ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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cherienomamaさんからのルネ情報

2012年04月29日 | ミドリ色の屋根の頃
 待ちに待ったゴールデン・ウィークsymbol1 ルネ友のみなさまはいかがお過ごしでしょうか?
 シマ姉家は、第1回オフ会でも宿泊した「ペンション山日記」にお泊まりしています。この記事は予約投稿です。だって、今日は大安♡(昨日は仏滅なんですもの…)
 ペンション予約の際、当ブログ記事をご覧になっていたオーナー夫人から、昨年の大震災で被災したことを心配していただきました。昨年は仕事が忙しくて「山日記」には行けなかったのですが、この気遣いもここの魅力の1つ。だから息子にとっては「那須のおばちゃん家」なんです。美味しいお料理を食べ、ゆっくり寛いで、仕事の疲れを癒やして楽しんで来ま~す♪


 cherienomamaさんからのルネ情報

 ルネ友さんであるcherienomamaさんから、貴重なルネの資料をたくさん提供していただきましたsymbol1

 今回紹介いたします「大阪サンケイホールのスプリング・コンサートちらし」と「神戸新聞」の2つの記事の他にも、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報№1、スプリング・コンサートのプログラム、本家の閉鎖の後に活動した日本の未公認ファン・クラブ”MAPLE MATES Ⅱ”の会報3冊!! おいおい紹介していきますのでお楽しみに!!!
 


▲1975年スプリング・コンサート(大阪・サンケイホール)のちらし

 大阪公演のちらしは「メープル・メイツ」から配布されたちらしと違っているので貴重! ちなみに福岡公演のちらしは東京公演のものとデザインは同じです。

 そして、「神戸新聞」に掲載された2つの記事ですが、前者は第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞した後の再来日(2回目の来日)を報じたもの。後者は、何とっ!! 「メープル・メイツ」の最後の会報に掲載された「モントリオール・オリンピック」についての記事の原文です。この記事のコピーをcherienomamaさんが「メープル・メイツ」に送ったのだそうです。37年も経った今、こんなすごいことが分かるなんて感激しています!
 でも、cherienomamaさん曰く、「この頃にはファン・クラブでもルネの情報が入っていなかったことが分かりました。」…と。現在は、facebook等でカナダのファンの方たちと気軽に交流でき、ルネ情報も簡単に得ることができます。チャットで遠く離れた人と会話を楽しめたり、インターネットの普及によって、とても便利な世の中になりましたが、だからこそ、当時の資料は大変貴重だと思います。


ルネ・シマール
胸打つ涙の絶唱

再来日、ひっぱりだこ

 ルネ・シマール…この聞きなれない少年の名前が、やがて日本のすみずみに響きわたりそうな気配だ。
 まずそのプロフェッショナル。カナダ・ケベック州の生まれ。十三歳。カナダのフランス語圏では、押しも押されもしない小さなアイドル、スーパー・スターなのだ。
 あるきっかけからはるばる日本へ。六月第三回東京音楽祭世界大会に「ミドリ色の屋根」(村井邦彦作曲)をひっさげて登場。なみいるベテラン・シンガーをおいて、グランプリを手に、特別賞のフランク・シナトラ賞までさらってしまった。
 ここまでくると、”ああ、あの少年…。”と思いだした人もあろうか。♪泣かないで、そこで暮らそう…涙をためての絶唱が、会場や視聴者の胸に”スター誕生”を確信させた。
 あるきっかけ、というのはこうだ。作曲家の村井邦彦は、国連のユニセフ(児童緊急資金)のために二年前「美しい星」という作品を書いた。日本では森山良子をはじめ、多くの歌手に歌われたからご存じの人も多かろうが、これをカナダでルネが歌いヒットした。
 村井は、この少年の澄んだ天使の声に見せられ「ミドリ色の屋根」が生まれ、東京音楽祭への出場と、ことが運んだわけだ。
 グランプリは、この少年の前に一躍世界スターへの扉をひらいた。アメリカでは、シャーリー・マクレーンのテレビ・ショーに、またかつてシャーリー・テンプルで映画化された「青い鳥」の再映画化に起用が決まり、エリザベス・テーラーと共演する。レコードもMCA、フランスのバークレーなどがとびついた。
 そして、そのきっかけをつかんだ日本ではー。先月二十二日に再来日して以来のスケジュールをのぞくと、二回のコンサートを中心にびっしり。関西テレビ系の「夜のヒットスタジオ」はじめ、各局の歌番組への出演がならんでいる。
 日本でのデビューを飾るファースト・コンサートは、四日の大阪厚生年金大ホール(後6・0)と十四日の東京・渋谷公会堂の二回。新曲「小さな生命」や、ルネが十歳でデビューしたときの「鳥」などでプログラムを組み、音楽再出場で初来日したときのドキュメント映画「ルネ・イン・ジャパン」(市川崑監修)も上映される。
 日本にはまだワラぶきの屋根と人力車があると思っていたルネ、来日してビルの林立と人間の多さにビックリしたルネ。その澄明な声と愛らしいふるまいで、どうやら日本でもアイドルになりそうである。



※記事の詳しい内容については、過去ログ「モントリオール讃歌③」をお読みください
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/117.html


 これらの貴重な資料を快く提供してくださったcherienomamaさん、本当にありがとうございました! 少しでも多く、当時のルネ・ファンの方たちにご覧いただけるよう、ブログ記事で紹介させていただきます。今後ともルネ友としてよろしくお願いいたします!!
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ギター演奏による”ミドリ色の屋根”

2012年04月20日 | ミドリ色の屋根
 商品化が決定してから、発売日の発表がまだの「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」。ソニー・ミュージック・ファクトリーの情報更新日は水曜日なので、18日には発表になると踏んでいたのですが…★
 日本で最後に発売された「モントリオール讃歌」からでも、すでに35年以上経っています。ルネ・ファンは待つことには慣れていますが、本当に発売になるのか不安になっているシマ姉です。

▲「ミドリ色の屋根」はオリコンチャート最高3位を記録 2回目の来日時、受賞したオリコンのトロフィーとともに


 guitarギター演奏による”ミドリ色の屋根

 「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」の予約締め切り日だった4月4日の朝、アラートで引っかかってきたのがこちら♪ 即決商品だったので即落札! クロード・チアリ氏のギター演奏による「ミドリ色の屋根。問屋からの取り寄せが遅れたということで、12日に届きました。


ゴールデン☆ベスト センチメンタル・クロード・チアリ
邦楽J-POP

■アーティスト: クロード・チアリ       
■発売日: 2003/03/19
■JAN: 4562109402070
■品番: MHCL-243
■種別: CD国内正規盤
■収録時間: 67分45秒
■販売元: ソニー・ミュージックディストリビューション

<収録曲>
 01. 夜霧のしのび逢い
 02. 白いギター
 03. 時の過ぎゆくままに
 04. 誰もいない海
 05. 宵待草
 06. ふれあい
 07. サルビアの花
 08. ミドリ色の屋根
 09. 赤とんぼ
 10. 想い出のセレナーデ
 11. 想い出まくら
 12. 湖の決心
 13. 浜辺の歌
 14. 別れの朝
 15. 北へ帰ろう
 16. 終着駅
 17. 今日でお別れ
 18. 絲綢之路 (シルクロードのテーマ)
 19. フレールディベール (冬の華)
 20. 夜汽車
 21. 夜霧のシルエット


 クロード・チアリ氏によるギター演奏で、ルネの歌とはまた違った「ミドリ色の屋根」の魅力が引き出されており、ルネ・ファン世代には馴染みの深い曲も多く収録されています。
 私が購入したすぐ後に、同じネット・ショップがヤフオクに同CDを出品していました。2003年発売なので、探せば入手可能かも知れませんね。
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アメリカでバカンス?のルネ

2012年04月14日 | ルネの休日
 ルネの全曲集GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」 の購入予約が4月4日に締め切られてから早10日。発売日の決定を今か今かと首を長くして待っているのですが、まだ決定していません。
 そのため、予定していた記事を変更し、今回はクロディーヌとダニエル・バシャン姉妹が編集したカナダの本から、ルネの写真を紹介いたします。


 こちらの本は、当ブログで以前から紹介していますネット・サイトで購入いたしました。
 画像はデジカメで撮影したものです。本当ならスキャナーを使うところですが、古い本なのでスキャンするために無理矢理開くと、接着部分がはがれそうだったので止めました。
 日本では公開されていない写真もたくさん掲載されていますので、少しずつ記事で紹介していきたいと考えています。

▲本の裏表紙より 向かって左からダニエル、ルネ、クロディーヌ、ナタリー
 
 1974年9月、2回目の来日の帰り、ラスベガスでオズモンズのショーを観るためにアメリカに立ち寄ったルネ。大好きなディズニーランドで、一緒に来日していたママやクルティエ氏と楽しんでいる写真もあります。こちらはラスベガスでの写真。

▲ラスベガスの通りのルネとママ

 そして、1975年の4回目の来日の後には、ロサンゼルスに滞在して英語とダンスのレッスンをしていました。その時の写真でしょうか。ルネもシナトラ氏の1ファンに戻って記念写真撮影。

▲ロサンゼルスのチャイニーズ・シアターの前でフランク・シナトラの手形に手を当てているルネ

 来日当時のルネ、可愛いでしょう?
 長期ツアーの際には、マネージャーや身の回りの世話をしてくれていたバシャン姉妹を含むスタッフの他に、家庭教師や取材カメラマン等が同行するルネですが、普通の少年に戻って楽しむ様子は微笑ましいですね。


 それにしても……ああ、早く発売日が決定し、CDを手にしたい!! やっとここまでこぎ着けたのですから、あと少しの辛抱ですね★

 

       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 しゃむねこさんのブログ「Passion ルネ・シマール au Japon」が活動を再開しました!
 現在、1985年の夏休みにバンクーバーからケベックまで一人旅をした冒険記「モントリオール1985年の夏休み」をお書きになっています。モントリオールにあったルネとナタリーのファン・クラブや、オルレアン島の「船長の家」のお話も出てくると思いますので、今から楽しみにしています。
 また、「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」の商品化が決定したのを機に、facebookにルネ専用のアカウントをつくり、さらにグループ”Passion Rene Simard au Japon”と、日本語オンリーのグループ「ルネ・シマール」を作成。精力的に記事や写真をアップしています。私も当ブログで紹介したルネ画像を投稿させていただきました。
 以前にもお伝えいたしましたとおり、カナダのファンの方々のサイトも活動していますので、是非みなさまもfacebookにいらしてください。当ブログのゲスト様も参加されていますよ♪ ただし、しゃむねこさんのグループは招待が必要です。当ブログのリンク集から「Passion ルネ・シマール au Japon」に行っていただき、メールで自己紹介してください。facebookでのユーザー名も忘れずに書いてくださいね。

 facebookでお会いできるのを楽しみにしています♪

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日本のルネ・プロジェクト

2012年04月07日 | 4回目の来日
 ルネは1975年3月19日から4月12日まで、「君のすべてがほしい」のプロモーションと全国縦断スプリング・コンサート、「ルネ・オン・メロディー」公開の劇場あいさつ廻りのために4度目の来日をしました。



 カナダから取り寄せたスクラップ・ブックの記事には、スプリング・コンサートのパンフレットに掲載されたペーター佐藤氏のイラストが載ったものがありました。(スプリング・コンサートのパンフレットは、しゃむねこさんがブログサイト「Passionルネ・シマールau Japon」で紹介していますのでご覧ください。 ※4)
 そこには、4回目の来日における活動の内容についてや、カナダでゴールド・ディスクを受賞したこと、日本からは4月13日に帰国し、この後4月20日から29日までパリに出かけ、8月にはアメリカのロサンゼルスに滞在してダンスと英語のレッスンしたり、TV番組に出演すること、12月にはラスベガスで歌うことなどが書かれてました。
 前出の画像の記事に書かれている内容については、後日改めて翻訳して紹介する予定ですが、1975年は、すでに来日の予定はないことが分かります。



▲日本からの帰国後、彼の功績であるゴールド・ディスクの前で

      日本のルネ・プロジェクト

 「日本のルネ・プロジェクト」は、1974年にルネがカバーした村井邦彦氏作曲のユニセフのキャンペーン・ソング「美しい星Laissez-nous au moins le soleil」がスタートのきっかけでした。そして、今回の記事は、以前紹介いたしました当時ALFAレコードで、ルネと妹ナタリー・シマールのプロデュースを手がけられた宮住俊介氏の了解のもと、氏のエッセイをもとに書いています。


 1974年、ALFAレコードでは、ルネの「美しい星」を聴いて惚れ込んだ川添象郎氏の企画のもと、ルネ・シマールを日本で売り出そうということになりました。そのお披露目の舞台には、第3回東京音楽祭世界大会が設定され、カナダ代表としてエントリーされました。エントリーナンバーは101番でした。

 この大会は、グランプリの大本命がザ・スリー・ディグリーズだったため、各レコード会社はグランプリは早々にあきらめ、それに続く金賞、銀賞狙いで、様々なプロモーションや審査員対策に奔走していたそうです。
 ALFAのスタッフも、当時まだ無名のカナダの少年歌手だったルネも、入賞できればいいくらいに考えていたようです(ルネは大会出場前に「僕は賞を取るよ」と言っていたそうですが…)。

 ところがルネは、予想を大幅に覆し、並み居る大人のベテラン歌手を押さえてグランプリを獲得! 表彰式では、フランク・シナトラからグランプリのトロフィーを渡されると、その愛らしい目から大粒の涙がポロリ…。会場は割れんばかりの大拍手。ALFAレコードにとって、最高の結果になりました。
 しかしルネが第3回東京音楽祭世界大会において、その美しいボーイ・ソプラノで熱唱し、一夜にしてアイドル・スターになってしまったことは、日本側のスタッフにとっては予想外の展開になりました。

 カナダのケベコワ(仏系カナダ人)にとって、フランスでのデビューは憧れ。そこにフランスからのTV出演依頼とフランスでのゴールド・ディスク受賞。さらにフランク・シナトラ氏の招きでアメリカ・ショー・ビジネスの世界へ。そしてエリザベス・テイラーのご指名でミュージカル『青い鳥』の出演が決定…と、それまで無名だったカナダの少年歌手ルネ・シマールは、とんとん拍子で世界から注目されるアイドルになってしまいました。それによって、最初は2か月に1回予定(と報じている記事有り)だった来日も減ってしまったのです。

 日本でもこの年の後半から翌1975年にかけてのルネ旋風は凄いものになりました。
 デビュー曲の『ミドリ色の屋根』を皮切りに、リリースするシングルやアルバムはみなオリコン・チャートの上位にランク。そして、そのプロモーションのために来日すると、宿泊先のホテルやALFAのビルの前まで、小さな女の子たちが大勢待ち受けていて、さながらビートルズやベイ・シティ・ローラーズの如く大騒ぎになったそうです。

 ところが1975年の後半になると、早くもその人気に翳りが…。常に日本にいるアイドルたちと違って、ルネはカナダに住んでいるのですから 無理もありません。アイドルというのは、一度売れたら、テレビやラジオ、あるいは芸能雑誌や新聞などに出続けなければなりません。そうしなければ、すぐに忘れられたり、次々と現れる他のアイドルに、その人気を奪われてしまいます。 とにかくメディアに出続けなければならないのです。
 でも、ルネの場合にはそれが不可能です。日本人アイドルと比べたら絶対的に不利でした。

 そんな時、1975年にカナダで開催される夏季オリンピック、モントリオール大会で、ルネが主題歌を歌うことが決まりました。打つ手がなくなっていたCBSソニーも、これには大乗りで、宮住氏が担当することになり、CBSソニーの金塚さんがカナダまで歌入れに行きました。しかし、ルネの変声によって録音された曲は発売中止となったそうです。それにつきましては、宮住氏のエッセイから抜粋した内容を、この後紹介いたします。または、直接、宮住氏のエッセでお読みください。



 そしてここからは、私の推測になります。
 ファン・クラブ等で報じられていたことと、宮住氏のエッセイに書かれた記録には、少々食い違う点があったので、この推測が当たっていれば、納得のいくことが幾つかあります。

1 『モントリオール讃歌』の作曲者の違い
 氏によると作曲者は村井邦彦氏ですが、実際はアンドレ・マチュー。

2 『モントリオール讃歌』の日本語詞の存在
 仏語詞の作詞はルネですが、過去ログでも紹介した山上路夫氏作詞による日本語詞のモントリオール讃歌がファン・クラブ会報に掲載されました(※1)。

3 CBSソニー金塚女史のカナダでの歌入れ立ち会い
 金塚さんは、TVアニメ『家なき子』のテーマ曲「流れる水のように」の歌入れのためにカナダに行ったという、ファン・クラブで紹介されたルネからの手紙がありますが、ここでは「モントリオール讃歌」になっています。また、日本で発表された曲で変声後の曲は「去年の夏」のみです。また、私の質問に対し、「流れる水のように」は変声前の声だったと、宮住氏からお答えいただいています。

 もしかすると、カナダには、日本語詞の村井氏作曲の「モントリオール讃歌」を録音に行ったのかも知れません。または、山上氏の日本語詞をアンドレ・マチューの曲に乗せて発売する計画があったのかも知れません。それが日本語版「モントリオール讃歌」でも、「流れる水のように」でも、日本では未発表のまま、音源の存在も不明です。ちなみに、実際に日本で発売されたシングル・レコード「モントリオール讃歌」は、A面が英語版「モントリオール讃歌」、B面が「この旗の下で」でした。  


<宮住氏のエッセイより(一部抜粋)>

  「モントリオール讃歌」の曲は村井さん自らが書き、それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。スポーツの祭典にふさわしい、明るく、力強い感動をもった曲でした。タイトルは『モントリオール讃歌』。この曲をルネが、あの張りのある美しい声で歌ったら、大ヒット間違いなし! 誰もがそう信じて疑いませんでした。CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに、歌入れに立ち合ってもらいました。しかし、スタッフが期待していたスピーカーから流れて来る声は、およそルネの美声とはかけ離れたダミ声の、しかも全く“少年の声” ではない。すると、金塚さんがうつむき加減で、元気のない声でこう言ったのです。
「変声期なんですよ…。」
 ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、もはやここまでということになってしまいました。残念ながら…。
 そう、少年にはこれがあったんですね。私はこの時、ウィーン少年合唱団を描いた映画、「青きドナウ」というのを思い出しました。あそこも、変声期を迎えた少年は、退団しなければならないんですね。非情だ…。ううむ…。


♪「ルネ・シマール」
 宮住俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52233078.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html

※1過去ログ「「モントリオール讃歌」に日本語詞が存在した」参照http://green.ap.teacup.com/rene_simard/144.html

※2過去ログ「スプリング・コンサート」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/183.html

※3過去ログ「カナダより4回目の来日の記事」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/456.html

※4”Passion ルネ・シマール au Japon”
「スプリングコンサートパンフレット」参照

http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_10.html
http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_18.html


 こうして、日本における「ルネ・プロジェクト」は、ルネの変声を機に終結いたしました。

 しかし、ルネは変声して『青い鳥』のチルチル役から降ろされた後も、アメリカで活動を続けていましたし、カナダでは「天使の声」を失ってもスターであり続けました。

 そして今年は、コメディー・ミュージカル「雨に唄えば」で、ファンを楽しませてくれることでしょう
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