ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネのサン・ティレールの豪邸①

2011年11月25日 | ルネの家
 今から18年前の1993年夏、ケベックのサン・ジャン・パティスト祭にわくモントリオール市に、ルネ・シマールを探す日本のレポーターとTVカメラが入りました。それは、バラエティー番組『明石家多国籍軍』の視聴者によるリクエスト・コーナーに、「ルネが今何をしているのか教えて欲しい」というリクエスト葉書がたくさん寄せられたためでした。

 過去ログで何度も取り上げたこの番組映像が、半年前にYouTubeにアップされていました。しかし、発見して間もなく、関西の番組製作会社など、複数の立会人から著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたことにより、YouTubeアカウントが停止され、映像が削除されてしまいました。
 実は、この映像は私も所有しており、いつか公開しようと思いながら二の足を踏んでいたものでした。その理由は、カナダのシャンタルさんたちのYouTubeサイトが、通報により閉鎖されてしまったのを見ていたからです。また、ルネの現在の家の内部が映されていたため、シャンタルさんたちからも一般公開はしない方が良いと言われていたからです。しかしそれ以前に、自分のサイトの危機につながる映像だったのですね。危ない、危ない…。

 そして、私はこの番組を放送時に見ていませんでした。後日この番組でルネのことを取り上げていたことを友人から教えられ、番組製作会社まで問い合わせの電話をかけたのでした。実際に取材に行ったスタッフからの情報は直接聞けませんでしたが、ルネは結婚していて2人の子どもがいること、新しく発売したCDと結婚記念ビデオが番組にプレゼントされたことが分かりました。CDの方は”E=MC2”。私がこのCDと番組映像を入手するのはそれからもっと後のことです。CDはやんばるQさんとのカナダ旅行で購入いたしました。結婚記念ビデオの映像は、私がYouTubeを知ってから間もなく、シャンタルさんやジゼルさんがアップしたものを見ることができましたが、こちらも2ヵ月ほど前にインターネットの通販サイトで入手できました。カナダに行かなくともネットで購入できるなんて、便利な世の中になったものですね。
 
  ▲番組映像よりちょっと後のルネ一家   
     (ルネのデビュー25周年記念誌の表紙)


 ちなみにこの記事は半年以上前から準備し、8月28日にアップした「ルネの白い家と船長の家」の続編として書いていたのですが、カナダで報じられた記事の翻訳が進まず、やむを得ず延期していたものです。さらに長くなってしまったため3話に分けました(苦笑)。前出の映像を一緒に紹介できれば最高だったのですけれど…★

※過去ログ「ルネの白い家と船長の家」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/472.html


 さて、「ルネの白い家と船長の家」で、ルネが13歳の頃住んでいたカナダ、ケベックのサン・ペテロニーユ村にある「船長の家を航空写真で探した話を書きましたが、ルネが18歳を迎える2日前、1979年2日26日に移った家が、サン・ティレールSant-Hilaireに有ると分かったため、同じ地図で調べてみました。
 モントリオール市からセント・ローレンス川を渡り、東に直線距離で25㎞~30㎞程離れたところにあるサン・ティレールは、閃長岩ぺグマタイトの産地として知られているサン・ティレール山Mont Sant-Hilaireがあり、モン・サン・ティレールは産出鉱物350種を越える、世界で最も産出鉱物の多い産地の1つだそうです(デアゴスティーニの『地球の鉱物コレクション』でも取り上げられています)。また、自然豊かでリンゴの産地でも知られています。当時ルネが所属していた”プロダクション・ギー・クルティエ”がモントリオールに有ったので、ケベックよりはずっと近い距離になります。
 そして、前出の番組に出てくるルネの家はモントリオールから車で約1時間行った高級住宅街にあるとのことでした。映像とサン・ティレールの家の写真を何度も見比べましたが、全く別の家のようです。ルネが結婚を機に購入した家なのでしょうか。


▲セントローレンス川の対岸から見たサン・ティレール山

 サン・ティレールの家は母ガブリエルと妹ナタリー、弟ジャン=ロジェ(アレクシス)と住んだようです。その頃、シマール家の長女オデットは既に結婚していましたし、他の兄弟も独立していたでしょうから、オルレアン島の「船長の家」は誰も住んでいないことになるのでしょうか。また、ルネの父ジャン=ロック氏が「船長の家」を出て別居した後、一時弟ジャン=ロジェ(アレクシス)と一緒に住んだと、彼の著書に書かれていました。しかし、ルネがこの家に移る9ヶ月前の5月26日に両親は離婚(それもジャン=ロジェの誕生日に★)しているので、ジャン=ロジェは母の元に戻ったのでしょう。現在「船長の家」は、再婚した母にルネがプレゼントして、母ガブリエル・ラベの所有になっていると聞きました。私がオルレアン島ツアーで訪れた時も人が住んでいる様子はなかったので、別荘として使用しているのかもしれません。

 話は変わりますが、退職してケベックに旅行したら、絶対にまた行こうと考えています。その前に、ルネ友さんたちと「ケベック・ツアー」だったりして…。「明石家多国籍軍」で紹介されたモントリオールの現在の家はちょっと無理としても、今度はシクーティミのルネの生家と、オルレアン島の「白い家」と「船長の家」、サン・ティレールの豪邸を見に行きたいなぁ。でも、ルネが生まれた時に一家が住んでいたサゲネ(Saguenay)のあるケベック州シクーティミ(Chicoutimi)は大洪水にあっているので、生家はまだ残っているかどうか分かりません。ちなみに、ルネが生まれたのはシクーティミの市民病院です。そして、ルネと兄レジス、妹ナタリーが3人で歌った”Mon Village”は1996年7月にサゲネで大洪水があった後に歌った曲です。

 それから、シャンタルさんには「カナダに来る時は教えてね。」と言っていただいているので、日程が合えばご自宅”MUSEE SIMARD”に、彼女のルネ・シマール・コレクションを見せていただきにうかがいたいものです。


♪CaseyさんのYouTube映像”Simard Houses”
http://www.youtube.com/watch?v=NrRm3HtWvi0

♪Saint-Hilaire,Vergers de Pommes,Quebec,Canada
http://www.dailymotion.com/video/xeum0c_saint-hilaire-vergers-de-pommes-que_travel

♪ルネが生まれたシクーティミのサゲネの映像です。
Saguenay

http://www.youtube.com/watch?v=1utst6U7xL0

※オルレアン島の旅行ガイドIlle d’Oirean
facebook会員の方のオルレアン島写真もご覧いただけます。
http://www.tripadvisor.jp/Tourism-g580448-Ile_d_Orleans_Quebec-Vacations.html


<サン・ティレールの豪邸の記事>

▲PASSION SIMARDより

 記事の内容については次回「ルネのサン・ティレールの豪邸②と③」で紹介いたします(爆★)。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票100%を達成。2ndステージに進み、購入予約受付期間も 2011年5月18日から2011年6月22日までから、12月14日までに延期になりました! 商品化決定まで58パーセント。 どんどん宣伝して、みんなの力でCD化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばなりません!

     ▲”E=MC2”のCDジャケット

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♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html


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ルネと『赤毛のアン』

2011年11月18日 | カナダ旅行記
 日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報№3に掲載された「赤毛のアン」の記事です。

 同じカナダで、仏語圏のケベックから近いプリンス・エドワード島は、ルーシー・モード・モンゴメリの「赤毛のアン」で有名。少女小説のため、カナダだからといって男の子や男性は読みませんが、根強いファンはアメリカ、日本に多く、夏期中心に原作ファンの観光客がたくさん訪れます。 日本の「赤毛のアン」ファンにとっても憧れの地であり、カナダの中でも行ってみたい場所の上位に入るでしょう。
 日本人観光客のために、アン・ツアーの会社があって、日本人の現地係員が在駐していますから、安心して観光できます。どこに行っても日本人観光客に遭遇するので、本当にカナダに来ているのかと錯覚を起こしそうです。毎年「ミス・赤毛のアン」がコンテストで選ばれたり、アンのコスプレをした現地のアルバイトの女の子が案内してくれたり、島の劇場ではミュージカルが上演されていたり、アンのお土産グッズなど、島全体が「赤毛のアン」のアミューズメント・パークのようです…といいながら、ツアーに含まれていたので新婚旅行で行ったのですが★

 もちろん私は原作も読んでいますし、宮崎駿監督が手がけた世界名作劇場のアニメ「赤毛のアンが大好きで、DVDも持っています。ただ、カナダにおける英系と仏系の問題が時々出てくることが、この小説に対する唯一不満なところです。
 また、新婚旅行で行った時は、NHKで放映されていたドラマ「アボンリーヘの道」の撮影現場を回るツアーもセットされていました。

 カナダに旅行する時に絶対外せないのは、ルネ・ファンとしてケベック(ケベック・シティ、オルレアン島、モントリオール、シクーティミ)ですが、プリンス・エドワード島ももう一度行っても良いと思う場所です。ただし、美味しいものを食べたいと思ったら、やっぱり、「美食は罪悪」の英系よりも、美味しい物好きの仏系です。島の赤い土はジャガイモ等の野菜の栽培に適しており、ロブスター等の海産物もとれますが、素材のそのままの味を生かしているというより、単純な調理で出されたお料理はいまいちでした。また、カナダは多民族国家ですので、いろいろな国のお料理が楽しめます。量は基本的に多いのでオーダーは控えめに! ただし、日本人観光客が多いカナディアン・ロッキーの方では、日本人に合わせた量や調理法(肉の焼き方など)で出すレストランもありますし、バンクーバーには新鮮な魚貝を使った有名な日本人シェフのお店もありますけれど…ああ、また食いしん坊なコメントに走ってしまった★




”赤毛のアン”とミドリ色の屋根
                ぜひ読んでもらいたい本

カナダを代表する小説”赤毛のアン”はプリンス・エドワード島の北海岸、キャンベンディシュで生まれました。ルネが歌った曲名が”ミドリ色の屋根”ならば、”赤毛のアン”の原名は“Anne of green-gables”(緑の切り妻屋根のアン)なのです。ニンジン頭で目が大きく、そばかすだらけの顔でとめどもなくおしゃべりするアンの魅力にはあなたもきっととりこになってしまうでしょう。
作者のルウシィ・モウド・モンゴメリーの住んでいた家は、”赤毛のアン”に描かれているそのままの姿で丘の上に残っています。小説にでてくる「輝く湖水」「恋人の小径」「お化けの森」は昔のままの姿で国立公園として残っています。作者のルウシィ・モウド・モンゴメリーの乙女時代に対する深い愛と夢は彼女自身”赤毛のアン”その人だったのかもしれません。
(カナダ大使館・カナダ政府観光局・資料写真提供)


▲ルネ・ファン・クラブの記事で紹介された時と少し変わってるのが興味深いですね
▲グリーン・ゲイブルズの裏
▲アンの部屋のモデルとなったモンゴメリーの部屋(左)
 「恋人の小径」散策で見つけた虫捕りの仕掛け(右)

▲ルウシィ・モウド・モンゴメリーが勤めていた郵便局

 話は変わりますが、カナダのGiseleさんによってfacebookにアップされたRadio Canadaの番組映像で、ゲストのルネに出演者が歌を歌っており、その中で、下の映像の前でモントリオール・オリンピックの旗を掲げ、仏語版「モントリオール讃歌」" Bienvenue à Montréal"を歌う場面がありました。ボイコットされたため、歓迎の歌でありながら、開会式で歌われることの無かったこの曲が、公開番組で歌われたということは、この曲がケベックのルネ・シマール・ファンに愛され続けていることの証ですね。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


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♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html

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ルネとアニメ『家なき子』

2011年11月11日 | ルネの活動記録
 前回の記事を書き終えてから、またまた「重箱の隅」にルネ・ネタを発見!  それはルネが主題歌を歌うはずだったTVアニメ『家なき子』について。
 本題とは全く関係有りませんが、今日は世界平和記念日。2011年11月11日で1が6つ、11時11分11秒には1が12並ぶということで、ネットサイトでも盛り上がっていたようですね。私はもともと日付にこだわる質なので、予定を1日繰り上げて記事をアップしています(笑)。


▲1975年~1975年当時のルネ(Maple Matesの会報より)


 TVアニメ家なき子は、1975年10月からフジテレビ系で放映されるはずでした。ルネがカナダでレコーディングまで済ませていた主題歌のタイトルは、『流れる水のように』と『旅するレミのテーマ』。当初、”「ミドリ色の屋根」の感動をもう一度と銘打たれ、1975年12月5日発売の予定でした。ルネ・シマール・ファン・クラブ”Maple Mates”から送られてきたファイルに印刷されていた、1975年8月20日付けのルネからの手紙にも、

「この間はCBSソニーのカネヅカさんが次のレコードの唄入れにわざわざカナダへ来ていただきました。この曲は、日本のテレビで放映されるマンガ映画の主題歌だそうです。曲がすばらしいのでフランス語でも歌ってみたいと思います。」

と書かれていました。また、ファン・クラブの”Maple News”で紹介されたルネからのエア・メールには、

「漫画映画の主題歌「流れる水のように」を吹き込みましたが、放映が中止になるそうですネ。僕、皆んなのために一生懸命歌ったのにガッカリ・・・・・・・・、でも僕の歌は、3月~4月発売になる様です。」

とありました。

 しかし、ルネの手紙にあるように、1976年4月21日にCBSソニーから発売されるはずが、こちらも中止になってしまいました。
 アニメについては、前出の”Maple News”で、『漫画映画制作会社の都合により放映中止』と報告されただけで、制作会社がどこなのか、また、監督やキャラクター・デザインが誰によるものなのか等は一切知らされていませんでした。
 主題歌は、作詞が「世界は俺が回してる」のなかにし礼氏と、作曲は言わずと知れた「ミドリ色の屋根」の村井邦彦によるものでした。ルネが録音を終えていたという主題歌のテープがCBSソニーに保管されているのなら、この豪華コンビの曲なのですから、未発表曲として「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」に収録してほしいです。

 そして放映予定の2年後、1977年10月から日本テレビ系列で『家なき子』が放映されました。私は、やっとルネの歌が聴ける♡…と、期待に胸をふくらませてオープニングを見たのですが、別の歌手が歌う全く違う曲だったのでガッカリしました。もちろんアニメーション自体も全くの別物だったのです。調べてみたところ、このアニメは日本テレビ開局25周年記念作品として製作された、メガネ無しで見られる、初の立体アニメーションとして話題になった作品でした。また、1975年7月26日公開の東映まんがまつりで劇場版『家なき子』が上映されていました。

 そのために、ルネの『家なき子』はストップがかけられたのかもしれません。これは私の推測ですけれど、その可能性は否定できないと思います。


▲1975年当時のルネ(Maple Matesの会報より)


 さて、アニメ『家なき子』について、ルネ・シマール・ファン・クラブ”Maple Mates”の”Maple News”の記事と、調べて分かった情報を紹介いたします。


<「家なき子」の主題歌に関する記事>

 「10月からフジテレビ系で放送されるアニメーション『家なき子』(仮題)の、主題歌を歌うことも決定! 今年の来日予定はないけれど、遅くとも来年の初めには、ひと回り大きくなったルネの姿を見られそう。お楽しみに!」(週刊少女コミック「スターニュース=決定版=あのねのね…」より)


 漫画映画「家なき子」は、漫画映画制作会社の都合により放映中止となりました。
 しかし、この主題歌は、CBSソニーより4月21日発売となります。
  A面「流れる水のように
           作詞 なかにし礼
           作曲 村井邦彦
  B面「旅ゆくレミのテーマ
           作詞 なかにし礼
           作曲 村井邦彦


※「家なき子」のくわしい記事については過去ログをご覧ください。http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%89%C6%82%C8%82%AB%8Eq&inside=1&x=14&y=10


<アニメーション「家なき子」>

アニメ「ちびっ子レミと名犬カピ」(1970年、東映動画) - アニメ映画東映まんがまつりの一作。
ちびっ子レミと名犬カピより「 家なき子」(1975年、東映動画) - 上記の改題短縮リバイバル版。東映まんがまつりで上映。
家なき子(1977年-1978年、東京ムービー新社制作、日本テレビ系放映) - テレビアニメ。劇場版も作られ、1978年と1980年に東宝系で公開。
まんが世界昔ばなし(1977年、ダックス・インターナショナル制作、TBS系放映) - テレビアニメ。
「家なき子レミ」 (1996年、日本アニメーション制作、フジテレビ系放映) - テレビアニメ世界名作劇場の一作。レミの性別が女に変えられた。


『家なき子』
・東京ムービー新社制作のテレビアニメ。
・放映は日本テレビ系列で1977年10月2日から1978年10月1日まで。
・全51話。
・キー局の放映枠は毎週日曜日の18時30分から19時00分まで。
・原作はエクトール・アンリ・マロの「家なき子」。
日本テレビ開局25周年記念作品
・「立体アニメーション」として立体映像「ステレオクローム方式」で制作。
・総監督:出崎統作画監督:杉野昭夫



主題歌
オープニング「さあ歩きはじめよう
歌:沢田亜矢子、シンガーズ・スリー 作詞:東京ムービー企画部 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士
エンディング「はらぺこマーチ
歌:沢田亜矢子、少年少女合唱団みずうみ 作詞:東京ムービー企画部 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士

※wikipedia「家なき子」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)

※wikipedia「東映まんがまつり」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%98%A0%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%8C%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A


『家なき子レミ』
フジテレビで放映されたテレビアニメ。
「世界名作劇場」シリーズ第23作目で、地上波での最終作。
・放映期間は1996年9月1日から1997年3月23日までの全26話。このうち3話は未放映で、放送時には全23話。
・当時安達祐実主演の『家なき子』がヒットしたため、原作では男の子だった主人公を女の子に変更した。このため、時代設定が、原作の19世紀から20世紀に変更された(19世紀には、それまで女はスカートが主流であったため)。
・当初の企画では、主人公レミの声を安達祐実にしようという案も出されたが、安達サイドの方で断ったため、実現はしなかった。
・名作劇場シリーズ中、平均視聴率は最低となった。

オープニングテーマ「愛について」
作詞・歌 - さだまさし / 作曲・編曲 - 服部克久
エンディングテーマ 「しあわせの予感」
作詞 - 岡田冨美子 / 作曲・編曲 - 服部克久 / 歌 - Youca

※wikipedia「家なき子レミ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%AD%90%E3%83%AC%E3%83%9F


 TVアニメ「家なき子」について情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。よろしくお願いいたします。



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


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♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html


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ルネのラジオ歌謡番組情報

2011年11月03日 | ミドリ色の屋根の頃
 今回のタイトル「ルネのラジオ歌謡番組情報」は、いろいろ悩んでつけました。何故なら、内容をストレートにタイトルにすると、「ルネの来日が無くなった理由」になるからです。

 これは、当ブログの古くからのルネ友さんであるmomoさんから寄せられた情報です。内容が内容だけに、ブログのコメント欄を避け、「シマ姉BOX」にメッセージを入れてくださいました。
ルネの来日が無くなった理由」は、いろいろな理由や原因があってのことと思います。しかし、当時のファンは、はっきりしたことが分からないままルネの来日が途絶え、日本のファン・クラブ「メープル・メイツ」も閉鎖されてしまい、ルネへの想いを持て余して途方に暮れていました。ですから、これは理由の1つに過ぎないとしても、公のラジオ放送の「芸能リポート」で報じられた、当時を知る貴重な「手がかり」として、当ブログで紹介することを承諾していただきました。その内容につきましては、私の推測とともに、この後紹介させていただきます。
 


momoさん情報メッセージより抜粋)
ラジオ番組「RKBベスト歌謡50」の「鬼さんの芸能リポート」より

 前から機会があったらシマ姉さんに聞いてほしかったことがありました。ルネの来日がなくなったことに関してです。

 私は当時毎週日曜日に放送されていたラジオ番組「RKBベスト歌謡50」というのを聴いてました。50曲のランキングが紹介されるので一曲が流れる時間はとても短いのですが、ルネの曲が公の電波に乗ることがうれしくて、また何かルネの情報が得られるのではと思い毎週欠かさず聴いていました。担当が鬼澤慶一という人で番組の中には鬼さんの「芸能リポート」というのがありました。

 ある日視聴者のルネの来日に関する質問に鬼さんが答えていたのですが、ルネ側が日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側となにかトラブルがあるような内容のことを少し言いにくそうに話していたんです。
 とてもショックでしたが、やはりそのあとパタリと来日がなくなりました。今思うと、その後予定されていたアニメのテーマソングの話もなくなりましたし…。一方的な情報で真相はわかりませんし、あまり愉快な内容ではないのでわざわざお伝えする必要もなかったかもしれません。

 しかし、シマ姉さんのルネブログへの情熱、情報収集・探究の姿勢を思うと、このような情報でもなぜかお伝えしたいなという気持ちになりました。でも、これはルネ本人の価値と無関係の話ですね。


※「RKBベスト歌謡50」
・RKBラジオで1974年(昭和49年)4月14日から1995年(平成7年)12月31日まで毎週日曜日に放送された歌謡曲のランキングカウントダウン番組。
・放送開始当初は12:15~15:55だった。
・番組のコンセプトとして、1位から50位まで全曲をオンエアするというのが特徴。
・「ザ・ベストテン(1978年~1989年、TBS。福岡地区のネット局は、RKBテレビ)」の、発案のきっかけになったのはこの番組。
・当時のDJは林 幹雄アナウンサー。
・ルネの情報は「鬼さんの芸能リポート」コーナーで報告された。

※wikipedia「RKBベスト歌謡50」
http://ja.wikipedia.org/wiki/RKB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%AD%8C%E8%AC%A150

※鬼澤慶一
 TBSの情報番組「モーニングジャンボ」の初代レポーター。 辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。ザ・ベストテンの情報提供者としても知られている。

   

 さて、私個人の推測です。

 数年前、カナダからのルネ情報の中に、ルネが日本に行かなくなったことについての内容がありました。こちらもはっきりとしたことは分かりませんが、「日本に行ったことによって、ルネにとってマイナスになるような、嫌なことがあった」らしいのです。

 ルネは日本で第3回東京音楽祭世界大会に出場し、グランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したからこそ、カナダの英語圏やアメリカ、フランスでのビジネス・チャンスをつかんだはずなのに、何故?……と、私はとても悲しい気持ちになりました。でも、momoさんからの情報によって、「理由を知るための糸口」が見えたような気がしました。


 momoさんがこの芸能リポートの情報を聴いたのは、ルネの来日が無くなってから。つまり、全国縦断スプリング・コンサートの行われた4回目の来日の後です。
 スプリング・コンサートの東京公演に行かれた年友さんの情報では、かなりの数の空席が有ったそうです。そして、momoさんが行かれた福岡公演でも空席が目についたといいます。ファン・クラブでチケットの優先販売をしていましたが、どれくらいの数が売れたのでしょう。
 また、1975年3月発売の月刊明星」5月号の「マンスリー・ジャンボ」に、『コンサートに本誌読者を100名招待』という購読者プレゼントがありました(上の記事画像を参照)。かなり切羽詰まってからの、それも先着100名に、4月7日の東京・神田共立講堂の入場券をプレゼントするという企画です。当選は発送をもってかえさせていただくというばらまき状態★ …ということは、「コンサートのチケットが当初の予定より売れなかった」ため、客席を埋めるための苦肉の策だったのでしょうか。この東京公演には、カナダとアメリカの取材カメラが入っていましたから、日本のスタッフが焦ったのかもしれません。それでもかなりの空席が有ったというのですから、東京公演だけを考えても「興行成績が悪く、採算が取れなかった」ことになります。しかし、momoさん情報では、ファースト・コンサートの時も、「週刊セブンティーン」から大阪コンサートと9月14日の東京コンサートに300名を招待する企画があったということなので、このことだけで判断することはできませんが…。

 また、ルネは母国カナダにたくさんのファンを残して来日していたので、日本での活躍を伝えるために(むしろ日本の芸能誌より詳しいぐらい)報道関係者が必ず同行していました。そして、来日の度にたくさんのスタッフも同行していました。そのため、移動にかかる交通費や宿泊費は大変な金額になったでしょう。現在でもケベックからの直行便はありませんから、当時はもっと時間がかかって、子どものルネには相当な負担だったに違いありません。日本側とどのような契約になっていたかは、当時の関係者でなければ分かりません。しかし、コンサートの収益に見合わない金額だったとしても、来日の必要経費等も含めた契約どおりの金額を、カナダ側がルネのギャラとして請求するのは当然です。それが「日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側とトラブルになっているらしい」という情報になってしまったのではないでしょうか。

 しかし、momoさんから福岡公演での空席について、追加情報をいただいて思ったのです。忙しいスケジュールの中、日本のファンのために来日したのに、コンサートでは会場に空席が目立ち、日本での人気が低迷していると知った時、ルネがどんなに悲しく思い、傷ついたことか…と。きっと勘の良いルネは、空港に到着した時から、日本の変化を感じていたのではないかと思います。何故なら、ルネがイメージ・キャラクターだった『中一時代』にも、芸能誌にも、ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報にさえ、この時の記事はほとんど載らなかったのですから、取材する報道関係者も少なかったのではないかと思います。

 もちろん年友さんのスプリング・コンサートの録音テープからも、アメリカの特集番組で紹介された映像からも、熱狂する日本のファンの様子は分かりましたが、資料の写真や記事から見て、ファースト・コンサートより舞台装飾は地味でした。さらに、東京公演の翌日は北海道公演という、カナダでは考えられないハード・スケジュール★ それでも、ルネは若くてもスターであり、プロの歌手ですから、観客の前では最高のステージを見せてくれます。しかし、同時期のカナダやアメリカでのコンサート、イベント等では、超満員の観客の前で歌っていたスーパー・アイドルのルネです。観客席に空席が有るなんてことは、あまり経験したことがないのです。その上採算の取れなかったコンサートのギャラについてトラブルになったら、嫌な思いどころではありません。
 また、カナダ側からすれば、観客を動員できなかったのは日本側の責任です。それに対し、日本側はコンサートの収益から支払うルネのギャラについて、採算が取れなかったことを理由に、カナダ側に金額の交渉を持ちかけたに違い有りません。日本ではありがちなことでも、欧米では一度交わした契約は絶対ですから、カナダ側にしてみれば日本側の契約違反になります。これではトラブルにならないはずがありません。

 ルネが「日本で嫌な思いをした」というのは、このことだったのではないかと私は推測しました。

 でも、「ルネが日本に来なくなった理由」については、このトラブルだけが原因ではありません。何故なら、TVアニメ『家なき子』の主題歌の件は放映中止が原因ですし、来日がなくても新曲は出ていたし、レコードもベスト・アルバムまで発売されていたので、日本側が契約どおりのギャラを支払うことで、トラブルは解消されたのでしょう。TVアニメ「家なき子」の主題歌などは、CBSソニーの担当者がわざわざカナダまでレコーディングのために出向いていましたし、「モントリオール讃歌」の発売も、ソニーがノーベル・レコードに交渉して実現したことです。

 しかし、コンサートの入場者数から判断し、カナダ側のスタッフが日本での活動縮小を決断したことは目に見えます。ルネ・ブームが冷めてしまった日本より、世界を狙うのに打って付けで移動も容易なアメリカでの活動に切り替えた方が良いに決まっています。そして、当時まだ14歳だったルネが、スタッフのアドバイスを受けて努力し、活動してきたからこそ、現在のルネがあるのですから…。
 ルネも過去のことに拘っている様子は微塵もありません。今はルネのファンとして、日本から応援するのみです。
 

 長々と書いてしまいましたが、これは私個人の推測ですので、お馬鹿なルネ・ファンの戯言と思って読み流してください。

 また、このことについて、当時の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非是非ご一報ください!



   


 ちなみに、当ブログのゲストさんにはご存知の方も多いと思いますが、私は両親から許してもらえず、次回の来日のコンサートに夢を託して泣く泣く諦めたのでした。「親の反対を押し切ってでも行けばよかったのに!」という方もいらっしゃるでしょう。でも、当時は親の言うことは絶対でしたし、親の反対を押し切ってコンサートに出かけたとしても、終電で帰ってこれないような田舎育ちで、翌日は始業式でしたから、今考えてもコンサートに行くことは無理でしたね…★ 私と同じような状況で行けなかったファンも多いのでしょう。

 そして追記です。
 当時、日本側のスタッフが「ルネか来日すると大金がかかる。」と言っていたそうです。確かに1回目の来日では東京プリンスホテルに泊まっていましたし、他の来日時には高輪プリンスホテル(現 グランドプリンスホテル高輪)に宿泊したそうですから、宿泊費はかなりの額になったでしょう(年友さん情報)。そのため日本側でも、来日には費用かかかりすぎるので、レコーディングもカナダで行い、レコードの発売のみにとどめたのかもしれません。

 今回情報を提供していただきましたmomoさんには、以前スプリングコンサートの福岡公演の様子についてコメントをいただきました。それ以外でも私が知らなかった当時の情報を寄せていただいたり、想い出話に花を咲かせたりしています。momoさんから初コメントをいただいてからもう丸4年! ネット上のお付き合いも5年目に突入しました。カナダのルネ・シマールという共通のスターを通じて出会い、こういう楽しい交流が出来ることはとても幸せなことです。
 momoさん、そして年友さん、いつも貴重な情報をありがとうございます! これからもルネ友としてどうぞ末永くよろしくお願いいたします。



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票が100%を達成し、2ndステージに進みました! 予約受付期間は2011年5月18日から2011年6月22日までから、11月9日までに延期になった期限も迫ってきました! 現在、ほぼ週1パーセント・ペースという亀の歩み。それでも確実に予約数を増やしています。すでにどっぷり長期戦になっていますが、みんなの力で是非商品化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばっ!

           

 現在商品化決定まで55パーセントです。

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♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html

コメント (4)
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