ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネのデビュー50周年記念誌⑨

2021年10月30日 | ルネの活動記録

 明日はハロウィーンsymbol1

 ルネもきっと、現在同居中の息子オリヴィエ夫婦と孫娘クロエちゃんと一緒に、ハロウィーンを楽しむことと思います。まだ生後6か月ですが、ハロウィーンの仮装は可愛いベビー服アレンジで出来るかな?

▲私の最新ルネ・コレクションより 右のゾンビ(?)もルネ

 そしてルネ・ファンはみんな、53枚目のアルバムTu n'as pas seul あなたは一人じゃないの最新情報が、ルネのfacebookの公式ページに投稿されるのを、今か今かと首を長くして待っているところです。

 昨日10月29日は、ルネがfacebookの公式ページで、「最初のエントリーを聞くことができます。 友だちのBruno Pelletierブルーノ・ペルティエ、Gregory Charlesグレゴリー・シャルル、 Mario Pelchatマリオ・ペルシャとこの曲を演奏できることをとても嬉しく思います。」と予告していた日でした。facebookのお友だちJohanne Gagnonジョアンヌ・ガニョンさんから、音源をいただきました。AppleMusicでネット配信され、購入(255円)することも出来ます。ちなみに、マリオ・ペルシャは、現在制作中のコラボ・アルバムでも共演しています。

▲スマートフォン版(ソルさん提供)

▲PC版(下のリンク ただし開くにはAppleIDが必要?)

※AppleMusic
https://music.apple.com/jp/album/tu-n'es-pas-seul-(feat.-gregory-charles%252C-mario-pelchat-%2526-bruno-pelletier)---single/1588968077


 さらにAmazonMusicでも、本日から購入できるようになりましたsymbol1 こちらは250円です。
https://www.amazon.co.jp/nes-pas-seul-Ren%C3%A9-Simard/dp/B09HT3SCXC/ref=sr_1_24?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=Rene%20Simard&qid=1635565951&sr=8-24&fbclid=IwAR149NkJtFos8JAK5an67TvaeWhHeGTpOuiNNAFvZWEOL2Ge3wTVNDXuzPA



 CDは11月11日に、デジタル版(iTunes)は翌11月12日に発売されることが決定しています。前回同様に、CDを日本のAmazonでも予約販売して欲しいです!!

 それから、アルバムのジャケット画像が公開されましたが、その撮影風景、撮影スタッフとルネの写真を紹介いたします。ルネがスタッフと和気藹々、楽しく撮影に臨んでいる様子もご覧ください♪

▲アルバム・ジャケット(左) 撮影スタッフとルネ(右)

▲▼フォト・スタジオでの撮影風景とルネの写真


 撮影スタッフが同じなので、CDジャケットの写真は、le Journal de Montrealの”50 ans de divertissement: la fabuleuse histoire du p’tit Simard 50年のエンターテインメント:p’titSimardのすばらしい物語”の記事に使われた写真と一緒に撮られたものだと思います。衣装や椅子を変えて、何パターンか撮影したのでしょう。

 確かにカナダのルネの写真は、一度の撮影でたくさん撮っておいて、レコードジャケットやグラビア記事、ポスターやピンナップなど様々なところで使われていました(日本で発売されたものも含む)。現在はコロナ渦ですので、感染対策としても、一度で必要な写真を撮り切ってしまうことは最善策だと思います。

 facebookのお友だちから、このアルバムは2枚組との情報をいただいています。また、ルネもfacebookの公式ページに「 私のキャリア50周年を祝うアルバム」と書いているので、デビュー50周年記念のベスト盤も含まれ、小冊子等にこの撮影で撮った写真が使われているかなsymbol1・・・と、一人でワクワクしていますsymbol4

※le Journal de Montreal”50 ans de divertissement: la fabuleuse histoire du p’tit Simard”の記事もお楽しみくださいsymbol1
https://www.journaldemontreal.com/2021/07/31/50-ans-de-divertissement?fbclid=IwAR3Q5t5tsl0AvwD8KYuqVGImYSGDMWpXsrlfx_g5c1D8Dwx7AEpZg5w7oMg

 ルネからのアルバムの最新情報が入りましたsymbol1

flag11追記flag11

À partir de maintenant, la chanson "Tu n'es pas seul"
est maintenant disponible et j'en suis très heureux! 😊
Cette chanson est disponible dans toutes les playlists ci-dessous:

• Spotify - Nouveautés de la semaine Canada (#13) - https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DX9SvXmR7wQty...
• Apple Music - Nouveau Franco (#20) - https://music.apple.com/.../pl...
• Apple Music - New in Pop (#28) - https://music.apple.com/.../pl...
• Apple Music - New Music Daily (#94) - https://music.apple.com/.../pl...
• Amazon Music - Apéro (#8) - https://music.amazon.ca/playlists/B09FV7NJHV
• Amazon Music - Les Hits du Moment (#8) - https://music.amazon.ca/playlists/B07H51HSJJ
• Amazon Music - Pop du Moment (#1) - https://music.amazon.ca/playlists/B07H8T68V5
Et à partir du 11 novembre, toutes les chansons seront disponibles sur toutes les plateformes numériques! 😎
Dès le 12 novembre, il y aura des CD + Magazine "50 ans de carrière" dans plusieurs endroits; marchés, magasins, etc. 😁😍
Merci et bonne écoute!!!😘
Bonne fin de semaine à tous!


これからは「Tu n'es pas seulあなたは一人じゃない」という曲が利用可能になり、とても嬉しいです! 😊
この曲は、以下のすべてのプレイリストで利用できます。
<中略>
そして11月11日から、すべての曲がすべてのデジタルプラットフォームで利用できるようになります! 😎
11月12日から、CD + Magazineの「50 ans de carrièr50年のキャリア」がいくつかの場所で発売されます。市場、ショップなど。 😁😍
ありがとう、そしてよく聞いてください!!!😘
みなさん、幸せな週末を!


 CDには小冊子 "50 ans de carrière"が付いている!! 前出の撮影で撮った写真を含め、ルネが厳選した写真が掲載され、50年間の経歴が書かれているのでしょうsymbol1 ファンならCDとデジタル版と両方購入必至ですね!!!



     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネのデビュー50周年記念誌紹介も今回で9回目になります。

 今回は、ルネがケベックでスターとなり、カナダの代表として第3回東京音楽祭世界大会に出場し、グランプリフランク・シナトラ賞を獲得したこと、日本でルネ・ブームを起こしたことなども書かれていました。記念誌に書かれていることの補足として、YouTube映像や過去ログ、Wikipediaをリンクしていますので、それらも楽しんでいただけたら幸いです。

TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



On le dit millionnaire a 13 ans vol.2
  人々は彼を13歳の億万長者(ミリオネア)と言う

Il aspire à une carrière.
  彼はキャリアを目指している。

▲左:トニー・レイ・ショーのセットで。 彼の左側、ソニー・ボノ
 右:ケベックでも、彼は大変人気があります。 ここで彼は歌手のピエール・ラロンドと一緒にいます


▲バシャン姉妹の本では「マイク・ダグラス・ショー」となっていますが、「トニー・レイン・ショー」のセットでマイク・ダグラスと ちなみに、写真の解説ではルネの「左側」となっていますが、画面向かって右がソニー・ボノ


▲デビュー25周年記念番組よりアメリカの活動14分00秒~

大量の契約

 映画業界の人々でさえ、誰もがルネ・シマールを奪い合いました。1973年、フランコ・ケベコワーズの共同制作のおかげで、Denis Herouxドゥニ・エローは、スターのDominique Michelドミニク・ミシェルとフランスの俳優Jean Lefebvreジャン・ルフェーブルが夫婦役で主演する映画の資金調達に成功しました。ルネとレジス・シマールが彼らの子ども役を演じました。「J’ai mon voyage! 私には私の旅がある!(フランスでの題名は“Quand c’est parti!それがなくなったとき!”)」は、あまりヒットしませんでした。 それでもなお、ルネには虫刺され程度。 1970年代に、ジャーナリストが彼に、歌手としての仕事が無くなったとき何をしたいかと尋ねると、彼は次のように答えました。
 「私はおそらく Jerry Lewisジェリー・ルイスの映画にフルタイムで売り出すと思います。
 歌手はまた、マリエル(Rita Bibeauリタ・ビボー)とギイ・ベルジェー(Yvan Ducharmeイヴァン・デュシャルム)の養子役を演じ、テレビ・シリーズの「Les Bergerベルジェー家の人々」で何話かに出演しました。



※過去ログ「J'ai mon voyage!」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/471.html


※過去ログ「Les Berger 」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/960.html
※過去ログ「Les Berger 追記」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/965.html



幼いパスカル・ギルボーとのデュエット

 J'ai mon voyage! 私には私の旅がある!」は 様々な成功を収めましたが、この出来事はルネの音楽の道を妨げるものではありませんでした。同年、彼は同年代の少女パスカル・ギルボーPascale Guilbaultとのデュエットで「Pascaleパスカル」を録音しました。彼女は1年間、この曲を紹介するためのツアーをし、その後Denise Filatrautドゥニーズ・フィラトゥローとテレロマンの『Rosaローザ』に出演しました。
 興味深い事実:パスカルは、ますます有名になり始めていた女の子、Marie-Josse Tailleferマリー・ジョゼ・テユフェといくつかのコマーシャルに出演しました。幼いギルボーは学業を続けるために、十代で道をあきらめたのでした。


※テレロマン(teleroman:メロドラマやスペイン語テレノベラに似たカナダのフランス語ドラマのジャンル)

※過去ログ「ふたりのアイドル⑥」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/556.html
※過去ログ「Pascale」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/572.html



東京:夢を呼び起こす

 ルネの勢いは続き、新しい大きな冒険に取り掛かりました。 1974年、彼は東京音楽祭世界大会において、カナダ代表に選ばれたのです。 彼はミドリ色の屋根(Ne PleurePas泣かないで)を日本語とフランス語で歌いました。彼のパフォーマンスは大歓迎されました。 彼はグランプリとFrank-Sinatraフランク・シナトラのトロフィーを獲得したのです。シナトラの手からこのトロフィーを受け取ったことに加え、ルネは賞金11,000ドルを稼ぎました。この種の賞は、アーティストのキャリアに実際の影響を与えないことがよくありますが、ルネの場合、日本人は彼に夢中になりました。彼は日出ずる国で、いくつかのコンサートを行っています。ケベックに戻ると、当時の首相であったRobert Bourassaロベール・ブラッサが彼をドルヴァルに迎えました。

YouTube映像”Rene Simard - Fermeture (Japan Footage)”
https://youtu.be/h5vn3zzzRn8



※過去ログ「ルネの凱旋帰国」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/969.html
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/665.html
♪YouTube映像”Rene Simard 2”参照
https://www.youtube.com/watch?v=RPuXwHVWf0o&t=104s


彼の凱旋帰国で引っ張り凧

 日本からの帰国後、ルネ・シマールは真のヒーローとして、ケベックで歓迎されました。 彼はla Chant’aout 8月の歌の一環としてプチ・バスティーユで9000人の前で歌っています。 Veronique Beliveauヴェロニック・ベリボーとFrance Castelフランス・カステルがショーのオープニングを行いました。 それから、モントリオールに戻って、彼のマネージャー、Guy Cloutierキィ・クルティエは、非常に成功した曲”Ma Petite Japonaise”を録音することを勧めました。2人の日本人写真家が、その後日本中で発表される漫画を、彼の肖像画で描くために、市内で彼を追いかけました。


※過去ログ「『ルネ漫画履歴書』完全版」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/994.html
※カテゴリ『雨上りのデイト』参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate15/archive



彼が行くところはどこでも熱狂的です


同世代のアイドル

▲ピエール・ラロンドと一緒に

 また、この同じ多作の期間中、ルネはPierre Lalondeピエール・ラロンドと45のツアーを記録し、彼はこの時に素晴らしいスターを生み出しました。彼はまた、Osmond Brothersオズモンド・ブラザーズやEngelbert Humperdinkエンゲルベルト・フンパーディンクなどのスターが出演する紹介の一環として、オタワでショーを催しました。 彼はトロントでRedio-Canadaの英語ネットワークの放送を見学し、アメリカ市場を調査するために、ロサンゼルスで英語の歌を録音しました。 若い歌手はカリフォルニアでこの短期滞在を利用して英語を学び、ダンスのレッスンを受け始めます。 さらに、ルネはCaptain And Tennilleキャプテン&テニールやOlivia Newton-Johnオリビア・ニュートン=ジョンのようなスターと一緒に、アメリカのネットワークNBCで90分のショーを行いました。 彼は英語とフランス語で歌っています。


※Wikipedia参照
♪オズモンド・ブラザーズ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA
♪エンゲルベルト・フンパーディンク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)


♪オリビア・ニュートン=ジョン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3
♪キャプテン&テニール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%26%E3%83%86%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB

※過去ログ「ルネと少年少女歌手たち」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/491.html


<le Journal de Montrealの記事からの追記>

ケベックのコロシアムで
 1972年2月、気温は-20℃でしたが、ケベック州のコロシアムには3万人がやって来て、時の神童を称賛しました。 ルネは大雪のため、サント・ペトロニーユからスノーモービルでケベックまで移動しなければなりませんでした。


日本で
 ルネは1974年6月30日、『ミドリ色の屋根』で、東京音楽祭世界大会のグランプリを受賞しました。 彼はフランク・シナトラから彼の賞を受け取りました。 音楽祭は1億700万人の視聴者に見られていました。 彼のキャリアが国際的に開始する特別待遇(栄誉)。


 今回は記事の内容も多かったのですが、解説のための映像と画像、過去ログやWikipediaのリンクが沢山あったので、全部見るのにとても時間がかかったと思います。最後までお付き合いくださったルネ友のみなさま、ありがとうございました!!

 ”On le dit millionnaire a 13 ans”はあと2回あります! 日本のルネ・ファンにとって思い出深い、そして一番待ち焦がれていた時期の内容だと思いますので、次の記事も楽しみにしていてくださいね♪

 では、ルネ友のみなさまも、楽しい週末をお過ごしくださいsymbol1


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ルネのデビュー50周年記念誌⑧

2021年10月23日 | ルネの活動記録

 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の8回目です。

 そしてその前にっ!!!

<速報! ルネのアルバム情報>

 ルネが53枚目のアルバムについて、facebookの公式ページに、ファンに向けてメッセージを投稿しました!!

 新しいアルバムのタイトルは”Tu n'as pas seul あなたは一人じゃない ”です
symbol1

 


 
Le 29 0ctobre vous pourrez entendre le premier entrait de mon nouvei album<Tu n'as pas seul>. J'ai l'immense plaisir d'interpreter cette chanson avec mes amis Bruno Pelletier, Gregory Charles et Mario Pelchat. L'album pour celebrer mon 50ieme aniversaire de carriere sera dispenible le 11 novemble et en numerique le 12 novemble. Je vous en reparlerai tres bientot.
Au plaisir!!
smilesmile
10月29日、私のニューアルバム<Tu n'as pasSeul>の最初のエントリーを聞くことができます。 友だちのブルーノ・ペルティエ、グレゴリー・シャルル、マリオ・ペルシャとこの曲を演奏できることをとても嬉しく思います。 私のキャリア50周年を祝うアルバムは、11月11日に、11月12日にデジタルで発売されます。 すぐにご連絡いたします。
楽しみにしています!!
smilesmile

 ちなみに、2枚組CDでiTunesでも購入できるそうですsymbol1(Karlくん情報)

 ルネからの次の情報を楽しみに待ちましょう!!!


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 今回の”On le dit millionnaire a 13 ans 人々は彼を13歳の億万長者(ミリオネア)と言う”は、今回を入れて4回での紹介になります。


 今は無きケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載された特集記事、「ルネ・シマール物語」の中の『13歳のミリオネア』でも、それについて書かれていました。

 デビュー50周年記念誌では、デビュー後ケベックで大人気となり、『ミリオネア(億万長者)』と言われるようになったルネの活躍を紹介しています。第1回目となる今回は、ルネとシマール家の子どもたちが出演したプリンのTVコマーシャルと、セミ・ドキュメンタリー映画”Un Enfant Comme Les Autre”についてです。

※過去ログ「ルネ・シマール物語⑦13才のミリオネア」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/48.html
※カテゴリ『ルネ・シマール物語』参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate6/archive


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



On le dit millionnaire a 13 ans vol.1
  人々は彼を13歳の億万長者(ミリオネア)と言う

 数ヶ月が経っても、ルネはまだ人気がありました。 その人気は結局、つかの間の情熱ではありませんでした。 歌手は世界的規模の現象になるのです。

 ルネ・シマールは問題なく(条件を)満たしたことで、10歳でファーストアルバムをリリースし、11歳で初めて芸術劇場place des Artsに出演しました。 1972年には、彼はアーティスト・ガラで2つのトロフィーを獲得した最年少のスターとなったのです(数年後にADISQガラに置き換えられた)。 彼が感動させたものは金に変わり、広告業者はこれをよく理解していました。

インタビューで自然に大衆を魅了する少年

思い出に残る広告
 
 1970年代初頭、ルネ、レジス、ナタリーは、ケベックのテレビで最も有名な広告キャンペーンの1つである、ブティ・プディングのローラ・スコールで大人気になりました。この天才的な計画は、ケベックの広告の父とされるジャック・ブシャールの立案でした。シマール家の成功を最大限に活用して、立案者はローラ・スコールでシマール家の子どもたちの韻を踏んでいます。 歌は次のようになります:「シマール家の子どもたちを歌わせるのは何ですか? それはローラ・スコールのプティ・プディングです。

♪Qu’est-ce qui fait donc chanter les petits Simard? C’est les petits Poudings Laura Secord.♪



 彼がわずか11歳のとき、彼の人生についてのドキュメンタリーが作られました。

▲アルバム”Un Enfant Comme Les Autres”のレコード・ジャケットより

彼についての映画

 数か月後、映画製作者のDenis Herouxドゥニ・エルー(ケベック州で最初のエロティック映画であるValerieの作成者、Danielle Ouimetダニエル・ウイメとの共演)が、“Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供”というルネのドキュメンタリーを撮影しました。 実際、この映画のタイトル曲は別の大ヒットとなるでしょう。 多くのファンや好奇心旺盛な人々が、彼らのアイドルの人生を大画面で見に来ました。その長編映画は、すべての人にインスピレーションを与えてくれる少年を、事実そのままで見せてくれました。 したがって、1972年は若いスターにとって、彼の地位が正真正銘確立した年になったのです。 そして彼のキャリアはまだ始まったばかりでした。


※当ブログ並びに私のYouTube映像は、ルネ・シマールについての資料としてのもので無収益です。また、YouTube映像は限定公開になっています。

左:ファン・クラブ『メープル・メイツ』の会報より
 中央:今日でも覚えている広告
 右:1975年のマーヴ・グリフィン・ショーのセット
  で、アメリカのマーヴ・グリフィンと一緒に


 1974年、東京音楽祭で最優秀賞を受賞し、フランク・シナトラからトロフィーを授与されました。


 今回は久々の1部構成でちょっと一息・・・と思って以下の文章を書いていたら、投稿後、ルネからfacebookの公式ページに53枚目のアルバム情報が!!!

 急いで冒頭の部分を書き換えました(笑)。でも、今更消去できないため、最後までお付き合いくださいね♪


 ルネのデビュー50周年記念誌の記事は、50周年の内に終了させたいと思いながら、来年4月まで下書きで埋まっているため、予定をずらすことが困難です。予約投稿してある記事に、私個人の近況は別として、ルネの最新情報、「三毛猫姐御だより」、「シマ姉のスローライフ」と「シマ姉のグリーン・ライフ」を加えると2~3部構成になってしまいます。

 50周年記念誌25周年記念CD集と収録曲紹介のシリーズを始める前でしたら、記事を分けて投稿していたと思います。なにせ、ブログ開設16年目ですから、いつネタ切れするか、いつも不安が付きまとっていました。ところが、ルネの25周年記念誌CD集の小冊子の翻訳記事も途中のままです。亡き父ジャン=ロック氏と妹ナタリー・シマールの本も、バシャン姉妹の本も、カナダの雑誌のルネ記事も訳していません★

 現在の悩みは、「ネタ切れ」ではなく、私の気力と体力がいつまで持つのかと、いつまで元気で記事を書き続けられるかです(気持ちだけは「永遠の14歳」ですが 笑)。まさに『継続は力なり』!!


 次回は、その後出演した映画やTV番組、第3回東京音楽祭世界大会と日本での活動、フランスやアメリカでの活動等についての内容になります。デビュー50周年記念誌の翻訳に加え、解説でみっちりの記事になっていますよ~symbol1

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ルネのデビュー50周年記念誌⑦

2021年10月16日 | ルネの活動記録

 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の7回目です。

 その前に、前回予告いたしました、ルネが出演し、去る10月11日(月)に放映されたクイズ番組「LE TRICHEUR ペテン師」の画像を紹介いたします♪ 


 収録は9月25日頃のようですが、ルネのコスチュームが4度変わっているのは、4回に分けて収録されたということでしょうか?

 この番組の画像と映像は、facebookのお友だちJohanne Gagnonジョアンヌ・ガニョンさんから提供していただきましたsymbol4 (映像はご覧いただけないため、画像編集しています。) 

Merci beaucoup, Johanne Gagnon❤


 番組中のルネに関する問題を5つ取り上げましたのでお楽しみくださいsymbol1 


<En 1974, Rene Simard, alors age de seulement 13 ans, remportait un prestigieux prix international dans un festival de shansons. Dans quel pays ce festival se deroulait-il?>
「1974年、当時わずか13歳だったルネ・シマールは、音楽祭で権威ある国際賞を受賞しました。 このフェスティバルはどの国で開催されましたか?」

Répondez "Japon"
答えはもちろん「日本」ですね!!


Dans les chanson de Rene Simard de 1984<Comment ca va?>, quel est le mot qui complete:<Rester la nuit rester...>
1984年のルネ・シマールの曲<Comment ca va?>で、< Rester la nuit rester...>を完成させる言葉は何ですか。

 答えはルネが書いているとおり「toujours」です。ちなみにおかっぱのカツラをかぶっている男性2人は、左が司会者で、右でルネの物真似をして歌っているのは、有名なものまねタレントのAndré-Phippe Gagnonアンドレ=フィリップ・ガニョン氏です。


En 1985, Rene Simard lance la chanson" Chante la la la " une reprise de <Live Is Life>du groupe Opus, De quel pays Opus est-il originaire : Autriche, Suede ou Royaume-Uni? 
1985年、ルネ・シマールはグループOpusによる「Live Is Life」のカバー曲「Chante la la la」を発表しました。Opusの出身国はオーストリア、スウェーデン、イギリスのどれですか?

 答えは「スウェーデン」です。



 「Chante la la la」がスウェーデンのOpusというグループの1985年のヒット曲「Live Is Lifeの仏語版であることを、この番組で初めて知りました。ルネのオリジナル曲だと思っていたのでびっくりしました。


En plus d'être chanteurs, Rene Simard est aussi animateur. En 1984 et 1985, il etait a la barre d'une emission de varietes a Tele-Metrophole. Quel etait le title de l'emission?
歌手であることに加えて、ルネ・シマールはホストでもあります。 1984年と1985年に、彼はTele-Metropholeでのバラエティ番組の指揮を執っていました。 ショーのタイトルは何でしたか?

 答えはルネも書いているとおり「RSVP」です。

▲MaryPoppinsの問題 正解発表でメリー・ポピンズが登場 正解したルネは劇中歌を歌いました

▲ルネ百面相 ▼出演者たち(左)とルネのタブロー(右)


♪Passion René Nathalie et Régis Simardでfacebookにアップしてくださった映像はこちらからどうぞsymbol1 ルネ友の皆さんもご覧いただければ幸いです♪
https://www.facebook.com/passionsimard/videos/557748685514857
https://www.facebook.com/passionsimard/videos/931466320912508


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 さて今回は、ルネがデビューして間もない頃の2つのエピソード。日本では、ルネが幼くしてミリオネアになったことや、家族のために家を買ったことなどが当たり前のように紹介されていました。しかし、ケベックでは、そのことが原因で、父ジャン=ロック氏が非難の的になったことが書かれていました。また、日本では知られていない、ルネの髪型と耳の手術のことも書かれています。

▲『週刊セブンティーン昭和49年7月9日No.25』掲載

※過去ログ「ボクは一家の大黒柱!」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/600.html
※カテゴリ『ルネ・シマール物語』参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate6/archive


 ルネの劇的なデビューや、一見華やかに見える芸能生活の裏で、幼かったルネが経験し、その後のジャーナリストへの対応に大きな影響を与えたエピソードは、日本では全く紹介されなかったものなので、翻訳しながら胸が痛くなりました。

 私の拙い翻訳が、大きく間違っていないことを祈りつつ、いつものことながら、仏語に堪能な方からのアドバイスをお待ちしております!


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Le jour où il a appris à se taire
  彼が黙ることを学んだ日

 彼は数か月間人気がありますが、子供はメディアでのインタビューを楽しんでいました。 しかし、そのうちの 1 つは他のものよりも印象的でした。それは、ジャーナリストへの対応方法を永遠に形作るものでした。

▲左上:名声を飼いならさなければならない少年...

 私たちは彼のキャリアの始まりです。 ルネは若く、この世界で彼を知った最初の家族でした。 彼は道を切り開きます...そしてそれは必ずしも簡単ではありませんでした。

彼の不動産購入を誇りに思う

 小さなルネは、ますます多くのお金を貯蓄しました。 だから彼は家族を貧困から救うことができたのです。 歌手はそれを誇りに思い、それには理由が有りました! 彼は一族がその出演料を利用できることで、家さえも購入しました。
 「私がプロとして歌い始めたとき、私は家族のために、プラント船長の家を購入する幸運に恵まれました。船長は船の炉で暖まっていました! この元船長は、彼の家に暖房システムを設置した彼の船をとても愛しており、それは可動していました!」と歌手は説明しました。大人になっても、彼はまだこの重要な瞬間を覚えています。
 「あなたが子供で、あなたが歌うとき、あなたは地球全体が、あなたを知っているような気がすることでしょう。 私たちは過去にちやほやされた(運に恵まれた)ことが無かったので、それは私にとってだけでなく、私の家族にとっても魔法でした。 私のキャリアが始まったことで、私は家族に家をプレゼントすることができました。 やっと私たちは自分の家を持ったのです。



※デビュー25周年記念番組より22分35秒~『Un Enfant Comme Les Autres』家族で教会の帰り道、売りに出されている『船長の家』の前を通るシーン


最も決定的な経験

 しかし、この記憶はまた、より暗いあることを思い出させました。インタビューで、記者はルネに、稼いだお金をどのように使うかを尋ねたのです。 誇りに満ち、天真爛漫な少年は、中でも、彼が素晴らしい不動産の購入に行ったことを話しました。 それ以来、マスコミは興奮しました。 私たちは父のジャン・ロックを便乗者(profiteur)と呼びました。 また、彼は家族に必要なものを提供できないのだから、良い父親としての資質を持っていないとまで主張されてしまいました。 ルネはこのインタビューに悩まされ、それが彼の家族に不和を引き起こしたのでした。

彼の父は傷付いた

 ルネの父は、彼に降りかかる論争に打ちのめされました。精神的に傷ついた彼は、息子に、私生活にかかわる事柄については、話すべきではないということを説明しました。もちろん、子供の肩にこの重責を負わせることはできません。子どもは、悪い口(舌)が言ったこのことに対して、一切責任を負うことはありません。一方、後者の場合、それは人生の教訓です。この瞬間は、ルネにとって決定的なものでした。その日以来、ルネは自分の個人的な生活について、可能な限り慎重にしようとしてきました。インタビューでは、彼は最低限のことを言うだけで、彼の親戚については何も明らかにしていません。彼のファンたちは、本物の、そして誠実だけれど、人々を傷つけることを恐れ、できるだけ口をきかない男性に会うことができます。



L'histoire derrière sa coupe
  de cheveux
  彼の散髪の裏話

 シマール家の子供たちを思い浮かべるとき、ルネ、レジス、そして妹のナタリーが、前髪をおかっぱ風に四角くカットした髪型を無視することはできません

 ルネが人気のピークにあったとき、ケベックのすべての母親(またはほとんど!)は、彼女らの子供たちの髪を、小さな天才のようにカットしました。 しかし、若いルネのためにこの髪型を作り出したヘアスタイリストは、流行を仕掛ける意図はありませんでした。 むしろ彼は、子供(ルネ)の身体的なコンプレックスである耳をカモフラージュしたいと思っていました。
 今日、それは成長した男を笑顔にします。
 「あなたは四角くカットした前髪と、あごまである長い髪のヘアスタイルを知っていますか? それは私の耳を覆い隠すためだけのものだったんですよ! それら(耳)をかわいいとは思わなかったし、剥がれたので隠したかった(笑)」
 だから、彼のコンプレックスは大流行したのではないでしょうか! 11歳の時、彼は耳を接ぎ直す手術を受けました。 一方、彼の始まりのあかしとなった彼のヘアカットは、長年にわたって同じままです。



 ナタリー(レジスと同じように)もこの髪型をしています

 ルネのコンプレックスが大きな耳で、それを隠したかったこと、耳の手術をしたこと、髪を短くして耳を出した時、やっと男に成れたと思ったことなどは知っていました。しかし、その手術はアメリカで活動している間に行ったと推測していましたが、手術をしたのは11歳の時で、おかっぱ風の髪型は、それを隠すためだったということに驚かされました。

左:デビュー前の『坊ちゃん刈り』のルネ
 中央:妹ナタリーと父ジャン=ロック氏と母方の祖母
 右:デビュー後のルネと兄レジス


 ルネは自分の耳をかわいいと思っていなかったようですが、母方の祖母は、ルネに会うたびにルネの耳を触っていたと聞きました。デビュー前のルネの髪型は耳を出した、いわゆる『坊ちゃん刈り』で、これはこれで可愛いと思うのですが・・・。また、ルネの兄弟の髪はみんな、母ガブリエルがカットしていたと思っていました。ルネの長めのボブ・カットの髪型が、ヘアスタイリストによって形作られたものだったというのも驚きました。

 来日時、バシャン姉妹がルネの髪をセットしている写真が中二時代の記事にありました(下画像左)。その上の白黒写真は小さいですが、デビュー前よりも小さい頃のルネで、結構耳が大きく写っています。変声前は長めのボブ(おかっぱ頭)、変声後はマッシュルームカット。その後は日本でいうと『聖子ちゃんカット』(笑)で、男っぽい髪形になったのは20代後半でしょうか? 第12回東京音楽祭世界大会の時も、『今夜だけ復活!』に出演した時も、結婚式でも、まだ長めでした。少年時代のルネのイメージを壊さないようにしながら、徐々に変えていった感じですね。


 それから、ルネが家族に家を購入したことをマスコミに取り上げられたことで、父が非難され、さらにファンが家まで押し寄せる事態を巻き起こしたことは事実でした。また、家族の不和とは、父が家を出、両親が離縁する結果を招いたことなのでしょう。ジャーナリストにプライベートについて語らなくなったルネ。亡き父ジャン=ロック・シマール氏の著書Au-Dela Du Silence 沈黙を超えて』や妹ナタリーの自伝Briser le silence 沈黙を破って』には、ルネが語らなかったシマール家のことが書かれているのでしょう。それについては、後々に翻訳していきたいと思います。


<偽アカウントにご用心>

 去る10月8日(金)、ルネが半年ぶりにfacebookの公式ページに投稿したのがこれ


<ルネのコメント>
C'est un faux compte. Signalez svp. Merci et bonne fin de semaine. 😉
偽のアカウントです。 報告してください。 ありがとう、そして良い週末をお過ごしください。 😉

 以前にも成りすましのアカウントが出現したことが有りました。でもすぐに成り済ましと分かって削除されました。ルネ友のみなさまも、偽のアカウントには十分気を付けてくださいね!

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ルネのデビュー50周年記念誌⑥

2021年10月10日 | ルネの活動記録

 今日は10月10日

 ルネ・ファン世代にとって、この日は『体育の日』。1964年の東京オリンピックを記念して制定された祝日でした。今年は明日11日が『スポーツの日』になるはずでしたが、1年延期された東京オリンピックとパラリンピックのために前倒しされたため、10月に祝日はありません。休みが減るのは辛いなぁ・・・と思っているシマ姉です。

 ルネとは全く関係ありませんが、去る10月5日(火)はうちのお嬢様(ミイ姐御)猫生初の朝帰りに加え、FacebookMessengerInstagram等の世界的なシステム障害のため寝不足でした★ 
 事故に遭ってやしないかと心配したり、夜中に何度もミイの秘密基地を全て点検して回ったりしている合間に、パソコンを開けばログインできず★ また寝ぼけて何かポカをやらかしたのかといろいろ調べて寝そがれました。結局、ミイは5時ごろ帰宅★ システム障害との速報を見つけて安心しましたが、岩手県沖で地震★ 厄日ですか~っ?!・・・なシマ姉でした。さらに7日(木)は関東地方で地震★ コロナの新規感染者数は減少していますが、今冬はインフルエンザとcovid-19の両方の流行が懸念されていますので、ルネ友のみなさま、今まで通りの感染予防を続けて、体調管理に努めましょうね!!


 話は変わります。デビュー50周年を迎えたルネは、メディアから引っ張り凧!! 53枚目のアルバム発売コラボ・アルバム制作、延期になっているとはいえミュージカルの計画など、これから益々忙しくなるルネから目が離せません!!

<テレビ番組出演>

 10月8日(金)21時からはICI Tou.tvGalas ComediHA! が放映されました。

 

 スタンドアップ、音楽、スケッチをミックスした、バラエティに富んだユーモアのガラで、コメディアンのフランキー、ジョシアン・オービュション、ジャン・クロード・ジェリナスに加えて、リチャードソン・ゼファー、ローラン・パキン、メリッサ・ベダール、ルネ・シマール、ドミニク・パケなど、今年のお気に入りがすべて出演しました。


 そして明日11日もTV出演がありますsymbol1 これはやはり、1か月後11月11日発売予定53枚目のアルバムの話題かしら?!・・・と思っていたら、クイズ番組でした!


 facebookのお友だちJohanne Gagnonさんから番組の画像をいただきましたsymbol1 番組名は「LE TRICHEUR ペテン師」♪ 次回の記事で改めて紹介いたします。♪Passion René Nathalie et Régis Simardでfacebookにアップしてくださった映像はこちらからどうぞsymbol1 ルネ友の皆さんもご覧いただければ幸いです♪
https://www.facebook.com/passionsimard/videos/557748685514857


    ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 今回は、ルネのデビュー50周年記念誌紹介の6回目、ルネのデビューにまつわるエピソードです。

※過去ログ「BON ANNIVERSAIRE!」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/95.html


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Star instantanee...ou presque!
     瞬間的なスター...またはほとんど!

 元気いっぱいの少年は、ごく平凡な生活を送っていました。 兄弟姉妹と同じように、彼は歌うことが大好きでした。 しかし、彼の唯一無二の声は、長い間秘密のままでいることはありませんでした。

▲右:彼はかろうじてりんご3個くらいの高さですが、もうアイドルです

 シマール家がオルレアン島のサント ペトロニーユ村に引っ越し、ジャン= ロックが小教区教会の合唱指揮者になったとき、ルネの音楽的な運命が形となりました。そこで歌っていたのはシマール家の子供たちのうち、リン、レジス、ルネの三人でした。 そこでは、小さな少年の才能が見過ごされることはありませんでした。家族はすでに、観光客から、歌うのが大好きであることを知られていました。 ますます注目されるのは若いルネであり、誰もが話題にしていました。

すべてを変えた番組

 2年後、ルネは、現在 TVA として知られている Tele-Metropole の系列局である Tele-4 Quebec のアマチュア・テレビ・コンテスト、「Les discoveries de Jen Roger ジャン=ロジェの発見」 に出場しました。 番組のコンセプトはシンプル。新しい才能を発見することでした。 1995年、レジス・シマール はこの出来事を次のように振り返っています。
 「叔母の1人が、私たちをこの番組に出場させることを提案しました。ルネは『はい』と言い、私は人前で歌いたくないので断りました。 でも、ルネが勝ったのを見て気が変わりました。 私も参加して、2人で決勝に進みました。」
 確かに、ルネは6年以上もの間、彼の美しく透き通った声で観客を魅了しました。彼は簡単にコンテストで勝利を収めました。この番組のおかげで、その後の数か月の間に、彼のためにすべてが始まり、少年のキャリアは予期せぬ方向に向かうのです。


▲ルネとレジス ショーで:有名なデュオ

ギィ・クルティエとの出会い

 この番組は大衆に大変人気がありました。これにより、勝者はレアル ジゲールが主催するプログラムである番組「Madame est servie」に出演することができました。 「Agadou Dou Dou」の成功で知られていた歌手、パトリック・ザべも、ルネの出演中にその番組に招待されていました。彼はルネに感銘を受け、ルネに、マネージャーのギィ・クルティエの結婚式で歌うことを提案しました [別バージョンの話では、ギィ・クルティエの母親が、息子の結婚式にルネを雇うことを提案したとされています]。クルティエは当時、レコード会社を立ち上げたばかりのマネージャーとして注目されていました。とりわけ、彼はジョニー・ファラゴのキャリアを管理していました。彼はシマール家の子どもの声を聞いて、この才能を見過ごすわけにはいかないことを理解したのでした。彼はすぐに父親のジャン・ロックに連絡し、息子のキャリアを変えたいと説明しました。その後すぐに、クルティエはルネの父親と契約を結び、若い歌手を手中に収めたのでした。

▲左:「パトリック・ザべの発見:ルネ・シマール」の記事
 右:クルティエ氏の結婚式の記事 招待されて歌ったルネの後ろに、向かって左から新郎クルティエ氏と新婦、ザべ氏とその妻


Les paroles de la chanson “L’oiseau” sont sur toute les levres:<Je connais, la brume Claire…>
「L'oiseau」の歌詞はみんなの唇にある:「僕は知っている、澄んだ霧...」


▲彼はいくつかのアルバムを次々とリリースしました

伝説のアルバム

 1971年、ルネは最初のアルバムを録音しました。このアルバムは、現在でもコレクター ズ・アイテムとして中古店で販売されています。 曲の 1 つである ”L’oiseau”は大成功を収めました。 みんなが歌詞を口ずさむ「僕は知っている、澄んだ霧…」。それ以降、ケベック州全体で、ルネ・シマールが誰であるかを知ることになりました。 彼はすべてのテレビに招待され、そこでそのヒット曲を歌いました。 インタビューの中で、少年は生き生きとしていて、ユーモアにあふれており、ケベックの人々だけでなくカナダの人々も彼の魔法にかかってしまいました。 また、ルネは付き添い無しで街を歩けなくなりました。 彼はわずか数週間でスターになったのです。

▲デビュー25周年記念CD集のカナダのアルバム

▲ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」の小冊子より 日本でリリースされたシングルとLPレコード

やむを得ない引っ越し

 ルネが全国的に知られるようになった今、彼の家庭生活は名ばかりのものに他なりませんでした。 観光客でいっぱいの車やバスが家の前に停車し、彼に会うことを要求したのです。 落胆した家族の父親は、家を囲む高さ 8 フィート(約2m40㎝)のフェンスが、覗き見に耐えられないため、オルレアン島を離れることを決断しなければなりませんでした。 観光客らがルネの母親をキッチンの中まで追い回したのです。彼らは地面の石ころから小石を持ち帰りました。 学校では、若い歌手は時々クラスメートと喧嘩をしていました。 彼は億万長者であることを非難されていたのです。お金が流れるのは事実でした。当時、ギィ・クルティエのオフィスは次のように付け加えています。
 「ルネに肌着(リネン)を買いに行くときは特別でした。 私たちは値段を見る必要がありませんでした。 彼は他と同じような子供ではありません。私たちは彼のために必要なものすべてを購入することが出来ました。」
 彼のステージ衣装はイヴォン・デュエーヌが作ったもので、合計で約9,000ドルしました。



▲デビュー25周年記念銀組より"J'ai mon voyage"22分40秒~ 
 "René Simard au Japon"5分55秒~

初の瞬間的なスター?

 今日、La VoixStar Academieのような番組に出演しているアーティストたちが、すぐに成功を収めていることを考えると、同じことがルネにも言えました。 唯一の違いは、現時点でこの若者には、定期的に何百万人もの視聴者に紹介される機会がなかったということです。 それでも、2年も経たないうちに、le p'tit Simard(シマール家の子ども)はケベック州において正真正銘のスターとなり、彼の名声はすぐに国境を越えました。 私たちの記憶をくまなく探しても、彼ほど早くランクアップした歌のアーティストは見つかりませんでした。


▲セミ・ドキュメンタリー映画”Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供(日本公開時『ルネ・オン・メロディ』)

▲映画”J'ai mon voyage”

▲ルネの日本での活躍を記録した映画”René Simard au Japon”公開劇場とポスター(Rassion Simardより)


<le Journal de Montrealの記事からの追記>
  L’oiseauは、オルレアン島のサント・ペトロニーユで育ったこのシクーティミ出身の子どもにとって、20万枚を売り上げたアルバムがすべての始まりでした。
 「私のキャリアが始まったのは、しゃれを意図したものではなく、このレコードでした。そしてそれが私のお気に入りのアルバムの1つである理由です。それは私にとって魔法の時間のようでした。それが私が覚えていることです。」と彼はインタビューで言いました。
 ギィ・クルティエは1971年7月17日にルネ・シマールを発見しました。ケベックでのテレビ番組で若い歌手を見たパトリック・ザベは、サン・レオナールでのマネージャーの結婚式で、シューベルトのアヴェ・マリアを歌うように子どもを招待しました。
 「新婚旅行の翌日、彼はキャデラックと大きなジュエリーを持って私たちのところにやって来ました。」とルネは笑いながら回想しました。
 ルネ・シマールは、1971年の夏にモントリオールのRCAビクタースタジオに到着し、L'oiseauの10曲を録音したとき、10歳でした。
 「私たちは曲を1回テイクするだけで、それを3時間で実現しました。まったく感動しませんでした。私は幸せだった。」と彼は言いました。このレコードの録音に関連する記憶は明確で正確です。ルネは、サント・カトリーヌ通りのジョークとトリックの店で、兄のレジスと一緒に購入した壊れやすい小さなガラス瓶を覚えています。
 「私たちはガラス瓶を壊しました、そしてそれは人々を嘆かせました。そのことによって、レコーディング・セッションを1時間停止しなければならなかったからです。」と彼は50年後、彼の一撃(クーデター?)をまだ誇りに思っていると語りました。
 島の「子供」は、ラジオで、L'oiseauを聞いて感動しませんでした。10歳の時、彼はすでに数年の歌の経験を持っていたと言わなければなりません。 歌はシマール家に遍在していました。建築家になることを夢見ていた少年は、学校、教会、母の日、洗礼式で歌いました。
 「私たちは島のトラップ・ファミリー(※)でした。 Le Duc d´Orléansのボートは、毎週日曜日にサント・ペトロニーユに観光客を連れて来ました。家族全員が2階に座って、彼らのために歌いました。ラジオで自分の声を聞くのは特別なことでしたが、それは私を感動させるものではありませんでした。それはまた、どこか若者の無謀さでもありました。」と彼は言いました。


※ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ・ファミリー合唱団のこと。


ジャン・ロジェの発見(1969)
 シューベルトの「アヴェ・マリア」で、CFCM(Télé-4)のショー「ジャン・ロジェの発見Les Découvertes de Jen Roger」の決勝に進出した後、彼は「雨にぬれても」で10代の部のコンテストで優勝しました。

ギィ・クルティエが彼を見つけた
 パトリック・ザベはマネージャーのギィ・クルティエに贈り物をしました。 彼は、1971年7月17日にサン・レオナールで行われた結婚式で、ルネ・シマールに歌うように勧めました。 ギィ・クルティエは、シューベルトのアヴェ・マリアの演奏中に誰が歌っているのかを見るために向きを変えました。 新婚旅行から戻ったとき、彼はルネ・シマールのところに到着し、マネージャーになることを提案しました。

L’Oiseauの発売
 日付は不正確ですが、彼のキャリアがシングルとアルバムL’Oiseauの発売で始まったのは1971年8月でした。

クリスマスアルバム
 L’Oiseauの数か月後の1971年10月、ルネ・シマールはクリスマス・アルバム「アヴェ・マリア」を発売しました。 シューベルトの「アヴェ・マリア」、「ママがサンタにキッスした」、プティ・パパ・ノエル」、「ジングルベル」、「さやかに星はきらめき」他、ホリデーシーズンの名作が収録されています。

芸術劇場で会場は満員
 1972年1月22日と23日、ルネ・シマールはPlace des Arts芸術劇場のSalle Wilfrid-Pelletierウィルフリッドゥ・ペルティエ公会堂で、チケットが完売した3つのショーを行いました。 彼は全く感動していませんでした。
 「誰もが常識外れに大規模なものだと言っていました。 私が客席を見たとき、私の4フィート9インチの身長からは、それがどれほど大きいのか分かりませんでした。 客席の裏側が見えましたが、私にとってはそれほど大きくはありませんでした。」と彼は言いました。




    ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 いかがでしたか? 日本ではほとんど紹介されてこなかったデビュー前後のルネや家族のことが語られていましたね。

 ルネのオルレアン島の『船長の家』には、たくさんのファンが押し寄せたことは知っていましたが、ルネの母ガブリエルを追い回したり、家の周りの石を拾って帰っていたというエピソードには驚かされました。何か記念になるものが欲しいファン心理は理解できます。私もカナダ旅行でケベックに行ったとき、オプショナルツアーでオルレアン島に行き、『船長の家』を写真に収めてきましたからね! 甲子園大会の高校球児がグランドの砂を持ち帰るような感覚? 海できれいな貝殻を記念に拾って帰るのとはまた違うと思いますが、それだけルネの人気がすごかったということでしょう。日本では、一夜にしてルネ・ブームを巻き起こしたのですから!!

 日本で紹介された記事では、彼がミリオネア(億万長者)であることよりはむしろ、家族思いの13歳の普通の少年であることや、貧しい生活にも負けず、コンテストで優勝してスターになったサクセスストーリーが強調されていたように思います。


 月刊明星1974年10月号に掲載された特別記事では、『週末家族と出かけ、1ドルのお小遣いを持ってお買い物を楽しんでいる(上画像左下)』というようなことが書かれていましたが、デビューしてからルネが一人で出歩くことが出来なくなっていたことが、この記念誌に書かれていました。さらにその記事の取材が行われた家(上画像右)は、オルレアン島の『船長の家』ではなく、シマール家の家でもないと、ジゼルさんたちから聞いていました。確かに、『中二時代』に載った、第3回東京音楽祭世界大会グランプリ受賞の記事に、「母ガブリエルの故郷モントリオールに大きな家を建てた」と書かれており、『白い家』と『船長の家』以外にオルレアン島にはシマール一家の家は無いと、ジゼルさんたちが証言していました。

 さらにJournal de Montrealの「50 ans de divertissement: la fabuleuse histoire du p’tit Simard 50年のエンターテインメント:p’titSimardのすばらしい物語」では、「デビュー曲”L'oiseau 鳥”の成功により、シャルルブールの宿泊施設に引っ越していたシマール家はオルレアン島に戻ることができました。アルバムの売り上げから得られた利益で、ルネは家族のためにブー・ドゥ・リル通りあるプラントゥ船長の家を購入しました。」とありました。
※ シャルルブールの宿泊施設は、亡き父ジャン=ロック・シマール氏の著書では、「ケベックシティのサビニエール・ドリオン通りのアパートの地下の4部屋」と書かれています。


 また、初来日の頃、ルネは既に学校に通えていなかったそうです。学校でバスケットボール・クラブに入ったという記事も、日本の取材のために設定されたもののようです。日本では紹介されていないことが、このデビュー50周年記念誌で分かることでしょう。ずっと後回しにしているデビュー25周年記念誌についても、最初からきちんと翻訳せねば!・・・と強く思うシマ姉です。

 ルネの家については過去ログで何度も取り上げていますので、カテゴリ『ルネの家でお読みください。
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate13/archive

 話は変わりますが、本文中の”En effet, du haut de ses six ans”で悩みました。直訳は「彼の6年間の上から」なのですが、シマール一家がオルレアン島に転居した1968年8月以降、家族で歌を歌って『歌う家族』と呼ばれるようになり、1970年に『ジャン・ロジェの発見』で優勝してから、ルネが変声期を迎えたであろう1975年後半まで約6年強。ルネが美しく透き通った「天使の声」で観客を魅了した年月と一致します。そこで、「ルネは6年以上もの間」と訳しましたが、ルネ友のみなさまはどう思われますか?

 次回は、ルネのデビュー以降のエピソードです。楽しいエピソードばかりというわけではありませんが、翻訳して当時のことが分かるのが嬉しくて仕方ありません。思ったより早いペースで記事作成(予約投稿)が進んでいますよ♪ (実はこの記事の予約投稿は6月4日★ 近況は追記)

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ルネのデビュー50周年記念誌⑤

2021年10月02日 | ルネの活動記録

 すっかり日が短くなり、秋の夜長に虫の音が心地良く響く季節になりました。庭のコスモスアキアカネが止まり、cat3ミイ姐御はバッタを追いかけるのに夢中です。

 シマ姉家のコスモスは盛りが過ぎてしまいましたが、今年は5種類の花が楽しめました。私が収穫した後、青じその実の2回目の収穫を終えた義父が嬉しそうに、「今年はコスモス青じその生育が良いのはどうしてかな?」と言ったのに対し、「お父さんが除草剤を撒かなかったからですよ♪」と言いそうになるのを飲み込んだシマ姉なのでした(笑)。


 そして今回は、ルネのデビュー50周年記念誌紹介の5回目です。

 ルネの家族についての2回目は、ルネの兄レジス妹ナタリーについてです。
 二人については過去ログで何度も取り上げていますので、そちらも参考にお読みいただければ幸いです。



※カテゴリ「ルネの妹ナタリー」参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate16/archive
※カテゴリ「ルネの兄レジス」参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate30/archive 


▲25周年記念特集番組より:ナタリー23分30秒~
 レジス29分50秒~



     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Sa famille lui fait garder les pieds sur terre
  家族は彼に足を地につけさせている


Sa soeur
Nathalie Simard 妹ナタリー・シマール

▲左:ナタリーは兄の足跡をたどり、アルバムを発表しました 右:大人気の女の子!

 ナタリーは子供の頃から舞台芸術の一部でもあり、私たちが最もよく耳にする姉妹です。
  彼女は1969年7月7日に生まれました。彼女のキャリアは、1979年にユニセフ組織の収益のため、兄とのデュエット「Tous les enfands du monde」 を録音したときに始まりました。 同年、彼女はクリスマス・アルバムをレコーディングし、大成功を収めました。 彼女は兄と同様、日本で成功を収めています。 彼女のレコード「La Dance des Canards」は20万枚以上売り上げました。 歌の世界でデビューしてから4年で彼女はレコード売り上げ100万枚を達成したのでした。
 11歳のナタリーは、キャリアのために常に18歳のルネと一緒に旅行していました。 彼らの名前はほとんど切り離せません。1985年から1988年まで、彼女は子供向け番組「Le Village de Nathalie」の司会をしました。 その後、1988年に彼女はルネと成功を収めたレコード「Tourne la page」をリリースしました。 デュオはよりロックなルックスで、批評家たちはそれを気に入っていました。
 しかし、1990年代初頭、ナタリーの成功は勢いを失い、歌の世界ではほとんど彼女を見かけなくなりました。 その後、大人になった彼女は、思春期を過ごす機会がなかったことを嘆いていました。


▲10代で ナタリー シマールは今でもスポットライトを浴びています

論争
 1994 年、ナタリーは芸能誌の見出しを飾りました。彼女は保険会社に関する法律において問題がありました。 物議をかもしましたが、翌年にはアルバム「Paroles de femme」をリリースし、好評を博しました。 2004年、私たちは彼女を、興行主のギィ・クルティエが彼の人に対する小児性愛(性的虐待)で告発されたニュースで見つけました。

▲彼女の魅力的なイメージの最後 歌手は重大な秘密を隠していました

実業家と女心
 彼女が歌手としてのキャリアを捨てても、シマール家の末っ子はメディアの世界に残りました。 彼女は多くのプロジェクトに参加し、いくつかの専門的な手段を試しています。特に、性的虐待の被害者を支援するための財団の設立や、ショー付きの砂糖小屋の設立などです。 かつて、彼女はブティックを所有し、その後、夫のレビス・ガイとウィックハムのグラン・マルシェの共同所有者でした。 2019年4月、ナタリー・シマールは、彼女の40年のキャリアを祝うために、「L’amour a pris son temps」というタイトルで秋のツアーに乗り出すことを発表しました。

▲▼ナタリーのデビュー40周年記念アルバムの小冊子より

 

▲大人になってからのナタリーのアルバム(CD)

♪Dailymotion映像「Montage Hommage a Nathalie Simard」
※貼り付けてあったYouTube映像が見られなくなっていたのでDailymotionでご覧ください。
https://www.bing.com/videos/search?view=detail&mid=5D5BFC800F2EBD74E14D5D5BFC800F2EBD74E14D&q=Montage Hommage a Nathalie Simard&shtp=GetUrl&shid=a34d0dbd-af08-406b-badf-eb2e1cbe6789&form=VDSHOT&shth=OVP.HwxMIs6Vc614iYkXkWW1bQEsDh

▲同じシーンを共有するレジスとナタリー

▲ナタリーとレジスのアルバム(レコード)

▲ナタリーの砂糖小屋のステージでの兄妹の競演

▲左:レジス・シマールは子供の頃に成功を収めましたが、彼のキャリアはすぐに息切れしました
 右:レジスは情熱を持って音楽を作り続けています


Son frere
Régis Simard 兄レジス・シマール

 レジス・シマールは、子供の頃から歌の世界にも参加してきました。 その反面、ルネやナタリーに比べてキャリアは派手ではなく、幼い頃に弟のルネと一緒にたくさんのツアーを行いました。 12歳でアルバム「Parce que je t’aime」をリリースして大成功を収めました。 彼は映画「J’ai mon voyage!」にも弟と出演していました。 彼はまた、ナタリーとルネと共に、今日でも知られているプリンのローラ・スコールの広告の一部です。 レジスはデビュー以来、音楽を作り続けてきました。 1980年代、彼はTelethon des Etoilesでルネと一緒にステージに上がりました。 この記事を書いている時点では、彼はもはやカメラのレンズには映っておらず、さまざまなイベントのソングライターとして働いています。

▲兄レジス・シマール
▲YouTube映像「Régis Simard à l'émission Montréal en Direct en 1986」

 ルネの家族については、カテゴリ「ルネの家族で過去ログをお読みいただければ幸いです。亡き父ジャン=ロック・シマール氏の著書“Au dela du Silence 沈黙を超えて” の家族一人一人へのメッセージもございます。

※カテゴリ「ルネの家族」参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate28/archive


 特に子供時代のルネは、貧困や肝炎での入院、両親の離別や家族と離れての芸能生活。子役スターとしての栄光や東京音楽祭世界大会でのグランプリ受賞で得た名声との、光と影の狭間で、悩み苦しんだ時期も有ったことでしょう。

 もちろん家族で過ごした幸せな時間もたくさんありました。だからこそ、4月に孫娘クロエちゃんが生まれて祖父になったルネは、より一層今の家族との幸せを大切にしたいと強く思うのだと思います。

 デビュー50周年を迎え、還暦を迎えたルネとそのご家族のお幸せとご健康、そしてシマール家の人々の今後のご活躍を心よりお祈りいたしますsymbol1


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

    forkシマ姉のスローライフitem9


<シマ姉家のご飯事情>

 今年のマスク製作も一段落。シマ姉家で夏からまだ続いているのは、胡瓜の佃煮ピリ辛胡瓜ブーム!! 今年のキュウリの消費量は例年の何倍になったのか?! 無くなるとすぐリクエストされるので、これからキュウリの値段が高くなる冬、このままブームが続くのかちょっと心配です。
 みんな大好き炊き込みご飯混ぜご飯! キノコご飯は桜ご飯(お醤油ご飯)を炊いて、あらかじめ作っておいた具材を混ぜ込みます。たくさん具材を作って冷凍しておけば、何度も楽しめるので主婦としては楽です。しかし! 栗ご飯は栗の皮むきが大変で、栗ご飯栗おこわを1回ずつ作りましたが、根をあげています(爆)。栗ご飯のリクエストが来ているのが辛い★ それなのに、つい栗を購入してしまった懲りない食いしん坊のシマ姉は、必死で皮剝きましたよ~★ 数はほぼ前回と同じでしたが、前回のような「栗だらけご飯」にならないように、「栗ご飯栗の甘露煮を作るのと、栗ご飯2回とどっちがいい?」と家族に聞いたら「栗ご飯2回」と答えたので、半分は冷凍しました(笑)。次回は楽できる~っっ!!

 
<10月5日は『カナダ・メープルの日』>

 最近はお砂糖やカナダ産蜂蜜も使いますが、基本シマ姉家の甘味料はメープル・シロップですsymbol1 和食との相性ピッタリsymbol1 さらに私は毎食欠かさず、無脂肪ヨーグルトと黒ゴマきな粉をレモン果汁とメーブル・シロップで食べています。そのお陰か、コロンワクチンの2回目の接種でも、注射の後がちょっと痛い程度で済みました(または婆あだから? 爆)。


 Québec Maple Syrup Producers(ケベック・メープルシロップ生産者協会)会長:Serge Beaulieu(セルジュ・ボーリュー)は、10月5日を『カナダ・メープルの日として、一般社団法人日本記念日協会に登録しました。
 日本では「紅葉狩り」という文化もあるように、秋は家族や友人たちとカエデの紅葉を楽しむシーズンです。一方、カナダでは大自然の恵み、ピュア・メープルシロップを使って、家族や恋人、友人にパンケーキをふるまう文化があります。この習慣に因んで、10月5日を「メープルシロップを使ってパンケーキを作り、愛する人へ感謝を伝える特別な日」に制定したそうです。なお、本家 カナダの「National Maple Syrup Day」は12月17日になっています。

 
<老眼の目の迷い?! そっくりさん発見>

 私の最近のマイブームは、歴史の本♪ ルネ・ファン世代が歴史の教科書で習ったことが、研究や遺跡の発掘調査、隠された文献の発見等で変わっています。また、教科書には書かれない史実などは私の大好物(食べ物か?! 笑) 他のアジアの国の歴史にも興味を持って、歴史ドラマなんかも観たりしています。
 K-POPや韓流スターには全く関心は無いのですが、歴史をモチーフにしたドラマが沢山放映されているので観ていて、そっくりさんを見つけました。その続きで、過去ログで紹介したルネのそっくりさんの画像も再度紹介いたします。

symbol1ルネのそっくりさんsymbol1

▲左からトルドー大統領 ルネ マイケルJフォックス と「?」

ComediHa!の中で、キャシー・ゴーティエが、ルネの「Et tu danses avec lui」のアルバム・ジャケットを見ながら、「彼は再び選挙に出馬している若いジャスティン・トルドーのようだ」と言いましたが、25周年記念アルバムの頃のルネの方が似ている?

▲若き日のルネとマイケルJフォックス

▲左から同じ年齢の頃の千葉真一氏とルネ 真田広之氏とルネ

▲千葉真一氏の愛弟子でそっくりさんの大葉健二氏 「影の軍団」シリーズの闇を駆け抜けるシーンでは千葉ちゃんの代役も(ファンなら目だけでわかる!) 本名:高橋健二 大葉の「葉」は千葉の一字をいただいて付いた芸名

日本と韓流スターのそっくりさん

▲真田広之氏(左)とコ・ス氏(右)の髭有りと髭無し

▲主演映画 真田氏の「写楽」とコ・ス氏の「尚衣院 -サンイウォン」。 右上がコ・ス氏で右下が真田氏。写楽は浮世絵画家、ゴンジンは服飾デザイナー。ふたりの作品に取り組む姿と笑顔が重なります。

▲現在に日曜21時NHK・BSで放映中の韓国ドラマ「花郎(ファラン)」より

▲ジディ/新羅第24代王・真興(チヌン)王 彡麦宗(チムメクチョン)役のパク・ヒョンシクと風間俊介氏(NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の徳川家康役)

▲時代劇の扮装を見て似ていると思っていたら・・・激似に見えるのは私だけ?!

▲ソヌ/ムミョン(無名)役のパク・ソジュンと西城秀樹氏

 如何でしたか? 特に似ている写真を選んでいますが、髪型やひげのせい? それとも私の目の錯覚? 秋の夜長にこんな記事を書いて楽しんでいるシマ姉です。

<追記>
 NHKBSプレミアムで19:30~22:50『伝説のコンサート 西城秀樹・デビュー50年スペシャル』が放映されています。『傷だらけのローラ』と、ルネがかかわった仏語版LOLAを歌ったステージもありましたね♪ 「100歳まで生きたい」というルネには、ずっと元気でいて欲しいです!!

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