ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネ・シマール物語⑦13才のミリオネア

2006年10月30日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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13才のミリオネア

 ルネは現在まで、カナダで7枚のLPを発売し、合計70万枚以上のレコードを売っています。この数字は、カナダの他のどんな歌手よりも、いや、アメリカやイギリスのトップ・スターよりも、多い数字なのです!

 ごく最近まで、ルネは週1度のTV番組「ベルジェー」にレギュラー出演していました。この番組は、フランス系カナダテレビの最大の人気番組でした。

 ルネの新しい家は、イル・ドルレアン(オルレアン島)に建てられ、大きなグランドピアノや、その他の音響製品でうずまっています。この家は、ルネの小さい時から夢にみていた家なのです。パパとママ、それに他の兄弟たちが思い思いに楽しく暮らせる広い家です。

 仕事ともなれば、クローディーヌ・バチョーダニエル・バチョーという2人のアシスタントが、まるでルネの姉のように、メイキャップから、コスチュームまで、面倒をみます。この2人、バチョー姉妹は、かつては、ギー・クルティエの秘書でしたが、今は、ルネの仕事がある時には、ルネのアシスタントとして、付き人として働いています。また、カナダで、ルネの仕事場から仕事場まで移動する時は、ギーのパパが運転しています。家族的な雰囲気の中に置いて、子供をスポイルしないようにするというのが、ギーの、そして、ルネのパパの1つの心づかいなのです。

 今、ルネの勉強は、もっぱら家庭教師の手に任せられています。仕事のため、学校に行く時間がないというよりも、むしろ、家の外に1歩でも出たら、ファンにもみくちゃにされてしまうからです。考えてもみて下さい、ルネは、カナダでは、遊園地1つ行くこともできないのです。集まって来るファンが、余りにも多いために。

 目下、彼の頭を悩ませているのは、言葉。ルネは、フランス語しか話せません。来日前に特別にレッスンを受けた日本語と、耳で覚えた英語の他には。9月に、ルネは英語の勉強を始める予定です。どうして?ルネによれば「英語はビジネスの言葉なんだ、だから僕は18になるまでに完全に自分の仕事ができるように勉強しておきたいんだ。」とのことです。

 実際、カナダの法律では、18才以下の少年の権利は、法律の下に完全に保護されています。たとえば、仕事の時間と勉強の時間の割合。そして、出演料や印税も、18才になるまで、国によって管理されています。驚かないで下さい。ルネが今日まで稼いだお金、国によって管理されているお金は、2億5千万円以上にのぼります。ルネはミリオネアです。
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ルネ・シマール物語⑥他の子供たちと同じ1人の子供

2006年10月29日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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他の子供たちと同じ1人の子供

 ルネの3枚目のLPは「アナンファン・コム・レゾートル」(他の子供たちと同じ1人の子供)というタイトルのものでした。これは3月に発売されて、1週間で10万枚を売りつくし、14万枚の売り上げが記録されています。

 「ロワゾウ」のヒットは、1人の子供の生活を一瞬にして大きく変えました。テープレコーダーも、グランド・ピアノでも、欲しいものは何でも手に入るようになりました。でも、街を歩いても、レストランにいても、もう自由はありません。ファンが来ます。マネージャーが来て、次のスケジュールの打合せをします。そんな風に生活が変わっても、やっぱり彼も、他の子供たちと同じ1人の子供なのです。

 この目まぐるしい成功と、1少年のとまどいとを描いたドキュメンタリー映画「アナンファン・コム・レゾートル」が製作されたのは、1972年のことです。もちろんルネ自身がルネを演じます。ルネのステージのドキュメンタリー・フィルムを主に、ルネの歩んだシーンの1つ1つを繰り返しつづって。

 たとえば、こんなシーンがあります。ギー・クルティエが、教会で結婚式を挙げた時、集まった人々の上に、静かに、「アヴェ・マリア」が流れてきた、人々の目からは、涙がこぼれ落ち、ギーと、その花嫁の頬も、ぬれていました。この声は、天使の祝福のように会堂を満たし、人の心を、真の幸福でいっぱいにしました。ルネです。そして、このシーンは、1971年7月17日に起きた実際の出来事なのです。

 この映画は、ドゥニ・エロニーによって製作され、興行収入12万5千ドルをあげ、延べ60万人の人々がこの映画を見ました。
 この他にルネは、フランスとカナダの提携映画「ジェ・モン・ヴォワイヤージ」(僕には僕の旅がある)という映画も撮っています。この映画は、ジャン・ルフェーブルがパパに、ドミニク・ミシェルがママに扮して、ルネレジスが兄弟を演じる美しい映画です。

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 YouTubeで”Un Enfant Comme Les Autres(「普通の子供」日本公開時「ルネ・オン・メロディ」)”の映像がPart3まで公開され、私もブログで紹介していましたが、今朝その映像が無くなっていました。Part4以降を楽しみにしていたので残念でなりません。また、トップ・ページや別の記事で紹介していたカナダのファン・サイト”Au Maximum”も再びアクセス不能になってしまい、トップ・ページに書いている「今だけかもしれません。」が連続して現実のものとなって、大変ショックを受けています。これから、また何時この様なことが起こるかわかりません。私のブログにアクセスして下さるルネ・ファンの方、もし、この記事をお読みになっていて、私のリンク集からルネのファン・サイトやYouTubevideosimard、MondayBlueBBSさんに訪問されていない方は、この機会に是非アクセスして頂きたいと思います。

※過去ログより「出演映画」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/36.html
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ルネ・シマール物語⑤スーパー・アイドル誕生

2006年10月22日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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スーパー・アイドル誕生

 「ロワゾウ」は、1971年9月25日、カナダで発売されました。このレコードは大ヒット!同時に発売されたLPもまた、17万5千枚を売る記録的なヒットになりました。カナダは、人口密度の小さな、文化的にはたいへん高度でも、マスコミュニケイションについては、日本よりも、その力の小さな国です。この17万5千枚というヒットがいかに大きいか、想像がつきません。これは、ビートルズよりも、プレスリーよりも、その2者を合わせたよりも大きなヒットを意味するのです。

 12月には、ルネのクリスマス・アルバムが発売されました。このLPは、発売後わずか3週間で売り切れ。以来、ルネのクリスマス・アルバムは、カナダのベスト・セラー・クリスマス・アルバムとして、毎年発売され、新しい記録を作り続けています。カナダという国柄から、クリスマス・ソングのレコードは、毎年、通常のレコードの30%増の売れ行きを示すと言われますから、たいへんな大ヒットです。もちろんルネが幼い時からクリスチャンで、聖歌を愛し、心をこめて歌っていることも付け加えなければならないでしょう。

 この年、ルネは、「ロワゾウ」とクリスマス・アルバムのヒットで2つの賞を受けました。1つは「デクーヴェルト・ドゥ・ラネ」(今年の発見)、もう1つは「フェノメーヌ・ヴゥ・ラネ」(今年の非凡なタレント)と呼ばれるもので、カナダに於けるレコード大賞新人賞とも言うべきものです。

 また、モントリオールの有名な劇場、プラス・デ・ザールのウィルフレッド・ペレンティア劇場で、ワンマン・ショウを行い、この時には、入れないファンのため、追加興業を余儀なくされたほどでした。ウィルフレッド・ペレンティア劇場は、サミー・デイヴィス・ジュニアや、ミレイユ・マチュージルベール・ペコーが出演した大劇場で、ルネは、この劇場で歌った最年少の歌手でした。

 その他、同じくコリゼー劇場にも出演、ここでも、かつてここで公演を行った、トム・ジョーンズエンゲルベルト・クンパーディンク以上の大成功を収めました。

 このケベックでのステージ活動の成功で、ルネは翌年、2ヶ月間、カナダ中の公演旅行に出ました。モントリオールからヴァンクーヴァーまで、どの劇場も、スタジアムも、小さな女の子から、中年の人々まででいっぱい。誰もがあの可愛いルネを、レコードだけではなく実際に見たいと集まりました。
 
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ルネ・シマール物語④ギー・クルティエとルネ・アンジェリル

2006年10月21日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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ギー・クルティエとルネ・アンジェリル

 ルネ・シマールが、いかに天才であろうと、あるいは、天才であればあるほど、その才能を認め、上手に伸ばしてやる人間が必要です。ビートルズに、ジョージ・エプスタインという巨人がいたように、ルネの成功の物語にも欠くことのできない2人の人物がいます。それが、ギー・クルティエルネ・アンジェリルです。

 ギー・クルティエは、プロモーターとして数人のアーティストを扱っていました。ルネ・アンジェリルは、ギーの10年来の友人で、それ以前の12年間というもる、名の通ったコメディアンでした。2人はその頃、共同で経営する新しいレコード会社を企画していました。有能なごく少数の、信頼できる人間だけで良い音楽を創っていくという、若い理想です。ギーとルネのコンビは、この事業を始めるのに最適でした。プロモートのベテランであるギーと、自分自身アーティストであるルネ。2人の理想は、ルネ・シマールという天才を発見することによって実現するのです。

 ルネ・シマールが、ケベック市のアマチュア歌手のコンテストに優勝して間もなく、ケベックの人気テレビ番組から出演の話が来ました。これもまた、コンテスト形式のもので、ルネは15週間、この”テレ4”という番組で勝ちぬき、優勝したのです。

 この番組を見ていた人の中に、ギー・クルティエの母親がいました。ギーの母親は、ブラウン管の中の少年の歌に感動して、涙さえ浮かべている自分に気づきました。そして、すぐに息子のギーに電話をかけたのです。”私はおまえの仕事は、よくわからないけど、おまえが音楽の仕事をしているんなら、どうして、あんなにきれいな声の、あんなに歌の巧い子と契約しないの?”

 ギー・クルティエが、この母親のアドヴァイスで、ルネ・シマールを訪ねたのは翌日のことでした。同じテレビ番組を見た10人以上のプロモーター、レコード会社、エージェントの人間が、ルネ・シマールを囲んでいました。ギー・クルティエは、ルネの保護者であるパパのジャン・ロックに説明しました。自分たちの理想と信念とを。そして、ここでもルネのパパは、ギーの眼の中の真剣さの前に、ルネをギーにまかせることに決めたのです。

 ギー・クルティエと、ルネ・アンジェリルのレコード会社は、ノーベル・レコードと名づけられました。これは、ノーベル賞のノーベルから取った名前だと言われ、ここにも2人の、世界のマーケットを対象とした仕事への姿勢がうかがえます。実際、このノーベル・レコードは、現在、カナダのレコード会社の中で、外資系の会社を除けば、ナンバーワンになりました。

 ルネ・シマールの最初のレコード「ロワゾウ」(鳥)は、こうして、ノーベル・レコードによって製作されました。

※コメディアン時代のルネ・アンジェリルの映像をご覧になりたい会はこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=ZsdXwpxXVI0&mode=related&search=
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ルネ・シマール物語③パパの病気

2006年10月20日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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パパの病気

 パパが病気になったのは、ルネが7才の時でした。パパの病気はぜんそくでした。現在は良くなったものの、その頃はひんぱんに起きる発作のため、ほとんど働くことはできない状態でした。このため、もちろん一家の生活は苦しいものになり、まず、それまで借りていた、大きな二階建ての家から、ケベック市内の小さなアパートの地下の4部屋に移りました。姉さんたちも働きに出ました。でも、何と言っても食べざかりの子供が7人。国からの保助や、姉さんたちの仕事だけでは食べるだけがせいぜいです。

 ルネと1つ年上のレジスは、小遣いかせぎのために素晴らしいアイデアを思いつきました。それは、歌うことです!ケベックの街の小さな酒場には、夕方ともなれば、丁度、ロンドンのようにたくさんの仕事帰りの人々が集まります。そして、お酒を飲んだり、話し合ったり、歌ったり、そんな憩いの一時を過ごす習慣があるのです。
 8才になったルネが歌を歌い、、9才のレジスがギターを弾いて、たくさんの拍手と、新しいレコードを買うお金を獲得しました。この時ルネは、決心したのです。歌手になることを。
 それまでのもうひとつの憧れは、世界一流の建築家になることでした。きれいな自然の木材と、新しい科学的な材料を使って、楽しい生活のできる家を、楽しい音楽の聴ける劇場を造れたら・・・・それが彼の夢でした。でも、建築家になるにはたいへんな学資が必要です。その時のルネには、パパの病気のために、自分の夢をかなえてゆくことがいかに不可能であるかがわかっていました。

 大好きな歌を歌って、人々に楽しんでもらって、それでお金が稼げたら、こんなに素晴らしいことはありません。”そうしたら、パパとママに、ぼくが思っているような新しくて、素敵な家を建ててあげられるかもしれない。”ーー小さなルネは、こうして決心したのです。

 ルネは、大きな野心を抱いて歌い続けました。最初は酒場で歌うことは、パパにもママにも秘密でした。ところが、いつしかその”天使の声”は、ケベックの評判となり、二人の耳にも入ってしまいました。パパもママも驚いて、ルネとレジスをやめさせようとしました。でもルネは、自分の固い決心を、はっきりと言いました。これは、子供の好きなお菓子のように、甘くてもろい夢ではありません。人間が一生に1度か2度しかすることのない、真剣な決意なのです。もう、ルネの選んだ道は、誰も変えることはできません。パパもママも、そして他の兄弟たちも、次第にルネを応援するようにさえなりました。

 どこの都市でも、最近は、アマチュアのコンテストが多く行われていて、それは、歌手になるためのひとつの権威ある登竜門であり、また、実際たくさんの歌手が、そんなコンテストから生まれています。
 ケベック市のアマチュア歌手のコンテストも、そんなコンテストのひとつとして定評のあるものでした。ルネとレジスは、このコンテストに出場し、最終予選まで残りました。そして、最後に優勝したのは、ルネでした。8才の時のあの決心をして、1年余後のことです。

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