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ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

人生における記憶に残る10の瞬間③

2025年08月17日 | ルネの活動記録

 先週8月8日(金)に投稿した記事の「追記」でお伝えしたとおり、はてなブログへのお引越しが完了いたしました

 トップページのデザインは下のようになりました。サイドメニューには「自己紹介」、「最新記事」、「月刊アーカイブ」、「カテゴリー」、「リンク」、「最新のコメント」に加え、ゲスト様へのご挨拶と、teacup時代にトップページに固定していた記事のリンクを配置いたしました。goo blogには無かったブログ内の記事の「検索」もございます♪ 

 teacup時代のトップページ記事の修正をしながら、リンクや画像の貼り付け方を確認することができました。編集も、見たまま編集の画面で打ち込みが出来るのが良いです(^^♪ さらに過去ログの確認や修正、リンク等、今までよりも簡単に出来ることが分かったので、これから地道に修正していきたいと考えています。

※過去ログ「”ミドリ色の屋根”とRene Simard(旧ブログ トップページ)」参照 

※「はてなブログの「ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~」へはここをクリックしてお越しくださいね

 

 

Pascale Wilhelmy rencontre… パスカル・ウィルヘルミーが出会う…

René Simard

10,MOMENTS MEMORABLES DE SA VIE

人生における記憶に残る10の瞬間

左上:RSVP を愛することで、ルネ・シマールは歌とダンスに加えてショーの主導権も握れることを証明しました。

 左中央:ロザリーとオリヴィエは、ルネとマリー=ジョゼの誇りです。「私の二人の子供は自然の力です」と、父親は信じています。

 左下:「私にとって、このショーは一種の奉献でした」とルネはこの作品を振り返って語った。

 右上:ルネは2月13日、カナダ総督デイヴィッド・ロイド・ジョンストン 閣下よりカナダ勲章を授与されました。

 右下:予定 ルネ・シマール アルバム |全国のレコード店で入手可能

 

1984-1991

LES ANNÉES TÉLÉ テレビ時代

TVARSVPの司会を務めたのは本当に楽しかったです! 番組は2年間放送され、素晴らしいチームと共に52のエピソードを収録し、週7日休みなく働きました! 一緒に仕事をした人たちとの思い出は、今でも忘れられません。素晴らしい経験だっただけでなく、新しい人たちと出会える素晴らしい機会でもありました。

 それから「Bye Bye」では、マリーナ・オルシーニ Marina Orsini やパトリス・レキュイエ Patrice L'Ecuyer など、大好きな人たちと出会うことができました。パトリスと私はとても相性が良く、彼の番組のプロデューサーも務めました。まるでティーンエイジャー同士のように、楽しい時間を過ごしました! そしてもちろん、いつも私のそばにいてくれたドミニク・ミシェル Dominique Michel も忘れられません。彼女は本当に尊敬していて、今でも会っています。私は、ケベックにそれぞれの形で影響を与え、心から愛されている人たちと仕事ができるという幸運に恵まれました。」

 

 

1989-1991

LA NAISSANCE D’OLIVIER ET ROSALIE オリヴィエとロザリーの誕生

「親なら誰でもそう言うでしょう! 子どもが生まれると、すべてが変わってしまうのです。マリー=ジョゼと私は出産前のクラスに通い、心の準備は万端でした。それでも、片手に収まるほど小さな我が子の姿を見て、本当に感動しました。そして、自分が大切な存在に感じられるようになります。なぜなら、その子を偉大で善良な人間に育てる責任があるからです。このことを話すたびに、感動します。テレビで出産の様子を見るたびに、涙がこぼれます。今では、大人になった子供たちを誇りに思います。オリヴィエは25歳で、ボンバルディア社で働いており、よく出張しています。ロザリーは23歳で、デセール社で働いています。彼女もダンスの奨学金を受けています。私の二人の子供たちは、まさに天賦の才です。オリヴィエは政治家で、どちらかというと社交的なタイプです。ロザリーは物静かなタイプです。二人はユーモアのセンスがあり、素晴らしい個性の持ち主です。私たちは…お互いにとても近いです。」

 

 

1999

LE FANTOME DE L’OPÉRA オペラ座の怪人

「このミュージカルは、今でも私の最も大切な思い出の一つです。私にとって、このショーは一種の聖化でした。8年間、トレーニングと歌に励みましたが、まさかこの伝説の役を演じる日が来るとは夢にも思っていませんでした。そして夢が叶ったのです! トロントで、1年間、週8回『オペラ座の怪人』に出演しました。大変な仕事で、1日に2公演することもありましたが、夢に近づいていたのです。制作陣が私をメディアに紹介した瞬間を今でも覚えています。誰かが「新しい怪人です」と言いました。他の俳優やダンサーの前で舞台に上がり、私は子供のように泣き出しました。もし私がこの仕事を続けていたとしたら、まさにこのような瞬間のためだったのでしょう。『オペラ座の怪人』の一瞬一瞬を大切にしていましたし、その感謝の気持ちは正しかったのです。この種の役を演じる時は、俳優が病気になった場合に備えて、2人の代役が待機しています。でも、彼らは1年間も仕事をしませんでした!すべての公演に出演し、本当に楽しかったです。」

 

※過去ログ「ルネのファントム 」参照

 

2015

UN TRES GRAND HONNEUR この上ない栄誉

「これまで数々のトロフィーや賞をいただき、いつも感謝の気持ちで受け取ってきました。最近ではカナダ勲章を授与されましたが、全く予想外のことだったので、本当に感激しました。ある日、電話が鳴り、「こちらはカナダ総督の事務所です…」という声が聞こえたのです。すぐに、イベントの開催に私の力が必要なのかと思いました。ところが、なんと、勲章を授与したいとのことでした!(笑)カナダ勲章を授与するにふさわしいと考えてくださっていることに、心から感銘を受け、感動しました。式典にはマリー=ジョゼ、子供たち、そしてクロディーヌ・バシャンも出席してくれました。素晴らしい栄誉でした。年長者に囲まれ、この栄誉を心から受け取り、感謝することができました。とても幸せでした。」

 

 

 はてなブログにお引越しが完了しても、10月1日の新規投稿及び編集機能終了までは、goo blogにも記事を投稿してまいります。11月18日のサービス終了まで、当ブログをどうぞよろしくお願いいたします

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人生における記憶に残る10の瞬間②

2025年08月08日 | ルネの活動記録

 

 今日8月8日は、ルネとマリー=ジョゼの37回目の結婚記念日です お二人は、1987年8月8日にサン=ソヴール教会で結婚しました

 偶然にも、今回の「人生における記憶に残る10の瞬間」の2回目は、ルネと妻マリー=ジョゼの出会いとお二人の結婚式の想い出が語られています。また、記事の中で「私の人生の一部であるクロディーヌ・バシャン」と紹介された、クローディーヌさんの8月1日のお誕生日をタイユフェ・シマール家でお祝いした写真が、ルネの娘ロザリーのFacebookInstagramの公式ページに投稿されました(下の写真参照)。1974年の来日時もルネと同行し、身の回りの世話をしてくれていたバシャン姉妹を、家族同様にずっと大切にしてきたルネ。第2の母でもあるバシャン姉妹を加え、4世代が満面の笑みで幸せいっぱいの写真に、私たちファンの心も温まりますね

 

▲前列左から、兄オリヴィエ、ロザリー(本人)と娘アデリー、姪クロエを抱くクローディーヌ・バシャン(姉)、ダニエル・バシャン(妹)。後列左から、母マリー=ジョゼ・タイユフェ、父ルネ・シマール、姪アクセルを抱く兄嫁アレクセ。

 

Pascale Wilhelmy rencontre… パスカル・ウィルヘルミーが出会う…

René Simard

10,MOMENTS MEMORABLES DE SA VIE

人生における記憶に残る10の瞬間

 

▲上:ルネはリベラーチェLiberace をとても親切で礼儀正しい人として覚えています。

 下左:美しいマリー=ジョゼは、たちまちルネを魅了しました。

 下右:新婚夫婦は、自分たちの結婚生活が生み出した関心に非常に感銘を受け、圧倒されるほどでした。

 

1976-1977

EN TOURNEE AVEC LIBERACE リベラーチェとのツアー

「この時代のことはあまり記憶に残っていませんが、私は2年間、リベラーチェ Liberaceと共演しました。彼は私のよく知る人物で、マイケル・ダグラス主演の映画で描かれたような不快な人物とは全く違います。私は彼を知っていましたし、紳士的で、とても優雅な人だったと断言できます。彼はトロントのCBC番組で私を見て、マネージャーに彼のショーに私を出演させたいと伝えてくれました。私たちは2年間、ラスベガスや全米各地で公演を続けました。オープニングアクトで私が歌っていたと思っている人もいますが、そうではありません。私は彼のショーの一部だったのです。リベラーチェ Liberace は退屈になりたくなかったようで、何度も衣装を着替えました。コートが燃え、ピアノも燃えてしまいました! 彼はそれを着替えたのです! (笑) ロールスロイスでステージに上がると、彼がドアを開けてくれて、「世界で一番高価なドアマンがいますね…」と言ってくれました。彼が衣装を着替えている間、私は歌いました。新しい衣装で戻ってきてくれた彼は、ピアノでフランスの歌のメドレーを演奏してくれました。アメリカ人はそれをとても喜んでくれました! 彼はとても優しく、人生を愛し、他人を尊重する人だったことを覚えています。彼が病気を告げて去った時は、とても悲しかったです。あの2年間は本当に悲しいものでした。」

 

▲ラスベガスのヒルトンで、リベラーチェのショーに出演。ロールスロイスに乗って登場し、リベラーチェのピアノ伴奏で歌うルネ(バシャン姉妹の本より)。

 

1980

LA RENCONTRE AVEC MARIE-JOSÉE マリー=ジョゼと出会う

「マリー=ジョゼの父、クロード・タイユフェはバラエティ番組のプロデューサーをしており、私をよく誘ってくれました。マリー=ジョゼも私を気に入っていたので、連れて来てくれたのです。19歳の時、芸術劇場 la Place des Artsで公演をした際に、マリー=ジョゼから公演を見に来ると電話がありました。翌日も舞台裏で観られるように、また彼女を誘いました。その時から私たちの関係はより深まりました。そして35年経った今でも、私たちは一緒にいます。マリー=ジョゼは素晴らしい人です。彼女と過ごす時間は、まるで体から浸透していくようです。すべてが自然で、私たちは完璧に理解し合っています。私は尊敬すべき女性を見つけました。私たちは人生が大好きです! 妻、子供たち、母、そして私の人生の一部であるクロディーヌ・バシャン。彼らは私が守る大切な人たちです。彼らは神聖な存在です。

 

記事で紹介された写真の取材時に撮影されたポスター(左)と写真(右)。

 

1987

LE MARIAGE 結婚式

「想像していたよりもずっと大きかったけれど、本当に素晴らしかった! ローレンシャン県のサン=ソヴール教会で結婚式を挙げ、オルレアン島の司祭が式を執り行ってくれました。こんなにたくさんの人が集まってくれたことに、本当に感動しました。ピエール・エリオット・トルドー Pierre Elliott Trudeau、ドミニク・ミシェル Dominique Michel セリーヌ・ディオン Celine Dionルネ・アンジェリル René Angélilなど、錚々たるゲストも来てくれました。素晴らしい一日でしたが、同時に終わりの始まりでもありました。結婚式とハネムーンの後、私たちはプライバシーを守り、少し距離を置くことにしました。それが私たちを救ってくれたのです。家族生活は自分たちだけのものにしたいと思い、あまり自分をさらけ出さないようにしたかったのです。今でも、人に迷惑をかけずに幸せに生きようと心がけています。「幸せな人には歴史がない」と言う人もいますが、それは違います。私たちには歴史があり、幸せを大切にしています。なぜなら、それは自分たちで築き、大切にしてきたからです。そして、これからもそうし続けます!(笑)」

 

▲結婚式の後、サン=ソヴール教会の前で。

▲左:新婚旅行に出発するルネとマリージョゼ 右:2人を空港で見送る親族たちと一緒に。

 

 次回8月17日(大安)は「人生における記憶に残る10の瞬間」の3回目になります。

 そして、この記念すべきルネの結婚記念日に、当ブログの移転先となる「はてなブログ」のアカウント取得手続きを行います! 

 実は、teacupからgoo blogに移転する際、開設日を当ブログの開設記念日である6月10日にしようと考え、データのお引越しの準備のために前日にアカウントを開設したら、当然のことながら、6月9日がgoo blogの開設日になってしまいました★ 常識知らずの初歩的にミス(笑)を繰り返さないために、今日アカウントを作成して、レイアウトの設定、goo blogの引っ越しデータのインポート等を行います。(この記事の投稿は午前2時28分なので、実際開始するのは、起床後朝の家事仕事を終えてから 笑)。

 

<追記>

 数日かかるとという引っ越しデータ作成は瞬時にできて肩透かし(?)。無事はてなブログのアカウントを作成し、基本的な設定を済ませいホッとしたのも束の間、インポートの段階で大苦戦★ 何度もやり直して、やっとのことでインポートが開始されました。こちらはかなり時間がかかりそうだったため、この追記はインポートが始まってから打ち込みました。

 思っていたよりも早くデータ移動が完了したので、これから記事の取りこぼしが無いかを確認します。前回のお引越しでは10記事が消失していました★ 気づいたのはサービス終了後だったので、編集機能が終了する10月1日までに、過去ログの確認作業と記事投稿を並行して行います。一番の難関だと思っていたブログ内の記事のリンク設定も、広告を非表示にするために有料版のProにしていたおかげで、goo blogの記事は全てそのままリンクしていて感激! teacupのリンクは そのままでしたが・・・(泣) 。それよりも深刻(?)なのは、表示される文字が小さいので、の大きな文字に慣れてしまった目が辛いかも・・・(笑)。

 

 来週月曜日、11日は「山の日」。明日から3連休という方もいらっしゃると思います。また、13日(水)はお盆の入りで16日(土)はお帰り、15日(金)は終戦記念日でも有ります。まだまだ残暑が厳しい日が続きますが、祖霊を祀り、ご家族でお過ごしください。

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人生における記憶に残る10の瞬間①

2025年08月02日 | ルネの活動記録

 8月に入り、毎日暑い日が続きます。来週7日(木)には立秋を迎えるというのに、秋の気配などどこにも感じられませんね★

 今回から、デビュー45周年を迎えたルネが2015年4月29日発売の7Joursのインタビュー答えた記事を、3回に分けて紹介いたします(^^♪

 

▲1973 年に仕事を始めたとき、ルネはすでにインタビューをすることにとても慣れていました。

 

Pascale Wilhelmy rencontre… パスカル・ウィルヘルミーが出会う…

René Simard

10,MOMENTS MEMORABLES DE SA VIE

人生における記憶に残る10の瞬間

 

IL VIENT DE LANCER SON 51e ALBUM

彼はつい最近、51枚目のアルバムをリリースしたばかりです

 

 彼は45年にわたる輝かしいキャリアを築いてきました。幼少期から、力強い歌声と心を揺さぶる個性で、名声の頂点へと駆け上がり、数々の大舞台に立ってきました。オルレアン島から日本(今でもファンクラブが有ります)、そしてプラス・デ・ザールからリベラーチェと共にアメリカの名門劇場まで、この若き天才は世界中の観客を魅了してきました。いつもの情熱と寛大さで、ルネ・シマールは、輝かしいキャリアを彩った10の出来事について語ってくれます。

 

左上:「 Les découvertes de Jen Roger  ジェン・ロジャーの発見」から数ヶ月後、ルネは「Bonne soirée」など数々のテレビに出演しました。

 右上:ルネが芸術劇場 Place des Artsで歌った時、彼はまだ10歳でした。彼は舞台恐怖症を経験しませんでした。

 右下:フランク・シナトラ自ら、この若き天才に東京音楽祭のトロフィーを授与しました。ここで、ルネは話題となりました。

 

1969

LES DÉCOUVERTES DE JEN ROGER ジェン・ロジャーの発見

「すべては1969年の『Les découvertes de Jen Roger ジェン・ロジャーの発見』から始まりました。当時9歳だった私は準決勝で優勝し、1970年には決勝で優勝しました。賞品はモントリオール行きのバス旅行で、Réal Giguère レアル・ジゲール司会のトークショー「Madame est servie マダムが振舞われる」に出演することだったんです(笑)。テレビに出ることを知った少年のような率直さと純真さを持っていた私は、今でもこの思い出を大切にしています。コンテストはケベック・シティのTélé-Capitaleテレキャピタルで開催され、私はもう世界中に見られるだろうと確信していました!

 バスがジャック・カルティエ橋を渡った時、ラ・ロンドとジャイロトロンが見えて、私はびっくりしました!それ以来、ラ・レンドゥに行くために「Madame est servie マダムが振舞われる」を終わらせたいと思っていました!(笑)母と兄のレジスと私がモントリオールに来るのは初めてでした。まるでロサンゼルスに行くような気分でした。出発前に、オルレアン島の家に地図を持って来てくれた人がいて、街の様子やホテル、バスターミナルまで案内してくれました。本当に素晴らしい旅でした!」

 

▲『Les découvertes de Jen Roger ジェン・ロジャーの発見』に出演するルネ(左はクルティエ氏の結婚式で)。ルネが着用しているのは、TV出演のために知人から借りた服(※インタビュー記事で語っています)。

▲トークショー「Madame est servie」のスタジオで。司会のレアル・ジゲール Réal Giguèreとクロード・ブランシャール Claude Blanchard

 

1971

LA PLACE DES ARTS 芸術劇場

「私はこれまでのキャリアで、あらゆることを避けてきました。『L'oiseau 鳥』が信じられないほどの成功を収め、翌年、芸術劇場 Place des Artsで公演しました。皆が私を安心させ、心配するな、ステージが巨大でも怖がる必要はないと言ってくれました。しかし、実際にステージに上がった時は、がっかりしました!「そんなに大きくないよ、下が見えるよ!」と言ったのを覚えています(笑)。10歳だった私は、舞台恐怖症を経験しませんでした。歌うことは私にとってゲームのようなものでした。ステージに上がるのもとても楽でした。ウィルフリッド・ペルティエ公会堂 salle Wilfrid-Pelletierで数晩公演しましたが、成功には全く気づきませんでした。もしかしたら、嫌われ者になっていたかもしれないので、それは完璧でした。私は大家族の出身で、良い価値観を持っていました。周りの人たちのおかげで、すぐに現実に引き戻されました。モントリオールで一緒に暮らしていたバシャン家も、私にとってかけがえのない存在でした。その後、11歳から13歳にかけて、私は60都市を一度に回る旅行をしました。先生も私に付き添ってくれました。」

 

▲芸術劇場では兄レジスと共演。まだ舞台恐怖症を経験していない頃のルネは、ケベックのママのアイドルから女の子たちのアイドルへ。

 

1974

UNE STAR AU JAPON 日本のスター

「ユニセフの歌「Laissez-nous au moins le soleil 美しい星」を作曲した日本人作曲家が、私の歌を聴いてくれていました。彼は、1974年に権威ある東京音楽祭世界大会で、この歌でカナダ代表として歌ってほしいと言ってくれたんです。私は東京音楽祭に行き、フランク・シナトラ賞のトロフィーを獲得しました。13歳で、私のキャリアはそこで始まりました。日本語で3枚のアルバムを録音し、日本を広くツアーしました! 30回も行きました。説明するのは難しいのですが、今でもファンのグループが有るんです!(笑)それと、一緒に来てくれた母の思い出も関係しています。母は飛行機に乗ったことがなく、日本に来た時に初めて飛行機に乗ったんです!オルレアン島からは遠い道のりでした…(笑)母を甘やかしてあげられてよかったです。母は私と一緒に世界中を旅しましたし、その甲斐がありました。母は死産児と、生後10日で髄膜炎にかかった赤ちゃんを含む9人の子供を産みました。そして7人を育てました。母は天使のような人で、今でもとても仲良しです。よく会って、毎日話しています。」

 

▲第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞。

▲1974年9月、2回目の来日は母ガブリエルも同行しました。左は羽田空港、右は帰国途中で寄ったカリフォルニアのディズニーランドで。

 

 今回は、ルネの「人生における記憶に残る10の瞬間」から、1969年、1971年、1974年の3つの瞬間を紹介いたしました。

 日本での想い出が「記憶に残る瞬間」として数えられているおり、「日本にはまだファン・クラブが有ります」と書かれていることは、日本のルネ・ファンとして大変嬉しいことですね(この頃は既に、ルネは当ブログの存在をご存じでした。2012年6月10日に発売された「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」は、Passion Simardまジゼルさんを通してルネにプレゼントしました。

 このインタビューが行われた2015年4月はまだ、ルネの最愛の母ガブリエル はご存命でした(2015年8月3日に逝去)。53枚目のアルバム「Condor コンドルには、亡き母を想って歌った「Déjà dix ans もう10年 」が収録されています。そして、亡くなったルネの兄妹は ベルナールBernard(1959. 6.10~ 6.30)とマティルドゥMathilde(1966年死産)です。

※過去ログ「ルネ一家の年代記」参照

 また、ルネが日本旅行の記事の中でも語った「30回も行きました」というのはどういう計算なのか分かりません。でも、ルネが日本に対して深い想い入れが有ることは確かです! それこそが「ルネ活」を続ける原動力になっています♪

 

 次回は、「人生における記憶に残る10の瞬間」の2回目、1976年から1977年、1980年、1987年を紹介いたします。

 そして、8月8日はルネとマリー=ジョゼの38年目の結婚記念日です 同日に、当ブログの引っ越し先はてなブログのアカウントを作成して、開設記念日にしたいと思っています。もちろん10月1日の編集機能終了までは、teacupからgoo blogに移転した時同様、並行して記事投稿を続けますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします(^^♪ 

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パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール③

2025年07月26日 | ルネの活動記録

 今日は夏のプチ・オフ会

 昨年から割と定期的に開催しています(^^♪ もちろんいつもお決まりのコースです。

 そして今回は「パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール」の3回目で、このインタビュー記事の最終回になります。

 

DANS LE FAUTEUIL DE PATRICK, AVEC…

RENÉ SIMARD 

パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール

 

 

<私は皆を喜ばせるために一生懸命努力してきましたが、今ではもうどんな犠牲を払ってでも皆を喜ばせたいとは思っていません。>

 

おじいちゃんになりましたね。どんなおじいちゃんですか?

 マリー・ジョゼが孫娘のクロエに「見て、おじいちゃんだよ!」と言うのを聞くと、すごく笑えます。まるで他人のことを言っているみたいで、自分がおじいちゃんになったなんて驚きです。でも、幸せな気持ちになります。孫娘は生後7ヶ月で、笑顔が素敵で、おとなしい子です。おじいちゃんになるのは父親になるのとは全く違います。プレッシャーがないからです。

どんな父親でしたか?

 私は、子育てに積極的に関わる父親だったと思います。子供たちを愛していましたし、子供たちもそれを知っています。オリヴィエとロザリーのために、私はいつもそばにいて、今もそうしています。家族は私にとって何よりも大切な存在です。

お孫さんがいらっしゃいますね。お子さんたちと同じように、彼女も耳が聞こえないのではないかと心配ですか?

 今は様子を見ていますが、まだ幼すぎて分かりません。でも、私は心配していません。私たち自身も同じような経験をし、二度も難聴の道を歩んできたからです。私たちにとって、難聴はもはやそれほど大きな秘密ではありません。どんなことになるか、私たちは知っています。私の子供たちは太陽のように輝いています。子供たちの話をすると、鳥肌が立ちます。

子供の頃、世界的な成功をどのように経験しましたか?

 全く腹を立てたことはありませんでした。アメリカではリベラーチェと歌い、日本では一世を風靡しましたが、帰国後は普通の子供に戻り、兄弟姉妹と海岸で遊んでいました。旅に出られるのは幸運だと思っていましたし、世界中を旅する他の子供たちに、足で触れるのを楽しみにしていました。

当時、あなたは「Un enfant comme les autres 普通の子供」を歌っていましたが、あなたは他の子供と同じような子供でしたか?

 そうだと思います。素晴らしい経験もいくつかしましたが、家に帰るとまたルネに戻り、普通の子供に戻ってしまいました。振り返ってみると、家庭生活は完璧ではありませんでしたが、美しいものでした。今でもこの業界で生きているということは、人生が私を甘やかしてくれているのだと自分に言い聞かせています。

なぜ完璧な実績がないと言うのですか?

 試行錯誤を繰り返してきたからこそ、常に素晴らしいことをしてきたわけではないと、自覚することが重要だと考えています。でも、私にとっては、それも学習過程の一部です。幸せな瞬間を経験しなければ、成長は望めません。

幼いルネとルネ・シマール風ヘアカットは、1970年代と80年代を象徴する出来事でした。あのイメージについて何か覚えていますか?

 ある時点で、あのイメージに飽きてしまったので、思わず笑ってしまいます。あのヘアスタイルを直す直前に、耳を接着し直しました。耳が接着された途端、ヘアカットを直しました。ホッとしました!やっと青年になったような気がしました。

キャリアの中で一番の想い出は?

 日本にいた時期もありましたし、ずっと後の『オペラ座の怪人公演  Fantome de l’Opera』も思い出します。『Bye Bye バイバイ』にも何度か参加できたことを誇りに思っています。自分が出演したショーにも誇りを持っています。でも、人生で最高の瞬間は、最後のショーで娘のロザリーと踊った時です。彼女は耳が聞こえないと分かった時、いつか一緒に踊れるなんて誰かが言ってくれていたとしても、きっと信じなかったでしょう。

最も記憶に残る出会いは誰とですか?

 クロディーヌ・バシャン(彼のエージェント)は、私にとって姉のような存在で、長い間、私のバランスを保つのを助けてくれました。そして、41年前に出会って、後に私の人生のパートナーとなるマリー=ジョゼ・タイユフェもいます。彼女たちは、何よりもポジティブな面を見るように、そして暗雲を避けられるように助けてくれました。

マリー=ジョゼと45年間一緒に暮らしてきました…その秘訣は何でしょうか?

 愛、互いへの尊敬、そして私たちは一緒にいることが大好きです。旅行や園芸など、同じものが大好きです。子供たちを自然に育ててくれた我が家も大好きで、一緒に大切にしています。彼女が私の人生のパートナーだと、私はずっと確信していました。私が「Jeunesse d’aujourd’hui 今日の若者」の制作に携わっていた頃、彼女が訪ねてきてくれた時、彼女の笑顔と優しさに心を奪われました。今では、最初の日よりもずっと愛し合っています。

後悔はありますか?

 はい。でも、「ああしておけばよかった」と思うより、後悔しながら死ぬほうがいいと思います。人生を楽しみ、やりたいことをやり遂げました。私にとって、後悔は学びの過程の一部です。今では、自分が何を望んでいて、何を望まなくなったのか、以前よりずっとよく分かっています。

もしあなたが今、違うことをしたいとしたら?

 ほとんど有りません。何故なら、それが今の私を形作っているからです。この仕事は私の血の中に流れています。他の仕事に就くことなど考えたこともありませんでした。時には、より良くなって仕事に戻るために休みを取ることもありました。必要なことだったのですが、必ず戻ってくると確信していました。

 

DROIT DEVANT まっすぐ

あなたに残された仕事は何ですか?

 映画です。マフィアや詐欺師、マキャベリストのような、良いキャラクターの役が演じたいです。自分のコンフォートゾーンから抜け出せるような役が本当に欲しいです。

あなたは自分が「過去の人」だと感じていますか、あるいは過去に「過去の人」だったと感じていますか?

 一つ言わせてください。人生において、私たちは常に誰かにとっての「過去の人」、あるいは誰かにとっての「ケタミン ketamine」だと思っています。この言葉は分析する価値があります。「過去の人」であるためには、過去に「過去の人」でなければならないのです。だから、まだ「過去の人」ではない人や、批判ばかりで何もしない舞台監督など、私には全く興味がありません。私は、物事に活力を与え、解決策やアイデアを持ってきてくれる人が好きです。建設的なことを何もせずに他人を愚痴ったり批判したりするような人ではありません。キャリアには、転換期と、下り坂になる時期があります。私は歌い、演技し、司会も務め、コンテンツプロデューサーも務めています。そして、そのすべてを行うことができたからこそ、芸術的に生き続けることができたのだと思います。

もう二度としたくないことは何ですか?

 私はよく人を喜ばせようと躍起になっていましたが、今ではもうどんな犠牲を払ってでも皆を喜ばせようとは思っていません。人生からたくさんのエネルギーを奪ってきました。何をしても、人は私を好きになるか、そうでないかのどちらかだと気づきました。私は自分がやるべきことをできる限り最善の方法でやり、この職業は他人のためではなく、私を好きになってくれる人のためにやっています。何年かぶりに舞台に戻り、観客の反応を見ることができたのは、私にとって最高の喜びでした。当初予定していた25都市ではなく、65都市で公演できたことは、素晴らしい贈り物でした。

あなたの究極の夢は何ですか?

 ミュージックホール・スタイルの大規模ショーをやりたいんです。今、ComediHa!でその実現に向けて一生懸命取り組んでいます。壮大なロック・オペラになる予定です。これは私が提案したテーマで、現在資金調達の段階です。このショーが私の絶作(mon chant du cygne)になるかもしれません。もしそうならなくても、その後に何か別のことがあれば、なおさら嬉しいです。でも、これはキャリアを終わらせる最高の方法になるかもしれません。だって、それが私の最大の夢だし、それを実現できるってことを自分自身に証明したいのですから。

一番誇りに思うことは何ですか?

 名声、子供たち… 世界で一番幸せな男になった時。息子のオリヴィエとその家族は家を建てているので、私たちと一緒に住んでいます。だから、孫娘も毎日一緒にいて、マリー=ジョゼと私はそれを楽しんでいます。雪が降って暖炉に素敵な火を灯すのが待ち遠しいです。本当に嬉しいです!

 

 このインタビューで、やり残したことは「映画」で、「自分のコンフォートゾーンから抜け出せるような役」を演じたいと語っています。映画「円卓の騎士」では下っ端の役でしたので、ルネはこれに満足せず、ミュージカル以外でも、俳優としてさらに上を目指したいのでしょう。18歳の時に購入したサン=ティレールの豪邸には、撮影スタジオも有ったくらいですから、自分で企画した映画を制作するのも夢なのだと思います。

 

▲ルネが出演した映画「円卓の騎士 Kids of The Round Table

左:ミュージカル「メリー・ポピンズ」 右:映画「J'ai mon voyage!」の記事

▲左:ルネが監督した「エルヴィス・ストーリー」 右:ミュージカル「雨に唄えば

▲左:ミュージカル「オペラ座の怪人」 右:ミュージカル「ジャンヌ・ラ・ピュセル

左:ルネが監督するミュージカル「アダムス・ファミリー」 右:奇人たちの晩餐会

 

 ルネが初めて歌の無い劇に挑戦したLe Dîner de cons奇人たちの晩餐会は、6月22日(日)のSalle Albert-Rousseau公演の後、最初予定していた10月14日(火)と15日(水)の Théâtre Manuvie公演からさらに増えました♪ 過去ログでも紹介した公演日程は次のとおりです。

・10月10日(金)20:00 Théâtre Maisonneuve

・10月11日(土)15:00 Théâtre Maisonneuve

    11日(土)20:00 Théâtre Maisonneuve

・10月12日(日)15:00 Théâtre Maisonneuve

・10月14日(火)20:00 Théâtre Manuvie

・10月15日(水)20:00 Théâtre Manuvie

・11月16日(日)20:00 Salle Albert-Rousseau

・10月17日(月)20:00 Salle Albert-Rousseau

 

 そしてルネの「究極の夢」はミュージックホール・スタイルの大規模ショー 壮大なロック・オペラの構想を練り、現在は、提案したテーマで資金調達をしている所だとインタビューで語っています! デビュー50周年のインタビューから4年経った今、着々と制作が進んでいることでしょう。ルネが最大の夢だというその作品は、制作者として監督するのだろうと推測できますが、ミュージカル俳優として出演もするのかしら? そしてそれが「絶作」ではなく、次の作品に続くステップとなり、キャリアを続けるための強固な地盤になることを願っています!

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パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール②

2025年07月19日 | ルネの活動記録

 

 いよいよ夏本番! 今日は土用の一の丑、21日(月)は海の日、22日(火)は大暑です。学生の皆さんは夏休みに入ったことでしょう。

 昨日18日(土)に、関東甲信、北陸、東北南部の各地方で梅雨明けしたとみられると発表されました。今日からの3連休を含め、各地で連日35度以上の猛暑日が見込まれていますので、ルネ友のみなさまも熱症対策を徹底してお過ごしください。

 更に明日7月20日(日)は参議院選挙(第27回参議院議員選挙)の投票日!! 日本国民として、必ずあなたの大切な1票を投じてください! このブログは私の「ルネ活」の場なのでこれ以上のことは書きませんが、私はもちろん、家族全員で12日(土)に期日前投票を済ませましたよ!

 

 そして今回は、「パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール」の2回目です。

 

DANS LE FAUTEUIL DE PATRICK, AVEC…

RENÉ SIMARD 

パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール

 

 

<私の人生について書くほど興味深い人間だと思ってくださる方々がいることに、とても感動しています。でも、私にとって、このような本は私の人生を振り返るものであり、私の人生はまだ終わっていません。まだ終わっていないのです。>

 

ルネ・シマールには自伝どころか伝記すら存在しません。なぜ、ご自身の人生を語るという挑戦をこれまで一度もされなかったのですか?

 少なくとも年に1、2回は、この手の依頼を受けます。最近、家族と私自身について書かれた本が何冊か出ていますが、自分が1冊書く頃には80歳になっているだろうと自分に言い聞かせています。人々が私の人生について書くことに興味を持つのは、私にとっては嬉しいことですが、私にとって、そのような本は人生の総括であり、人生はまだ終わっていません。まだ終わっていないのです。それに、私は過去を振り返るタイプではなく、むしろ未来を見据えるタイプです。現在と未来を見つめるタイプです。健康でいられることは幸運で、私にとってそれは最高の贈り物です。特に、2人の子供たちと、つい最近生まれたばかりの孫娘クロエを見ると、その喜びが一層深まります。彼らは人生の美しい贈り物であり、私は彼らの成長を見守りたいと思っています。

 

<子供たちは耳が聞こなえいかもしれませんが、目が見えないわけではありません。私は彼らに世界を見せたかったのです。オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパを旅しました。これは、私の情熱を子供たちと分かち合うための私の方法です。>

 

REGARD SUR LE PASSÉ… 過去を振り返って…

キャリア50周年を新曲で祝うことは重要だったのでしょうか?

 キャリア50周年を振り返ると、大きなTGV列車が通り過ぎていくのが目に浮かびます。そして、どんな絶好の瞬間も見逃していないといいな、と願うばかりです。時々、そんなことを思うこともありますが、そんなことはありえないと思っています。でも、私の人生は実に多忙でした。たくさん旅をしてきたので、その旅を子供たちと共有したいという思いが芽生えました。子供たちは耳が聞こえないと分かった時、彼らは聞こえないかもしれないけれど、盲目ではないのだと自分に言い聞かせました。子供たちに世界を見せ、視覚的に刺激を与えたいと思ったのです。オーストラリア、ニュージーランド、そしてヨーロッパへ行きました。それが、私の情熱を子供たちと共有する方法でした。

 

<60歳になるのは辛い… 残された人生は少ないと分かっています。だから、過去のことを話して時間を無駄にしたくないのです。>

 

60年も生きるのは大変ですか?

 20代、30代、40代、50代は何も苦労しませんでしたが、60歳になるのは辛いです。人生が大好きだし、残された時間は少なくなっていることを分かっています。だから、過去のことを話すことにあまり時間を費やしたくありません。50年間のキャリアを祝うためにそうしているだけで、その後は前を向いて生きていきます。私のアルバムにこんなにたくさんの素晴らしいアーティストがフィーチャーされているのを見て、本当に驚きました。私は何事も当たり前のこととは思っていないので。

アルバムには、マリーナ・オルシーニ Marina Orsini が書いた「Déjà dix ans もう10年  」という曲があります。これは母の死について歌っています。

 私の母、ギャビーが亡くなってから6年、マリーナの母が亡くなってから8年が経ちました。この曲で区切りをつけたいと思ったんです。マリーナは本当に寛大で、このテーマで曲を書いてくれました。また、シルヴァン・コセットSylvain Cossette が書いた「Plus fort より強く」という、父について歌った曲もあります。私たちは二人とも同じタイプの父を持ち、マリーナと私は母と同じような親密な関係を築いていました。この曲を初めて聴いた時、あまりにも感動して、泣き崩れてしまいました。

ギャビーが亡くなって6年経ちましたが、どうですか?

 本当に辛くて、毎日そのことを考えています。車には彼女の写真が飾ってあり、マリーナのこの歌は、悲しみが永遠に終わることはないと分かっていても、私を慰めてくれます。母は私にとって天使でした。彼女のような母に恵まれて、私は幸運でした。今、私が人を愛し、思いやりを持つことができるのは、母のおかげです。母は誰に対しても、一言も悪口を言いませんでした。辛い人生を送りましたが、優しさの模範でした。

以前、お母さんに削除ボタンがあって、それで辛い瞬間を消せると言っていましたよね。あなたにも削除ボタンがあるんですか?もしあるなら、何を消したんですか?

 個人的な出来事で、削除ボタンのおかげでゴミ箱に送ってしまったことは確かにあります。時には、その後のフォローの問題だったこともあります。でも、もっと軽い話ですが、人生でやった面白いことで、自分でも完全に責任を負っているものもあります。例えば、ある晴れた日にスピードSPEEDO の水着で「Je suis tu es」を歌った時とか。私にとっては、それはおふざけで、自虐的な行為です。自分のことを真剣に考えたくないんです。でも、ベスト・アルバムを持ってマルク・エルヴュー Marc Hervieux と一緒に「Comment ça va?」を歌うなんて、想像もつきません。クロード・デュボワ Claude Duboisやジャン=ピエール・フェルラン Jean-Pierre Ferland のようなレパートリーは持っていないので、こういうことを面白く、現実的に捉えられるようなことはないんです。自分がやったことに対しては何も反対していない、むしろ反対です。しかし、自分の歌をもう一度歌うことに関しては、反対です。

※ルネがSPEEDO の水着で歌い踊る「Je suis, tu es」は FacebookPassionSimard映像でご覧いただけます♬ ちなみにThe Shortsが1983年にステージで歌った「Comment Ca Va 」と「 Je suis, tu es 」の映像も併せてご覧くださいね。

 レパートリーについては、具体的にどのようにお考えですか?

 自分で曲を書いたことはありません。曲をもらったり、演奏を依頼されたりしただけです。レパートリーに後悔はありませんし、とても美しい曲もいくつかあります。でも、それぞれの曲には時代があります。若い頃には「普通の子供 Un Enfant Comme Les Autres」のような美しい曲がいくつかあり、最近のショーでいくつかカバーしました。おそらく、構想中のショーでまたカバーするでしょう。新曲もいくつか、デュエット曲であってもステージで披露する予定です。ただ、デュエット・アルバムだけのツアーは行いません。全員を集めるのは大変だからです。でも、時々サプライズ・ゲストを迎える予定です。

 

 ルネは「Condor コンドル」を最後に、アルバム制作はしないと語っていますが、ショーで歌うことは続けていくようです。ルネがショーを開催するときに合わせて、ルネ友さんたちとカナダに旅行出来たら最高ですね~

 次回は「パトリックの椅子に座る…ルネ・シマール」の3回目で、このインタビュー記事の最終回です。記事の内容で分けたため、今回より長めになります。ルネの家族やこれからのことについての内容ですよ(^^♪ 

コメント
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