ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネの来日について思うこと

2016年03月27日 | ルネの活動記録
Joyeuses Pâques a tous!!
Happy Easter!




 今日はイースター。

 そして、1983年3月27日は、日本武道館にて第12回東京音楽祭世界大会が行われた日でした。

 ルネは妹ナタリー・シマールを日本でデビューさせるために、プレゼンターで出演しました。前夜祭では2人で「ミドリ色の屋根」をデュエットし、ナタリーは日本でのデビュー曲「5月の手紙」も歌いました。
 私は、ルネの来日を求める署名が聞き届けられ、ルネの再来日に最もふさわしい、東京音楽祭世界大会に合わせて招待されたのだと思っていましたが、当時一人暮らしでテレビがなかったため、ナタリーが日本デビューのためにTV出演し、ルネはそのために同行していただけのような来日だったと知ったのは、ずっと後のことで、とてもショックでした。
 そして、それから数年後の1987年か1988年、ルネはフジテレビの「今夜だけ復活! 栄光のアイドルスター達」に出演するため再び来日しました。それについて報じたカナダの新聞記事があります。しかし、カナダでの報道とは少し違っていました。


▲「今夜だけ復活! 栄光のアイドルスター達」で「ミドリ色の屋根」と「ジャンバラヤ」を歌うルネ

※同番組で紹介された豊川誕の後方にルネが映っている映像
「汚れなき悪戯by豊川誕」
https://www.youtube.com/watch?v=as6GYCWN5qM
(豊川誕はアルバムに「ミドリ色の屋根」を収録しています)


 ルネは妹ナタリー・シマールとデュエットしている"Tourne la page"を 日本語で歌い、日本での活動を再開する計画でいたようです。村井邦彦氏やALFAレコードの名前が出ており、活動再開のために招かれたように書かれていました。
 実際には、出演した番組の中で、ルネがフジテレビ系列で放送されていた音楽番組「ミュージックフェア」で、カーペンターズの「ジャンバラヤ」を歌った時の映像と「ミドリ色の屋根」のレコード・ジャケット画像が流され、ルネ自身が『ミドリ色の屋根』を歌っただけでした。「今夜だけ復活」という番組のタイトルが知らされていたのかどうかも、カナダの新聞記事の内容から考えると疑問です。そのためか、その後ルネがTV番組出演のために来日することは有りませんでした。
 10年位前に、ルネとコンタクトを取ろうとしていたTV局の女性がいらっしゃいましたが、その時の番組にはルネの出演はなく、ルネの近況的なものがちょっと取り上げられただけだったそうです。
 『明石家多国籍軍』というバラエティー番組でルネについてのリクエストがたくさん来て、番組のリポーターがカナダまで取材に行き、自宅に伺った時は、とても気さくに対応してくれました。しかし、2003年に「エルビス・ストーリー」の日本公演で舞台演出のために来日したものの、歌手としての来日はありません。
 ルネが来日するためには、TV局等からの招待がなければならないそうです。でも、前述の通り、「あの人は今」的な番組に、ルネはもう2度と出演しないと思います。もちろん、ルネがケベックのファンを大切に思い、ケベックでの活動を中心に考え、ベテラン歌手として、また、プロデューサーや司会者として大きな仕事を抱えているので、来日している余裕も無いと思います。

 私はこの記事のタイトルを初めて見た時、もっと違った内容を想像してワクワクしていました。しかし、その内容を読んだ時、ルネが日本に裏切られたように感じ、ショックでしばらくの間この記事をしまい込んでいました。でも、きちんと最後まで訳して、ルネ友のみなさま方にも知っていていただきたくて、改めて和訳に踏み切りました。私の乏しい仏語の知識では、翻訳が違っているところがあるかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。


ルネ・シマール:東京での復帰

日本人は彼を忘れていなかった

日曜日、彼はフジテレビ系の特別番組のスターの1人である


 もちろん日本人と、何よりも日本女性はルネ・シマールを忘れてはいなかった。そして、その歌手が再び来日した時、そこで停止していた彼の活動が再び始まった。人々は、もし普通ならば、来日する全てのスターの中から、彼のことが記事に取り上げられたことで、そのことを同じように信じるに至るだろう。

 そう、ルネ・シマールは本当に日本航空機で、木曜日に日本へ飛び立った。彼は、大変ポピュラーな日本のアーティスト数人と肩を並べるようなスーパー・スターである。その1時間半番組はフジテレビ系で放送される予定である。ルネは、東京音楽祭でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した、有名な1974年の大成功を収めた日本を再び訪れることを、大変幸せに思っている。この国において、彼が人気絶頂だった時、彼は容易に街を出歩けない程で、サインを求めるか、ただ単に、より近くで彼を見ようとするファンたちに絶えず悩まされた。
 この人気はまだ終わっていない。成長した英雄のように彼を見つめる若い女性たちは、彼を忘れていなかった。モントリオールでルネが日本大使館を通った時、日本人たちはすぐに彼だと分かってサインを求めた。


<偶然に>
 これはまず、ギー・クルティエがカンヌ・グランドホテルのエントランスホールで、東京音楽祭の主催者、村井邦彦氏とALFAレコードの主宰者と偶然出会ったことから始まった。これは、ギー・クルティエが、1974年にルネを日本で売り出した時に取り引きした人物とである。直ちに村井邦彦氏は、彼の国で再登場させるためにこの歌手を招いた。
 それと同時に、相談無しで、別の日本のショー・ビジネスの重要人物であるKato Hudjiが、ギー・クルティエのオフィスに電話をかけ、彼のチームはこの申し出に合意した。それは確かに、日出ずる国にルネが復帰する時の合図であった。


<日本語版“Tourne La Page”>
 ルネ・シマールは指を組んだ。彼が1974年における成功と同じように成功するというのは、おそらく彼が、日本語で“Tourne La Page”を録音するであろうからだ。それはナタリーにとっても同様に大きな出発点となる時であろう。確かにこの日本の取り引きを無視するべきではない。人々は、彼が、1974年に歌った“Non Ne Pleure Pas”の日本語版「ミドリ色の屋根」で、百万枚以上のレコードを売り上げた歌手であることをすぐに思い出すだろう。ルネとナタリーのビデオ・クリップを、日本での重大な取り引きの場で示す時なのだ。
 より大きな発展を目指し、ルネは日曜日の番組出演に向けて集中した。彼は1974年の成功について、他の理由から話す予定である。その特別番組を観るテレビ視聴者は30万人になることだろう。
 ルネは、日本に8日間滞在する予定である。彼の傍らで彼自身の経歴と共に、成功を知っているマリー=ジョゼは、その間、彼に同行しない。それは、夫婦は別個という最初の約束だからである。彼女は、彼のためにとても幸福であり、彼の帰りを待ちかねている。


 1987年8月8日に結婚したばかりの新妻マリー=ジョゼは、2人の結婚の最初の約束で、同行しなかったとのこと。また、この番組のプロデューサーかディレクターと思われるKato Hudjuとは誰なのか? 日本のショー・ビジネスの重要人物とありますが、少なくともフジテレビの社長ではないようです。「フジテレビ系番組製作会社の加藤氏」といったところでしょうか?
 この記事は、「ミドリ色の屋根」を作曲した村井邦彦氏の招きにより、ルネが日本での活動を再開させると信じている書き方でした。しかし、この来日で、私が知る限りでは、ルネのカナダの歌が紹介されることは無かったし、これ以外の番組に出演することも無かったと思います。もちろん、ルネとナタリーの“Tourne La Page”が日本語に訳されたり、日本でリリースされたりした事実はありません。また、クルティエ氏が村井邦彦氏と偶然会ったというカンヌ・グランドホテルが、国際音楽見本市の会場だったと推測すれば納得出来ます。1975年の3回目の来日の帰りに、ルネはこの見本市に行っていました。

https://www.facebook.com/Lovelycatslife/photos/a.207608105984905.54139.120885801323803/975375219208186/?type=3
Rene et Nathalie Simard - Tourne la Page ( Clip Stereo + Original )

 この記事から推察すると、ルネは、日本でナタリーと一緒に活動を再開し、ALFAレコードから日本語で“Tourne La Page”をリリースする計画でビデオ・クリップを持参して、その取り引きをするために来日したのだと思います。前出の番組はそのデモンストレーションとして出演したのでしょう。しかしながら、日本側とカナダのギー・クルティエ・プロダクションとの間には考えの行き違いが有ったのだと思います。また、1987年当時、もちろん今現在でも、日本では男女のデュエットはあまり見かけません。「夢をもう一度」企画だったナタリーの日本デビューが空振りだったこともあり、ルネとナタリーのデュエットは、日本でヒットが見込めないと判断され、実現には至らなかったのではないかと思います。これは私の憶測でしかありませんが…。ちなみに、この番組は夜7時からの2時間番組でした。

 ルネ友のみなさまは、この新聞記事を読んでどう思われましたか? 私は、ルネとナタリーが日本語で歌う“Tourne La Page”を是非聴いてみたかったです。


<追記>
ルネからのイースターのメッセージ(原文と画像)
Joyeuses Pâques à vous chers amis!
Je vous souhaite une belle journée pleine d'amour... et quelques gâteries spéciales pour les gourmands comme moi!

親愛なる友人たち、幸せなイースターをお過ごしください! 
私はみなさまに愛に満ちた美しい1日と…私のような美食家(食いしん坊)のための特別なお菓子を望みます。(直訳)


※facebookの公式ページ"Rene Simard"
https://www.facebook.com/renesimard2016/?fref=ts
コメント (2)
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4回目の来日初日

2016年03月19日 | 4回目の来日
 今から41年前の1975年3月19日は、ルネの4回目の来日初日でした。

 今回は、日本のルネ・ファン・クラブメープル・メイツ』の会報№3に掲載された、4回目の来日の記事を再度アップしました。この画像を初めてアップした頃は、まだスキャンしたままの画像をアップするのが精一杯でしたので、1ページずつ別々になっていましたが、見開きになるように画像処理しています。懐かしい写真ですねsymbol1

 4回目の来日については、カテゴリ『4回目の来日でご覧ください。年友さんとペン・フレンド、福岡のルネ・ファン・クラブ「ボンジュール ルネ」からいただいた、スプリング・コンサートやファンの集いの写真もご覧いただけますよ。

ルネの休日
 今回の一ヶ月近くの来日の間に、ルネの休日は、四日ばかりと、とても少ない休日ですこしかわいそうなスケジュールでしたが、かえって、その休日を思い切って楽しんできました。


ファンの集い
 メイプルメイツの第二回の集いは、三月二十二日(土)場所は東京の六本木のレストラン「チャルダ」という店で、午後二回にわかれて計百五十名のメイツの前で開催されました。当日はルネのこの集いを待ちわびたように、素晴らしい天気に恵まれ、開催数時間前から、店の前に列が出来て並んでまっているメイツの人達で、店の係員やメイプルのスタッフを驚かせました。
ルネもこのメイツの集いは大変期待していたスケジュールのひとつであったようで、来日した時から、この集いの内容を質問したり、色々と注文を出して、この集いを成功させたいようでした。
みんなとお茶をのんだり、ケーキを食べたりしそして、みんなの前で四曲ほど歌い、みんなからの質問、またみんなと一緒に歌ったり、メイツののど自慢大会、さらにはスタッフも出演させられたりするハプニングもあり、大変楽しい集いでした。
リンやギーさんも大変楽しそうで、みんなに歌わさせられたりしてにぎやかな数時間でした。
遠くは大阪から、わざわざこの集いに参加するために上京したメイツや、二回連続して参加したメイツで会場はムンムンした熱気に終始つつまれ、大変充実した一日でした。
ルネもみんなも次回のメイツの集いを約束して、みんなで歌いながらサヨナラをして、この集いを終わりました。メイツの人達も満足そうに帰っていきました。ルネも思い出になったと言ってこの集いの成功を喜んでいました。



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

          cat猫アスカ通信cat3


 3年前2013年の3月17日は、シマ姉家の愛猫アスカが来た日でした。
 前日の16日、出かけようとしたら、玄関先で足にすり寄ってきた人懐っこい仔猫。近所の猫が迷い込んできたと思い、「ハナタレちゃん、早くお家にお帰り。」と言って、家の中に入りたそうだったのを外に出しました。
 そして翌日、シマ姉家の濡れ縁に、右後ろ足の皮がむける大怪我をしてうずくまっていました。その後、暖かかったので草むらにいて、帰る気配もなし。裏の動物好きのお宅の御主人に聞いても、その家の猫ではないとのこと。春休みで帰省している娘と息子に、「あの猫は、もう死んでしまう猫だから、絶対拾うんじゃないよ。」と言っているのを聞いてスイッチ・オン★ 上空には、仔猫が弱るのを待つようにカラスが旋回しているので、段ボール箱に古いタオルを敷いて濡れ縁に。嫁の立場で、大怪我をしている猫を飼うとは言い出せず…。ところが、今は亡き義母が、「昨日、家に入れてあげていれば、こんな大怪我することはなかったのに。」と義父に言ったことで、段ボールごと家の中へ。後は、実家の行きつけだった動物病院で手術して、3回の入院を経て、めでたくシマ姉家の飼い猫になりました。

  ▲アスカ 怪我直後→手術後2回目の退院→怪我完治

 足切断の危機と白血球数の激減という死の危険を乗り越えて、現在は掛け替えのない家族になったアスカ。最初の内は、何となく遠慮がちだったのですが、今はしっかり甘えるし、自己主張します。以前は絶対またいで通っていた人の足はわざと踏むし…(笑)。朝ご飯の催促は、私だけを全力で起こす★ 自分で無理矢理サッシを開けて外出するくせに、帰ってくると「開けてくれませんか?」と待っている。トイレの後拭かれると反撃するくせに、お外で足が泥んこになった時は、『あんよ泥んこだけど、拭く?』とでもいうようにやってきて、おとなしく拭かれた後マッタリと仕上げ拭きよろしく毛繕い★ 私が入っているトイレのドアを開けてまでついてくるストーカー★ こんなアスカですから、猫同士の争いごとに顔を出すこともなく、「フーッ」とか、「カーッッ」とか、怒ったり、威嚇したりしているところを見たことがありません。穏やかな性格で、お客様には愛嬌を振りまいて回る(臭い付けしている行為という話もありますが)人見知りしない猫です。息子にとっても、ストレスを解消してくれるセラピー猫のアスカには、まだ3歳以上4歳未満の猫ですが、いつまでも元気で長生きして欲しいと思う今日この頃です。
 ちなみに、飼い主の空耳アワーでしょうが、最近は『グ・ニャ・ン(ご・は・ん)』と鳴きます。私からおやつをもらう時は必ずハイタッチ(「しないともらえないから」と主人の見解)するアスカに、次は何を教えようかしら…と考える猫バカ飼い主のシマ姉(爆★)。アスカのマイ・ブームは、丸めたティッシュを投げてもらってキャッチする遊びです。

 ルネ・グッズだけでなく、猫グッズも断舎利できない私。空前の猫ブームに乗って、次々発売される猫グッズに目眩cat こちらは、以前見つけて全種買ってしまった駄菓子です(爆★)

プニフワ幸せにくきゅうグミ♪(扇雀飴本舗)
「見て、触って、食べて、プニフワ食感が楽しめるにくきゅう型グミ!
大きいグミが入っていたらラッキー★」(裏面の商品説明より)


 結構良い感じのプニプニ感です♪ 足裏が冷えた仔猫の肉球みたいに、柔らかくてヒヤッとしてプニプニです!  コンビニで三毛猫を見つけて、テンションMAX★ いろんなお店を回ってしまいました(笑)。
 絵柄はトラ猫、三毛猫、黒猫、ペルシャ猫と言いたいところですがポメラニアンの他、柴犬とパグの6種類! 1袋開けたところ、他のよりも大きめのグミが2つ入っていました~。白地にピンクの肉球がキュートです。ブドウ味♪ お試しあれ!!

 こちらはお気に入りのイヤホンジャックカバー。本当はスマートホン用で、ねこむらおたこさんのシリーズで「必死にしがみつくにゃんこ型イヤホンジャックカバー(茶トラ)」です。iPadに付けていますがピッタリsymbol1 いろいろなタイプがあって、猫好きの友人にプレゼントしたりしています。家のアスカと同じ「はちわれ茶トラ」のが欲しかっのですが、邪魔にならない形状のものにするためにこれを選びました。ちなみに、ガチャポンのキーホルダーのシリーズも持っていて、「はちわれ茶トラ」は小さな箱にムリムリッと入っている『挑戦』、携帯に付けているのはサバトラで『失われた野生』というタイトルが付いています♪ 『ねこっぷち』という、カップの縁にかけるアクセサリーも持っていたりします。cat3アスカと同じ茶トラが出るまでガチャポンしていまう猫バカのシマ姉なのでした(爆★)。

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ちょっと一息

2016年03月12日 | ルネの画像
 明後日3月14日はホワイト・デー
 今年も家族からしかチョコレートをもらえなかったシマ姉家の男軍団からのお返しは何かしら?

 5年前は東関東大震災で被災し、それどころではなかったことを思い出します。
 ここのところ地震続きで、co-opのカタログで防災用品特集を見ると不安に駆られて、ついいろいろ買い揃えてしまうシマ姉です。ちなみに、大震災の時に職場の屋根瓦でつぶされた車の代わりに買い換えた現在の愛車のトランクには、寝袋が3つ積んであったりします。5年間保存の水やら持ち出し袋やら災害に備えていますが、今もまだ仮設住居で暮らしている方々や行方不明の方たちのことを考えると、2度とあのようなことが起きないことを祈るばかりです。


 そして今回は、ちょっと一息。ルネの笑顔にほっこりしていただけたら幸いです。

       ▲▼シマ姉のルネ・コレクションより

 日本のファンが待っていたルネの来日。この2枚の写真は、ルネが変声した頃であり、アメリカで活動していた頃の写真です。カナダのアルバムでいうと“Fernandoーフェルナンドー”の頃です。変声してもあの歌唱力は健在symbol1 ボーイ・ソプラノの天使の声でなくても、成長した少年の声は十分魅力的でした。あの頃のルネに、ずっと続けて来日して欲しかったですね!


 そして、ミュージカル『メリー・ポピンズ』がサン・ドゥニ劇場で6月15日に上演されることが決定し、3月8日にキャストがお披露目になりました!!
  ▲▼facebook”Mary Poppins MTL”より

 メリー・ポピンズ役のジョエル・ランクトーと、バート役のジャン=フランソワ・プーランが「チム・チム・チェリー」を歌い、全員で「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」を大合唱♪ 「踊ろう、調子よく(Step in Time)」のダンスもあって、最後にはメリー・ポピンズとバートの舞台衣装を着たランクトーとプーランが登場して、楽しい舞台を垣間見ることができました。
 上の画像のお披露目会の様子は、facebookのメリー・ポピンズのページ”Mary Poppins MTL”で映像もご覧いただけます。facebook”にアカウントがなくてもご覧いただけるのか分かりませんが、下のURLをクリックしてみてください。



※facebook”Mary Poppins MTL”
https://www.facebook.com/MaryPoppinsMTL/

※showbizz.net
http://showbizz.net/2016/03/08/devoilement-de-la-distribution-de-la-comedie-musicale-mary-poppins/

※ディズニー映画より
チム・チム・チェリー(Chim Chim Cher-ee)」
https://www.youtube.com/watch?v=k_mpaF5-SlU
スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス(Supercalifragilisticexpialidocious)」
https://www.youtube.com/watch?v=tRFHXMQP-QU


     cloverシマ姉のグリーン・ライフclover



 久しぶりに植物栽培の話です。

 職場の鉢植えが現在花盛り。晩秋に室内に取り込んだ夏の花が1月に入ってから咲き始めています(上の写真は2月の写真です)。私の部署は日当たりが良く、1日中熱帯魚水槽が稼動しているため(湯タンポと言っていたりする)、植物の生育には最適のようです。
 霜が降りる前に、花壇からダメモトで植え替えした朝顔にナスタチュームパッションフルーツの鉢に種こぼれしていた青紫蘇ビオラに花が咲きました。朝顔と青紫蘇は背丈が伸びないまま花が咲き、ナスタチュームは昨年末は黄色だけだったのが、今はオレンジ色の花も咲いて華やかです。カランコエは赤、オレンジ、黄色などの寄せ植えが綺麗に咲いています。
 また、黒い苔が生えてしまった水槽のウィローモスをトリミングして間引いたものは、いつも処分せず鉢植えのマルチングに利用していました。水上葉が地上葉に変化することは知っていましたが、水のやり過ぎで枯れてしまったカランコエを根元から切ったら見事なが現れました。霧吹きで水をやり続けたところ、ふかふかの絨毯のようになり、シダが生え、残ったカランコエの根にも苔が生えて、侘び寂びを感じさせる箱庭のような風情に!! 胞子体が伸び、先端に蕾のような可愛い胞子嚢ができるなどの変化を、楽しく観察しています。こんな馬鹿なことをやっているのは私だけかと思ったら、庭や盆栽の根元に生やすだけでなく、苔アートや苔玉、苔テラリウムというのがありました(笑)。自信をもってこの先も栽培を続けたいと思っています。
 夏の終わりに花が小さくなったり、葉が落ちてしまったゼラニウムワイヤープランツの鉢は液肥で復活し、ゼラニウムは大きな赤い花を次々に咲かせています。パッションフルーツはツルを伸ばし、現在2つの実が熟し、更に追熟させているところです。
 上の写真には写っていませんが、オリヅルランは花が咲き、葉は生い茂り、垂れ下がったランナーで鉢が倒れそうになってもなかなか間引きができないでいます。
 花壇では、ビオラノースポールが積雪にも負けずに咲き、晩秋に球根を植えたチューリップミニ水仙ヒヤシンスユリの芽がぐんぐん伸びて、ミニ水仙が花盛り。ムスカリ宿根のブルーサルビアは葉を枯らさずに寒さに耐え、葉の間からムスカリの花芽が出て咲き始めています。種こぼれでどんどん生えてくるノースポールとビオラ、オダマキを残しながら、ホトケノザ等の草を抜くのは、最近は好きな手入れの1つ。冬の内からこまめに抜いておくと除草の手間が最小限で済むので良いですよ♪ 個人的にはオオイヌノフグリホトケノザも、野の花は好きなのですが、花壇では「ごめんね」と言いながら抜いているシマ姉です。
 今年はパッションフルーツをどうしよう…。すでに脇芽から花芽が次々出ています。職場の窓辺は室内グリーンカーテンと温室状態になっているのでありました(爆★)。

 春一番も吹いて、春らしくなりましたが、まだまだ朝晩は冷え込み、今日は雪の予報もあります。年度末の 仕事に追われて忙しい折、ルネ友のみなさまもお体ご自愛なさってくださいねsymbol1
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Bonne Fete, Régis!

2016年03月05日 | ルネの画像
Cher Régis

Joyeux anniversaire!
Je vous souhaite beaucoup de bonheur.xoxox



 3月9日はルネの兄レジス・シマールの56歳の誕生日です。

 現在レジスは、妹ナタリーが経営する砂糖小屋Cabane chez Nathalieのステージで、歌ったりギター演奏をしたりしています。ナタリーが「家族の夢」と言っていたこの砂糖小屋は、今のところ経営も順調のようです。ナタリーが経営に失敗したブティックのイベントのステージでは、ルネとナタリーの娘エーヴの4人で歌っていたのですが、この「家族の夢」の家族の中に、ルネがまだ含まれていないのはちょっと寂しいです。早く兄妹で同じステージに立てるようになると良いですね。

 ▲Cabane chsz Nathalieのステージで歌うナタリーとレジス
       ▲ステージで歌うレジス、ナタリーとルネ
        ▲▼子どもの頃のルネとレジス

 実は、下の写真の4人、ルネとは彼の公式ページに『いいね』しているだけですが、後の3人とはfacebookで『友達』になっています。以前から『友達』のクロディーヌ.バシャンさんの妹ダニエル・バシャンさんが最近facebookに加入し、彼女とも『友達』になりました。facebookって、つくづく便利ですね! 例えウェブ上だけでも、ルネの家族や関係者の方々とつながりが持てるのですから。ルネの姉リンさんとも友達ですが、現在のリンさんは、亡き母ガブリエルにそっくりです。ちなみに、facebookのルネ友さんたちも、ルネの家族の方たちと『友達』になっていますよ!!

 ▲左から兄レジス、弟ジャン=ロジェと妹ナタリー、ルネ

 まだfacebookにアカウントをお持ちでない方も、是非facekookにお越しくださいませsymbol1


 今日は啓蟄。実はシマ姉家は亡き義母の3回忌(命日に22日)。息子はインフルエンザB型で出席停止中のためにお留守番。食事会を早めに切り上げて帰宅したい ! もちろんこの記事は予約投稿です。明日は回り当番で地域の公民館掃除。多分、私もインフルエンザの保菌者なので、発症しないように気をつけないといけません★
 年度末で仕事が忙しい折、ルネ友のみなさまも、お体ご自愛くださいね!!
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