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ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネ記念日2025

2025年06月30日 | ルネ・シマール

今日は、ルネがグランプリを

   受賞した日だから『ルネ記念日

 

 

 昨年ルネの日本デビュー50周年を祝って、ガッツリまとめ記事を書いてしまったので、今年は何を書いたら良いのか悩んでしまいました★ まとめ記事は「ルネ記念日2024 」をご覧ください(^^♪

 

 

 ルネが日本で歌手デビューし、第3回東京音楽祭世界大会カナダ代表として参加するために、1974年6月26日(水)から7月14日(日)まで来日していた時、私はルネのことを全く知りませんでした。地元の神社の茅の輪くぐりに友だちと出かけていましたし、たとえ家にいたとしても、日曜日は家族がNHKのニュースやプロ野球のナイター中継等を見ていたでしょうから、第3回東京音楽祭世界大会を見たかどうかも怪しいです。

 ルネがグランプリ受賞後に「ミドリ色の屋根」を歌う映像は、数年後に歴代のグランプリ受賞者を紹介した東京音楽祭の特別番組で初めて見ました。次にその映像を見たのは、mixiのミレイユ・マチューのファン・グループ情報でYouTubeを知り、『ルネ・シマール(René Simard?)』で検索した時で、ヒットた2つの映像の内の1つでした。現在その映像は無く、ほとんどがファイナルで歌っている白のブラウススーツ姿のものばかりです。

 それらの映像は、ルネの日本での活動を記録したドキュメンタリー映画「Rene Simard au Japonから抜粋されたものです。私はMusée SimardのシャンタルさんがDVDにコピーしたものをいただいて所有していますが、他のファンの方が持っているものと同様に、画質がとても悪いため、YouTube映像に起こそうとしても、最初の部分は何度やり直してもダメでした。ルネが日本に到着したシーンやグランプリ受賞後に国際電話でママに報告するシーン、予選会のシーン、豊島園で「Le monde de Walt Disney ウォルト・ディズニーの世界」を歌うシーン等をルネ友の皆さまにご覧いただけないのが残念です。過去ログ『Rene Simard au Japon 』で映画の内容を紹介していますので、そちらでご覧いただければ幸いです(^^♪ 今回紹介している「René Simard 25 ans de carrière, 1996」(Musée Simardのシャンタルさん提供)には、Rene Simard au Japonから、当時の浅草の様子や鎌倉の料亭『大海老』で食事をしている様子(この当時日本料理はほとんど食べなかったと、後に証言していますか・・・)がご覧いただけます。また、「明石家多国籍軍:ルネ・シマール 」(当ブログ開設前に交流していたブロガーさん提供)も併せてご覧ください(^^♪ なお、今回紹介している4つのYouTube映像は限定公開に設定してありますから、検索しても出てきません。ここでしかご覧になれませんので、こちらでのみお楽しみください

 

▲▼「René Simard au Japon」より第3回東京音楽祭世界大会世界大会の様子

 

 René Simard 25 ans de carrière, 1996

明石家多国籍軍:ルネ・シマール

 

 さて、以前からお伝えしておりますとおり、ルネ記念日」の記事が完成したので、本格的にgoo blogサービスの終了に伴う、お引越しの準備に取り掛からねばならなくなりました。

 10月1日にブログ記事の新規投稿及び編集機能が終了します。引越しデータ作成には数日かかるそうですので、余裕をもって準備したいと思います。teacupから移転するときは、残す記事を選ばなければならないと勘違いし、ギリギリまで記事選定で悩んでいました。ところが、いざgoo blogに移転させてみると、ルネ友さんから投稿されたコメントまでそっくり移転できたことに安堵してしまい、確認が疎かになって、引越しが出来なかった記事が有ることに気付いたのは、teacupのデータが完全に消去された後でした(泣)。初期の記事は書籍から打ち直せば良いのですが、取り掛からないままお引越しです★ ブログ記事のリンクをいちいち直さなくても移行できる方法の情報があり、それにも挑戦したいので、早めに取り掛からないといけません!

 現時点で7月投稿分は完成しています。取りあえずあと少し予約投稿を増やしてから、引越しデータ作成を始めたいと思います(予約投稿分も移転可能。お引越しは8月8日のルネの結婚記念日が候補。)。teacupの時同様、引越し先のはてなブログ(予定)とgoo blogの両方に、ブログサービス終了まで投稿していきます。お引越しが済んだらお知らせいたしますので、今までどおりよろしくお願いいたします!

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人生からの贈り物

2025年06月14日 | ルネ・シマール

 

 明日6月15日は父の日です。

 ルネが出演する「Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会が昨日6月13日(金)と本日14日(土)の19時30分からCentre des arts Juliette-Lassondeで、明日15日(日)20時00分からSalle Albert-Rousseauで開催されていますので、タイユフェ・シマール家の父の日のお祝いはどうするのでしょう?

 そして今回は、カナダのルネ友のジョアンヌさんが、facebookルネ・ファン・グループCondor, c'est toi:pour René Simard のためにシェアしてくださったルネの最新情報として、芸能雑誌「ALLO VEDETTES」に掲載された記事を紹介いたします。

 

 

Grand-papa a trois reprises 3回おじいちゃんになる

RENÉ SIMARD:<C’EST UN CADEAU DE LA VIE>

ルネ・シマール:人生からの贈り物

 ルネ・シマールは、大成功を収めた舞台「Le diner de cons 奇人たちの晩餐会」で、引き続き地方ツアーを行います! 歌手である彼は、自身最後の公演となる作品にも取り組んでいます。そして、3人の孫たちと楽しい時間を過ごしています。

 

L.D.: 最近、Le Diner de consの劇団はチケット販売数15万枚を記念する盾をいただきました。どうお考えですか?

R.S.: 予想以上です! まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした。初めての舞台で、チケット販売数が15万枚を突破したなんて! プロデューサーからは、すでに16万2千枚を超えていると聞きました。予想以上です。素晴らしい相互作用があることが嬉しいです。

役者同士が本当に楽しんでいるのが、客席からも伝わってきます!

 私たちは本当に愛し合っています。最近、数ヶ月ぶりに再会し、抱き合いました。彼らは私の第2の家族です。皆、とても尊敬し合っています。舞台裏ではよく笑い合っていますが、舞台の上ではすごく厳格です。

演劇の面白さがわかってきましたか?

 アンドレ・ロビタイユ André Robitaille は、また別のプロジェクトで声をかけるかもしれないと言ってくれました。アンドレは本当に好きで、信頼しています。私にとって、このプロジェクト(Le Diner de cons)に着手したことは、これまでの人生で経験したことのない、自分のコンフォートゾーンから一歩踏み出すような経験でした! これまで出演したミュージカルでいくつかのシーンを演じたことがあったのが助けになりました。ただし今回は歌は歌いません。この劇は2027年まで上演予定で、本当に信じられません!

これがあなたたちの「Broue」になる可能性はありますか?

 みんなそう言ってくれますが、私たちはそんな気取りはありません。「Broue 」は私たちのケベック文化において素晴らしいものだからです。この作品が長く続く作品の一つであることを嬉しく思っていますし、あと数年続いてくれることを願っています。何故なら、私たちは一緒にいるのが大好きだからです。

Broue:ケベックの劇場用コメディで、38年間の連続上映で3,000回以上上演され、300万人以上の観客が視聴し、ケベックの劇場の歴史上最大の成功と考えられています。

ノルマン・ダムールNormand D'Amour はツアーにボードゲームを持っていくと言っていました。つまり、彼の情熱はあなたにも受け継がれたということですか?

「私は子供たちとボードゲームをするのが大好きでした。子供たちは聴覚障害があるので、遊ぶことで交流を最大限にし、その時に語彙力の育成にも取り組みました。私たちにとって、ゲームは普段の文脈から抜け出すことができるので、非常に重要でした。語彙力の育成にも取り組みました。ツアー中、ノルマンがゲームを持ってくると、私たちは滅多に一緒に遊ばなくなります。だって、大笑いしちゃうから!」

 

左:ロザリーとボーイフレンドのガブリエル、そして孫娘のアデリー。

 右:マリー=ジョゼとルネは、3回祖父母になる機会を与えてくれた娘のオリヴィエとロザリーと一緒です。

 

マリー=ジョゼ・タイユフェさんとあなたは、ローランティード&ペイ=ダン・オー医療財団(Fondation médicale des Laurentides et des Pays-d'en-Haut )の募金キャンペーンの大使を務められています。これはおふたりにとって重要なことでしたか?

「このキャンペーンは1月に開始し、3年間かけてサント=アガットSainte-Agatheの住民にMRI装置を提供する予定です。MRI装置はかなり高額なので、皆様には寛大なご寄付をお願いしています。MRI装置を保有するサン=ジェローム病院 HÔPITAL DE SAINT-JÉRÔME の負担を軽減することが目的です。」

すぐに引き受けられましたか?

「迷うことなく引き受けました。ケベック州ソルディン財団の聴覚障害児のためのオーラリスト学校 Fondation Sourdine | École Oraliste への支援にも力を入れています。この学校は北米初のフランス語学校です。私たちは積極的に活動に取り組んでいます。あらゆるレベルで積極的に活動する必要があります。市民として、私たちは決定的な役割を担っています。」

聴覚障害者のためのテクノロジーに変化を感じますか?

「もちろんです。オリヴィエの娘二人は聴覚障害があります。オリヴィエとパートナーは聴覚障害があるので、聴覚障害のある子供が生まれる確率は100%でした。ロザリーは、パートナーは健聴ですが、彼女は難聴です。そのため、2人の孫娘は聴覚障害のない状態です。以前は片側だけにインプラントを入れていましたが、今は両側にインプラントを入れています。そのため、子供たちの聴力は格段に良くなりました。4歳の孫娘クロエは両耳にインプラントを入れており、8月に2歳になるアクセルも同じです。幼い頃にインプラントを入れたので、子供たちの発達に非常に役立っています。」

 

<長生きして、彼らの成長を見守りたいです。>

▲マリー・ジョゼとルネは、今でも様々な活動に熱心に取り組んでいます。

 

祖父としての役割は好きですか?

「とても好きです!子供たちの成長を見守るために長生きしたいです。直接会えない時は、バーチャルで話します。クロエは歌を歌ってくれたり、『Tourne la page!』を歌ってくれたりもします。これは人生の贈り物です。私たちには不可能だと思っていたので、このすべてに本当に感銘を受けています。私たちは、子供たちに注ぐ愛と、一緒に過ごす時間を信じなければなりません。」

 

▲ルネは、ローラン・パカンとノルマン・ダムールと共演した舞台『Le diner de cons』で演技をするのが大好きです。

 

次のプロジェクトは何ですか?

「おそらく、大規模なミュージカルの俳優としての役ですね。あと、自分で舞台化したい作品にも取り組んでいます。既存の戯曲を上演するのは素晴らしいことですが、ここにいる素晴らしい逸材たちを結集すれば、本当に新しい作品を生み出すことができると思っています!『アダムス・ファミリー La famille Addams』のオーディションを500人受けましたが、結局3人しか採用されませんでした。」

創作活動は順調ですか?

「前進しています。素晴らしいアイデアがあり、クリエイティブチームもいます。プロデューサーの興味を引く必要があります。数年かかるでしょうが、必ず実現します。私が辞める前に、このプロジェクトを必ず実現させたいです。」

レコード制作はまだ可能ですか? それとも、もう終わりですか?

「終わりました。「絶対にない」とは言い切れないかもしれませんが、今のところ、『コンドル Condor』が最後の作品になると思います。友人たちと再び巡り合うために、そうしました。」   

              Luc Denoncourt リュック・デノンクール

 

▲ルネはミュージカルの演出が大好きで、『アダムス・ファミリー』でもそうでした。彼の次の夢は、自分でミュージカルを創作することです。

 

 現在ルネが3人の孫娘たちに囲まれて幸せなおじいちゃんとしての役割りを楽しんでいること、新しいプロジェクトに取り組んでいることが分かってとても嬉しいです。また、「最後となる作品」というのは何なのか、そして出来れば、「『絶対ない』とは言い切れない」と語っている、歌手としての活動やアルバム制作への情熱が再燃することを願っています!

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ルネ・シマールがリベラーチェと歌う

2025年03月29日 | ルネ・シマール

 今から42年前の1983年3月27日に、第12回東京音楽祭世界大会日本武道館で開催されました。ルネと妹ナタリー・シマールがプレゼンターとして招かれ、1975年の4回目の来日以降、ずっとルネの再来日を熱望していたファンにとって、9年ぶりに成長したルネを見ることが出来る、またとないチャンスでした!

 そして今回は、ルネと妻マリー=ジョゼの昨年11月の日本旅行について書かれた記事の後編の最後にルネ・シマールのキャリアにおけるもう一つの特別な瞬間が 66 ページで紹介されています。」と書かれていたページの紹介です

 

 

50 ANS APRES SON TRIOMPHE À TOKYO 東京での勝利から50年

RENÉ SIMARD RETOURNE AU JAPON

ルネ・シマールが日本に戻る

 

左:ルネ・シマールと妹のナタリー、リベラーチェ、そして母親のギャビー。

 右:1977年、リベラーチェの楽屋にて母親と一緒に。

 

SOUVENIRS 思い出

JANVIER 1977 1977年1月

RENÉ SIMARD CHANTE AVEC LIBERACE

ルネ・シマールがリベラーチェと歌う

 1977 年はルネ・シマールにとって華々しいスタートを切りました。東京音楽祭世界大会(1974年)でグランプリを受賞した後、数々のトークショーに出演してアメリカでも注目を集め、その成功によりリベラーチェ Liberaceのチームに加わりました。

 彼は夜な夜な、ラスベガス・ヒルトンのステージで、他でもない、国際的に名声を誇るこの偉大なピアニストと共演しました。

 第1部では、まだ16歳にもならない若い歌手が、エルヴィス・プレスリー Elvis Preslyトム・ジョーンズ Tom Jonesフランク・シナトラ Frank Sinatraを迎えたこのステージで歌いました。公会堂は毎回満員で、ルネも満足でした! これに続いてアメリカ・ツアーが行われ、アリゾナ、フロリダ、アラバマ、インディアナ、オハイオ、ミシシッピ、ニューヨーク、フィラデルフィアを訪問しました。

 ショーを発表するプレス・リリースでは、ルネについて次のように説明されています。

リベラーチェは観客に新しい才能を紹介することを楽しんでいます。」ルネ・シマールはカナダ最大のスターの一人です。彼の生まれ故郷であるケベック州では、彼のレコードの売り上げはすでにビートルズやエルビス、その他のどのフランス系カナダ人アーティストのレコードも合わせた売り上げを上回っていました。ルネはすでにアルバムで12枚のゴールドレコードを獲得しており、シングル(45回転)レコードでも10枚のゴールドレコードを獲得しています。その評判はカナダから日本、フランスまで広がっています。

 1977年にジャーナリストのマリー=スザン・ラリヴェMarie-Suzan Lariveeが行ったインタビューで、彼はこの経験について次のように語っています。私にとって、リベラーチェは非常に並外れたプロフェッショナルな人物です。リハーサル中、彼は私をより洗練させ、より良いポジションに立てるよう、あらゆるアドバイスをくれました。今後は、学ぶべきことがたくさんあるとわかっているので、一般の人々にさらに多くのことを提供できるように最善を尽くします...」

 

▲左上:リベラーチェ Liberaceのステージのルネ  ▲▼リベラーチェ

▲1983年に出版されたバシャン姉妹の本「 RENE ET NATHALIE SIMARD LES ENFANTS CHERIS DU SHOW-BIZZ 100 PHOTOS 」より(現在eBayに出品されています 購入希望の方はお早めに♪)

 

ルネとリベラーチェ については過去ログで紹介していますので、そちらの記事もお読みいただければ幸いです

 

 3月も明後日で終わり、来週火曜日の4月1日から、いよいよ新年度が始まります。先週の暑さのため、関東地方でも各地で桜の開花が連日報じられていますが、今日から冬の寒さに逆戻り★ ルネ友のみなさまも、体調には十分に気を付けながら、気持ちを切り替えて新年度を迎えましょう!

 そして、次回は何の記事を紹介しようか悩んでいたのですが、冒頭で書きました「第12回東京音楽祭世界大会」について取り上げた、ルネとナタリーのファン・クラブ会誌を紹介したいと思います(^^♪

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ルネの日本旅行:後編

2025年03月23日 | ルネ・シマール

 現在「桜前線」が北上中 そして今日は春のお彼岸明けです。

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、お彼岸の入りに関東地方でも雪が降りました。来週は初夏の気温の予報。昨日に車の半年点検とタイヤ交換を予約していたシマ姉家は、例年にない春の雪にひやひやしていました。また、車での移動中に周りを見るとスギの花が咲いて赤茶色の上、さらに今日は黄砂が飛ぶという予報です。インフルエンザやコロナの流行は落ち着いて来ているけれど、外出の際は上手にマスクを着用したいものです。

 

 そして去る3月18日(火)には、ルネがファンからのお誕生日メッセージへの感謝の言葉がFacebookの公式ページに投稿されました メッセージの中で、ルネは、年齢を重ねるごとに誕生日を祝う気持ちが減ると語っていますが、今年のルネの誕生日の投稿に寄せられた膨大なお祝いメッセージに、ルネもきっと、今年の活動への意欲と勇気が湧いたことでしょう(^^♪ Facebookのルネの投稿は次のとおりです。

 

あなたの誕生日のお祝いに心から感謝いたします。本当に感動しました。
年をとるにつれて、時間が恐ろしい速さで過ぎていくことを思い出すので、祝う気持ちが減ります。😉
私を健康に保ってくれた命に感謝しています。それが私自身とあなたに対する私の願いのすべてです。
素晴らしい春の始まりをお祈りいたします!
ルネ❤️
 
 

 さらに、舞台劇「Le dîner de cons 奇人たちの晩餐会の人気は高まり続け、その大成功により、今年の新しいツアー・スケジュールが発表されました! 追加公演は、メゾヌーヴ劇場(プレイス・デ・ザール)Théâtre Maisonneuve | Place des Artsで10月10日(金)、11日(土)、12日(日)に開催されます

 
 
 そして今回は、ルネと妻マリー=ジョゼの昨年11月の日本旅行について書かれた記事の後編として紹介いたします

 

50 ANS APRES SON TRIOMPHE À TOKYO 東京での勝利から50年

RENÉ SIMARD

RETOURNE AU JAPON

ルネ・シマールが日本に戻る

 

 

UN GAGNANT…QUI S’IGNORE! 勝者…誰が気づいていないのか!

 第3回東京音楽祭世界大会は6月に開催されました。 25カ国からの代表者が集まり、競い合いました。彼らは全員大人でした。ルネを除いて。

 アジアでは、6月30日に帝国劇場で開催される最終決戦は、推定1億300万人の視聴者が視聴すると予想されていました。ルネは「ミドリ色の屋根」を歌いました。受賞者はフランク・シナトラ  Frank Sinatra を含む12人の審査員によって決定されました。

 コンテストの最後に、司会者が優勝者の名前を発表しました。「ルネ・シマール!」この発表にも、ティーンエイジャーは動じません。彼は動揺さえしていません。むしろ、アクセントのせいで、自分の名前が発音されたことを理解していなかったのです。彼が勝利を悟るや否や、シナトラは彼を抱きしめ優勝カップを手渡し、彼の涙をとらえました。ルネは幸せでしたが、彼の一番の願いはできるだけ早く両親のもとへ帰ることでした。

 一等賞の賞金は11,000ドルです。彼はまた、フランク・シナトラ 自身が制定した最初のトロフィーも受け取り、ルネに直接手渡しました。今回もまた、ルネは涙を流し、この大きな課題に直面して彼にのしかかっていたプレッシャーを解き放ちました。

 勝利後、ケベック州首相ロベール・ブラッサ Robert Bourassa は彼に次のような電報を送りました。「あなたの早熟な才能が日本で認められたことを心からお祝い申し上げます。ケベック州民の皆さんは、今日、自分たちの仲間がこの素晴らしいトロフィーを獲得したことをとても喜んでいると思います。 […] 皆さんの今後のご活躍をお祈りします。」

 

▲左上:ドルヴァルに戻ると、彼は大勢のメディアに迎えられました。彼の前にしゃがみ込んでいるのはエコ・ヴェデットのカメラマン、ジャック・グレゴリオで、最前列にいました 左下:ここに足を踏み入れるや否や、勝利を収めました。

 右上:父親同伴での記者会見にて 右下:帰国後両親のジャン=ロックとギャビーに囲まれて

 

PORTE EN TRIOMPHE 勝利を運ぶ

 勝利の翌日、ルネと彼の家族、そして側近たちはCBSジャパンの社長に迎えられました。その後すぐに、彼は大勢のジャーナリストやカメラマンの前で大規模な記者会見を行う予定です。ルネ・シマールの名は全ての国に広まっていました。

 7月15日、この天才児はアジアでの3週間の滞在を終えて帰国しました。彼の飛行機はドルバル国際空港に着陸し、そこで大勢の群衆が彼を迎えました。この作戦は大成功に終わり、カナダ王立騎馬警察の警官たちは圧倒されました。

 その後、33回転レコード『Ma petite japonaise』が発売されました。そして、1975 年1 月1 日、ラジオ・カナダ・テレビは、ルネ・シマールに同行していたローラン・ラルーシュ Laurent Larouche 監督による東京音楽祭でのルネ・シマールの様子を放送し、視聴者に新年の挨拶をしました。これは、オルレアン島の子供のあり得ない叙事詩を記録するのに役立ちました。そして物語はまだ始まったばかりでした。

 

▲:「Ma petite Japonaise」は、1974 年の太陽が沈む前にレコード店に並びました。

ルネ・シマールのキャリアにおけるもう一つの特別な瞬間が 66 ページで紹介されています。

 

 「ルネの日本旅行」の前編と中編に、「いいね」「応援」「続き希望」「役立った」を押してくださった「みゆきな日々」のmamazones様、「三代目日記」のmarusan_slate様、ありがとうございました 後編はお楽しみいただけましたでしょうか? これからも「ルネ活」記事を頑張って書き続けますので、今後ともよろしくお願いいたします 

 今回で「ルネの日本旅行」の記事は完了いたしますが、上記のとおり、記事の最後に、この雑誌の66ページにもルネの記事が掲載されているという記述「ルネ・シマールのキャリアにおけるもう一つの特別な瞬間」が有ります。次回はその記事を紹介いたします(^^♪

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ルネの日本旅行:中編

2025年03月15日 | ルネ・シマール

 今日はやんばるQさんとプチ・オフ会という名のおしゃべり会(笑)で出かけています(^^♪

 facebookルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi:pour René Simard には今日の分の投稿は済ませてありますが、コメントへのお返事は帰宅後です。

 そして今回は、ルネと妻マリー=ジョゼの昨年11月の日本旅行について書かれた記事の中編として紹介いたします

 

 

50 ANS APRES SON TRIOMPHE À TOKYO 東京での勝利から50年

RENÉ SIMARD

RETOURNE AU JAPON

ルネ・シマールが日本に戻る

 

 

JOUNDRE L’UTILE A L’AGREABLE ビジネスと楽しみの融合

 ルネは過去50年間に何度もこの国を訪問する機会があったにもかかわらず、これまで一度もこのような旅行をしたことがありませんでした。「スケジュールがいつも変更になりすぎたため、私は日本をこのように見たことがありませんでした。私は北から南までツアーをしましたが、それはいつも非常に緊張したものでした。テレビ、ラジオ… それは決して終わることがありませんでした。そこで私たちはビジネスと楽しみを両立させるように組織化し、本当にすべての瞬間を愛しました。

 この旅行は当初、デジタル プラットフォームを活性化することを目的としていました。「私のカタログ全体は3年間利用可能でした。私は彼らに思い出させたかったのです。私もこの機会を利用して、すべてがどのように解明されていくのかを見てきました。ここで、何かをオンラインに公開すると、国境はなくなることがわかります。」 ルネの予想通り、彼には定期的に彼の活動をフォローしている 2500 人のファンがいます。「かわいいと思います。彼らは本当に忠実な人々です。

 しかし、この目標はすぐにルネとマリー・ジョゼが楽しい時間を過ごすための口実となりました。「基本的に、私たちは旅行が大好きです。私たちは日本中を見て回り、歩き回り… 体重が少し減りました! 他の場所で何が起こっているかを知るのは良いことです。また、自分の国をより深く理解し、何を改善できるかを知ることもできます。

 

左:「旅の途中、私はマリーを、1970年代にいつも私と一緒にいた通訳の道上雄峰さんに紹介するという素晴らしい機会に恵まれました。私は彼を『私の日本の兄弟』と呼んでいます。彼は私に彼の妻と3人のお子様を紹介してくださいました。本当に温かい会でした。また、長年の友人である陽子とオリヴィエ・ウルバンにも会いました。彼らはこの旅の大半を私たちと過ごしました。この3人のおかげで、私たちの旅行は大いに充実しました。お礼を申し上げます。」この友人夫婦は2年に1度、ケベックのルネとマリー=ジョゼを訪ねてきます。

 右:福岡市長の高島宗一郎氏と。 「廊下に入ると20人もの人が待っていたので、特別でした。私たちが歩いている間、彼らはマリーと私に拍手を送ってくれました。本当に楽しかったです!私たちは仕事と訪問を組み合わせました。」

 

左:「京都は美しい街​​です。絶対に私に会いたいと思っていたファンがいました。彼女は長年私をフォローしていて、彼女は私に会えて本当に幸せでした。」

 右:神戸ステーキの前にいるカップルは… 神戸で! 「日本では食べ物が美味しいです! マリーはビックリしました。」

 

左:コンクールのステージの1つでパフォーマンスを披露しました。

 右:ルネは、シナトラの名前を付けたフランク・シナトラ賞のトロフィーを受け取りました。

 

À 13 ans, au pays du Soleil levant 13歳、日出ずる国で

L'IMPROBABLE ÉPOPÉE D’UN GAMIN

        DE L’ILE D’ORLÉANS

オルレアン島の子供のありえない叙事詩

 ルネ・シマールと日本とのラブストーリーは、彼がまだ13歳だった1974年の夏に始まりました。このエピソードを目撃した人は皆それを覚えている。ケベックショービジネスの歴史におけるこの黄金のページを一緒に追体験しましょう。

 当時、ルネ・シマールは私たちの間ではすでにスーパースターでした。 1971年、彼がまだ10歳だった時、歌「L'oiseau 鳥」によって一夜にして子役スターになりました。オルレアン島に住む質素な家庭出身の、才能豊かで優しいこの少年は、誰からも好かれていました。彼はラジオでもテレビでも必見でした。彼が出演した「p’tits poudings Laura Secord  ローラ・スコールのプティ・プディング」の広告は、まさに大ヒットとなりました。そして、これらを通じて私たちは彼の兄レジスと妹ナタリーのことを知るのです。

※過去ログ「ルネのプリンのCM 」参照

 ルネにとって、すべてが急速に進んでいました。 1972年、彼はすでに Denis Heroux ドゥニ・エルー監督のセミ・ドキュメンタリー映画『Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供』の中心人物であり、そのタイトル曲は大成功を収めました。同年、彼はガラ・デ・アーティスト賞で「Decouverte de l’annee 今年の発見」と「Phenomene de l’annee 今年の現象」の2つのトロフィーを獲得した。彼はまた、LP『Ave Maria アヴェ・マリア』の驚異的な売上により、RPMゴールド・リーフ賞を受賞しました。 1973年、彼はペースを維持し、『Pascale パスカル』、『Rene Simard et Les Disciples de Massenet a l'eglise Notre-Dame ルネ・シマールとノートルダム教会でのマスネの弟子たち』など2枚の33回転レコードを録音しました。

 思春期の入り口にいる彼は、親しみを込めて「le p’tit Simard 小さなシマール」と呼ばれ、人気絶頂期にありました。ケベックでは、彼はもう何も証明する必要はありませんでした。しかし、この惑星は広大です! 1974年、少年は夢にも思わなかった素晴らしい冒険を経験するよう招かれました。ルネ・シマールは間もなく東京音楽祭世界大会の一環として日本で歌うことになるのでした。

 5月にはCBSレーベルの日本人代表がケベックに滞在し、日本語の音声的な歌い方や一般的な丁寧な言い回しを教えました。この練習は、ルネが音楽祭前にそこでリリースされる45回転レコード「ミドリ色の屋根(Non Ne Pleure Pas 泣かないで)」を録音しなければならないので、なおさら重要でした。通訳と一緒に過ごした4日間、彼は宿題を熱心にこなしました。その後、音楽祭のカナダ代表の若者は、両親と仲の良い兄のレジスとともに地球の反対側へと飛び立ちました。

 飛行機が東京に着陸した瞬間に、ルネとその家族が経験するカルチャーショックは容易に想像できます。 「何が起こるか分かりませんでした。私にとっては、それはアリババの洞窟でした。私が最初に感銘を受けたのは人々の優しさと礼儀正しさでした。」と彼は後にインタビューで打ち明けました。彼は面白がってこう回想しました。「そこで私は初めて寿司と出会ったのです。食べる気もなかったよ! そこでケンタッキーフライドチキンを食べました。

 

 

 

 左上の画像は、2回目の来日の際、ルネが旺文社の『中一時代』編集部を訪問した時のものですが、大好きなケンタッキー・フライドチキンをご馳走になっているところです。当時の通訳だった道上雄峯氏が「スーパー・アイドル ルネ」の『完全スケジュール同行記』の中で書かれていた通り、ルネはTV局で出されるロケ弁が食べられず、ケンタッキー・フライドチキンを持参していました。それを知った編集長が手配してくれたのでしょうね。

 また、ルネが初めてお寿司と出会ったのは、今は店じまいしてしまった鎌倉の『大海老』ではないかと思います。ルネの日本での活躍を記録したドキュメンタリー映画『René Simard au Japon』ではその時の様子が記録されていました。ルネが緑茶にミルクと砂糖を入れようとして止められ、緑茶の渋さに思わず吐き出しそうになったというエピソードがあります。2度目の来日では「日本茶の味が忘れなれないよ」という記事も有り、休日に訪れた京都で五色豆を気に入ったと書かれた記事が有ったため、ルネに「GOLDENBEST limited ルネシマール」を送った際(ジゼルさん経由)、五色豆も一緒に送りました(^^♪

 

左と中央:ホテル・エンパイアのレストランでルネがオーダーしたのはステーキ 右:鎌倉の明月院の茶店では美味しそうに何を食べたのかしら?

左:1974年6月26日、日本航空005便で羽田空港に到着したルネ一行 右:彼らを歓迎する東京音楽祭関係者たち。

 

 記事では兄レジスも同行しているような書かれ方をしています。しかし、この時同行したのは、ルネの父、亡きジャン=ロック・シマール氏、ギー・クルティエ氏、ルネ・アンジェリル氏、クローディーヌ・バシャンさんとクリスチャン・ルフォール氏でした。

 また、今回の記事の最初の方で書かれていましたが、以前紹介したインタビューで、ルネが「日本には2500人のファンがいる」と言っていたのは、ルネが開設したFacebookの公式ページやInstagram、音楽サイトRené Simard 日本人フォロワーの数のようです。

 Facebookの公式ページが開設されたおかげで、ルネの情報やメッセージをリアルタイムで受信することが出来、さらにメッセンジャーでルネに直接メッセージが送れるようになったことは、日本のファンにとって願ってもないことでした(^^♪ 3年前の開設当初からでは、ルネの投稿は減ったけれど、日本のファンがインターネットを通して、今でもルネをフォローしていることを、ルネが知ることが出来て嬉しく思いました

 当ブログは今年の6月10日で開設20周年を迎えます ずっとルネ活していて良かった~! これからも「かわいくて忠実な日本のファン(笑)」として、益々ルネ活に精を出していきますよ~(^^♪

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