賛否両論、どちらにも耳を傾けて聴く。するとその違いが見えてくる。
人は自分を正義として判断する。意見が違う人を悪としてしまう。
自分が正しいとする根拠は特に持っていない。生まれて初めて出会った環境の
慣習と習慣が正しいとなって認識する。それがたとえ歪な事であっても。
ただ年齢が経つごとに、その慣習と習慣が間違っていたとする反省があるか否かは大事となる。毎日同じことを繰り返すことが正しいとなるのは、
「是」たる法則による。「是」とは太陽の巡りである。日が正しいと書いている。この太陽の円運動が地球の、或いは宇宙の絶対法則となっているために、
一日は毎日となって永遠に無くなることが無い。つまり、同じことの繰り返しが絶対となり正しいとなっている世界である。
慣性で作られている。そのために外部から受ける変化がない限り、永遠となる。
これが根拠となって、繰り返すことが正義となっている。そこに善とか悪などと言う事は無い。善悪がないために善となって巡っている。それが存在する理由である。善い事だから存在が永続となっている。悪い事であれば存在の永続は無い。必然消滅する。これが道理である。この道理は宇宙全般に通じていることである。そして、回る変化は、栄枯盛衰の繰り返しである。
この変化が、無くなる事の無い変化となって永遠である。