漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

《ミッドナイトランド》/ エンドレスサマー/ 17

2009年10月17日 | ミッドナイトランド
 その間も、僕は図書館に通い続けた。そして自らの内面に降りてゆくかのように、ひと月に二フロアーづつ潜っていった。地下深くの薄暗い書架の間を、僕はオルラとたった二人で彷徨うように歩いた。そして目を書架に並ぶ書物の背に這わせ、折に触れて書架から本を取り出し、開いた。その大半は、僕には何の興味も持てないものだったが、時折は開いた本の行間にふと心を打つ文章を眼にすることもあった。そんな時には、暫くの間、とても心が穏やかになった。図書館の全貌は、とてもではないが、計り知れなかった。一体誰がこれほど様々な書物を必要とするのだろうと思った。ここにある本の大半は、この先もずっと決して開かれることもなく、いずれやってくる朽ち果てる時を待っているだけなのだ。だがそれでも僕には、ここにある書物を保存するということに関して、確かに責任があると感じた。そういう思いがなければ、とてもこの本の山に対峙することは不可能だった。
 ある時、僕はオルラに訊ねた。
 「オルラさんは、《太陽》について、どう思いますか?」
 「《太陽》ですか?」オルラは不意を突かれたような顔をして言った。「さあ、余り考えたことがないので、何と言っていいのか……」
 「存在していたということは信じますか?」
 「それは、信じるわ。むしろ、無かったと考える方が不自然だと思うから」
 「それは、どうしてです?」
 「どうしてって」オルラは困った顔をした。「よく分からないけど、きっとあったんだろうなって、ごく自然に感じるから……」
 「自然にですか?」
 「ええ、そうよ。ホープスンの本を読んだときも、何も疑問は感じなかったし。当然のことだとと感じたわ。疑う理由もないし、それに、夢を見たこともあるのよ」
 「夢を?」
 「そうよ、太陽の夢。世界を眩しく照らし出す光の夢。たった一度だけれどね。素晴らしい夢だったわ」
 一瞬、言葉が出なかった。まさかオルラさんが太陽の夢を見たことがあるなんて、考えても見なかったのだ。
 「それで、どうしました?」僕はやっとそれだけを言った。
 「どうって」オルラは言った。「別に何も。それだけのことよ。まだ十五歳の頃だったわ。いい夢だったので、覚えているけれど」
 「太陽は、どんな感じでしたか?」
 「とても明るい、白い玉って感じだったかしら。あまり細部まではもうはっきりとは覚えていないの。そう、あなたは太陽が好きだったのよね。でも、それ以上のことは言えないわ。内緒にしたいんじゃなくて、余りよく覚えていないから」オルラはそう言って、しばらく考える様子を見せたが、ふと思いついたように言い添えた。「ヴァレックさんなら、もっと詳しく話せるかもしれないわね。何でもよく知ってる方だから」
 「確かにヴァレックさんは博学な方ですよね。一度ゆっくりとお話を伺いたいものです」僕は言った。「しかし、オルラさんが《太陽》の夢を見たことがあるなんて、考えてもみませんでした」
 「そんなに珍しいことかしら?太陽の夢を見たことがある人は、結構多いと思うけど。誰にとっても、明るい世界というのは憧れだと思うし、だから決して珍しい夢じゃないと思うわ」
 「そうですね」僕は少し傷ついた気持ちになったが、そう言った。「確かにそうかもしれませんね」
 それからしばらくした頃、僕はヴァレックさんを捕まえて、太陽の話を聞いてみた。
 「わたしは、太陽の夢は、見たことがないなあ」とヴァレックは言った。「オルラが言うのも、正しいんだろうが、わたしは見たことがない。だからけっしてありふれた夢というわけではないと思うよ。オルラは、あれで色々と感じやすいところがあるたちだから、そういう夢を見たとしても、わたしは驚かんが」
 「ヴァレックさんは《太陽》について、どう思われますか?」
 「存在についてかね?それはもちろんあったはずだよ。この世界に存在する生命のかなりの割合が光を必要とすることから、ホープスンも言うとおり、なかったと考える方が不自然だろうね。ただ、どうして《太陽》がなくなってしまったのか、そして《太陽》がなくなった直後をどうして乗り切ることができたのか、さらにはその後、現在の《太陽》の存在しない世界に移行しても、生命が安定した存在できているのはなぜなのか、そのどれにも明確な説明が出来ていないのは確かだ。色々と言われてはいるが、はっきりしたことは分かっていないんだね。だが、はっきりとしていることは、この現在の環境を安定して維持するために、いにしえの人々は莫大な労力を注ぎ込んだということだ。そうでなければ、この世界は氷に覆われ、生命など存在しないだろう。例えば、世界のあちらこちらに、《火口》と呼ばれる巨大なヒーターが口を空けている場所があることは分かっている。それは明らかに環境維持装置の一つだろう」
 「《火口》……」
 「そう。それに、その《火口》の中でも特に大きいものがいくつかあって、それが《大火口》と呼ばれていることも分かっている。だが、その仕組みはわたしにはわからないから、詳しく聞かないでくれ。ともかく、こうした《火口》だけではなく、他にも色々と人の手によって作られた環境維持のための仕組みがこの世界にはあるのだろうが、わたしにはそれも分からない。多分、そうした設備について保守整備する人々もいるのかもしれないが、あるいはもう既に完全に忘れられているのかもしれない。もし完全に忘れられているとしたら、この世界はそうした一連の複雑な仕組みが壊れてしまうまでしか持たないだろうね。まさに、世界はとても危うい状態の上に存在している、《黄昏の時代》なのかもしれないよ」
 そこまで話したヴァレックは、一息ついた。そして続けた。「だが、今はまだ快適な世界だ。気候は温暖で、安定している。わたしは、かつて読んだ本の中に、現在の環境のことについてこう記述しているのを読んだことがある。《エンドレス・サマー》――『《ミッドナイトランド》の《終わらない夏》』と」
 「《終わらない夏(エンドレス・サマー)》?」
 「そう。『夏』という言葉の意味するところが、よく分からないが、どういうわけか印象に残っていて、仕方がないんだよ」