ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネとカナダ旅行とポケモン映画

2014年07月27日 | ルネ依存症の日々
 関東では、梅雨明けした途端に厳しい暑さが続いておりますが、ルネ友の皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 夏休みに入って早一週間。昨日は実家の花火大会に行ってまいりました。今年は実家もシマ姉家も初盆ですが、自分の通院や買い物以外なかなか外出しなかった義父を連れ出す良い機会。実家の母も楽しみにしていたので良かったです。
 この所ずっと仕事続きで土日が休めなかった7月。今週末2日とも出張の合間を縫っての地元の祇園祭。体力的にはきつかったのですが、実家の前の通りが歩行者天国になるため、ベストポジションで花火を楽しんで来れました。

 そしてカナダのルネ友さんたちは、それぞれにバカンスを楽しんでいるようです。
 今年の9月14日に行われる"第29回ジェモー賞29es prix Gémeaux"でルネが司会を務めることになっていますが、ルネはバカンスを楽しんでいるでしょうか。カナダ勲章の受賞や新譜の準備で、ますます忙しくなるルネ。たとえ短い期間でも、家族でゆっくり過ごせる時間が持てるといいですね。


 さて、今回紹介いたしますのは、当ブログで紹介した記念すべき画像第1号でもあるルネの写真と、今年のポケモン映画の舞台の参考になったカナダの画像です。

▲1974年レイク・ルイーズでバカンスを楽しむルネ

 このルネの写真は、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、日本でルネ・ブームを巻き起こした1974年の夏に、カナダのレイク・ルイーズで撮影されたものです。
 この写真を撮影したのは、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツで知り合った友人。カナダ旅行中偶然にも、レイク・ルイーズでバカンス中のルネと遭遇! カメラを向けた彼女に笑顔で応えるルネ。プライベート時でもファンを大切にするルネは素晴らしいですね!!
 今まさにボートに乗りこもうとするルネと一緒にいる後ろ姿の女性は、髪の色や長さから、シマール家の長女オデットではないかと推測していますが、実のところはどうでしょう。

 また、この頃ルネは、長期のお休みをケベックから離れた場所で過ごすことが多かったようです。ケベックでは、すぐにファンが集まってしまい、お休みどころではなくなってしまいますからね。ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し、帰国した後、7月にバカンスで『ケベックから500マイルはなれた海の避暑地』に行ったと、「週刊セブンティーン」に掲載された記事にも書かれていました。以前このことを取り上げた時は気付きませんでしたが、レイク・ルイーズとは別の場所にも行っていたのですね。(それについてはカテゴリ『ルネの来日』で過去ログをご覧ください)

 私はやんばるQさんと行ったカナダ旅行でレイク・ルイーズを観光した時、時間もなく、ルネがいたボート乗り場を確認することはできませんでしたが、facebookの"1,000,000 Pictures"でアップされていた写真の中に、それらしいものがありましたので紹介いたします。 

▲ルネがいたレイク・ルイーズのボート乗り場(?)


 ルネ・ファンになってから、カナダは私にとって、『ルネが住む憧れの国』となり、カナダ旅行をしてからは、『また行きたい大好きな国』となりました。

 現在は仕事があるし、息子や義父を残していけないし、カナダ旅行はちょっと無理ですが、退職したら是非また行ってみたい♪ もちろんメインはケベック!! 今度はゆっくりオルレアン島のルネの『船長の家』からルネが通った教会、学校までお散歩♡ 前回コースになかったため行けなかったモントリオールも行きたいです。ノートルダム寺院は外せませんね!

 また、カナダに関係するものなら何でもOKの私は、今年公開のポケモン映画の冒険が繰り広げられる舞台が、カナダをモデルにしていると聞いてしっかり観てきました。
 『フランス風の街並みと大自然』といったらケベックしかないと思ったのですが、ロケ班が訪れたのは首都オタワからトロント。フランス風の街並みはストラスフォード。ディアンシーと女の子だちがファッションショーをするオルセイル・シティのショッピングモールはトロント・イートン・センター。滝はもちろんナイアガラ・フォールズ。オルアースの森はヒューロ湖のブルース半島がモデルとのことですが、映画の冒頭でバトルが繰り広げられるアブニヨンの街全景とバトルの場所は、どう見てもケベックシティでした。街の通りの様子はフランス風でもケベックシティではありませんでしたが、丘の上の城はシャトー・フロントナックで、前を流れる大きな河はセント・ローレンス川に見えます。劇中の背景とよく似た画像をアップいたしましたので、カナダ旅行の参考にしてください。

 

※YouTube【公式】2014ポケモン映画『破壊の繭とディアンシー』ロケハンスペシャル映像


▲シャトーフロントナック
http://allabout.co.jp/gm/gc/403749/
 この画像とそっくりな場所で、冒頭のポケモンバトルが行われました。

▲ケベック・シティ(フランス語: Ville de Québec、英語: Quebec City)
http://www.asahi-net.or.jp/~my7k-frkw/quebec/index.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC

▲リドー歴史街道(リドー運河)
http://www.ontariostyle.com/rideau/01.html
 画像は全く関係ありませんが、運河を下るシーンのモデルになりました。

▲トロント・イートン・センター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
 ディアンシーと女の子だちがファッションショーをするオルセイル・シティのショッピングモールのモデル

ナイアガラの滝(ナイアガラ瀑布、英語: Niagara Falls、フランス語: Les Chutes du Niagara)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%BB%9D
 滝の全景の参考になったと思われる角度から見たナイアガラの滝。手前がアメリカ滝で奥がカナダ滝。ロケ班も『霧の乙女号』に乗っていました。

▲メープル街道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB%E8%A1%97%E9%81%93
 ディアンシーが旅する途中の回想シーンで出てきた紅葉した森がこんな感じでした。


 カナダ旅行で行ってみたいのは、前述の場所以外で言うと、ケベックのウィンター・カーニバルに紅葉のメープル街道♡ 『明石家多国籍軍』に出てきたケベックのサマー・カーニバルもいいですね。
 元気に定年を迎え、カナダ旅行ができるようにしたいと思う今日この頃。ルネ友の皆さまも熱中症に十分気をつけて、暑い夏を乗り切ってくださいね!!
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話題の少年歌手インタビュー

2014年07月20日 | ルネ・シマール
 ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞し、一夜にしてルネ旋風を巻き起こすと、芸能雑誌だけでなく学習雑誌までもが、カナダのスーパー・アイドル、ルネ・シマールについて、競って記事にしました。

 1番充実した特集が掲載されたのは、各誌の1974年10月号。その前に紹介記事を載せていたのは「週刊セブンティーン」でしたが、「月刊平凡 夏の増刊9月号」には、ルネのインタビュー記事が掲載されました。この記事は、長い間何誌に掲載されたものか分からずにいました。やっと入手することができましたので紹介いたします。

▲1974年「平凡 夏の臨時増刊9月号」より

話題の少年歌手インタビュー
ルネ・シマールくんとの30分
ステーキとセブンアップとスイカが大好き

 第3回の東京音楽祭で、13歳の少年がみごと”大賞”と”フランク・シナトラ賞”を獲得しました。そうです。ルネ・シマールです。女の子のようにあどけない笑顔、美しいボーイ・ソプラノ……。いま、カナダのティーンの人気№1のアイドルです。その彼が、8月にまたやってきます。それに先がけて本誌は、ルネ少年のすべてについて、彼自身の口から直接きいてみました。

東京音楽祭で大賞とフランク・シナトラ賞に輝いた美少年の素顔は?

花がたくさんある国と思っていたよ

--日本へ来るのはいつ? どんなスケジュールなの
8月22日です。ええと9月4日に大阪で、14日、15日に東京でボクのリサイタルです。ぜひきてくださいね
 9月10日には、『みどり色の屋根』に続く、第2曲目の『小さな生命』が発売されます。彼のチャーミングな声が日本でもますます多くのティーンたちをひきつけるでしょう。

--ところで、大賞とシナトラ賞をもらったときの気もちをいま、振りかえってみてどう?
大賞はすごくうれしくてボーッとしていた感じです。シナトラ賞のときはもうかたくなってよく覚えていません

--日本のおみやげになにを買っていったの
パパとママにキモノです

--日本にくる前に、日本ってどんな国だと思っていましたか。そして日本にきての印象は
花がたくさんある国だと思っていました。でも来てみたらビルディングがたくさんあるのでびっくりしています

--覚えた日本語は? 難しいですか
こんにちは!  こんばんは! どうぞよろしく! 好きだよ!さよなら! そんなに難しくはないから、こんどくるまでに、もっと勉強するつもりです。」
 彼は訪日に備えてベルリッツに3週間、日本語の勉強に通ったそうです。日本の審査員の先生たちも、ルネ少年の日本語の発音の美しさにびっくりしました。


--デビューのきっかけは
10歳のときです
 ルネ少年のマネージャーであるギイ・クルティエは、彼自身の結婚式をある教会であげました。そのとき、聖歌隊のひとりとして、ソロのパートをうけもっている少年の声の美しさに魅せられました。式が終わって彼は少年に声をかけました。
「いつかきっと君に会えると思う」


プレスリーが好きだよ

 それから数ヵ月後、仕事で地方へいっている彼のところへ、母親から電話がはいりました。
「いまね、テレビで天使が歌っているのを聞いたよ。いまその天使とすぐ契約なさい」
 その天使が、ルネ・シマールだったのです。
 デビュー曲は『鳥』。たちまち10万枚売れ、続いて発売した2枚のLPも14万枚を越し、ルネ少年はケベックで№1のレコードセールス・アーティストになりました。現在までに7枚のLPをだし70万枚も売っている実力派です。
 そして、現在、テレビでレギュラー番組をもつほどの活躍ぶりです。

--好きな歌手は?
プレスリーです
--日本で好きな歌手は?
布施明さんです。布施さんの歌をきいているとからだの中が熱くなるほど感動します
--なにか得意な楽器はありますか もしなかったら、ナニをやりたいの
ピアノの勉強中です
--あなたの家族は
父と母と、兄が3人、姉が2人、妹が1人です。ボクは下から2番目です
--学校で得意な学科は?
数学です
--好きなスポーツは?
アイス・ホッケーです。級の代表選手なんだヨ
--ガール・フレンドは何人いるの 日本へ来てできましたか
10人くらいです。こんど日本へ行ったら、たくさんの友だちと仲よくなりたいです
--休みの日はどうしているの
うちで歌っています。歌ってないときは、プールに泳ぎにいってます
--ルネの好きな食べものを3つでけ選ぶと
ステーキとセブンアップと、スイカです
--さいごにルネの身長と体重を教えてください
身長は137センチ、体重は36キロです

   ×    ×    ×

 ルネのファンクラブ『メイプルメイツ』には、すでに5000人の参加者がいるそうです。
 歌って踊って司会もやる、スーパー・エンターテナーのルネ少年!! 日本でも
、カナダにまけないほどの多くのティーンたちの人気を集めて活躍することが期待されています。


▲中央の写真のアップ:向かって左から 道上雄峰氏 ルネ 父ジャン=ロック・シマール氏 ギー・クルティエ氏

 この頃の記事のプロフィールでは、ルネは「7人兄妹で、姉が2人、兄が3人、妹1人の下から2番目」と書かれていることが多いのですが何故でしょう。「兄が3人」ではなく、「男兄弟が3人いて、その下から2番目」というのを間違って訳されたのではないかと推測しています。
 また、記事の中で、「みどり色の屋根」とあるのは、私の変換ミスではありません。記事の原文そのままで紹介しております。


 カレンダーでは3連休。児童生徒は昨日から夏休み。私は昨日今日と出張の為、昨日から公開のポケモン映画を明日、海の日に観て来ます。以前お伝えしたとおり、物語の舞台のモデルは「カナダ」!! どの辺がカナダなのか楽しみに見てきます♡
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ルネの凱旋帰国

2014年07月12日 | 1回目の来日
 今から40年前の1974年7月14日(日)は、ルネが帰国した日でした。

 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞し、一夜にしてブームを巻き起こしたルネの見送りに、羽田空港には大勢の日本のファンが押し寄せました。
 そして、時差がありますので同14日、ルネはカナディアン・パシフィック航空機で帰国。モントリオール空港では、ルネの帰りを待ちわびる母ガブリエルを筆頭に、トリュドゥ大統領までもがルネの凱旋帰国を出迎え、報道関係者やケベックのファンでひしめき合っていました。

 「ルネ! ルネ!」とコールする大勢のファンの中を、ルネがガードマンに肩車されてにこやかに手を振る様子や、母ガブリエルに抱きしめられ、キスされる様子は、YouTube映像"million doller baby"でご覧いただけます。また、カナダのChantalさんのコレクションでも、スクラップ・ブックの記事で紹介されています。

※YouTube映像"Rene Simard - Million Dollar Baby Part 1"参照http://youtu.be/yHY1BuKrat4


 下の写真は、ルネのフランク・シナトラ賞受賞40年を報じた"Le Journal de Montréalル・ジュールナル・ドゥ・モンレアル"の記事です。フランク・シナトラ賞のトロフィーを持って、同行したパパと一緒にモントリオール空港でママに出迎えられ、詰めかけた報道陣にインタビューされています。
 この記事によると、ルネは第3回東京音楽祭世界大会の時、実はフランク・シナトラが誰か知らなかったということが、インタビューの中にありました。意外な事実ですね! また、ルネが日本でとても親切にされたことや、カメラや大好きな機関者模型などをプレゼントされたことも語られていました。第3回東京音楽祭世界大会の開催日が7月2日になっていたり、ルネの来日が20回になっていたり、40年前の出来事のためか、多少(?)の間違いがありましたが、訳してみましたのでご覧ください。

Il y a 40 ans: René Simard remportait le prix Frank-Sinatra à Tokyo
ルネ・シマールが東京でフランク・シナトラ賞を受賞して40年
▲"Le Journal de Montréal"の記事より
http://www.journaldemontreal.com/2014/06/26/il-y-a-40-ans-rene-simard-remportait-le-prix-frank-sinatra-a-tokyo

 1974年7月2日、ルネ・シマールの東京音楽祭世界大会での大賞受賞は、ケベックの人々の目を釘付けにし、彼もまた40年前のこのことを昨日のことのように覚えている。

 「私はそれを信じていません。時はすぐ過ぎてしまうから。」とルネ・シマールはインタビューで叫んだ。「私はこの年齢の時、この仕事を長い間続けられるかどうか、疑問に思っていました。そう思っていました。」

 ルネ・シマールが日本に飛んだ時、彼はわずか13歳だった。東京音楽祭の参加者はみな大人だったが、彼は大賞とフランク・シナトラ賞を獲得した。「おかしなことに、私はフランク・シナトラが誰か、知らなかったんです。シャンタル・パリィとフェルナン・ジニャックは知っていたのにね。」と、ルネは笑って語る。「今、私はフランク・シナトラが誰か知っています。彼との写真を家に飾り、それをとても誇りに思っています。」

 <歓迎>
 ケベックにおいてすでスターであったルネは、大賞を受賞して帰国し、ここでもその人気は、日出ずる国のごとく爆発していた。「私が空港に到着した時、多くの人々が私を歓迎してくれました。それは私の祖母も同じでした。」とルネは語った。
 その後数年間、ルネ・シマールは、ファンにコンサートを提供するために20回日本を訪れた。「私は日本を縦断してコンサート・ツアーをしました。子供として感激することは、日本の人々はとても親切で、カメラやあらゆる種類の電気機器を与えてくれました。」

 <幸せな思い出>
 今日でも、日本の友人が訪れたり、日本のファンが連絡を取ろうとしている。それはルネにとって、人生で大切にしている幸せな思い出である。

 ルネは来年デビュー45周年を迎える。ルネは謙虚に「私にはまだ学ぶべきとこがたんさんあります。」と語っている。
 

▲インタビューを受けるルネと妹ナタリー・シマール

 こちらの写真は、獲得したトロフィーを前にインタビューを受けるルネの写真。すごく可愛くていい表情でしょう? ルネは妹ナタリーと一緒です。Chantalさんのスクラップの中にも違うアングルの写真がありますね。

▲Chantalさんのコレクションより

▲Chantalさんのコレクションより


 記事の最後に、「今日でも、日本の友人が訪れたり、日本のファンが連絡を取ろうとしている。それはルネにとって、人生で大切にしている幸せな思い出である。」とありました。これは、私たち日本のルネ・ファンが、まだルネのことを応援していることを知っていてくれている証拠です。嬉しいことですね!!

 また、前回のブログ記事で報告いたしましたとおり、ルネは来年デビュー45周年を迎えるに当たり、2015年3月に新譜をリリースすることが分かっています。カナダ表彰を受賞しながら、謙虚に「私にはまだ学ぶべきとこがたんさんあります。」と語っているルネの、今後の活躍から目が離せませんsymbol1
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「去年の夏」のレコード

2014年07月05日 | ミドリ色の屋根の頃
 ルネ友のみなさま、朗報です!!

 去る6月30日の「ラ・プレス・カナディエンヌLa Presse Canadienne」が報じた記事によると、ルネのデビュー45周年にあたる2015年3月に新譜がリリースされること、そしてルネに今年のカナダ勲章が授与されたことがわかりました!

 カナダの建国記念日に当たる7月1日を前に発表されたこれらの報道により、1日当日fasebookのルネ・ファンの間では、その話題で持ちきりでした。
 今年はルネの来日40周年であることも話題になっていましたが、ルネの新曲は2003年にリリースされた"Hier... encore"以来12年ぶりということになります。ケベックでは、ルネがさらに円熟した歌声を聴かせてくれることに期待を寄せていることでしょう。

René Simard lancera un nouveau disque pour ses 45 ans de carrière
ルネ・シマールはデビュー45周年に新譜をリリースする

 「このアルバムは、私からの素敵な贈り物になるでしょう。」と、記者に電話で語ったルネ。
 全て新曲で構成され、曲想はフォークをアクセントにしたポップスとのこと。「このアルバムは49または50枚目のアルバムになるでしょう。」「私のデビュー45周年を祝うために」とも。

 個人的にはバラードをしっとりと歌って欲しいなんて思っています。また、「49か50枚目のアルバム」というのは、まだ他にリリースする予定のアルバムがあると捉えていいのでしょうか? ミュージカル「雨に唄えば」がケベックで上演された後、CD化の話があったことを記憶していますので、それも期待したいですね!  


René Simard et Denise Robert reçoivent l'Ordre du Canada
ルネ・シマールとドゥニーズ・ロベールがカナダ勲章を受けた

 今年のカナダ勲章が64名に授与され、ケベック州からの受賞はルネを含めた3名。歌手としてだけでなく、パフォーマー、アーテイステックデイレクター、ステージデイレクター等で活躍を続けるルネは、ケベック文化の発展に貢献してきたことを、カナダ政府により評価されての受賞です。
 聴覚障碍児のために尽力し、チャリティー活動等も行っているルネ。この受賞に対しては、謙虚に受け止めているようです。

 ルネのこれまでの功績が認められたカナダ勲章受賞を、日本からもお祝いいたしましょう!!


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 今から39年前の1975年7月1日(火)は、「去年の夏」のシングル・レコードの発売の日でした。

 同月21日(月)には同タイトルのLPが発売されました。

 同年3月21日(土)に「君のすべてがほしい」のシングル、4月1日(火)にLPが発売されてから、3カ月しか経っていない中での新曲の発売は、今でこそ当たり前でも、半年から1年は同じ曲が歌われていた当時のことを考えれば、かなり早い発売サイクルだったと思います。さらに2ヵ月ずつ開けて、9月21日(日)にシングル「みんなあなたに」、11月1日(土)にLP「ルネ・ヒット全曲集」が発売…。ルネが日本以外での活動を始め、予定していた来日が無くなり、それによってルネ人気に陰りが見え始めたこと、さらにルネの変声が重なったため、発売に踏み切ったのかもしれません。

 当時ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの情報だけが頼りだった私は、これだけ続いてレコードが発売されるのは、ルネの人気のためだとばかり思っていました。しかし、ブログを始めてから、既にスプリング・コンサートでルネ人気に陰りが見え、会場に空席が目立っていたということを知って、ショックを受けたのでした。

 私はといえば、次々に発売されるレコードに嬉しい悲鳴を上げていました。それというのも、シングル500円、LPが2800円、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会費が月300円だった当時、私のお小遣いは月1000円。お正月のお年玉を大切にとっておき、無駄遣いを控えたとしてもなかなか大変な出費でした。文房具類や毎月の楽しみの「月刊少女フレンド」もその中でやり繰りしなければならなかったため、タイトル曲「去年の夏」を含めた全曲が発表済みの、べスト盤的LP「去年の夏」は、泣く泣く諦めざるを得ませんでした。でもこのアルバムは、私が購入できなかったことを知っていたルネ・ファンのペンフレンドから、翌年の誕生日にプレゼントされて所有しています。

 ルネのために「月刊少女フレンド」を諦めればよかったのでしょうか? いいえ、この本のお陰で、少ないお小遣いの中では到底買うことができなかった芸能誌「月刊明星」や「月刊平凡」に掲載された記事や付録のポスターを、図らずもゲットできたことにつながっていたので、今考えてもこの少女漫画雑誌は外せません。

 それから面白いことに、ルネのレコードの発売日は必ず1日か21日。これはレコード会社の出荷の関係なのでしょうか?

 そして、ルネの決められた活動時間の中で、さらに来日がなくなった中で、レコード・ジャケット写真は、まとめ撮りした中から未使用のものを選んでいたようです。ルネの全曲集GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールも然り。
 シングル「去年の夏」は、夏の歌なのに長袖で、襟と袖と裾のゴム編みが白の赤いセーター? シャツの上にルネ・ブランドとして発売されていた、胸に車のワン・ポイントが入った赤いセーターを着たルネの写真も同じ頃のもの(※1)。
 LPの方は「月刊平凡」1974年10月号の表紙の撮影で撮った、赤のストライプTシャツのルネ(※2)と海の合成写真★
 私はジャケットのルネが、以前とちっとも変わらないことに不自然さを感じていましたが、それもそのはず、撮りだめした中から選んでいたのですから、ルネが成長するはずありません。使う写真が無くてそうしていたのか、それとも、意図的に「天使の声の美少年」のルネのイメージを強く出すためだったのか、はたまたカナダから送られてきたものを使ったのかは分かりません。しかし、日本では、「メープル・メイツ」の閉鎖が決まってから送られてきた会報で、会員だけが、成長しアメリカで活躍しているルネを知ったのかもしれません。

          ▲シングル「去年の夏」のジャケット

:去年の夏
:君にあげる子守歌


※歌詞は過去ログ「去年の夏」でご覧ください
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/113.html

          ▲LP「去年の夏」のジャケット


去年の夏
僕の国へおいで
美しい星 LAISSEZ-NOUS AU MOINS LE SOLEIL
この旗の下で
サヨナラ少年時代
君のすべてがほしい


ミドリ色の屋根
鳥 L'OISEU
雨上がりのデイト
内気なマリー
普通の子供 UN ENFANT COMME LES AUTRES
君にあげる子守唄

▲※1:ルネ・ブランドの赤いセーターのルネ バックのポスターは映画「普通の子供」のカナダの宣伝用に作られたもの 

▲※2:「月刊平凡」1974年10月号の表紙 赤いストライプTシャツのルネ


 今年のルネ来日40周年及びグランプリ受賞記念日である6月30日は、ルネの新譜とカナダ勲章という素晴らしい情報で、より一層価値あるものになりました。

 ルネ友のみなさま! ルネの新譜と今後の活躍に期待しながら、日本のルネ・ファンとして、これからもルネを応援していきましょう!!
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