ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

4回目の来日初日

2016年03月19日 | 4回目の来日
 今から41年前の1975年3月19日は、ルネの4回目の来日初日でした。

 今回は、日本のルネ・ファン・クラブメープル・メイツ』の会報№3に掲載された、4回目の来日の記事を再度アップしました。この画像を初めてアップした頃は、まだスキャンしたままの画像をアップするのが精一杯でしたので、1ページずつ別々になっていましたが、見開きになるように画像処理しています。懐かしい写真ですねsymbol1

 4回目の来日については、カテゴリ『4回目の来日でご覧ください。年友さんとペン・フレンド、福岡のルネ・ファン・クラブ「ボンジュール ルネ」からいただいた、スプリング・コンサートやファンの集いの写真もご覧いただけますよ。

ルネの休日
 今回の一ヶ月近くの来日の間に、ルネの休日は、四日ばかりと、とても少ない休日ですこしかわいそうなスケジュールでしたが、かえって、その休日を思い切って楽しんできました。


ファンの集い
 メイプルメイツの第二回の集いは、三月二十二日(土)場所は東京の六本木のレストラン「チャルダ」という店で、午後二回にわかれて計百五十名のメイツの前で開催されました。当日はルネのこの集いを待ちわびたように、素晴らしい天気に恵まれ、開催数時間前から、店の前に列が出来て並んでまっているメイツの人達で、店の係員やメイプルのスタッフを驚かせました。
ルネもこのメイツの集いは大変期待していたスケジュールのひとつであったようで、来日した時から、この集いの内容を質問したり、色々と注文を出して、この集いを成功させたいようでした。
みんなとお茶をのんだり、ケーキを食べたりしそして、みんなの前で四曲ほど歌い、みんなからの質問、またみんなと一緒に歌ったり、メイツののど自慢大会、さらにはスタッフも出演させられたりするハプニングもあり、大変楽しい集いでした。
リンやギーさんも大変楽しそうで、みんなに歌わさせられたりしてにぎやかな数時間でした。
遠くは大阪から、わざわざこの集いに参加するために上京したメイツや、二回連続して参加したメイツで会場はムンムンした熱気に終始つつまれ、大変充実した一日でした。
ルネもみんなも次回のメイツの集いを約束して、みんなで歌いながらサヨナラをして、この集いを終わりました。メイツの人達も満足そうに帰っていきました。ルネも思い出になったと言ってこの集いの成功を喜んでいました。



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

          cat猫アスカ通信cat3


 3年前2013年の3月17日は、シマ姉家の愛猫アスカが来た日でした。
 前日の16日、出かけようとしたら、玄関先で足にすり寄ってきた人懐っこい仔猫。近所の猫が迷い込んできたと思い、「ハナタレちゃん、早くお家にお帰り。」と言って、家の中に入りたそうだったのを外に出しました。
 そして翌日、シマ姉家の濡れ縁に、右後ろ足の皮がむける大怪我をしてうずくまっていました。その後、暖かかったので草むらにいて、帰る気配もなし。裏の動物好きのお宅の御主人に聞いても、その家の猫ではないとのこと。春休みで帰省している娘と息子に、「あの猫は、もう死んでしまう猫だから、絶対拾うんじゃないよ。」と言っているのを聞いてスイッチ・オン★ 上空には、仔猫が弱るのを待つようにカラスが旋回しているので、段ボール箱に古いタオルを敷いて濡れ縁に。嫁の立場で、大怪我をしている猫を飼うとは言い出せず…。ところが、今は亡き義母が、「昨日、家に入れてあげていれば、こんな大怪我することはなかったのに。」と義父に言ったことで、段ボールごと家の中へ。後は、実家の行きつけだった動物病院で手術して、3回の入院を経て、めでたくシマ姉家の飼い猫になりました。

  ▲アスカ 怪我直後→手術後2回目の退院→怪我完治

 足切断の危機と白血球数の激減という死の危険を乗り越えて、現在は掛け替えのない家族になったアスカ。最初の内は、何となく遠慮がちだったのですが、今はしっかり甘えるし、自己主張します。以前は絶対またいで通っていた人の足はわざと踏むし…(笑)。朝ご飯の催促は、私だけを全力で起こす★ 自分で無理矢理サッシを開けて外出するくせに、帰ってくると「開けてくれませんか?」と待っている。トイレの後拭かれると反撃するくせに、お外で足が泥んこになった時は、『あんよ泥んこだけど、拭く?』とでもいうようにやってきて、おとなしく拭かれた後マッタリと仕上げ拭きよろしく毛繕い★ 私が入っているトイレのドアを開けてまでついてくるストーカー★ こんなアスカですから、猫同士の争いごとに顔を出すこともなく、「フーッ」とか、「カーッッ」とか、怒ったり、威嚇したりしているところを見たことがありません。穏やかな性格で、お客様には愛嬌を振りまいて回る(臭い付けしている行為という話もありますが)人見知りしない猫です。息子にとっても、ストレスを解消してくれるセラピー猫のアスカには、まだ3歳以上4歳未満の猫ですが、いつまでも元気で長生きして欲しいと思う今日この頃です。
 ちなみに、飼い主の空耳アワーでしょうが、最近は『グ・ニャ・ン(ご・は・ん)』と鳴きます。私からおやつをもらう時は必ずハイタッチ(「しないともらえないから」と主人の見解)するアスカに、次は何を教えようかしら…と考える猫バカ飼い主のシマ姉(爆★)。アスカのマイ・ブームは、丸めたティッシュを投げてもらってキャッチする遊びです。

 ルネ・グッズだけでなく、猫グッズも断舎利できない私。空前の猫ブームに乗って、次々発売される猫グッズに目眩cat こちらは、以前見つけて全種買ってしまった駄菓子です(爆★)

プニフワ幸せにくきゅうグミ♪(扇雀飴本舗)
「見て、触って、食べて、プニフワ食感が楽しめるにくきゅう型グミ!
大きいグミが入っていたらラッキー★」(裏面の商品説明より)


 結構良い感じのプニプニ感です♪ 足裏が冷えた仔猫の肉球みたいに、柔らかくてヒヤッとしてプニプニです!  コンビニで三毛猫を見つけて、テンションMAX★ いろんなお店を回ってしまいました(笑)。
 絵柄はトラ猫、三毛猫、黒猫、ペルシャ猫と言いたいところですがポメラニアンの他、柴犬とパグの6種類! 1袋開けたところ、他のよりも大きめのグミが2つ入っていました~。白地にピンクの肉球がキュートです。ブドウ味♪ お試しあれ!!

 こちらはお気に入りのイヤホンジャックカバー。本当はスマートホン用で、ねこむらおたこさんのシリーズで「必死にしがみつくにゃんこ型イヤホンジャックカバー(茶トラ)」です。iPadに付けていますがピッタリsymbol1 いろいろなタイプがあって、猫好きの友人にプレゼントしたりしています。家のアスカと同じ「はちわれ茶トラ」のが欲しかっのですが、邪魔にならない形状のものにするためにこれを選びました。ちなみに、ガチャポンのキーホルダーのシリーズも持っていて、「はちわれ茶トラ」は小さな箱にムリムリッと入っている『挑戦』、携帯に付けているのはサバトラで『失われた野生』というタイトルが付いています♪ 『ねこっぷち』という、カップの縁にかけるアクセサリーも持っていたりします。cat3アスカと同じ茶トラが出るまでガチャポンしていまう猫バカのシマ姉なのでした(爆★)。

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ルネがキスされたって

2014年03月16日 | 4回目の来日
 今から39年前の1975年3月19日は、カナダのスーパー・アイドルルネ・シマールの4回目の来日初日でした。 そして、22日(土)は、『メープル・メイツの集い』と『ルネ・オン・メロディ』の劇場あいさつのあった日でした。

 この来日の時の記事は、ファン・クラブ「メープル・メイツで特集記事を組んで報告されましたが、芸能誌ではあまり記事になっていませんでした。スプリング・コンサートはファン・クラブでさえ取り上げられず、辛うじて「ファンの集い」が「月刊明星」に小さく掲載されたくらいでした(少なくとも「月刊明星」と「月刊平凡」には記事はありません)。

 今回紹介する記事は、そんな4回目の来日の、数少ない貴重な記事の1つです。切り抜き状態で入手したため、何の雑誌に掲載されたものかは分かりません。画像がボケてルネの顔がはっきり見えませんが、ファンの方たちのお顔もはっきり分かりませんので、そのままアップいたしました。ルネの似顔絵を編みこんだ手編みのベストを後ろからルネにかけている女の子や、手をつないでいる女の子がいます。取材記者の誘導もあったかもしれませんが、日本のファンも、1回目の来日から考えると、ずいぶんと積極的になったものですね。

ルネがキスされたって
 さて次はルネの話。3月19日再来日した彼。新曲『君のすべてがほしい』と映画『ルネ・オン・メロディ』にタイミングを合わせ、また全国縦断コンサートのための来日となったわけ。
 パリの舞台でも、シルビーパルタンやジルベール・ペコーらと共演したり、すっかり国際スターとなった感じの彼…。
 4月12日に帰国予定の、わりと長い滞在となった。メープル・メイツとの集い、ラジオ、テレビなど、きわめて多忙ななかにも笑顔を忘れない人なつっこさが好印象。
 ただし、そんな彼も、羽田に到着後、熱心なファンから歓迎のキスをされてびっくり! ちょっぴり許せないやけるシーンでした。(「女学生の友」1975年5月号掲載)



 2回目の来日記事で、『ニッポンの女のコキスするとドキッとするヨ』という内容のものがあり、過去ログでも紹介しましたが、ルネにとってキスはあいさつだから、日本のファンも、サインをもらったお礼にルネにキスしてあげるくらいの気持ちでいてと書いてあったので、日本の女の子も大胆になったのかしら? そんな日本の女の子の変化に、ルネの方がビックリしたというのも興味深いですね!

※過去ログ「インタビュー ルネ・シマール②」より抜粋
--日本の女の子は好き!
ルネ「みんなとても可愛いよ。みんな好き。でも、ボクと会う女の子はみんな、ボクがキスしてあげるとドキッとしてビックリするみたいだよ」
 ルネは”サインちょうだい”って来る女の子にはどんなに疲れていても、マネージャーが”ダメ”といっても、気もちよくサインしてあげています。そしてサインがおわると女の子のホッぺに”チュッ!”とキスしてあげるのです。カナダでは”キス”は挨拶のひとつになっているので、別に”好き!”とか”嫌い!”とかいう意味はなく、気楽にキスするのですが、日本の女の子は”キス”の挨拶にはなれていないため、ついついドキッとしたりビクッとしたりするのでしょうね。今度ルネにサインをもらったときは”どうもありがとう”とホッぺにキスしてあげるぐらいの気持ちでいてよネ



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 


 今日は、18日の息子の小学校の卒業式を前に、記念写真を撮る予定で計画を進めていました。ところが、主人の同級生の写真館に予約の連絡を入れたところ、今日は地区の総会で無理とのこと★ 写真は卒業式当日の午後に、家族で撮りに行くことになりました。その日は昨年12月に他界した父の月命日でもあるので、実家にも挨拶に行く予定です。

    ▲福招き茶トラ猫(うちのアスカではないけど)

 それから、明日17日は我が家の愛猫となったアスカが、シマ姉家にやってきた日。うちの猫になって2年目を迎えます。
 実際には18日の朝に右足に重傷を負い、濡れ縁でうずくまっていたのを保護したのですが、手術のための最初の入院では、耳ダニやお腹の虫の駆除の治療に加え、引きこじらせていた風邪で手術がなかなかできず、退院後抜糸をすれば、縫い合わせた皮膚がまだ完全についておらずに何箇所も裂けて再入院。2度目の退院後すぐに原因不明の白血球数激減で生死の境を彷徨い3度目の入院。退院後は、去勢手術と予防接種以降、特に大きな怪我も病気もなく元気一杯に過ごしています。すっかり家族の一員であり、癒し猫です。
 最近は、自分がこの家の猫という自覚からか、来客があると確かめにやってきて愛嬌を振りまいています。知らない人にはスリスリして匂い付け(笑)。知っている人にはゴロンと寝転がって「撫でて~♡」と甘えていたりします。
 念入りに拭かれると、途中でカミカミケリケリ攻撃を繰り出すくせに、足が汚れた時などは、わざと拭かれにやってきて、綺麗になったところを仕上げに自分で舐めるというちゃっかり者ですase 最近は、「お客さ~ん、いい毛並みしていますね~。」と言われながらのブラッシングにも慣れ、お腹の方もOKになってきました。背中の茶色の毛とお腹の白い毛を分けてブラッシングして抜け毛を採取しているので、今度はたくさん集めて、また何か作ろうと考え中です。

 これから猫の抜け毛の季節★ せっかくの「トンボ学生服」が猫毛だらけにならないように、さらに強力な猫毛対策グッズも購入! 「トンボ学生服」については来週の記事で報告予定です。
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「ルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつ

2013年03月24日 | 4回目の来日
 1975年(昭和50年)3年22日(金)、「第2回メープル・メイツの集い」とともに、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-が「ルネ・オン・メロディ」として公開され、その初日であるその日に、テアトル銀座で劇場あいさつが行われました。

 この映画については、過去ログで何度も書いていますが、地元の映画館にも全国の公開から遅れて上映されるものと固く信じていた私は、リアルタイムで観ることができませんでした。当時、実家の近くにあった映画館では、人気のあった山口百恵さんの映画や東映マンガまつり等、全国の公開からは遅れても、必ず上映されていたので、「ルネ・オン・メロディ」が来るのを首を長くして待っていました。しかし、同映画がいなか町の小さな映画館で上映されることはありませんでした。福岡のペンパルから、館内で撮影した、兄レジスと一緒にリサイタルで仏語版「庭の千草」を歌うシーンの白黒写真をいただきました。台詞の字幕は縦書きで画面の右に入っていました。今もこの写真は持っていますが、画像がぶれて見づらいので、ここでは紹介いたしません。
 当時の映画紹介記事は、雑誌の発売からずっと遅れて同級生にいただいたものを持っていましたので、映画の有名なシーンは知っていました。インターネットができるようになってから、ヤフオクで同映画のちらしや劇場用ポスターを入手し、YouTubeでアップされたいくつかのシーンを観ることができた時は大感激して、インターネットの普及に感謝したものでした。
 今回は、年友さんからいただいたテアトル銀座の舞台あいさつの写真と一緒に、Yahoo!オークションで入手した同映画のロビーカード、ルネの記念アルバムのジャケットに折り込まれていた写真、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報№3の記事等を紹介いたします。

▲年友さん提供 テアトル銀座での「ルネ・オン・メロディ」劇場あいさつの写真 ルネが着ているのは、「メープル・メイツの集い」で着ていたのと同じモス・グリーンの上下 でも、この写真を撮影された年友さんのご友人の座席の前には空席? 写真左から  劇場側の司会者女性 通訳の道上氏 ルネ マネージャーのクルティエ氏 

▲「ルネ・オン・メロディ」のロビー・カード その1 
 上2枚は「ローラ・シコード」 ルネがTVコマーシャルに出演した缶プリンの、チョコレート専門店「ローラ・シコード」の名前の由来となった女性の物語の映画写真 
 下2枚も同映画か、別の映画のカナダの開拓時代の様子を伝える一場面?


※過去ログ「ルネとLaura Secord」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/320.html

▲「ルネ・オン・メロディ」のロビー・カード その2 
 左上:ケベック・シティの酒場で歌を歌った帰り、おもちゃ屋で機関車模型に見入るルネを兄レジスが諭す有名なシーン
 右上:芸術劇場での初リサイタルのワン・シーン
 右下:「ローラ・シコード」のコマーシャル・ソングの録音シーン


▲「ルネ・オン・メロディ」のロビー・カード その3 
 向かって左からルネ クルティエ氏とその妻 兄レジス


▲ルネが25歳の時に出した記念アルバムより「普通の子供」のルネとレジスが酒場で歌うシーン 

▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報№3より 映画館の大看板の前で姉リンと一緒に

▲年友さん提供 現在のテアトル銀座(ル テアトル銀座)と1981年頃の同映画館(写真右下 テアトル東京の地下) 

 Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-は、現在YouTubeでは、Caseyさんの英語吹き替え版”A Child Like Any Other”がご覧いただけます。ただし白黒の上、後半部のみで、さらにルネの声は歌のみです。Giseleさんたちがカラーのダイジェスト版をアップしていましたが、今は無くなっているようです。他には、主題歌のレコーディング・シーンがアップされていますのでお楽しみください。



♪YouTube映像”Rene Simard - A Child Like Any Other”http://youtu.be/ktLSuMOZg3c

 昨年、幸運にもこの映画のコピーをいただきました。もちろんカラーでノー・カット版です。ただし、字幕はありません。大変画像もクリアーなので、第3回オフ会で、希望があれば鑑賞会を行いたいと思います。オフ会開催の際には、みんなで楽しみましょう♡ 

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メープル・メイツの集い

2013年03月16日 | 4回目の来日
 1975年(昭和50年)3月22日(土)、「第2回メープル・メイツの集い」が、「ハンガリア レストラン チャルダ六本木」で行われました。
 午後3時からの2回目に参加された年友さんから、この時の整理券(はがき)のコピーと写真を、当ブログの記事のために提供していただきました♡ 福岡のルネ・ファン・クラブ「ボンジュール ルネ」で購入したものは、過去ログで紹介していますが、年友さんからいただいた写真は、よりルネに近い位置から撮影されており、年友さんのドキドキが共有できるようです!

 年友さん、貴重な資料であり、宝物である写真と入場整理券、そして、現在のチャルダを取材した写真をどうもありがとうございました!!


     第2回メープル・メイツの集い 

    日時 3月22日(土) 1回目 12:30~14:00
                2回目 15:00~16:30
    場所 ハンガリア レストラン チャルダ六本木
                ℡(585)5388


▲選ばれた人たちがルネとステージで歌っているところ

▲各テーブルを回るルネ ファンからのプレゼントをいっぱい抱えたルネが近付いてきます~っ!!

▲年友さんにサインをするために手を差し出すルネ 感動の瞬間ですねsymbol1

▲サインを書くルネ 年友さんが左に!

▲第2回メープル・メイツの集い 入場整理券 年友さんは2回目の40番

 なお、この時は、ジュースと小さなケーキとサンドウィッチが出たそうです。そして、以前紹介した写真にも2回目の同じプレゼント持ったルネが映っていました(写真右上↓)。また、この衣裳で、テアトル銀座で行われた「ルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつもしています。


 メイプルメイツの第2回の集いは、3月22日(土)場所は東京の六本木のレストラン「チャルダ」という店で、午後2回にわかれて計150名のメイツの前で開催されました。当日はルネのこの集いを待ちわびたように、素晴らしい天気に恵まれ、開催数時間前から、店の前に列が出来て並んでまっているメイツの人達で、店の係員やメイプルのスタッフを驚かせました。
ルネもこのメイツの集いは大変期待していたスケジュールのひとつであったようで、来日した時から、この集いの内容を質問したり、色々と注文を出して、この集いを成功させたいようでした。
みんなとお茶をのんだり、ケーキを食べたりしそして、みんなの前で4曲ほど歌い、みんなからの質問、またみんなと一緒に歌ったり、メイツののど自慢大会、さらにはスタッフも出演させられたりするハプニングもあり、大変楽しい集いでした。
リンやギーさんも大変楽しそうで、みんなに歌わさせられたりしてにぎやかな数時間でした。
遠くは大阪から、わざわざこの集いに参加するために上京したメイツや、2回連続して参加したメイツで会場はムンムンした熱気に終始つつまれ、大変充実した1日でした。
ルネもみんなも次回のメイツの集いを約束して、みんなで歌いながらサヨナラをして、この集いを終わりました。メイツの人達も満足そうに帰っていきました。ルネも思い出になったと言ってこの集いの成功を喜んでいました。(ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№3より


▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№3より テーブルには、この時に出されたジュースと小さなケーキとサンドウィッチが見て取れます

▲現在のチャルダはマンションになっています(年友さんからの写真と情報より)

※過去ログ「メープル・メイツの集い」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/326.html

 今更ですが、親の了解無しででも、反対を押し切って行きたかったな~…。「後悔先に立たず」★ でも、38年も経っているのに、こうやって当時のファンの方たちと交流できる幸せをかみ締めながら、これからも「継続は力なり」を信じて、ブログを頑張っていきますので、末永くお付き合いくださいね!!


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


         cloverちょっと近況報告clover

 3月5日は啓蟄、来週は『春分の日』を迎え、日差しの暖かさに春の深まりを感じる今日この頃、ルネ友の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 今年は、杉花粉の飛散量が例年の何倍も多い上に、黄砂が中国の大気汚染物質を巻き込んで飛んでくるという、花粉症の人にはトリプル・パンチの春。花粉症で、6月の梅雨時期まで鼻炎に悩まされる主人も、いつもは使わない目薬のお世話になっている状態です。それどころか、花粉症ではない私でさえ、デビューするかもしれない危険な年。今年はゆっくりお花見どころじゃないかもしれませんね。



 春一番の強風にもさらされず、寄せ植えの鉢でひなたぼっこしている職場のアマガエルは、3月に入ってすぐ目を覚ましていました。私に写真を撮られるたびに、冬眠中でさえ一度も入ったことのない水あげ器の穴に潜り込んだり、数日間、別の場所を探しに旅に出たりしていましたが、結局、寄せ植えの鉢に戻っていて、アマガエルだけに「無事カエル」(笑)。カエルがいてもいなくても、毎朝カエルがいるのを確認してはあいさつする、変な人間に嫌気は差しているのでしょうが、寄せ植えの鉢が一番安全で、居心地が良いのでしょう。のんびりと居眠りしているカエルの後ろ姿が、あまりにまん丸なのに大うけし、カエルの迷惑も考えず、フラッシュをたいて写真に撮ってしまうシマ姉です。もう少ししたら、昨年秋から確保(飼育?)しているクリムシをあげようと思っています。



 また、去年の夏、実割れして落ちた実の種から生えた芽を寄せ植えし、室内で世話していたプチトマトが実り、赤く色付き始めました。丸い実の『アイコ』は、小さいまま赤くなって3つ程食べ頃。別の品種の長細い実は、青いままかなり大きく育っています。芽止めしても成長し続けていているので、支柱を長いもの替えました。花芽がつき始めたパッションフルーツも、伸びすぎたツルが限界なので、こちらも支柱を伸ばす予定。今年の夏には、グリーン・カーテンかアーチに仕立てる計画も持ち上がる程の生育ぶりです。実が成ったら、日系ブラジル人の同僚が、果汁を絞ってムースにする予定です♪ パッションフルーツはトケイソウの1種なので、花が咲くのも楽しみです。しかし、暖かい室内で大量発生したアブラムシとコナジラミの駆除のため、寄せ植えして大きく育ち、花盛りだったノースポールを泣く泣く処分。まだまだシマ姉と病害虫との戦いは続きます。

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日本のルネ・プロジェクト

2012年04月07日 | 4回目の来日
 ルネは1975年3月19日から4月12日まで、「君のすべてがほしい」のプロモーションと全国縦断スプリング・コンサート、「ルネ・オン・メロディー」公開の劇場あいさつ廻りのために4度目の来日をしました。



 カナダから取り寄せたスクラップ・ブックの記事には、スプリング・コンサートのパンフレットに掲載されたペーター佐藤氏のイラストが載ったものがありました。(スプリング・コンサートのパンフレットは、しゃむねこさんがブログサイト「Passionルネ・シマールau Japon」で紹介していますのでご覧ください。 ※4)
 そこには、4回目の来日における活動の内容についてや、カナダでゴールド・ディスクを受賞したこと、日本からは4月13日に帰国し、この後4月20日から29日までパリに出かけ、8月にはアメリカのロサンゼルスに滞在してダンスと英語のレッスンしたり、TV番組に出演すること、12月にはラスベガスで歌うことなどが書かれてました。
 前出の画像の記事に書かれている内容については、後日改めて翻訳して紹介する予定ですが、1975年は、すでに来日の予定はないことが分かります。



▲日本からの帰国後、彼の功績であるゴールド・ディスクの前で

      日本のルネ・プロジェクト

 「日本のルネ・プロジェクト」は、1974年にルネがカバーした村井邦彦氏作曲のユニセフのキャンペーン・ソング「美しい星Laissez-nous au moins le soleil」がスタートのきっかけでした。そして、今回の記事は、以前紹介いたしました当時ALFAレコードで、ルネと妹ナタリー・シマールのプロデュースを手がけられた宮住俊介氏の了解のもと、氏のエッセイをもとに書いています。


 1974年、ALFAレコードでは、ルネの「美しい星」を聴いて惚れ込んだ川添象郎氏の企画のもと、ルネ・シマールを日本で売り出そうということになりました。そのお披露目の舞台には、第3回東京音楽祭世界大会が設定され、カナダ代表としてエントリーされました。エントリーナンバーは101番でした。

 この大会は、グランプリの大本命がザ・スリー・ディグリーズだったため、各レコード会社はグランプリは早々にあきらめ、それに続く金賞、銀賞狙いで、様々なプロモーションや審査員対策に奔走していたそうです。
 ALFAのスタッフも、当時まだ無名のカナダの少年歌手だったルネも、入賞できればいいくらいに考えていたようです(ルネは大会出場前に「僕は賞を取るよ」と言っていたそうですが…)。

 ところがルネは、予想を大幅に覆し、並み居る大人のベテラン歌手を押さえてグランプリを獲得! 表彰式では、フランク・シナトラからグランプリのトロフィーを渡されると、その愛らしい目から大粒の涙がポロリ…。会場は割れんばかりの大拍手。ALFAレコードにとって、最高の結果になりました。
 しかしルネが第3回東京音楽祭世界大会において、その美しいボーイ・ソプラノで熱唱し、一夜にしてアイドル・スターになってしまったことは、日本側のスタッフにとっては予想外の展開になりました。

 カナダのケベコワ(仏系カナダ人)にとって、フランスでのデビューは憧れ。そこにフランスからのTV出演依頼とフランスでのゴールド・ディスク受賞。さらにフランク・シナトラ氏の招きでアメリカ・ショー・ビジネスの世界へ。そしてエリザベス・テイラーのご指名でミュージカル『青い鳥』の出演が決定…と、それまで無名だったカナダの少年歌手ルネ・シマールは、とんとん拍子で世界から注目されるアイドルになってしまいました。それによって、最初は2か月に1回予定(と報じている記事有り)だった来日も減ってしまったのです。

 日本でもこの年の後半から翌1975年にかけてのルネ旋風は凄いものになりました。
 デビュー曲の『ミドリ色の屋根』を皮切りに、リリースするシングルやアルバムはみなオリコン・チャートの上位にランク。そして、そのプロモーションのために来日すると、宿泊先のホテルやALFAのビルの前まで、小さな女の子たちが大勢待ち受けていて、さながらビートルズやベイ・シティ・ローラーズの如く大騒ぎになったそうです。

 ところが1975年の後半になると、早くもその人気に翳りが…。常に日本にいるアイドルたちと違って、ルネはカナダに住んでいるのですから 無理もありません。アイドルというのは、一度売れたら、テレビやラジオ、あるいは芸能雑誌や新聞などに出続けなければなりません。そうしなければ、すぐに忘れられたり、次々と現れる他のアイドルに、その人気を奪われてしまいます。 とにかくメディアに出続けなければならないのです。
 でも、ルネの場合にはそれが不可能です。日本人アイドルと比べたら絶対的に不利でした。

 そんな時、1975年にカナダで開催される夏季オリンピック、モントリオール大会で、ルネが主題歌を歌うことが決まりました。打つ手がなくなっていたCBSソニーも、これには大乗りで、宮住氏が担当することになり、CBSソニーの金塚さんがカナダまで歌入れに行きました。しかし、ルネの変声によって録音された曲は発売中止となったそうです。それにつきましては、宮住氏のエッセイから抜粋した内容を、この後紹介いたします。または、直接、宮住氏のエッセでお読みください。



 そしてここからは、私の推測になります。
 ファン・クラブ等で報じられていたことと、宮住氏のエッセイに書かれた記録には、少々食い違う点があったので、この推測が当たっていれば、納得のいくことが幾つかあります。

1 『モントリオール讃歌』の作曲者の違い
 氏によると作曲者は村井邦彦氏ですが、実際はアンドレ・マチュー。

2 『モントリオール讃歌』の日本語詞の存在
 仏語詞の作詞はルネですが、過去ログでも紹介した山上路夫氏作詞による日本語詞のモントリオール讃歌がファン・クラブ会報に掲載されました(※1)。

3 CBSソニー金塚女史のカナダでの歌入れ立ち会い
 金塚さんは、TVアニメ『家なき子』のテーマ曲「流れる水のように」の歌入れのためにカナダに行ったという、ファン・クラブで紹介されたルネからの手紙がありますが、ここでは「モントリオール讃歌」になっています。また、日本で発表された曲で変声後の曲は「去年の夏」のみです。また、私の質問に対し、「流れる水のように」は変声前の声だったと、宮住氏からお答えいただいています。

 もしかすると、カナダには、日本語詞の村井氏作曲の「モントリオール讃歌」を録音に行ったのかも知れません。または、山上氏の日本語詞をアンドレ・マチューの曲に乗せて発売する計画があったのかも知れません。それが日本語版「モントリオール讃歌」でも、「流れる水のように」でも、日本では未発表のまま、音源の存在も不明です。ちなみに、実際に日本で発売されたシングル・レコード「モントリオール讃歌」は、A面が英語版「モントリオール讃歌」、B面が「この旗の下で」でした。  


<宮住氏のエッセイより(一部抜粋)>

  「モントリオール讃歌」の曲は村井さん自らが書き、それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。スポーツの祭典にふさわしい、明るく、力強い感動をもった曲でした。タイトルは『モントリオール讃歌』。この曲をルネが、あの張りのある美しい声で歌ったら、大ヒット間違いなし! 誰もがそう信じて疑いませんでした。CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに、歌入れに立ち合ってもらいました。しかし、スタッフが期待していたスピーカーから流れて来る声は、およそルネの美声とはかけ離れたダミ声の、しかも全く“少年の声” ではない。すると、金塚さんがうつむき加減で、元気のない声でこう言ったのです。
「変声期なんですよ…。」
 ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、もはやここまでということになってしまいました。残念ながら…。
 そう、少年にはこれがあったんですね。私はこの時、ウィーン少年合唱団を描いた映画、「青きドナウ」というのを思い出しました。あそこも、変声期を迎えた少年は、退団しなければならないんですね。非情だ…。ううむ…。


♪「ルネ・シマール」
 宮住俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52233078.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html

※1過去ログ「「モントリオール讃歌」に日本語詞が存在した」参照http://green.ap.teacup.com/rene_simard/144.html

※2過去ログ「スプリング・コンサート」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/183.html

※3過去ログ「カナダより4回目の来日の記事」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/456.html

※4”Passion ルネ・シマール au Japon”
「スプリングコンサートパンフレット」参照

http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_10.html
http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_18.html


 こうして、日本における「ルネ・プロジェクト」は、ルネの変声を機に終結いたしました。

 しかし、ルネは変声して『青い鳥』のチルチル役から降ろされた後も、アメリカで活動を続けていましたし、カナダでは「天使の声」を失ってもスターであり続けました。

 そして今年は、コメディー・ミュージカル「雨に唄えば」で、ファンを楽しませてくれることでしょう
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