つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

真如

2013-02-24 | Weblog
高学歴を有していても、頭がよいというわけではない。
道徳こそ人間育成に必要なもので、人格形成に大いに影響を及ぼす。
道徳を学び実践する事こそ大事である。
よいことを見聞きしても実践していかなければ用をなさない。
道徳は学問の基本である。基本ができていなければ、何を学んでも間違って取り込まれてしまう。
後に必ず行き詰まる。とても頭がよいのに、犯罪に手を染めてしまったりするのである。
基本がなっていないために起こる。

道の理をよく知って徳(恩恵)となるもので、師はすべて自然である。
その自然に学べば知恵が付く。これが恩恵である。知恵の判断は道理の判断であるために、誤りのない判断となる。
即断となるために考える必要がなく、瞬時対応となる。そのため、災いからとっさに避けられてもいく。
あらゆる事柄に徳となっていくのである。
その自然を是として、是が諸々の法則である。
是は‘これ’と訳すのではなく、日が正しいと書いている。
日が正しいというのは、太陽の運行、つまり、東から上り西に沈んでいく日の廻りが絶対であることを示し、
狂いなく廻るものであるために、無くなることがない法則であるとして、法則を「是」としている。
道理である。だから、永遠という唯一の法則で、これを自然といい、して、自由。
この自由である自然によって、地上の変化に対応して諸々の存在となっている。
地上の変化が様々な生物の生滅である。繰り返すだけで、無くなってしまうわけではない。
是が無くならないためである。
時として、道理と合わなくなれば消滅となるが、地上に明日がこないという事はない。
変わりなく明日はやってくる。この常が無くなることがないために無常という。
これが法則であり是である。絶対という。して、如来といい唯一な、である。
真如、エネルギーの自由である。
真理より来たれるもの、如実により来たれるものである。

真如=万物に備わる、永久不変の真理と辞書にある。

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