乗り切れそうです。

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