ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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第12回東京音楽祭世界大会②

2014年03月30日 | ルネの画像
 1983年3月27日、日本武道館にて第12回東京音楽祭世界大会が開かれ、ライオネル・リッチー、ジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズがグランプリをダブル受賞しました。

 ルネは妹ナタリー・シマールと共にプレゼンターとして招待されました。前夜祭には2人で「ミドリ色の屋根」をデュエット。ナタリーが日本でのデビュー曲となる「5月の手紙」も歌いました。
 実際には、ルネの来日を求める署名が聞き届けられたというよりは、CBSソニーとALFAミュージックの「夢よもう一度プロジェクト」として、ナタリーを日本でデビューさせるためのデモンストレーションのようなものでした。

 過去ログで何度も書いているとおり、第12回東京音楽祭世界大会が開催された1983年は、一人暮らしをしており、テレビを所有しておりませんでした。一緒に署名活動をした友人とALFAレコードに行けば、ルネはバリー・マニロウのコンサートに行っていて、妹ナタリーとクルティエ氏にしか会えませんでした。さらに、前夜祭に誘われたのに、職員旅行で断念。前夜祭も世界大会も、実家の弟にビデオ録画をお願いして、泣く泣く職員旅行に行っていましたが、悪いことは重なるもので、野球中継が延長されて大事な場面が一切録画されておらず、それ以降野球中継をどんなに恨んだことか…。

 つい1ヶ月ほど前、第12回東京音楽祭の国内大会並びに、世界大会前夜祭の映像がYouTubeにアップされました。国内大会にもルネが出演していたことを知らなかったので、とても驚きました。映像がとてもクリアーで感激ものですよ♡


 そして今回は、「週刊明星」に掲載された第12回東京音楽祭世界大会のグラビア記事を紹介いたします。YouTube映像も一緒に紹介いたしますので、是非ご覧になってくださいね!

  ▲週刊明星№16 4月14日号より

第12回東京音楽祭
 今年も世界からゴーカな顔ぶれ


 3月27日、日本武道館で行われた第12回東京音楽祭世界大会を前に、24日、東京プリンスホテルでレセプション・パーティーが。ナンシー・ウィルソン、コニー・スティーブンスといった実力派のエントリー歌手のほかに審査員としてグレゴリー・ペック、特別ゲストとしてバニー・マニロウという豪華な顔ぶれが勢ぞろい。森進一ら、日本のビッグスターもかすんで見えた!?

<上段>
 右上:ナンシー・ウィルソン、
 右下:コニースティーブンスはふたりの娘と来日
 中央上:バリー・マニロウ
 中央下:キャンディ&ランディ
 左上:ライオネル・リッチー
 左下:ジョー・コッカー&ジェニファー・ウォーンズ
<下段>
 右:ルネ&ナタリー・シマール
 中央:グレゴリー・ペック(左)、バーバラ・カレラ(右)
 左:森進一、倉橋ルイ子、野口五郎


※過去ログ「第12回東京音楽祭世界大会前夜祭」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/588.html

※wikipedia「第12回東京音楽祭世界大会」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC12%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A5%AD


YouTube映像
Rene & Nathalie ミドリ色の屋根




東京音楽祭世界大会の総集編番組で紹介された映像。グランプリ受賞後「ミドリ色の屋根」を歌うルネ。私がルネの受賞シーンを初めて見たのはこの番組のこの映像でした。私の記憶が正しければ、1982年の年末放映。

第12回東京音楽祭国内大会でルネが登場するシーン。朝比奈マリアの英語による紹介で登場するルネ。流暢な日本語であいさつ「みなさん、こんばんは。ルネ・シマールです。あれからもう9年経ちました。僕もこんなに大きくなりました。またお会いでき… またお会い…」と日本語のあいさつを途中でど忘れしてしまいますが、慌てることなく、機転を利かせて英語で後を続けるルネ、さすがです。ルネのあいさつが終わると、司会の井上順と朝比奈マリアが登場してルネを紹介。紹介が済むとルネはステージを降りました。

第12回東京音楽祭世界大会前夜祭(東京プリンスホテル鳳凰の間)でグランプリ受賞後の「ミドリ色の屋根」の映像の後、アナウンサーの生島ヒロシと三雲孝江がインタビューしています。三雲孝江がフランス語で質問。ルネが22歳でナタリーが13歳であること、ナタリーがすでにケベックで6枚のアルバムをリリースし、日本でもアルバムを出す予定であることなど。ここでアナウンサー2人がナタリーを売り込むために、「もう、お兄さんを超えている。」と強調しているのが私には嫌でなりません。しかし、ナタリーのカナダでのスタートもルネとのデュエットで、『ルネの再来』のように売り出されていました。日本でも同じデビューのしかたをしたナタリーにとっては、複雑な心境だったかもしれません。そして、ナタリーはルネの時のようなのブームを起こせず、この来日でレコーディングした日本のアルバムも発売されることはありませんでした。

第12回東京音楽祭世界大会前夜祭で「ミドリ色の屋根」をデュエットするルネとナタリー。1番の歌詞をルネが日本語で歌い、最初のサビの部分から2番目の歌詞はフランス語で、2度目のサビの部分からは日本語でナタリーとデュエットしています。 


 ルネはインタビューの中で、日本について「素晴らしい」と答えながらも、日本でのことは「ずいぶん前のことlong time ago」と言い切っていました。素敵な青年歌手に成長したルネは、少年時代の栄光を振り返ることなく成長し、現在も自分のやりたいことを実現させながら活躍し続けているのですね!

 これからもずっと、ルネのカナダでの活動を、日本のファンとして見守って行きましょう!!
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憧れの『トンボ学生服』

2014年03月22日 | ルネ・シマール
 去る3月18日は息子の小学校の卒業式でした。

 小学校の卒業式は中学校の制服で参列するのが決まりです。1月12日(大安)に学校指定の洋品店に採寸に行き、運動着等も予約。2月2日が申込締切日でしたが、名前の刺繍があるため届くのは3月に入ってからという予定でした。実際にはルネの誕生日2月28日に仕上がったという電話連絡を義父が受けました。帰宅した時、義父は就寝しており、それを知ったのは翌3月1日の午後。1日(土)は友引で義母の誕生日、2日(日)は先負だったため、夕方母のバースデイケーキを取りに行った足で引き取りに行きました。夕食後、ワクワクしながら箱を開けて記念撮影(爆)。「後でいい。」という息子を「おばあちゃんの誕生日なんだから、制服姿を見せよう!!」と説得して試着させ、すでに寝室にいた義父母に学生服姿を見せにに行きました。

 卒業式の当日、私は一日お休みをいただき、しっかりビデオとデジカメを持って参列。早めに行って職員室で挨拶し、一足早く受付を済ませて保護者席の最前列、中央の通路の左側をゲット! 息子は卒業生席の最後列の上、右側の席だったのでベスト・ポジションでラッキーでした♡
 卒業生入場、卒業証書授与、別れの言葉(卒業生と在校生の呼びかけ)、卒業生退場を撮影。うるうる来ているのに、ファインダーを覗いていると何故か冷静になるのは不思議な現象ですね。レンズを通すと第三者的な視点になるのかもしれません。
 主人を待って、その日の午後に記念の家族写真を撮影に行きましたが、息子単独の写真は拒否されたため、写真屋さんが機転を利かせて、私のデジカメにスナップ写真で家族3人と息子1人の写真をたくさん撮ってくださいました♡ 家でも印刷はできますが、気に入ったものを選んで引き伸ばしてもらおうかとも考えています。刺繍で名入れの運動着関係もその日のうちに引き取りに行き、中学校の校章入りのボタンを付け替えたり、中学校から出された宿題もやらせたり、息子にお弁当を作ったり…と、まだまだ準備に追われる幸せな日々を送っています。


 さて、本題です。
 ルネがトンボ学生服のイメージ・キャラクターをした1974年から、将来息子が生まれたら、絶対にトンボ学生服を着せると決めてきた私の夢が実現した瞬間symbol1 ついに「トンボ学生服、ゲットだぜっ!!」な私に、年友さんから、現在のコピー『追随を許さない、学生服の極みへ トンボMAX学生服』をもじって、『追随を許さない、ルネファンの極みへ』というキャッチコピーをいただきました(笑)。

 下は、39年間夢に見た憧れのトンボ学生服symbol1 息子の学生服姿は、写真館で撮影した方の画像処理が間に合わなかったので、3月1日に試着した時のものをアップしました。

▲学生服、学生ズボン、ワイシャツ、ベルト全てTOMBOWsymbol1で揃える念の入れよう 写ってませんが、実は運動靴(通学用靴)も1足購入 ボタンは入学式前に中学校の校章入りのものに取り替えます

▲大きめに作ってあるので、まだ初々しくて、学生服に着られている感じの息子 写真嫌いの息子を説得して3月1日に1枚だけ撮影♪ 顔はもちろんルネsymbol4にしてアップしました 何故か青っぽく写っていますが、上の写真の様な漆黒のMAX学生服 靴下を白にし忘れたのはご愛嬌(笑) ルネがトンボ学生服の広告で学生服を着ていたらこんな感じ? でも実際、当時のルネよりも息子の方が身長は10cm位高いかも… 

▲学生服の箱に入っていた「福沢諭吉訓」

福沢諭吉訓

1、世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を
 もつことである
1、世の中で一番みじめなことは教養のないことである
1、世の中で一番寂しいことは仕事のないことである
1、世の中で一番みにくいことは他人の生活をうらやむ
 ことである
1、世の中で一番尊いことは人のために奉仕して決して
 恩に着せないことである
1、セの中で一番美しいことはすべてのものに愛情を
 もつことである
1、世の中で一番悲しいことはうそをつくことである



 トンボ学生服については、過去ログで一度記事を書いていますので、詳しくはそちらをお読みください。

※過去ログ「ルネの『トンボ学生服』」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/525.html

▲「中一時代 臨時増刊号に掲載された「トンボ学生服」の広告


 そして、ルネの来日があった39年前の1975年3月19日(水)は4回目の来日初日。21日(金)はルネの4枚目のシングル「君のすべてがほしい」の発売日。22日(土)は「メープル・メイツの集い」と「ルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつがあった日でした。
 この2つのイベント両方に参加された年友さんが提供してくださった写真は、昨年ブログにアップいたしましたので、ご覧下さいね♪

※過去ログ「メープル・メイツの集い」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/586.html
※過去ログ「『ルネ・オン・メロティ』の劇場あいさつ」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/587.html

▲1974年8月に行われたルネのファースト・コンサートのプログラムより 「トンボ学生服」の広告 フランス語会話の紹介になっているところが面白いですね


 今年、卒業と入学、就職を迎えられる皆さま、おめでとうございます!! 新しい生活のスタートに向けてしっかり準備を進めてください。皆さまの今後のご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます!!

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ルネがキスされたって

2014年03月16日 | 4回目の来日
 今から39年前の1975年3月19日は、カナダのスーパー・アイドルルネ・シマールの4回目の来日初日でした。 そして、22日(土)は、『メープル・メイツの集い』と『ルネ・オン・メロディ』の劇場あいさつのあった日でした。

 この来日の時の記事は、ファン・クラブ「メープル・メイツで特集記事を組んで報告されましたが、芸能誌ではあまり記事になっていませんでした。スプリング・コンサートはファン・クラブでさえ取り上げられず、辛うじて「ファンの集い」が「月刊明星」に小さく掲載されたくらいでした(少なくとも「月刊明星」と「月刊平凡」には記事はありません)。

 今回紹介する記事は、そんな4回目の来日の、数少ない貴重な記事の1つです。切り抜き状態で入手したため、何の雑誌に掲載されたものかは分かりません。画像がボケてルネの顔がはっきり見えませんが、ファンの方たちのお顔もはっきり分かりませんので、そのままアップいたしました。ルネの似顔絵を編みこんだ手編みのベストを後ろからルネにかけている女の子や、手をつないでいる女の子がいます。取材記者の誘導もあったかもしれませんが、日本のファンも、1回目の来日から考えると、ずいぶんと積極的になったものですね。

ルネがキスされたって
 さて次はルネの話。3月19日再来日した彼。新曲『君のすべてがほしい』と映画『ルネ・オン・メロディ』にタイミングを合わせ、また全国縦断コンサートのための来日となったわけ。
 パリの舞台でも、シルビーパルタンやジルベール・ペコーらと共演したり、すっかり国際スターとなった感じの彼…。
 4月12日に帰国予定の、わりと長い滞在となった。メープル・メイツとの集い、ラジオ、テレビなど、きわめて多忙ななかにも笑顔を忘れない人なつっこさが好印象。
 ただし、そんな彼も、羽田に到着後、熱心なファンから歓迎のキスをされてびっくり! ちょっぴり許せないやけるシーンでした。(「女学生の友」1975年5月号掲載)



 2回目の来日記事で、『ニッポンの女のコキスするとドキッとするヨ』という内容のものがあり、過去ログでも紹介しましたが、ルネにとってキスはあいさつだから、日本のファンも、サインをもらったお礼にルネにキスしてあげるくらいの気持ちでいてと書いてあったので、日本の女の子も大胆になったのかしら? そんな日本の女の子の変化に、ルネの方がビックリしたというのも興味深いですね!

※過去ログ「インタビュー ルネ・シマール②」より抜粋
--日本の女の子は好き!
ルネ「みんなとても可愛いよ。みんな好き。でも、ボクと会う女の子はみんな、ボクがキスしてあげるとドキッとしてビックリするみたいだよ」
 ルネは”サインちょうだい”って来る女の子にはどんなに疲れていても、マネージャーが”ダメ”といっても、気もちよくサインしてあげています。そしてサインがおわると女の子のホッぺに”チュッ!”とキスしてあげるのです。カナダでは”キス”は挨拶のひとつになっているので、別に”好き!”とか”嫌い!”とかいう意味はなく、気楽にキスするのですが、日本の女の子は”キス”の挨拶にはなれていないため、ついついドキッとしたりビクッとしたりするのでしょうね。今度ルネにサインをもらったときは”どうもありがとう”とホッぺにキスしてあげるぐらいの気持ちでいてよネ



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 


 今日は、18日の息子の小学校の卒業式を前に、記念写真を撮る予定で計画を進めていました。ところが、主人の同級生の写真館に予約の連絡を入れたところ、今日は地区の総会で無理とのこと★ 写真は卒業式当日の午後に、家族で撮りに行くことになりました。その日は昨年12月に他界した父の月命日でもあるので、実家にも挨拶に行く予定です。

    ▲福招き茶トラ猫(うちのアスカではないけど)

 それから、明日17日は我が家の愛猫となったアスカが、シマ姉家にやってきた日。うちの猫になって2年目を迎えます。
 実際には18日の朝に右足に重傷を負い、濡れ縁でうずくまっていたのを保護したのですが、手術のための最初の入院では、耳ダニやお腹の虫の駆除の治療に加え、引きこじらせていた風邪で手術がなかなかできず、退院後抜糸をすれば、縫い合わせた皮膚がまだ完全についておらずに何箇所も裂けて再入院。2度目の退院後すぐに原因不明の白血球数激減で生死の境を彷徨い3度目の入院。退院後は、去勢手術と予防接種以降、特に大きな怪我も病気もなく元気一杯に過ごしています。すっかり家族の一員であり、癒し猫です。
 最近は、自分がこの家の猫という自覚からか、来客があると確かめにやってきて愛嬌を振りまいています。知らない人にはスリスリして匂い付け(笑)。知っている人にはゴロンと寝転がって「撫でて~♡」と甘えていたりします。
 念入りに拭かれると、途中でカミカミケリケリ攻撃を繰り出すくせに、足が汚れた時などは、わざと拭かれにやってきて、綺麗になったところを仕上げに自分で舐めるというちゃっかり者ですase 最近は、「お客さ~ん、いい毛並みしていますね~。」と言われながらのブラッシングにも慣れ、お腹の方もOKになってきました。背中の茶色の毛とお腹の白い毛を分けてブラッシングして抜け毛を採取しているので、今度はたくさん集めて、また何か作ろうと考え中です。

 これから猫の抜け毛の季節★ せっかくの「トンボ学生服」が猫毛だらけにならないように、さらに強力な猫毛対策グッズも購入! 「トンボ学生服」については来週の記事で報告予定です。
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世界のルネ-アメリカ編⑦

2014年03月07日 | ルネの画像
 今回紹介する記事は、ルネがニューヨークに行った時のことを報じたアメリカの雑誌「16マガジン」の記事です。1ページの記事ですが、英文が読みやすいように画像処理で分割しました。是非、原文でお読みください。(クリックすると大きな画像でご覧いただけます)

 ルネはハワード・コッセル・ショーに出演するためにニューヨーク市に行き、忙しいスケジュールの合間を縫って、ニューヨーク散歩を楽しんだようです。…といっても、馬車に乗る時間もなく、時間に追われ、公園を横切って急いで帰っていくルネ。
 この記事は「16マガジン」の独占記事で、ルネが一人でアメリカにいることや、ファンレターの宛先(ハリウッド)も掲載されていました。

RENE IN NEW YORK










 この記事のルネは、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの最後の会報で紹介されたアメリカでの写真や、オリンピック委員会の前で「モントリオール讃歌」をお披露目した時と同じ髪型です(下の写真参照)。

   ▲メープル・メイツの会誌よりアメリカのルネ

 この頃、日本のファンがルネの来日をどれだけ待ち望んでいたことか…。変声が始まったルネ。ハンサムな青年歌手に成長したルネ。歌手としてだけでなく、俳優やプロデューサーなど、幅広い才能を発揮して今も活躍し続けているダンディな大人のルネ…。空白の時間をインターメットが繋ぎ合わせてくれたけれど、出来ることならリアルタイムで応援していたかったです。


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


    Bonne Fête à Regis Simard !
   Je vous souhaite beaucoup
   de bonheur.


▲2008年2月28日ルネの誕生日に歌う兄レジス・シマール(PASSION SIMARDより)

 ルネの53歳の誕生日から一週間余。3月9日はルネの1つ違いの兄レジス・シマールの54歳の誕生日です。彼は現在、芸能界の第一線からは退いているものの、歌手活動は続けています。数年前、ルネと妹ナタリー・シマールが和解するきっかけとなったチャリティー・コンサートに出演し、ナタリーと一緒にクリスマス・ソングのCDをリリースしています。facebookにもいらして、グループ”Club René Sinard”のメンバーだったりしますよ。

Nathalie & Rene Simard Reunis 2011 - Tourne la Page


 これからも兄弟仲良く、それぞれに頑張って活動を続けて欲しいですね!!
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