漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

暫く会っていなかった友人から・・・下

2005年10月12日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 駅から伸びる大通りをずっと歩いて行くと、一面の水田に突き当たった。私達はそこを左に折れて、右にずっと広い水田を見ながら歩く事になった。友人の家は、そうして十分ほど歩いた、大きな樫の木の近くにあった。古い平屋だが、しっかりとした手入れがされていて、住みやすそうだった。
 友人が扉を開けてくれたので、中に入ると、奥から白い割烹着を着た女性が出てきた。友人の細君らしいが、まさかそんななりで出迎えられるとは思わなかったから、一瞬手伝いの人がいるのかとも思った。だが、うちの女房だと友人が間髪いれずに紹介してくれたから、そう思ったのはほんの一瞬だけだった。ああ、どうもお邪魔いたします。私はそう言って頭を下げた。下げながら、彼女の顔は見事なくらいに卵形の顔だなと考えていた。それに、その顔に不釣合いなほど長い手と、さらに長い指は、ぱっと見たときから嫌でも目についた。それも、はっとするほど白いのだ。
 友人の家には五時間ばかりもいた。夕飯をご馳走になり、はっと時計を見て、ああ、そろそろ帰らなければ遅くなってしまうと思った。それで、ごちそうさま、そろそろお暇するよと言って、腰をあげた。何もお構いできませんで、という細君の言葉に、いえ、随分ご馳走になりました。ぜひこんどはこちらにもお寄りくださいと答えた。送ってゆくよ、という友人を私は押し止めて、いや、道くらいは覚えているし、夜の田園風景を何となく一人でぶらりと歩きたいから、ここでいいよと答えた。そして、私は友人の家を後にした。

 月の明るい夜だった。水田の稲は、まるで一面の草原のようで、柔らかく揺れていた。私は土の道を、サッサッと音を立てながら歩いた。用水路を流れる水の音が、その音に混じって聞こえた。
 もう少しで駅に向かう通りに辿り付くという辺りまで来た時、不意に通りの方から、人影がぬっと現れた。私はその奇妙な人影に驚き、思わず足を止めた。
 その人は驚くほど背が高く、奇妙な事に、両手をすっと左右に突っ張っていた。さらに不思議な事には、その両手には一つづつ、昔風のランプを下げている。ランプには青い火が点されていて、ぼんやりとその男の痩せた顔を下から照らしていた。
 男は黙ったまま、真っ直ぐに前を向いて、こちらに歩いてきた。私はじっと佇んだままだったから、自然と、その男の進行を遮る形になった。男は私の三メートルほど前で立ち止まった。
 こんばんは、と私は言った。
 こんばんは。男はむっすりと答えた。それきり、何を言う気配も無い。
 あの、と私は言った。失礼ですけれど、それは何をしているんでしょうか。
 私は街灯だ。男は答えた。だから、照らしている。
 ああ、そうなんですか。私は言った。それ以外に言葉がなかった。
 それで、と私は言った。重くはありませんか、あの、そのランプは。
 街灯だから、重いはずはないだろう。男は言った。火を落とす街灯なんて、聴いたことも無い。
 そうですね、確かに。私は言った。
 悪いが、どいてくれないか。男はむっすりとして言った。私には使命がある。
 ああ、それは失礼。私は言った。そして、男に道を譲った。
 男はゆっくりと、両手にランプを下げながら歩いて行く。そのシルエットは、まるで十字架のようだった。去って行く男の後姿を私は暫く見えていたが、男の来ている上着の肩のところが、奇妙に突っ張っているのを見つけると、ようやくほっとした気分になった。なんだ、上着の中に突っかえ棒が入っているんじゃないか。そりゃそうだよなあ、あんな格好でずっといられる訳はないよなあ。
 そう思いながら、男が私の友人の家の方角に歩き去って行く姿をしばらく眺めていた。