漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

ε・・・光の妖精・4

2006年12月19日 | ティアラの街角から
 それが当たり前のことではないと知ったのは、学校に通うようになってからでした」

 イプシロンは言葉を切って、辺りを見渡し、また手を動かした。それから、彼は言葉を繋いだ。

 「僕には、父親がいません。父親が誰なのか、今でも僕は知りません。今更、知りたいとも思いませんが。ついでに言えば、僕には、兄弟もいません。
 物心がついた頃には、母は、伯父の経営している観光客向けのレストランで夜遅くまで働いていました。だから、普段は、僕は一人でした。学校から帰ったあと、家の用事を済ませて、一人で遊び、一人で夜の食事を済ませ、僕の分と母の分のベットを整えるのです。母は、僕がまだ起きているうちに帰って来ることもあったし、僕が眠ってしまってから、そっと帰ってきて、ベッドにもぐりこんで眠っていることもありました。けれども、帰ってこないということは決してなかったから、僕はできるだけ綺麗に、母のベッドにシーツを張ることにしていました。そうすれば、母が喜ぶと思ったのです。だから、一日の終りには僕は大抵一人でしたが、それほど寂しいとは思いませんでした。気が付いたときにはもう、それが日常だったし、近所のおばさんたちも、僕を気にかけてくれて、いろいろと世話をしてくれたからです。
 僕は子供の頃から、あまり人と上手く話が出来ません。生まれつきなんだと思います。話をしようとすると、緊張してしまって、自分でも何を言っているのか、わからなくなるのです。それでも、ともかく話をしなければと思い、思いついたことを何でも話すのですが、いつも、だんだんと自分が何を話しているのか分からなくなって、そうすると相手が、だんだんと僕と話をするのが苦痛になってくるのが目に見えてくるから、次第に口数も減り、気が付くとひとりで取り残されているのです。
 学校が終わった後、母が帰ってくるまで、僕は、だから大抵、一人でした。
 別に寂しくはありませんでした。一人でいるというのは、慣れてしまうと、それはただの日常でしかありません。
 それでも、日のあるうちは特に、たった一人で部屋にいるのは、圧迫されそうな気がして、好きではありませんでした。がらんとした部屋の中で、どこか白っぽい空を映している窓を眺めていると、無性に怖くなってくるのです。それで、僕は大抵、夕方までは外をぶらぶらと歩き回っていることが多かったのです。
 特に好きだったのは、向こうの──とイプシロンは指を指した──小高い丘になったところがあるでしょう、あの丘の、オリーブの木の下でした。あそこからは、街も海もよく見えたし、それに、母の働いているレストランも、よく見えたんです。
 あの丘は、太陽の光にすごく恵まれた丘です。あそこから見渡すと、あらゆるものが、きらきらと輝いて見えます。だから、あそこにいると、暗い考えなんて、みんな吹き飛んでしまいます。だから、僕はあの丘が好きだったんです。