ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネ・ファンが歩んだそれぞれの道

2007年07月29日 | ルネ依存症の日々
 当ブログにいらしてくださる日本のルネ・ファンの皆様は、それぞれがルネへの思いを大切にもち、インターネットで検索してたどり着かれた方たちです。
 現在は、インターネットの普及と共に、充実してきたルネの情報を得ることが出来ます。さらに、しゃむねこさんのサイトでカナダのルネ・ファンの方たちとも交流出来るのですから、便利な世の中になったことに感謝しなければなりません。

 しかし、ルネの来日が無くなった頃はインターネットなんて無かったし、私たちも幼かった。だから、カナダやアメリカのルネの情報を得ることはほとんど出来なかったし、当時の芸能雑誌に小さな記事でも載らないか、テレビの歌謡番組で取り上げられないか、出来る限りアンテナを高くして、ルネの情報を待ち望んでいるのが精一杯でした。そして、「今夜だけ復活!栄光のアイドルスター達」の様な特集番組があると、必ずチェックしていたのです。

 ところが、しゃむねこさんのサイトで、ローラさんと交流する中で知ったのですが、同じカナダでも、ケベック以外でルネのアルバムや雑誌を手に入れることは大変難しかったそうです。過去ログで紹介した特集番組でのルネ・アンジェリル氏のインタビューにもあったように、ルネの住むケベックは英語を話さないので、英語圏のカナダでは全く活動していませんでしたから、ケベックで記録的なヒットを出しても、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞して全世界に知られるようになるまでは、日本で巻き起こったルネ・ブームほどには、カナダ全土で知られなかったようです。ですから、ローラさんが雑誌でルネに初めて出逢った1972年頃は、英語圏のカナダのファンがルネに関するものを手に入れることは本当に大変で、ルネがトロントに来た時には、ローラさんが持って行ったルネのアルバムを、英語圏のプロモーターでさえ初めて見たというくらいだったそうです。

 そして、日本のルネ・ファンも、ルネの来日が無くなった時、冷めていないファン熱の行き場を失っていきました。
 しゃむねこさんや私の様に、ラッキーにも、カナダのルネ・ファン・クラブに入会したり、カナダの情報やアルバムを手に入れたり、来日の際に会いに行けるファンばかりはいませんでした。ですから、間違った情報で悲しい思いをするファンもたくさんいらしたと思います。

<乙姫さんの場合>
 何を隠そう私には悲しい思い出があります。
 シマ姉さんのブログでルネが今でも活躍をしていることを初めて知った事は、前にもお話したと思いますが、なぜ私が長年ルネはもう引退をしたと思い込んでいたかというと、1980年に知り合いがカナダにホームステイに行くというので、私は赤毛のアンの原書(私は赤毛のアンのファンでもあります)とルネのレコードを買ってきてもらうように頼んだのです。しかし、知り合いはアンだけを私に手渡してこう言ったのです。
「モントリオールのレコード店の人が言うには、彼の時代は終わったらしい。」

 その時の私のショックといったら!!

 でも、当時、男のアイドルって、今と違って短命だったんです。荒川務しかり、あいざき進也しかり。フィンガー5の晃のことも頭によぎり、19歳、ボーイソプラノでなくなっているであろうルネがもう歌手活動をしていない事を、私はあっさり信じてしまったのです。

 そして、26歳のとき赤毛のアンの故郷を訪ねるカナダ・プリンスエドワード島に行く機会があり、モントリオールにも立ち寄ったのですが、私はあのガセネタのお陰でレコード屋さんに行くこともしませんでした。・・・涙



 私もそうですが、しゃむねこさんも乙姫さんも、ルネと「ミドリ色の屋根」に魅了されてファンになり、それぞれがルネへの想いをずっと大切にしながら33年を過ごしてきました。そして、ここに来てまた、それぞれの想いを胸に、それぞれに出来る方法を見つけてファン活動を再開しているのです。
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初恋はルネ・シマール

2007年07月28日 | ルネ依存症の日々
♪みんながルネに恋してる

 先日ネット・サーフィンでたどり着いたブログの管理人さんが、私のコメントの返事に「ルネが初恋でファースト・キスの相手(ポスターとですが)」と書いていました。
 また、日本で活動していた頃のケベックでも、『ルネに恋していない女の子なんていない』というくらい、ルネは人気があったそうです。もちろん女の子だけでなく、幅広い年齢層から指示されていたことは言うまでもありませんが・・・・。
 かく言う私も、ルネに恋した(もちろん現在進行形です。ただし恋と結婚は別。笑)日本のファンの一人です。そして、私のブログにたどり着くルネ・ファンの方々も、多分そうなのだと思います。

♪「日本のルネ・ファンはディープだよね!」
                  by やんばるQ


 この言葉は、やんばるQさんとPassionReneSimardAuJapon入会の件について電話で話している時に、彼女から出た言葉です。
 これは、ルネ・ファン活動をしている私やしゃむねこさんだけに向けられた言葉ではありません。当ブログや掲示板に集う方々や、ルネについてブログで記事を書く人達を初めとするルネ・ファンに向けられた言葉なのです。
 ルネの日本での活動は、来日がたったの4回(!)。そして、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した初来日の1974年6月26日東京音楽祭世界大会最終決勝は6月30日)から、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」が閉鎖する1976年8月までを日本での活動期間と考えるなら、約2年と1ヵ月の活動スプリング・コンサートを行った4度目の来日の後は、ファン・クラブが閉鎖するまでの1年以上来日はなく、レコードが発売されるのみ。その後33年間、ほとんど来日のない外国の歌手をずっと好きでいられるのですから・・・・というのが、やんばるQさんの見解。そう考えると、確かに日本のルネ・ファンはディープですよね!
 ちなみに、私が考える日本での活動期間の後は、第12回東京音楽祭世界大会に特別ゲストとして招待された時と、YouTube映像の番組「今夜だけ復活!栄光のアイドルスター達」に出演した26歳の時、そして「エルヴィス・ストーリー」のプロモーションで来日した時くらいしか、日本には来ていません。ルネが出演して「ミドリ色の屋根」を歌った、明石家さんまのバラエティー番組「明石家多国籍軍」は日本から取材に行って収録したもの。「エルヴィス・ストーリー」で来日した頃、ルネの話題が取り上げられた番組も、取材無しで制作されたものらしいですし・・・・。この他にルネが来日した、または出演した番組をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください!!


♪初恋の想い出は永遠に

 何故これほどまでにルネ・シマールが日本のファンから思われ続けているのでしょうか?
 まず考えられるのは、圧倒的な歌唱力で魅了した第3回東京音楽祭世界大会での衝撃的なデビュー。その当時の私は、外国の歌手に一切興味がありませんでしたが、ルネに出逢ってから日本の歌謡界が色褪せて見え、ルネが出演する時以外、歌謡番組はほとんど見なくなってしまいましたから・・・・。
 そして、日本人好みの可愛らしい容姿。私はずっと、『マーク・レスターのような美少年でもなく、西城秀樹のように男らしくないけれど』というルネに対して何かの記事に書かれていた言葉に惑わされてきましたが、ルネを『花のような美少年』とか、先日コメントをくださったどかんさんのように、『天使がいたらこんな感じ』、『今見ても、うっとりする美少年』と評価していらっしゃる方々がたくさんいらっしゃることをネットで知って、30年以上経って、私の審美眼は狂っていなかったと認識しています(当時は、他の人と私は感覚が違うのだと思っていました。笑)。
 そして、私を含めた、現在もファンでいらっしゃる方々がみんな、感受性豊かで多感な時期の少年少女であったこと。また、初恋が特別であるように、ルネへの想いが、初恋にも似た、心の中にしまっている大切な思い出だからなのです。

♪国境を越えて、この想いを共有しましょう!

 当ブログのゲストさんのしゃむねこさんが、ルネ・ファンのコミュニティサイト”PassionReneSimardAuJaponを開設したことは、過去ログで何度も紹介してきました。昨日、当ブログの常連さんのやんばるQさんと乙姫さんがメンバー登録をし、日本人メンバーが4人になりました。
 乙姫さんの入会希望のメッセージの中に、『前から入りたかったのですが英語や仏語ができないと無理なのではないかと思っていました。』とありました。このサイトは、日本人は日本語で、カナダの方は仏語や英語でメッセージを書いても、しゃむねこさんが全部3カ国語に訳してアップしてくださいます。ですから、言葉の壁はありません
 また、日本のファンが、ルネのカナダやアメリカ、フランスでの活動について知りたいのと同様、カナダのファンの方は、日本での活動について知りたいと思っています。さらに、別々にファン活動やサイト管理をしていた方々が、しゃむねこさんのサイトを通じて交流するようになっているので、記事を読むだけでも、私たち日本のルネ・ファンが知らなかったルネに出逢えます。もちろん、しゃむねこさんのご苦労ははかり知れませんが、3カ国語で交流出来る画期的なサイトですので、私が当ブログでリンクしているサイトのシャンタルさんやエリーズさん、「ルネと私」のローラさん等に、どんどんメッセージを送って交流していただけますよ。
 是非、国境を越え、言葉の壁を越えて、同じルネ・ファン同志がこの想いを共有し、共感し、交流し合っていこうではありませんか!!


 なお、しゃむねこさんのPassionReneSimardAuJaponへの入会希望の方は、リンク集からアクセスしていただくか、私の掲示板「ルネ・シマール日記」の「シマ姉BOX」に入会希望のメッセージとメール・アドレスを入れていただければ、しゃむねこさんから招待状が届きます。リンク集から直接アクセスする方も、当ブログから紹介された方も、入会時にはGoogleにログインする手続きが必要になりますので、よろしくお願いいたします。
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ローラさんの「ルネと私」

2007年07月23日 | ルネ・ファン・サイト&ブログ
Bon Aniversaire, Marie-Josee!
作日、7月22日はルネの妻マリー・ジョゼの誕生日でした。


 そして今回は、しゃむねこさんのルネ・ファンのためのコミュニティサイトPassionReneSimardAuJapon”の「ルネと私」に寄せられたローラさんの話を紹介いたします。日本のファンが知らないルネのことも出てきますよ!


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

     ♪ローラさんの「ルネと私」ストーリー♪
                  (しゃむねこさん訳)

 こんにちは。
 私は、1972年からずっとルネのファンでいます。 1970年代には、ルネに会う事もできました。 ルネだけでなく、ルネの家族シマール家の人たちのファンです。フランス語が、あまりできなくてごめんなさい。 (私はイギリス系のカナダ人のルネのファンなので)

 子供の時には、よくルネの日本語の歌を歌っていました。 (ちゃんとルネの唄う日本語のようだったらいいのですが・・・・。定かではありません!)

 ルネは、1975年にアメリカで、マイク・ダグラス・ショー(午後のトーク番組) に出演して、そのとき唄った歌は全て日本語の曲でした。 それは、フランス語版では、"Attends moi quelques annees"という曲でした。 この曲はルネの日本でのベストヒットというアルバムに入っていると思います。
(「君のすべてがほしい」のことです。)
※過去ログより
「君のすべてがほしい」の歌詞はこちらで。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/104.html
「”君のすべてがほしい”仏語版紹介」
<ahref="http://green.ap.teacup.com/rene_simard/137.html">http://green.ap.teacup.com/rene_simard/137.html

 この番組の中でルネは、この曲のことを 「恋人がボクから去っていってしまうけれども、ボクはその事を理解している/なっとくしている」 という内容だと説明していました。この番組では、ルネの日本でのことを特集した内容でした。

 1975年に、CBC Canadaで放映されたルネの特別番組、Rene Simard Au Japon”(日本でのルネ)は 日本では放映されたのでしょうか。
 内容は、ルネが東京音楽祭で大賞を得て、カナダに戻ってくる内容でした。 そのいくつかのシーンは、YouTubeなどでも見つける事ができます。

 それでは、よろしくおねがいします。
                       ローラ


 これから、もう少し70年代のルネについてお話していきたと思います。70年代の半ば、クロデイーヌバチョーさんは、私達ファンの子たちに、 「ルネが仕事をしているときには、ルネに近寄らないで!」といってたびたびルネから私達を遠ざけようとしていました。けれども、ルネは時間をみつけては、いつもファンと一緒に過ごそうとしてくれたのです。
 そのほか、覚えていることの一つに、ルネがトロントの通りを歩いている時に、ファンの集団がルネの後について歩き始めした。そしたら、クロデイーヌの妹のダニエルがルネに、「もう、あなたとは、一緒に外にランチに出かけたくないわ!」と言ったのです。(笑)ファンの集団がルネのあとをつけたからです。(笑)

 ときどきルネは、私達ファンと、写真を撮ったりサインをしたりしないで、リラックスしてお話だけすることが好きでした。それも楽しかったです。
 私は、2年ぐらいの間ルネと親しい時間をもてたラッキーなファンの数人の一人にすぎません。

 ルネのロサンジェルスのペントハウスの住所も私達ファングループは持っていました。クロデイーヌがそれを見たとき、どうしてその住所を手に入れたのか?それは、ルネの居住している住所だと言いました。けれども、考えてみてください。そのとき私達はみんな子供で遠いロサンジェルスになど行けるはずはなかったのです!

 以前メールでお話ししたと思いますが、ルネは、よく私のルネのレコードアルバムジャケットにサインをしてくれ、そのときには、ルネの自分の顔にヒゲを描いたりしていました。(爆笑)ですから私は、ルネのヒゲの絵のコレクションを持っています!パスカルのアルバムジャケットのヒゲはとくによく描かれていますよ。(笑)

 ルネは、一番よく出来たアルバムは、"The Disciples de Massenet at the Notre Dame"と私に言ったことがあります。これは、ルネがFernandoのアルバムを出していた時のことです。それからルネがとても喜んでいた時は、ポールアンカの「ダイアナ」と"Put Your Head on My Shoulders"をレコードに録音する許可をもらったときでした。

 ルネに質問したいと思うことの一つは、どうして "Merci Ma Chance"や、"Baby Blue" (フランス語と英語版)、"Welcome to Montreal"(そしてそのフランス語版)などの曲をLPレコードに入れなかったのかということです。もしかしたら、入っていたのかもしれませんが私はその記憶がありません。私が持っているその曲はすべてシングル盤のレコードです。これらの曲は、ルネが変声期になる前のものです。

 私が見たかったと思うルネのテレビ番組は、アメリカの放送局の、"Rene and the Proteens" (ルネと(13歳の)仲間たち)です。これは、カリフォルニアで撮影されたものでカナダのネットワーク放送局は、この番組を購入しなかったのでカナダで放映された事はありませんでした。ルネはこの貴重な番組のコピーを所持しているのでしょうか。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 ローラさんの「ルネと私」は如何でしたか? しゃむねこさんのサイトでは、カナダのファンの方たちの貴重な話や画像が見られますよ。これをお読みのルネ・ファンのあなた! 是非メンバーになりましょう! そして、カナダのファンの方たちと交流しようではありませんか!

 しゃむねこさんのサイト”PassionReneSimardAuJapon”へはこちらからどうぞ。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/141.html

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「モントリオール讃歌」に日本語詞が存在した

2007年07月22日 | モントリオール讃歌
 今から31年前の1976年7月21日、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲モントリオール讃歌(英語版)」が日本で発売されました。

 モントリオール・オリンピックについては、過去ログで何度か取り上げてきました。1976年7月17日(日本時間18日)開会式、8月1日までの期間で開催されたこの大会は、波乱含みの問題が多い大会だったことは記事に書きましたが、当時ルネだけを探してテレビにかじりついていた私には知る由もありませんでした。

 7月18日早朝、ルネが開会式で「モントリオール讃歌」を歌うところが見たくて、一時もテレビから目を離さず食い入るように見入っていた私。しかしルネの姿は、大会期間中1度もTV画面に映し出されることはありませんでした。
 そして迎えた7月21日の発売日。予約を入れていた店に自転車を飛ばして買いに行き、ドキドキしながらレコードに針を落としました。ルネの声はどんなだろう? 「去年の夏」の変声した声を聴いた時の衝撃が甦ってきて、針を落とす手がちょっと震えました。軽快で爽やかなイントロ。そして聞こえてきたルネの声は変声前の声。高音も冴えわたり、私はしばしルネの声に酔いしれたものでした。しかし、それ以降、ファン・クラブは閉鎖、ルネのレコードも発売されることはありませんでした。

 それから更に月日が過ぎ、幸運にもルネのデビュー25周年記念のCD集を手に入れることが出来た時、ヒット曲集の中に「モントリオール讃歌」が選曲されていないことに疑問を持ちました。そして、そのことは、カナダのファンの方たちも同様でした。何故この曲がシングル・カットのみで、アルバムに収録されなかったのか? また、あえてヒット曲集に収録しないのか? しゃむねこさん情報では、MuseeSimardのシャンタルさんが、機会があったらそのことを直接ルネに聴いてみることになっているのですが、モントリオール・オリンピックにおけるカナダの国家的、政治的な問題が絡んでいるような感じがして・・・・★ ルネには罪はないのに、きっと大変な思いをしたのだろうと思うと心が痛みます。

※過去ログより
「変声期とオリンピックとドーピング疑惑」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/16.html
「モントリオール讃歌①」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/114.html
「モントリオール讃歌②」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/116.html
「モントリオール讃歌③」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/117.html
「モントリオール讃歌④」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/118.html
「モントリオール讃歌⑤」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/119.html

 ルネの記事の構想を練りながら資料を見ていて見つけました。何故、前回「モントリオール讃歌」を取り上げた時に気付かなかったのか、また、思い出さなかったのか不思議なのですが、「モントリオール讃歌」には山上路夫氏による日本語詞が存在します。ファンクラブの閉鎖時に送られてきた冊子の裏表紙に、楽譜と共に日本語詞が印刷されていました。楽譜に書かれていたので全部ひらがなとカタカナで書かれています。ここで紹介する歌詞は、私が勝手に漢字に変換したので、山上氏本人が書いた歌詞とは異なるところもあるでしょうが、bebo-musicographiesimardで”Welcome to Montreal”をお聴きいただきながら歌ってみていただけたら幸いです。
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2636796285
※このURLで直接アクセスできない時は、リンク集のbebo-musicographiesimardから”Welcome to Montreal”を探してください。
※英語詞でお歌いになりたい方は、過去ログの「モントリオール讃歌①」で歌詞をご覧ください。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


       モントリオール讃歌
    (Welcome to Montreal)


   作詞 RENNE SIMARD    作曲 Andre Mathieu
       Claude Cacombe       Vic Vogel
       山上 路夫       編曲 Vacvus

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
愛の花が開く街よ

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
ここで誰も皆 友だち

今 輝くあの聖火の下(もと)で
地球はひとつの 愛の世界だ
希望と夢とを 誰もが歌う

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
風に緑そよぐ街よ

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
腕と腕をつなぎ合おう

今 時よ止まれ 美しいまま
力の限りに 若さが燃える
はためく五輪の あの旗の下(もと)

ウェルカム トゥ モントリオール 
ボンジュール ア モントリオール
つなぐ心の温かさ
オリンピック モントリオール
オリンピック モントリオール
愛の花咲く モントリオール


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J'ai Mon Voyage!

2007年07月21日 | ルネの活動記録
♪”J'AI MON VOYAGE!(僕には僕の旅がある)”♪

 この映画は、1973年カナダのケベック州で公開されたコメディー映画です。日本では公開されていませんが、ルネのプロフィール等に出てくるので、是非観てみたいと、ずっと思ってきました。
 そしてやっとその願いが叶いました! 現在YouTube映像で、9つのパートに分けて公開されています。しかし、以前紹介していたUn Enfant Comme Les Autres(普通の子供)」(日本公開時「ルネ・オン・メロディー」)のように、いつ見られなくなるかわかりません。ぜひ、この機会に全部ご覧になってください。

 内容は、仏語しか話せないケベック人の一家が、休暇を使ってカナダの首都トロントまでキャンピング・カーで旅行する話ですが、英語圏と仏語圏のカナダのことも描かれています。パパはフランス人で、仏系カナダ人のママがこの旅行に対して不安を感じていることなどお構いなし。英会話の本で覚えたてのとんちんかんなあいさつをするし、全く言葉が通じないでの珍道中。これらの映像の中にはありませんが、火事の(キャンピング・カーの?)エピソードもあるようです。すすで汚れた顔のルネや、ママに抱き寄せられているルネの画像がAu Maximumで紹介されていたのを見たことがあります。でも、もしかすると、カナダ軍の演習場に入り込んでしまったエピソードの時のものかも知れません。

 この映画には、ルネ(フランソワ役)と共に兄レジス・シマール(リュク役)も出演しています。歌手のルネではなく、子役俳優としてのルネの演技も見物です。とても自然な演技なのは、監督やスタッフの力もあるでしょうが、ルネとレジスは、生放送のTVドラマもこなしていました。全体の話の流れを説明されただけで本番になるドラマでも、アドリブで切り抜けてきた強者ですから、映画での演技はそう難しいものではなかったのでしょうね。

 なお、映画のポスターはChantalさんの”MUSEE SIMARD”でご覧いただくことが出来ます。

<英語での概要>
Nowhere is the sharp divide between the English and French-speaking Canadians more clearly brought home than in this Canadian/French comedy. The filmmakers are clearly on the pro-French side of the Canadian language wars. A couple from Quebec decide to take a vacation with their two children all the way west through Canada, to the city of Vancouver. The husband is from France, and does not understand the tensions and difficulties the wife expects to face. By the end of the journey, however, he takes the witless incomprehension of English speakers sufficiently for granted to freely join his wife in insulting his Vancouver hosts in French. ~ Clarke Fountain, All Movie Guide

<出演>
Rene Simard:Francois
Regis・Simard:Luc
Dominique Michel:maman
Jean・Lafebvre:papa


※ "T.V.Shows"より
 http://t.v.shows.blogg.org/


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

♪オープニング
 キャンピング・カーに荷物を積み込み、いざ出発!
http://www.youtube.com/watch?v=HpKZxzbxeCc&feature=related

♪子供たちは車に籠城★ 両親はドアを開けさせようと四苦八苦。
http://www.youtube.com/watch?v=2_Vpj1ZOJoo

♪トウモロコシ畑で
 愛犬がトウモロコシ畑に逃げ込んでしまい、家族で探し回る。トレーラーを見つけたフランソワ(ルネ)が勝手に運転し、トウモロコシ畑は滅茶苦茶★フランソワはママにおしりペンペンされる。
http://www.youtube.com/watch?v=sB5AU7SufF4&feature=related

♪Poursuite de Roulotte
 トウモロコシ畑の騒ぎで警察が来てしまった。そのことで両親はけんかして、母は列車に乗って目的地に向かうことに。ところが線路づたいに列車を追って走る車からキャンピング・カーがはずれてそのまま暴走。母は列車を緊急停止。車とキャンピング・カーはゴルフ場を暴走して大迷惑。
http://www.youtube.com/watch?v=HlVTx_Ufpx0

♪Bilinguisme
 ガソリンスタンドで。店員は「レギュラーかスーパーか?」と聞いているのに、パパは覚え立ての英語のあいさつを返す。会話はかみ合わず、店員が頭を抱えているところに、ママと息子2人が慌ててやって来て何かをしきりに仏語で説明するが、店員には何を言っているか分からない。何かを誤飲したと勘違いした店員は、フランソワ(ルネ!!)を逆さづりに。ママが違うと言うと、今度はママが逆さづりにされてしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=5gwXD41swgw&NR=1

♪Armee Canadienne
 暗い中を走ったので、軍隊の演習場に入ってしまったことに気付かないまま眠りこける一家。ルネとレジスの寝顔が可愛い! しかし、カナダ軍の演習が始まり、戦車が走り、大砲を撃つ★ 一家はパニック、キャンピング・カーは銃弾が当たって(?)ポロボロ。ママも砲撃に巻き込まれてボロボロ★
http://www.youtube.com/watch?v=n_jsNZ1IVWA

♪Dispute
 キャンプ場でトラブル発生。フランソワ(ルネ)が女の子とけんか。女の子の父親が出てきてパパと口論。でも英語と仏語の会話は通じない。挙げ句の果てに、飼い犬までが・・・・★
http://www.youtube.com/watch?v=XTaNnveK304&mode=related&search=

♪Roulotte+ Eau 
子供たちは釣り。両親がキャンピング・カーの中でくつろいでいると、キャンピング・カーが突然動き出して坂を下り、湖にどぼん★ やっとの思いでキャンピング・カーの屋根に避難したパパとママ。パパと息子2人で、車で引っ張り上げるために岸に戻ると、ママを乗せたままキャンピング・カーは流されてしまう。ルネの「犬かき」風な泳ぎが見られます。可愛い!
http://www.youtube.com/watch?v=_wL8Fxzw3rI&mode=related&search=

♪Sauve des eaux
 流されたキャンピング・カーが岸に着いて、やっとママ救出。
http://www.youtube.com/watch?v=KWZFF5QgyAk&mode=related&search=

♪Visite Ottawa
 やっと目的地のカナダの首都オタワに到着し、市内をドライブ。当時のオタワの街並みが見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=4_Wjo6aTcV0&NR=1

♪Discours
 パパのスピーチ。仏系カナダへの賛辞とイギリス系を侮辱する内容?パパの熱弁に満場の拍手が。
http://www.youtube.com/watch?v=jEt6oNXmpZo

♪Retoure au Quebec
映画のオチ。やっとケベックに帰ってきたのに、町の人に仏語で話しかけると、みんなが英語を話していて話が通じない。OH!! J'ai mon voyage!!(一家の叫び)
http://www.youtube.com/watch?v=Lez_Ppvjf3I&mode=related&search=

※私はこの映画を初めて観ますので、紹介している映像の正しい順番は分かりません。映像の順番や詳しい内容をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非情報をお寄せください。よろしくお願いいたします。
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