ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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Le gamin de l'île

2021年08月21日 | ルネの仏語の歌

  残暑お見舞い申し上げますsoftcreamkakigoorisuika


 暦の上では秋とはいえ、まだまだ暑い日が続いておりますが、ルネ友の皆さまにおかれましては、お元気でお過ごしでしょうか。


 8月24日から9月5日までの13日間、東京パラリンピックが無観客で開催されます。

 1976年に開催されたモントリオール・オリンピックでは、ルネが仏語と英語で歌ったモントリオール讃歌」がリリースされました。それについてはカテゴリ『モントリオール讃歌でご覧ください。

※カテゴリ『モントリオール讃歌
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive

 東京オリンピックの開催に合わせ、facebookで1996年に放映されたモントリオール・オリンピックについてのルネのインタビュー映像が紹介されました。その内容については、”Passion Simard”のGiseleさんから教えていただいた概略に、ルネ友のmomoさんのリスニングの内容を加えておりますのでご覧ください。なお、紹介する映像は、当ブログのみの無収益、限定公開ですので、ご承知おきください。

 Giseleさん、momoさん、ご協力ありがとうございましたsymbol1



<インタビューの概略>
 ルネは、1996年に行われたこのインタビューで、オリンピック開催中、彼に「モントリオール讃歌 Bienvenue à Montréal」を歌うように依頼したのは、モントリオール市長のドラポー氏だったと言っています。 ルネはモントリオール市を歩き、この街について話しています。 フランスでは、ルネを見たとき「Ah la jolie demoiselle(ああ、可愛いお嬢さん)」と言った男性がいて、「モントリオール讃歌」を(男性の声で)歌ったら驚いたそうです。ルネは、どこへ行っても、ルネが歌う「モントリオール讃歌」が聞こえ、それが面白いと思ったと言っています。 彼はオリンピックでは歌わず、会場にも行きませんでしたが、テレビで観戦するのが好きだったそうです。

 こちらは私が作成した「この旗の下で」のYouTube映像です。一緒にお楽しみいただければ幸いです。



 コロナ渦に無観客で行われた東京オリンピックでは、たくさんの感動が有り、アスリートの方たちから元気と希望をいただきました。

 しかし、緊急事態宣言が出されている東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府、沖縄県の1都1府4県に加え、20日から緊急事態宣言が出された茨城県、栃木県、群馬県、静岡県、京都府、兵庫県、福岡県の1府6県、それに、20日以降、「まん延防止等重点措置」が適用される1道15県の、合わせて29都道府県のすべてで、最も深刻な「ステージ4」に相当する項目が複数あります。

 パラリンピックもお家観戦により、一人ひとりが自覚を持って、コロナの感染拡大に歯止めをかけましょう!

  ▲千葉真一氏とルネ、ちょっと似てるでしょう?

 そして、感染力の高いデルタ株に置き換わったことにより、感染拡大に歯止めが利かない状態が続いています。去る8月19日俳優の千葉真一さんが82歳で、新型コロナウイルスによる肺炎のため千葉県・君津市の病院で亡くなりました。
 私は、「キーハンター」の頃からずっとファンでした。日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツもカナダのファン・クラブも閉鎖されてしまった後、JAC(ジャパン・アクション・クラブ 現JAE FACTORY)ファン・クラブに入会していました。とても悲しいです。

 facebookでは、“JJ Sonny Chiba”の通称で活躍し、クエンティン・タランティーノ監督やキアヌ・リーブス、サミュエル・L・ジャクソンら多くの有名俳優から敬愛されていた彼の死を、REDIO-CANADAで報じた記事が投稿されています。

※”La légende du cinéma d'arts martiaux Sonny Chiba meurt de la COVID-19 武道映画の伝説、千葉真一がCOVID-19で死去”参照
https://ici.radio-canada.ca/nouvelle/1817894/legende-japonaise-cinema-arts-martiaux-mort-sonny-chiba?fbclid=IwAR1m5obcVBjQb3uITaiVaRGLXbCEzDFvUHJ5nCRraYKcPhk3Va-u-12ExAw

 千葉真一さんご冥福をお祈りいたします。



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 8月も後半に入りました。〇〇年前に新婚旅行でflag11カナダに行ったのもこの時期。 ケベックシティオルレアン島観光が一番の想い出ですsymbol1 もちろん、オプショナル・ツアーの現地ガイドさん(『長田ママ』と秘かに呼んでいました 笑)にお願いして、ルネの『船長の家』にも連れて行っていただきましたsymbol1
 
 そして今回紹介いたしますのは、ルネのファースト・アルバム”L'oiseau-鳥-”の5曲目に収録された”Le gamin de l'île島の少年”です。「島の少年」は、ルネの兄レジス・シマール作詞によるオリジナル曲で、日本のファースト・アルバムにも収録されています。


 ちなみに、ルネ友のみなさまもご存じのとおり、曲名の「」は、ルネがデビュー前後に住んでいた、ケベックシティのオルレアン島のことです。

▲バシャン姉妹の本より

 ルネはシクーティミのサグネィで生まれましたが、その後ケベックシティのオルレアン島セント・ペトロニーユ村にある『白い家』の2階に移り、パパが喘息を発症してコックの仕事が出来なくなった時は、ケベックシティ、サビニエール・ドリオン通りのアパートの地下4部屋で市の生活保護を受けながら生活していました。デビュー後購入したのがオルレアン島セント・ペトロニーユ村の『船長の家』。ルネがまだ『白い家』に住んでいた時売りに出されており、教会と学校に通う途中にありました。



 ルネと兄レジスのデュオによる「オルレアン島の2人の少年という歌も有ります。歌詞は過去ログでご覧ください。ちなみに、妹ナタリーが生まれたのは『白い家』です。

▲『白い家』:左はルネのデビュー25周年記念誌に掲載 映画『Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供(ルネ・オン・メロディ)』の一場面より

▲ルネが通った学校(左 『月刊明星1974年10月号』の特集記事より)とセント・ペテロニーユ教会(右)

▲『船長の家』:右の集合写真はジャンロック氏の本より


※過去ログ「島の少年”Le Gamin De L'Ile”」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/66.html
※過去ログ「オルレアン島の2人の少年」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/485.html
♪René Simard "L'oiseau" Face 1
https://www.youtube.com/watch?v=LVOtw3bzP3Q



 「島の少年」は11分43秒からです。歌いやすい曲なので、ルネと一緒に歌って楽しんでくださいねsymbol1


 ル ガマン ドゥ リル
Le gamin de l'île

ジュ スュイ ザン ガマン アンスュレール
Je suis un gamin insulaire
キ ポッセドゥ  ル ドン ドゥ リール
Qui possède le don de rire
コネッサン  タン プー ラ ミゼール
Connaissant un peu la misère
オッスィ ジュ コネ ス ケ ヴィーヴル
Aussi je connais ce qu'est vivre

ジェム ラ ヴィ エ トゥー セ ボヌール
J'aime la vie et tout ces bonheurs
ジュ スュイ トゥロ プティ メ グランドゥ フォワ オー クール
Je suis trop petit mais grande foi au coeur
ジュ ヴー マ リベルテ メ ジュ ヌ ラ コネ パ
Je veux ma liberté mais je ne la connais pas
メ ゾー フォン ジュ セ ビヤン ク ジュ ドワ ルトゥルネ
Mais au fond je sais bien que je dois retourner
ア マ ヴィ ドゥ ガマン
À ma vie de gamin

ジュ ヴァガボンドゥ パルミ レ ボワ
Je vagabonde parmi les bois
アヴェック デ ザミ ドゥ モ ナントゥラージュ
Avec des amis de mon entourage
ケルクフォワ   イル マリーヴ ドゥ グランドゥ ジョワ 
Quelquefois il m'arrive de grandes joies
ジュ マン ヴェ カンペ アン グラン ガルソン
Je m'en vais camper en grand garçon

セ   コ  ミュヌ リベルテ ドゥ ガマン
C'est comme une liberté de gamin
ジュ サン ダン モン クール ラ ジュワ ダン バラダン
Je sens dans mon coeur la joie d'un baladin
ジュ スュイ ズールー ドゥ セ ボー ソワール デテ
Je suis heureux de ces beaux soirs d'été
メ  ヴォワラ ジュ レーヴェ オー ゼスポワール ダン プティ ガマン
Mais voilà je rêvais aux espoirs d'un petit gamin


島の少年

僕は島の少年
楽しむことの天才さ
辛いことだって少しは知ってるよ
だから生きることが何なのかも知ってるんだ

僕は人生とすべての幸せが好き
僕はとても小さいけれど 心には大きな信仰がある
自由は欲しいけれど それが何なのかは分からない
でも結局 戻らなければならないことも知ってるよ
子どもである僕の生活に

僕は森の中を彷徨い歩く
取り巻きの友だちと一緒に
時々 大きな喜びが起こる
僕は一人前の男としてキャンプするつもりさ

これは子どもの自由時間のようなもの
旅芸人の喜びを心に感じる
心地よい夏の夜は幸せ
だけど僕は 少年の希望を夢見たんだ



島の少年

僕は島の少年
僕はいつも笑っている
貧しさも少しは知っているさ
だから生きる楽しみも知っているんだ
生きていて幸せなんだ、楽しいんだ
僕はまだ小さいさ
でも、時々
遠くへ行きたくなるんだ
自由を知りたくなるんだ
でも、僕は知っている
少年の時が一番いいことを
友達と森を歩いたりキャンプをしたり
これは子供の喜びさ
僕は旅人
涼しい夏の夜僕は幸せさ
ただ僕は少年の夢を持つんだ



ルネと兄レジス・シマール(『月刊明星1974年10月号』の特集記事より) ちなみに、この記事の取材が行われた1974年よりも以前から、シマール家はオルレアン島に住んでいませんでした


 余談ですが、”Je suis trop petit mais grande foi au coeur”の部分を訳していて思い出したことがありました。
 それは、当時ALFAレコード側の通訳だった道上雄峯氏が、『スーパーアイドル ルネ』の『完全スケジュール同行記』で書かれていた、6月27日(木)17:00、東京プリンスホテルのプロビデンスホールで行われた記者会見でのことです。

 『記者会見の席で、ルネは短いフランス語のメッセージを言いました。フレダ・ペインやスリー・ディグリーズ、マリー・トラヴァースなんかに囲まれて、「僕はこんな立派な人達ほど大スターではありませんが・・・・・・」と言う意味の社交的なメッセージでした。ところが音楽祭事務局の通訳嬢が「私はこの人達よりも背は小さいけれど・・・・・・」と訳して、ルネ自身の言葉が伝えられなかったことが、とても残念でした。』

 ここでは、『petit,e』が『背が小さい』と訳されたことが推測されます。しかし、『小さい、幼い、未熟な』などの意味もあるので、”Je suis trop petit”を、最初『僕はとても幼い』と訳したのですが、それに続く”mais grande foi au coeur”で反意語の『grand,e』(大きい、背の高い、大人になった、一人前の、重要な、偉大な)が使われているので、『僕はとても小さい』にして、『grand,e』を『心に大きな信仰』としました。また、”grand garçon”の方は、『大きな』ではなく、『一人前の』と訳してみました。ちなみに”garçon”は、『男の子、少年』以外にも、『青年、、息子、ウェーター、店員』等の意味があります。

▲教会のルネ 右:『月刊明星1974年10月号』の特集記事より 右:レジスと聖歌隊の衣装を着て

 また、『foi』は『①信仰、信念、信条 ②信頼、信用 ③誓い、誓約』の意味です。シマール家は、パパが教会の聖歌隊のリーダーをしたり、ルネが聖歌隊のソリストとして歌うなど、敬虔なクリスチャンですから、私は『信仰』と訳しました。

 それから、歌の冒頭の”Je suis un gamin insulaire Qui possède le don de rire”は、直訳すると『僕は楽しむこと(笑うこと)の才能を持っている島の少年です』なのですが、『僕は島の少年 楽しむことの天才さ』と訳してみましたがいかがでしょうか?

 最後まで訳してみて、この曲は、島に住む自由を夢見る少年が、夏休みに家族から離れて、友だちと一緒にキャンプを楽しみながら、自分自身のことや、自分が望んでいることについて考えをめぐらせている歌なのかな?・・・と思いました。仏語に堪能な方、是非アドバイスをお願いいたします!!

 ファースト・アルバムの歌詞カードの訳詞も紹介しました。私の訳詞はほぼ直訳なので、参考にとどめていただければ幸いです。



     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 ルネが初めて主催したGARA comediHa!が、去る8月19日午後8時に開催されました。日本時間では20日の午前8時頃?!
 facebookのルネの公式サイト等で公開されましたら次回紹介いたします。ちなみに下の記事は”René Simard ou l'art de durer”より抜粋したものです。

※”René Simard ou l'art de durer”参照
https://www.msn.com/fr-ca/actualites/saguenay-lac-saint-jean/ren%c3%a9-simard-ou-lart-de-durer/ar-AAN4bOH?ocid=sf


 このイベントは、ケベック州議会議事堂で開催されました。 ウェブサイトcomediha.tvのオンラインで参加することも可能でした。

 「パンデミックのせいで、長い間ステージを行っていなかったので、とてもエキサイティングだと思います。 さらに、観客は250人ではなく500人がいることを知りました。」と彼は開催前に述べていました。
 「私に関する限り、たくさんの音楽があります。大掛かりに行うので、8月18日と翌日の日中の使用を許可されました。 もちろん、それは確かに、私の50年のキャリアと60年代における問題になるでしょうし、この種の運動をするためには、ユーモアのセンス、自虐の感覚が必要なので、私はそれについて笑いたいのです。

 彼は、健康危機のために、人々はこれまで以上に娯楽を必要としていると信じています。 「誰もが疲れています。 私も。 そして、この奇妙な時期に、私たちは正しい理由で笑いたいと思います。」と、台詞に対する拒否権を要求し、取得したComediHa!のゲストは言いました。

 なぜこれが必要だったのですか?
 そのまま提示するように、関係者本人から返答しました。 「私はキャラクターを演じたくありません。 私は自分自身でなければなりません。」とルネ・シマールは言いました。ショーは彼を中心としていないこと、それはいくつかの形のユーモアが共存する集合的なプロジェクトであると付け加えました。


▲VIP Passion Simardの最新投稿より

 


※Un gala varié et à son image
https://www.journaldequebec.com/2021/08/19/un-gala-varie-et-a-son-image?fbclid=IwAR2pEduVSYxvJciTqnuGXRnzmXunyfAvUyRgjUfURbDD9o8y7r7_LMD5ct4

※YouTube”Gala ComediHa! 2021 de René Simard”
https://youtu.be/znVgc8KXFmk

 実は、このイベントのYouTube映像は、comediHa!からの著作権侵害の申し立てにより、投稿後1日でブロックされてしまいました。当ブログで紹介したものも現在観られません。

 どんなショーになったのかは、facebookに投稿されたJournal de Quebecの記事を上のリンクでご覧になってくださいねsymbol1


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