漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

困ったときの友

2016年03月25日 | 垂水・須磨・明石を舞台にした小説
 「困ったときの友」 サマセット・モーム著
 
 原題は「A friend in need is a friend indeed」。直訳すれば「困った時の友が真の友」。うわべだけではない、まことの友を指す、英語のことわざである。
 この短い小説は、「コスモポリタンズ」という短篇集に収録されていて、ちくま文庫のモーム・コレクションの一冊として瀧口直太郎訳で出ている。他に、平凡社ライブラリーの「ゲイ短篇小説集」にも、「まさかの時の友」のタイトルで、大橋洋一訳で収録されている。そう、この小説自体からはそれほど同性愛的な感じは受けないけれども、モームが同性愛者だったらしいというのは、スパイであったという話と並んで、結構有名な話。
 さて、この短編だけれども、神戸市の垂水区が舞台になっている短編ということで、モームの短編の中では、比較的有名な一編である。
 こういう物語。

 神戸で会社を経営しているバートンという紳士が、ブリッジ仲間である若い同国の青年に仕事の斡旋を頼まれた時のことを聞き手に話すところから物語は始まる。青年は本国からの仕送りがなくなり、おまけに博打で全財産をスってしまったらしい。彼はこれまで仕事らしい仕事をしたことがないという。青年が水泳が得意だと聞いたバートンは、じゃあ塩屋クラブから平磯灯台を回って垂水川まで泳ぎ着くことができれば仕事をやるよ、と約束する。青年は少し渋ったが、最終的にはその提案を受け入れることにする。だが、結局青年は潮の流れに流されて、溺れ死んでしまう。遺体は三日間上がらなかった。その話を聞かされた男が、どうしてそんな賭けを仕掛けたのかと聞くと、バートンは、ちょうどそのとき仕事に空きがなかったんでね、と答える。

 皮肉なタイトルの、ブラックな小品である。作中の塩屋クラブは、昭和初期に建てられ、外国人の社交の場であった、ジェームズ山にある現在の塩屋カントリークラブのことだろう。先日読んだ三橋一夫の「魔の淵」にも名前が出てきた施設である。神戸異人館といえば北野町が有名だが、実はこの塩屋のジェームズ山にもたくさんの異人館があった。過去形なのは、今のことを知らないからだ。ただし一般には公開されていなかったので、余り知られてはいない。ついでに言うなら、このジェームズ山には80年代の終わり頃、巨大迷路があった。日本各地に巨大迷路が作られた頃である。ただしこちらは、ぼくは結局一度も行かないままで、いつのまにか無くなってしまった。垂水川というのは、福田川のことだろう。子供の頃、何度か友達と釣りをしたことがあるが、フナがよく釣れた。平磯灯台は、塩屋と垂水の間、山陽電鉄の東垂水駅の沖合あたりにある。だけど、平磯灯台と聞いても、地元の人以外にはあまりピンとこないかもしれない。垂水区のホームページから、平磯灯台についての記述を抜粋してみる。

「垂水のシンボルとして「垂水の灯台」は明治時代から有名になっています。 この灯台付近は「平磯」といって暗礁になっていて、昔から明石海峡の難所で、たくさんの船が難破しました。 そのため江戸時代から木製の灯標を何度も立てたのですが、潮流が激しいので、すぐに流されてしまいました。
1893年に、英国人技師の指導で、鉄筋コンクリート造りの灯台が建ったのです。それが現在でもそのまま使われているのです。 山口県小野田市にある旧小野田セメント工場内に、日本で最初に造られた(1883年)セメント燃結炉が、山口県指定史跡として保存されています。 そこには、この燃結炉で作られた第一号のセメントで垂水の灯標が造られた-と書かれています」

 比較的岸に近いところにある、ほんの小さな灯台なのだが、結構歴史的意味のある灯台なのである。そうした歴史を背負っているせいか、小さいくせに、なんだか妙に存在感があったのを憶えている。
 小説中で、バートンが指示したコースは、だいたいこんな感じだと思う。
  


 垂水から対岸の淡路島を眺めると、これくらいの距離なら、水泳の得意な人なら泳げるんじゃないかと思ったものだ。垂水から淡路まで、距離にしてだいたい4キロくらいだと聞いた。それなら、それなりに泳げる人なら、さほど苦労もなく泳げてしまえるような距離である。仮にシュノーケルやフィン、それにウェットスーツなどを身につけていれば、距離だけで言えば楽勝だろう。だが、もちろん海とプールは全然違う。子供の頃から、この明石海峡は流れが早くて、絶対に泳いでは渡れないと聞かされてきた。小学校の教室の窓からは明石海峡がよく見えたが、まさにその教室で、先生から、実際に泳いで渡ろうとした泳ぎ自慢の人がいたが、流されてしまい、伴奏の船に溺死寸前で助けられたこともあるとも聞かされたことがあった。随分昔のことなので、うろ覚えだが、それこそオリンピック選手級の泳ぎ手だったとか。そんな人でも泳げないんだと、つくづく窓の外の明石海峡と淡路島を眺めていたことを憶えている。34キロもあるイギリスのドーバー海峡を泳いで渡ったという人の話は時々聞くが、難易度はたった四キロのこちらの方がずっと高く、Wikiによると、

「最狭部の幅が3.6kmで最深部は約100mである。海峡としては狭い部類に入り、さらにその内1.3kmが潮流の主流部である。主流部の淡路島側(南側)に最も潮流の強い部分があり、大潮のときには主流部の流速の1.4倍に達して最大7kt (13km/h)を超え、松帆崎からは川のように流れるのが見られる。潮流の速さに加えて船の往来が多いため、人間が泳いで横断するのは自殺行為である」

ということ。波の穏やかな瀬戸内海で、一見優しい海に見えるが、外から見ただけではその流れの速さがわからないのだ。
 今では、明石海峡には巨大な明石大橋が架かってしまっているし、垂水の海岸は埋め立てられ、巨大なアウトレットモールになってしまったから、随分と変わってしまってはいるけれど、モームが世界を旅して回っていた頃の垂水は、随分と牧歌的な景勝地だったんじゃないかと思う。なんというか、神戸の都心から西へと向かうと、鉢伏山の辺りから、風景がしっとりとしてくる感じが今でも少しは残っている。ジェームズ山は、外国人にしてみれば別荘地のような感じで、使われたのだろう。そうした、穏やかでゆったりとした空気の中で、モームはこの物語を着想し、舞台に設定して、執筆したのだ。一見穏やかな紳士に見えるバートンと、明石海峡の姿を、重ねあわせるようにして。