ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネのデビュー50周年記念誌⑬

2021年11月27日 | ルネの活動記録


 来週はもう12月! 月日の経つのは早いものです。

 今年はルネのデビュー50周年という記念すべき年に当たるため、ルネは様々な番組に出演し、53枚目のアルバムCondorコンドル」と記念誌の発売や雑誌の特集記事など、ルネ・ファンにとってルネから目が離せない素晴らしい年となりました。

 当ブログはデビュー50周年記念誌の翻訳を進めていますが、次々と新しい情報が入ってくるため、予約記事に最新情報を追記するので手一杯という、嬉しい悲鳴をあげながら記事作成に取り組んでいます。先に進めないと、予約投稿(完成記事 下書きは4月下旬分まで)が無くなる~~っ!

<7Joursのインタビュー記事より>

 ルネの53枚目のアルバムは、「L'oiseau 」から始まった50年のキャリアにより、最も高く空を飛ぶ鳥の1つである「Condor コンドル」になりました。

 また、「一人でそのお祝いしたくなかったので、尊敬する人とデュエット・アルバムを作るというアイデアを思いつきました。私は彼ら全員にこのプロジェクトを提供するために個人的に電話をしました。」とルネはインタビューに答えています。



 ルネは、雑誌「Échos Vedettes Biographie」の特別版、ルネ・シマール・スペシャル(写真左)で独占的に提供される新しいアルバム、Condorコンドル(写真右)を私たちにもたらしました。

 さらに、「René Simard, 50 ans d’amourルネ・シマール、50年の愛」というタイトルのTVAの1.5時間のドキュメンタリーで、彼のキャリアの概要を説明します。
自分のことを話すのがとても難しいと感じました。 家族や仕事などとの関係について話します。 本質的なテーマがあります。 キャリアは浮き沈みで構成されています。 それらを引き受けることが重要でした。 これが私を今日の私にした理由です。」と、ルネはインタビューで語っています。

 このドキュメンタリーには、妻マリーや息子オリヴィエ、娘ロザリーの出演も決定しています。ルネのデビュー25周年記念の特別番組でも、ルネの身近な人たちがルネについて語っていましたが、どんなドキュメンタリーになるのか楽しみですねsymbol1

 そのショーは12月5日(日)午後7時30分に放映予定です。(下のfacebookの公式ページの投稿は11月29日)
Voici un avant-goût de ce que vous verrez dimanche le 5 décembre à 19h30. Bon visionnement!!!😊🎬
À TVA et TVA+

これが12月5日日曜日の午後7時30分に表示されるものの味です。 見てね!!!😊🎬
VATおよびVAT +で

※René Simard | Un demi-siècle d'amour partagé
https://www.facebook.com/renesimard2016/videos/444413673708335



<インタビューより>

❤あなたは世間の目で育ち、ケベックの全世代の女の子の最初の愛でした。 あなたは彼らの目にP'tit Simard(小さなシマールまたはシマール家の子ども)のままでいるような気がしますか?
 あなたが私をP'tit Simardと呼んでいる限り、それは私を若く保つでしょう! (笑) <後略>

❤あなたの生涯の相棒であるマリー=ジョゼはまだあなたのそばにいます...
 マリーは私の仲間であり、私の親友であり、私の大きな愛です。 彼女なしでは自分がこの人生を生きているのを見ることができません。 私たちはあらゆる種類の嵐を経験してきましたが、何よりも素晴らしい時間を過ごしました。 私たちの関係の中には、愛とユーモアがあります。 そしてもちろん、他のキーワードは尊敬です。 私たちはお互いのためにそこにいます。 私たちは常にそうしてきましたし、これからもそうあり続けます。

※「René Simard présentera un documentaire sur son parcours ルネ・シマールが彼のキャリアに関するドキュメンタリーを発表します」参照
https://www.7jours.ca/2021/11/21/rene-simard-presentera-un-documentaire-sur-son-parcours?fbclid=IwAR1u5SdtVY7-MVku3i_mH9qxlYMXBm5PtZhZCu-PoqvB2tTU26EbQGnN6NE

▲ジョアンヌさん提供symbol1

 そして、22日夜と23日に、ルネはパトリック・ユアールのラ・トゥールに出演しましたsymbol1

<facebookの公式ページの投稿>
Ce soir et demain c'est à mon tour d'être dans La Tour de Patrick Huard. 😄
TVA à 19h00

今夜と明日は、パトリック・ユアールのラ・トゥールに参加する番です。 😄
午後7時のVAT


※カールさん提供映像symbol1(Instagram)
https://www.instagram.com/p/CWpwhbLDFLU/
https://www.instagram.com/p/CWptcYBjzAk/

 Condor」の楽曲を中心にしたステージ等の予定はありませんが、デビュー50周年を祝って、様々な番組にゲスト出演しているルネを、日本から応援しましょう!!


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 前振りが長いですね(笑) ルネのデビュー50周年記念誌紹介も13回目です。

 前回の記事は、少年ルネの日本や世界での活躍、ルネが生き生きと歌い踊るYouTube映像や、facebook等のメディアで報じられたルネの活動についての記事を見てきた日本のファンにとって、辛い内容だったと思います。少なくとも翻訳した私自身、ルネがアーティストとして直面してきた苦難の道程を知って、胸が痛みました。

 カタストロフィー(「悲運」と訳しました)とまで書かれたアルバム”E=MC2”は、1996年夏にカナダを旅行した時、デビュー25周年記念CD集と一緒に購入しました。ルネが今までにない新しい曲に果敢に挑戦したことは、大変喜ばしいことでした。しかし、カナダでの評価どおり、アルバムに収録された曲は、私にもなかなか受け入れ難いものでした。前回の記事を読んで、全く売れなかったことは悲しく思いましたが、カナダでも評価されなかったことを知って、ある意味納得してしまいました。だって私も、少年の天使の声でも、変声後の青年の声でも、ルネの明るく伸びやかな歌声が大好きだったので、ちょっと流行りのラップ調の歌は、あまり好きになれなかったからです。

 でもご安心ください! 今回からは、それらを乗り越えて、多面的に活動するルネについての内容になります。

 『Un artiste aux multiples facettes 多面的なアーティスト』の内容が多いのと、その後に続く『想い出のアルバム』が4ページあるので4パートに分けて紹介いたします。今回はそのPart1です。


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Un artiste aux multiples facettes
  多面的なアーティスト Part1

 ルネは歌うだけではありません。 彼のキャリアは信じられないほど忙しい。 これは彼が何年にも渡ってかぶってきた全てのプロの帽子の概要です。

 彼はいくつかの失敗を知っていますが、いくつかの成功も知っています。


 ルネは年をとるにつれて声が変化し、彼のレパートリーを構築することは、より困難になりました。 彼のキャリアが1990年代に衰退したとき(彼の最後のアルバム、E = MC2がリリースされたのは、1993年彼が32歳のときでした)、彼は他の芸術分野に目を向けることを決心しました。 彼は幼い子供たちの父親であり、彼が大金持ちだと思われたとしても、キャリアを中断させたくありませんでした。

RENE DANS LA COMEDIE MUSICALE
ミュージカルのルネ


 

7Joursより 1997年2月、彼はジャンヌダルクの生涯に基づいたミュージカル「Jeanne La Pucelle処女ジャンヌ」でシャルル王を演じました。

 彼の人生の間、歌手と俳優は、1996年にJeanne La Pucelle(処女ジャンヌ)を含む多くのミュージカルに出演しています。Jeanne La Pucelleは完全にケベックで評価を高め、ジュディス・ベラールは主役のジャンヌ・ダルク役に抜擢されました。ルネはシャルル7世役に起用されました。アルバムは初演の少し前に録音されました。このミュージカルはブロードウェイの焼き直しの最初のショーになると信じられていました。残念ながら、このショーは国境を越えていません。

 

7Joursより 彼の子供たちのロザリーとオリヴィエだけが、オペラ座の怪人のマスクの下の彼らの父親を認識することができたでしょう(1999)。

 その後、1999年に彼は、le fantome de l’operaオペラ座の怪人の主役のために、ニューヨークでオーディションを受けました。 トロントで10年間上演されているこの作品は、リフレッシュする必要がありました。 ルネは、彼らが新しい<ファントム>を探していることを知ったとき、彼の先生とほぼ2か月間この役の演技に取り組みました。 彼は彼が8週間取り組んだ役を引き受けました。 その後、人気が出なかったため、彼の主役での上演は停止されました。


 ミュージカル「雨に唄えば」は2012年に彼の人生に登場しました。彼は当時50歳でした。それは彼のキャリアの重要な瞬間でした:彼のパフォーマンスは賞賛されています。ケベックでミュージカルを制作しているDeniseFiliatraultドゥニーズ・フィリアトゥローがプロジェクトの後ろ盾となっています。歌手は初演の数ヶ月前にAlloVedettes誌に告白しました。
 「私がステージに上がってから10年が経ちました、ドゥニーズは本当に私に素晴らしい贈り物を与えてくれています。これが中毒する贈り物ではないことを願っています! 会うことは大きな挑戦です。準備には6か月あります。舞台恐怖症を経験することはわかっていますが、良い舞台恐怖症です。
 ルネは、彼の役割が肉体的に厳しいという事実を隠していませんが、彼はその経験を愛しています。しなやかで優秀なダンサーであり、彼は壮観であり、この作品は5万枚以上のチケットを販売し、成功を収めています。


▲▼彼はドゥニーズ・フィリアトゥローのおかげです

 

▲ミュージカル「雨に唄えば」は、彼にその高貴さを取り戻しました

7Joursより ルネはしばしばデニス・フィリアトゥローと協力してきました。 2012年にミュージカル「雨に唄えば」で舞台に戻るように彼を励ましたのは彼女でした。

ルネのミュージカル① - ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~ (goo.ne.jp)
ルネのミュージカル② - ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~ (goo.ne.jp)
ルネが『雨に唄えば』に出演決定! - ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~ (goo.ne.jp)

 ルネが出演したミュージカルについて楽しんでいただけたでしょうか? 次回は「多面的なアーティスト」の2回目になります。 歌手であると同時に、俳優であり、司会者であり、プロデューサーでもあるルネの活動についての内容です。

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ルネのデビュー50周年記念誌⑫

2021年11月20日 | ルネの活動記録

 紅葉や野山が日ごとに鮮やかになってまいりました。ルネ友のみなさまは、秋の夜長をいかが過ごしていらっしゃるでしょうか。昨夜の月食はご覧になりましたか?

 デビュー50周年を迎えたルネは、各メディアで引っ張り凧symbol1 facebookの公式ページにも出演番組に関する投稿が増え、ファンとしては嬉しい限りです♪ 

<facebookの公式ページの投稿>


Je vous donne rendez-vous pour souligner mon 50e anniversaire de carrière en compagnie de Marie-Claude Barrette. 😁😍
📌 Dimanche 5 décembre | 19h30 | À TVA et TVA+

マリー・クロード・バレットとのキャリア50周年を記念して、ぜひお会いしましょう。 😁😍
📌12月5日日曜日| 午後7時30分| VATおよびVAT +で

https://www.facebook.com/renesimard2016/videos/924417651800058


▲LaSemaineの表紙より「私の孫娘は私の太陽です」
ルネ・シマールは祖父としての役割においてこれまで以上に幸せです。

▲LaSemaineの記事より(Johanneさん提供❤)


 ルネの53枚目のアルバムCondorコンドル」のデジタル版はもう購入されましたか? 私は少しでも日本からルネを応援したくて、パソコン用にAmazonMusicで、iPad用にiTunesで購入したルネ馬鹿です。

▲Merci beaucoup, Josef Wheelersymbol1

 CDと記念誌のセットは残念ながら、以前紹介した通販サイトではカナダとアメリカにしか発送されません。日本のAmazonでは扱わないことが分かっています。今のところカナダとアメリカのAmazonでも取り扱われていません。ebayに出品されることを期待しています。情報が入り次第報告いたしますね。 


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の12回目です。

 今回の内容には、日本のファンが知らなかった、変声後のルネが陥ったスランプについて、シビアに書かれていました。訳していて私は大変ショックでした。

 私がインターネットでルネの検索を始めたのは、1996年以降。1996年はルネのデビュー25周年の年で、CD集や記念誌が発売されていました。ここで書かれているのは1993年に発売されたアルバム”E=MC2”の前後までです。

 ちなみにこのアルバムは、ルネが33歳の時(1994年夏)、日本のバラエティー番組「明石家多国籍軍」で、視聴者のリクエストから外国人スターを捜索するレポーターが自宅を訪問した際、結婚記念のDVDと一緒にプレゼントしたものでした。その場面は下のYouTube映像で6分40秒からご覧いただけます。



 「ルネ・シマール・ショー」をはじめとするYouTube映像を見る限り、ルネはとても明るくはつらつとしていて、そんなことは微塵も感じさせません。しかし、天使の声を失い思春期を抜け出した頃から、ルネの成功は下降線をたどっていったのでした。

 変声後、可愛い少年歌手から成長した青年歌手に移行するため、ヴォイス・トレーニングやダンス・レッスンに取り組んでいたことは知っていました。自分の声質やイメージに合った選曲、ステージ衣装もジャンプスーツから紳士的なスーツに変えて、イメージ・チェンジを図っていました。しかし、全ての聴衆から(熱烈なファン以外から)は、以前のように認められず、芸能活動を休止して、様々なスキルを身に付ける努力を積んでいたことが、このページで分かりました。

 そんな辛い時期を乗り越えたからこそ、現在のケベックでの成功があるのですね。



TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE




 彼は彼の外見と音楽スタイルを変えた
Un image d'enfant qu'il veut faire oublier
 忘れたい子供のイメージ

 時間が経てば、スターチャイルドもティーンエイジャーになり、若い男性になります。成人期への移行は必要な道です。
 彼の成功はかつてほど大きくはありませんが、彼はあきらめていませんでした。


中央:フルパフォーマンスで ルネ!
 左下:妹のNthalieと一緒に、彼は「Tourne la pageページをめくる」で成功し始めた



 彼の声は変わりましたが、ルネは歌手としてのキャリアを続けたいと思っており、思春期から抜け出すにつれて、彼の成功が失速するのを見るのは残念でした。20代前半に、彼は世間の目から少しの間姿を消しました。 しかし、彼のマネージャーであるギィ・クルティエは、それを以前の栄光に戻すために可能な限りのことをしました。 彼の戦略の1つは、20代の青年を身体的に変容させ、子供としての彼のイメージを一般の人々に忘れさせることでした。


▲41分38秒から”René Simard Show”42分18秒から紹介ページの映像 歌っている歌は、当時ショーン・キャシディが歌ってヒットしていた THE CRYSTALSザ・クリスタルズの“Da Doo Ron Ronダ・ドゥ・ロン・ロン”

中央:ルネが聴衆の目に留まることはますます少なくなっていました

7Joursより  2つの録音の間に、妹のナタリーと一緒にTourne la page(1988)のクリップを撮影しました。


La chanson ”Tourne la page”

 1988年、ナタリーは19歳、ルネは26歳でした。 彼らはアルバムRene et Nathalieをリリースし、“Tourne la page”という曲を歌って、その年のADISQガラでベストセラー曲のトロフィーを獲得しました。 ビデオクリップでは、ルネ・シマールがこれまで以上にセックスシンボルを示していました。彼の若い初見は少し反抗的で、大衆を大いに喜ばせました。 彼の子供のイメージはますます消されていました。 しかし、彼はもはやバラエティ番組に招待されていませんでした。 彼は忠実な支持者を保持していましたが、全員一致というわけではありませんでした。 聴衆は彼に時代遅れの歌手のレッテルを貼りました。 ルネのキャリアはまだ下降傾向にあったのでした。

困難な復活

▲アルバムE=MC2はそのキャリアを復活させることはできませんでした

 1993年、彼の歌のキャリアを復活させるために、ルネはアルバム“E = MC2”をリリースしました。“Corps à rever”や“Coups de tete”のような作品があります。 しかし、これは悲運(カタストロフィー)でした! レコードはほとんど売れず、コンセプトはあまり理解されませんでした。 その瞬間から、多くの人々はルネ・シマールのキャリアが終わったと信じました。 しかし、後で見るように、< p’tit Simard >はまだ彼の最後の言葉を言っていませんでした。

それでもなお自分自身を向上させる

 ルネが芸術分野での活動をやめることは間違いありませんでした。彼は実行する必要がありました。 1993年、彼のキャリアが伸び悩んだとき、彼はトロントに引っ越しました。彼はそこで演劇のクラスを受講し、さらにダンスのスキルを磨きました。彼は現在、ミュージカルを制作して演奏するためのすべてのスキルを手にしています。

歌手はトロントに引きこもることにした

▲トロントで 左から歌、ダンス、演技の先生と一緒に

 このプロとしてのスランプ期の数年後、彼は次のように説明していました。
 「私はこれらすべての年の間、あなた方と一緒にいませんでした。私は目立たずさらに勉強しました。奇妙です。この仕事。成功はそこにありますが、成功は永遠に続くわけではありません。浮き沈みがあります。しかし、私はおかしなやつです。たまに曲を落としても構わない。私は常に「前向き」である必要はないのです。チームと一緒に仕事をすることで、遅れをとることがとても楽しくなります。それは非常に満足のいくものです。
 ルネは少しずつ芸術的な成功を楽しんでおり、再びケベックの人々のお気に入りのひとりになっていました。



<le Journal de Montrealの記事からの追記>
ルネ・シマール・ショー
 1977年から1979年までの2年間、ルネはバンクーバーでルネ・シマール・ショーを主催しました。 バラエティ番組はCBCで放映され、カナダの評価を支配します。



▲▼”René Simard Show”より



<Da Doo Ron Ron>
 ルネが歌っている“Da Doo Ron Ronダ・ドゥ・ロン・ロン”は、THE CRYSTALSザ・クリスタルズのヒット曲で、当時 Shaun Cassidyショーン・キャシディがカバーした、日本でもよく知られている曲です。私はSylvie Vartanシルヴィ・バルタンの仏語版”Dadou Ron Ron”の方をレコード(『悲しみのアバンチュール』のB面)で聴いていましたので、てっきりシルヴィの曲だと思っていました。

 facebookのグループPassion René Nathalie et Régis Simardでこの曲について質問したところ、このステージを会場で直接ご覧になられたマイケル・ジェゼリナックさんから、曲名と「最高のショーだった」とコメントをいただきました。また、お友だちのドナ=マリー・ウェストさんからは、彼らがThe Hockey Rockersホッケー・ロッカーズと呼ばれていたことを教えていただきました。おふたりともイギリス系カナダの方のようです。また、YouTube映像では、「Marcel Dionne, “Boum Boum”Geoffrion, Rogatien Vachon」という字幕が入っていました。

 ルネが歌っているルネ・シマール・ショーの映像は、上のYouTube映像(42分18秒から)でご覧いただけます。歌詞の字幕付きのザ・クリスタルズと、ショーン・キャシディ・バージョンのYouTube映像も紹介いたしますのでお楽しみください♪






 明後日は11月22日で「いい夫婦の日」です。

 ルネが1993年にトロントに引っ越して演劇やダンスを学び直していた時、ルネの子どもたちオリヴィエとロザリーは先天性難聴のための療育が始まっていました。ですから、妻マリー=ジョゼの協力無くして、現在のアーティストとしてのルネは在り得ないでしょう。

▲妻マリーと一緒に(デビュー25周年記念誌より)


 ケベックでは『可愛いカップル』なおしどり夫婦のルネとマリー。今年4月に初孫のクロエちゃんが生まれ、祖父母になった2人が、これからもずっと仲睦まじい素敵なカップルでいることを願っています。

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ルネのデビュー50周年記念誌⑪

2021年11月13日 | ルネの活動記録


 待ちに待ったルネの53枚目のアルバムCondorコンドル」のデジタル版が購入できるようになりました!! 購入価格はAmazonMusicアルバム(11曲収録)が1,600円1曲250円iTunesStoreでは1,528円です♪

 ルネのソロではなく、ルネと親しい歌手仲間によるコラボ(デュオ)アルバムです。もちろん私はAmazoniTunesの両方で購入したルネ馬鹿です(爆★)

※AmazonMusicでの購入はこちらからどうぞsymbol1
https://www.amazon.co.jp/Condor-Ren%C3%A9-Simard/dp/B09JS35VCH/ref=sr_1_14?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=Rene%20Simard&qid=1636662435&sr=8-14&fbclid=IwAR2Z6JGb7GkmSdvT6AqKIh8Wy8HGz1mQP-ILk53T5WFhcwqh-fjMgThL9Mw


 アルバムの発売に当たりTV番組”Salut Bonjour”等に出演したり、インタビュー記事がfacebookに投稿されたり、デビュー50周年ということもあって、ルネは忙しい日々を送っているようですねsymbol1


 前回の記事に追記してきましたが、改めてルネの最新情報をまとめて紹介いたします。

<facebookの公式ページの投稿>

▲ルネの53枚目のアルバム「Condor」とデビュー50周年記念誌のセット(19.99ドル ※日本には配送されません

René Simard
11月9日 2:16
Bonjour à tous,
Si vous voulez avoir accès à mon nouvel album et mon magazine qui célèbrent mon 50e anniversaire de carrière.🎤Vous pouvez le faire grâce à ce lien ci-dessous. 😁🥰
jemagazine.ca/rene

こんにちは、みんな、
私の50周年を祝う私の新しいアルバムと雑誌にアクセスしたい場合は、以下のリンクからアクセスできます。
😁🥰
https://www.jemagazine.ca/pages/rene-simard?fbclid=IwAR2sjvbX4O36SUiVOtfR1EgQ8xf7g6JVz_tzIP6T-OAxv2_Xn6LRFrFrMhg


<Salut Bonjour>

左:スタジオで右:孫娘クロエを抱くルネと妻マリー 

左:1974年パリで シルヴィー・バルタンが用意したルネの名前入りロールスロイスの前で
 右:亡き最愛の母ガブリエル・ラベと一緒のルネ


 11月10日、Salut Bonjourにルネが出演し、53枚目のアルバムCondorコンドル」についてや想い出を語り、4月に誕生した初孫娘クロエちゃんの映像も公開されましたsymbol1

※ENTREVUE: RENÉ SIMARD LANCE CONDOR, SON 53ÈME ALBUM EN CARRIÈRE
https://www.salutbonjour.ca/2021/11/10/entrevue-rene-simard-lance-condor-son-53eme-album-en-carriere?fbclid=IwAR0f7rA1XGbWJDHwnVc-ITyH0U1z2gHN1d0QsvSwCZlsnMmp8daAb9ly8Og


<Plus.La Presse.caより>

※RENÉ SIMARD DUOS ENTRE AMIS
           (友達同士のデュオ)

https://plus.lapresse.ca/screens/27fab8c6-fb4f-4603-9c03-44bc489211f8__7C___0.html?utm_content=ulink&utm_source=lpp&utm_medium=referral&utm_campaign=internal%20share&fbclid=IwAR3EYhijUFhnLomc5IC1RumsdF-mJ9FVTnNFgvM2kfRK0Rn22Lwv2n9Qm-Y

<7Jporsの記事>※Johanneさん提供

 

 


※ルネ・シマールの50年のキャリアを50枚の写真で追体験
https://www.7jours.ca/2021/11/11/revivez-les-50-ans-de-carriere-de-rene-simard-en-50-photos?fbclid=IwAR0IyJzk330XWxPOclM138SWORk4Urh7SyBJ1EVJdYLwEcZXGGx4AijcPLg

<Ça finit bien la semaineの映像>

▲1番左の画像は、「R.S.V.P. 」のオープニングの歌とダンスを再現しているところです 還暦ルネの切れ切れダンス(?!)は見もの
 
 12月5日TVA放映、Marie-Claude Barretteが主催する特別番組「René Simard, 50 ans d’amour ルネ・シマール、50年の愛」 ルネ・シマールと彼のキャリアに関するドキュメンタリー
https://www.facebook.com/cafinitbienlasemaineTVA/videos/410554910702705
https://www.facebook.com/cafinitbienlasemaineTVA/videos/607899130358027


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の11回目です。

 今回は「On le dit millionnaire a 13 ans」の4回目になりますが、2ページ見開きで紹介してきたこの回では、写真の解説以外の文章はありません。

 その代わり、次回の記事につながる記事として、「Growing pains 成長痛」という記事の一部を紹介いたします。


GROWING PAINS 成長痛
René Simard suddenly faces an uncertain future
ルネ・シマールは突然不確かな未来に直面します

 今年は、ルネ・シマールの再生を見ているはずでした...カナダのテレビ・スターの調整は、北米のヒット・レコードに続いて、彼自身の米国のバラエティー・シリーズ、そして最終賞である国際的なスーパー・スターの達成が続きました。
  昨年のシマールのCBCバラエティー・シリーズは、すべてジャンプスーツとpinball wizardryRazzie Dazzieの誇大宣伝、主流派のトップ40のロックとノンストップのSnap and Crackleでした。
 今年は若く洗練されたデザイナーの衣装がありました。Copacabana production コパカバーナ・プロダクションのナンバーは、悲鳴を上げる10代の暴徒のシーンが少なく、よりクラシックなポップ・ソングです。 Disco-Rene ディスコ・ルネはディスコ・バーを追加し、彼自身の活動的で現代的な独身者、bachelor pad独身パッド(※)のセットを取得しました。
 ルネ・シマールはCBCから成長してきました。 尊ぶべき18歳の時に、フランス系カナダ人の歌の感覚で、彼は来シーズン、CBCで最も人気のあるバラエティシリーズの1つに2年間出演しました。「ルネにとって、過去2年間は重要な一歩でした。」彼のマネージャーのギィ・クルティエは言います。 「しかし、彼はまだ非常に若く、このビジネスでは出演が多すぎるのは危険です。」 結局のところ、この若者は、カナダ英語圏の誰もが彼について聞くずっと以前から、ケベックの主要なスターでした。


bachelor pad(独身パッド):お金にゆとりがある若い独身男性の一人暮らしのアパート

Disco-Rene ディスコ・ルネ ルネは前列中央で赤のタートルネックにグレーのパンツ

 文章がない分は、同じ時期のルネの活動について書かれた記事を紹介していますので、参考にしてください。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



On le dit millionnaire a 13 ans vol.4
  人々は彼を13歳の億万長者(ミリオネア)と言う

左:彼が成長したとき、ルネは彼の聴衆の一部を失いました
 右:このアーティストはカナダの英語圏で人気があります



※41分35秒からカナダの英語圏での活動
 44分10秒から”René Simard SuperKid(1975)”


右:ルネは、ダンジュー市の私たち(バシャン姉妹)の家で彼が占領していた部屋で読書している

左:エミール・ジェネストとジョルジュ・ギュエタリーの間で
右:ジャン・ベリヴーがルネにゴールド・ディスクを手渡す


左:ラスベガスのルネの楽屋で ルネ リベラス ギー・クルティエ クロディーヌ・バシャン
右:ダイアン・キャロルとサンディー・ダンカンと一緒にルネ・シマール・スーパーキッドの一場面
 

左:ルネはリッチー・リトルに気を配っている(ヴァンクーヴァー)
右:トロントでボビー・ヴィントン・ショーのセットで


▲ルネの衣装 ①タートルネックのセーターとこげ茶のカーディガン ②④赤のジャンプ・スーツ ③黒のスーツに黒の蝶ネクタイ

<le Journal de Montrealの記事からの追記>
 彼のキャリアの最初の数年間、彼は1時間に100マイルでそれらを生きました:大勢の人の前でのコンサート、ローラ・セコードの小さなプディングのクレイジーな広告キャンペーン、彼の人生に関するドキュメンタリー映画の撮影、ドミニク・ミシェルとの長編映画、そして、東京音楽祭世界大会での優勝によって、ジャン・ルフェーブルから招かれたパリのオリンピアの舞台と、米国のリベラーチェとのショーです。
 「それほど多くはありませんでした。私は若い年齢にもかかわらず、状況に対処することができました。」と彼は述べました。
 ルネは変声期を迎え、自分の声を変えていかなければならないことに気づき、15歳のときに、彼のキャリアの2番目の部分であるマネージャーのギィ・クルティエとすぐに準備しました。
 「私は毎日ロサンゼルスに滞在し、歌のレッスン、ダンスのレッスンを行い、英語を学びました。また、髪を切ってもらう機会もありました。私は散髪にうんざりしていて、ギィ・クルティエに話していませんでした。私はいつも自分の職業を改善しようと努めてきました。それは私の多方面性でした。私は運が良かった。私はこの職業のあらゆる分野に触れてきました。」と彼は言いました。
  彼は、1977年から1979年にかけて、バンクーバーでルネ・シマール・ショーを主催するためのほぼ毎週の往復旅行が、16歳には困難だったことを認めています。
 「私はまだ飛行機に乗っていました。大変でした。私がうつ病に近づいたのはこれだけです。」と彼は認めました。



 ルネは変声を迎えたことや来日が無くなったことで、日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツは1976年に閉鎖されました。

 この頃ルネは、ケベックのママのアイドルからティーンのアイドルへと変わっていった時期でした。また、カナダの英語圏やアメリカでの活動が増え、ケベックのファンは、ルネが離れてしまったように感じて寂しい思いをしていた時期でもありました。

 「Growing pains 成長痛」の中で語られていましたが、この頃からルネは、ジャンプスーツの少年から、紳士な大人の青年に移行するためにスーツを着始めました。

 話は変わりますが、ルネの髪は、来日の頃は金髪と間違って覚えている方も多い、天使の輪ができる栗色でした。成長するにつれ髪色が濃くなって、現在はロマンス・グレーです。髪型も、おかっぱからマッシュルーム・カット、聖子ちゃんカット、グラン・レトロの時はオール・バックにしてみたり・・・。そんなルネの変化を追ってみるのも楽しいですねsymbol1

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ルネのデビュー50周年記念誌⑩

2021年11月06日 | ルネの活動記録

 来週11月11日(木)は、ルネの53枚目のアルバム”Tu n'as pas seul あなたは一人じゃない”のデジタル版の発売日です!! 


 CDと記念誌のセットの発売翌11月12日です! デジタル版AppleAmazonで購入できるようになると思います。

※”Tu n'as pas seul250円)”のみの購入は、こちらのAmazonMusicからどうぞsymbol1 
https://www.amazon.co.jp/nes-pas-seul-Ren%C3%A9-Simard/dp/B09HT3SCXC/ref=sr_1_24?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=Rene%20Simard&qid=1635565951&sr=8-24&fbclid=IwAR149NkJtFos8JAK5an67TvaeWhHeGTpOuiNNAFvZWEOL2Ge3wTVNDXuzPA



 前回紹介したルネからのアルバムの最新情報ですsymbol1

À partir de maintenant, la chanson "Tu n'es pas seul"
est maintenant disponible et j'en suis très heureux! 😊
Cette chanson est disponible dans toutes les playlists ci-dessous:

<中略:デジタル版購入一覧>
Et à partir du 11 novembre, toutes les chansons seront disponibles sur toutes les plateformes numériques! 😎
Dès le 12 novembre, il y aura des CD + Magazine "50 ans de carrière" dans plusieurs endroits; marchés, magasins, etc. 😁😍
Merci et bonne écoute!!!😘
Bonne fin de semaine à tous!


これからは「Tu n'es pas seulあなたは一人じゃない」という曲が利用可能になり、とても嬉しいです! 😊
この曲は、以下のすべてのプレイリストで利用できます。
<中略>
そして11月11日から、すべての曲がすべてのデジタルプラットフォームで利用できるようになります! 😎
11月12日から、CD + Magazineの「50 ans de carrièr50年のキャリア」がいくつかの場所で発売されます。市場、ショップなど。 😁😍
ありがとう、そしてよく聞いてください!!!😘
みなさん、幸せな週末を!


 CDタイトルは『Condorコンドルで(L'oiseau小鳥が成長してコンドル)オリジナルのデビュー50周年記念誌 "50 ans de carrière"がセットです!! 前出の撮影で撮った写真を含め、ルネが厳選した写真が掲載され、50年間の経歴が書かれていますsymbol1 ファンならCDとデジタル版と両方購入必至ですね!!!  ただ、現在日本では下のサイトから購入出来ません(カナダとアメリカのみ11月16日から発送)★ 日本のAmazonでも扱わないようです(ソルさん確認)。新しい情報が入り次第、報告いたします。

※Vol.02 no.04 | René Simard & son album de musiquehttps://www.jemagazine.ca/pages/rene-simard?fbclid=IwAR2sjvbX4O36SUiVOtfR1EgQ8xf7g6JVz_tzIP6T-OAxv2_Xn6LRFrFrMhg

▲▼ ÉchosVedettesのルネ・シマール・スペシャルは、逸話、オリジナルのインタビュー、100枚以上のアーカイブ写真を掲載。19,99$ 



<追記>

 11月10日、Salut Bonjourにルネが出演し、53枚目のアルバム「Condor」について語り、4月に誕生した初孫娘クロエちゃんの映像も公開されましたsymbol1


 


※Salut Bonjour
https://www.salutbonjour.ca/2021/11/10/entrevue-rene-simard-lance-condor-son-53eme-album-en-carriere?fbclid=IwAR0f7rA1XGbWJDHwnVc-ITyH0U1z2gHN1d0QsvSwCZlsnMmp8daAb9ly8Og


 さらに、こんなルネ・グッズも発売されました~symbol1

L'attitude René Simard(態度 ルネ・シマール)

▲左からレッド、ライトピンク、ライトブルー、スポーツグレー、ダークグレーマール、ブラック

flag11ルネのトレーナー販売中flag11
La vie est belle
Sweat-shirt L'attitude René Simard 
C$59.90


※こちらから購入できますsymbol1
https://boutic.ca/products/sweat-shirt-lattitude-rene-simard-1?utm_content=Facebook_UA&utm_source=facebook&variant=41791064866979&fbclid=IwAR14mTmbJvhNfUB-3NM1CRITmwgOfA4SKyDWNynk7yjZ0kco1hZNp6c8Uz8



     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の10回目です。

 今回は、日本のルネ・ブームの後、アメリカとフランスでの活動の様子や、妹ナタリーとのデュエットの話です。


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



On le dit millionnaire a 13 ans vol.3
  人々は彼を13歳の億万長者(ミリオネア)と言う

▲子供の頃、彼はモハメド・アリのような大スターに会いました

フランス人が参る(惚れ込む)
 
 彼の日本でのステージは、ケベックやカナダだけでなく、世界中に影響を与えました。 地球上で最も有名な芸術家の一人とフランク・シナトラの手から一等賞を受け取ると、世界中でそれが噂になりました。ルネがモリエールの言葉で歌うように、フランス人は彼に興味を持ちました。 彼は非常に人気のある歌手ダニエル・ギシャールの最初のパートを行うために、パリのオリンピアに招待されています。 彼はこの機会に、“Maman laisse-moi sortir ce soirママ今夜遊びに出かけてもいい”という歌を輝く街で録音しました。この作品は記録を破り、彼にゴールド・ディスクの記録をもたらしました。 しかし、ルネの曲で最もよく聞かれているのは、”Les petites filles modelesモデルの女の子たち(リトル・モデル)”です。 後者は、競争が激しいフランスのヒットチャートで14位にランクされています。 フランス人はすぐに彼を採用し、彼に「Le prince charmant de la chanson 歌のプリンス・チャーミング」というニックネームを付けました。

※過去ログ「MAMAN, LAISSE-MOI SORTIR CE SOIR」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/378.html
※過去ログ「Les petites filles modèles」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1150.html
※過去ログ「On ne vit jamais pour rien...2」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/97.html

左:パリのオランピアで1974年12月、セルジュ・ラマとダニエル・ギシャールと一緒に 右:オランピア劇場のステージ


※過去ログ「世界のルネーパリ編①ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/446.html
※過去ログ「世界のルネーパリ編②ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/448.html


▲デビュー25周年記念番組より アメリカの活動14分00秒~
 ナタリーとのデュエット24分30秒~

アメリカでのキャリア

 彼のマネージャーであるギィ・クルティエは、ルネにとって素晴らしいアメリカでのキャリアを夢見ていました。そのため、フランスでのルネの成功はこれまでになく進んでいました。 ルネがジョニー・カーソン・ショーへの出演に合意したことを除いて、契約はありませんでしたが、チームはアメリカ市場の動向を探るために数か月間ロサンゼルスに身を落ち着けました。 1975年、カンヌで開催っtされた国際音楽産業見本市(MIDEM)のクロージング・ショーで歌った後、彼はさまざまなアメリカのネットワークで、ほぼすべての夜の放送に参加するよう招待されました。 彼は、NBCのマイク・ダグラス・ショー、CBCのマーヴ・グリフィン・ショー、NBCのハワード・コセルとのサタデー・ナイト・ライブなどに出演しています。 ルネ・シマールはこのショーに3回参加し、アメリカ全土で知られるようになりました。
 南の隣人に彼の足跡を残そうとしている間、シマール家の子どもはしばしばケベックに戻りました。彼は1976年のモントリオールオリンピックを宣伝するために、ボブ・ホープとビング・クロスビーと一緒にForum de Montrealモントリオール・フォーラムで大規模なショーに参加しました。このショーは明確な結果をもたらし、彼は強調する曲を演奏するために選ばれていたので、ラジオ-カナダの英語ネットワークはまた、彼に大きな特別番組、ルネ・シマール・スーパーキッドを制作することを提案しました。新聞には、その少年は13歳までに億万長者になったと書かれていました。 1974年版のTIME(アメリカ合衆国のニュース雑誌)には、「彼はすでに7枚のLPの75万枚を含む500万枚以上のレコードを販売しています...これはカナダのレコード業界の記録です。」 一方、その子供は彼の出演料のお金をほとんど受け取っていません:彼が18歳になるまで、お金のほとんどは口座に預けられていました。


▲ニューヨーク ハワード・コセル・ショー1975年 モハメド・アリと一緒に

▲左:マーヴ・グリフィニ・ショー1974年 ロサンゼルス
 右:フォーラム・ド・モントリオール1974年 ボブ・ホープと


左上:ルネ・シマール・ショーでアンディ・ウィリアムスと
 左下:ロベール・シャルルボワとラスベガスのヒルトン・ホテルで
 中央:ハワード・コッセルとサタデー・ナイト・ライヴで
 右上:トニー・レイ・ショーのセットでルネとマイク・ダグラス
 右下:マイク・ダグラス・ショーで




♪YouTube映像”Rene Simard 2”
https://youtu.be/RPuXwHVWf0o

※過去ログ「世界のルネーアメリカ編①ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/447.html
※過去ログ「世界のルネーアメリカ編②ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/455.html
※過去ログ「世界のルネーアメリカ編③ー」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/449.html
※過去ログ「世界のルネーアメリカ編④」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/591.html
※過去ログ「世界のルネ-アメリカ編⑤」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/639.html
※過去ログ「世界のルネ-アメリカ編⑥」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/640.html
※過去ログ「世界のルネ-アメリカ編⑦」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/641.html


老いも若きも、彼は同じようにアイドルです

 

 

▲当時販売されたルネ・ブランドのTシャツやトレーナー、セーター。ルネのイラスト入りのベビー服まで有ったりします。

ナタリーとのデュエット

 1976年、彼が15歳のとき、ルネの声は変わり始めました。 彼はABBAの歌からの翻訳である“Fernandoフェルナンド”を録音しました、そして即座に成功しました。 彼はすぐにチャートのトップに到達しました。 翌年、ピアニストのリベラーチェは彼と一緒にショーを開くために彼を招待しました。 このショーはラスベガスで発表され、その後、主要なアメリカ・ツアーの目的となりました。
 1979年、リベラーチェとのこのアメリカ・ツアーに続いて、ユニセフは国際児童年の一環として、彼に“Tous les enfants du monde世界のすべての子供たち”を歌うことを依頼しました。彼は妹のナタリーと一緒にこの曲を受け入れて録音しました。ナタリーとの最初のコラボレーションでした。他のいくつかが続きました。 1980年に、彼らはPlace des Artsでコンサートを4夜連続で行い、4年後にもその経験を繰り返しました。「世界のすべての子供たち」の歌のおかげで、ルネとナタリーはアメリカのツアーに行きます。彼らはフロリダとカリフォルニアのディズニーワールドで演奏しました。さらに、ルネは米国で2つのショーを主催しています。



※カテゴリ『ルネの妹ナタリー』参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate16/archive
※過去ログ「Tous les enfants du monde (Chiquitita)」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1131.html





<le Journal de Montrealの記事からの追記>

パリのオランピア
 1974年12月5日、ルネ・シマールはパリのオリンピアで歌いました。 彼はダニエル・ギシャールのショーの最初のパートです。 国民は彼を特別な歓迎をしました。 セルジュ・ラマ、シルヴィ・ヴァルタン、ジョルジュ・ゲタリー、クロード・フランソワ、ティノ・ロッシがその夜出席していました。

アメリカのテレビ
 フランクシナトラが後援したルネ・シマールは、1975年3月20日にマイク・ダグラスショーでアメリカのテレビ・デビューを果たしました。 また、彼はモハメッド・アリに、ハワード・コッセル・ショーとマーヴ・グリフィン・ショーで会いました。

アメリカン・ツアー
 1976年、リベラーチェはラスベガスでの一連のショーでルネ・シマールを聴衆に紹介しました。 ルネはラスベガスで演奏しました。 その後、ピアニストのリベラーチェと一緒にアメリカをツアーしました。


 フランスでの成功は、仏系カナダの歌手にとって悲願です。ルネは1974年のクリスマスに、ボーイング747で巨大なクリスマス・ツリーをフランス国民に送りました。また、アメリカのショー・ビジネスの世界で活動できることも、当時13歳だったカナダ人のルネにとって、夢のような成功だったことでしょう! それは全て、第3回東京音楽祭世界大会でのグランプリとフランク・シナトラ賞の受賞か始まったことでした。


<YouTube映像とルネ画像のこと>

 記事の補足としてリンクした過去ログを確認すると、紹介したYouTube映像が削除されて消えていたり、投稿当時画像アップの不具合で苦戦したところが回転して表示されたりで、修正するのにも時間がかかりました。

 現在YouTubeで、デビュー当時から現在に至るまでのルネの映像を、たくさんご覧いただくことが出来ますが、いつ削除されるか分かりません。気に入った映像は、お早目にご覧になるか、映像を保存することをお勧めします。


<当ブログのこと>

▲現在は行われていないteacupの書籍化サービスで作った当ブログの本。カラー版も作ってあり、ルネ記事の記録です。1冊の単価が高いため、5巻以降作っていないまま、書籍化サービスが終了しました(泣)。

 前回の記事の終わりに、「楽しみにしていてください。」と書いて締めくくっていましたが、このブログは、私のライフ・ワークであり、ルネについて調べたことの覚書ですから、この記念誌を読むのを一番楽しんでいるのは、訳している私本人かもしれません(笑)。

 記事の内容の補足の資料は、ほとんど自分のコレクションや過去ログで間に合うようになっていることや、今の方が昔よりも記事が長くなっていることにも驚きました。ただ、1000記事を超えているため、記事のタイトルと投稿した日付けを記録した『ルネ・ノート』で探したり、膨大なコレクションから画像データを探すのに時間がかかっています。過去ログはリンクしてありますので、お時間がございましたら、根気よくご覧ください。

 ブログを開設して早16年・・・。年月の過ぎるのは早いものですね! 「100歳まで生きたい」というルネに負けないように、これからも『継続は力なり』で精一杯頑張りますので、ルネ友のみなさま、末永くお付き合いくださいsymbol1

コメント
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