漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

縛り首の丘

2016年03月24日 | 読書録
「縛り首の丘」 エッサ・デ・ケイロース著 弥永史郎訳
白水Uブックス 白水社刊

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 ケイロースはポルトガルの作家だが、弁護士、ジャーナリスト、外交官と、様々な顔を持っている。昔の作家には、こういう人が結構多かった。多分、本国ではかなりよく知られた作家なのだろう。
 薄い本で、二つの中編(短編というべきか)が収録されている。どちらも、説話的な物語。
 一つ目は、「大官を殺せ」。世界各国で翻訳出版されているという、著者の代表的短編。地味で、しょぼくれているとさえ言える一人の冴えない公務員の男が、偶然手に入れた古書に封じ込められていた悪魔(という解釈でいいのかな)の誘惑に屈して、大富豪となる。悪魔は、ただ呼び鈴を鳴らすだけで、何の骨折りも、リスクもなく、あなたが会ったこともない、それどころか、その存在さえ知らない、中国の死にかけている大官の息の根を止め、その財産を全て相続できるのだ、と囁いたのだ。半信半疑のまま、彼は鈴を鳴らすが、やがて悪魔の言葉は真実であったと知ることになる。悪魔からは何の見返りも求められることもなく、何一つ努力せずに大富豪になった彼をとりまく環境は、激変する。これまでは全く見向きもされなかった彼を、あらゆる人々が持ち上げはじめるのだ。最初の頃こそ、放蕩を尽くすことに身を任せていた彼だが、次第に心の中に、会ったことさえない大官を殺したという事実が大きく影を落とし始め、実際に、その幽霊をみるようになってしまう。その苦しみから逃れるため、彼が大官を殺したことによって不幸のどん底ひ落とされてしまった多くの人々を救おうと、中国に旅立つ。だが彼の望みは、ことごとく叶えられない……といったような内容。解説によると、もともと西欧で知られていた「大官のパラドックス」という説話をもとにした物語であるということ。つまり、「何のリスクもなく欲望を欲しいままにできるとしたら、誰がためらうであろうか」という、人間の倫理を問う例え話がもとになっているらしい。まさに内容もそのとおりのものだが、中国という、西洋人にはエキゾチックな土地に展開される物語の鮮やかさが、おそらくはこの物語をひときわ有名にさせたのだろう。
 二つ目は、表題作の「縛り首の丘」。ある敬虔な青年騎士が教会で、礼拝に訪れた美しい女性を見て、ひと目で恋に落ちる。だが、それは隣の大富豪の愛妻であった。その事実を知っても、青年は諦めきれず、なんとか思いを伝えることは出来ないかと色々と努力するものの、その美女はまったく彼の存在を気に留めることさえない。そればかりか、その女性の夫である貴族は、妻を愛する余り、他の男の目にはできる限り彼女を触れさせまいとするほどに嫉妬深い男であって、青年が自分の妻をどうやら気にかけているらしいということに気づいていた。妻のことが心配でたまらない彼は、妻を連れて、少し離れた別荘に移ることにする。それでも安心できない彼は、ついに謀り事をして、青年を殺してしまおうと考える。妻に偽りの手紙を書かせ、青年を呼び出し、殺してしまおうと考えたのだ。その手紙を受け取った青年は、喜び勇んで馬を走らせるが、途中、縛り首の丘と呼ばれる刑場を通るときに、吊るされている男のひとりから「どうか自分を連れて行って欲しい」と声をかけられる。いろいろと考えた末、青年は吊るされている屍体を下ろし、ともに愛する美女のもとへと急ぐのだが……という内容。
 ヤン・ポトツキの「サラゴサ手稿」もそうだったけれども、西欧の幻想小説にはしばしば、縛り首にされた屍体が男を惑わせたり、導いたりするという場面に出くわす。見せしめにされた屍体が不気味なのは分かるが、例えば日本のさらし首ともちょっと意味が違うように感じるのは、どうやらキリスト教の教えがその根底にあるかららしい。旧約聖書の申命記に、「木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」という一文があって、この言葉を根拠に、中世の身分の低い平民は絞首刑に処せられたという背景があるせいだ。つまり、「悪いことをすると、こんなふうになるぞ」という脅しに加えて、「この人間は、悪いことをしたことによって、神に呪われ、地獄に堕ちたものとなった」という、教会側からの脅しもあるわけである。つまり、気持ちが悪いものである以上に、穢らわしいものであるということだ。この物語の中で、三体吊るされていた屍体の一つが青年に話しかけ、あなたの役に立つことでご褒美をいただけるのだと語ったのには、おそらくはこの屍体はまだ救われる要素がいくらかは残っていた男であり、信心深い青年と美女のために働くことで、魂が地獄に落ちることから救われるという契約を神さまから頂いたのだろうと考えることができる。まあ、妻を愛する余りおかしくなってしまった貴族が、ちょっと気の毒な気がしないでもない物語ではあるのだけれど。