ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネの『船長の家』は今?

2018年10月07日 | ルネの家
 台風24号が非常に強い勢力を保ったまま日本列島で猛威をふるい、それに続くように台風25号も! 現在温帯低気圧に変わり、北日本では大荒れの天気、10月なのに関東甲信越は30℃を超える暑さの予報★  

 今週の三連休、明日は体育の日ですが、『秋の長雨』どころか、日本列島には連続して大型台風★ 今年の台風は日本全土に大きな被害をもたらしていて、脅威以外の何物でも有りません。
 もともとインドア派のシマ姉でさえ、秋の行楽シーズンはドライブ位するのに、それよりも台風の影響が心配だったので、この3連休の予定は入れておらず、このまま出掛けず仕舞いになりそう…。まずは、昨日収穫したシマ姉家の栗を剥いて保存し、明日は栗ご飯を作ります♡

 猛烈な風雨による被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。


 

 この記事はずっと前から準備していたものですが、それに合わせ、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画として、日本では『ルネ・オン・メロディ』のタイトルで公開された、”Un Enfant Comme Les Autres ~普通の子供~”をフル・バージョンで(1時間26分16秒)ご覧いただけるようになりました!!! ルネの家族やルネを取り巻く身近な人々、ルネが当時住んでいた『白い家』と『船長の家』、ケベックシティのアパートやシマール一家が通ったサント・ペトロニーユの教会もご覧いただけます。

▲1971年頃 購入直後の『船長の家』(左)とルネ一家(右)

 実は、今回紹介いたしますオルレアン島の『船長の家』も、2015年のハリケーンで屋根とポーチが倒木により損壊★ 2016年7月は補修作業中のようでした。現在、ケベックシティからオルレアン島に架かる橋も、ひびが確認されたため無期限の閉鎖になっているそうで、どちらも早く補修工事を終えていただかないと困る!!

▲ケベックシティからオルレアン島に架かる橋

※”Fermeture imprévue du pont de l’île d’Orléans
    (オルレアン島の橋不測の閉鎖)”参照

http://autourdelile.com/2018/10/fermeture-imprevue-du-pont-de-lile-dorleans/


 そして8月中旬に、『船長の家』に行ってきました~♡ …と言っても、Googleマップでですけれど(笑)。『Googleマップ 行ったつもりで オルレアン島散歩』ですよ~! もう何度も繰り返し行っているので、オルレアン島に行ったら、『船長の家』も『白い家』も、ルネが通った教会や学校も迷わずに行けそうです。だから、映画の中のオルレアン島のシーンは、ルネが歩いている場所が大体分かります。
 ケベックシティからは、サン・タンヌ通りから橋を渡り、オルレアン島の368号線を通ります。学校の所(101QC)を左折してエグリーズ通りを通って教会へ行くのが『船長の家』(184QC)への近道。このコースで行くとそのまま『白い家』まで一筆書きで行けますよ~♪ ルネ友のみなさんも、是非Googleマップで行ってみてくださいねsymbol1

※YouTube映像”Simard Houses”参照
https://youtu.be/NrRm3HtWvi0?list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA

<iframe width="400" height="200" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=embed&hl=ja&geocode=&q=Rue+de+la+Sapini%C3%A8re,+Qu%C3%A9bec,+Canada&aq=2&oq=Quebec+rue-Sapiniere&sll=34.728949,138.455511&sspn=42.358735,105.556641&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ie=UTF8&hq=&hnear=Rue+de+la+Sapini%C3%A8re,+Qu%C3%A9bec,+%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80&layer=c&cbll=46.847309,-71.137018&panoid=wO9KAWEW3c0cCsIxt2QRzQ&cbp=13,75.87,,0,1.27&z=14&output=svembed"></iframe>
大きな地図で見る

 冒頭でも述べたとおり、ルネがデビュー後に家族のために購入した、ケベックのオルレアン島にある『船長の家』は、2015年7月にハリケーンの被害に遭い、その画像は当ブログでも取り上げました。久しぶりに行ってみると、家の前の垣根が育ち、さらに改修工事のための足場が組まれ、分かりにくくなっていました。取り壊されて無くなってしまったかと、一瞬ドキッとしましたが、確かにまだ存在しているようです。カナダでは、家は新築するのではなく、今ある家を改築するのが基本ですから、火災や倒壊でリフォーム不可能にならない限り、完全に取り壊されることは無いと思います。

▲2016年7月 改修工事中 破損箇所は板張りで足場が立ててあり、垣根が育って正面から家は屋根しか見えない

 よく調べてみると、現在のGoogleマップの画像は2016年7月のものでした。既に2年以上経っているので、もしかすると現在は改修工事が終了しているかもしれません。ただ、屋根の窓が2つから3つに増えています。倒木で壊れ、板張りしてある正面部分が、以前のとおりに復元されることを祈っていますが、どうなっているのでしょう?

▲1980年(左)と 1997年(右) 1980年代の屋根は赤で壁はブルー その後屋根はブルーグレー(?)で壁はクリーム色に

▲1997年8月(左)と 2006年(右) ほぼ変化なし

▲2012年 屋根の窓は2つ(左)と 2015年秋か2016年春 倒木で壊れた所はまだ板が当ててあるだけ 屋根の窓が2つから3つに 家に似せて作られたポストは撤去されてしまった?(右)

▲2012年(左)と 2016年7月改修工事中(右)

▲2015年7月ハリケーン被害の後(左)と 2016年7月改修工事中(右)

▲ルネが通っていた学校(左)と教会(右)

 ルネが家族で礼拝に通った教会は変わっていませんが、ルネがデビュー前、オルレアン島に家族で越して来た時に住んだ『白い家』らしき家は改築されていました。ルネ一家は2階を借りて住んでいましたが、外階段が無くなり、その家の前には道路が整備されていました。

▲ルネがデビュー当時住んでいた『白い家』…と思われる家
 (左:2012年頃 右:2016年7月)
 

 建物の位置は合っているはずなのですが、以前確認した時とあまりにも周りが変わり過ぎているため、自信が有りません。この画像では良く見えませんが、売りに出されているのか、1階の右の柱の所に連絡先の電話番号が書かれた青いプレートが置かれています。

 オルレアン島は、日本のファンにとっても聖地!  将来、ルネ友さんたちとカナダ旅行でルネ巡礼するまで、できるだけルネの来日当時に近い状態でいて欲しいです!!

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ルネのコンドミニアム

2015年07月18日 | ルネの家
 台風11号が猛威を振るった今週、ルネ友の皆さまがお住まいの地域は如何でしたか?

 実は、今から41年前の1974年当時、ルネ・シマール一家が住んでいたカナダのケベックシティ、オルレアン島のセント・ペトロニーユ村にある『船長の家』が、先週の12日(日)に村を襲った嵐(竜巻とも報じられています)で倒れた木によって、一部が破損してしまいました。
 日本のルネ・ファンにとって聖地とも言える、カナダ旅行で行ってみたいオルレアン島の『船長の家』。幸いこの家は、持ち主が住んでいなかったため大事には至らなかったようですが、一刻も早く修理され、元の姿に戻ることを願っています。

▲Googleマップより 破損前の『船長の家』

▲倒れた木によってテラスと屋根部分が破損した『船長の家』

 そして下は、たまたま今回紹介しようと準備していた、ルネのコンドミニアムの記事。
 ユニセフのキャンペーン・ソング仏語版「チキチータ」"Tous les enfants du monde(世界の全ての子供たち) "をルネがナタリーとデュエットした頃に紹介されました。ルネは18歳。 肩に止まっているのはルネの愛鳥『ヨギ』。写真が小さいので正確な名前は分かりませんが、ボウシインコという種類の大型インコで、『Bonjour』としゃべったようです。また、ヨギはルネの料理の鑑定人なのだそう(笑)
 ルネは台所で何を料理しているのでしょうね? ルネのママは料理のレシピを雑誌に連載し、料理本も出している料理上手。ママ直伝のお料理かしら。色から見るとトマト・ソース? ルネの手料理、インコのヨギに替わって試食したいわ~symbol1

※「ボウシインコ」参照
http://www.geocities.jp/pirori2jp/list-amazon.html

▲ルネのコンドミニアムを紹介したグラビア記事

▲キッチンで料理するルネと肩に止まるヨギ よく見ると、ルネのしているエプロンには、胸の所に漢字で『一番』 裾の方にローマ字で『ICHI BAN』と書かれています。どこで入手するのかしら? ルネが日本を好きでいてくれている証のようで嬉しいですね! ちなみに、ルネは昔、犬と猫を飼っていたけれど、実は猫アレルギーだとか…


 週末と海の日の3連休、私は2日出張、1日はお仕事です★ 来週末2日とも出張だし… 熱中症等に気をつけながら、蓄積している疲れに負けないように頑張ります!

 ルネ友の皆さまは、素敵な3連休をお過ごしください。


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ルネとセント・ペトロニーユ村

2014年08月03日 | ルネの家
 今年はルネがデビュー当時住んでいた『船長の家』のあるオルレアン島セント・ペトロニーユ村Le village de Sainte-Pétronilleの村立140周年に当たるそうです。

 7月12日(土)にはその記念式典が行われ、村の合唱団「le Chœur de l’Isleル・ クール・ドゥ・リスル」により、村立100周年を祝福して製作されたフェリックス・ルクレールの歌が歌われました。 紹介文には、参列者は各自椅子持参、雨天時はセント・ペトロニーユ教会で行われることになり、協会かラウル・ダンデュラン・コミュニティー・センターに駐車との注意書きもあったりして、とっても親切。記事の下には過去の記事のタイトルがあり、クリックすると閲覧いただけます。合唱団メンバーの過去記事に掲載された集合写真もご覧いただけます。

 また、ここで紹介いたします記念本は、ロベール・マルテルとダニエル・ギヨによって編集されたものです。紹介ページ右の”AUTOUR de l'île d'Oriéans”では、セント・ペトロニーユ村だけでなく、島全部の各村について詳しく紹介されており、全ページ閲覧できます。フランス語は読めなくとも、ルネが少年時代の、歌手としてデビューしてケベックで活躍を始めた一番重要な時代を過ごした場所に思いを馳せながらご覧いただけたらと思います。

▲2012年夏の『船長の家』(Googleマップより)
▲ルネが通ったセント・ペテロニーユ公立学校


140e Sainte-Pétronille – Lancement du livre: À la proue de l’île
http://www.autourdelile.com/2014/07/140e-sainte-petronille-lancement-du-livre-a-la-proue-de-lile/

 今年はルネの来日40周年という記念すべき年ですが、セント・ペトロニーユ村が村立140周年だったり、ルネがカナダ勲章を受章したり…と、おめでたいことが重なった年になりましたね。考えてみれば、村立100周年とルネのグランプリ受賞も重なっていたことになります。セント・ペトロニーユ村から有名になったスーパー・アイドルの、世界的な音楽祭での受賞を、村でも祝ったのかしら…と、いろいろ想像の翼を広げているシマ姉です(笑)。

 ちなみに、オルレアン島やペトロニーユ村の『船長の家』、ルネが通った学校や教会については過去ログで紹介していますのでご覧ください。

※過去ログ「ルネとオルレアン島」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/499.html

※過去ログ「スプリング・コンサート・プログラム②」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/538.html

 それから、YouTube映像のルネの妹ナタリー・シマールを紹介した特集番組の中で、ナタリーが『船長の家』を訪ねるシーンと、ルネが日本から凱旋帰国した時の映像がありましたのでご覧ください。


 4分後から、ナタリーが『船長の家』を訪れ、思い出を語る場面があります。その後通った学校にも行きますが、ルネが通ったセント・ペトロニーユ公立学校ではありませんでした。


 ルネが日本から凱旋帰国し、ガードマンに肩車されて集まった群衆の中を通る場面や、インタビューに答える場面が収録されています。ルネとナタリーのコンサートの様子もご覧いただけますよ。


 今週末はやっと2日とも休めましたが、初盆に向けての家の片付けや、お盆を前に挨拶に来た親戚の接待、猫アスカの通院などで慌ただしく過ごし、記事アップもギリギリ★ 来週末はさらに初盆準備の追い込みです。オルレアン島での避暑を夢見ながら、ルネの2回目の来日についての記事作りを頑張っています。

 ルネ友の皆さまも、酷暑に負けぬよう、お体ご自愛なさってくださいませ。



        ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


      cloverシマ姉のグリーン・ライフclover

 今年のシマ姉家のグリーン・カーテンです。
 ここずっとキュウリは欠かさず植えていたのですが、西の出窓のせいか、どうしてもうどん粉病やカメムシ、コナジラミが発生しやすく、高い所に生ったものはなかなか収穫するのが大変なため、今年は昨年こぼれた種から育った朝顔と、生協で見つけたつる性のアサリナにしました。7月から11月半ばまでという長い開花時期にひかれて購入しましたが、種蒔きから発芽まで説明書よりも時間がかかり、思ったより華奢で、本当に育つのか心配した時期もありました。ここに来てやっとグリーン・カーテンの支柱の1/2まで弦が伸び、花も咲き始めて一安心。茎が細く、葉も小さいので、朝顔に発生したカメムシ軍団からノーマーク。水を枯らさないように気をつけて、11月まで楽しめるように手入れしてい行きたいと思います。


          cat猫アスカ通信cat3

 昨日、慢性鼻炎なのか風邪なのか、鼻のくしゅくしゅが続いているアスカを病院に連れていきました。右足に大怪我を負って転がり込んで来たアスカ。切断した方が治癒が早いが足を切断するのは極力避けたいと言ってくれた先生に任せて手術。2回の入院の後、白血球数が激減し、死の危険にさらされながら3回目の入院をして生還したことが強く印象に残っている先生は、すっかり普通の猫になっているアスカの様子を喜んでいました。足の傷は全く分からなくなっているのを確認しながら「走れるの?」と聞くので、「草っ原を駆けずり回って、毎日狩りに明け暮れています。」と答えると、「あの状態から考えたら奇跡のようだ。」とびっくりなさっていました。また、体重が予防接種の時より減少したのも、去勢手術でポッチャリしていたのが、狩りによる運動で締まったせいと分かって安心されたようでした。「全く心配はないけどね。鼻の方は取りあえず2週間持続する注射を打っておくから、目薬をさして様子を見といて。」とのことで、元気に帰ってきました。


 上の写真は、息子と一緒に寝ているアスカ。シマ姉家の息子と次男坊猫です(笑)。最近は涼しい所を渡り歩いて寝ています。

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ルネのアパルトマン

2012年01月14日 | ルネの家

 今回は予告どおり、カナダのファン・クラブ会誌の特集記事から、ルネのモントリオールのアパルトマンについて紹介いたします。

 そして本題に入る前に、前回の記事についての追記です。
 実は、投稿前には気付かなかった、直訳では日本語として変なところを投稿後に直しました。記事の内容が多少分かりやすくなっいると思いますので、よろしければ読み直してください。

     ▲ファン・クラブ会誌№2より(Passin Simard)

 ルネは18歳の時、家族住むためにサン・ティレールに大きな家を購入しました。そしてそれから4年後、ルネはアパルトマンで1人暮らしを始めたようです。”Passin Simard”でアップしたファン・クラブの会報記事に、ルネの『お宅拝見』特集がありました。仕事の関係で、ギー・クルティエ・プロダクションにより近い場所に、アパルトマンが必要になったのかもしれません。

  記事タイトルは『ルネの豪華なアパルトマンを訪問しに行こう』。仏語の『appartementアパルトマン』を『アパート』としなかったのは、日本人の感覚でいくと、ルネの部屋は『マンション』だったからです。ご覧いただければ分かるとおり、広々として豪華な部屋は、ルネの趣味の良さが伺える、統一感のある落ち着いた色合いの家具と観葉植物。ルネは白、ベージュ、エメラルド・グリーンが好きでしたから、それを基調に茶系を加えているようです。


広いリビングにはグランド・ピアノに観葉植物。

 グランドピアノの脇にある、ちょっとした憩いのスペース。リラックス・タイムのための場所。







 日本のとっくりとおちょこもルネのコレクション? この時ルネは22歳。お酒も解禁の年齢ですが、この年は、第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日していたので、日本で購入したか、贈れたものかもしません。


 

 


 落ち着いたベッドルーム。ベッドカバーも家具もルネが好きなベージュ。







 広いバルコニーからはセント・ローレンス川が一望できるロケーション。







 豊かな自然に囲まれて育ったからこそ、部屋の至る所に観葉植物の緑があって素敵ですね。

 ”Toujour plus loin”にのせ、スライドショーでルネがキッチンでお料理している画像もご覧いただける映像も一緒にお楽しみください。

<iframe src="http://www.dailymotion.com/embed/video/xkq1gb" width="320" height="240" frameborder="0"></iframe>
MONTAGE PHOTOS HOMMAGE À RENÉ SIMARD 投稿者 Gisele0606

▲上のキッチンでお料理しているルネの肩にとまっているのもルネの愛鳥「ヨギ」♪ ファン・クラブ会誌№3より(Passin Simard)


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいてリクエスト投票100%達成し、2ndステージに進みました!! 予約受付期間は2011年5月18日から2011年6月22日までから、さらに1月18日までに延期になった締め切りが迫ってきました! みんなの力で是非商品化を実現させましょう!!
 現在商品化決定まで63パーセントです。


 ♪Sony Music Shop 購入予約はこちらからお願いします!
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5333&cd=DYCL000000362&lay=omf&link=cvAWWz0LzlQ-XvH18xZaSDMZWiALefsPwg
♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html



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ルネのサン・ティレールの豪邸③

2012年01月07日 | ルネの家

 今日は七草です。

 今年の冬休みは例年よりも長いので、息子もゆっくり過ごせて喜んでいました。しかし、終わりが近づいてくると……★ 
 話は変わりますが、昨年末、毎年恒例のスキーに行って参りました。「石橋をたたいて渡る」を地でいく我が息子。初心者コースのファミリー・リフトが点検中の上、雪不足のためにリフトが1つしか動いていなかったので、いきなり今まで行ったことのないコースへ行くことに…。そこは今までのコースの何倍も距離がある上、傾斜のきつい所やアイスバーンになっている所もあって、どうなることかと心配しました。
 ところが息子は前の年と違い、スキーの感覚がつかめてきたとたん、急斜面もバンバン飛ばす飛ばす★〈まだまだ初級者コースでボーゲンですが…笑〉最初は『もっとゆっくり滑ってよっ!』とか言っていたのに、慣れてきたらスピードが出ても平気になって、スイスイ滑っていました。(写真は止まっているように見えますが、緩やかな斜面で一緒に滑りながら私が撮影したものです)前回の最後に、息子が初めて1人でリフトに乗って滑って来た時、盛大にすっころんで、『もうスキーなんか行かない★』とベソをかいて荒れたことを思い出し、悪夢ふたたびにならないかハラハラしながらついて行ったのですが、アイスバーンの急斜面も1度も転ばずに滑りきりました。来年は私がついて行けなくなるのかな…と、息子の成長を喜びながら、手の冷えに耐えきれずコーヒーを飲みに行った主人を尻目に、息子とスキーを楽しんだシマ姉でした(笑)。 

 取りあえず今日は、息子の冬休みの宿題『書き初め』を書かせ(これが1番の難関★)、七草粥を食べて家族団欒です。


 さて、今回は、以前予告しておりましたとおり、ルネが18歳になる前に購入したサン・ティレールの豪邸について書かれた記事を紹介いたします。第2話を書いてから年を越してしまいましたので、第1話と第2話は過去ログで再度お読みください。

     <サン・ティレールの豪邸の記事>

         ▲PASSION SIMARDより

18歳で ルネは大富豪(ミリオネア)の家を買った

 ルネ・シマールがサン・ティレールの家を所有するためには、丸一年の歳月を要しました。その結果、去る2月28日、厳かに18歳の誕生日を迎えた青年として、近日中に、彼が夢見ていた家、14部屋有り、約22,750㎡の西洋杉の森の中に隠れた広大な住居の持ち主に戻りました。ルネ・シマールも同様に、家主の責任として、堅実な計画がありました。そして今週、1年遅れではありますが、公に新宅開きを祝う小さな祝宴を催しました。

 彼は昨年夏の終わりに、サン・ティレール山の麓に立派な家を購入しました。彼は早朝に出発し、1人で車で出かけました。この大きな家を見た時、サン・ティレール山から陽が昇ったので、この家を取得することを決めました。そして彼は購入したのです。この家は、お城を夢見ていたオルレアン島の少年ルネに、ルネがアーティストとして作った贈り物でした。

 全ての赤い暖炉に、アメリカン・スタイルの白い円柱の回廊があるこの家は、彼にとって大きすぎます。彼は家を下見していた時、住むに当たっての要望は彼の幸せを共有することでした。最初にこの家を見た時から、彼の妹ナタリーと弟ジャン=ロジェ、彼の良き理解者である母ガブリエルと一緒に住もうと考えていました。

 ルネとともに、クローディーヌとダニエル・バシャンが協力して、14部屋それぞれを装飾する家具を選びました。それでもまだ、ルネは仕事を終えることが出来ません。ルネの最初の友人であり、訪問者として歓迎されたのは、彼の大きな車でその素敵な家に到着したギー・ラフルールでした。

 ルネにとって、この家はスターの気まぐれで購入したものではありません。それは、お金の価値と成功を知った、すでに躾けられた若い青年の決意としては、時として1日限りのものだったりします。18歳で、彼はより多く投資の知識を得ようと考えています。



 ルネが18歳になると、カナダ政府は国で管理していた、彼が歌手活動で得た財産を返すことになっていました。その財産で初めて購入したのがこの家だったのでしょうか。

 当時すでに、両親は離婚しており、父の再婚によって、父と同居していたジャン=ロジェも一緒に住める大きな家を購入することをずっと考えていたのでしょう。
 ルネがデビュー前、父の持病の喘息が悪化したことで、家族が生活保護を受けたり、ケベック市内の安い地下室を借りたりして、貧しい生活を送っていたことは有名な話です。デビューしてから購入したオルレアン島、サン・ペテロニーユ村の『船長の家』も、当時所属していたモントリオールにあるプロダクション・ギー・クルティエから遠かったでしょうから、少しでも近く、更に熱烈なファンが押し寄せないような家が必要だったのかも知れません。そして、家族が幸せに暮らせるお城のような大きな家を夢見ていたルネにとって、夢のお城そのものだったのかも知れません。


▲ルネ・シマール 彼の部屋で 「銀の鈴が鳴る時」大富豪のような18歳の男性の全て(カナダのスクラップブックより)

▲記事にも書かれているルネの18歳の誕生日パーティーで 彼の第2の家族であるギー・クルティエ氏、クローディーヌとダニエル・バシャン姉妹と一緒に(25周年記念誌より)


 やっと、構想一年、第1話アップから年を越して、足かけ2年になってしまった『サン・ティレールの豪邸』の第3話(最終回)を書き終わすことができました。
 記事の翻訳に当たっては、予約投稿とアップ予定の記事の関係上、もう後に回せないことから慌てて訳したので、投稿前には気付かなかった、直訳では日本語として変なところを投稿後も直しました。そのため、後から読んだ方が内容がより分かりやすくなっいると思います。
 そして、最初の訪問者ギー・ラフルールは、ルネの憧れのプロ・アイス・ホッケー・チーム『カナディアンズ』の選手です。(後で紹介する記事にも出てきます。)

 次回は、カナダのファン・クラブ会誌の特集記事から、ルネのモントリオールのアパルトマンについて紹介いたします。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票100%を達成。2ndステージに進み、 2011年5月18日から2011年6月22日までから、1月18日までに延期になった予約受付期間も迫ってきました!
 商品化決定まで63パーセントになりました。後半戦は苦戦を強いられているものの、徐々に予約数を増やしています。 どんどん宣伝して、今年こそはCD化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばなりません!

        ▲赤い暖炉の前で本を読むルネ

♪Sony Music Shop 購入予約はこちらからお願いします!
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5333&cd=DYCL000000362&lay=omf&link=cvAWWz0LzlQ-XvH18xZaSDMZWiALefsPwg
♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html


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