ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

グランプリ受賞後のカナダ①

2016年07月30日 | 1回目の来日
 今日は土用の丑の日。
 明日はミュージカル『メリー・ポピンズ』の千秋楽。
…と思っていたら、大好評につき、8月も公演が行われることが決定!! 追加公演の日程は、8月3日(水)、4日(木)、5日(金)、6日(土)、9日(火)、10日(水)、11日(木)、12日(金)、13日(土)の9日。いずれも開演は午後7時30分からです。チケットの販売は27日(水)から始まっています。

※チケット情報
https://oss.ticketmaster.com/aps/jprjfl/fr-ca/promotion/home?utm_source=JustePourRire&utm_medium=social-media&utm_campaign=RABAIS30NOUNOU-160728

 いろいろな場面がFacebookの公式ページで紹介されていますが、ルネの演じるMr.バンクスの出演シーンはほとんどが画像なので、バンクス家や銀行の場面が映像でアップされるのを心待ちにしています。
 今日を含めて残り11回となったこの舞台が、無事終了することを祈るばかりです。そして、8月の休みは減ってしまいましたが、できるだけ休養を取って、9月9日(金)から再開するコンサート・ツアーNouveau Rêveに向けて、ルネ自身が満足のいく準備を進めて欲しいと思います。


 さて、 今から42年前の1974年7月14日は、ルネの1回目の来日最終日でした。

 そして、ルネの凱旋帰国を待ちわびたカナダのファンや各メディアがモントリオールのシャルル・ドゴール空港に押し寄せました。それについての記事を2回に分けて紹介いたします。


人気爆発
  ルネ坊やの帰国に
カナダ中が異常興奮

トリュドー首相も異例のメッセージ

「日本人が”1人息子”のルネをさらいに来た!」と、カナダの新聞がセンセーショナルに報道した。東京音楽祭でグランプリをせしめ、日本人取材記者といっしょにルネ・シマール坊やが帰国したときのことだ。まだ13才だが、これまでに貯めたギャラが2億円! 8月22日には再来日して、また大旋風をまき起す。

 東京音楽祭のグランプリと、フランク・シナトラ賞をもらったルネが故国へ凱旋した! その日、モントリオールの空港は歓迎陣で上を下への大騒ぎ、カナダの新聞雑誌、放送などのマスコミや、中学生を中心とするファンがどっとつめかけ、一時は「トリュドー首相もお出迎え」の噂がつたわったくらいだ。

 とても、日本の郷ひろみなんてもんじゃない。新聞が「カナダの1人息子」と見出しをつけるほどのヒーローである。
 東京音楽祭では美しいボーイソプラノをひびかせて『ミドリ色の屋根』を歌い、シナトラおじさんもあまりの可愛さに思わずルネを抱きしめた。その知らせがカナダにつたわるとすぐ、トリュドー首相はルネ坊やに祝電を打った。
『あなたが日本で得た偉大な成功は、すべてのカナダ人の誇りであり、あなたの同世代の人に働くことと勉学の励みとなりました。心からお祝い申しあげます。そして生涯を通じ、よりいっそう努力されることを願っています。』

 カナダのケベックで生まれたルネは、フランス系カナダ人。既報の通り、コックだった父親が病気になって、どん底の生活におち込んだとき、まだ10才のルネが酒場で歌って生計を助けたと、という美談がある。
 しかし貧しいながらも家族みんなが音楽好きで、特にパパはクロウトなみの耳をしていた。ルネは7人きょうだいの5番目、すぐ上の兄デジは作曲をやるし、妹のナタリーは歌がうまい。だから、ルネが小さいときから、家族でよくコーラスしたものだ。
 聖歌隊のメンバーだったルネは、教会で結婚式をあげた花ムコさんにスカウトされ、『鳥』というレコードでデビュー。これが大ヒットになって、カナダ中のアイドルにのし上がった。
 クリスマス・アルバムなどは軽く10万枚というセールス。人口比率から見れば、日本ならさしずめ数十万枚を売る勘定で。むろんカナダのテレビでも引っぱりだこで、歌のほか番組のホストも引受けている。

 帰国するルネに日本の報道陣がついて行ったら、モントリオールの新聞が”日本から1人息子のルネをさらいに来た!”と大々的に書き立てた。「ルネは世界のヒノキ舞台に立った」「ビートルズに匹敵する大スターになるだろう」という記事で、日本人記者がインタビューされている。
 日本でのルネを撮影した映画『ルネ・イン・ジャパン』も、いくつかの劇場で公開され、どこも超満員。もちろん『ミドリ色の屋根』はプレスが間に合わないほどの、すごい売れゆきだ。


▲ルネを出迎える母ガブリエル 各メディアからのインタビューに答えるルネ 持っているのはフランク・シナトラ賞のトロフィー(グランプリのトロフィーはクリスタル製でめちゃ重いので)

▲ルネの凱旋帰国を待ちわびて押し寄せたカナダのファンがひしめくシャルル・ドゴール空港の様子 ルネはガードマンの肩車で移動 右端の男性は上の写真にも写っていますが、この方もガードマン?

 日本の記者が、ルネの特集記事のためにカナダに渡ったことは知っていましたが、帰国するルネと同じ飛行機に乗って行ったとは、この記事で読むまで知りませんでした。
 
 帰国するルネを見送るために、羽田空港で押し寄せた日本のファンの様子や、シャルル・ドゴール空港での凱旋帰国の様子は、アメリカで放映された、ルネを紹介する特集番組“Million Dollar Baby”でも紹介されていますので、Part2でご覧ください。

※YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 1”
https://youtu.be/yHY1BuKrat4?list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA
※YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2”
https://youtu.be/V_VVZqGeGtw

 しかし、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得するまでは、ルネはフランス系カナダ・ケベック州のアイドルで、英語圏のカナダでの知名度はさほど高くはありませんでした。もちろん当時から、英語圏にもDonna Marieさんのような熱烈なファンがいらっしゃいますが…。英語圏のカナダ、フランス、そしてアメリカのショー・ビジネスの世界でデビューすることは、フランス系カナダ人の歌手にとって大きな夢でしたから、ルネだけでなく、ノーベル・レコードのスタッフにとっても、世界に売り出すまたと無いチャンスになったのです。


 さて次回は、この記事の後編です。

 関東地方もやっと梅雨明けし、夏空の太陽に、うだるような暑い日が続きますが、ルネ友のみなさまも、ウナギを食べて暑い夏を乗り切ってくださいね!
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”モントリオール讃歌”のレコーディング

2016年07月24日 | モントリオール讃歌
 今年の夏は、8月5日から21日までの17日間、第31回オリンピック競技大会とパラリンピックがブラジルのリオデジャネイロで開催されます。しかし、治安の悪さやジカ熱、市の財政難、警察官と消防士のストライキなど様々な問題が有り、相次いでトップ選手が出場を辞退するなど、開催が危ぶまれる事態に陥っています。
 4年後に控えた東京オリンピックも、スタジアムやエンブレムの問題で揉めに揉めましたが、今から40年前の1976年7月17日(日本時間18日)から開催されたモントリオール・オリンピックも問題の多い大会でした。


 ルネの「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montréal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)は、1975年9月にモントリオール・オリンピック公式ソングとして発売されましたが、ボイコットされたためもあり、オリンピックが終わった翌1976年9月に再度発売されていました。


 日本では1976年の7月21日に、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲「モントリオール讃歌(英語版Welcome to Montreal)」(CBS SONY 06SH20, 45rpm Single B面『この旗の下で』) として発売されました。しかし、前年の1975年7月1日に発売された「去年の夏 SOLB-285」で変声していたはずのルネのハイトーン・ヴォイスに、ドーピング疑惑が囁かれました。

 「モントリオール讃歌」については何度も取り上げていますので、詳しくはカテゴリ「モントリオール讃歌」を参照してください。

※カテゴリ「モントリオール讃歌」
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive


 そしてついに、「モントリオール讃歌」が、ルネの変声前にレコーディングされたことを裏付ける写真が、facebookのグループVippassionSimardに投稿されました!!

 これがその写真です!!

Enregistrement de "Bienvenue a Montreal" 「モントリオール讃歌」のレコーディング(VippassionSimardより)



 そしてそのYouYbe映像!!髪型は来日があった13歳から14歳のルネと同じですね。

 このレコーディングは1975年にモントリオールで行われたと、アメリカの芸能雑誌”16 (シックスティーン・マガジン)”が報じていました。記事のタイトルは「ルネ オリンピックに行くRené Goes To The Olympics! 」。
 この頃ルネはロサンゼルスに住んで、ミュージカル映画「青い鳥に出演するための英語とダンスのレッスンを受けており、帰れる時にモントリオールの家に戻っていました。
 その記事には、ルネがレコーディングのためにモントリオールに戻ること、ルネが書いた詩がモントリオールのドラポー市長によって選出され、オリンピックの公式ソングとして、1976年8月1日の開会式で、ルネ自身が世界に向けて歌うということが書かれていました。

 先週末、ルネがfacebookの公式ページで紹介したYouTube映像は、オリンピック委員会の前で「Bienvenue a Montréal モントリオール讃歌」を歌った時のものです。また、そのお披露目の席で、ルネがドラポー市長とオリンピック・スタジアムの模型を見ている写真も公開されました。
 この時のルネの髪型は長めのマッシュルーム・カット。そして、お披露目の前には「モントリオール讃歌」のレコーディングは済んでいたはずです。ですから、VipPassionSimardに投稿された写真の髪型とは違います。
 さらに、完成したスタジアムの前の写真のルネは、変声後リリースされた15歳のアルバム”Fernando”と同じ、少年らしい短い髪形になっています。ルネは1961年生まれですから、1976年のオリンピックの年は15歳。ルネの変声の始まりは14歳の時と考えられ、4回目の来日が有った1975年の4月以降ということになりますが、「去年の夏」が同年7月1日に発売されたことを考えると、4回目の来日後間もなく、変声が始まったことになります。

 そして日本では、カナダでレコーディングされた"Bienvenue a Montréal"に日本語詞をつけて、一足遅れてルネに歌わせようと、CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターがカナダに渡った時は、すでに声変わりしてしまっていたようです。それで仕方なく、英語版”Welcome to Montreal”をA面、『この旗の下で』をB面にして、シングル盤「モントリオール讃歌」をリリースしたのだと推測しています。

 話は変わりますが、様々な理由で実現しなかったTVアニメ『家なき子』のテーマ曲は、アニメの放映は無くなっても、後にリリースされたアルバム『去年の夏』等に収録して欲しかったです。
 ちなみに、テーマ曲「流れる水のように」の歌入れも金塚さんが行っており、宮住氏からの情報では、変声前であったことが分かっています。「みんなあなたに」も変声前であることから推測すると、ルネがカナダや日本だけでなく、アメリカやフランスでも活動していた超多忙なスケジュールの中で、変声前の短期間に、たくさんのレコーディングをこなしていたことが分かります。


René Simard Live Bienvenue à Montréal

▲ドラポー市長とオリンピック・スタジアムの模型を見ているルネ

▲(オリンピック・スタジアムを背景にして)
<和訳>モントリオールがオリンピック競技場を準備している時、人々はルネに、モントリオール市に大きな出来事が到来することを強調するものを歌ってくれと言った



 上の記事は、ルネの写真集から抜粋したものです。カナダの各メディアからボイコットされたとされるルネの「モントリオール讃歌」ですが、ルネが歌うことに強い要望があったと書かれています。
 このことについて、フランス系カナダの人々(ケペコワ)と見解が違うのは、当時、ケベック州でカナダからの独立運動が盛んだったため、「モントリオール」を強調する内容の歌詞が、イギリス系の人々から反感を買ったからではないかと推測しています。


 さて、ミュージカル「メリー・ポピンズの公演は、31日(日)の千秋楽まであとわずかとなりました。facebookでは公式ページで写真や映像が公開されていて、華やかで楽しい舞台になっていることが伺えます。Juste pour rireでは、ミュージカル「メリー・ポピンズ」の他に、「ロメオとジュリエット」も上演中です。今年の夏だけで終わらず、ケベックの夏の定番になって、毎年上演されるといいですね!

 そして、ルネの演じているMr.バンクスは、激しいダンスこそはありませんが、無事この長丁場を乗り切って、8月中は、9月9日(金)から再開するコンサート・ツアーに備えて、十分休養を取って欲しいです。
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第3回東京音楽祭のプログラムより②

2016年07月17日 | 1回目の来日
 今から42年前の1974年7月14日は、ルネの初来日の最終日でした。

 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にして日本のスーパー・アイドルとなり、 世界中にその天使の声を響かせた、13歳のカナダの少年ルネ・シマール。 東京音楽祭のプログラムにおける、まだ無名に等しかったルネの 紹介は次の様なものでした。


MIDORI-IRO NO YANE
(ミドリ色の屋根)

RENE SIMARD ルネ・シマール(CANADA)

1961年カナダのチクーテイミに生まれた。
10才でデビューし、最初のシングル盤“鳥”でたちまち全カナダの人々の心を捉えた。つづいて発売された2枚のLPは、17万5千枚も売れ、現在もヒット・チャートにとどまっている。
シングルの発売された年に“今年の発見” 及び“今年の非凡なタレント”と名付けられたトロフィーを獲得している。以後、数々のテレビ番組でも活動し、ケベックのPLACE DES ARTS劇場やCLISEEなどでおこなった公演も大成功を収めた。
現在は、“レ・ベルジェール”というテレビ番組にレギュラー出演している。


 このプログラムが製本された頃は、まさか大賞だけでなく、フランク・シナトラ賞まで獲得するとは、誰にも予想できなかったでしょう。しかし、セミ・ファイナル以前の段階で、リハーサルで完璧に歌い切ったルネの歌を聴いた大会関係者の間では、最有力候補だったザ・スリー ・ディグリーズとルネのどちらが大賞を取るか、意見が真っ二つに分かれたというのは有名な話ですね。

 ちなみに、プログラムの紹介写真は、下の写真をトリミングしたもの。2枚の写真を比べてみたところ、大きさがピッタリ一致! 縮小せず、プログラムの原稿サイズに合わせてカットしてしまったようです。あの当時、拡大縮小の技術が無かったとは考えにくいのですが、どんな理由が有ったにせよ、トリミングなどせずに載せて欲しかったですね! 
 それに、何故最新の写真ではなく、デビュー間もない頃のものなのか。「ミドリ色の屋根」のレコードジャケットに使われた写真も、“Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”の時のもので、更に反転写真だったりして…。ルネの幼さを強調し、天使の歌声と称賛された歌唱力を際立たせるためのノーベル・レコードの戦略?!

※過去ログ「”ミドリ色の屋根”のレコード・ジャケット」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/365.html

▲カナダのルネ・コレクションより


 そして、ミュージカル「メリー・ポピンズ」は好評につき、7月17日(日)、24日(日)、30日(土)、31日(日) の4公演が追加されています。4日とも14時00分開演です。

 舞台写真も次々にアップされていますので、ルネの出演シーン中心に紹介いたします。 

▲舞台メイクのままインタビューを受けるルネ 口髭は付け髭だけど、額と目尻のしわは自前? それともメイク?

▲▼ルネ、Mr.バンクス熱演中!!


▲銀行でのシーン ルネはどこにいるでしょうか? 探してみてください

▲サン・ドゥニ劇場の入り口

▲サン・ドゥニ劇場の前で 向かって左から、妻マリー=ジョゼ、セルジュ・ポスティゴ監督、マリー=ジョゼのご両親 左にはルネの写真が見えます。

▲サン・ドゥニ劇場の前で ルネの妹ナタリー・シマールと娘エーヴ

 余談ですが、7月7日のナタリーの誕生日に、ルネはfacebookで誕生日メッセージを送っていました。もちろん私も彼女のタイムラインにメッセージを入れましたよ。

 ミュージカル「メリー・ポピンズは高い評価を得ています。中でも主役のジョエル・ランクトーは注目度が高く、各メディアで取り上げられています。もちろん我らがルネもです。この演目がケベックの夏の定番になって、来年も上演されるといいですねsymbol1

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第3回東京音楽祭のプログラム①

2016年07月07日 | ルネ・シマール
Cher Nathalie
Joyeux anniversaire!
Je vous souhaite beaucoup de
bonheur
.



 今日は七夕。でも旧暦では8月9日だそうです。

 そして、ルネの妹ナタリー・シマールの誕生日でもあります。1974年は、ルネの初来日の最中であったため、5歳の誕生日のお祝いは帰国後に行ったのでしょうか?ナタリーへのお土産として、出演番組から贈られた日本人形を選んだのでしょうか、帰国後の家族写真には、大きな日本人形が写っていました。可愛い着物も着ていましたね。
 ちなみにナタリーとは、facebookで6月21日に『友だち』になっていたようです。

▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№2より


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪j


 さて今回は、第3回東京音楽祭のプログラムより、東京ポピュラー音楽振興会会長、今日出海氏の『ごあいさつ』と、FIDOF会長、アウグスト・アルグエロ氏の『祝辞』、『世界各国から301曲』を紹介いたします。


ごあいさつ

第3回東京音楽祭世界大会の開催にあたり、まずもって関係各位ならびに、音楽を愛する皆様の絶大なご協力に深甚なる感謝を捧げます。
かえりみますと、一昨年第1回の東京音楽祭を開催しましてより、昨年そして本年と、年毎に内容の充実を果たすことが出来、文字通り私どもが念願しております、プロフェッショナルな音楽祭が築きあげられていると自負しております。
おかげさまにて、本年もこの栄えのステージを飾る曲も歌手もすべて、世界27ヶ国から301曲のエントリーから選び抜かれたベテランぞろいでございます。
私ども「東京音楽祭」はこの成果をもとに、音楽の国際交流と、音楽という世界の共通語による国際親善をますます促進していく所存でございます。どうぞ今後とも皆様のかわらぬご支援をお願い申しあげます。
終りに出場歌手の皆さんのご健斗をお祈りします。

      東京ポピュラー音楽振興会会長
            今 日出海



祝辞

第3回「東京音楽祭」が盛大に開催されたことを、まずもって心からお祝い申しあげます。
私は今年の1月に、カンヌで諏訪博理事長にお会いして、日本の音楽産業の発展と世界の音楽マーケットとの交流に寄せる熱意に深く心を打たれました。同時に「東京音楽祭」が年毎に大きく盛んになっていくのは当然だと感じました。
国際音楽祭のまとめ役を果たしているFIDOFとして、日本に「東京音楽祭」というプロフェッショナルでスケールの大きい音楽祭が存在することを誇りに思います。過去2年間の素晴らしい実績も含めて、私は今年の「東京音楽祭」から輝やかしい歴史を持つFIDOF賞を贈呈することを決めました。これによって、この音楽祭がますます発展されることを念願しております。

      FIDOF会長アウグスト・アルグエロ



世界各国から301曲

世界中で愛されるヒット曲がうまれる東京音楽祭も今年で第3回。海外27ヶ国から301曲;それぞれの国でヒットし、また、これからのヒットが期待されている曲ばかり集まりました。この中から厳しい審査を通過して世界大会に出場する21曲はまさに世界の代表、そして世界のヒットの卵といえます。29日のセミ・ファイナルで選ばれた10曲は、日本から出場する、国内大会(5月25日)でのゴールデンカナリー受賞3曲と共に、30日のファイナルで素晴らしい激戦を展開するでしょう。
海を越え、国を越えて響き合う、音楽を愛する心のお祭り;第3回東京音楽祭。そろそろ幕の開く時間です。お楽しみください。

チェコスロヴァキア 2   スウェーデン 5
ドイツ 13          ポーランド 7
オランダ 2         ハンガリー 4         
ベルギー 2         ユーゴスラビア 1
イギリス 36         ソ連 1
フランス 28         韓国 7
カナダ 17          日本 20
アメリカ 117        フィリピン 30
西印度諸島 2       シンガポール 3
ヴェネズエラ 2       オーストラリア 1
ブラジル 1         ブルガリア 3
スペイン 5         エジプト2
スイス 2           オーストリア 2
イタリア4           南アフリカ 2



 第3回は、東京音楽祭世界大会の中で1番華やかで、話題の多い大会だったのではないでしょうか。特別審査員はカムバックして間も無いフランク・シナトラにシャーリー・バッシー、ザ・スリーディグリーズ…。
 それ以上に、カナダ以外では無名に等しかった13歳の少年ルネの天使の声を、日本だけでなく世界に知らしめ、フランスやアメリカでも活動するきっかけを作ったのですから!! そして現在、インターネット上で、日本をはじめとす世界中のルネ・ファンが知り合い、交流することができているのですからね!
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シナトラの祝福をうけて

2016年07月01日 | 1回目の来日
 今日はカナダの建国記念日です。

 今から42年前の1974年7月1日、ルネがカナダ代表として出場した第3回東京音楽祭世界大会で、グランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したことを受け、ルネはカナダ大使館の建国記念パーティーに招待されました。
 ルネこの時、受賞曲『ミドリ色の屋根』と『ラ・メール』を歌いました。

▲「スーパーアイドル ルネ」の『完全スケジュール同行記』より1974年7月1日


 そして今回は、『週刊平凡』1974年7月18日号のルネの記事と、第3回東京音楽祭世界大会のプログラムよりフランク・シナトラの祝辞を紹介いたします。


シナトラの祝福をうけて…
   東京音楽祭世界大会の大賞に輝いたルネ少年

 大賞と『フランク・シナトラ賞』を併せてかちとったカナダの13歳の少年ルネ。シナトラ自身に祝福されて感激の面持ちだった。

▲左:『ミドリ色の屋根』を熱唱するルネ少年
 右:お色気満点のザ・スリーディグリーズは金賞

 第3回をむかえた東京音楽祭世界大会は、6月29日、30日の2日間にわたって、東京・日比谷の帝国劇場で開かれた。27か国、301曲の中から選ばれた21曲が第1次審査に登場。今回の話題のひとつであるフランク・シナトラが特別審査員として登場する30日の最終審査では、10歌手が残りを競った。大賞に輝いたのはルネ(カナダ)、金賞に、ザ・スリーデイグリーズ(アメリカ)、銀賞は布施明、ザ・ピーナッツ、銅賞に五木ひろし、ブレダ・ペイン(アメリカ)、パティ・キム(韓国)。外国審査員賞に五木ひろしがそれぞれ選ばれ、賞金、トロフィーを手に大喜びだった。


▲第3回東京音楽祭世界大会のプログラムよりフランク・シナトラの祝辞(右ページ)

●祝辞

日本のファンの皆様、私のカムバックに拍手と声援をありがとうございます。日本における素晴らしい国際音楽祭、第3回「東京音楽祭」の招きで、私は12年ぶりに美しい日本を訪れることができ、心からうれしく思っています。カムバックして以来私のスケジュールは多忙をきわめており、今回の特別審査員としてのお招きについても非常に調整がむずかしかったです。正直いって、音楽祭を代表して接衝に来られた渡辺正文氏、奥田喜久丸氏の熱意に動かされ、特別審査員をお引き受けし、今年の「東京音楽祭」以降フランク・シナトラ賞を制定することを、誇りとともに喜んで了承した次第です。多くの困難をのりこえて念願の訪日を果たせた私は、、今年はもちろん将来にわたって、この素晴らしい「東京音楽祭」に限りない祝福と声援を送りつづけます。
              フランク・シナトラ


●特別審査員 フランク・シナトラ

”MY WAY”をうたう歌手は、海外、国内に多くいるが、彼ほどの歌い手はいないだろうと感じさせるフランク・シナトラ。彼が今まで歩き、ころび、立ち止まり、また歩いてきた58年の日々----それがあの歌を、ひどくdramatic なものにして、人々の心をとらえるのだろう。もちろん、“MAY WAY”に限ったことではないが…彼の魅力は計りしれない。熱狂的な迎えられ方でカムバックをした昨年の夏までの2年間、シナトラが何を考えていたのかは、定かでない。そして今回の来日。12年ぶりの日本公演のその日を待つファンが全国に多い。
東京音楽祭では特別審査員として彼を招き、基準を歌唱力においたシナトラ賞を特別に設けた。この賞は彼の審査で授与される。



 祝辞では、フランク・シナトラ賞は1974年の第3回東京音楽祭世界大会以降から制定されたように書かれていますが、特別審査員の紹介文では、氏が招待された第3回のみの特別賞のようにとれます。実際、第3回以降、氏か東京音楽祭のために来日したことはありませんでしたし、シナトラ賞が授与されたこともありませんでした。wikipediaでも、ゲストによる特別賞とされ、他にはスティービー・ワンダー賞やアンディ・ウィリアム賞などがあります。

 フランク・シナトラ賞を受賞した時、実は、ルネはシナトラが誰か知らなかったということを、後のインタビューで語っています。ルネが感激の涙を流したのは大賞を受賞した時で、シナトラ賞の時は、更に特別賞を受賞した喜びだったのですね(笑)。


 今回紹介した記事は、半年以上前に入手したものでした。本当は、『ルネ記念日』のためにとっておいたのですが、第3回東京音楽祭世界大会のプログラムに取って喰われました(笑)。1日遅れたけれど、紹介できて良かったです。

 次回からは、プログラムの中の情報と1回目の来日に関する記事を紹介していきますので、お楽しみに!!

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