われら闇より天を見る クリス・ウィタカー(著)2022年8月発行
この小説は凄い。グイグイ引き込まれてしまう。。
少女の死という事件から始ま理、普通に海外推理小説と思いきや、、、深かった。
主人公「ダッチェス」はまだ12歳の少女、母親と最愛の弟を、自分を犠牲にしても
守り抜こうと行動する魂の強さには圧倒されるばかり。
家庭環境の厳しさ、あまりに過酷な境遇、非常な世間の目に晒されながらも、
そんなものには負けまいと自分を「私は無法者だ」と叫びつつ、弟を守ろうと必死に
世間や無理解な大人に抗い、闘おうとするダッチェスの姿には感服するのみ。
母親の死により身寄りがなくなった二人は、故郷の海岸の町を離れるしかなく、
友人の警察官「ウオーク」に連れられ、遠い内陸部に住む、未だ会ったことのない
祖父の「ハル」のモンタナの牧場に辿り着く。
牧場での馬との触れ合いや、静かに二人を見守るハル、ハルの友人「ドリー」との
出会いなどにより、自然や動物、そして人の優しさに触れて少しづつだが癒され、
彼女の頑なさにも徐々に変化が芽生え始めてくる。
子供にとって信用できる大人に見守られて生活することが、如何に大切か・・・。
ハルやドリー、友人トマスと関わり、ダッチェスの心が僅かながらもほぐれていく
様子が描かれ、こちらまで少しホッとする。
ダッチェス以外にも、母親のシシー、ウオークとマーサ、ヴィンなど登場人物が多彩
なのだが、大人それぞれの人生や関わりようが見事に描きこまれていて秀逸。
後半は新たな殺人事件も起こり、人の為になりたいと願う「ウオーク」が病を隠し、
困難な事件に「マーサ」の協力を得て立ち向かおうとする道のりも、考えさせる展開
をみせてくれる。
非情な設定から始まる物語ながらも、読み応え満点、そして沁みる小説でした。
わがまま母
— 本の案内文 —
「それが、ここに流れている
あたしたちの血。
あたしたちは無法者なの」
アメリカ、カリフォルニア州。海沿いの町ケープ・ヘイブン。
30年前に一人の少女が命を落とした事件は、いまなお町に暗い影を落としている。
自称無法者のダッチェスは、30年前の事件から立ち直れずにいる母親と、まだ幼い
弟とともに世の理不尽に抗いながら懸命に日々を送っていた。
町の警察署長ウオークは、かつての事件で親友のヴィンセントが逮捕されるに至った
証言をいまだに悔いており、過去に囚われたまま生きていた。
彼らの町に刑期を終えたィンセントが帰ってくる。
彼の帰還はかりそめの平穏を乱し、ダッチェスとウオークを巻き込んでいく。そして、
新たな悲劇が・・・・・。苛烈な運命に翻弄されながらも、彼女たちがたどり着いた
あまりにも悲しい真相とは—?
人生の闇の中に差す一条の光を描いた英国推理作家協会賞最優秀長編賞受賞作。
— 書評家の川出正樹氏による解説 —
より以下に一部抜粋転記します
We Begin at the End──人は終わりから始める。
生きていく中でつらい・終わり・を体験した時、人はどんな思いを胸に、何を選び、いつどこに向かって新たな一歩を踏み出すのか。クリス・ウィタカーの『われら闇より天を見る』は、その原題We Begin at the Endが端的に示すように、この普遍の命題をテーマに据えた奥深く滋味豊かな犯罪小説だ。
物語の核にあるのは、三十年前に起きた幼い少女の不幸な死。子供が子供を誤って殺してしまった傷ましい事件に対して、成人刑務所での懲役十年という厳しい判決が下る。そして三十年後、刑務所内での喧嘩により相手の囚人を殺害し二十年の刑を加算されたヴィンセントが刑期を勤め上げて帰郷したことが引き金となり、新たな惨事が連鎖的に起きていく。作者クリス・ウィタカーは、この一連の悲劇が引き起こした余波に巻き込まれ、人生を大きく変えざるをえなくなった老若男女の生き方と死に様を、飾り気なく力強い文章を連ねて悠揚迫らぬ筆致で描き上げる。
舞台となるのは、アメリカ合衆国西部の二つの場所だ。
ひとつは、太平洋の絶景を望むカリフォルニア州の断崖に彫りこまれたかのような、小さくてのどかな海辺の町ケープ・ヘイヴン。何世代にもわたってこの土地で暮らしてきた住民も多く、ほとんどの人々が顔なじみである一方、一年のうち十ヶ月間空き家状態となる富裕層の別荘が近年増え始めてきている。またカブリロ・ハイウェイ(カリフォルニア州道一号線)沿いの他の町同様、海蝕の進行による崖の崩壊が深刻化している。
もうひとつは、さえぎるものなき大空の下で、命を吹き込みきれないほど広大なモンタナ州の大地に拓かれた個人農場。ケープ・ヘイヴンからは千六百キロ離れ、数キロ圏内に町はない。地平線を山々が縁取る美しくも厳しい大自然と一体となったこの地は、傷ついた魂の持ち主をあるがままに受け入れ、内省を促す。
クリス・ウィタカーは、この対照的なふたつの舞台の上で、・終わりから始める人々の物語・を紡ぐにあたり、これもまたあらゆる点で対照的なふたりの男女を主人公に配した。
ひとりは、ケープ・ヘイヴン警察の署長を務めるウォークことウォーカーだ。両親が遺した家に一人で暮らす四十五歳で肥満進行中の独身男性。制服をきっちりと身につけ曲がったことは決してしない。正直者の少年がそのまま大人になったかのようなウォークは、生まれ育った平穏な町で通信係を除くただ一人の警察官として、二十年以上の間、地域住民と別荘族のためにパトロールし続けてきた。誰に対しても分け隔てなく親切に接し、自らの地位に満足する彼を賞賛する者もいる一方、軽罪以上の事件を手がけたことがないために憐れむ者もいた。「一度も港を出たことのない船の船長」だと。
多くの住民から慕われているウォークだが、三十年前の事件を契機に変化を拒絶するようになり、ケープ・ヘイヴンを旧き良き時代だと信じる姿、即ち、彼が十五歳の少年だった頃の状態のままに留めておくことに固執している。そうして自分自身も含め、すべてを変わらないままにしておけば、親友のヴィンセントが出所した時に、あの悲劇の前に戻って仲間とともに人生をやりなおせると信じているのだ。そのため、新たな土地開発や建設計画が提出されるたびに反対の立場をとり続けていて、十年ほど前にケープ・ヘイヴンに進出してきた巨漢の不動産業者ディッキー・ダークに対しては、常々疎ましく感じている。
もうひとりの主人公は、‟無法者”を自認する十三歳の少女ダッチェス・デイ・ラドリー。彼女は、自分のものは何一つ持っていない。父親がどこの誰かも分からない。それどころか子供時代すらなかった。というのも母親のスターは、妹のシシーが恋人のヴィンセントに誤って殺されてしまった三十年前の事件からいまだに立ち直れず、しばしばアルコールと薬物を過剰摂取するため、子供たちの面倒をほとんど見ることができないからだ。ダッチェスは、そんなスターの行動に目を配ると同時に、六歳の誕生日を間近に控えた幼い弟ロビンの人生を少しでもましなものにすべく、すべての力を注いでいる。
母親譲りのブロンドの髪と明るい色の眼に華奢な体。そんな恵まれた容姿とずば抜けた歌唱力を備えた中学生のダッチェスが、周りの人間に対して繰り返し「あたしは無法者だ」と言い放つ。それは、神様にイカサマされたかのような境遇にあって、世間の常識やルール、偽善や悪意に対して中指を突き立て、家族を守るためならば手段を選ぶつもりはないと自分に言い聞かせ続けるためだ。ダッチェスにとって、学校の課題で家系図作りの調べものをしていた際に知った、母方の血筋に西部開拓時代のお尋ね者のアウトローがいたという事実は、勝ち目のない手札を配られた人生を生き抜くための強力な縁であり、誇りなのだ。彼女は一度も泣いたことがない。
この対照的なふたりを中心に、クリス・ウィタカーは、過去と現在の悲劇に関わってしまった人々の怨嗟と憤怒、悲嘆と悔恨、失意と諦念、贖罪と救済、そして停滞と再起を、ミステリの結構を備えたビルドゥングスロマンのスタイルで、瑞々しく、荒々しく、情感豊かに描き、先述したテーマを浮き彫りにしていく。
以下 略