遊び人親子の日記

親子で綴る気まぐれ日記です。

国銅

2009年12月28日 13時35分51秒 | 読書
          国銅   上・下    帚木蓬生(著)H18年3月発行

  文庫になってから購入して読んだらしく、夏に上京した折に
  娘の本棚から借りてきていた上下巻です。
  娘は、帚木作品のなかで最も感動した、と薦めていました。

  この物語は、氏の作品としては珍しく、医療問題や現代史サスペンスの要素
  とは全く関係のない、奈良の大仏建立に関わった人々の話です。
  天平時代の大河ロマン・・・。

  当時、銅の製造は、暗く水が溢れる坑道の中で岩と格闘し石片を削りだし、
  それを地上まで運び、次は昼夜火を焚き続け釜で焼ハクを作り、
  吹屋という小屋で荒銅からカワを、そこから真吹銅にして、
  最後に“棹銅”にする、という過酷な工程作業だった。
  この“棹銅”を、都に運び献上するのだ。

  長門の「奈良登り」で銅作りをする主人公の工人『国人』や、兄、工人達は、
  一歩間違うと命を落とす、そんな危険な現場で辛く厳しい日々を生きていた。
  空腹を水を飲んで紛らわし、歯を食いしばって生きる国人だが、
  仕事の相棒で『黒虫』(耳が聞こえない)と息を合わせて銅作りのために懸命
  に働いていた。
  そんな国人は、僧『景信』との出会いにより、文字や薬草の知識を吸収し、
  新たな世界を知ることとなる。
  国人が仕事に習熟した頃、長門の銅山にも、大仏造営の為の人足徴用の命が
  届く。
  国人をはじめ15人の工人が、何年の勤めなのか、生きて帰れるかも判らないまま、
  奈良の都に送られることになった。
  なんとか無事、都に着いた国人は、大仏造営作業に打ち込み、
  ともに汗を流す仲間や、詩を学ぶ衛士との交流が出来たり、
  景信から教えられた薬草の知識を人助けの役立てたり、と厳しいなかにも
  充実した年月を送る。
  その間、限りある命と知った娘との逢瀬や、悲田院で病に苦しむ人々の世話を
  続ける僧侶の姿に感銘を受けたり・・・と、日々、国人は成長していく。
  そして、ついに大仏が完成、大仏の開眼供養会をまじかで見た国人に、
  帰国の許しがおりる。
  しかし、帰国といっても、都に登る時には、役人が付き添い、船や食事の心配
  はなかったが、帰途は全て自前という。
  海賊、山賊は必ずおり、路銀が尽きた時は死あるのみ、という過酷な旅。
  国人は長門の仲間3人と一緒に帰途につくが、旅の途中で一人は殺害され、
  もう一人は看病虚しく病死、一人で長門に帰りつくこととなる。
  15人で出発した仲間だったが、生き残って無事に奈良登りに帰ってこられた
  のは国人たった一人だった・・・。
  
  奈良登りの苦役、都での大仏造営での厳しい作業、、、と、
  想像しただけでも辛くなる工人や人足たちの過酷な仕事と生活が
  みごとに描かれています。
  棹銅作りや大仏造りの過程が、目の前で行われているかのように、
  克明に描写されて、その映像が浮かんでくるようです。
  
  辛い仕事や作業に携わっていても、そのなかで、創意工夫し、究めて
  行こうとすることで、徐々に、喜びや楽しみ、生きがいを見出していく姿
  が、イキイキと表現されています。
  これは、どんな時代のどんな仕事にも通じることなのですね。
  また、尊敬すべき僧侶や親方がいる一方で、そうではない人達もいます。
  小説では、そうした天平の人々が生きて、死んでいくのですが、
  数百年経た今だって、人間は何も変わっていません。
  
  悲田院の僧侶が国人に言った言葉、
  「大仏を造ったあなたがたひとりひとりが仏なのです」
  国人に文字や薬草を教えた僧、景信の言葉、
  「おまえがおまえの燈火だ。自分の燈火で自分の足下を照らすがよい」
  「自分の仏をもて」・・・
  こんな言葉が印象に残りました。
  
  東大寺で大仏様を見上げた時も、さぞ造営は大変なことだったろうなぁ、、、
  と思わずため息が出たものでしたが、『国銅』を読んだあとに拝観したら
  どんな感動が湧いてくるのだろう。
  また、奈良に行ってみなくては・・・。

   わがまま母
  
  

  
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2009 最終週

2009年12月28日 08時10分23秒 | 雑記
今朝の東京は曇り。
早朝には雨が降ったようで、地面が濡れています。


今年も残すところあと4日。
色々あったけど、最後は笑って終われそうです。

昨晩はトマト鍋の素スープを買って家で作ってみました。
具はキャベツ、なす、しめじ、ソーセージ。
帰省までの自分用作り置き鍋なので、あまり沢山入れないようにしました。
チーズなどは食べるときに入れます。

うちはカセットコンロがないのでキッチンで作って取り分けて食べたのですが、
なんか…少し味の濃いトマトスープみたいでした。
鍋になるかスープになるかは、
卓上で作るか、キッチンで作るかの違いなんだなと思いました。
あとは、みんなで食べるか一人で食べるか、かなあ。
(子)
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